シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2016年01月04日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 今年になって、巷は異様に騒がしいのだが、人間がいうことやることは失敗ばかりなんで、アホバカたちが何をいって、やろうが、その失敗はアホバカたちに返っていくのだから、もう好きなようにいって、やってどんどんアホバカになればいいと達観することにした。

 ただ罪深いことに誰もその責任をとるものがいないのは非常に残念である。人類のなかに誰も責任をとるものがいない、となると、人類の過ちを人類で責任がとれなくなる、ということで、人類は滅ぶしかなくなるからである。

 アホバカは失敗の責任をとらずに、失敗を誤魔化すことで傷口を拡げている。

 現在、世界に不平等不健全な格差社会を招いているのも、かつての国の代表者の無責任さにあるが、特に顕著なのは、米国の軍国政策のレーガノミクスと湾岸戦争やイラク戦争のせいである。宗教者はそれについて見て見ぬふりをしているどころか、買収されている始末である。とくにイラク戦争の間違いについてカネに目が眩み口をつぐんでいる状態にある。もはや地上は悪魔の牛耳る世界になってしまっている。

 米国ではこの失敗の責任を誰もとらなかったために、双子の赤字をかかえ、その利益はニセモノユダヤの悪魔に還元され、悪魔の支配下となってしまった。米国が殺人帝国となったのも、レーガノミクスにある。米国の正義は悪魔に買収され、屈したのである。

 驚くのは、その責任を他国になすりつけ、米国債を強制的に買わせることで、失敗を他になすりつけ、誤魔化していることにある。もはや人類としては見過ごすことのできない悪行であろう。いずれ米国の堕落腐敗した宗教者とともに、地獄下で裁きを受けるのだろう。

 さて、この国にもそのようなアホバカが増殖中で、最も愚かなのは失敗を認めないアホバカで、そのようなアホバカは、人類から脱落していくだろう。そのようなアホバカは嘘八百しか言わないので、誰も相手にしない人類背徳者なんである。そのような話を紹介して年頭の騒がしさに警告しておきたい。

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オマエが飯食って、オレが腹一杯になるか?
http://my.shadowcity.jp/2016/01/post-8540.html

 「オマエが飯食って、オレが腹一杯になるか?」「オマエが酒飲んで、オレが酔っ払うか?」と、なんか、落語にもあったな。常識で判るだろw 他人が豊かになったからって、自分が豊かになるわけじゃない。オレの胃袋とオマエの胃袋は別物だ。そんな道理も判らないアホが自民党を支持するw

 驚いたのは竹中平蔵が「トリクルダウンはない」と断言したことだ。
「トリクルダウンを待っている方が悪い」とまで言った。
 あらゆる経済政策を取って、国民が挑戦しなければならない、活躍しなければならないと言う。
 今の経済界はさぼっている、中小企業も新たな成長分野にトライしていない、体質が古いと言う。
 本当だろうか?
 国民が臆病で怠けているから、経済成長できないのだろうか?

 (経済評論家も国民の1人のくせしてよくいうよね)

 先富論というのは、まだ理解できる。「金持ちになりたいヤツはとっとと先に金持ちになれ」という理論だからだ。残った貧乏人が金持ちになりたがるか、なれるか、それは自己責任。中国がそうだったよね。判りやすい。けれど「トリクルダウン」で、「いずれは貧乏人にもお裾分けが」なんていう理論は、そもそもあり得ない。赤の他人にお裾分けしなきゃならない理由も義理もない。

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 はっきりといっておく、不平等を好んで金持ちになりたがるアホバカがいて地上の富を貪るから、貧乏に甘んじる人々が生まれるのである。金持ちが貧困を生んでいる。もし金持ちが富を分かち合えれば貧困は解消することは自明の理で、キリストも説いている。不景気は金持ちの我儘のせいである。 

 理屈で飯を食えるのは経済学者という詐欺師だけである。経済のこの詐欺師は、自分たちに地上の利益を誘導する洗脳を用いる悪人である。地獄でしか生きられない連中である。だから地上に競争をもたらし、地獄を拡げていく。

 金持ちは、口先を出すまえに、手前の財産を社会に寄附すべきである。それが景気の浮揚策である。

 口先ばかりの金儲けしか頭にないタケナカのような奴は私は大嫌いだ! 失敗全てを他者になすりつける卑劣さが滲み出る悪魔の人物である。グリーンスパンは失敗を認めたが、この白豚は口が達者なのか全く無責任だから笑止千万である。

 とにかくこのような俗世だけの人物には、宇宙の輪廻転生の法則を是非知ってもらいたいもんである。というわけで、シュタイナーの輪廻転生の話を紹介する。

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 -弟子のクッテネルがお送りします。

http://kumaneru.blog100.fc2.com/blog-entry-794.html

 ≪輪廻転生(9)≫

自ら置いた石を取り除く(改変)

 一部の特異な人(?)を除いて、皆、現世では幸福を願っています。しかし残念ながら、現世は全ての人が幸福になれるようなシステムにはなっていないようです。

 無論、その原因には『闇の勢力』の創り上げた巧妙な権力システムもあります。しかし一方で、現世利益だけを考えるなら、むしろ『闇の勢力』に擦り寄っていけば幸福になれるシステムでもあります。

 そんな《この世的な幸福》では無く《心の幸福》を求める、と口では言ってみても、いざ《この世的な不幸》が訪れると、何故自分はこんな人生を選んで転生したのだろうと、自らの運命を呪いたくなるのもまた心情です。

