シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年01月27日
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カテゴリ: 夢日記
 今日の夢も残念ながら忘れてしまった! 昨日の寝る前のことも忘れてしまった。確か、「江原啓之への質問状」を読んでそのまま寝てしまった感じだったような。ともかく、風邪をひいて非常に辛いのは確かだ!

 最近、あるブログから、非常に刺激をうけて、経済や経営を、神秘学的に考えることを行ってみた。

 神秘学では、現代は、地を這うミミズ、モグラの文明といわれるくらい、精神的に退廃したものだが、この多くは、人間の肉食に原因がある。だからといって、菜食を進めるつもりは毛頭ない。

 人間は、肉食を行うと、例えば、動物性蛋白質をそのまま利用し、植物性蛋白質のように、解体して、人間性の蛋白質につくりかえる労力が余る。だから、自ら、食物を解体し、再生する、手間が省け、その分のエネルギーを他にまわすことができるようになる。

 そのかわり、解体作業や、自らつくりかえる、人間のなかの精神的部分である、アストラル体が、堕落してしまい。精神性を失ってしまうのである。だから、肉食は、怠惰な精神を生み、その代わり、人間の外にむかって、自由な、いわば欲望に忠実な行動をとるようになると、神秘学では、いわれている。

 だから、肉食を行う民族は戦闘的であり、外なる野心に忠実なのである。これは、植民地政策をおこなった国の多くが肉食であることで、理解できるだろう。

 そのことはどうあれ、私がいいたいことは、国もこの一個の人間と同じであるということなのである。

 あまりに、会社や国家自体が、自ら創造することなく、他からとってきて加工したもので、利潤を上げ過ぎると、国内のみで、循環を閉じることができずに、自由な外に向かって、活動を広げる傾向にあるということなのである。

 古代の国家は、現代とは逆で、いわば鎖国状態であったといえる。それは、当時の人間自体が、内面にのみ集中力を養い、高度な精神性を向上するのに、重点をおいたように、国内だけで、精神性を高め、独特の文化を築きあげるために、いわゆる神殿に類する建物、文化遺産を建築していったのである。

 唯物的歴史書には、多くの民族移動が記されているが、神秘学では、それは現代の米国に移住する人口よりは、遥かに少ない移動だったというのである。それはほとんど移動する民族がいなかったからこそ、目だって記述されたということであるようだ。アレキサンダー大王の遠征でさえも、現代の移動よりは少ないようである。 

 古代は、自らの土地を土台に、自らの土地から、いかに、精神的なものを引き出すかに重点をおいたわけだ。自らの土地を決して破壊することはしなかったのである。破壊することはなしに、その奥にある霊力を、用いたのである。だから、風水のような概念ができあがるのである。

 古代人は、旅をしたが、それは、その土地、その土地の霊力を探るためであり、破壊したり、所有したりするものではなかったのである。

 つまり、古代人は、その土地が何からできているのかの霊的設計図を知り、そこから、その自然の設計図に応じて、創造していったのである。だから、少しずつ少しずつ、一歩一歩、ゆっくりと建造していったのである。

 現代は、これとは逆に、何でも物質のままに、いわば、奪うという形で、所有しようとする傾向にあるだろう。そして、挙句の果てには、乗っ取り屋のようなものが現れたわけだ!

 そこにあるのは、見栄であり、中身のない外見だけであり、所有欲であり、エゴである。とどのつまり、借りてきた分、楽をした分、自分のなかでエネルギーが余り、それを外に向けているだけなのである。

 小人閑居して、罪(不善)をなす 

 古代人にはこのような考えはない。その土地をよく知るものがその土地に住むべきであるというのがその認識の根底にあるからである。

 それに古代人は、基本的に、この世のどんなものであれ、同じものはないと認識していたので、同じものを交換するという認識はなかったのである。ただ精神のみのやりとりがあるだけである。そのモノの精神をよく理解できたものが、そのものを取り扱うというだけなのである。

 どの命も同じものではなく、どの命とて、尊いものなのだから、それを失い、奪うことは、赦されないのである。

 だから、外に向かうよりも、まずは、内のなかに神殿をつくれということなのである。

 国家は、外に向かうのではなく、内なる文化を築きあげるべきなのだ!

 企業は、利潤を上げるのではなく、物質的創造を通して、内なる精神性、社会通念、モラルを構築するべきなのである。

 それは、武士階級が、武士道をつくったように、ホンダが、ホンダ精神、松下が、松下精神というようなものをつくるのが、社会における企業の本分なのであると信じる。

 一時のモノを創造するのではなく、永遠なる精神を創造することこそ、宇宙の理念に相応しいのであろう。

 それは、ギリシャ哲学が、ローマ帝国をつくり、ローマが崩壊して、キリスト教精神が、残されたことに見い出されるだろう。

 荒地の悪魔が、キリストに囁く、「石をパンにかえてみろ」と、これは、この世では、金銭によって、食物を得る必要があることを意味する。地の悪魔の世界では、食物を得るには金銭を必要とするのである。

 つまり、人間からなる会社や国家は、日々、生きるために、金銭、利潤を必要とするということも意味する。人間は、地で生きるために、「石をパンにかえなければならない」

 これが聖書でいう、人間の物質界に堕ちた原罪の意味である。地を這うミミズとなる現代文明を表している。

 それに対して、キリストは、「人はパンのみに生きるにあらず」と答える。人間はいずれ地で死に、天にかえる太陽の子である。

 しかし、地で人間が、わずかばかりの時間、生きるには、パンが必要とされる。

 地にも天の働きが必要である。そのために、キリストは、地に死に、天に上る最初の神の子となった。そして、地において、天の働きを行う神となったのである。

 キリストは、地において、人類の精神のパンになったのである。

 日々の糧のなかに、精神を体験せよ!

 精神のパンをつくりあげろ。

 そのとき、人はパンに生きるにあらずとなるだろう。

 そして、国境はなくなるだろう。





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Last updated  2006年01月27日 23時22分05秒
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