シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2016年05月20日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 ゴミウリ、ウソヒなどの権力者太鼓持ちインチキ新聞は戦争屋らの悪魔たちの洗脳ツールなんで、ほとんど読まないが、先日よく行く蕎麦屋の待ち時間に手持無沙汰なんで読んでみると、「若者の勉強について」のコラムが目を引いた。

 嫌いだが、しなきゃいけないとわかっていながらできない若者の姿。祖父に勉強が大事といわれ勉強教に染まった若者の姿。勉強の圧迫感に悩む若者の姿。社会に出る重圧感から、先を急ぐあまり、教養課程と専門分野の狭間で思い悩む若者の姿。

 自分も若者のときには、これらの若者のどれかだったと思う。いずれにしろ、「勉強」に対して、不安がつきまとっている姿が思い浮かぶ。

 さて、勉強とは、自分を変える手段に他ならない。宇宙は日々進化し、万物は流転している。だから、宇宙の進化に合わせて、地球も変わるし、自然環境も変わるから、その変化に応じて、共同歩調をとらないと、生きていけないわけである。

 共同歩調が、人間には、俗にいう「時間」として認識されている。

 その共同歩調をとるには、自分を変えていかないといけないのだが、これがなかなか難儀で、自分というのは変わらないから自分と認識できるわけで、周囲が変わってしまっても、変わらないものが自分だからである。

 つまり、自分という認識は、宇宙の変化のなかでも、変わらない何かを掴みとる作業なんである。だから、宇宙の変化についていけないと自分を失うことになりかねない。

 だから、自分という存在は、実は、変わらないものではなく、変わっていくなかに、変わらない何かを掴みとることで成立するのである。

 こういうと自分という存在がいかにも謎めいてくるが、例えば、時間として認識されている共同歩調から考えていけば、理解できる。

 共同歩調とは、全体が進行しているので、全体としては日々移り変わっていくのだが、いわば法則みたいなものだから、その標準、基準として保たれ、変わらないものである。

 例えば、物理の世界では、エネルギー保存則が基準となっている。エネルギーそのものは目にはみえず、物質ではないのに、変わらないものとされている。

 エネルギーを直接見たことがないのにも関わらず、エネルギーが変わらないものとしている唯物論は、唯物論ゆえのパラドックスに陥っている。

 これと同じことが、自分という存在にもいえる。

 だから、物理学で、自分という存在を定義するなら、エネルギーの塊ということになるだろう。唯物論である物理学では、エネルギーから先に進むことは不可能なんである。

 そういうわけで、物理学では、時間の解明も不可能なんである。

 というのも、時間とは、自分という存在と同等で、宇宙の変化のなかで、変化しない部分(エネルギー)をみつけ、変化した全体を基準にして割り当てていくことで生じるからである。

 例えば、地球の時間は、地球の全体の変化、つまり運動を基準に、ほとんど変わらなかった、保存された部分、一回転して元に戻る状態をみつけ、地球全体の変化を基準にして、各運動の変化を割り当てていく共同歩調で生じている。

 勉強から、時間の話に飛び火してしまったが、勉強は自分を変える手段と言ったが、実は、自分という存在は、変化のなかに、変わらないものをみつけることで成立するから、実は、勉強は自分を変える手段ではなく、自分を宇宙の進化に応じて、生かしていく手段なのである。

 早い話、勉強は、宇宙の進化を解き明かしていく手段なんである。

 だから、勉強しなければ、自分という存在を生かすことができず、自分を生かすとは、宇宙の進化に適応することだから、宇宙は多くの生命を生かそうとしていくわけだから、自分を生かすには、自分もそうだが、他の生命を育むことが大切になっていくわけである。

 結局のところ、自分のことばかり考えていると、その自分は既に過去の自分なので、宇宙の進化にはついていけなくなる。

 悪魔が宇宙の進化から逸脱したのも、自分のことばかり考え、実は自分と思い込んでいるだけで、自分ではないのだが、自分であるかのような妄想に耽り、変化についていけなくなってしまったせいで、そのようなもう過去の架空の自分=時間に拘ると、かえって自分を失う、という話を以下に紹介する。

 ★         ★         ★ 

伝染病のように世界中に拡大する「自殺」の流行:そして、自殺が増加している本当の理由
http://indeep.jp/what-is-cause-increasing-suicide-like-epidemic/

 (要点を抜粋) 

 ただ、私が思うには・・・まあ、今回はややこしい話にしたくないので、詳しくはふれないですが、たとえば、自殺というのは、その根幹が、現代の社会を覆っている2つの「悪魔的観念」にあるものだとは思います。

 ひとつは、

 「人間は一度だけ地上に生きるものだと多くの人が信じていること」

 で、この唯物観の頂点にある観念は、今の社会では一般論ですが、しかし、みんなが「人は転生の中で永遠に生き続ける」と確信していたら、基本的には自殺は考えないと思います。これも、基本的にはということで、現実に即した臨機応変な場面はあるでしょうけれど。

 最近、カナダやオーストラリアなど各地の「先住民族」の人たちの自殺の増加が問題となっていますが、それも彼らが古代からの教えというようなものを失いつつあるからのようにも思えます。かつての多くの先住民族たちは唯物論の中だけに生きてはいなかったはずです。

 多くの先住民族たちは、精神世界に重きをおき、また、いくつかの民族は、輪廻転生による永遠の命を信じていたはずで、その場合、自殺が「流行」する社会が出現するということはないはずです。

 現代社会はとにかく、大昔からある教えや考えが世界中から消えていこうとしている時代です。もちろん日本もです。

 ちなみに、輪廻転生という概念は「絶対的に正しい」と自分で確信すれば、わりとすぐにそう思うことができるものです。

 私は以前は、そんなことは考えもしない人でしたが、2〜3年くらい前からは輪廻転生を完全に確信しています。

 だから今いろいろとメンタルなど、苦しい部分を克服したいと思うのも、「いろいろ弱いままで死んでしまったら、また次の人生で同じ苦労を引き継ぐだけ」なのは明白だからです。人格は肉体を伴わなくとも永遠に存在し続けるわけですから、この世を一生懸命に生きるということは「できる範囲で自分を改革していく」ということを意味するのだと思います。

 少しでも自分を自立した人間にしようと努力して死ぬ日まで生きると。長生きに意味があるのは、その努力をできる時間が増えるからです。

 いずれにしても、輪廻転生を確信していれば、基本的には自殺という考えは出ません。しかし、これもいろいろで、たとえば、将来的に、自分が他の人に迷惑をかけそうだったり、病気とか認知症とか、人の人生を楽しくないものにしてしまいそうな場合は、私は躊躇なく実行しますけれど。

