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1)骨はどこへ行った?
の続きで、
Artifacts in the Tokyo National Museum
*この記者Brian Snoddyは、
シアトル在住のアーティスト で、考古学に興味を持っている方、以前、日本に何回か、行く用事があり、
その都度、東京国立博物館に行くのが楽しみだったと、(概訳で、)
私は東京国立博物館へ行く途中でした。私はそこに行くのが待ち切れなかったのです。
それは、2002年の春でした。上野駅で電車から降りた後、雨が降り始めたので、早足で公園を歩いていきました。
私は2,3年の間、毎年、日本へ行く予定になっていて、ちょうど日本の地理がわかり始めていた時期で、この博物館の訪問は私の2回目の訪問です。
私は地階にあるブックショップが好きでした。そこで、私は旅行で持っていったお金のおよそ1/4をいつも使っていました。私は、もはや中毒患者のようでした。
博物館に入るとすぐに、私は「考古学」セクションに行きました。それは入口の右にホールの下にあります。このセクションは、YAYOI-KOFUN(BC300年-AD538年)時代の発掘品が展示されている2つの大きな部屋から成ります。
以前にも、訪れましたが、私は今回、見たものにショックを受けました。これらの事実に、以前、気がつかなかったことに唖然としてしまったのです。
私は、その当時の日本人には大きすぎるいくつかの「巨大な発掘品」を見ました。それ古墳時代の展示エリアにありましたが、おそらく150cm程度の兵士(マネキン)にはおよそ似合わない武具でした。
(すべて、彼のスケッチによる、)
図4は日本の武士(兵士)が当事、装備していたであろうものを示します。そして、彼の身長、身なりが、発掘品(展示品)の「巨大な発掘品」のスケールを示すメジャーとして使われます。
最初に私の注意を引いたのは、いくつかの槍の先でした。それは、戈(カ)でした。
(参考)
http://blogs.yahoo.co.jp/kwgdr451/8496709.html
そして、次のものは通常の倍のサイズで、長さおよそ3フィートくらいの矛(ほこ)で、すべて青銅でできていました。
(参考)
http://www7.ocn.ne.jp/~sui-yama/seidoki.htm
次のセットは、剣を構成する一組のハンドル・パーツ。図2は、つか頭です。そして、図3は、つばです。これらの物は、普通の剣に取付ける金具のおよそ3倍の大きさです。
(参考)
http://blog.livedoor.jp/shizuokak/archives/4513008.html
(ここに展示してある剣の刃の長さは、2~3フィートで、シングルエッジの、まっすぐな剣でしたが、)これらの「巨大な」剣パーツ(つか頭、つば)は、 6~8フィートの刃を想像させます。 又、つばは鉄でできていたと思います。つか頭は重いゴールドのように見えました。
図5は、博物館内の「巨大な 発掘品 」の中で最も印象的な1つです。それは、 高さ5フィート(150cm)の鉄のシールド(盾) です。鋲着された鉄のプレートでできて、それはそれは素晴らしい技巧のものです。
この盾は、2人の兵士(マネキン)の間に展示されていました。盾は家のドアのサイズで、兵士の大きさが不自然に小さく見えました。重さはわかりませんが、少なくとも30ポンド(約14kg)はあったでしょう。5フィートの人がドーやって、この盾を持つのか、私には想像できませんでした。
「巨大な 発掘品 」の最後は、図6の青銅靴です。靴の絵柄の装飾はブロンズの靴自体に打ちこまれており、すばらしいデザインで、小さなブロンズ製のプレートがブロンズ製のワイヤーでつけられていました。
靴は儀式に使われたように見えます。少なくとも、これを履いて、森を歩く姿は想像できません。又、8フィート(2.4m)以下の人を想像することもできません。この靴のサイズは、 18インチ(46cm) でした。
2004年に、私は3回目の訪問をしました。「巨大な」剣のハンドル・オブジェクト(つか頭とつば)は、なくなっていて、馬のサドル・パーツと他の物に置き換わっていました。
日本への私の最後の訪問だった2009年のこと、あとの物は、まだそこにありました。しかし、私は、いかなる博物館関係者、日本の歴史家から、これらの巨大 発掘品 の見解、解説を聞くこと、又、(書物で)読むことはできませんでした。それら(の不自然さ)は、全く無視されていました。
この記事を見ながら、
古墳・弥生時代の日本が浮かんできた、何でも、
「銅剣・銅矛・銅戈圏」と「銅鐸圏」があったらしく、
そのサイズもさまざま、
http://www.geocities.jp/yamauo1945/seidouki.html
しかし、あの矛や剣、
盾の巨大サイズを見るにつけ、
又、出雲大社の巨大な柱を見るにつけ、
http://tanken.guidenet.jp/?p=32697
平成12年に、出雲大社の境内から
杉の丸太を3本束ねた巨大な宇豆柱(うづばしら)が出土し、
かつてそこにはそびえ建つ神殿が作られていたことを
物語るものとして話題になりました。
又、巨石構築物を見るにつけ、
http://mysteryspot.main.jp/megalith/index.htm
思うのは、
日本には、かつて、
巨人が存在していたんだなと言うこと、そして、さらに思ったのは、
こんなに、刀剣・矛、銅鐸が出ているのに、
何で、人の骨が出てこないのかって、しかも、あれだけ、大きな古墳が、
あちこちにあるのに、で、こちら、
仁徳天皇稜(堺市)の米進駐軍の発掘(Video7/8)は興味深い、
フムフム、
進駐軍が、ほとんど、持って行ってしまった!?
かように、人骨については、
徹底的に情報コントロールされてきたみたい、
道理で、古墳内部の調査が進まないわけだ、
それと、不明なのが、
銅鐸の使い道なんだけど、参考) 銅鐸の起源
楽器とか言うけど、
音の出の悪い銅を楽器にするかよ!?まさかと思うけど、
つか頭だったりして、いや、Max.134cmがあるという銅鐸、
さすがに、それはないか、
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