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ニューヨークに住んでいて本当に幸せだな・・・・と思うことがよくありますが・・・今日もそんなことが。 何も予定のない日曜日。ギターの師匠の酒井氏のお友達がウェスト・ビレッジのライブ・ハウスでブランチギグをやっているというので、文字通りブランチを食べに行ってきました。 メンバーは色気は無いものの気の置けない酒井師匠とヤス氏。 何といっても私の場合、アパートを出て地下鉄に乗ると15分で着いてしまう。 日曜の12過ぎ、ブランチを食べに行くのにはもってこいの場所。 レストランの名前は「GARAGE」。レンガ造りのとても雰囲気のよいお店です。店の中は柔らかなオレンジ色の明りが充満していて、しかも音響効果も抜群。 そして、演奏がまたまた最高。 おそらく日本ではありえないようなメンバーのライブを聴くことが出来ました。 (ベース)田中秀彦、(ピアノ)白崎彩子、(ドラムス)田井中福司という超豪華メンバー。皆さん一人ひとりが有名人。 良い雰囲気の中でブランチを食べながら一流のジャズを堪能してきました。 こんなこと人生で何度できるものではないのだけれど、ここニューヨークだと普通の日常の一部として体験できる。 大変充実した日曜の午後を過ごすことができました。後何度ぐらいこのような経験が出来るのかな~
Jan 9, 2006
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リオの第一日目後半です。露店で休憩した後、市営のバスに乗ってCDショップへ。バスの乗り方はサンパウロと同じ。中には車掌が乗っている。バスの行き先によって微妙に値段が異なるようだが、大体2へアイス(約100円)。既にこちらのバスでもサンパウロと同様カードが発達しており、カードをかざして自動的に乗り込むことが出来るようになっているのだが、それでも車掌の制度はなくならないらしい。過去に一度全てカードによる自動化を施そうとした時期があるらしいが、職を奪われてしまう車掌さんたちの猛反対にあって断念せざるを得なかったようだ。何となく頷けてしまう。コパカパーナの街の中にあるCDショップはかなり洗練されたモダンな造り。中に小さなレストランもあり、そこでショーロの生演奏をやっていた。ただで演奏を聴きながらボサ・ノバのCDを物色。少し驚いたのは、日本の小野リサのブラジル版のCDが置いてあったこと。日本のCD(日本語のラベルがそのまま付いている)も少し入っているようだったが、小野リサのものは日本からの輸入ではなく、ブラジル製のものであった。売れているのかな??そういえば、坂本龍一がトム・ジョビンの自宅で録音したといわれるCDもブラジル・バージョンで売られていた。CDショップを出たころには夕方の7時を回っていた。日が少し傾きかけてきた程度でまだまだ明るい。そういえばイグアスにいたときには、ちょうど夜の8時でこれぐらいの同じような明るさであったように思われる。ちょうど一時間分ぐらい東に来たということだろう。これだけ広い国で時間差がないとこのような状態になる。我々はタクシーに乗って一路シュハスカーリア(ブラジル式焼肉であるシュハスコのレストランのこと)へと向かう。本格的シュハスカーリアはサンパウロに続いて二回目だ。ポルコンはかなり近代的でモダンな、数百人は収容できそうな大レストランであった。予約の通り海の見渡せる窓際の席に案内された。ちょうど日が暮れてきており、空の色がオレンジから薄いブルーに、そしてゆっくりと黒く変わっていくところであった。この夜景が最高。遠くにライトアップされたポン・ジ・アスーカルが見える。まずはシュハスコに必ず付いているサラダバーで前菜を物色。ここでは驚いたことにサラダと並んで「にぎり寿司」がおいてある。後でガイドの方から聞いた話だが、リオでは日本人が食べる寿司が「健康にいい」ということでかなりはやっているらしい。さすがに我々は寿司を避けたものの、地元の人達は大きなとり皿に結構な量の寿司を盛りつけていた。飲み物はもちろんカイピリーニャ。アルコールが飲めず常にグァラナ・ジュースを飲んでいる森崎氏には申し訳ないが、この甘い酒が結構気に入ってしまった。暑い気候にはちょうどこの甘さが合うようだ。カシャーサ(サトウキビで作られた酒)の匂いとライムの香りの溶け合いもなかなかのもの。肉はいうまでもなく美味い。この美味さはサンパウロもリオも同じなのだ。日本やニューヨークでは絶対に食べることは出来ないだろう。久しぶりに(ピカーニャと言われる肉の部位を中心に)自分でも驚くほど食べまくった。店の中では、数人から十数人のパーティーがいたるところで開かれていた。これは日本でもアメリカでも同じなのだが、誕生日のパーティーだと従業員がケーキにロウソクを灯してそのテーブルに集まり「ハッピーバースデー」を歌ってくれる。ただ、ポルトガル語のハッピーバースデーを聞くのは初めて。(我々が食べている間に二回ほどそのような場面があった。)そうかと思えばギターを持ち込んで順番に歌を歌っているグループがいて、ちょうど我々が店に入ってから店を出るまでずっと歌い続けている。我々としてはただで良いBGMを聞くことが出来、得をした気分。とにかく陽気なのだ。また、ピカーニャの肉ばかりを食べながら常にイチャイチャしているカップル。あるいはアメリカの老人の団体観光客といった様々な人種たちの集う美味しく楽しいシュハスカーリヤなのであった。サンパウロに引き続き今回のシュハスコも十二分に満足して店を出、またタクシーに乗り込む。次はいよいよイパネマの「ビニシウス」というライブハウスでボサノバの生演奏を聞く。ビニシウスとは「Vinicius De Moraes」という「Garota de Ipanema」(イパネマの娘)というあまりにも有名な曲を始め、ボサ・ノバの多くの曲の作詞をした著名人である。この人が亡くなったときに店の向かいにあるGarota de Ipanemaというレストランと並んでいる道が「Rua Vinicius De Moraes」、まさしく「ビニシウス・ジ・モラエス通り」と名づけられた。そういえばボサ・ノバのもう一人の巨匠、作曲家でも知られるアントニオ・カルロス・ジョビン(愛称トム・ジョビン)の場合は、死後国際空港であるガレオン空港の名前に「アントニオ・カルロス・ジョビン空港」という愛称をつけることになったという。ニューヨークにもラガーディアやJFKといった名前が空港につけられているが、全て政治家。ボサ・ノバの巨匠達の名前が空港につけられるというのはいかにもブラジル(いや、リオというべきか)らしくてうれしくなってしまうではないか。それに、今回の旅行の動機になったのがなんといってもボサ・ノバ。ついに本場の生演奏がこれから聞けるのだ。この「ビニシウス」というライブハウスでは午後9時半から前座が始まり、10時半からメインイベントが始まる。ただ実際にはそれぞれ30分程度遅れて始まるので、終わるのは零時過ぎぐらいになる。我々はちょうど前座のオジサンが演奏している最中に店に入った。時間は10時過ぎ。まだ、客はちらほらしか入っておらずステージがよく見える絶好のテーブルをキープ。バーカウンターを入れて全部で60人ぐらい入れば満員の店だったが、店内の装飾・明るさ共々雰囲気は最高で申し分ない。前座のオジサンはギター一本で主にジョビンの歌を歌っており、なかなかいい雰囲気をかもし出している。やはりボサ・ノバといえば、人によって歌い方に感情の込め方が多少違うものの、ジョビンとビニシウスのコンビで作られた歌が主流のようであった。それに私のような初心者では、何度も聞いたことのあるこのコンビの歌が流れると「どの曲か?」すぐに認識できるということもあり、何だかうれしくなってしまうのであった。この前座のおじさんは結局11時前ぐらいまで歌い続け、最後に自分のCDの宣伝をして演奏を終えた。店の方はちょうど10時半ぐらいから混み始め、11時過ぎにメインのおばちゃんが歌い始める頃には超満員の状態。店に来ている客の大半はリオの地元の人たち。我々のような観光客は少ないようだ。ただ、アメリカがサンクス・ギビングの休みであることもあるのだろう。我々を除くとアメリカから来たオジサンとオバサン連中のグループが一組はしゃいでいた。メインで歌うオバサンはギター、エレキベース、ドラムスをバックに、その体格に合わせた声量でしっとりといい歌の数々を聞かせてくれた。店の中全体が盛り上がるような工夫も忘れてはいない。観客がリズムパートを口ずさめるように指導もするのだ。これぐらいの大きさの店だとちょうどいい感じでステージと観客の一体感が出るというもの。このオバサンの歌の中で一番盛り上がったのは「ディサフィナード」。やはりジョビンとビニシウスのコンビの歌だった。ニューヨークでもこのような店が出来ないものだろうか?大人のお客さんには好まれると思うんだけどなあ・・・資本さえあれば是非やってみたいところである。ボサ・ノバやスローなジャズは万人の心を癒してくれるはず。どうしてニューヨークにはこのようなライブハウスがないのであろう??これだけ聞かせてもらえれば、ミュージックチャージの30へアイスも安く感じる。(日本にはあるのかなあ??)零時半ごろ、店を出てタクシーに乗りホテルへ。さすがに平日の夜中なのでイパネマの街も人通りは少ないのだが、それでも通りの簡易居酒屋では多くの人達がショピ(生ビール)を傾けながら談笑している光景が目に付いた。明日も仕事なのに・・・何とエネルギッシュな街であることか。ホテルに到着し、一風呂浴びてから私はカシャーサ、森崎氏はグァラナ・ジュースを傾けながら今日の一日、特にライブハウスで聞いたボサ・ノバの印象を語り合いながら夜中の2時過ぎまで興奮を鎮めつつ眠りに付いた。
Dec 5, 2005
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友人と約10日間にわたってブラジル旅行に行ってきました。 日中の気温が35度を超える世界から寒いニューヨークに帰ってきてはや一週間。 溜まっていた仕事やら何だかんだであっという間の一週間でした。ヤスさんはもうブログに色々書き始めているご様子。 私も「旅日記」一応完成しましたので、少しずつUPして行こうかな?と思ってます。サンパウロ、イグアスの滝、そしてリオに行ったのですが、最後に訪れたリオについての記録を徐々にアップしていきます。お時間のあるときにでもどうぞ。「そしてボサ・ノバ発祥の地、リオ・デ・ジャネイロへ」(11月22日、火曜)順調に約1時間半の飛行を終え、無事にリオへ到着。到着前にリオの上空を飛んだのだが、天気がよかった所為もあり大きな湾になっている地形がよくわかった。海と小高い山が奇妙な地形を形作っている。ちょうど日本の東京湾に架かる「東京湾アクアライン」のような長大な橋が見える。到着後我々が向かおうとしているコパカパーニャの海岸もイパネマの海岸もこの湾の中なのである。空港からタクシーに乗りホテルへ。高速道路を通るのだが、途中に料金所というものがない。そういえばサンパウロでもなかった。この国の高速道路は基本的に無料なのだろう。しかし、何度も渋滞に出くわすのには閉口してしまう。ただ、運転手は何の苛立ちもなく淡々と渋滞に巻き込まれていく。おそらく都市部の渋滞は当たり前なのだ。リオでも主要な交通手段は車とバス。地下鉄もあるようだが基本的には車しか移動手段がない。車の種類は、サンパウロに比べると日本車、アメリカ車が多少多いようだ。また、小型車ばかりでなく中型車も結構走っている。とはいうもののやはり主流は欧州製の小型車。日本車やアメリカ車はマイナーなのであった。今回リオで泊まるホテルは「ソフィテル」というフランス系の資本が入ったホテルである。場所的にもちょうどコパカパーナとイパネマ海岸の中間地点にあり、便利なことこの上ない。今回はホテルの選択も森崎氏に一任していたのだが、さすがプロのなせる業である。明日はガイドさんに観光名所を案内してもらうことになっているので、本日はコパカパーナの海岸とその沿岸の商店街を散策することに。ホテルを出る前に、コンサージに今晩のレストランの予約をお願いした。ホテルのコンサージを上手く利用するというのは初めての経験。森崎氏のようなプロであれば当然の事なのであろうが、素人の私はただただ感心するのみ。大手のホテルでは必ず英語が通用する。コミュニケーションも楽なのだ。ホテルの従業員や観光のガイドの人達は必ず名札、あるいはネーム・カードにどの国の言葉が話せるか?という目印を入れている。一目でどの人に話をしたらいいのかがわかる仕組みが出来上がっている。予約したのはポルコンというシュハスカーリアのレストラン。リオ市内のチェーン店の一つだが、予約したのはフラメンゴ海岸沿いに立っている観光名所にもなっている店。抜け目のない森崎氏は「海の見える席を・・・」と厳しく注文をつけていた。やはりプロなのだ!ホテルを出ると道路を挟んで目の前にコパカパーナの海岸が広がっている。ホテルはちょうど海岸の南の端に位置しているので、海岸に出たとたんに北の方に広がるコパカパーナ一帯が一望できる。海岸線は全長5Km。白い砂が美しい海岸である。平日、火曜日の午後4時過ぎということもあり、人で混み合っているわけではなかったが、それでも家族連れや観光でバカンスを楽しむ人、地元の子供たちで賑っていた。海岸の波打ち際を歩いていると、ひっきりなしにもの売りが近寄ってくる。大体ジュース等の飲料、アイスクリーム、砂浜で寝転ぶための敷物、サングラス、何だか中身のわららないお菓子・・・。いちいち「ナゥン・オブリガード。(ノー・サンキュー)」といって追い返さないといけないので、はじめのうちは「煩わしい」と思っていたのだが・・・慣れてくると不思議なもので「これも一つの風物だなあ」なんていう気分になってくる。別段危険は感じない。観察していると地元の人たちは、こういった物売りから結構色々なものを買っているようだ。アメリカからの旅行者は間違いなくこのような物売りが大好きだろう。まあ、そういった背景があってこのような商売も成り立っているのだろう。このような物売りで生計を立てている人々も多いということだ。海岸線の真ん中辺りで、街の中へ突入。街自体も海岸に沿って広がっている。海岸からすぐのところに山が迫っていることもあり、細長い街である。コパカパーナで最も賑やかな商店街をウィンドウ・ショッピング。サンパウロと同じく街の中は活気に満ちあふれている。ただ、サンパウロと異なっているのは道行く人々は明らかに褐色と黒人の比率が多いこと。気温も明らかに高い。ほとんど真夏だ。その分更に活気があるように思えてくる。街全体がリズムに乗って動いているような錯覚に陥る。商店街の様子は(活気という点を別にすると)ちょうど60年代後半の日本のような雰囲気である。それぞれの専門の店が立ち並び、ところどころにシュペル・メルカド(スーパー・マーケット)がある。さらにランショネッチと呼ばれる簡易食堂がいたるところにあり、パステウやパンのようなものを売っている。おそらく夜はこのランショネッチが居酒屋のようになり、街の人々がたむろしてショピ(生ビール)を飲みながらおしゃべりに花を咲かせるのであろう。とにかくカリオカ(リオ生まれの人たちのことをこう呼ぶ)たちはおしゃべりが大好きだそうだ。我々は一軒のシュペル・メルカドに入ってみた。まあ、スーパーの中の構造は世界中似たような作りなのだろう。一目すれば大体勝手はわかってしまう。ただ、肉の豊富さは日本と比べ物にならない。さすがである。一つの棚に日本の日清のラーメンが所狭しと並んでいるのには降参してしまった。ニューヨークのスーパーにも日清の「トップ・ラーメン」なるものが売られているが・・・ここブラジルでも日本の即席ラーメンは健在なのだ。やはりラーメンは「すし」と並ぶ日本の代表的な食品なのであった。シュペルでお土産にする菓子類を買い込む。結構有名なチョコレートなどなど。空港で買うと、たとえ免税だとしてももっと高いのだそうだ(という森崎プロの話である。後日帰国時に空港の免税店に立ち寄ってみたが、まさしくその通りなのであった。さすが森崎プロ。)再び海の方に出て、夕方のコパカパーナ海岸沿いの舗装された道を北に向かって歩く。ほぼ北端に近いところで露店の一つに入り、セルベージャ(ビール)を飲む。露天といっても大きな日よけの傘の下にあり、椅子とテーブルを提供してくれる。簡単なものだが土地の人々も観光客もくつろいでいる。約30分ほどリオの海岸の風に吹かれながら夕方のひと時を楽しんだ。この露店で休んでいる間もひっきりなしにもの売りがやってくる。その中で面白かったのは「靴磨き」。我々は波打ち際を歩くこともあり、サンダルを履いていたのだが・・・このサンダルのどこを「磨く」というのだろう??理解に苦しむ一場面であった。あと、紙をソフトクリームのコーンの様に巻いて、その中にピーナッツを入れたものもよく売りに来た。セルベージャを飲んでいたので少し気持ちが動いたのだが・・・まあ、買うのはやめておいた。この海岸沿いの露店の名物の一つは、おそらくココナッツ椰子の実のジュースであろう。どこの露店でもココナッツの実が山積みになっている。これは実の上の方をナタのような刃物で切り開き、ストローを入れて飲む。残念ながら試す機会がなかったので美味いのかどうかわからないが、一個が1.5へアイス。大体80円程度。おそらく安いのではなかろうか?更に驚いたのは、実の中のジュースを飲み終わった後、多くの人が中の白い実(おそらく脂肪の部分)を食べていること。様々な国のリゾート地域でこのココナッツの実のジュースを飲んでいる場面を見たことはあるが、中の白い脂肪の部分を食べているのを見るのは初めてであった。
Dec 4, 2005
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日本での出張を終えて帰米してからはや一ヶ月。この一ヶ月の間、平日はほぼ毎日のように仕事関係の夕食(要は接待等)が続き、休日も友人達との集まりが続き・・・結構へたってました。ふと気がつくと、もう冬ですね。来週はサンクス・ギビング。アッパーウェストからセントラルパークの西側を通り、ブロードウェイを34丁目のメイシーズの前まで行進するパレードが有名です。このパレードの一番最後にソリに乗ったサンタクロースが現れて、「ホリデーシーズンの始まり」をニューヨーク中に宣言する。これから街もどんどん華やかになって行きます。寒くなるけれども・・・私の好きなシーズン。と、本格的なホリデーシーズンを迎える前に、本日から約一週間。友人とブラジル旅行に行って来ます。サンパウロ、イグアスの滝、リオ・デ・ジャネイロ、楽しみであります。ブラジルは春真っ盛り。チャオ!
Nov 16, 2005
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日本へ約2週間出張しNYに帰ってくると・・・本格的な秋。9月の末にNYを発った時はまだ半そでのポロシャツで過ごしていたのだけれど、なんとも肌寒く、空気も乾燥していて・・・気持ちいい!日本では、休日以外は仕事に追われ続けていたのだけれど、それでも家族と一緒に過ごすことが十分に出来た。今、NYに帰って部屋の中に一人でいると・・・何となく寂しいなあ~日本では秋雨前線にたたられて東京方面はほとんど曇天か雨だった。さすがに帰国直前には気温は下がってきていたのだが、それでも湿気が多くて・・・NYの乾燥した空気に慣れてしまった体は知らず知らずのうちにジットリト汗ばんでいたものだ。JFKから家に帰る途中、セントラルパークの真ん中を車で突っ切ったのだが、心なしか木々の緑が黄色くなりつつあるように思えた。こちらはもうすぐハローウィン。昔のユーミンの「ハーローウィン、林檎の匂いと風の国・・・」という歌がよく似合う季節だ。
Oct 17, 2005
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フミさんからバトンをいただきました。「夢」について。「夢」とは直接関係ないかもしれませんが、「夢」を実現させる方向で、小さなことでもいいから、常に心の中に「ワクワク」するものを持っていたいですね。そういう意味では、いつもできるだけ自分を前向きに駆り立てるような「夢の実現に向けた情熱」のようなものが欲しいところ。でも、そもそもの夢があまりにも現実的で・・・まっ、下記の通りです。Q1.小さい頃、何になりたかった?小さい頃といっても・・・年齢と共に色々と変化していきましたね。歳をとるごとに夢が現実的なものになって行ったような気がする・・・一番古い記憶では、「カーレーサー」か「タクシーの運転手」要は車を運転したかった!ということです。幼稚園の頃、いつも粘土で車を作ってました。Q2.その夢は叶いましたか?「車を運転する」という意味では叶いました。レーサーに離れなかったけど・・・ハンドルを握るとレーサーになったような気分になる??(てことは、今はなくなりました・・・昔は?)Q3.現在の夢は?・ ギターを自在に弾きこなせるようになること。こじんまりしたコンサートが開けるぐらいになればなあ~(何時のことやら)・ 趣味で水彩画を描き、それなりの画風をもてるようになること(まず描かないとダメですな)。・ 今の会社の定年後も現役で働き、且つ夫婦で年に3~4回海外旅行できるような身分・健康状態になること(かなり近い将来に近づいてきたな・・・トホホ)。Q4.宝くじ3億円当たったら?まず、借金の返済(日本の自宅を購入したときの借金がまだ残ってます)残ったお金は、とりあえず日本円、米ドル、ユーロ、そして一部のマイナー・カレンシーに分散投資。徐々に使い道の戦略を練ります。すぐに会社辞めたりすると、頭がボケそうで怖いですね。Q5.昨晩みた夢は? よく覚えてません。最近よほどインパクトのある夢を見ない限り・・・ほとんど覚えていないですねえ。Q6.この人の夢の話をきいてみたいと思う5人は?そりゃ色んな人の夢を聞いてみたいものです。まあ、バトンは適宜。
Sep 23, 2005
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ちゃこさんから「何だかよくわからないバトン」を受け取ってしまいました。 記憶をたどりながら・・・ 1.今のパートナーとのはじめてのキスはいつ?どこで? 確か車の中だったと思う。 会社の同期入社で半径2メートルのところで彼女(うちのカミサン)も働いてましたが、私が東京に転勤して・・・ それから半年後、彼女が東京に遊びに来ました。もちろん私が案内役。 その縁で翌年帰省で大阪に帰ったとき、初めてデートしました。 実は、大阪で同じ職場で働いているときは・・・私は他の女性と付き合っていて・・・ 後はご想像にお任せします。 2.はじめての2人で見た映画は何? 「トップガン」 大阪で見ました。 会社の後輩が、どうしてヒロキンさんが大阪にいるのだろう・・・東京に転勤したはずなのに・・・・ 目撃されていたんですね。 3.はじめて食べさせた手料理は何? よく覚えていませんが・・・結婚してからのことで、おそらくお好み焼きかすき焼き。 4.はじめてのプレゼントは? ティファニーの「オープンハート」 確か、銀座の三越で買ったような気がする。 5.はじめてみたときの感想は? 職場が一緒になる前。大阪方面で「同期会」(彼女は同期入社です)をやったときに、「かわいいこやな・・・(大阪弁)」と思った。(その時は「思ってだけ」) 6.はじめてのデートは? 付き合う前、彼女が東京に遊びに来たときは、「新宿」 でも、本当の意味で初めてデートしたのは、神戸の「ポートピアランド」(もう亡くなってしまった・・・哀しい) 7.一番思い出がある場所は? 下田。 結婚してから、初めて旅行に行ったところ。会社の保養所がありました。 その時既に彼女は長男をお腹に抱えていたのですが、卓球をやって見事に負けたのをよく覚えてます。(「彼女は高校時代卓球部だった!」ということをその時初めて知りました。) 何だか普通ですね。 結婚してからもうすぐ18年。 その内ニューヨーク生活(一緒にいた)が6年。(単身が追加で3年)。 思春期の子供達を相手に日々格闘しているようです・・・ 来週、出張で日本に帰ります。 久しぶりに家族と会うのが何よりの楽しみ♪ 確か類似のバトンがあったと思うので・・・ まあ、このバトンは適宜。
Sep 23, 2005
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昨日はマンハッタンで「ブラジル・フェスティバル」が開催された。ちょうど6th Aveのストリートフェアと合い混ざって、6th Aveの57丁目から42丁目のあたりは、歩くこともままならないような人だかりであった。特に46丁目界隈はもともとリトル・ブラジルといわれている。このあたりを中心にいたるところでサンバのリズムが流れ、リズムを囲むように人々が踊っていた。何とも猛烈なパワー。ブラジルのみなぎるパワーというものを目の当たりにした。 その中で食べたフェイジョアーダ(豆を煮込んだもの)が、また最高。先週は何かとバタバタして、ブログを書き込むよううが無かったのですが・・・レイバーディの三連休の真ん中を気分よく過ごすことができました。今日はこれから空港へ向かいます。先日中止せざるを得なかった出張。ルクセンブルグへ行ってきます。今週末にはまたニューヨークへ舞い戻ってくる予定。ヨーロッパはもう秋かなあ?では、戻ってきたら、また。
Sep 5, 2005
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ハリケーン「カトリーナ」が通り過ぎ、ようやく被害状況が判明しだした。この台風で亡くなられた人の数は130人を越える模様です。もともと今週の日曜日。「ニュー・オリーンズの市民に対して避難命令が出た」というニュースを聞いて、「さすがアメリカだ。手回しがいい。日本ではこれだけうまくいかないだろう。」などと・・・どちらかというと政府の手際の良さに感心しながらテレビを見ていた。しかし、これだけ十分な体制を事前に敷いて身構えていても、被害は大変なものになっている。避難した人々がまだ帰ることにできない被災地の中心ニュー・オリーンズでは略奪が横行。治安は最悪の状態のようです。また、避難期間が長期化するに従い避難所のトイレの問題、飲料水の問題等が徐々に顕在化してきているという。その一方で、冠水した市街地の水位はいまだに上昇しているらしい。現在も命がけで戦っている人たちが数多くいらっしゃるということです。やはり自然の驚異、都市の脆弱性、危機的状況の中における人間の無力さ・・・というものを実感してしまいます。既に原油価格の上昇等経済活動にも大きな影響が出てきている様子。とにかく、これ以上被害が広がらず、早く収束する方向に動いてほしいと願うだけです。このような災害時にいつも思うのですが、・・・「何とかならないか」「何とか貢献したい」と思っている人々が数多くいるのは事実です。しかしながら、実際にこれら難局への対処策・救済策に関係して、個人で具体的にできることというのは非常に限られている。いつも無力感を感じてしまいます。結局、口だけ動かして何もしない評論家のようになってしまう。今の私もそんなもんでしょう。しかし、同様の規模の災害がニューヨークで発生したら・・・と考えるとさらに恐ろしいですね。いや、それより、本当の意味で「いざ」というときの心構えが全くといって良いほどできていない日本で発生したら・・・
Aug 31, 2005
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この日曜日。会社の従業員の息子さんが拳銃で撃たれてなくなりました。ハーレムでの出来事です。息子さんは19歳。どのような経緯で撃たれたのか?もともとどのような生活をしていたのか?等の詳しい話は知りません。こちらでは各従業員のプライベートな部分に立ち入ることはほとんどありませんので・・・ただ、被害者の父親である私の仕事仲間は、まじめで実直な人間です。おそらく、日本で同じような事件が発生すると、結構大きく報道されていたことでしょう。でも、こちらではどちらかというと日常茶飯事に近いんでしょうね。テレビのニュースでは報道されませんでした。80年代や90年代の初めの頃に比べると犯罪が激減したといわれるニューヨークですが、それでもガン・シューティング、レイプ、強盗といった犯罪は後を絶ちません。テレビのニュースでこれらの事件を見ている分には、残念ながら「他人事」の域を出ないのは事実。でも、身近にこのような事件が発生すると、身につまされますね。そして、なんだかんだ言いながら、自分は今ニューヨークで生活している。あまり危機感を持って生活している訳ではないですし、これからもその生活状態が変わるわけではない。そういえば、ジュリアーニが市長になってからニューヨークの犯罪件数が激減したとよく言われてます。今のブルームバーグ市長も基本的にジュリアーニの政治路線を踏襲していた。市長が変わるだけで街の環境が大きく変わってしまう、というのも考えてみると少し恐ろしい。今年は、また市長選挙。どうなるのでしょうね?
Aug 30, 2005
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二人掛けソファーの両端の肘掛のような場所に、それぞれ頭と足を乗せて・・くつろぐ体制が大変リラックスできて気に入ってます。特にこの10年ほど、同一のソファーで同一のかっこをして本を読んでいる。最近では、仕事から帰ってきて、ソファーの上でその体制で寝転がってしまうと・・・食事もせず、シャワーもかからず、何もせずに寝てしまうことが多々ある。休日の昼間など、その体制で本を読んでいると、極めて満足のいく昼寝ができてしまうこともあります。しかし、歳のせいなのか?どうなのか?よく分からないのですが・・・この2週間ほど土日の週末に連続12時間以上ソファーの上で、その体制で本を読んでいたのです。先日、バカ息子が日本から持ってきてくれた本をむさぼるように読んでいたのですが・・・どうにも腰にきてしまいました。実は、この10年の間に2回「ぎっくり腰」をやったことがあるのです。2回目をやったときには、専門医に行って各種検査をし、背骨に繋がる腰の骨の一部がネジレテイル?ということが分かっていました。で、今回もその部分が傷んでいるということは十分に考えられました。じっとしているときは問題ないのですが、動いていると常に(少しだけ)神経に障る痛みが走る。歩いていても痛い・・・今回はソファーで寝転がって本を読んでいただけなので「ぎっくり腰」ではないのですが・・それに「痛み」の度合いは「ぎっくり腰」とは比べ物にならないぐらい小さいものなのですが(「ぎっくり腰」だと、動けません)・・・それでも痛みの種類が「ぎっくり腰」に近いものがあったのです。これは筋肉の問題ではない・・・とにかく骨、椎間板、そして神経の問題なので、マッサージとか指圧といったものでは通用しそうもなく、昨日「カイロプラクティックの専門医」のところへ行ってきました。レントゲンの結果は本日明らかになる予定ですが、なかなかの名医のようで??昨日の触診等で、(自分でも認識している)腰骨の一部のねじれの問題について言及されてしまいました。さらに恐ろしいことに、首から背中にかけての背骨の一部もかなり痛んでいると・・・治るとは言われているものの・・・恐ろしい。そして何よりも、あの体制で本を読んでいるだけで、腰が痛むというのは・・・困ったことだ・・・・
Aug 24, 2005
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映画バトンというものがあったようです(YOKOさんが書いておられました)・・・別に指名されているわけでも無く、何も関係ないのですが・・・そこはかとなく映画にまつわる思い出等々書きつくってみたいと思います。私が中学、高校、大学のころ、やはり日本の映画界はかなり下火だったんでしょうか。(大体70年代ですね)せいぜい大学時代に「天平の甍」見たことしか記憶にありません。社会人になってから・・・「時をかける少女」なんてのを見た記憶はあるんですが・・・ しかし・・・特に中学・高校の頃・・・音楽の世界でもラジオでは、リクエスト物のベストテンといえば、日本のフォークソングと共に、シカゴ、カーペンターズ、ミッシェル・ポルナレフ・・・イーグルス等々の名前が混ざっていましたからね。洋物かぶれの世代だったのかもしれません。 しかし、映画館に行くのは一人でいくということは滅多になかったなあ。いつも誰かと一緒に映画を観ていました。いや女性とともにという意味ではなく・・・友人(達)と一緒の方が多かった。ゴッドファーザー、燃えよドラゴン、ポセイドンアドベンチャー、タワーリング・インフェルノ、エマニエル夫人、ロッキー・・・ そういえば女性と一緒に言ったのは大学に入ってからが初めてだった。結婚する前にカミサンと一緒に観に行ったのは・・・確か「トップ・ガン」だったような気がする・・・違っていると怖いので、今更確認できませんが・・・1、自分の心に残っている映画というものを思いつくだけ書きのべてみたいと思います。・「ローマの休日 」「映画って面白いんだ」ということを始めて認識した映画。中学のときに見て感動しました。中学生ながらにヘップバーンはいい女だ!と思いましたね。 ・「サウンド・オブ・ミュージック」ミュージカル形式のものに初めて触れた。ジュリー・アンドリュースがきれいだったのと、音楽が映画の中に溶け込んでいてミュージカル形式の映画というものを初めて知った。 ・「チャップリンの独裁者」学生の頃に初めて観ました。差後のチャップリンの演説に不思議なくらい感動したのを覚えています。・「ロッキー」高校3年の時。友人達と観に行きました。「よーーーし、受験勉強、がんばるぞ!」という気概が出来たのと・・・何故か一生懸命「腕立て伏せ」をやり始めたのを覚えています。・ 「ドクトル・ジバコ」生まれて初めて「インターミッション」のある映画を観ました。 ・「十二人の怒れる男」確か・・・高校時代に学校で見た記憶があります。この映画を見たとき、論理的な思考力、説得力、絶対にあきらめないという前向きな情熱、といったものに憧れを抱くと共に、人間の持つ印象とか認識というものがいかに浅はかなものか?ということを思い知らされたものです。まだ陪審員制度というものを知らなかった私は、漠然と大学の法学部に進みたいと思ったものでした。確かヘンリー。フォンダが出演していたはずです。 2、この2ヶ月ほどの間に見た映画。スターウォーズ 3バットマン・ビギンズファンタスティック・フォーチャーリーズ・チョコレートファクトリー 3、手持ちのDVD「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ「ハリー・ポッター」シリーズ「宮崎駿」シリーズ「マトリックス」シリーズ「スターウォーズ」シリーズ自分ではあまり映画を観ていないほうだと思っていたんですが・・・意外と観ているものですね。他にも東宝や東映の子供向けの映画やゴジラシリーズ、ガメラシリーズなんていうのもよく観ていました。子供たちが小さかったときは、ドラえもんシリーズ、ポケモンシリーズなんかもよく観ましたよ。私の場合・・・自分で書きながら・・・要は無節操である!ということが良くわかりました。
Aug 23, 2005