 それはともかく、2つの「悪魔的問題」のうちのもうひとつは、

 「世界中の大部分の人たちが、物質、お金も含め、がすべてだと信じ過ぎている」

 ということです。

 確かに、お金がなければ今の社会は生活できませんので、お金を稼ぎながら生きることは正しいのですが、「物質がすべてだ」というほうに行き過ぎている。

 ルドルフ・シュタイナーは、今後、人間が精神世界を重視する方向に変わって「いかなかった」場合、

 「地球は唯物論のなかに沈没し、人類は大きな災害ののちに、この地上で、あるいは次の惑星ですべてを新たに始めねばならないでしょう」

 1906年のシュタイナーの講演より

 と言っていて、現在の人類文明の破局を述べています。

 上の部分の全文は、過去記事の、

 ・「頂点の日本」から何が始まる?…
 2015/06/02

 にあります。

 私も、シュタイナーの言うようになると思います。

 今のようなこんな文明がそうそう永劫に続くわけがない。

 というより、今のような物質至上主義が続くのなら、むしろ早々に地球を一掃して、早く精算してほしいとも思っています。

 19世紀のセルビアの予言者、ミタール・タラビッチは、未来の世界について、

 知識が増大するにつれて、この世の人間たちは互いを愛したり心配したりすることはなくなる。

 彼ら相互の憎しみはあまりに大きく、彼らは自分の親戚のことよりも、自分たちのもっている所有物や小物のことを気にかける。

 人々は、自分の隣人の人間よりも、自分がもっているいろいろな機械や装置のほうを信頼する。

 過去記事「私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(1)…」より

 と言っていたことがありましたが、まさに今はこういう世の中で、これから、少しずつでも「この反対」のほうに行ければいいのですが、その兆候はありませんしね。

 ★         ★         ★ 

 現代人のほとんどが、悪魔に洗脳されている。悪魔は目にはみえないので、存在しないものと思っているが、例えば、人殺しなどをするのは、人が信頼できずに、人と人とを分け隔て、仲違いするように誘導する悪魔がいることを示している。悪魔の洗脳から脱するために、続いて、シュタイナーの話を紹介する。

 ★         ★         ★ 


 -弟子のクッテネルがお送りします。

http://kumaneru.blog100.fc2.com/blog-entry-1134.html

≪ルシファーとアーリマン(10)(改変)≫

★魂の争奪戦

 これまでお話ししたように、ルシファーとアーリマンは、全く違う目的で、人間の魂を狙っています。その意味では、この2大悪の勢力は、互いに相反する利害関係にあると言えます。 

 「地上の人類の周囲に、実際に、2つの軍勢がいます。

 大気中の軍勢(ルシファー)は人間を規律で縛りたいと思っており、人間を地表から上空へと誘い出します。

 地下のアーリマンは、人間を引きずり下ろし、永遠に地球(の鉱物界)にとどめようとします。

 この2大勢力が、鉱物界、植物界、動物界、そして日常生活を営む人間界にも紛れています。

 2大勢力の間に挟まれた人間が過度に欲望などに耽らなければ、この2大勢力は相対するので、互いに相手とおり合うしかありません。

 キリスト教で父なる神と呼ばれた天使(恐らくケルビム)が、霊界の鉱物・植物・動物、そして外界の当時は自我をもたない動物のような人間に、共存共生の平和を贈りました。

 エデンの園と呼ばれたその世界では、人間は欲望などの情動に感染しませんでした。…しかし、人間の霊魂が、肉体に浸透した時期を霊視すると、

 ルシファーが、アーリマンに

 『我々の勢力は、鉱物・植物・動物、そして、まだ思考できずに動物のように生きている無意識な人間については争わない。

 しかし、自己意識(自我)を獲得した人間を巡っては、そちらの勢力と血みどろになって戦う。』

 と言っているのが見えます。自我(個人意識)を獲得した人間を巡って、空気(気体)・火(エネルギー)からなるルシファーと、土(固体)・水(液体)からなるアーリマンとの間で恐ろしい戦いが行われます。

 人間は、情欲に感染したとき、この二大勢力の戦いを霊視できなくてはなりません。

 今日、人類は外界の自然の認識に関しては大きな成果を挙げています。その成果の背後では、人類を誘惑するために、ルシファーとアーリマンが結託しています。

 そのため、人間は、外界をつくる感覚(物質)界の背後で活動する霊たち、超感覚的自然と感覚を超える超自然については何も知りません。

 この2大勢力が結託することで、人間の魂を巡って激しく戦う悪魔達自身を隠しています。」   

 シュタイナー『天地の未来 地震・火山・戦争』 pp72-73《閏月社(西川隆範訳)》より抜粋転載

 人間は、古代アトランティスの時代に『自我』を獲得した瞬間から、ルシファーとアーリマンの魂の争奪戦に巻き込まれていると、シュタイナーは述べています。

 悪魔に共通しているのは、人類の進化を『地球紀』の段階で断念させ、それぞれのお気に入りのシモベ=奴隷として、自分達の陣営に引き入れることです。

 (派閥争いと同じである。そもそも派閥争いは私服を肥やすことに端を発しているので、悪魔の誘惑にはじまる。人類全体以外に組織は必要ない。派閥をつくるのは、人類を分断することである。)

 一方で、人間が現実と感じている『物質的な自然界』については、人間を欺き、それに固執させるべく、ルシファーとアーリマンは結託して、より完璧な造形を我々の前に見せるのです。

 (この国のダマスゴミと同じである。権力者と、記者が結託して、都合の悪い情報は報せないようにしている。)

 しかし、物質界は全て、霊界には持ち込めない虚構の世界です。だから、少なくとも死の瞬間からは、物質界への固執を断ち切る必要があるのです。

★アーリマンのカルマ

 さて、スピリチュアリズムにおいては、カルマと言えば、人間一人一人が別々に持つ宿命(課題)として説かれますが、シュタイナーは、人類全体が共通に持つカルマにも言及しています。

 そして、カルマはしばしば、前世での個人の活動が要因となって、現世に予定された運命を超えて、特定のグループや民族全体に関わる場合があると言います。

 そして更には、カルマは人間以外の霊にもあり、人間の運命も、他の霊たちのカルマにも巻き込まれていくと、以下のように述べています。

 「あらゆる存在がカルマを有します。ある存在のカルマと、別の存在のカルマは異なります。

 しかし、カルマは宇宙のあらゆる領域を貫いていき、…場合によっては、個人のカルマが集団全体のカルマの巻き添えになります。

 集団の中にいるのに、個人のカルマが影響をうけないこともあります。しかし、集団全体のカルマの中にいるために、災難が降りかかることもあります。

 …ある集団が、予定にない不当な全体のカルマに遭遇したのに、その集団で一番責任がある人のカルマが、その全体のカルマの影響をうけなかった、ということも有り得ます。

 ただ一つ言えるのは、『個人のカルマは、予定のない不当な全体のカルマの出来事に遭遇しても、後に、全て埋め合わされる』ということです。

 …カルマの上では、人間は個人の存在では無い、という事実を忘れてはなりません。どの個人も人類のカルマを共にする、という事実に注意する必要があります。

 更に、人間個人は人類に属するとともに、物質界に転生していない霊達にも属していることも忘れてはなりません。

 アーリマンのカルマは古代アトランティス時代後半以降、人類のカルマと結びついています。

 だから、アーリマンは、人間に感覚(物質)界についての幻想と幻像をもたらすために、人体内に働きかけることができます。」

 シュタイナー『天地の未来 地震・火山・戦争』 pp36-38《閏月社(西川隆範訳)》より抜粋転載

 現世の不条理な災難の多くは、こうした集合的なカルマに巻き込まれることによって起こり、しかもその元凶となった張本人が全く被害を受けない場合がしばしば起こります。

 しかし、それら不条理の清算は、後の転生の中できっちり埋め合わされるのです。…といっても、霊視できなければ、自身で確認できないのが恨めしいところではありますが。

 さらに、我々の運命に大きく介入して来るアーリマン自身も、同じく独自のカルマを背負った存在である、ということです。

 そして、古代アトランティス期後半以降、自我を持った人類は、アーリマンと関わり、様々な形でアーリマンに由来するカルマの影響を受け、後に埋め合わされ、独自の努力で解消していくことになります。

 さて、続きは次回第186夜でお話しします。

 ★         ★         ★ 

 戦争を起こした張本人が戦争で被害を受けずに、金儲けや地位を獲得しても、必ず後に、その埋め合わせがなされるから、戦争被害者の苦痛の何倍もの苦痛や苦悩を、死後に味わうことになる。

 少しでも良心が残っているなら、地獄に堕ちることなく、人間の進化を続け、やりなおすことも可能だが、次の転生で戦争被害者の苦痛や苦悩を何倍もの悲惨さで味わうことになる。

 十戒から外れる勿れ。十戒こそ人間の進化の道標である。

 自分がした行為は消えてなくなることはないので、必ず、自分でその行為を償うことになる。自業自得である。

 もし自分がした行為が消えてなくなるのなら、同時に自分という存在も消えてなくなってしまう。

 だから自分がした行為いかんで、自分という存在を生かしも殺しもすることになる。例えば、不正や嘘をつくことは自分をなくすことになる。

 悪魔の面した都知事の顔をみていて、この国の終わりを予感せざるを得ない今日この頃である。





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Last updated  2016年05月21日 02時35分47秒
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