入間市の塾 愛夢舎からのメッセージ

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愛夢舎 塾長

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カテゴリ: 愛夢舎ヒストリー

【第6章】へもどる

1996年9月、
当時大学4年生の 鎌田昌典 は、
本部校舎である
「ひばりヶ丘教室」の一室に、
他の新卒内定者3名と座っていた。

この年で3年目となった
大学新卒者採用は、
年間を通じて数千万円のコストを投じ
コンタクトをとる学生も 数千名
とても開業10年目の会社とは
思えない規模になっていた。
そうまでして「よい人材」がほしかった。

一般企業同様、この塾では5~6月には次年度採用内定者を決定していた。
3年目となったこの年は、採用人数枠を拡大し、
それまでの2年を準備期間とするならば、
本格的な新卒採用の初年度であったと言える。

6月までに内定を勝ち取った学生は、すぐ 「入社前研修」 に参加する。
いかにして経験値のない学生を「即戦力」とするか。
組織が出した結論は、 大学卒業までの期間に育てる ということだった。

育てる過程で、 脱落者 は、やはり出る。
たかが月に4日間とはいえ、ほぼ丸一日拘束され、
高度な内容の研修を受けるうちに、内定を辞退する者、
他社へ流れていく者-。
「強い理念」だけではつなぎとめられない人材もいるのは、当然のことであった。

6月時点での内定者は、8月になると事前に定めた予定数を4名下回った。
この補充として行われたのが 「9月内定者採用活動」 である。
鎌田 をはじめとする4名は、この「補充メンバー」であった。

鎌田が9月内定に回ったのには、わけがあった。
それまで鎌田は、 全く別の業界への就職活動を続けていた。
目指していた業界とは、マスコミ業界-
特に、 音楽業界 であった。

あらゆる業界の中でも、テレビ局、レコード会社などのマスコミは、
特に採用活動の時期が早かった。
大学3年時の冬に本格化し、4年生になる頃にはほぼ終了してしまう。
鎌田は3年生時から就職活動を開始していたものの、
競争率数千倍 という難関になかなか門が開かず、
ほぼ全社が採用活動を終了する5月になって、活動に行き詰った。

対象の業界を少し広げてみよう。
そんなことを考えながら、6月、
鎌田は母校である高校に赴き、
社会科教員のタマゴとして、教育実習を行った。
「とりあえず取れるものは・・・」という程度に
教員免許取得のための授業を受講していたので、
教育実習に参加するも、別に教師になりたいわけではなかった。
しかし、実習を終える頃には
「教える仕事」についての考え方が少し変わっていた。
悪くないかも知れない、と。

夏休み。
マスコミ以外の業界も・・・と考えたものの、
さて、どの業界を見ようかという段になると、特に思い当たらない。
とりあえず、色々な業種の企業が集まる 「合同企業説明会」 に参加してみた。

正確に言えば、鎌田は既にある企業からの内定を得ていた。
ただ、滑り止め程度に試験を受けた金融系のその企業には、
ほとんど興味はなかった。
「本当にどこにも決まらなかったときには・・・」
その程度で考えていた。

新宿で行われた企業説明会では、
ひやかし半分で色々な会社のブースに顔を出してみた。
どの業界にも食指が動かないまま、会場内をうろついていたとき、
「どうですか?ウチの説明を聞いてみていただけませんか?」
と声をかけてきた女性スタッフがいた。
「烏合の衆」ともいうべき会場内において、妙にさわやかで明るく、
場慣れしている雰囲気もあり、
特に断る理由もなく案内された会社の説明を聞いた鎌田は、
ブースを去るときには、会社見学の申込をしていた。

佐々木 同様、 鎌田 もまた、塾業界に全く興味のなかった人間である。
さらに言えば、
鎌田は「塾」という産業に対して 否定的なイメージ しか持っていなかった。

「塾は受験戦争を引き起こした諸悪の根源だ。」
そんなことまで考えていた。

実は、彼自身は 学習塾に通ったことがなかった。
中学生の頃、成績上位であったことから、
どこからどういう風に情報が流れたものか、
自宅に学習塾から電話があり、
「無料でいいから通ってほしい」という勧誘につきまとわれた。
そんな経験からも、塾に対してはマイナスのイメージしかなかった。
それなのに、なぜ?

鎌田にとってこの塾は、彼のイメージする塾とは全く違っていた。
「勉強がすべてではない」 と言い切る姿勢、
「人格教育をもって『生きる力』を育てるのです」 という
力強い、自信に満ちた説明。

彼は文系学生であったが
「何かを創りたい」 という欲求が強かった。
音楽業界を志望したのも、何かを産みたかったからであった。
彼がこの塾との出会いで思ったのは
「『人』を育てるって、究極じゃないか?」 ということだった。

かくして、 鎌田 は遅ればせながら9月、
1997年度新卒採用内定者のメンバーに加わった。

~【第8章 そして彼らは出会った ~学生の混乱と企業の思惑】につづく






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Last updated  2010.04.17 19:15:10
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