ーーー 記事 ーーー
立憲民主党で日本から「社会主義の亡霊」が消える
資本主義を取り戻す「保守革命」への道は遠い
2017.10.6(金) 池田 信夫
失われた日本の「保守革命」
小沢氏の理念は、それなりに一貫していた。彼が自民党の幹部だったときは、ハト派を追い出して「社公民」と合併させ、保守とリベラルの二大政党にしようという保守二党論だったが、彼が自民党を離党して社公民と合流したことが混乱の始まりだった。
細川政権の最大会派は社会党であり、何かにつけて小沢氏と対立した。この「ねじれ」を解消するため、彼は1994年に自民党の右派を引き込んで社会党などを切ろうとしたが、自民党は社会党の委員長を首相に指名する奇策で裏をかき、自社さ連立政権ができた。
のちに小沢氏にインタビューしたとき「55年体制では自民党と社会党は地下茎でつながっていて、国会は実質的に全会一致だった。そうでなければ自社の連立政権なんかできるはずがない」というので、「ではなぜ自社さに裏をかかれたのか」と質問したら、「あそこまで節操がないとは思わなかった。私も若かった」と笑っていた。
細川政権で実現した小選挙区制で、日本も英米型の二大政党になるはずだった。小沢氏も社会党を追い出したあと、新進党で二大政党をめざしたが、社会党とさきがけなどが民主党をつくった。このときの自民・新進・民主の3極も今回の選挙に近いが、消えるのは民主だと多くの人が予想した。
ところが小沢氏はこのときも新進党をまとめるのに失敗し、1997年末に解党してしまった。これが彼の最大の失敗だった。このとき右派を自由党に結集しようとしたが、それは50人余りの小政党になってしまった。日本の保守革命は、このとき失われたままである。
小泉政権は不良債権の最終処理という構造改革は実現したが、それ以外は大したことはできなかった。それは小泉首相の「個人商店」だったので、内閣が変わると自民党は昔の自民党に戻ってしまった。
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