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こんにちは、鎌田です
確か、以前にも同じようなことを書いた気がするけど、
最近また、とみに思うので、繰り返しになるかもしれないけど、
もう一度書こうと思う。
中学3年生の国語の授業では、
週に1度、 漢字テスト
を行っている。
事前に、次回の範囲はわかっているので、
生徒たちは、解答を見て練習をしてから塾にやってくる。
「読み」の問題が30問、「書き」の問題が30問の出題だけど、
僕が担当しているクラスでは、
60点満点を取る子も珍しくないし、
ほとんどの子が、間違えたとしても2~3個の範囲でとどまる。
これは、「練習すれば必ずできるようになる」という漢字練習の特性に対して
彼らが実直に対していることの証しであって、そのこと自体は良いことである。
が、僕が彼らに「漢字テスト」を課しているのは、
それが目的ではない。
彼らには「漢字」を「覚える」ための
漢字練習をしてほしくない。
もう少し極言すれば、
彼らは、「漢字」の「形」を覚えてもしょうがない。
では、「漢字テスト」の目的はなんであるか?
これは漢字練習だけでなく、僕の国語指導における根幹であるのだが、
なにしろ彼らには
ボキャブラリーを豊富にしてほしい
ボキャブラリー(=語い)は
「その人が『知っている』言葉の量」ということであろうし、
それは間違いではないだろうが、
僕は別の説明のしかたをする。
「その人が、使いこなすことができる言葉の総体」 。
「使いこなす」ということは、
文章中、談話の中においてその言葉が登場したときに
適切に言わんとすること、その言葉が表すことをイメージすることができる、
そして、自分の談話においても適切に加えることができる。
なんかまわりくどい説明のようであるが、
ここまで説明しないと、なかなか理解してもらえない。
そこで、僕が「漢字テスト」において
彼らには豊富なボキャブラリーを身につけてほしいというのは、
こういうことである。
「漢字テスト」というのは、
その漢字・熟語だけで問題ができているのではない。
例えば、こんな問題があった。
「大使館でビザの シンセイ をする。」
この問題において、答えとして求められるのは
「シンセイ」の部分を「申請」と書くことであり、
だから、彼らも「申請」という熟語を書くことで練習とする。
が、僕が彼らに望むのは、そういうことではない。
「大使館でビザの申請を」するということが
映像としてアタマの中でイメージできることである。
当然、「大使館」とはどういうところで、
「ビザ」とはどういうものであるかを知っている必要がある。
実際のところ、どうであったかというと、
「大使館」についてはともかく、
「ビザ」について説明できた生徒は、ひとりもいなかった。
それは、ウチの生徒たちがモノを知らない
ということだけかも知れないけど、
だから、それはこの際どーでもいい。
正確に意味をとらえていない
にもかかわらず、
そこに疑問を持たない
、
ただ「申請」を練習する。
場合によっては「申請」の意味は気になるかもしれない。
でも、文全体の意味の不確かさに思いあたらない。
厳密に言えば、「知らない」のではない。
「知らない」ことを「知らない」。
例えば、 「ビザ」
であれば、
その意味を僕が彼らに問うたところ、
何人かの生徒が
「お金のこと」
と答えた。
おそらく、「VISAカード」のイメージから
「ビザ」に関してのイメージがあったのだろう。
だが、これは間違っている。
だから、「適切」に使用できないから
これはボキャブラリーに含まれない。
でも、彼らにしてみれば
「知っている」と思っているわけで、
ではその「知っている」ことが間違いであるということ、
元を正せば、「知っている」と思い込んでいて「知らない」ということ
そこにどう気づくべきか。
そこが大きなテーマになる。
僕個人についていえば、
高校生の頃に筒井康隆の虚構小説を読みすすめていくうちに、
現実の不確かさ、テーゼの曖昧さ、
世の中で「真実」といわれてることの根拠のなさなんかを思ってしまって、
だから哲学科なんてとこに進学したわけだけど、
そして、ソクラテスの無知の知、
デカルトの「方法」などに触れ、やがて実存主義の方向へ進むようになって、
そのため今現在も、自分の「知っている」の不確かさを常に思うから
そこで、疑わしき点を、現実社会で可能なかぎりクリアにしたいと思うから、
たぶん「知らない」に気づくことは多いのではないかと思う。
でも、自分の「知識」を疑うということは
たしかに難しいことであるかとも思う。
ただ、「知らない」を「知る」ことが
ボキャブラリーを豊富にしていくきっかけであって、
それは無論、国語という教科を飛び越えて、
おそらく人はみな、アタマの中の思考を「言葉」によって行うから、
ということは、ボキャブラリーが豊富であればあるほど
より深い思索が可能になるはずであるから、
ボキャブラリーが豊富であることは、
その人の認識が広がることでもあり、
ひいては、その人の人生がどこまで豊かになるかでもあると思う。
だから、僕は
小学生でも高校生でも、
大人であっても、
「知らない」ことに気づきたいと思う。
そして、自分自身では「知らない」を「知る」ことが非常に難しいのであれば、
第三者が「知らない」ということを教えてあげてもよいと思う。
僕の授業は、
教科に関わらず、
だから、そういう方向になる。
…うーむ、書いてるうちに
どんどん難しくなっちゃった^^;
まあ、カンタンに言えば、
意味のよくわからない言葉は
必ず誰かに意味を聞くなりして
少しでもイメージを固めるようにしましょう
・・・と。
もちろん、そのとき、
「知らない」を「知る」こと、
そしてそれを「知っている」に変わっていくことが
どれだけ楽しいかということを「知る」ことが絶対に必要なのだけれど。
Kama
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