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今年も後数分で、カウントダウンに入ります。日記を始めてほんとにわずかの間に、たくさんの方と心から話を交わすことができ、安心して話のできる方々との出逢いがありました。お陰でよい年となりました。来年も更なる素晴らしい出逢いや心を交わす機会を得ることを期待して今年のカウントダウン。
December 31, 2004
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今日は朝から大掃除。 やり始めるまでは、何となく億劫な気もしていたのですが、やりだすと、気持ちいいです。棚の上、冷蔵庫の下など、日頃「見て見ぬ振りをしていた部分」も埃をふき取り、綺麗さっぱり。大掃除に限らず、掃除の基本は、「思い切って捨てる」ことですね。そのうち使うかもしれないと思って置いていたものに限って、次にその姿を見るのは翌年の大掃除の時。誰にでも経験のあることかと思います。結局、いつまでたっても使うことなく時が流れていくのです。 これは、「もったいない」という発想とはまた別の観点で「思い切り」が悪いだけ。それで、数年前から、基本的に「迷ったら捨てる」ということにしています。ゴミ袋と共に家の中からなくなった瞬間に、「すっきり」します。 「手放してしまえば気にならなくなる」のです。年の暮れに大掃除をすることで、身も心も清らかにして、一旦ゼロに戻し、新しい気持ちで新年を迎える。「コップの水」の話とも重なる部分がありますが、「捨てる」ことの効用は、意外に大きいと思います。色んな問題やわだかまりを抱えたまま、暮れを過ごしている方がおられましたら、それが、捨てられるものであれば、思い切って捨ててみるのも良いかもしれませんよ。逆に、いままでその問題から逃げ続けて解決しないままのことがあれば、ここはひとつ真正面からぶつかって解決してしまうことで「すっきり」した方が良い場合もあるでしょう。どちらにせよ、すっきりとした気分で新年を迎えたいものですね。皆さんの大掃除はいかがでしたか?
December 29, 2004
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今日は朝からのんびりと子供達と過ごしています。4歳になったばかりの次男は、先日の嘔吐のことなどすっかり忘れて「無邪気に」遊んでいます。5頭身の頭でっかちの体から、はみ出すようにふくらんだ「ほっぺた」。 まん丸と黒い目をして、素直さと、幼さを体全体からかもしだして無邪気に遊んでいます。もちろん、成長とともに、そういう幼さからたくましさへと変化していくことでしょうが、それにしても、幼い子供というもの、どうしてこんなにかわいいのでしょうね。教室に通ってくれている3歳、4歳、5歳といったお子さん達を見ていても、全く同様で、ほんとにかわいいと思います。さぞかし、お母さん達もかわいがっていることでしょう。もっと世界を広げていけば、アフリカや北朝鮮で飢餓に苦しむ子供達やイラクやアフガンで戦争の傷跡に苦しむ子供達も含めて、幼い子供達のなんとかわいいことか。かわいいだけに、自分で選ぶことのできないそれぞれの「環境」というものの中に身を置かざるを得ない、そうした子供達を不憫にも思えてきます。人間に限らず、動物たちをみても、「子ライオン」や「かるがも親子」などの姿を思い浮かべても、子供を見ていると、生き物という大きな枠組みのなかでも、かわいく、そして、「すこやかに育てていかねば!」と親である自分自身に思わせてくれる、何かしか強い「決意」のようなものさえ抱かせてくれます。今の自分達の世代の生き様が、こうした「幼い子供達」の生きていく次の世代に影響を及ぼすことは間違いの無いこと。そう思いを巡らせると、もっと自分自身がしっかりと生きていかねばと強く思います。幸い、私も含め、多くの方々が「たかが日記」かもしれない「ブログ」を通して、どう生きていくのかを真剣に考え、子供達に少なからぬ影響を与えつつ生きていくことができています。この場で、受けた感動や知恵や他の人の素晴らしい生き様を垣間見させてもらえていることに大いに感謝をしなくては。子供を見ていてそんなことをふと思いました。平和ですね。
December 28, 2004
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中学2年から私の教室に通い始めたM君、もうじき大学受験を控えた受験生となりました。長い付き合いなので、あまり堅苦しいことなしに、やる時は2時間でも3時間でもとことん付き合うようにしています。何はともあれ、彼にとっては、自分の人生の方向を自分で決める2回目の権利を行使できるときが間近に迫っているのです。(1回めの権利は高校受験の際にしっかりと希望通り行使しました)ところで、受検が5週間後となってきたこともあってか、「しっかり勉強はしているけど、どうも自信がいまひとつ・・・」と受験生らしい発言。マラソンのスタート時刻がせまってきたときにお中の調子が悪くなるあんな感じでしょうか。現実を考えて見ても、いまから初めて見るような新しい単語を覚えるようなことをする暇があるのなら、接頭辞、接尾辞、論文形式のパターンの確認などをしっかりとやって、感をみがき、推測力をつける方がはるかに有効だと思います。「自信を持つ」ということは、裏を返せば「不安を取り除く」ということでもあります。受験生の不安は「合格するだろうか」または「落ちないだろうか」ということでしょう。となると、もっとも現実的に不安を取り除く方法は「勉強すること」になりそうですが、私が勧めた方法は、「完璧をめざすのではなく、今までやってきてぼろぼろになった本を繰り返し勉強して、知っていることに自信を持とう」ということです。「完璧」を目指しすぎると、思いとは逆に「不安」に襲われます。そもそも「完璧」という妄想にとりつかれると、受験生に限らず、仕事や家事に置き換えても、色んな障害が現れてきますね。目標は追いかけていくから面白いのであって、自分の決めた目標に押しつぶされては何にもなりません。ましてや、受検はそれそのものが結果のように捉えられがちですが、新しい環境に入ることを許可されただけであって、やるべきことはこれから始まるのですから。「完璧」にやることよりも、「気楽に楽しむ気持ち」を持ちましょう。どんな事だって、時間がたてば終わってしまいます。「今までの自分から成長することを楽しむ」そして、その成長を「プラスの変化」として感じることが「自信」ということではないかと思います。自信が出てくると、「明るくなる」「楽しくなる」「朗らかになる」「積極的になる」「自分に余裕がでてくるから人に優しくできる」言葉を見ただけでも楽しくなります。「自信」とはそんなものです。
December 27, 2004
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ひとごとの様なタイトルですが、実は私は掃除、洗濯、洗い物、料理をつくることすら結構好きです。 そして、一番頻度の高いのは、トイレ掃除です。学生時代に寮生活をしていて、集団の中で、料理も洗濯も掃除もすべて当たり前のこととしてやり慣れていることもあるのですが、多分、やり終わると「気分がすっきりして気持ちいい」というのが一番の理由だと思います。ただ主婦のみなさんとの違いは、いつもやるわけではないので、気楽だということです。この点は、しっかりと主婦の大変さを認識しています。さて、掃除をすると確かに「気分すっきりで気持ちいい」のですが、年末のこの時期、一年間を振り返り、新年に向けての心を切り替える「キッカケ」にひとつの例を挙げて考えて見たいと思います。シュリーマンという考古学者がトロイの遺跡を発掘した際の逸話として、次のような話があります。詩人ホメロスの詩の一節に、火山の火砕流に埋もれた都市があったことが歌われているのを知ったシュリーマン。その発掘に際して、その時点で既に発掘されて貴重な文化遺産とされていた遺跡を「破壊」しなければそれより古い時代のトロイの遺跡は発掘することはできないと主張しました。当然、非難をうけるのですが、結果としてその思いを貫き、それまでの文化遺産を破壊することによって、古代都市トロイの発掘に成功したのです。この逸話は、現代の私たちの日常にも十分落とし込むことのできる話だと思います。つまり、いままで「こうに違いない」「これ以外に有り得ない」と自分なりに「決め込んだこと」は誰にでもあるかと思いますが、「一度その手を離してみて」「そういえば、こんな風に考えることもできるのかな」という点を見直してみることをお勧めします。この逸話には、二つの真実があります。一つは、「信じることを貫き通す、信念を持つことの意義」もう一つは、「思い込みを一度捨ててみて考え直すことの意義」です。ですから、これらのふたつのことは、どちらも真実です。そして、どちらも自分を成長させつつ力強く生きていくために必要なことですね。あなたにとって「変えることなく信じて進めていくこと」と「一度手放して見て、考え直す余地」が無いか、それを考え直すことでもっと自分が前向きになれることがないのか」について、掃除をしながら、片付け物をしながら、チョット手を止めてcoffeeでも飲みながら、考えてみてはいかがでしょうか。忙しいながらも、年末年始という特殊なムードの中で、そんなことを考えてみることで、新しい自分への「キッカケ」を見つけてみたいものです。
December 26, 2004
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今日はクリスマスですね。恋人と一緒、家族と一緒、友達と一緒、一人っきりなど色んな形で昨日のクリスマスイブを過ごされたんだと思います。沢山のサンタさんが世界中で大活躍したことでしょう。うちの4歳になったばかりの次男も、起きてすぐに枕もとのプレゼントに大喜び。「サンタさん、もう帰ったの??」といいながらも、頭は楽しみにしていたプレゼントに夢中です。長男は去年までは「夢を見てくれていましたが・・」今日は朝からレッスンがあるので、もうじき家をでます。クリスマスパーティは先週すませたものの、せっかくのクリスマス当日のレッスンなので、ちょっとしたお菓子でもプチ袋に入れて「気持ち」を子供達におすそ分けしようと思います。教室の飾りつけも今日まではそのままですが、夕方は片付けをして帰ってこなければ。(今はそのこと考えずにおこう!)クリスマスムードが明日から一挙に正月ムードへと大きく変化することでしょう。今年も残すところあと6日。今日も元気に頑張りましょう。皆様、素敵なクリスマスをお過ごしください!
December 25, 2004
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心のこもったクリスマスプレゼントを渡すために是非このことを一度考えて見てください。〓人の為か自分の為か〓昔ある方に「偽り」という字についての興味深い話を聞いたことがあります。「偽り」という字は「にんべん=人 + 為」 すなわち、「人の為」と書きます。「偽り」(いつわり)が何故「人の為」なのかではなく、「人の為」が「偽り」だという話です。その話は、こうです。ある時、ある人が川で溺れかけている人を見つけました。その人は猛然と川へ飛び込み、溺れかけている人を助けようとしました。ところが、川の流れはとても強く、しかも溺れかけていた人も意識を失い人を助けるどころか自分までも流されかけていました。結果としてその人は、必死の思いで助けた人を岸に居た人に渡し終わった瞬間、大きな川のうねりの中に飲み込まれて、結局、その人は亡くなり、助けられた人は生き残りました。その後、岸に居てその成り行き全てを見ていた人々は、「人を助けて自分が死んでしまうなんて、なんとかわいそうな人だろう」と口々に言います。ここで、今日のテーマ「人の為か自分の為か」の話にもどります。この人の行為はこの人の人生にとってどうだったのか。果たして人を助けて自分が死んでしまったことは無駄だったのか。彼はいったい誰のために命を懸けたのか。自分の為か、それとも人の為か。皆さんはどう思われますか?恐らく仏教などのお坊さん達の中ではひょっとしたら有名なお話なのかもしれませんが、その方の説明によると●彼は溺れかけた人を見た瞬間、あの人を「助けたいと確かに思った。」●そして、川へ飛び込み無我夢中で最後の力を振り絞りながらひたすら「助けたいと思い続けた」●彼は溺れた人を岸に居た人達に渡しきって「助けた」●しかし、彼は自分の命を失った。この人にとって、溺れている人を助けたかったのは、紛れも無く「自分がそうしたかったから助けた」つまり、溺れかけた人が助かってほしい自分の思いを最後まで貫いた。その結果として、自分の命を失うことになったが、彼はまぎれもなく「彼自身が」「助けたかったから助けた」=すなわち、自分の思いを満たすために行動し、その思いに命を懸けてやり遂げた。= 「自分の為」に命を懸けた のだと。ただ、私は、この話をそこで「なるほど」で終わらせるにはもったいないほど意味深い話だと思っています。 さらに、もう一歩深く掘り下げて見たいのです。この話を日常に落としこんで考えて見ると、もっと色んなことが見えてきます。例えば、◆子供が病気で親が命を投げ出して救いたいと思う場合: 子供が救われてもう一度笑顔で笑う顔を、親自身が見たいからそう思うのです。 ★その思いの強さが親にあらゆる努力を惜しまず行動する勇気を与え、結果として子供が救われるのです。◆大切な人への心のこもったプレゼントをしたいと思う場合: プレゼントを受け取った相手が喜んでくれることがうれしい「自分」がいるから、なおかつ自分が大切に思っている心が伝わってほしい「自分」がいるからこそそう思うのです。 ★その思いの強さが、何とかして大切な人が最大限に喜んでくれて、しかも自分の心を伝えるに相当するだけの価値のあるプレゼントが何かを一生懸命考え、心を込めて選び抜き 結果として、大切な人はあなたの心のエネルギーの形としてそのプレゼントを喜ぶのです。私がお伝えしたいのはこの点なのです。人間の行動の本質はあくまでも「自分の為」ではあるけれど、〓「自分の為」はその思いの強さと行動の質によって結果として「相手の為」になる〓 ということです。たまたま、いつも私のサイトに寄ってくださるMerry&Hurryさんの昨日の日記にもそれを正に素晴らしい文章で表現されていたので、ここで紹介させていただきます。『贈り物を選ぶとき、大切なことはその人を”想う”ことだと思います。 その人のことを一生懸命考えて、その人が笑顔になることを想像して、その人の気持ちになって”想う”と割合上手く選ぶことができますよ。人が喜ぶ顔は本当に良いものですし、贈った方も嬉しくて、なんだかニコニコしてしまいます。 そんな”想い”が形として届くものが贈りものですよね。みなさんも贈り物に迷ったら、一生懸命その人のことを”想って”みてください。 きっと上手くいくはずです。そしてその想いは必ず届くはずです。素敵な贈り物選びができるといいですね! 』いかがですか? 素敵な文章でしょう。クリスマスの贈り物はすでに買っていても、「一生懸命にその人のことを想う」という自分のこころを付け加えて渡すことでそのプレゼントは、「大切な人が喜ぶのがうれしいあなた」の想いを満たしてなおかつ「こころから喜ぶ大切な人の笑顔」に出逢える素敵な宝物になるかもしれませんよ。Merry Christmas!!
December 24, 2004
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明日は終業式のところが多いかと思います。例年なら年内の最終レッスン時に各自の通知表を直接子供達に渡すようにしているのですが、今年は、うちの子供の不意の病気などもあってタイミングを逃してしまいました。それで、明日、直接各家庭にお渡しして回ろうと思い、今日は通知表作成にどっぷりつかっています。通知表の中には色んな項目がありますが、やはり、先生のコメント欄が一番の関心事であろうかと思います。 だからこそ、そのコメント欄には、いつも一人一人の生徒をしっかりと見つめ直して、短文の中に最大限伝えたい内容を凝縮して盛り込むようにしています。では、何を書くかといいますと、★その生徒の頑張っている様子と、何ができるようになったかの具体例。★それは、どんな性格的長所のお陰でできているのか。★今後その子に「期待」していること。の3点に絞って書くようにしています。基本的に小学生までは特にそうなのですが、反省することの効果よりも、「自信を持つ」ことの方が圧倒的に今後のステップアップに繋がるからです。「自信」を持ってもらうことこそが、その生徒の「明日」を明るくしてくれます。私にとっての「通知表の存在意義」は、「生徒達へのエールを送ること」であって、実は、保護者宛の連絡ではないのです。(すみません!)ですから、「保護者にとって知りたいこと」を全てお伝えするという機能は恐らく果たしていないことになります。しかし、私はいつも「これから先の成長」にこそ重点を置いて生徒のことを考えたいと思っています。 子供達の成長曲線は、けっして一本調子で右上がりになってはいません。階段状に登っていきます。 一気に伸びる時期と、一見何の進歩も無いかのように見える時期(スポーツ選手などにみられるスランプの時期もこの時期と重なりますが)を繰り返して成長していきます。この「実際には成長しているにもかかわらず、見た目では停滞しているような時期」だけを見て、最も大切な「継続」という目には見えない「能力UPの原動力」を放棄してしまう保護者の方も確かにおられます。子供達にスポーツをやってほしいと私は思っているのですが、その理由の一つが、スランプの時期の体験とそれを乗り越える体験、さらには、結果を出す喜びによって、自分の内側から湧き出る「やる気」や「希望」といったものを手にするプロセスを実体験できるからです。明日は、恐らく多くの家庭で子供達の持ち帰る「通知表」を目にされることかと思います。できる限り「良いところ」「伸びたところ」「頑張ったところ」「期待できるところ」を一生懸命探してあげてください。そういう観点で通知表を見ると、今まで気づかなかった「我が子の素晴らしさ」がどこかで「小さく光っている」部分に気が付くかもしれません。その「小さく光る素敵なことを」是非しっかりと見つけ出してあげて「自信」を持たせてあげてください。そのことによって、お母さんもまた、子供から自信をもらうことができるはずです。冬休みに入って子供達が家に居るようになると、お母さんにとっては大変な時期ですね。これも季節感のひとつと思って頑張りましょうか。
December 23, 2004
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先週末から次男、長男と嘔吐と下痢の連続に大変でしたが、今日になってやっと元気が出てきました。普通の風邪程度なら、時間が解決するという部分もあり、あまり気にしなくても2~3日すれば元気になるものですが、今回の症状は数十回も吐き続けて、その上何も食べようとしない日が3日ほど続いていたものですから、本当に心配しました。やはり、子供は明るく元気で暴れまわってくれているのが一番ですね。私も気が付いたら、日記への投稿が滞っていることに気がつき、朝から書き始めたのですが、子供が元気になってくれたこともあってか、筆が進み(指が滑らかに動き)ました。子供のお陰で平和に生活できていることに、改めて感謝の思いがいたしました。久し振りに幼稚園に行ったかと思ったら、あっというまに終業式を終えて日頃の力作を携えて帰ってきました。荷物を置くと、多少少なめとはいえ、お昼ご飯もしっかりたべて、先程から近所の友達のお宅に6~7人の園児+お母さん達で集まってにぎやかにやっているようです。恐らく、楽しい笑い声+「~しなさ~い」+「~だめよ」などの入り乱れた状態になることでしょうが。それでも元気が一番!何だかこちらまで滞り気味だったことがするすると進んでいきます。この調子で、元気な年末を過ごせる事を祈りたいものです。
December 22, 2004
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「素直であること」には二つの方向性があるように思います。一つは、「他人の言葉に耳を傾けそれを受け入れること」であり、もう一つは、「自分自身の心の叫びとは裏腹に、世間体や常識などによる障害を乗り越えて自分の心の叫びを聞き、それに従おうとすること」ではないかと思います。一つ目の「他人の言葉に耳を傾ける素直さ」の例を挙げると、例えば、失業し、転職した場合に直面する状況が分かりやすいでしょう。中年層になってからの転職をすると、「一回りも若い上司」から理不尽を強いられることは当然ですが、年功序列の世界に長く居てある程度の地位やプライドを持ったままこの状態に出くわすわけですから、そのストレスたるや大変です。かく言う私も経験済みだからこそ書けるのですが、これを乗り切るためには、ある方の言葉が大変役立ちました。それは、「水を満たしたコップに、もう一杯の水を注ぐためには、今ある水を全て捨てさえすればいい」ということでした。 この言葉も完全に鵜呑みにする必要はないと私は思っています。今までの経験や立場やプライドといったものを全て捨てるのではなく、一度棚の上に置いてリセットするという意味で捉えるべきだろうと。現実的には、棚の上に置いたところで、いったんは「全てを手放す」わけですからストレスを避けては通れません。しかし、新しい環境をそのまま受け入れることのできる「空の手」を得たわけです。 これの方が遥かに早く新しい環境に根を下ろすことができるはずですね。結果として新しい環境が「今立っている場所」となったときに、「棚上げしていたこと」を取り出して見ると、ほとんどすべてが、取っておく必要が無かったことに気が付くものです。「棚上げ」という助走路をつけることで「素直に受け入れる」ことができ、新しい環境に根を下ろすことができれば、それもひとつの考え方ではないでしょうか。二つ目の、「自分の気持ちに素直になる」ということの例としては、例えば、誰もがあるように、「やりたいけど・・・があるのでできない」というものです。確かにできないといえばできないわけですが、「どうすればできるのか」を考えて見ることで、「これさえできれば、できるぞ」という段階にまでステップアップし、さらに、「やってみたらできた」となったとしましょう。現実を現実として素直に受け入れて、その現実の上に立ってどうすれば自分の心の求めるものを実現できるか考えて見て、とにかくひとつやってみる。その結果、「できた」となれば、自分の心に素直に従ったことのご褒美ということですよね。私は、そんな二つの側面で「素直であること」が大切だと思っています。
December 21, 2004
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年に2回か3回、私は教室に通う生徒に対して「烈火の如く叱る」ことがあります。私自身の性格は、温和ですが、これだけは放置できないと思うときには、全精力を一点に絞り込んで、ありとあらゆるエネルギーをそこに叩きつけるほどの勢いで子供を叱ることがあります。もちろん、体罰などは有り得ませんが、声、勢い、熱気、鬼の様な形相をして、火を噴いたように怒鳴りつけます。時間は20秒程度です。 (それ以上は、私がもちません)今日も半年振りに「炸裂」しました。理由はいつもただひとつです。「どうせやってもできない」という意味のことを口に出して前向きに取り組もうとしない子供に3回ほどやわらかく促しても相変わらずその態度を繰り返した場合です。そうです。「やりもしないで、やる前から投げ出した場合」です。 大の大人が「本気で」「ものすごいエネルギーの波動」をその子一点に浴びせかけるものですから、大概の子はびっくりして涙すら見せます。もちろん、その20秒ですべて終わって、本人に「なぜ叱られたか」をしっかり伝えて「分かりました」となり、授業はすぐに元に戻します。 その直後からは、全体のムードの立て直しのためにゲームをしたりして10分ほどの時間をとることが多いですが。「やる努力をすること」「先ず、動いて見ようとすること」それをやろうとしない場合に限って、私は絶対に許さないという態度を貫きます。しかも、全エネルギーを投入して爆発的に叱ります。子供の心にストロークを投げかけるためには、大人の「本気」のエネルギーが必要です。お母さん達が、子供に対して時には涙を流しながら本気で叱ること・・・それは愛情があるからです。「本気」でなければ伝わらないのが「愛情」なのかもしれません。 ただ、できることなら、短時間にすることは大切だと思います。 時間が長くなると、「被害者意識」に変わるおそれがあるからです。「くどくどと叱られる」ことは嫌気がさします。だから、思いっきり短時間で叱る方が分かってもらえると思います。わずか数十秒のことだったのに、今日は一日のどがガラガラしてわき腹が少し痛んでいます。(もう、年かな~??)
December 20, 2004
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今日は教室恒例のクリスマスパーティをやりました。例年は、ネイティブをゲストに招いて幼児、小学低学年、小学高学年と各80分づづ3部に分けてやるのですが、今年は私がサンタのコスチュームになり、パワー全開で頑張りました。小学生は、教室に入るとすぐに私がサンタであることに気づくのですが、幼児はしばらくの間夢を見ていただきます。子供達皆で楽しむゲーム+親子で楽しむアクティビティ+ビンゴ大会+お菓子タイム+プレゼント配り+クリスマスソングを皆で合唱+写真撮影といった流れでした。特に幼児(3歳~6歳)の部では、息切れしそうになりながらも呼吸困難になりつつクリスマスソングを歌う「サンタさん」でした。 (クリスマスソングの前に思いっきり体を動かすアクティビティをやってしまったので、息着く暇も無く歌うはめに・・) 日頃のレッスンでもそうなのですが、テンポよく次々と展開していかないと子供達はすぐに集中力が落ちてしまいます。その分、笑顔で「Oh Hoh Hoh!」などと笑っているサンタさんの紅白のコスチュームは見た目以上に暑くて、白いウェーブのあごひげの下では汗だくのサンタさんが格闘しているのでした。日頃からクリスマス会のプレゼント用にと集めておいた物を今日は気前良く子供達に大放出(というほどたいした物ではありませんが)!何はともあれ、子供達や保護者の皆様に楽しく過ごしていただき、無事今年のクリスマスパーティもやり遂げることができました。沢山集まってくれたことに感謝!(もし、ガランとしていたら・・・と思うと有難さがこみ上げてきます)それから・・・幼児の部の終わり際に、「今日は先生がサンタさんに服を借りてきたけど、クリスマスの晩は本当のサンタさんがみんなのおうちにプレゼントを持ってきてくれるって言ってたよ!!」の一言を忘れずにいっておきました。「わかった~」の素直な返事に感謝!変に突っ込まれても説明できないので・・ほっ。大体3年生前後になると、友達からの悪知恵で、「事実」を知ってしまうようです。2年生くらいまでは、「夢」を見ていてくれるのですが。皆さんのお子さんは、まだ「サンタさん」を信じてくれていますか?少しでも長く「夢」を見ていてほしいものです。
December 19, 2004
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昨夜から今朝にかけては、次男の突然の嘔吐と下痢で夜間診療のお世話になり、点滴をうけるなどたいへんでした。昼間は、寝たり起きたりしながらも、吐き気は大分おさまったようで、顔つきも穏やかになってきました。水は飲みますが、食べ物はまだのどを通らないようです。勿論、昨日の夕方から吐きっ放しで何も食べていないので、お腹はすいているようですが、本人も食べると吐きそうで食べようとしません。夜になって、りんごを少し食べて今また寝ています。この一日で数十回の嘔吐を繰り返しているので、大人だったら完全にダウンしていることでしょう。急にやってくる子供の病気には慣れているものの、やはり、本人の苦しさを思うとかわいそうになります。少し良くなったのでほっとしています。皆さんからの暖かい言葉を頂きありがとうございました。今夜は大人も早めに体を休めて明日のクリスマス会の準備の元気をキープしておこうと思います。
December 18, 2004
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昨夜8時過ぎに今月4歳になったばかりの次男が急に嘔吐を繰り返し始め、出すものが無くなり黄色い胃液になってもまだ嘔吐が止まらない。ただの風邪にしては、嘔吐の程度と回数がひどいので夜中の12時ではあったが、救急に電話して夜間診療をやっている病院を聞いて車で15分程度のその病院に向かいました。車の中でも、病院に着いても待っている間に嘔吐を繰り返す有様で顔色もとても悪い状態でした。病院につくと、同様に子供が10組ほどそれぞれ異なる症状で親に付き添われてぐったりしたり,泣いたりしていて、外はかなり気温も下がっていました。夜間担当医の診察を受け、念のためお腹のレントゲンと血液検査をし、結果を待ちがてら、点滴をしてもらうことに。結果的には特に気になる点は見当たらないということで、なんとなくすっきりしないまま点滴が終わるまで付き添うことに。子供用にゆっくりと設定していることもあるのか、1時頃から4時半頃までかかり、帰宅できたのが今朝の5時過ぎでした。点滴をしている間は眠っていた次男ですが、先程(今朝8時半ごろ)大量の下痢をしていて、服もふとんも本人も@@@まみれの状態。慌ててシャワーで洗い流し、汚れた衣類などを風呂場で洗い、さらに洗濯機へ。やっと先程眠ってくれました。今朝は、11時から幼児クラスがあり、そのまま夕方までレッスンが続くため、この日記を書き終わったら教室へ向かいます。明日はクリスマス会なので、その準備もあり、今日も忙しくなりそうです。寝不足ですが、先程の@@@の後始末でしっかり目が覚めてしまい眠気もふっとんでしまいました。では、行って参ります。
December 17, 2004
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子供の勉強について、親としては「いい結果に期待したい」と誰もが思います。今日は、「勉強の本質」を考えて見ようと思います。学校では、「成績」という形で子供の勉強の成果が表現されますね。 これは学校が社会の縮図である以上、その社会の中で子供がどういう状態なのかを知るひとつの手段としては、必要なことかもしれません。ただ、成績の良し悪しと子供の人格は別に見てあげる必要があると思うのです。あえて成績を参考にするのであれば、「集中力があるかどうか」の判断材料にはなるかもしれません。子供達が同じ事をやっていながら結果に違いが出る大きな要因のひとつが、「集中力」であると私は考えています。集中力とは、あえて表現すれば「今まさに目の前にあることに対して、全力を注ごうとする心の姿勢」だと思います。この「心の姿勢」が正しい子供は、どんな科目にでも優れた結果を残せるでしょう。 (もちろん、性格的な科目に対する好き嫌いはあるはずですが)小学生、中学生くらいまでは、勉強そのものを「させる」という方向ではなく、どうすれば、「今やるべきことに没頭できるか」の観点から、集中力を鍛えていくことが将来までもいい影響を与えるひとつの方向ではないでしょうか。集中力を高めるひとつの方法は、「スピードを上げる」ことです。 例えば、早口言葉を言っているとき、集中しているでしょ。 勿論、興味の無いことに対してやる気が起きないのは、子供に限ったことでは有りませんので、「好き」でいれるような環境作りもしてあげたいものです。「苦手」と思われる科目ほど「成績を見て怒らない」ことも大事ですね。 苦手は潜在意識からくる部分が大きいですから、自分で苦手を自覚させない工夫が必要です。それは、親や周りが「あなたは、@@@の成績が悪い」と口に出さないことです。 本人が一番分かっていることです。むしろ、得意な科目を思いっきり褒めちぎって「自信」を持たせましょう。 「させる」とか「怒る」エネルギーを「褒める」エネルギーに変えて子供にやる気と活力を与えてあげましょう。そして何より大切なことは、「生きる」「生き抜く」ためには、勉強することを「自分のため」にしていることだと自覚させることであり、「生きる力」を身につけることが「勉強」なんだということを少しづづでも悟らせることです。自分のためにやるんだと認識できる人は、その次のステップである家族のため、さらには社会のためという構図が人生を通して身をもって理解していけると思います。そろそろ、子供達のもって帰る通知表を見る時期がやってきますね。優しい子は、弱い部分があるけれど、「優しい」からいいんです。 人の心を暖かくすることができる子ですから。強い子は、他人にも強いけれど、「自分に対しても強い子」です。 誰かのために一生懸命になれる子だから。おとなしい子は、自分を出せないけれど、感性がとても鋭い子です。 ひとの辛さや悲しみを理解できる子です。意地悪する子は、自分を隠しているだけで、本当は意地悪なんかしたくないんです。認めてほしいだけなんです。色んな子供がいるけれど、みんな、将来「生き抜いていく力」を養うために社会勉強をしているんです。どんなことができるかは、それぞれ異なりますが、そんな子供達の「生きる勉強」を大人である私たちが応援してあげたいものです。
December 16, 2004
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師走は何かとやることが多く忙しい月です。日頃やるには時間がかかるため、まとめてやろうと溜めておいたものがどれもこれも「そろそろやらねば」という期限を間じかに迎え、放っても置けない状態になってきました。おとといから一連の「ほったらかし」を解消すべく、毎晩それらと格闘しつつ「一挙に片付け作戦」を実行中です。ゆえに、日記も更新が遅れていたのですが、それにもかかわらず、沢山の方に訪問していただき、ありがたいコメントの数々もいただき、皆様に感謝しております。で、片付けながら思ったのですが、「片付くと気持ちいい!」ということです。抱えている間は、「やらねば」という無言の圧迫を自分自身に感じながらも「後回し」を選択したがゆえに、結果として「ほったらかし」であったわけですが、ひとつ片付くと、これがまた何ともいえず「できた!」という達成感というか充実感というものがあります。(遅れ気味で心にぶら下がり始めていただけに)まだまだ自分がやるべきことと決めてやることにしていることを仕上げるのには今週一杯はどっぷりと浸かってやることになります。でも、それもまた楽しい!これは、自分で自分のやることを決めることができるからなのだとは思いますが、私の様なマイペースの人間には、こういうペースはかえって楽です。だって、すべて自分の決めたことをやっているだけなんですから。だから、「やることが多くて忙しい!」と口では言いながら、結構楽しみながらやっている自分がそこには居るのです。「やることいっぱいもまた楽し!」
December 15, 2004
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19日の日曜日にクリスマスパーティーをやることにしたため、先週から各クラスの授業の合間にクリスマスソングの練習を織り込んでいます。比較的ゆっくりなテンポで子供にも覚えやすい”Silent Night" と "We wish you a Merry Christmas"の2曲です。クリスマスパーティの時にみんなでこれを合唱できれば参加している一体感もでていいかなと思い、私もしっかりと声を出して子供達と一緒に歌っています。その勢か、毎日のどが、ガラつきぎみです。風邪のシーズンでもあり、子供達をあずかっていることもあるので、私が風邪をひかないように手洗い、うがいをしっかりとやるようにしていますが、歌うとどうしてもかなり喉にきますね。でも、さすがに子供達は覚えるのが早いです。大概の子供はその日のうちにだいたい歌えるようになり、次の週にはもう昔から知っている歌のようにして歌ってくれるようになります。子供の能力は侮れませんね。小学生だって、現在、過去、未来の概念とその表現を教えれば、しっかりと理解してしまいます。あとは、「繰り返す」ということをこちらが仕掛けてやりさえすれば、大概のことはできるようになります。教える側が子供達の潜在能力を信じることも重要だと思っています。 「必ずできるはず」と「子供達に大いに期待する」こともまた教える側の姿勢として心しておきたいものです。主役はあくまで子供達ですから。
December 14, 2004
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日記のトップでゆっくりと散歩して見たくなるような「海岸の散歩道」という画像があり、このDreamy afternoon cafeにいらした方は、皆さん一度はご覧になったかと思います。実は、3日程まえから、この「海岸の散歩道」を皆さんにもぜひ臨場感をもって散歩してもらえればということで、やっとページへのリンクができるよう更新いたしました。画面下の「よいこのアニメーションへジャンプ」をクリックしてもらうとそのHPの画面がでます。左側フレームの下から2番目に「海岸の散歩道」がありますので、クリックして見てください。 画面サイズは画面下のEVA CONTROL PANEL にて60%~140%まで自由に変えられます。 ボリュームはご自身のブラウザにて調整してお楽しみください。その他、いろんな画像が楽しめますので、ぜひ一度ご覧ください。また、「海岸の散歩道」のBGMとして流れている曲の作者である須釜俊一さんのMIDIサイトも是非立ち寄ってその優しさ溢れる曲に浸って見てください。須釜俊一さんのMIDIサイトへジャンプをクリックするとそちらへも飛んで行けます。最後に、いろいろアドバイスを頂いたHisabonさんに感謝しております。 HisabonさんのHP(http://plaza.rakuten.co.jp/hisabon/)も是非覗いて見てくださいね。◆◆散歩が終わったら、是非またDreamy afternoon cafeに戻って来てお話でもして、気分を新たにまたご自分の夢に向かって頑張ってください。◆◆散歩をしながら、心に浮かんだことでもありましたら、どうぞお話していってください。最近、話の内容がとても素晴らしく、私も皆さんのお話に毎日感動させられています。では、ごゆっくり。
December 13, 2004
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この日記を、夢や希望に向かって頑張っていくことをテーマに書き始め、沢山の方のお話を聞かせてもらいましたが、私自身の夢について触れていなかったことに、コメントを頂いたマスクMさんに返信しながら、ふと気づかされました。返信の内容は以下のとおりです。さて、お尋ねの「今,何に向かって全力でしなければいけない」と思われていますか?について、私なりの思いを書かせてもらいますね。私は、15年後をめどに、ハワイかオーストラリアに移住して暮らして行きたいという夢をもっています。 その時に必要なことは、現地で生活するのに困らない英語力と生活するための資金、そして何よりも大切なことは、そこでまた生き生きと暮らして行く時に自分が成長し続けながらやっていける生きがいを見つけておくことです。だから、今全力で取り組んでいることは、大きく分けて以下の4点です。●子供達に英語を教えることを通して、自分自身も勉強させてもらう。(英語+人間力)●今の教室をもっと大きくしていくことで、経済力をもっとつけ、今の足場をしっかりと固めること。●更なる経済的余裕をもつ複数の収入を得るための試行錯誤と挑戦。●今を一生懸命生きていく中で、将来の新たなる生きがいの元になるものを捜し求めていくこと。以上の夢と目的のために、今を全力で生きていこうと思い、その挑戦のひとつとしてこの日記を初めました。 そして、実際に始めて見ると、今まで知らないところで(ひょっとしたら、このまま一生出逢う可能性の無かったかもしれない沢山の方)に出逢えることの素晴らしさに毎日感動させられています。以上が私の返信の内容です。そこで、ここからが今日の日記なのですが、以前ある方に、「あなたは、なぜ生きているのですか?」という途方も無い質問をされたことがあります。みなさんは、どう答えますか?結局その時の私は、明確な答えを出すことはできませんでした。不思議でしょ。 こんな本質的な質問なんだから、生きているのなら答えられそうだと思うのですが、答えられないんですね。それで、当然ながら、「参りました。教えてください!」ということになり、教えていただきました。こういうことだと教えてもらいました。「人間は成長し続けるために生きている」・・その一言でした。「そうか、死を迎える直前までも、それまでの自分より、より素晴らしい自分であるために、成長し続けるために人間は生きているのか・・・・!」そう気づかされ、そのことが今の私の生きることに対する考え方の基本となりました。「絶えず成長し続ける」これがテーマです。ただ、絶えずの言葉を鵜呑みにしないことも大切だと思うのです。 「働き詰め」「勉強し詰め」を続けると、続けるために一番大切なもの・・・つまり、「活力」「やる気」「前向きのエネルギー」までも減退してくる可能性があります。それを避けるために必要なものが、「ちょっと一服」だと思っています。これは、止めるためのものではなく、続けるための「栄養補給」に他ならないと思うからです。経済学で、「限界効用逓減の法則」と言う法則がありまして、たとえば、仕事上がりの一杯目のビールは「たまらん!!!」というほど「うまい!」ものです。ところが、2杯目、3杯目と飲み進むにつれ、その感動は薄れてきます。このことが、消費活動における消費者の行動にも現れることから、経済学で学ぶのだと思いますが。私たちが生きていく上でも、これと同様の心理的行動がおこります。 度を越えてやり過ぎるよりは、もう少しやりたいという思いのあるうちに、少しだけ休息をとるのです。このことを積極的休息などと呼ぶようですね。ですから、私がこのDreamy afternoon cafeに集う方に提供したいのは、この積極的休息を取ってもらう場であり、さらには、もう一度目標に向かって立ち向かっていく勇気を奮い立たせる場となれば・・・その出逢いを通して、私自信の成長の大きなヒントまでも頂けるのではないか。そう思うのです。いかがでしょうか。 今日は、私の考え方の基本の部分をお伝えしましたが、そのことをご理解頂き、ひとりでも多くの方が「生き生きと今を全力で生きていってくださること」が私の願いであり、私自身の目指す方向性なのです。どうぞ、皆さんこれからもどうぞよろしくお願いします。ご意見、ご感想がありましたら、どんどんコメントください。 それが、新たな生きるヒントになります。
December 12, 2004
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例年11,12月は新規で体験レッスンを申し込んでくださる方は少ないのですが、今年は例年になく、ちょこちょこと体験レッスンをやっています。 一般的には2月頃からが4月入学の体験レッスンスタートというのが相場みたいです。このひと月で8人体験レッスンをやって全員の入学が決まりました。実は今日も4歳児と5歳児と小1の3組の体験レッスンの申し込みを受けていてありがたい限りです。例年と違う原因は良く分かりません。 急に景気が回復するわけもなし、子供の数は相変わらず少子化の一途を辿っているはずだし。でも、私は体験レッスンをやるのが大好きです。体験レッスンが私と生徒やお母さん達との初めの出逢いです。 全ての生徒との出逢いをしっかりと覚えています。 お互い様かもしれませんが、とても印象深いものです。体験レッスンの時に感じた子供達の性格は、何年たってもほとんど変わりません。性格は変わりませんが、成長はしっかりとして行きます。その成長を見るのが楽しみです。体験レッスンっていうと、まだ経験したことない方もいらっしゃるでしょうから、簡単に説明しますと、★お母さんの観点は、 ●お子さんが楽しんでいるかどうか ●教室の環境(設備、ディスプレイ、照明、立地など) ●先生がどんな人か(人格面と相性の面で) ●費用 ●時間割 ●教材はどんなものかだいたいそんな観点から見てもらっているようです。その最大の要素が●お子さんが楽しんでいるかどうかということと●先生の人格+お子さん&お母さんとの相性だと思います。 あとは、しっかりと教室の掃除をして気持ちよく観ていただけるよう心がけています。(掃除は好きなもので)ですから、私は自分の持ち味をそのまま出して(日記をご覧の方はかなり分かって来た方もおいででしょうが)、私の人格そのものを見て帰ってもらうものだと思ってやっています。集約すれば、私が裸になること+楽しんでもらうことの2点です。(もちろん、服は脱ぎません)ゆえに、体験レッスンの間はそのためのエネルギーを全力投球します。(体力いります!!)書類関係のことや費用、時間割などの詳細については、ひとりひとりのために毎回A4で5枚程度の説明をきちんとわかるように書き記し、私の方針もしっかりと書き入れてレッスンの前に渡してしまいます。ですから、基本的なことは全部あらかじめ知ってもらっておいてあとは、私を見に来てもらうような形にしています。そもそも体験レッスンを受けようと思って来られるわけですから、その気のない人はいません。体験レッスンをすれば、ほぼ100%入学してくれます。だから今日は、とても楽しみです。また、新しい出逢いが期待できます。実はこの2週間ほどがとても忙しくなります。在籍生の進級の確認と次年度の時間割の決定、通知表の作成、クリスマスパーティの段取り、生徒募集用のチラシの作成と手配、色んな事務処理などなどいくらでもやることがでてきます。でも、忙しくしていられることはありがたいことです。忙しい師走に感謝しています。さて、今日はどんな「おちびちゃん」と逢えるのかな。今から楽しみです。
December 11, 2004
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私のよく寄らせてもらっている遊女asomeさんのサイトにこのタイトルの日記がありそれにコメントを入れたのですが、一見生きることと反対の方向を向いていそうなこのタイトルにこそ生きるための大きなヒントがあると感じたものですから、あえて、私の書き込んだコメントをそのまま本日のお題として皆さんのご感想を聞いて見たくなりました。よろしかったら、ご一読いただきコメントをお聞かせください。また、遊女asomeさんのサイトも非常に哲学的で興味深い内容が綴られていますので、是非ご覧になってみてはいかがでしょうか。この「人生の残り時間」という言葉の持つ響きはなんとなくさびしげですね。昔、「死神」というタイトルの邦画(白黒)で、主人公がある日、死神に逢い、ずらりと並んだ火のついた蝋燭を見せられ、まさに風前のともし火であった一本の蝋燭が自分の寿命を示していることを知り、そばにあった生まれたばかりの赤ん坊の寿命を示す蝋燭とこっそり取り替えて寿命が延びたと思いきや、結局最後には自分のくしゃみで自分の蝋燭の炎を吹き消してしまうと言うような内容の映画を見たことを思い出しました。私も結構若い頃から「どうせ人間いつかは死ぬんだから今を一生懸命に生きたい」と思って生きてきましたし、これからもそういう思いで生きていくつもりです。生きることをしっかりと意識することと「死」を意識することは背中合わせなのだという気がします。どちらも必然。 生きている限りはいつか死をむかえることは生命誕生の太古から繰り返されてきた必然です。 「今を全力で生きる決意」と「死の必然性の認識」は恐らく後者が先ではないかと思います。死を意識しなくていい青年期には、本来人生の中で一番全力で生きていたいに違いない時期であるにもかかわらず、死を意識しないがゆえに、「今全力で生きなければ・・」という意識の根拠を持ち得ないのかもしれません。人生の中盤を過ぎるころになると、身内の死に直面することで加速度的に死の意識が高まるのでしょうね。 それゆえ、「生きる」ということへの真剣さが同時に高まることになりますね。人生の残り時間・・・それがどれだけあるかを考えずに、いつか必ず死を迎えるということだけ悟って「今を全力で生き抜いて行きたい」ものです。
December 10, 2004
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家族や仕事、日常の生活など、すべて有ってあたりまえの存在です。でも、普段はそのあたりまえで居れることがとても有り難いことを忘れがちです。程度の差こそあれ、「普通でない状況」は誰もが経験し、そのたびに「当たり前で居れることの素晴らしさ」を実感します。 そして、しばらくしてその状況に慣れると、また「当たり前」に戻ってしまうものです。かつて私も仕事を失う経験をしましたが、それまで当たり前と思っていた多くのことが「仕事をしている」という事があって初めて成り立っていた「当たり前」であることを思い知らされます。例えば、社会保険(健康保険や厚生年金など)も半額を会社が払ってくれていた事実は、仕事が無いのに今までの倍額の保険料を支払うはめになって初めて気づくことです。(知識として知っていることと実際にその事態に直面することの違いの意味で)例えば、家族。 家族を失うという最悪の事態に直面した場合は当然のことですが、子供達が巣立っていって夫婦だけになったり、娘さんが遠く離れた所に嫁いでいったり、離婚によって兄弟が別々の生活を強いられることもあるでしょう。例えば、環境。先般の大型台風や新潟の地震によって多くの方々の「それまで当たり前であった生活」が奪われ、しかも誰を恨むわけにも行かない天災となれば、なおさらのことです。こうした生活の変化によって、それまで感じたことの無いストレスを感じ、実生活でのマイナス面が顕著に露呈してきます。水害や地震の被害を受けた方々にとって、希望を持ちたくても今が見えないのに将来どころではないという気持ちが支配することも当然でしょう。「元の当たり前の生活に戻りたい」と切実に思います。映画「風と共に去りぬ」の中でも主人公のスカーレットを何度もの絶望感が容赦なく襲います。そして、大地にたって「明日がある!」「必ず明日がやってくる!」と再び希望を持ち直して生き直し始めます。そして、ラストシーンで「本当に一番大切なものは、自分のそばにあった」ことに気づきます。しかし、そこは映画です。 気づいた時には、自分の元から去って行ってしまうことになります。確かに、失って初めて気づくものです。そして、避けることのできるものよりも避けようも無く突然自分の身に襲ってくることの方が圧倒的に多いのも事実です。起こってしまった事をいくら悔しがっていても自分自身のプラスにはならないことに気づくまでにそう時間がかからないことも誰もが経験済みですね。目の前にある事実を事実としてしっかり受け止めたうえで、もう一度頑張って今まで以上の素晴らしい生き方を目指すぞ! 本心からそう思いますよね。ここで、現実に戻ります。今の家族、仕事、環境に対する色んな思いを振り返って見ます。 色んな理不尽さや不満もあるでしょう。でも、有難いんですよ。 「当たり前のこととしてしっかり存在」してくれているんだから。その「あたりまえの存在に感謝」して、今、この時をもっと素晴らしい時にしていきたいですね。夢や希望を形にできるよう追っかけて生きて行ききたいですね。せっかく「あたりまえで存在してくれている」今に感謝してその上に新しい夢の土台を築いていきたいものですね。あたりまえの存在に感謝!
December 9, 2004
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以前は煙草を一日3箱ほど吸っていました。もう15年以上前から一本も吸いっていませんが。私は「禁」の文字の持つ独特な圧迫感が苦手です。「禁煙」というと、ものすごい威圧感を感じて「止められるものさえ止められない」という気がします。結果として煙草はやめたのですが、どうやって止めたのかを今日は書いてみようかと思います。その前に、煙草を吸っていた時代のことを書いておきます。商社で貿易をやっていた頃は、日帰りの出張に出かける時は必ず事前に煙草を5箱カバンに入れて出かけていました。今思うと狂気の沙汰ですが。 海外出張の場合は免税店でカートン買いをしていたことはいうまでもありません。別に何か理由があったわけでもないのに頭から煙が出るほどに煙草を吸っていました。30歳を少し越えた頃、盲腸の手術をした際にその周囲も痛んでいたらしく少しばかり手間のかかる手術になり、一月半ほど入院しました。手術後10日ほど点滴だけでベッドに繋がれていたものですから、その時初めて「結果として吸わなかった10日間」を経験しました。 このころは、だから煙草をやめるという思いもなくすぐにまた吸い始めたのです。その後何の特別な理由のなかったのですが、急に「何日煙草を吸わない日の記録を伸ばせるか挑戦して見よう」と思い立ってその日の夜、最後の一服をしっかりと味わって、その一本を最後にその日から記録への挑戦が始まりました。以前日記の中に「その日のうちに最初の一歩を踏み出す」と書いたのは恐らくこのときの気持ちからだと思います。1週間後に思いました。「1週間達成!!えらい!!」と。それからあとは、記録を伸ばすということへの楽しみへと変っていきました。 「今日も一日伸びた。よくやったね!!」と。1ヶ月が過ぎる頃には、「せっかくここまでやったらあと戻りするのはもったいない」と思うようになります。幸い「禁」の字のつくような思いをせずに煙草をやめることができました。 それどころか、楽しみながらやめました。よく「自分を追い込む」などといいますが、私は圧迫を人にも自分にもかけるのが好きではありません。禁じるのでなく「快活に」「うきうきと」やっても結果が一緒ならそれでいいはず」と思うのです。「アンネの日記」の時代背景・・世界のほとんどの国々で得体の知れない怪物の圧迫感の中で生きることを強いられた時代。 暗く、辛い時代だったのだろうと思います。そんな時代には決してしたくないものです。今はどうかといえば、「明るく」「快活に」自然を愛し、人を愛し、楽天的に生きることができるのです。 自分さえそう思いさえすれば。結局、自分自身の心のありかたひとつで変えられるし、変わるのです。 明日を夢見て歩きましょう。 明るく、快活に。
December 8, 2004
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お母さん方からお子さんをお預かりしてその成長を見守る立場の仕事をしています。子供達の心に触れることは当然ですが、同時にお母さん方のお子さんに対する「母のこころ」をいつも感じさせられます。特にこの日記を始めて以来の一月ほどの間にも、自らの日記のみならず、日記にお立ち寄り頂いた多くのお母さんたちのお子さんに対する思いに触れるに付け、「母は偉大なり」と改めて感動を覚えるこの頃です。私は男性であり、父親ではありますが、どう頑張っても母親のわが子に対する愛情の質と同じレベルにはなれないと痛感しています。「なれない」といった意味は、「かなわない」という意味です。 恐らく「かなわない」最大の理由は、母親が出産という「命がけの関わり」を経験している点だと思います。なんと言っていいのか、「愛情の深さ」が父親のそれとは、遥かに違いますね。 例えば、お子さんに対して怒るとします。その怒り方は、いい意味で「限りなく感情的」です。全身の怒りを大爆発させて本心から「腹を立てて」怒ります。 涙を流しながら本気で怒ります。極端に表現すれば、大爆発した後になって初めて我に返るというくらいに、怒る瞬間は全身の血液を沸騰させて怒っているようです。そう見えますし、きっとそうだと思います。父親はどうかといえば、腹を立たないといえば嘘になりますが、見た目どんなに激怒していても、どこか冷静な部分があるのです。(冷静だから良いといっているのではなく、その逆で、100%どっぷりとつかって本気で怒っていないというか、命を懸けて関わった経験のなさからくる中途半端さがそこには存在するのです。)だから、父親の怒り方は、どこか計算された怒りなのです。 (怒る程度を調節しているのです。状況に応じて)見方によっては「甘い」のです。それでは、父親はいつでもそうかといえばそうではなく、「ここ一番本気で怒る」ときは、巨大な爆弾を一発ドカンと叩き落します。要は、母親は「いつだって本気」で子供に真正面から関わっていると思うのです。 それが男性にはできない「母親ならではの愛情の深さ」に繋がっているのです。わかりますか? 「関わる」とはすなわち、「心を投げかけている」ことなのです。 心の「ストローク」なのです。母親は、お子さんに対して、「毎回命を懸けて心を投げかけている」のです。 私の思う「母親の愛情の深さ」はまさにこの「圧倒的な頻度の心の投げかけ」にあるんです。すごいですね! 母親の愛情!そのことに気が付いてからは、男性である私もこの感覚を生きていくうえで見習えないものかと思ったんです。たとえば、日記に対して訪問いただいたりコメント頂いた際に、せっかく何かの縁でこの瞬間があるとすれば、本気で自分の心を投げかけて、心を伝える努力をしてみようと思っているのです。 だから私は本音で語りかけています。そして、その本音のストロークを重ねていくうちに人生の流れまでも素敵になっていくような気がしています。今日は、全てのお母さん方に尊敬の思いをもってこの日記を書きました。何かご感想がありましたら、どうぞ思うままにお書きください。そのストロークによってこころの投げかけを頂くことができます。
December 7, 2004
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時々ローマ字はそもそも何のために小学4年で習うのだろうと思います。もちろん、この日記も「ローマ字入力」で書いているわけなので、その意味では一定の存在意義はあることは認めますが・・こう書き始めた理由は、日本語と英語の音の違いがローマ字の存在によって弊害を受ける部分が結構多いように思うからです。以前1年間アメリカ人の高校生をホームステイで面倒みさせてもらったことがあるのですが、その子が日本にいた頃よくいっていた、「日本語の特徴は「母音」が必ず入ることでそれをマスターするのに苦労した」という言葉を思い出します。ローマ字の表記は、この母音をしっかりと含んでいるため子供達が英語を読む時にローマ字を読むように「母音を入れる癖」がついてしまうようなのです。幼児から英語を始めた子は、その影響を受けにくいのですが、小学校4年のローマ字学習をひとつの大きな壁として「母音を含ませて発音する癖」がついてしまうように思います。この影響が子音まで母音化して発音する習慣となります。例えば、「どうしたらいいか分からない」という意味のI don't know what to do. をあえてカタカナでローマ字的に表現すれば「アイ ドント ノオ ファット トゥウ ドゥウ」 のような感じで発音する子がいます。これまた、あえてカタカナで表記すれば、「アイ ドウンッノウ ワッ トゥー ドゥー」(これでも無理がありますが多少はましかも)。別の例では、milk や school などの「L」の音は実際には「ミウク」や「スクーウ」に近い音で表現されているにもかかわらず、どうしても「ミルク」、「スクール」となってしまいがちです。