Happy Rich - 我、今、ここに、生きる -

Happy Rich - 我、今、ここに、生きる -

PR

×

Profile

リンロン88

リンロン88

2007.04.23
XML
カテゴリ: スピリチュアル

先日のブックリストの最後、「宗教」系でも挙げていなかったが、今読んでいる本は、

「<神>の証明」-なぜ宗教は成り立つか  落合仁司著 講談社現代新書 ↓





である。この本、はっきり言って難しい。頭をあまり使わずに硬くなる一方の昨今、ここで展開される論理を追っていくのは、私にとってはなかなかしんどい。


それでも、主題とされている<神>の存在を、大昔から

神そのもの、人に宿った神、そして精霊

として、キリスト教では三位一体として議論されてきた中身にふれつつ、それを、ギリシャ哲学の巨人、アリストテレスによって封印された「無限」の概念を、19世紀になって初めて数学的な取り扱いを可能にしたカントールの集合論を駆使して紐解いてゆくなかで、再考察してゆくものである。

こう書いてもなんのこっちゃという感じですが、書いている本人がよくわかっていないので、これ以上の説明はできません。(笑)

ただ、このアプローチの前提として、というより、キリスト教の誕生より、神と人間の関係は、この無限の概念によって阻まれてきており、その一番大きな問題が、無限である<神>と有限である人間の間に、「神になる」とか「神が降りる」ということがどうして可能なのか、という議論にあった、としていること。

そして、その無限の概念を、集合論を駆使した現代数学的に再考察した結果、そこにはっきりとした根拠、つまり「証明」を与えることができる、としている。

この話は話としてはわかる気がするが、私自身は読み進めていくにしたがって、この「前提」そのものに対する疑問がわき上がってきた。

つまり、神の世界=無限の世界  人の世界=現世=有限の世界 という、この二つの世界を別々なもの、切り離されたもの、という考え方をしているように見えたからだ。

しかし、読むと、人の世界=有限の世界を神の世界=無限の世界の部分集合として捉えていることが明らかになるのだが、それでもなお、人の世界=有限としていることに変わりはない。

だからこそ、無限と有限の二つの世界での橋渡しが2000年もの間議論の的になってきたのであるが、はたして人間は、あるいは人間の世界は有限なのだろうか。

現象的には有限と見えても、その見える部分が有限に見える、というだけで、この世の中も本質的には神の世界=無限の世界と繋がっていて、不可分なのではないか、と思える。

それでも、人の世界が神の世界の部分集合であることに変わりはないのであるが、ただし、二つの集合は双方とも無限集合であることは決定的な違いとなる。

つまり、昔から議論されてきた三位一体の理論も、無限集合と有限集合にまたがる議論ではなく、結局は無限集合間の問題に帰するのではないか、と。

それでも無限集合と無限集合の間の大小を論じることになるので、カントールの集合論はここでも有用ではあるのだが、こんな私みたいな何も知らない人間がちょっと読んだだけで考え付くような疑問に対しては多分確固とした答えが用意されているのだろう、と思いつつ、結局最後までこの疑問は解けなかった。

でも、単純に考えて、人間という存在は有限か、無限か、と言われれば、無限の存在と思えるのだが、どうだろうか。(もちろん、その場合の「人間」の定義によるだろうことはわかるけれども)








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.04.23 09:22:05
コメント(2) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:人間存在は有限か(04/23)  



 人間は,ものごとを有限でとらえる

 習性があるだけでしょう。

 無限と考えることはできますが・・・,

  (2007.04.23 20:16:50)

Re[1]:人間存在は有限か(04/23)  
リンロン88  さん
なみがしらMさん
> お久しぶりです。

> 人間は,ものごとを有限でとらえる
> 
> 習性があるだけでしょう。

> 無限と考えることはできますが・・・,

> 
-----
人間は、本当には無限を想像することはできないのではないか、と思います。ただ、「無限」という定義を考えることができるわけですが。
この辺をアリストテレスは、可能的無限と現実的無限として区別し、終わりがない可能的無限はあり得ても、それをひとつのくくりとして見る現実的無限というのは存在せず、それについて論議することは無意味である、としたそうです。
これがアリストテレスによる封印といわれるらしいのですが、この現実的無限を集合論で議論すると、

「部分が全体に一致する」

とか

「無限であれば、多であり同時に一であることは真」

とか

「無限はそのべき集合により超越される」

とか言った、「神」と「人間存在」を考える上で非常に大きな示唆を与えてくれるようです。

ただ、それでも「人間」を、あるいは「現実世界」を「有限」と考える限りは超えられない壁があり、そこにこそ「信仰」の意味がある、という風にこの本は結論付けているのですが・・・

(2007.04.25 05:51:58)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

1級建築士スーパー記… New! ミカオ建築館さん

Diary hy312619さん
ノンたろくんの明日… ノンたろくんさん
☆幸せ風船のちょっと… バルーンsuzukiさん
ちょっと本を作って… 秦野の隠居さん

Comments

ミネルヴァ@ Re:アメリカに長く居すぎた、と思うとき(01/15) 明後日アメリカに向かいます。 参考になり…
リンロン88 @ Re[1]:「いただきます」と「ごちそうさま」(03/29) プチプチ大家さん >リンロンさん、もう楽…
プチプチ大家@ Re:「いただきます」と「ごちそうさま」(03/29) リンロンさん、もう楽天ブログは止められ…
リンロン88 @ Re[3]:存在そのものの「罪」(03/19) なみがしらMさん > 私が,言っているの…
なみがしらM @ Re[2]:存在そのものの「罪」(03/19) リンロン88さん >なみがしらMさん >…

Archives

・2026.05
・2026.04
・2026.03
・2026.02
・2026.01

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: