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東北のこの地に移り住んでみて、雪についてを改めて意識させられる。たまに、関東で雪が降り、少し積もったりして、街の景色が雪化粧すると、その非日常感にとてもワクワクしたものだ。子供の頃は、もっと積もって欲しいとも思ったし、小さな雪だるまや滑り台を作ってソリ遊びをした。一方今では、毎朝の雪掻きが欠かせない。身体から湯気を立てながら、まさに雪と戦っている気がする。雪は生活の敵であり、今朝は何センチ雪が積ったのかという毎朝の気兼ねである。しかし庄内平野の一面の雪景色は非日常感もあり、安心感もある。毎冬に見せるその風景が、そこに住むものに気持ちの静けさ、落ち着きを与えてくれているのだろうか。先日、「雪観」という僧名を師より頂いた。師の僧名は「雪法」と言い、師の師は「雪操」と言ったそうだ。この名を頂戴した時に、「雪の目付け」という話を思い出した。『「雪の目付」ということは、降る雪の一片を見定めて、それを地に落ちる所までを見失わぬように見極めることでありますが、これは心と眼が一致することが肝要でありまして、換言すれば心眼で標的を見定めることであります。(中略)これは単に目だけで狙うことではなく心眼に捉えることが肝要でありまして、的に向かって弓を引くときは決して瞬きをすることなく、的と自分の体と心と技が一体となるように精神を統一することが必要であり、このように精神統一ができたときは、弓を引き収めると的が矢摺籐の左側へピタリと吸いつくように近く大きく見え、放てば必ず的中するものでありまして、このようなことは相当修行を積んだ人は誰でも体験しているところであります。』(尾州竹林流「四巻の書」講義(12)魚住文衛 月間弓道465号昭和62年6月所収)ゆったりと、多数無限に降り続く雪の中の一つを捉え、そこに焦点を当てていく。そこで得られるのは、ただ単なる視点のピントの合わせ方では無く、降る雪が持つ静けさと、落ち着きと、遅速無い時間の確実さである。雪が、音無く地に溶け込んでゆくような、静かに沈潜するような身体性を射に写し取る作業でもあるだろう。毎冬、雪に囲まれるこの地で、雪観という名を拝して弓を引けるということはなにか言い知れぬ納得感がある。この地に、雪のように落ち着き、溶け込んでいければと思う。
2011.01.30
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何かでライラしたり、落ち込んだりすると、坐禅をして世界をリセットすることが癖になった。うちの寺は坐禅堂なんて無いので、寺の座敷の一室で、義父の書いた達磨画の掛け軸の前で坐っている。手足を体幹に収めるように組み、吐く息をじっくりと肚に落とし、じいっと静かに座っていると、やがて心臓の鼓動を身体で感じられる。鼓動とは言っても、ドクンドクンと打つ音が聞こえるのではない。心臓というポンプが働き、その流動に合わせて肉体が前後にわずかに揺らぐのを感ずる。その揺らぎに合わせていくと、やがて身体という実体が、その概念と共に空気の中へと溶けえ消え込んで行く感じがする。冬、部屋は寒い。窓の外では音も無く雪が白く落ちてくる。しかし座禅をしていると、不思議と寒さで震えることはない。くしゃみも出ない。身体が辺りの冷え込んだ空気へと同化してしまうのだろうか。時折、半眼に開いた瞼が徐々に落ちることがある。しかし瞼が落ちると、今まで冷気に触れていた目玉の冷さを瞼が感じて、また瞼は上がる。一つの感覚に沈潜していくこと。たとえば音楽に耳を澄ます。一つの雲をずっと眺める。呼吸のリズムの中で走り続ける。弓を的に向けてじいっと推し引きする。動かず、静かに座す。それらは、あらゆる役柄を捨て「ただ在る」という存在そのものへと回帰することでもある。そしてそのゼロ地点から、因縁を見詰め直して、新たにその与えられた役柄を捉え直し、また生き直すことができる。感覚への沈潜において、世界を包み表象する側であった主観が、かえって客観に包み反される点がある。私は無となるが、それは主観の消滅のことではない。それは私が無限の環境に溶け込むという意味で無である。無であるということは、何ものでもなく、また何者にもなれる自由を得ることだ。主客未分ということだ。そこは有と無と同義となる地点なのだろう。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色という般若の智慧もまさにそれだろう。
2011.01.05
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あけましておめでとうございます。すっかり年明けちゃったが、昨年の矢数集計を発表。【2010年 総矢数:1990射 総的中数:1170中 的中率:5.9割】ちなみに一昨年は、【2009年 総矢数:3778射総的中数:1874中 的中率:5割 】的中率は一割弱上がったけど、矢数が大幅減に。。。退職やら引越しやら、色々と節目となる年だったけど、数を引けなくなった一番の原因は育児かなあ。道場から足が遠のいてしまった。でも、もし巻藁を矢数含めればあと500射は増えるかな。今年は三月から僧堂で修行だから、実際弓引けるのは一月、二月しかないやね。。。まあ、立禅から坐禅になると考えれば一緒か。今年は「不射の射」で頑張りたいと思う。
2011.01.05
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