結局ローマ字を読むように「milkがMIRUKU」「schoolがSUKUURU」と発音されることになります。カタカナもまた弊害を及ぼす可能性があります。例えば、C を「スィー」とすれば多少はましかもしれませんが「シー」はだめですね。ひどい場合は、Sheを「スィー」と発音する子も結構見かけますね一般的に(英会話を習っている子はほとんどそんなことは無いと思いますが)カタカナは使いようによっては、かなり有効に表現できます。 a lot of を「ア ロット オブ」と表記せずに「ア ララヴ」ぐらいにするとかなり近づく気はします。だから、へたに「口真似」だけで「ローマ字風に」まねさせるよりは、上記のようにある程度適切にカタカナで表示してやってなおかつ口や舌の使い方も適切に指導してやる方がずっといい形の音が伝わるように私は思っています。ここで、この話の結論なのですが、ローマ字を教える場合にローマ字はあくまで、日本語の音を外国人に伝える手段のひとつであり、日本語タイピングの手段のひとつではあるけれども、アルファベットが同じ形をしているから「ローマ字=英語の音」という誤解を招かないような導入をしていただきたいと思うのです。また、ヘボン式ですらも不自然さが残りますが、少なくても「ち」をti とするよりは「chi」の方がましだし、「つ」をtuとするよりは「tsu」や「zt」などの方がましのように思います。結局、ローマ字は「国語=日本語」の分野に位置づけられるのかなぁと思うのです。うまく、思うことを表現できたかどうか不安もありますが、私の言わんとすることをご理解いただけましたら幸いです。是非ご意見をお聞かせください。
December 6, 2004
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今日は青空の見えるいい天気でした。多少寒いけれどもかえってキリッとして気持ちがしまる感じです。長男12月31日生まれ(もうじき10歳)と次男12月9日生まれ(もうじき4歳)の誕生日までもう少し日があるのですが、天気もいいし散歩がてらに出かけることに。トイザラスに入ると店内は完全なクリスマスムードで子連れの家族がいろんな買い物を楽しんでいます。長男は既に心に決めていたらしいゲームソフトに決定、次男は仮面ライダーのフィギュア(人形)セットに決定。コーナーを移動するごとに両手に持ちきれないほどの箱をかかえて「これ買って~」と持ってくる次男。カートに無造作に放り込まれた箱は、次男がよそ見をしている間にすこしづづ減っていったことはいうまでもありません。家路に着く車のフロントグラスには、小粒の雨粒がかすかに前方の視野との間に入り込んできます。空をみあげると相変わらず気持ちのいい青空。 フロントグラスに残るわずかの雨粒が風に流されてガラスを滑りながら消えて行きます。カーブを曲がり直進を始めた車の前方には、半円を描く柔らかな光のストライプが立ちはだかっています。「見て見て!虹でてるよ~」と次男が大喜び。長男は目的を達成した安堵に包まれながらスヤスヤ。虹は本当にきれいです。 こんな美しい自然に偶然触れることができて得をしたような気分になります。とにかく、今日は空の青さといい虹といい澄んだ空気といい、すべてが心地よく、このまま夕方にならずに明るい空気の中にさらされ続けていたいと感じます。FMラジオからは晩秋のパリの街やセーヌの流れを描いた印象派の絵画を思い出すようなシャンソンが流れています。これで薫り高きcoffeeがあれば....Dreamy afternoon cafe の雰囲気です。
December 5, 2004
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子供の世界も見方によっては一般社会と同じであり、良くも悪くも「社会」が形成されます。子供達、特に女の子が小学4~5年生にかかってくるとそれまで、単体としての個人であったものが、集団の中の個人へと大きく変化してくるのが良く分かります。集団生活(社会)を知ることは大事ですが、集団の中にいないと不安で「集団依存」し、自分らしさを失いがちな傾向が強まるのもこの時期です。もちろん、集団に依存して個性を失くす子もいれば、周りに左右されることなくしっかりと自分らしく進んでいく子もいます。経験論的に考えると、そんな時期があってこそ自分らしく生きることの素晴らしさを知るキッカケになるのですが。「真似る」ことは、英語に限らずあらゆる分野での進歩の段階で重要な役割を果たします。 私は、「真似る」ことと「振りをする」ことの違いを子供達に意識してほしいと思っています。私の考える「真似る」とは、「基本の型を身に着ける努力」でありそこには積極的にある方向に向かっていこうとする強い意志の存在が不可欠なのです。「進歩したいという気持ちがベースにあって、何とかして学び取ってやるぞ」と自分をかきたてる心の存在です。「赤い色をした集団の中に身をおくことで自分自身も赤い色をしている振りをする」ような子供にはしたくないと強く思います。小学生だって、きちんと話をしてやればそんなことは十分理解できますし、軌道修正をしてやることもできます。だって、「やれないことができた瞬間の感動」を味わえるのは「何とかしてあんなふうになりたい」と強く望んで「基本」を繰り返し実行しづづけた者の特権なのだから。「感動することの素晴らしさ」をぜひ知ってもらいたいものです。
December 3, 2004
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日記を始めてみてつくづく良かったと思います。世代、地域、職業、生活環境などあらゆる点で自分とは違う生き方をしている人々が、それぞれの人生の中の一局面である「今」を一生懸命に生きている姿に触れることができ、言葉を交わすことができる。ましてや、私ごとき人間に対しても暖かい言葉を掛けていただき、大きなエネルギーを与えてくださる方のいかに多いことか・・・「感謝のこころ」が自然と沸いてきます。勿論、世の中はどんな社会にも2:6:2の割合でいろんな人が存在していると言われます。自分にとって、必ず賛同してくれる2割の人、逆に必ず否定する2割の人、そして状況に応じて変化する6割の人。どんな小さな集団に対しても当てはまるといいますね。この事実をどう捉えどう行動するかで生き方もおのずと変わってくると思うのです。2:6:2のそれぞれのなかにもまた2:6:2が存在するはずだからです。そのことをプラスに考えれば、変動する6の中の2(1.2)と完全否定の2の中の2(0.4)の1.6が更なる賛同者であるはずです。 (マイナス要因を考えなければ)もっと追求すれば、完全否定の2割にすら0.4の明るい可能性があることに気づくはずです。プラスと考えるかマイナスと考えるかは自分が決めること。ここに注目したいのです。 自分自身が前向きに考えるだけで、何の変化もない「今この時」ですら、「前向きの風」を少なくても自分の心に起こすことができるのです。この「自分の心の中の前向きの風」を開放して、自然な気持ちで他の誰かに感じたままにその風を「やわらかく、そっと」吹きかけることができれば、ひょっとしたらその風を感じる感性に答えてくれる人もきっといるはずです。そのことを最近実感として感じているのです。「やわらかく、そっと」吹いた風なのに、ちゃんと何かを受け止め何かを感じて、その方の心にそよぐ新たな風を吹き返してもらっている・・・・そう感じてなりません。師走に入り、あわただしい世の中ではありますが、そんな「さわやかな風」を心地よく受けとめ、さあ、今日も頑張るぞ~と心が背伸びをしてくれます。
December 2, 2004
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