シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年01月11日
XML
カテゴリ: 夢日記
 今日の夢は、忘れてしまった。どうやら、いつも、同じ夢をみているようで、平凡な毎日の差異がなかなか掴めないように、刺激的な印象に残る夢をみていない気もする。それでも、起きたときは、今日はこういう夢をみたぞと、思いながらも、書く段階になると、忘れてしまうのだ! 要は記憶力が乏しくなっている証拠である。

 夢のことは書けないので、昨日の寝る前を書く。昨日は、スカパーで、昨今話題の三谷幸喜の「総理と呼ばないで」という田村正和が総理大臣役をやるドラマをみた。

 このドラマは、三谷自身がかって、かなり不評だったと語っているように、喜劇としては面白いのだが、政治を題材にしたところがよくない。それでも、三谷ファンとしては、どことなく、「古畑任三郎」と、「王様のレストラン」の雰囲気が混じっていて、それなりに楽しめるだろう。

 なにより、驚くのは、某総理大臣が、まるで、この総理そっくりであることだと思われる。三谷自身も、このドラマが、現政治の予告版みたいな自負心を含ませる発言を、かってのインタビューでちらつかせていた。

 しかし、このような喜劇が現実として、成り立ってしまう現状はまるで、国家自体が、お笑いに乗っ取られたようなものである。そのドラマの政府と唯一異なるところは、支持率である。

 これは三谷自身も、予測できなかったようで、あのような私利私欲の固まりの総理大臣に、高い支持率を与える理性という常識を、いかに喜劇王でも、捨て切れなかったことがわかる。つまり、国民はそのような理性を持ち合わせているという前提、その理性ありき故の喜劇なのである。支持率が限りなく低い故の、あの手この手の喜劇的な右往左往の混迷ぶりが、そのドラマの背骨である。支持率が高ければ、この喜劇は生まれないのである。

 喜劇の根底にも、モラルがある。しかし、現実は喜劇ではない。

 大衆は限りなく馬鹿に近い。だから学問を興して、教育していかねばならない。それが真実である。大衆は私利私欲で生きる。だから、公共機関が必要で、奉仕の精神の模範を示し、大衆のこころをつなげていく必要がある。ときを超えて、その統合調整の精神を、未来永劫、人類としてつなげていくために、国家がある。公的精神のなかの最も尊い公的自己犠牲精神である。それを愛と呼ぶ。

 現代では、大衆は無闇矢鱈に愛を語れど、その精神を示した者は皆無である。世も末とはこのことなのであろう。国家が一私人の遊び道具に、堕落してしまった。分裂し、消滅するのは時間の問題だろう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006年01月11日 10時06分30秒
コメント(0) | コメントを書く
[夢日記] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: