シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2025年02月18日
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カテゴリ: 神秘体験空間
古代叡智から、古代ヨガについて紹介してきたのだが、ヨガにマントラムが必須なように、個人的に瞑想を感じさせる曲は、題名そのままだが、マスネのタイスの瞑想曲に思われる。この曲を聴くと、心身共に洗浄されるような気がする。先日、NHKで小澤征爾氏の特集番組をみたが、小澤征爾記念コンサートで演奏されていたが、素晴らしかった。自分がよく聴いているのは、アンネ=ゾフィー・ムター – ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – ドイツ・グラモフォンの演奏である。クラシック音楽は演奏家によって、全く違う音楽になり、特にリズムが違うのは、ヨガの呼吸と同じで、自分の鼓動にあったテンポやリズムを探すべきかもしれない。

小澤征爾が遺したもの〜教え子たちの追悼コンサート〜 - NHK

アンネ=ゾフィー・ムター  –  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  –  ドイツ・グラモフォン

ヨガが呼吸と鼓動の共鳴を重視し、瞑想と音の共鳴をマントラムの秘術に秘匿しているように、身近では、赤ちゃんの泣き声が、犬の吠え声と同じ高周波で共鳴する現象は割と有名な話でもある。つまり、音楽には心を揺さぶる能力があるわけで、音楽は人間の心を操縦する能力を秘めている。人間は、神の言葉によりつくられたと創世記に書かれているように、天空の音楽を聴けるまで霊力を高めると、神のように、人間の心が読み解けるようになる、とも言われている。

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神の声を通じて、人の声や人が演奏する音楽を聴きながら、その発声者や、演奏家の心が読み解けるようになる。だから、心を動かせない音楽は、ニセモノで、特に、自意識過剰な音楽は、聴き苦しいので、ニセモノというべきかもしれない。

クラシック音楽は、現実逃避のために、たまに聴くが、子どものときの、音楽の授業が、どこか権威主義で、美術よりも堅苦しく強制的で嫌悪感が残っている。教科書などに載っていた音楽家の顔は落書きの標的だった。音楽の授業がつまらないから、顔に落書きされてしまうわけだろう。だから、音楽家の顔の落書きをしながら、音楽と美術の授業を同時にやったらいいような気もする。あるいは、いっそのこと、音楽から、作曲家の顔を当てさせるのも面白いだろう。音楽から顔を連想したり、風景を描いたりすれば、音楽美術という学科ができるかもしれない。

これは個人的な偏見かもしれないが、クラシック音楽の特権階級、上流階級感の、上から目線というか、上から姿勢に嫌悪感がある。子どものとき、妹がピアノを習っていて、我が家には似つかない高いピアノが置いてあったのだが、妹が弾かないときに、勿体ないから、面白半分に、ピアノを弾いたら、妹に調律が狂うとか、近所に、私が下手だと思われたら困るとか、散々文句を言われたので、バイオリンならまだしも、どこまで自意識過剰なのか、自分だけの特別感というか、クラシック音楽の閉鎖性に辟易する思いがある。

クラシックの場合は特に、演奏家によって、音楽が台無しになることもあるので、例えば、モノマネ芸人が、本人よりも悪目立ちしてしまうようなもので、モーツァルトやベートベンが楽譜を残していたから、音楽で飯を食えるわけで、作曲家よりも演奏家が悪目立ちするのは、悪パクリしている、と思うわけなんである。お笑いの場合は、笑わせてナンボなんで、モノマネ芸人が本人を誇張して、悪パクリするのは許されるが、音楽の悪パクリというか、演奏家の、音楽の私物化が目立つのは、なんか違うような気もする。

しかも、音楽性といっても、当時の感覚とは、全く違うわけで、日本史の歴史家にもいるが、まるで自分が当時みていたかのように、歴史の私物化のような、権威主義の、自意識過剰さが、悪目立ちするのは、承認欲や虚栄心や自己顕示欲が丸見えで、特に音楽は人類の遺産で、民族を区別したり、差別する国境はなく、ジャンルの区別は必要ないわけで、さも金持ちの特権階級の道楽感でしかないクラシックを特別視し、セレブ感をまき散らすのは嫌悪感しかない。

冒頭から、クラシック音楽家の悪口を書いてしまったが、クラシックをポピュラーに大衆化したのは、恐らく指揮者カラヤンだろう。カラヤン指揮の演奏を聴くまで、クラシックは音楽の授業でも聴いてはいたが、押し付け感しかなく、自発的ではなかったので、大人たちが口ずさむ演歌も嫌いだったが、価値観の押し付けでしかない自己賛美感というか、「自惚れ屋とは争うな」という感じだった。

ヘルベルト・フォン・カラヤン - Wikipedia


価値観の押し付けは、嫌いな食べ物を押し付けられるのと同じで、自発的でない限り全く無意味なトラウマでしかない。「騙されたと思って○○を食べてみろ、人生が変わるよ」と言われ、例え人生が変わったとしても、お前に変えられたくはないよ、と思う。その前に、自分が嫌だと思うことを他人にするな、と言いたい。

だから、「それじゃ、お前が嫌いなものを、食べてくれたら、考えてもいい」というべきだろう。自分が好きな事を他人に押し付けるのは楽で、自分が嫌いな事を他人から押しつけられるのは苦である。そこに上下関係が絡んでくると、話が複雑になる。クラシック音楽が嫌いな人に、クラシックを押し付けるなと、音楽教師には言いたい。時代の価値観の違いがわかってない、老害なんである。昭和の教育っていまからみると、押し付けが多かったような気がする。

兄弟姉妹ならまだしも、育ってきた環境が違うのだから、人の好みは多種多様なので、そういう配慮もできないで、自分だけが正しいと権威を振りかざす神経がどうかしている。これはクラシック音楽家だけの話ではないが、どの畑にも権威主義の権力志向のお局のようなのがいるので、自分の職場経験からも、このような自惚れ大家はすぐに説教を始めるので用心し、距離を隔てるか、絶交すべきである。人間には誰しも自由な意志があり、自発性や、自主性が、いずれ嫌いなモノを克服してくれるように、時を待てるようになるべきである。

自分の場合は、カラヤンの音楽に出逢うまではクラシック音楽は、上流階級の道楽でしかないと距離を隔てて置いていた。演歌は更に大嫌いで、シャンソン歌手の淡谷のり子氏が、演歌はしみったれてて、貧乏じみて、大嫌いと公言していたのを、子どもながらに聞いていて、シャンソンは聴いたことがないが、妙に興味をひいたものだった。大人の世界では暗黙に、演歌を歌えば、場がまとまる、どこか呪文か、合言葉のような気がしたし、大人の押し付け感が嫌だった想いがあった。逆に、世代を飛ばして、子どもだから、覚えやすい軍歌がなぜか、流行った気もする。

朝ドラ「ブキウギ」を見て、淡谷のり子が演歌を嫌った意味がわかった。 | con-sato のブログ


後に八切史観で、演歌は怨歌の焼きまわしだったのがわかり、妙に納得したものである。演歌は、被差別民たちの、狂歌が転じて、戦後から八屑のヤクザ稼業化したのかもしれない。だから、個人的には、演歌は、男はつらいよの、寅さんの歌う♪ワタクシ生まれも育ちも葛飾柴又です、しか好きでない。昭和の演歌の代表みたいな曲である。大人にならないと、しみったれた不条理の世界を歌った演歌はわからない。大人の世界の上下関係は、子どもにはわからないからである。

巷では、昭和と令和の比較が、時代の価値観の相違をわかりやすく映し出してくれるのか、音楽での世代間のヒットソング番組が、懐メロのように増加しているように見えるのは気のせいかもしれないが、音楽は時代の価値観をなんとなく映し出してくれる。

団塊の世代前の親から、60年代に生まれた自分は、この世で出会った最初のヒットソングといえば、小学生のときにみていたポンキッキの「およげたいやきくん」だった。爆発的な大ヒットソングで、♪毎日毎日僕らは鉄板番組で、子門真人ばかり見ていた記憶がある。歌詞をよくよく聞いてみると、サラリーマンの悲哀を歌った曲なのが、後のサラリーマン時代の朝の通勤時に思い出され、判明し、妙に心に染み入った。

たいやき君ブームの当時は鯛焼きが矢鱈と売れて、今川焼では物足りなさを感じた想いがある。親がたまに買ってきてくれる今川焼が、当時の一般庶民の子どもの贅沢だった。大人の世界も、子どもの世界も、一時のアメが必要なのである。たいやき君は、そういう世間を泳いでいた人生哀歌なんである。そういえば、家庭で作るパンケーキがブームになったような気もする。会社で必死に泳ぎ回り、家庭に帰って鯛焼きを食うのが、昭和の一服の清涼剤だった。

当時は、マックも、ケンタも、アポロの月面着陸のように、日本に一号店が上陸した程度で、今川焼や鯛焼きが子どもの唯一の贅沢という感じだった気がする。その後、生活圏近くにできて、ビッグマックとケンタッキーフライドチキンをはじめて食べた当時は衝撃だった。だから、ドラえもんの好物が、どら焼きなのは、昭和当時では非常に現実的な設定といえるかもしれない。しかし、未来ロボットなのに、どら焼きなのは、あまりに不自然な気も無きにしも非ずだが、それが昭和当時の感覚で、現実的な価値観だった。

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その後、セブンイレブンが近くにできて、子どもたちには、ファンタや、チェリオの代わりに、スラピーが大ブームになった記憶が残っている。最近知ったのだが、ファンタはドイツ製で、コーラの代わりに開発されたらしい。勿論、コーラは当時身近にあったのだが、なぜだか、コーラは体に悪いという噂が流され、煙草やアルコールのように親に禁止にされていた家庭が多かった。オレンジジュースか、三ツ矢サイダーが推奨されたのは、酒屋や米屋の戦略だったのかもしれない。

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当時のドイツのように、コーラの原液が入手困難で、謎の得体の知れない化学調味料が入っている即席めんやカップラーメンは、体に悪いからダメという家庭もあったが、これは恐らく、海外からの製品への関税ならぬ、日本の農家や食料自給率を守るというか、国内供給のための権益確保の政治家たちの策略だったのかもしれない。現にいまでも、食肉に抗生物質を投与したり、農作物に化学肥料を用いているのを、子どもに体に悪いから禁止している、のと同じ感覚と言ってよいのかもしれない。

昭和当時では、子どもが食べるものに、いちいち親が口を出している家庭教育が存在していたので、家庭で認可された経済的で貧相な和食の食卓よりも、子どもたちは3時のおやつのお菓子や、親の検閲を逃れて、禁止されるほど食べたくなるジレンマを抱えていたのは確かで、そのような背景もあり、およげたいやきくんが、大人たちの食物検閲の突破口をぶち壊して、公然と大ヒットブームとなったのは、当時の一種のガス抜きだったのかもしれない。

昭和当時は、とにかく子門真人が歌う曲ばかりが流行った気がする。子どもたちのなかでのヒットソングは、仮面ライダーの♪迫るうショッカー悪魔の軍団の、初代ライダー自身が歌う藤岡弘氏の曲よりも、子門真人氏の曲が流行った気がする。親たちの押し付けの価値観による改造人間から、子どもなりに自分の正義を貫くために新しい価値観を自分なりに作り上げていく反骨心を、仮面ライダーから教育されたような気がする。

子門真人 - Wikipedia


当時は、子門真人と、恐らくジャクソンファイブのパクリの、フィンガーファイブがヒットソング歌手のツートップで、科学忍者隊ガッチャマンの歌はとにかく矢鱈と替え歌で爆流行した。TV番組でやっていたわけではないのに、口伝えで替え歌が、当時の子どもたちに大ヒットしていた雰囲気があった。いま聞いても、とにかくイントロが秀逸で、子門真人の歌い方がとにかくカッコいい。いま聞いてもどことなく、ラップ感を感じさせるものがある。ラップ感といえば、冒頭から「お前はトラだ」と叫ぶ、子門真人ではないが、タイガーマスクが、当時の昭和のアニメヒーローの代表ソングといえるかもしれない。

ガッチャマンの歌 - YouTube

【アニメ】タイガーマスク  OP - YouTube


タイガーマスクには、昭和当時の激動の時代の、大人の世界に感じられるジャングルを歌いあげていた感がある。大人の世界には主従関係があり、上下関係が絶対で、スパルタ教育が持て囃された。子どもは厳しく躾をして、育てるのが当たり前の雰囲気があった。とにかく毎日勉強しろといわれていた。いまの親子関係をみていると、当時の感覚からは生ぬるく感じられるかもしれない。自分の場合は、親によくお遣いという名のパシリに使われた記憶が残っている。

スパルタ教育 - Wikipedia


戦前の富国強兵政策が、密かに愛国教育へと子どもの世界に権威主義や権力志向へと、押し寄せていた感もあり、当時流行った玩具のプラモが、戦艦、空母やゼロ戦戦闘機の大日本帝国ばかりで、戦車はドイツで、戦後20年過ぎても、子どもの教育世界はまだ武装解除されていなかった。戦前の軍国教育の雰囲気がまだ残っていた。いま考えてみると、日教組の教師たちのなかにも、戦場帰りの人たちがいたのも、日本独特の教育を生んだのかもしれない。戦場から帰ってみると、教師や新聞記者くらいしか仕事がなかったのかもしれない。武士は食わねど高楊枝みたいな言論教育があったような気もする。

そんななかで、米国黒人奴隷解放運動を由来とするジャクソンファイブならぬ、フィンガーファイブの登場は、マックやケンタの衝撃の前触れというか、恐らく、今日のアイドル路線の金字塔をつくったといえるかもしれない。「個人授業」や♪りんりんりりんの「恋のダイヤル6700」は、いまでも、なんらかのアイドルソングの原曲といえるつくりで、リズム&ブルースの音楽による市民権獲得運動の到来だったわけなんである。個人的にはアイドルソングは、フィンガーファイブを超えるヒットソングはないと思う。

フィンガー 5 - Wikipedia

ジャクソン 5 - Wikipedia

リズム・アンド・ブルース - Wikipedia


その後のアイドルブームは、清純路線の天地真理と、ロックの影響を受け、過激な路線の山本リンダの、「どうにもとまらない」が、爆ヒットして、ツートップとなり、どことなくブリティッシュロックの、ビートルズと、ローリングストーンズのようなツートップ路線で進行してきたような気がする。戦場帰りの愛国教育の押し付けに対し、山本リンダから、その後の反体制的ソングのツッパリソングが出てくるが、その前身といえるのが、いま思えば、当時のラップ感満載にみえる、宇崎竜童の「港のヨーコヨコハマヨコスカ」だと思う。

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ - Wikipedia


清純路線は体制側で、ツッパリ路線は反体制的で、その一世代前には、日米安保についての、ソ連の共産主義陣営か、米国の自由主義陣営か、のベトナム反戦世代の反動の極みというべき、全共闘のフォークソングがあったが、それは、後のキャンデーズとピンクレディや、松田聖子と中森明菜のような関係になり、男性歌手では、俊ちゃんとマッチのようなカラオケで歌いやすい曲調になり、個人的には、過度なルックス重視で、音楽性の不毛地帯へと、混沌となり、多様化していった気がする。

ちなみに個人的にはジャニーズは大嫌いである。カラオケで歌いやすい曲としてしか印象がない。カラオケでよく歌われ、露出度が高いだけで、斬新性が皆無で、パクリ塗れで、何処が良いのか理解できない。音楽性というより単なる金儲けのモノ的な商業性という感じでしかない。ただただ薄っぺらい上辺だけの軽薄な感じしかない。音楽のメッセージ性は薄れ、商業主義のカネ儲けに邁進したようにみえる。結局、GHQの3S政策に掠め取られて、いまになってコンプラ問題で、昭和の老朽化が令和になって、100年のツケとして残された感もある。

沖縄返還の象徴でもあった、フィンガーファイブのアイドル独自路線を引き継いだのが、明治維新の王政復古の源流となった南朝革命を起こした後醍醐天皇にちなんだゴダイゴだった。R&Bによる公民権獲得運動の、どことなく音楽革命を感じた。銀河鉄道999の曲は、当初松本零士氏によれば、クラシック音楽を想定していたのだが、次のようなコメントを残している。

銀河鉄道 999 ( ゴダイゴの曲 ) - Wikipedia

作者の松本零士は、クラシック指向であることから、当初こそゴダイゴの主題歌に違和感を覚えていたものの、メーテルと鉄郎が別れるラストシーンにおいて、希望に満ちたこの主題歌が流れることによって、鉄郎は大丈夫だということを感じ、彼の未来を案ずることがなくなったという。そのようなことができる音楽家を「自分たちとは別世界にいるマジシャン」と評した。

小学校を卒業した当時の、ゴダイゴのヒットソング辺りから、アメリカ映画やアメリカドラマが大量に押し寄せてきた。それは、後の韓流ドラマブームを思い起こさせる。雑誌アニメージュ購読から、スクリーン購読に代わった。その前は「奥さまは魔女」がアメリカドラマの代表だったが、白黒で、古さを感じさせ、超人ハルク、チャーリーズエンジェル、ラストアメリカンヒーロー、白バイ野郎ジョン&パンチなどは、アメリカ生活の斬新さを知らしめ、その前のスターウォーズのダースベイダーは、日本史で習った、いやござんなりの、閉鎖的な邦画界に扉を開く、黒船到来で、ペリー提督を思わせたものである。

しかしまだ洋楽は、日常的に、それほど市場開放されたわけではなく、ビートルズに夢中になった世代は、我々の世代よりも上の連中で、ビートルズマニアは身近にいなかった。洋楽漬けの80年代の市場開放には、ベストヒットUSAという当時の若者を魅了した化物番組を待たなければならない。だから、70年代の身近な音楽といえば、フォークソングをアレンジした当時ニューミュージックといわれていたジャンルで、その代表格のアリスだった。70年代はツッパリが矢鱈流行って、なめネコブームが到来した。愛国教育の武装解除は、落ちこぼれを生んで、暴走族化してしまったといえるかもしれない。しかし、ツッパリをやる連中は音楽という表現を、当時のクラシックから学ぶことなど不可能で、音楽教師はクラシックの自己満に染まってしまっているので、血の気の多い連中は、喧嘩するか、バイクで公道を走って、反体制表現を、破壊活動に走るしかなかったわけである。

ベストヒット USA - Wikipedia


かつての全共闘運動が、学校校舎から、公道に締め出されて、暴走したといえるかもしれない。だから、フォークソングが、少し変わったニューミュージックの、クラシックの独り善がり面だけを音楽で武装化して、孤独な戦いが集団化し、暴走化した、その後の平成の、イカ天を生むバンドブームの前身となったのかもしれない。尾崎豊などはまさにその象徴で、なぜか孤独で戦い、自分に酔って、得意気に、孤独で死んでいく世界を描いている、ので、自分は全く理解不能な劇場型音楽だった。葉隠れの、武士道は死ぬことにみたり、を音楽で演じたような感じがする。そういう世界は、女性が憧れる白馬の王子様のシンデレラ現象の感じがしたからだ。

三宅裕司のいかすバンド天国 - Wikipedia


だから、世間的に、毒抜きをしたアリスのチャンピオンがヒットチャートを驀進したのかもしれない。アリスの音楽は、音楽という公道での暴走族ともいえるかもしれない。独り善がりの連中が集って爆走し、そして体制側に追っかけまわされ、たとえ逃げ切っても死んでいくわけなんである。いつまで孤独の戦いを続けるのか、♪ライラライラライで、ゴングが人生に鳴り続けるまで。そして、男は戦いをやめて、生命の大切さを知る普通の男に帰っていく。チャンピオンは武装解除の音楽なんである。

チャンピオン ( ) - Wikipedia

アリス チャンピオン 歌詞 - 歌ネット


80年代は、わが世代にとっては黄金伝説の時代だった。邦楽のシティポップがいまも海外でウケているのは、武装解除を洗練化した形で、上手く商業化の波に乗せた音楽といえるかもしれない。ニューミュージックの暴走気味な、あまりに突っ走ると、完全な反体制のパンクロックに陥ることなく、アレンジして上手く、波乗りのサーフィンのように、環境音楽、雰囲気やムードを醸し出して、サウンドを心地よくリメイクしている感じがする。だからシティポップは環境音楽を取り入れて、上手く武装解除を孤独感から救いだしている癒しの音楽のようでもある。当時は洗練されていて、気づかなかったが、令和のいまから聴くと、当時出たてのシンセの電子音と生の楽器音が巧くコラボしているのに気づかされる。この音楽性の背景には、スタジオミュージシャンの高度な技術性に依存している。

シティ・ポップ - Wikipedia

1/f ゆらぎ - Wikipedia


野暮な公道での暴走フォークを、電子音の環境音楽で包み、ヴォーカル音や、楽器の暴走をコントロールするスタジオミュージシャンが、演奏家の突っ走る公道をスタジオとして提供したわけである。暴走したければ、スタジオで存分にやればいい、我々がアレンジするからというわけなんである。音楽のサーキットをつくるのは確かにカネがかかるが、公道で事故を起こし、生命を無くすよりは遥かにマシである。つまり、シティポップは、音楽を上手くスポーツ化したといえるかもしれない。スポーツ音楽というべきかもしれない。

さて、長々と自分の前半期を音楽で語らせてもらったが、本題は、80年代のどこか暗さを醸し出すブリティシュロックと、アメリカ西海岸の、陽気でポジティヴでアメリカンロック音楽の全盛を語るつもりでいたのだが、とても紙面ならぬ、電子面では語りつくせないので、また別の機会に譲りたいが、自分が好きな音楽だけは紹介したい。

とにかくベストヒットUSAは青春時代の音楽の走馬灯のような番組で、いまもBS朝日で放送されている。つい最近も、ジェフベックとロットスチュワートのリメイク曲の、ピープルゲットレディが紹介されていたのだが、当時は、列車に乗って昔馴染みの友人に再会する歌と思ったのだが、MVもそんな感じなのだが、実は、ヨガの歌だった、のに気づかされて驚いた。

ベストヒット USA - Wikipedia

ベストヒット USA | BS 朝日


People Get Ready 歌詞と対訳|うたに無くて Song にあるもの 洋楽和訳で知る songwriting の魅力

歌詞と対訳
People get ready, there's a train A-COMIN'
準備はいいかい 列車が来るよ
You don't need no baggage, you just get on BOARD
荷物はいらない ただ乗ればいい
All you need is faith to hear the diesels HUMMIN'
信じる心さえあれば ディーゼル音が聞こえるはず
Don't need no ticket, you just thank the LORD
乗車券もいらない 感謝の念さえあれば

So, people get ready for the train to JORDAN
さあ、準備はいいかい 終着駅は約束の地
Picking up passengers coast to COAST
行く先々で 新たな乗客を拾っては
Faith is the key, open the doors and BOARD 'EM
絆という名の鍵で 扉をあけて受け入れる
There's hope for all among those loved the MOST
愛こそ至上と信じるすべての人に 希望がある

There ain't no room for the hopeless SINNER
救い難き罪人には 当てがう客室など無い
Who would hurt all mankind just to save his OWN, believe me now
私欲のために 全人類を傷つけるような者のことだ
Have pity on those whose chances grow THINNER
機会が失われていく人々にこそ 憐れみを向けよう
For there's no hiding place against the kingdom's THRONE
神の王座を前に 身を隠す場所などないのだから

People get ready, there's a train A-COMIN'
準備はいいかい 列車が来るよ
You don't need no baggage, you just get on BOARD
荷物はいらない ただ乗ればいい
All you need is faith to hear the diesels HUMMIN'
信じる心さえあれば ディーゼル音が聞こえるはず
Don't need no ticket, you just thank the LORD
乗車券もいらない 感謝の念さえあれば

和訳をわざわざ解説するまでもないが、列車とは、ヨガで、瞑想のことで、それは天国に連れて行ってくれる、自分のなかの、神で、自我なのである。荷物とは、現世での名声や富など金銭で、そんなものはいらない。

そして、個人的経験では、ヨガに相応しい音楽は、クラシックでは、マスネのタイスの瞑想曲だが、現代音楽でいうなら、現代といっても数十年前だが、スティーヴヴァイのシスターズである。

スティーヴ・ヴァイ - Wikipedia

Sisters - YouTube

Steve Vai - Sisters (2015 - Stillness in Motion) - YouTube

SteveVaiHimself - YouTube

Steve Vai - "Tender Surrender" - YouTube

Steve Vai - "For The Love Of God" - YouTube


このような音楽を聴いてしまうと、薄っぺらいアイドルソングでは物足りなさを感じてしまうので、アイドルの推しを続けたいならば、聴かないほうがいいかもしれない。お勧めはしないが、時代背景だけは理解しておいて損はないと思う。今生でなくても、いずれ次の転生で役立つかもしれないから。





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Last updated  2025年02月18日 17時52分59秒
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