 今のこの瞬間にも、恐らく世界中で《何故こんな不幸が必要なのか》という嘆きが渦巻いていることでしょう。シュタイナーは、そんな悲痛な思いに答えるべく『照応する宇宙』の最後でこう締めくくっています。

 「人間は、霊界にいる間に、生前獲得した全能力を、次の転生での人体形成のために用いることができるようになります。

 生前獲得したのに、死ぬ前に人体に組み込めなかった全てが、新しい転生での人体を形成する力となるのです。

 しかしそれだけでは無く、生前の状況に迫られ、自分が犯してしまった不正や悪を清算しようとする意識を組み込むことで、新たな転生において、その不正や悪を清算できる状況に導かれるのです。

 清算すべきことを清算して、自分の不完全さを補うことの出来る状況に到るために、私達はこの世に生まれて来るのです。

 だから隠れた意志に従い、自分に必要な苦悩を求めます。そして、その苦悩を克服することで、自分が過去に置いた途上の石を取り除くのです。

 (中略)

 この世の人生だけを単独で取り出し、周囲の環境、民族、家族の働きから理解しても何もわかりません。

 人生をはっきりと把握するには、人間が霊界の中で、過去の人生の成果や精髄から、新たに次の人生を形成していくことを知らなくてはいけない。

 (中略)

 だからといって、過ぎ去った人生を無感情に眺めて、

 《あの時の辛さは自分で用意したことで、今の自分の惨めな気分も自分のせいだ》

 と宿命論に苦悩するのは間違った態度です。次のように考えるべきです。

 《この運命の法則は、過去に眼を向けさせるのではなく、未来に向けさせるもので、過去の苦しみを克服するためのもので、その苦しみを未来に役立てる力とするためである。苦しみを克服すればするほど強くなるからである》  

 幸せの中にいると、高次の意味では受動的にしか生きられません。その幸福は、過去の人生の成果にすぎないのです。

 しかし苦悩は未来への力を育てます。苦悩を克服することで培われた力は、未来の生活を高めます。人生が一段一段と高まっていくためには、死(という苦悩)が生(という現状)の中に働きかけなければなりません。

 このことが分かれば、死の門を平然とくぐる事ができるでしょう。

 この意味で『人智学』は理論ではなく、人生の果汁であり、人生への支援、恵みなのです。

 この果汁と恵みによって私達の魂の営みは、健やかに、力強くなるのです。」

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション 3』pp336-340《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)

本物の幸福

 よく『因果応報』的な説話で

 《現世で悪事をすれば、必ずその報いが来る。たとえ今世でなくとも、来世でその罰を受ける》

 《あれだけの苦しみを背負っているからには、きっと前世で相当の罪を犯したに違いない》

 という戒め論的な展開を考えがちです。しかしシュタイナーの説に従えば、《不幸》はもっとポジティブな選択で、信賞必罰でさえありません。

 確かに、シュタイナーも《幸福は過去の人生の成果》として、現在の幸福を否定してはいません。しかし、《幸福》はあくまでも前世での努力の結果を受領するだけで、今世での新たな成長の糧とはならないのです。

 逆に、前世で犯してしまった罪、特に無意識のうちに他人を傷つけていたような場面まで、死後の世界では《自分の意識》を通じて直に体験します。確かにその体験は辛い罰と感じるかも知れません。

 しかし、それは《霊界》での体験であって、《来世》にそのまま持ち込むわけではないと、シュタイナーは言うのです。《霊界》ではむしろ、その体験を得ることで、《それを克服し、一段階上に登る力》を得るのです。

 もし不注意に、今世で過ちを犯し、今世の間にそれを償えず、もしくは、その必要性を感じられなくても、霊界で、その過ちに直に気づくことで、幸運にも、過ちを素通りできた人生を送った場合よりも、来世では、その過ちを克服する力をもち得る、ということです。

 (過ちを素通りした人生よりも、過ちを犯した人生のほうが貴重であるというのが悪人正機説)

 そして、その過ちを克服する力をもつ体験こそが《現世での不幸》なのです。無論、前世での過ちから生じたものではありますが、その罰は既に《霊界》で受けており、《現世》では自らが課した課題の1つなのです。

 もちろん、課題が大きすぎて《現世》では《不幸》に押しつぶされてしまうかも知れません。しかし、それでもいいのです。そのまま死の門をくぐれば、さらに大きな《過ちを克服する力》を得て、また《来世》に向かうのです。

 (それにはまず過ちを認めることが重要)

 《現世》では、どんなに苛酷な仕打ちを受けようが死によって中断されます。中断によって《肉体》をいったんは失いますが、《自我》はそのまま続きます。そしてまた克服へと旅立つのです。

 (中略)

 むしろ問題になるのは、《自我》が人生の課題から逃れられると思い込んで、自らで《死》を選んでも、結局《霊界》では、課題を投げ出したことを後悔するだけ、ということを承知しておくべきです。

 こうして考えると、

 《こんなに何度もチャレンジするのはしんどい。そこから早く解脱したい》

 と思ってしまいますが、どうやら我々の《本性》は、中途半端な浄化など最初から求めていないようです。嬉しいような悲しいような、とにかく我々のホンモノの幸福を求める欲求は、浄化のための努力を怠ることなど、凡そ考えもしない性質を持っているようです。

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 幸福は与えられるものでなく、自分でつくるものである。不幸な環境を生きることで、自分の中に幸福になるノウハウを蓄積することが幸福への近道なんである。だから不幸を羨むなかれ、不幸を幸福にできない力の無さ、努力の足りなさを実感すべき。

 幸福を求めるなら、自分に不幸を課しなさいということなんである。





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Last updated  2016年01月05日 14時13分59秒
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