シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年01月31日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 神秘学では、古代ギリシア密儀神殿の「汝自身を知れ」という言葉は、「高次の自己を認識するように」という促しであるという。

 では、この高次の自己はどこに存在するのか?

 ゲーテは、「目は光によって、光のために形成された」と言ったという、これは、「目は自分を忘れて、自分をつくった光を認識すればするほど、よく目的を達成する」という意味だという。

 人間が目の内部をみることができれば、目の使命はもっとよく果たされていたかもしれないが、この内部を忘れて、この内部をつくった「目の高次の自己」である光を認識するのが目の課題、目の使命だという。

 人間の通常の自己もこれと同様の関係にあるという。この自己が自らを忘れて、「外界にも霊光があり、その霊光が私たちの霊眼をつくったのであり、いまも霊眼をつくりつつある」と気づけば気づくほど、自己認識は高まっていくという。

 だから、自己認識は自己発展を意味するという。

 つまり、霊光が霊眼をつくり、霊眼が自己をつくるので、自己は自己を忘れて、霊眼を認識し、霊光を認識することが、自己認識の使命であり課題で、自己発展であるというわけなのだろう。

 唯物論者には、あまりに、空想的で、ファンタジーすぎるように思えるだろうから、私は以下のように言い換えたい。

 生命(いのち)は、愛によって、愛のためにつくられた

 と、生命は生命の内部を忘れ、この生命の内部をつくった愛を認識することで、生命の目的はよく果たされ、それが課題であり、使命であるというわけだろう。

 生命(いのち)の課題、使命は、愛を認識することなのだ!

 愛を意識し、感じる生命の発展こそが、汝自身を知れ!ということに置き換えられるのだろう。キリストは、みえるかたちで、人類に愛を与えた。それは実物の目にみえる光となった愛である。我々は、愛を認識できるはずなのである。

 愛がないとはいえない。愛がないのではなく、愛を認識できていないのである。しかしこれはおかしい。生命は愛からなるのであるから、愛を認識できないはずはない。

 愛を認識できないのは、生命(いのち)を失うにたる不感症になってしまったからであろう。あまりに物質主義になり、生命たる資格を失ってしまったのであろう。

 誰もが尊い生命であるがゆえに、愛を感じることができるはずなのである。愛を感じなくなったとき、それは自分のなかに生命の力が乏しい証拠であろう。

 人間は物質ではない。生命体である。なぜなら、愛から生まれたからである。とりあえず、以下のことは信じたい。

 生命は愛から生まれたのだから、生命の内部がどうあれ、愛を認識することが使命であり、課題なのだ!

 愛を信じよう。それこそ生命を形作るものなのであるのだから。

 次回は、輪廻転生について触れたいように思える。生命を形作る愛がどこからくるのか? それを知るには、誕生から死までの人生では理解できない。死んでからまた生まれてくるまでのあの世の世界を知る必要があるからなのである。

 生命が愛からつくられるように、人間は生まれたときにすでに生命体であるように、それをつくった愛をあの世から、すでに生命体として、運んできているのである。

 生命は愛からなるがゆえ、愛を感じよ!

 汝に生命があるのは、愛があるからであり、それは隣人を愛し、敵を愛すためのものである

 とキリストはいうのだろう…。愛こそ全て、生命のなる樹なのだろう。





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Last updated  2006年01月31日 22時17分54秒
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