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普段読む活字といえば・・・一番多いのは新聞。その次が小説、時事問題を扱う論説、ネット上のニュース、そしてブログ。雑誌も少々・・・といったところです。その中で新聞、論説、ニュースといった類は自分の日常の仕事を中心とした生活の食料みたいなもの。それなしでは生きていけない。そして小説はビタミンのようなもの。おそらく人によって違っていると思います。小説が食料になっている人もいるはず。ただ、私にとってはビタミン。毎日必ず食べないといけないものではないけれど、無くては生きていけない。自分の人生を豊かにしてくれるもの。論説やニュースでも、書いている人の人生がその背景にあって必ずその人の主観的なものが密かに注ぎ込まれていると思う。とは言うものの、事実を客観的に伝えることがその目的であり、作者の主観は表面に出てくることは稀。しかし小説は作者の主観が更に色濃く滲み出てくる。書いてある通りの人生経験を送っている人は少ないとは思うものの、自分の人生経験、あるいは日々の生活で気が付いたこと、自分が見聞きしたこと等に基づいたストーリーの展開があるはずです。そして・・・先日ふと気が付いたんですが、自分がよく読んでいる小説は今の自分と同じ世代の人が書いているもの、自分よりも明らかに年上の人が書いているもの(故人を含む)、そして昔の人が今の自分と似たような歳に書いたもの・・・が多い。おそらく自分の日常生活と比べてみて共感することが多いからだと思われます。そして結果として、自分の読むものに偏りが出来てきてしまう。今日、そういった自分の偏りから少しはみ出た小説を読み終わりました。真名耀子さんの「かつてのコイビト」。おそらくブログで作者ご本人に出会っていなければ読んでいなかったかもしれません(YOKOさん。すんません)。おそらく30歳前後の女性をターゲットとした読者層を持つ雑誌の連載なんかだと物凄くファンが広がるんじゃないかな・・・と思いました。小説のキーとなっているモチーフが何とも女性的。結婚指輪、クリムトの絵、表札・・・なかなかかわいいんですね。小説の中に登場する男については感想を避けるとして・・・年頃の女性は三人出てきます。人間誰でもそうですが、やはりこの三人もそれぞれその人生に、過去と現在とそして将来がある。みんな自分自身の過去を振り返りながら現在の自分を見つめている。ただ、一人だけ(主人公)過去の記憶に縛られて今の自分と将来の自分に対して上手くコントロールできないでいる女性がいる。将来の自分についても過去の延長線上で・・・思わせぶりな形でストーリーが終わっている。上手いですね。作者もそれぞれの女性に、それぞれの思い入れがあると思う。おそらく30歳前後の女性であれば、三人の女性の生き方や考え方の一部、あるいはかなり多くの部分で共鳴するものがあるのではないかと思います。性別も年齢層も違っている私の場合、現在のその年齢層の様々な女性の考え方を知る手がかりになりました。もちろんこれらのパターンだけというわけではないでしょう・・・人それぞれですから。三人の女性それぞれが、「で、これからどうなるの・・・?」という思わせぶりな終わり方をしているので、余韻も十分。一方で、内容は決してそうではないのだけれど(私の主観です)、読後感は爽やかでした。自分の日常生活ではあまり手に取ることのない小説であった分だけ、自分にとって新鮮でした。そして何より面白かった。一気読みでした。お陰で少しは年頃の女性のものの見方を垣間見ることが出来たのかも・・・そんなことは無いか・・・小説に出てくる女性達と同年齢層の女性が読むのは当然の事として、私のようなオヤジ族も読んでみてはいかがでしょう。
Aug 18, 2005
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約2週間、息子が日本から遊びに来ていました。まあ、遊びとはいうものの一応一週間は毎日約5時間にわたって英語の勉強。全く日本語が理解できないこちらの方にぶっ続けで教えていただきました。その成果があったか無かったか?少しはヒヤリングが出来るようになったようです。いやー、しかし、17歳という食べ盛りの若者と食生活を2週間共にすると、自分がいかに食べられなくなってきたか(歳のせい)、そして食べた分だけ贅肉に変換されてしまうのか?がよくわかる。とにかく夕食はほとんど外食。日本、韓国、中国、スペイン、イタリア、ブラジル、アメリカン(ステーキ)、フレンチ。味がわからず量で勝負する世代にもったいないかも?という気持ちもありましたが・・・とにかく食べまくりました。友人たちにも大変お世話になってしまいました。本当は21歳以上でないと入ることが出来ないロックのライブハウスに入ってみたり(IDも無しでどのようにして入ったのか?秘密です??)、コニーアイランドへ連れて行ってもらったり。とにかく本人には良い経験になったのではないかと思います。まだまだ英語でのコミュニケーションはほとんど出来なかったのですが、今回様々な人達(私の気の置けない友人達。要は彼の倍以上年を取っている人達?)と一緒に食事をする機会が相当あったにもかかわらず、あまり物怖じせず、割としっかりした会話ができていたように思う。自分の高校時代よりも自己主張できていたかもしれません(親バカです)。しかし、彼のペースで生活していると、体力が持たないことがよくわかりました。何だか歳を感じてしまいますなあ~若いのが日本に帰るのと同時に日本から出張者が来たりして・・・とにかく8月の前半はあっという間に過ぎてしまい、気が付くとお盆・・・そろそろ自分の生活も通常モードに戻さないと・・・少し夏ばて気味だなあ・・・
Aug 16, 2005
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26日、スペースシャトル「ディスカバリー」号が無事宇宙に飛び立っていった。「コロンビア」号の事故から約二年半かかったことになる。あの時はかなりの衝撃を受けたものだ。テレビの画面に映し出されている「バラバラに飛び散っていくシャトル」を呆然と見詰めていた。確か、当日リンカーンセンターで開かれたNYフィルのコンサートでは、はじめに観客全員が黙祷を奉げたことを覚えている。今回日本人で参加している野口さん。彼は高校生の頃から「宇宙飛行士」を目指していたという。やはり「夢」は追い続けるもんですね。新聞記事によると、彼は今40歳。そして、今回のシャトルのメンバーの中で一番若いらしい。なんと最高齢は53歳。そして平均年齢は47歳。おそらく、シャトルに乗り込むということは、「気力」「体力」「知力」「判断力」といった面で相当厳選されて、尚且つ想像を絶する訓練に耐えてきた人たちなのであろう。ある意味で人類を代表している。その人たちの平均年齢が47歳・・・うれしくもあり、頼もしくもあり・・・そして、なんとなく「俺もまだまだ・・」と思わせてくれました。今朝、ニュースで「シャトルの打ち上げ時に機体の一部が脱落した」というニュースをやっていた。大事に至らないことを願うと同時に彼らの健闘を祈りたい。とにかく無事に帰ってきてほしい。
Jul 27, 2005
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去る7月19日。NYフィルの野外コンサートが開催されました。(ふと気がついたら、一昨日のことになっていました。)当日の天気予報は「雷雨」だったのですが、何とか持ちましたね。ただ、セントラルパークの芝生の上は相当の湿気でした。演奏する側のコンディションとしては最悪だったでしょうね。ものすごい湿気の中。それに何時雨が降り出すか分からないような天気。(特に木で作られた楽器たちは・・・悲鳴を上げていたことでしょう。)私は、ギター仲間と一緒にセントラルパークに突撃しました。当日の演目はドボルザーク。その中でも目玉だったのが「新世界より」。これはもともと大好きな音楽だったのです。前にどこかで書いたことがあるのだけれど、ボストンに出張で行った際、たまたまボストン・シンフォニーの演奏を聴く機会があって・・・いまだにその時の感動がよみがえってくる。英語名は「From the New World」。要はドボルザークがチェコからアメリカにやってきて、そして祖国に向けて音楽の手紙を届けたというような背景で作曲されたもの。たしか、第2楽章で、よく小学校の下校時に流れてくる音楽が流れてくる(「家路」??)。そのため、大概の日本人なら・・・この音楽を聞くと、「ああ、あの音楽ね!聞いたことある!!」とすぐに分かります。ただ、会場があまりに広すぎて・・・ちょうど79~86丁目の辺りの芝生(グレート・ローン)の上。東にメトロポリタン美術館、西に自然史博物館といった場所。とにかく広大な場所で、膨大な人数の聴衆だった。だから、残念だったのは、巨大なスピーカーも入っていたけれども、「小さな音で聞こえるBGM・・・」という感じでしか聞けなかったことだ。(指揮者のマゼールの姿を肉眼では確認できなかった・・・)主要目的の音楽はBGM程度だったものの、周りの雰囲気は「みんな芝生の上でピクニック・・♪」という感じでクツロイデました。こんな感じで聞くクラシックというのもなかなかないですね。みんな芝生の上で飲み食いしながらリラックスして聞いている。私達も、手作りのお弁当を持ってきて下さった方々がおられ、本当に楽しいひと時を過ごすことができました。(感謝、感謝。ありがとうございました。)海苔を巻いたおにぎり、玉子焼き、トリのから揚げ・・・日本の伝統的な正しいお弁当を食べながら、本物のNYフィルをBGMにしつつ、芝生の上でくつろぐニューヨークの夕べ・・・なかなか乙なもんでしょ?しかし、どうして芝生の上にゴザをひいて、その上でおにぎりを食べると美味しいのでしょうか?セントラルパークの中でも・・・やはり日本人なんですね。(パスタではしっくり来ない・・・・?)演奏が終わると、花火が一せいに上がり、歓声と拍手が沸き起こってました。いやー、本当に楽しく、美味しかったNYの真夏の夜のひと時でした♪
Jul 22, 2005
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生まれてこの方、占いというものをあまり信用していない。 当たればいいなあ~なんていう希望はあるのだが、どうにもその根拠というものが理解できないでいる。 特に星占いとか八卦というものが解らない。手相もそうだ。 世間では様々な議論を呼んでいるようだが、血液型というものは何となくわかるような気がする。でもその根拠は希薄なもので、例えば、「A型の血はB型に輸血できない。」なんて言われると・・・確かに体液が拒否反応を起こすのだから「脳」にも何らかの影響があって、多少は気質の違いがあってもおかしくは無いのかな?という程度です。 後、姓名判断というのもある程度信用しています。生まれてこの方、例えば「ヒロキン」と周りの人から呼ばれ続けていたら、その語調にあったような人格が形成されていってしまうかもしれない・・・ ただ、ブログで知り合った人から教えてもらった「動物占い」というのを試しにやってみたんですね。半信半疑です。もちろん。 でも・・・何となく当たっているような気がするのです。どうも気持ちが悪い。 おそらく、「このような占いというものは、誰でも受け入れやすいように解説してあり、どのような人間でもある程度似たり寄ったりのところがあるから、どのように解説しようと自分で理解している自分自身と似ているところをその解説の中から探す・・・」という行為を自分自身の中で知らず知らずの内に行っているが故に・・・当たっているような気がする。と思っていたんですね。(今でも、そう思っている自分が約50%います。) でも、何だか当たっているような気がしてしまったんです。私は「ワンマン体質のライオンタイプ」らしいです。特に「恋愛性質」のところが・・・「何で俺の私生活に足を踏み入れるのだ?」と思ってしまうぐらい似てるんですね、というか、当たっているんですね。怖い。 しかし、その解説を読み進んでいくと・・・突然細木数子さんの欄が出てきて・・・大殺界という言葉が妙に恐れ多く・・私の目前に迫っているではありませんか?・・・2年後? これって一体なんなんでしょう???? 全く知らない・・ま、あんまり気にするな!ということでしょうか?でも、知ってしまうと怖いもんですね。 あ、ブログで知り合った方(ちゃこさん)から教えていただいたサイトは、 http://www.tukaerusite.com/fortune/ で見ることが出来ます。 ・・・まだ、100%は信用してないぞ・・・うう。
Jul 18, 2005
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NYに住む友人から谷川俊規氏作の「めっちゃピンぼけ」を貸していただきました。 その友人曰く、「谷川さんと同世代のヒロキンさんなら読み出したら途中でやめれら無くなって、きっとこの週末で全部読んじゃうんじゃないかな?」なんていわれていたんですが・・・残念ながら友人の期待を裏切り、土曜日の昼過ぎから夕方までには読了してしまいました。いやー久しぶりに一気読みしてしまった。 作者の谷川氏は私とほぼ同い年。私は一年浪人しているので大学は違っていましたが同期だったはずです。 さらに、私が青年期まで生活していた場所と小説の舞台になっている場所が近いこともあり、更に話し言葉がなじみのある関西弁(神戸の方の言葉は少し違う部分もありますが・・・)でもあり、すんなりとストーリーの中に埋没していくことが出来た。 また、ストーリーの展開が様々な戦争を背景にして描かれている。それが第二次世界大戦といった古いものではなく自分の記憶にも色濃く残っている哀しい戦争。 読み進むうちに、否応無く小説の中の「涼一」に感情移入している自分を意識することが出来ました。そして、戦場カメラマンとして描かれている「田辺」にも。 謎解きを思わせる展開の仕方も面白かった。読者をぐいぐい引き込んでいく谷川氏の筆力はさすがですね。 ちょうど私達の世代が高校生ぐらいのころに持っていた女性への憧れ的な考え方、セックスへの憧れ、そして何もない現実。知らず知らずのうちに共感してしまうところが多かった。 もちろん、小説の中の話なので誇張されている部分やあまりにリアルな表現もありますが・・・それに自分自身が全く同じような経験をしてきたわけではありませんが・・・それでもストーリーの根底に流れている性への意識とかは同時代人が持つものではないでしょうか?すぐに作中の人物に自分自信を同化させることが出来ました。 そしてストーリーの大前提となっている高校の園長の教育。小説の中ではかなり特殊な私立高校・・・という設定ではありましたが、当時は多かれ少なかれ似たような風潮はあったように思います。今時の高校生には信じられないような光景でしょうね。 とにかく、「めっちゃピンぼけ」を読んだ後、言いようの無い胸を締め付けるような焦燥感のような感覚がじわじわと湧き上がってきました。 まるで好奇心と性欲の塊のようだった??高校時代の女性に対する憧れのように。 「未だにあの当時の自分というものが心のどこかに流れているんだなあ」ということを自覚しました。そして、当時と大きく変わってしまっている自分にも気がつきました。 いやいや、大変面白い小説を紹介していただきました。 皆さんも是非
Jul 17, 2005
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わたしのHN(ハンドルネーム)である「ヒロキン」というのは、実は息子の名前「ひろき」から来ています。息子がちょうど赤ん坊から幼児になるころまで「ヒロキン」と呼ばれていた。どうにも私の癖で親しい人の名前を呼ぶときに、勝手に愛称を作ってしまう。別に意図しているわけでは無いのだけれど、ふと気がつくと愛称で読んでいたりする。同じ「ヒロキン」でも、東京方面だと「ヒ」にアクセントがあり、関西方面だと「キ」にアクセントがある。彼の場合は、東京方面です。その「ヒロキン」も既に高校二年生。自分が高校二年生の時は、ちょうど太田裕美の「木綿のハンカチーフ」、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」、ユーミンの「ミスリム(アルバム)」、小椋佳の「シクラメンのかほり」なんかもちょうど流行っていたたような気がします。どちらかというと暗い日々を送っていて・・・夜中にラジオから流れてくる歌にひと時の安らぎを覚えていた。しかし時代が変わり、私と違ってヒロキンはかなり奔放??な高校生活を送っている様子。私の高校時代と違って既に彼女がいるらしい(中学時代から?ちきしょう!このやろう!!)。それにどうも勉強は全くといっていいほどしていない様子・・・(成績を見れば明らか!!)自分が高校時代に、それこそ涙を流さんばかりに聞いていた音楽を教えてやっても・・・やはり、時代が違うんですね。彼が聴いている音楽はどうにも私には理解できなものが多い。せいぜいミスチルぐらいですかね。一緒に聞けるのは。特に最近日本にいないので、流行りの曲がわからない。(私が薦める曲に少しだけ興味は示してくれますが・・・)最近の日本の高校生ってドンナ感じなんですかねえ?髪型とか、制服の着方とか・・・生活態度全般についてつい先日も、電話で怒鳴りつけてしまいました。些細なことではありましたが・・・できるだけ彼の気持ちをわかってやろうとは思うんですが、なかなかそうは行かない。どうしても親の「押さえつけ」的な怒り方しかできない。嫌な性格なのかもしれません。どうしても自分自身の当時を振り返って・・・それと比較してしまう。彼も既に大人になりかけている・・ということをついつい忘れてしまいがちです。いつまでも「ヒロキン」のままでいるような気分がなかなか取れない。不幸な少年なのかな・・・?親として反省することも結構あるんですけどね。(駄目オヤジかな?)もうすぐ、NYに「ヒロキン」が来ることになっています。色んな話が出来るかな・・・
Jul 13, 2005
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知人から受け取ったバトンに応えてみたいと思います。 自分自身を見つめなおすことが出来るかもしれない。 かなり古い話になると思います。恐縮です。 ☆部屋にある本棚の数 多分、200~から250冊ぐらいかな? 文庫本も入れての話です。ちゃんと数えてないのでいい加減です。単身赴任生活をしてから約3年。中には、少しだけ読んで「あっ、これはだめだな!」と思って途中で読むのをやめたり、全く読んでいない本もあります。 日本の家には・・・おそらく10倍以上はあるでしょう。大阪の実家には大学時代までの本がもっとあるかもしれませんが、数年前に母が引越ししたときに相当処分したので・・・把握できていません。 ☆最初に買った(読んだ)本 自分で最初に買った本は「カッレ君の冒険」だったかな?小学校の5年生ぐらいだったと思う。 それまでにももらった本は色々あります。 母が、何とか読書好きの子供になってほしい・・・と思ったらしく、よく本を買ってくれました。でも、小学校のころは童話と「キャロラインとお友達」といった本当に子供向けの本が好きだった。とにかく一度好きになったら、数十回読み返したと思います。 本当に読書に目覚めたのは、小学校の6年生ぐらいでした。 それまでにも、幼稚園のときに「チャイルド」という絵本がありまして、それを先生に読んでもらうのがとても楽しみでした。もう40年ぐらい前の話だ?? ☆今読んでいる本 「幕末に散った男達の行動学」 たまたま今読んでいます。数ヶ月前に日本に帰ったときに買ってきた本のうちの一冊。 最近は、学生時代のように重たい小説が読めなくなってきています。出来るだけ軽いほうがいい。 ☆よく読む、または特別な思い入れのある5冊の本 昔は何度も読み返すということが普通だったのだけれど、最近は・・・あまりないな。 でも、思い入れのある本は ・「知られざる大天才」 学研の小学校5年生の「学習」の付録についていました。小さな文庫本タイプの本。南方熊楠という明治期の博物学者の伝記です。この本が無かったら今の自分は無かったと思う。高校時代まで読み返したんだけど・・・どこかにいってしまいました。 もうこの世の中には、残念ながらありません。 数年前に「何とかもう一度読んでみたい」と思って、学研に問い合わせたのですが、「もう記録にありません」といわれてしまった。本当は息子に読ませてみたかったんですけどね・・・35年ぐらい前の話です。 ・「太平洋一人ぼっち」 堀江謙一さんが始めてヨットで太平洋を横断した記録。これは面白かった。自分もチャレンジしたいと本気で思ってました。 ・「ドリトル先生航海記」 小学校6年生の時に、友人から借りて読みました。数十回借りた覚えがある。読書の面白さを教えてくれた本。 ・「ドクトルマンボウ航海記」 北杜夫さんの本。中学1年生で読みました。この本を読んで真剣に「自分の本を書きたい。」と思った時期がありました。 ・夏目漱石の本各種。 まあ、思い入れのある本は他にも山ほどあります。でも、自分の思春期に読んだ本は格別ですね。 ちゃこさん、のらさん、ふみさん、バトンいかがですか?お忙しければ結構ですが・・・
Jul 11, 2005
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今日朝起きて、テレビをつけたとき・・・はじめに流れてきたニュースはロンドンでのテロの報道。思い返せば、93年のワールド・トレード・センターの爆破事件。そして01年9月11日のテロ、両方とも事件が発生した際にはマンハッタンにい合わせました。自分自身は直接被害を被ったわけではありませんでしたが、事件が発生した場所からほんの数キロの距離にいたので・・・それに、不幸にも直接関係してしまった方々が身近に多数おられたので・・・否応なく恐怖感とか悲しみとか怒りといったものを感じざるを得なかった。テロという行為は、行き場のない怒りと悲しみしか生み出さないと思っています。もちろん戦争という行為自体大量殺人行為に他なりません。一般人を巻添えにして大きな悲しみを生み出します。しかし、様々な政治・経済・宗教的な抗争と全く関係のない「一般人」を標的としたテロほど卑劣な人殺し行為はないと思っています。理由はどうあれ・・・です。実は、来週・・・仕事の関係でロンドンとルクセンブルグに出張する予定でした。行けるのかどうか?明日にははっきりすると思うのですが・・・何だかドタバタしています。
Jul 8, 2005
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昨日はアメリカの独立記念日。ニューヨーク生活は通算で9年目になるのだけれど、マンハッタンから見える花火を生で観る機会をこれまで逸していた。しかし、今年は・・・ついに生で観ることができました。夜の9時過ぎに知人達とマンハッタンのミッドタウン・イーストを彷徨し、55丁目のヨークアベニューのあたりで絶妙な角度ではありましたが、結構きれいに観えました。もちろん道路はすべて閉鎖されており歩行者天国状態。しかし、凄い人出でした。これまでもニコチャンマーク(ピースのマーク)やUFOの形をしたもの、それにハートの形のものは観たことがあったのだけれど、今年は立方体の形の花火が登場。初めて観ましたね・・・日本でもあるのかな?昨日の花火はさておき・・・花火という言葉で思い出すのは、滋賀県大津市の琵琶湖の花火。ちょうどお盆のころに灯籠流しと相前後して盛大に行われていた。大変懐かしい思い出・・・皆で「ゆかた」を着て、蚊を避けるために「うちわ」を扇ぎながら見たものです。日本の私の自宅近くに流れている利根川近辺でも大々的に花火大会があるのですが・・・やはり懐かしい風景がよみがえる。初めて観に行ったころ・・・まだ言葉も話せないヨチヨチ歩きの長男を背負いながら観ていたんですねえ。そして、自宅でやる花火といえば、やはり線香花火が一番・・・昨日の夜、寝る前に酒を飲みながらしみじみ思ったんですが・・・花火にまつわる思い出って結構たくさんあるんですねえ。
Jul 6, 2005
