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今、お二方とこの社会貢献について話している、
いずれの方も、
人として生きるからには、社会貢献をしていくべきだ、の意見である、
マッタク異論はない、
以前、私はこのミッションに燃えて、会社を辞めようとしたこともある、
(結局、挫折したわけだが--)
当時の私は、
人は何かをして貢献せねばならんと堅く信じていた、様々な思いが波状的に来たのを覚えている、
「アフリカでは飢餓で子供たちが苦しんでいる、お前は何もしなくてもいいのか」式の思いだ、
できない自分を見るのは歯がゆいこと歯がゆいこと、
でコレが3-4年続いただろうか、
が、ある日、このジレンマから解放される、
ココロに喜びなくして、何事もなすべからざりき、
切迫感からのあらゆる行動は、破綻をもたらす、
こんな意味合いのフレーズを聞いて、ハッとした、
最初にココロなのかーー、
それ以降、
「人のため何かせねばならぬ」式のせっぱ詰まった脅迫的な思いは来なくなった、
幽霊の正体見たり枯れ尾花だ、
世にはボランティア団体、慈善団体、NPOなどがひしめいている、
それ自体は問題ないだろう、
問題はそれに取り組む動機だ、
*但し、動機がいいとか悪いとか言うのは私の意図するところではない、(動機などアトでかえればドーッてことないからね、)
その動機が自分を正しくありさしめようようとしているなら、気をつけたほうがいい、ということ、
「 世のため、人のため 」
これは一見、すごくいいように見えるし、思える、
しかし、それは猛烈な毒を含んでいる、
その毒の名前は" 落胆 "、" 疲弊 "そして" プライド "である、
トライしたことのある方なら経験があるかもしれない、
義務、強制からの行為は続かないし、しんどい、と言うことを、
(例え、その行為が社会貢献につながると思われてもだ、)* ソモソモ、社会貢献と言う言葉自体があやしくなってくるのだがーー、
逆にココロに楽しさ、喜びがあるなら、行動は一切問われない、
することなすことが楽しい、
いや何もしなくても、マッタクかまわない、
楽しんでいる自分の存在そのものが周りを照らしめるからだ、
そして、これは、
今自分が目指している生き方、" 瞬間反射人間 " にも通じる、
今を生きることのススメ にも書いたが、
今を最大限に生きるに勝る社会貢献はないのではないかと思う今日この頃である、
The Art of Being 2024年07月10日 コメント(1)
いのちはいただきもの天命で生れ天命で還る 2023年09月26日