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昨日は大変充実した一日を過ごすことが出来ました。三連休の真ん中、晴天、気温は60~80度、しかも空気は心地よく乾燥している。何だか街の中の空気がきれいでクリアーな感じなんですね。マンハッタンは意外と空気が澄んでいる。もともと何も予定のない一日。さて何をするか?と考えつつ、久しぶりに部屋の掃除をし、たまった洗濯物と格闘しながら・・・(自分のことは自分でする。当然です。単身赴任者の心得)・・・そうだ、観たかった映画が何本かあった♪と思い立った。もともと、映画に関しては、何のポリシーもなく「見て面白ければOK」という人なので・・それに話題になっている映画は観ておきたい・・という人なので・・・早速ネットで「War of The World」(宇宙戦争)と「Batman-Begins」(バットマン)の上映時間をチェック。一日に二本見ようと思うと結構時間はタイトになって来る。サイトをよく見ると、バットマンはIMAXシアターで上映とのこと。これははずせないですね!デジタルの巨大なスクリーンで堪能することが出来る。ほんの少し思案した結果、昼の12時から宇宙戦争を見ることに決定。それから宇宙戦争は・・・そういえば、友人が「この週末は映画でも見ようかな・・・」といっていたのを思い出し、携帯で連絡。「えー、IMAXでバットマンやってるんですか?それは行かないと・・・」ということで、午後4時からバットマンを見ることに決まり。この友人(ヤスさん)の友人で、サンフランシスコから来ているスティーブさんも合流する・・・ということで、バットマンはオヤジ三人で見に行くことに。あっという間に、何だかワクワクする一日の計画が出来上がったのでした。宇宙戦争は、今何かと話題を振りまいているトム・クルーズが主演。面白かったですよ!もともとは結構古いSF小説なんだけど、現代風にリメイクしてあった。だから時代背景は現代のNYとボストン付近。SFの世界だということがわかっていても、思わず・・・自分の身にこのような事態が発生したら、家族を守れるのだろうか?なんて考えてしまいますね。後、パニック状態に陥った群集心理の恐ろしさも十分に味わうことが出来ました。午後三時過ぎに、オヤジ三人が終結。スティーブさんは、もともとNY生まれのNY育ち。ハーバードやプリンストンといった有名な学校で学んだ後、バイオテクノロジーの会社で一旗あげて、若くしてリタイヤ。それからカリフォルニアへ移住し、現在日本の歴史を大学で教えているという。見るからに頭のよさそうなオジサン。少し怪しげな日本語も会話の中に多々出てくる。日本人の英語にも慣れておられたので、四方山話の会話も弾み、一気に打ち解けることが出来ました。スティーブさんは、「日本の歴史を教えていると、忍者や侍が特殊能力を身に付けたスーパーマンのような存在である!!という既成概念を打ち砕くのに時間がかかる。」というあまり笑えない話もしていました。でも、何となくわかりますね。その苦労。しかし、IMAXで見るバットマンは凄い迫力だった。ストーリー展開もよく出来ていて、なかなか見ごたえのある作品だったと思う。イギリス映画も最近面白いですね。映画を観た後、スタバで小一時間雑談をし、スティーブさんは友人のパーティーへ。ヤスさんと私はアッパーウエストのクレオ(クレオパトラ・ニードル)というライブハウスへ。毎週日曜日、このライブハウスでは日本人のジャズピアニストのDさんがプロデュースして、様々な形のジャムセッションをやっている。新進気鋭の人たちが次から次へと登場し、腕を競い合う。昨日印象に残ったのは、チャーリー・パーカーの「ナウ・ザ・タイム」をピアノ、ベース、ドラムス、そして4本のトランペット、2本のアルト・サックスで競演したもの。イヤー堪能しました。てなわけで、またまた、色気とは隔絶された一日ではありましたが・・・仕事を離れ、まさに三連休の真ん中・・・といった(ニューヨークで生活している人間としては)大変充実した一日を送ることが出来ました。
Jul 4, 2005
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もともと中華料理といえば・・・餃子、ラーメン、チャーハン、シューマイ、焼きそばが主流。たまに酢豚、天津飯、レバニラ炒めなんてのもレパートリーに入る。もともと典型的なB級グルメの私。いや、たとえB級でもグルメではないかもしれない。無理して「行列のできる・・・」なんてところに行きたいとは思わない、怠惰な人間なんです。だから、高級中華というものにあまり行ったことがなかった。もちろん日本にいた時も、本格的な中華料理を食べたことは度々あります。確かに、美味しいと思うのですが、メイン料理はともかく、最後の方にオーダーするチャーハンか焼きそばの方に興味が行ってしまう・・・貧乏性なんでしょうね。でも、ニューヨークでは日本的な「街の中華料理屋」というものがほとんどないんですね(飲茶は別です)。今週一杯、ニューヨークはレストラン・ウィーク、ということで、本日は普段は絶対に行かないようなおしゃれな中華レストランに行ってきました。「China Grill」(53丁目の5と6の間)という中華レストランです。ここも普段は結構高い。普通のメニューを見るとアペタイザーだけでも$20程度。メインは$40・・・ヒエー・・・一瞬気を失いそうになりました。しかし、レストラン・ウィークということで今日はプリ・フィックス・メニューに挑戦しました♪デザートまで入れて、$35!しかし、美味しかったですね!店員さんの振る舞いも申し分なし。笑顔が絶えない。無理に何かを食べさせようとしない。そして、プリ・フィックス・メニューに載っていないダック・チャーハンを一品だけ頼んだんですが・・・これが美味しかった♪チャーハンの美味しい店は信用できます。しかし、出てきた料理すべてをオジサン4人で食べつくすことが出来ませんでした。一番若い・・・といっても30半ば?のニーチャンに残りをもって返ってもらう結果になってしまった。(食べ物を残すと罰が当たると信じている世代ですので・・・本当に残念)いつもながら実際の料理の描写が出来ないのですが、料理自体もおしゃれだったんです。ただ、一転残念だったのは、レストラン自体が天井の高いホールのようなつくりになっていて、静かに歓談しながらお食事を・・・という雰囲気ではなかった。なんだか常に「ワーン」としたザワメキノ中で食事をしている感じ。お金持ちの団体さんにはもってこいかもしれません。是非!
Jul 1, 2005
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ギターを習い始めて約2年経ちました。はじめは、コードも分からず、コード以前の問題として指板上のどの弦でどのフレットを押さえれば何の音が出るのか?なんてことも全く分からない。いやいや、更に更にギターを弾く以前の問題として、楽譜が読めない・・・という絶望的な状況だったのです。一応、義務教育を受けていたころ・・・要は中学卒業までは音楽という教科があったので、嫌々ながら「縦笛」(子供によると、今では「リコーダー」というらしい)ぐらいは練習しました。でも、その当時から楽譜が読めなかった。高校生以降は、もっぱら音楽を聴く方に回っていた。それが、何を血迷ったか、この歳になって新たな挑戦を始めてしまった・・・ギターでやりたいことは山ほどあるのですが・・・たとえば、ボサノバの弾き語りとか70年代のフォークソングの弾き語りとか、それにクラシック・ギターで「アルハンブラ宮殿の思いで」や「カバティーナ」なんて弾いてみたい。しかし、そもそもの基本が全く無いので、「カルカッシ教則本」(マテオ・カルカッシという19世紀の音楽家が作った教則本)に則って、基本の基本からやり始めました。Cメジャーから始まって、G、D、A、E、Fの各メジャーを練習し、マイナーに進んでゆく。各メジャー、マイナー毎に適度な長さの練習曲があって・・・この練習曲がなかなかいい感じなんですね。そして、ようやく中級の「50の練習曲」の真ん中ぐらいまで来た。教則本の他にも「禁じられた遊び」がタドタドシク弾けるようになってきた。この進歩は、ヒトエニ、忍耐強く教えてくれている師匠と日ごろから切磋琢磨している(一緒に飲んで騒いでいるだけ?)ギター仲間たちのおかげ。そして、「禁じられた遊び」が弾ける様になったのは、自分自身の目標を一つクリアーしたことになる。私の親父は若かったころ、ギターの先生をしていたらしい。私が物心ついたころには、既に辞めて他の職についていましたが・・・昔、親父がよく弾いていた楽曲で、今でも覚えているのが「禁じられた遊び」と「アルハンブラ宮殿の思い出」いずれもポピュラーな曲・・・今でも、親父が弾いていたのが耳に残っていて・・・これらの曲を聞くと親父の姿を思い出してしまうんです(他にもありますが、曲名が分からなくなってしまって・・・)。ギターをやり始めると・・・この歳になって、親父に追いつきたい!と思ってしまうんですね。だから、その第一関門と思っていた「禁じられた遊び」が少し弾けるようになったのがうれしいんです・・・親父に追いつくのは、まだまだ先なんですけどね・・・もうすぐ親父の9回目の命日がやってきます。
Jun 30, 2005
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先週の土曜日、仕事上関係のある方からヤンキースタジアムに招待していただいた。ヤンキース対メッツ。対レッドソックス戦と同様、チケットを取るのはなかなか難しい人気のある試合。球場でちょうど松井が第一打席に入った時、招待してくださった方が、「イヤー、松井選手は本当に凄い男ですね!」と話し出された。この方は、(私と違い)大きな会社の重責を担っておられる方で、たまたま松井選手と同じアパートに住んでおられるそうだ(日本でいう高級マンションです・・・うらやましい!)。当日、球場へ向かうために玄関を出る際、偶然松井選手と鉢合わせしたらしい。「今日は球場へ応援に行きます!がんばってくださいね!」と声をかけたら、「ありがとうございます!がんばります!」と、ほんの少しだけ微笑んで元気よく応えてくれたらしい。「でも、松井選手の後ろ姿をみて・・・なんとなく、まだ右足をかばっているような感じがしたんです・・・」とおっしゃった。右足首を捻挫してからDHでがんばっている松井選手。試合中は右足の怪我など全く感じさせないのだが・・・彼の背負っている多くの人々からの期待、怪我の苦痛、不調時の焦燥感・・・彼の表情や言動には全く表れない。今日、日経新聞に「松井秀樹 13年前・・・忍び泣いた」という記事が載っていた。この記事によると・・・どうも彼は本来「短気」らしい?でも色々な経験を積んで「心の制御術」を身につけてきた。(大変いい記事でした。皆様も是非。)もともと好きだったのだが・・・何だか、松井選手が更に好きになってしまった。
Jun 29, 2005
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今週末、全米の映画館で最も興行成績が上がったのは、バットマンだったそうです。アメリカの人たちは、本当にヒーロー物が大好きですね。もちろんすべての人というわけではないのでしょうが、ラムズフェルドの名前は知らなくてもスーパーマン、スパイダーマン、バットマンを知らない人はほとんどいないはずです。漫画の世界からテレビの世界へ。そして映画になって生まれ変わる。何十年という時代の流れの中で、ヒーロー達が活躍する社会的な背景もどんどん変化していく。そして、ヒーロー達自身も明らかに変化してきている。昔は、ヒーローものの背景に必ず勧善懲悪の考え方がありましたよね。「正義が悪を征す」という前提で様々なストーリーが展開されていた。観ている方は、最後に正義が勝つ!という大前提に立って、たとえヒーローが苦境に立たされても安心して最後まで見ることができたものです。日本で言えば、水戸黄門の世界ですね。見方を変えると、人知を超えた存在(ヒーロー)が、人間界の悪を懲らしめるというもの。昔のヒーローは悩むことなんてなかった。でも、この2~30年の間にヒーローもののイメージは徐々に・・でも確実に変わってきたように思います。まず、社会全体が大きく変わっている。ヒーロー達が誕生したころ、PCなんて世の中にはなかった・・世界の構成も変化している。既に冷戦時代の構図を利用することもできない。それに、「完全な悪者」というものがイメージできなくなってきた。おそらく人間誰もが悪者になりえるという認識ができてきたということ。そして、「本当に悪いのは誰なのか?」が簡単に分からなくなってきていること。また、ヒーロー自身も人間として、あるいは人間的に悩む存在として描かれることが多くなってきた。人間味のあるヒーロー・・・これも悪くはない。最近のヒーローものは、ヒーローにも、そして悪者にも・・・双方に共感を覚えることがあります。今週末あたり、近くの映画館で「バットマン」を観ようかな・・・♪私の場合、こちらで観る映画は、英語ヒヤリング能力を高レベルで要求される「恋愛もの」とか「コメディ」よりも、見て理解できる「ヒーローもの」の方に足を向けてしまいがち・・・字幕があれば別なんですけどね・・・(涙)P.S.日本のヒーロー達は最近どうなんでしょうか?日本のヒーローの場合、アメリカのヒーローと違い、ウルトラマンや仮面ライダーのように基本的なコンセプトは残したまま、その名前と姿がどんどん変わってきている(ハズです・・よく分かりません・・確か、1号、2号とか、帰ってきた・・・という新手のヒーローが出てきていたような・・・古すぎるか?)。この変化の過程でアメリカのヒーローと同じような変化をしているのでしょうか?どうも最近の日本のヒーロー達がどうしているのか?よく分かりません?
Jun 28, 2005
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今日、一人の友人が日本に帰国した。今回ニューヨークにやってきて約4年。既に何人の知人友人を送り出しただろう・・・今日送り出した友人はギター仲間。仕事とは関係ない世界で老若男女わけ隔てなく、そして日常の仕事とは関係なく和気藹々と付き合っている仲間達の一人。彼は他州の大学を出てからニューヨークに来て約半年。大学で学んだことを生かせる仕事が無いか色々とトライしていた。その一方で更に勉強も続けていた。しかし、最終的には彼の希望に合う定職が見つからなかったようだ。ビザの期限も迫っていた。仕事以外で日ごろ付き合っている人達は大体30代の半ば以降の年齢層。彼が仲間に入ってきた時、「若いな!」という印象を受けたのを覚えている。私のようなオジサンになると「若い」=「最近の若いやつらは・・・・!」的な見方をすぐにしてしまう。しかし、彼はもともと私の中に合った「最近の若いやつらは・・・」といったイメージを大きく崩してくれた。礼儀正しく、相手のことを非常に思いやってくれる人。そして自分自身のあり方を自分で認識できている人。ある意味で非常に尊敬できる人の部類に入る人だった。世界中から多種多様な人々が集まるニューヨーク。日々多くの人々が各々の志を抱いてニューヨークにやってくる。ニューヨークにずっと残る人もいれば、様々な思いを胸に去ってゆく人もいる・・・今日は私ともう一人の友人(彼もオジサンの部類?・・・ごめん)で、飛行場まで彼を見送りに行ってきた。登場ゲートに限りなく近いところまで見送って最後に固く握手。何となく感傷的になっているオジサンたちに元気よく手を振って・・・彼は機上の人になった。
Jun 26, 2005
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意思の疎通を図る・・・家族と、友人と、恋人と、会社の同僚と、取引先と・・・そして自分自身と(これが一番多い?)・・・人間って対外的なコミュニケーションなしでは生きていけない存在ですよね。もちろん他の動物、昆虫、植物でさえもコミュニケーションしている(言葉は介していないでしょうけど・・・)日常の生活は、様々な形のコミュニケーションに基づいて形成されている。その方法も様々です。まずは言葉を介さないもの、手と手、肌と肌、眼と眼、表情等を通じた対話。そして言葉を介するもの・・・フェイス・ツー・フェイスの対話、電話、手紙、メール、・・・これらは基本的に双方向。また、双方向にもなりえるが普通は一方向で広報性のあるもの・・・本、テレビ、ラジオ、音楽等のマスメディアを通じたもの・・・まあ、色々あります。時代と共にコミュニケーションのあり方や方法といったものは変化していく。人間は生まれて以降、言葉でコミュニケーションを行うようになるのは、少し大きくなってからですね。しかし、一旦言葉と言うツールを身につけると、飛躍的にコミュニケーション能力が高まるのは事実。また、言葉を媒体としたツール自体もどんどん進化していく。ブログの招待状を友人から受け取ったのがちょうど2ヶ月前。ブログって、言葉を介したツールであることは間違いない。ただ、一対一、一対多、多対多等のパターンがあって、しかもマスメディア同様「広報性」も持っている。例えば、特定の個人と話をしている感覚でも、多くの人たちに見られている可能性がある。その一方で匿名性もある。ブログというツール自体、まだまだ進化している最中だと思いますが、これからどうなっていくんでしょうね?私自身は、やっていなければ絶対に出会えなかった人たちと出会うことができて、大変うれしい。実際にお会いしていなくても、文章を通じて人柄が分かってくるように思える。人を惹きつけるオーラが行間から滲み出している人がいる・・・結局何を言いたかったのか・・・全く分からなくなってしまいました。すんません。ま、ちょうど二ヶ月なんで・・・毎日更新できるわけではないのですが・・・これからもよろしくお願いします。P.S.最近良く考えるのは、人間のコミュニケーションの基本は「母親との対話」なんだろうな、ということ。胎児のとき・・・母親と肉体的に繋がっている時から既にコミュニケーションは始まっている。生まれると、体全体で母親とコミュニケーションし、そしてゆっくりと成長していく。言葉を覚えるのは・・・かなりあとですね。
Jun 25, 2005
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本日は仕事の関係で昼過ぎから車に乗ってコネチカットへ。やはりアメリカですね。とにかく広い。マンハッタンを後にして、ブロンクスを越えるあたりからハイウェイは森の中を走り続ける。といっても、アメリカ全土で見るとまだまだ都会の方。日ごろマンハッタンの中で暮らしていると、ついつい「これがアメリカの日常・・・」と錯覚しがちなんだけど、日本と比べると環境自体は大いなる田舎なんですね、アメリカは。特に東海岸の方は、ワシントンやニューヨーク、そしてボストンといった大都会を除くと・・・森の中にポツリポツリと集落がある・・・という感じ。中西部の方は森ではなく草原?という感じでしょうか?昔マンハッタンから北の方のウエストチェスターという地域に住んでいたんですが、その辺りでもラクーンというアライグマみたいな狸、あるいはリスはそこらじゅうで走り回っていた。たまに「アッ、どこかでスカンクが車に轢かれた・・・!」ということがわかったり・・・もの凄い臭いなのでかなり遠くでもわかってしまうんです。夜には鹿に出くわすことも間々ありました。それでもマンハッタンから電車で1時間ぐらいのところだったけれど、少なくとも軽井沢よりは自然が残っているという雰囲気です。巨大な人口を抱え様々な文明の利器を駆使して人々は生活しているんだけど、日本と違って自然も多く残されている。日本は本当に緑が少ないなあ~と実感できてしまうと、少し寂しいですが・・・さあ、そろそろセントラル・パークで蛍がちらほらするのが見えるころだなあ・・・
Jun 24, 2005
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マンハッタンでは春から秋のアウトドアに最適なシーズンを目がけて、様々なイベントが開催されます。既に有名な野外コンサートやオペラはいうまでもなく、アスレチック関係のイベントも目白押し。例えば、マンハッタンのビルの谷間の路上の一定コースをウォーキングするもの。あるいはセントラル・パークの緑の木立の中を3~5マイル程度走るマラソン(フルマラソンではないです)などなど。そして、このようなアスレチック関係のイベント等を通じて、様々なドネーション(慈善団体や公共研究機関等への寄付)が行われるようになっています。ドネーションの目的となっているのは、私の知っているだけでも、未熟児治療への援助、ホームレスへの援助、乳癌治療の援助、エイズ研究への援助等々・・多岐にわたる。自分の健康のためなのか、あるいはドネーションを目的としているのかは分かりません。ただ、もともと健康志向の強いニューヨーカーたち。企業単位であれ個人単位であれ、これらのイベントには積極的に参加しているようです。でもって、ドネーションも多く集まるという仕掛け。うまく考えていますね。これらのイベントを見ていて興味深いのは、これらのイベントには必ず著名な企業が冠企業として後援についている、ということ。冠企業となった後援社(者)がイベントのインフラを支えている。イベント自体の企画、会場の設定、参加者のサポート等・・・米国でも、こういった後援がないと、イベント自体が成り立たない・・・といった背景もあるようですが・・・もちろん冠企業となって得られるメリットは結構あるはず。功罪はあるかもしれないけれど、少なくとも様々な社会活動が促進されるのは間違いない。日本でもこのような仕組みができているんでしょうか?本日はJPMorgan Chaseが主催するCorporate Challenge。セントラル・パーク内の3.5マイルのコースを走る。企業単位の団体での参加が前提のようです。そして、このイベントで集まったお金はニューヨークの様々な非営利団体に寄付されるらしい。私の会社の仲間たちも20人ぐらい走る予定。ネットで知り合ったお友達も別の会社から参加されるとのこと。今日は、力一杯声援を送りに行くつもりです???(ヒロキンは日々、体の内側からアルコール消毒を行っている所為でウォーキングが精一杯・・・突然走ったりすると、毛穴から汗ならぬアルコールが吹出す恐れがあるので医者から止められているそうです・・・そんなバカな・・・)
Jun 23, 2005
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今週と来週にかけて、世界中のグルメが集まるニューヨークで「レストラン・ウィーク」が開催されます。日ごろB級グルメを自称し、丼飯、餃子、ラーメン、豚肉しょうが焼き定食・・・洋物だとピザ等で大変満足しているヒロキンなのですが、レストラン・ウィークの時だけは・・・日ごろ高くて手の出ない高級レストランに出没してしまいます。このレストラン・ウィーク、私の記憶が正しければ、2001年の9・11事件の後に始まったはず(違っていたらスンマセン)。テロの後遺症で、ニューヨーク全体・・・それこそ街のレストランもブロードウェイも・・・何よりも生活している人たちみんなが暗ーい雰囲気に包まれていたころ、何とか街を再活性させようと様々なイベントが組まれた。その一つがレストラン・ウィークだったと思う。毎年値段は違っているようですが・・・今年の場合、例えばディナーだと、とにかく下手をすると一人前100ドルを軽く越えるようなコース料理を出す高級レストランでも、たったの35ドルで(いや、自分の懐具合を考えてみるとこれでも十分高いのだが・・・う、う)コース料理を食べることができます。ランチだと20ドルぐらい・・・今年は2012年のオリンピック招致に絡めて20.12ドルらしい?とにかくニューヨーク住人冥利に尽きます。ヒロキンの場合、食通の会社の同僚が、既にディナー4回分予約してくれている!ええ歳こいたオッサンが4人集まっていくディナーなので全く色気がないんだけれど・・・でも、まあ、贅沢はいえません。確か、今日はアッパー・イーストのNino’s・・・イタリアンじゃー!ジャケット着用して、イッテキマース!!
Jun 22, 2005
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この週末友人たちとアトランティックシティに行ってきました。アトランティックシティは、ニュージャージー州の南の方に位置する東海岸でも屈指の一大カジノ・アミューズメントセンター。(ニューヨーク地域のラスベガスのようなもんです。でも、今回期待以上に楽しめました。・・・以下。)アトランティックシティに行くのは、私自身は約15年ぶり。来週日本へ帰国する友人の送別会を兼ねて、合計4名で一泊ツアーを敢行したわけです。日本には正式に政府も認可しているカジノは未だないと思うんですが・・・こちら米国にはところどころにあるんですね!ギャンブルをやる場所だからといって、決して暗い場所ではない。例えばラスベガスなんかは、世界の観光地になっている。とにかく「積極的に楽しむ!」ということが日本人は一般的に下手ですね。特に「ギャンブル」といった途端にやくざな世界を思い出してしまう。こういう私も昔は「ギャンブル、博打=やくざな世界」という公式を頭の中に持っていました(笑)。そして、今回のアトランティックシティ。いやはや、ギャンブルをする場所?という定義が今回の一泊ツアーによって大きく変化しました!15年前に初めてアトランティックシティに来たときの印象では、どちらかというと「薄ら寂しい再開発地域の荒れ果てた工事現場の一角に「ドーン!!ドーン!!」という感じで巨大ホテルが数棟そそり建ち、密かに賭場を開いている・・・」という落ち目のやくざ的な雰囲気でした。きらびやかなカジノの印象とは反対に形容詞的に言うと、「薄暗い」「じめじめした」「ウラブレタ」「落ち目の」「ドロドロした」「疲れ果てた」「少し危険な」といったイメージだったように思う。そのイメージが今回の旅で大きく変わったのです!今やアトランティックシティーは「海辺の一大リゾート兼ショッピングセンター!!更にカジノも楽しめるぞ!」といったコンセプトに近いような雰囲気。形容詞的に言うと、「明るい」「健康な」「溌剌とした」「安全な」「楽しい」というイメージ。特にこれからの夏のシーズンは、南国のリゾート気分を十分に味わえる一大「健康ランド」・・・じゃなくて「リゾート」に限りますねえ!一番うれしいのは、なんといってもニューヨークのポート・オーソリティ(マンハッタンのバスターミナル)からバスで約2時間半。それだけの時間でハワイに行った気分になれる・・・すばらしい!数多くのホテル群やショッピングセンター(有名ブランドのアウトレットが続々と進出しているようです)が海岸沿いに立ち並び、その建物群と海岸との間にはボード・ウォーク(海岸の砂浜の陸側に、木の板を並べて組み合わせて作られた雰囲気の大変良い歩道)が続いている。家族連れや、恋人たち、老若男女のグループがゆったりと、本当にリゾート気分でボード・ウォークの上を楽しげに歩いている。海岸の上空ではかもめが飛び交い、砂浜の上には陽光が降り注ぐ・・・夜になると砂浜の上のバーで、トロピカルなカクテルを飲みながらライブバンドの演奏を堪能する・・・こんな場所で彼女と一緒に過ごせたら・・・とは思うものの、今回は来週日本に帰国する友人の送別会を兼ねたもの。オッサンたちの修学旅行みたいなものでした・・・とにかく、夏のアトランティックシティは、家族でも恋人同士でも女の子のお友達同士でもオッサン仲間でも・・・間違いなく楽しめます!!おすすめです!!きっと、「ギャンブルをする場所」という頭の中のイメージも変化することでしょう!P.S.博打は・・・爽やかに??負けてきました・・・(涙)
Jun 21, 2005
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約2ヶ月にわたってポルトガル語を教えていただいた先生が、今日ニューヨークを発たれた。 日系三世としてブラジルのサンパウロで生まれ育ち、日本の大学に留学して・・・結果として日本人と結婚・・・ そして、二児の母となり、旦那さんの留学でニューヨークに家族で赴任され・・そして二年の月日が流れて、また、日本へ帰国。 日本とブラジルの間は飛行機を乗り継いでで約24時間?遠い故郷。ニューヨークで生活していた2年間は精神的にも故郷が近い分結構楽しい生活が出来ようだが・・・実際、故郷のご家族とも結構頻繁に行き来されていたようだ。 お子さん達はマクドナルドの前を通ると、「バタータ、バタータ!!」(ジャガイモの意。要は「フレンチフライを食べたい!」)といってねだるらしい。 一見普通の日本人の親子に見えるのだが、家庭ではポルトガル語と日本語と英語のチャンポン。 旦那さんも一時期本気でブラジルへの移住を考えておられたようだが、社費による留学を期に日本での職を続けることにされた。 日本に帰ると・・・日本語の生活が始まる。 今回、ニューヨークから日本へ帰国するに当たり、先生はどのような思いだったのだろうか?旦那さんはどのような思いだったのだろうか? 第三者の私に理解できるはずも無いのだけれど・・・でも、なんとなく、最後に「さようなら」といった先生の表情が寂しそうに見えたのは気のせいだろうか?
Jun 18, 2005
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本日は8時過ぎまでミッチリト仕事して、友人のロックコンサートに行ってきた。場所はイースト・ビレッジのAce of Clubs。コンサートは10時から。その前にビレッジのめんくい亭で腹ごしらえをして・・・いざ出陣。友人はドラマー。正確には友人の旦那さん。かっこよかったな~。ついでにそのバンドが出したCDも買ってきました。ロックバンドが演奏するライブハウスはマンハッタン内に複数あるのだけれど・・・例えば「CBGB」とか「コンチネンタル」とか。今日のライブハウスは良い音がしていた。場所はビレッジのはずれに近かったけれど・・・友人がやっているようなバンド・OR・ミュージシャンはどこまでやれるのか?とにかくがんばってほしい!ジャズのライフハウスもなかなか経営が辛いらしい。スイート・ベージルが店を閉めたのは約4年前。これからどうなってしまうんだろう・・・・・?仕事のことを忘れて耳がおかしくなるほどの大音響でロックを聴くのもたまには良い。普段はボサノバやギターのインスト、それにクラシックを聴いている。今日は新鮮でした。明日は接待で酒席。しんどいな。しかし、こんな生活が出来るのもマンハッタンならでは。さて、今夜もそろそろウォッカを煽って寝るとするか・・・明日も朝ハヨから仕事でんがな・・・とほほ(現地15日。0:50)
Jun 15, 2005
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このところニューヨークは蒸し暑い日が続いている。ほんの少し歩いただけで「ムーーーッ」として、「ジトーーッ」と汗が滲み出してくる。最高気温は30度近く、湿度は80%を超える場合が多い。この6月だけは日本の夏とそれほど変わらないのではないか?この暑いさなか、どうにもエアコンの効きが悪い。こちらのエアコンは音だけは強烈なのだが・・・ほとんど冷えない。あまりの騒々しさにステレオで静かな音楽を聞くことすら出来ないほどだ。我が家のエアコンは、おそらく15年選手。こちらの基準ではそれほど古くは無いはずなのだが・・・どうにもならない。しかし、周りの人たちの話を聞くと、これは我が家だけの問題ではなさそうで、おそらく米国中・・・あるいは日本を除いたかなりの国で同じような現象が起こっているようなのだ。さらに、この現象はエアコンだけではない。掃除機もそうなのだ。轟音を発するけれども、吸塵力はいまいち。百歩譲って(掃除機と違い)エアコンの場合、本当に必要となるのは(高層ビルのオフィスなどを除けば)極めて短い期間だけだ。おそらく6・7月ぐらいのものだろう。8月になれば、空気が乾燥している所為か日陰に入れば風は涼しい。部屋の中も窓を開ければ何とかなる。日本と違いエアコンがないと「溶けてしまう」という程ではない。だから、日本に比べて必要ではないのだろう。必要は発明の母・・・無理やり納得するしかないか!!しかし、しかし、会社のビルは、これがまた、恐ろしく寒い。エアコンが効きすぎているのだ。どうにも全般的に微妙な調節というものが不得意であるらしい。でも、不思議に理解できるところがある。それは日本と米国をはじめとした他の国々の政治政治をはじめとした国民性の違い。少なくとも米国では、「白か黒か?どちらかはっきりしろ!!」と常にいわれているような環境。日本は・・・「どっちでもいいんだよ・・・将来どうなるのかわからないけれど、微妙にどちらとも取れるように・・・とりあえず今、気分を損なわず気持ち良い方がいいんじゃない?。今は騒がず静かにしていなさい・・・問題は先延ばしだよ!」といった環境。どっちがいいんだろう??
Jun 14, 2005
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昨日、予定通り近所の映画館に行ってきた。Loews Lincoln Squareという映画館。この映画館は俗に言う「シネマ・コンプレックス」という「一つの建物の中に複数の映画館がある」というコンセプトでできた巨大な劇場。昨日は、その劇場の中だけで、「スターウォーズ・スリー」、「シンデレラ・マン」、「バットマン・ビギンズ」、「ハウルの動く城」をはじめ、全部で12の映画を上映していた。日本にも似たようなものができているとは思うけど、ここまで大きくはないんじゃないかな?もちろんニューヨークにも古くからある、由緒ある映画館(一つの劇場で一つの映画を上映している)もいくつかあります。しかし、(私は、米国内ではニューヨークの映画館にしか行ったことがないので、すべてが同じでないかもしれませんが)少なくともニューヨークの映画館に入ると、まず気がつくのが「ポップコーン」の香ばしい?匂いなんです。とにかく映画館に入った時点から、かなり濃厚なポップコーンの匂いに圧倒されてしまう。昔はこの匂いがかなり気になったんでけれども、不思議なことに最近では、この匂いがないと映画館に来た感じがしない。それどころか、昨日はふと気がつくと、大きなポップコーンの袋とコーラのカップを抱えて、席に座っている自分を認識してしまったような次第。慣れって怖いもんですね。そうそう、昨日見た映画は「ハウルの動く城」。面白かったです。宮崎監督の映画は漏れなく見ているのですが、アニメージョン自体はどんどんよくなっている。本当に細かな人の動きや表情、背景の動き等がきめ細やかに作られていて、絵の動きを見ているだけでも楽しい。ただ、最近の作品は、「うーん、何を訴えたいのだろう???」といった具合に、色々と考えさせられる物が多いように思う。(でも、なかなかすべてを理解できない。頭悪いんでしょうね。)でも、観ないと気がすまないんですね。単純に好きなんですね。
Jun 13, 2005
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ニューヨークで生活していると日本の情報飢えてくる。 もちろん会社における業務上の情報は十分に確保しているつもりだが、会社の情報ですら自分が直接タッチしている範囲外はわからなくなってしまう。 こちらの新聞・テレビやネットを通じた政治・経済・社会に関する情報・報道というのは、もっぱら米国内のもの。外国の関係では基本的に一般の米国人に関心のあるニュースしか取り扱っていない(視聴率を考えれば当然なんだろう)。それらの大半は欧州に関するもののような気がする。だから残念なことに日本の情報が取り扱われることは極めてまれである。これは米国人が日本の政治・経済に関してあまり関心を抱いていないということだろう。 もちろんこちらでも日経や朝日といった新聞は約一日遅れで読むことは出来る。スピードという観点ではネットを通じて様々なニュースの要約は見ることが出来る。ただ、それだけでは何となく心もとない。 こちらのテレビのチャンネル数は多い。何百というチャンネル数がある中で、英語以外の放送も結構ある。特別な契約をすれば一つだけ日本語放送を見ることが出来る。それはNHKの番組が主体。ベーシックな契約だけで見ることが出来る他国語の放送は大体スペイン語、中国語、韓国語。しかし、日本語放送はフジテレビのプログラムをウィークデイの朝1時間、夜1時間。そしてウィーエンドの夜に放送するだけ。 ただ、これはあくまでも報道番組といった観点。 日本のマンガはこちらの普通のチャンネルでも見ることが出来る。「ポケモン」、「遊戯王」といった子供向けの番組は結構放送しているようだ。たまに昔の「ゴジラ対キングギドラ」なんていう映画もやっていたりする。 レストランも日本食レストランはどこも繁盛しているようだ。野球にいたっては「マツイ」「イチロー」をはじめ日本選手の活躍が目立っている。 これらのことを勘案してみると、米国、少なくともニューヨークにおいては日本の文化は相当深く根付いてきている・・・といえるような気がする。 でも、本当の日本の姿、政治・経済的な関心は一般人にとってほとんど興味の対象には成っていないといいことなんだろう。 何だか少し寂しい。 今、私の住んでいるアパートの近くの映画館で「ハウルの動く城」をやっている。 今日は日曜日。 日本でもかなり話題になった映画だったはず。英語の吹き替えになっていると思うけど、見に行ってみようかな。
Jun 12, 2005
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