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常識というのは、
「その時」「その場所」でしか成立しない。僕はそう考えている。
「その時」や「その場所」を
どれぐらいの幅で捉えるかは状況次第だが、
今僕らが常識だと思っている事柄は、
「その時」や「その場所」から外れてしまえば
もう常識ではなくなってしまう。
しかし僕らは、
常識というのは
いつどんな場所でも成り立つと考えてしまいがちだ。
そういう発想から抜け出し、
常識に囚われずに物事を見る視点を獲得できるだろう1冊を紹介しようと思う。
「自閉症」という障害に、どんなイメージを持っているだろうか?
自閉症と言ってもその発現の仕方は様々だが、
特に重度の自閉症患者は、
知能が足りず、意味の分からない行動をする者に見える。
僕は、自閉症について深く考えるような機会がなかった
(つまり、人生で自閉症患者とはっきり分かっている人と出会うことがなかった)
が、漠然としたイメージで言えばやはり、
知的障害がある人たちなのだと思っていたはずだ。
知的障害があるからこそ、
僕らの言葉も理解できないし、
手をぶらぶらさせたり奇声を発したり
というような行動を取ってしまうのだろう、と。
そんなイメージを鮮やかに覆してくれたのが、
本書『 自閉症の僕が「ありがとう」を言えるまで 』(飛鳥新社)
の著者であるイド・ケダーだ。
イドは重度の自閉症患者であり、
そして明らかに知的障害を持っていると診断されていた。
《知的障害のある自閉症者もいるのかもしれないけれど、
みなさんが考えているほど多くはない。
ぼくたちが知能テストで失敗してしまうのは
「出力障害」のせいだ。
内側で考えていることを正しく外に出せない。
出口を見つけた自閉症者はごく少数だ》
重度の自閉症患者でありながら、
自分が考えていることを外に発信する手段を
苦労の末手に入れることができた彼は、
自閉症を内側から観察し、それを言葉で表現している。
話しかけられた言葉はすべて理解できるし、本だって読める。
しかし、自分が考えていること、
理解していることを、外側に発信する手段がないのだ、と彼は語る。
それゆえ、知的障害があると判断され、
自分が既に完璧に理解している事柄を繰り返し覚えさせられ、
しかしその苦痛を表明することができないでいた彼は、
こんな風に語っている。
《自分の頭がまともだ
ということを知っているのは
自分だけなのだ。
断言できるけれど、
これは一種の地獄だ》
彼がどのように言葉を獲得し、
どんな苦労と闘いながら社会の中で生きているのか、
その奮闘はぜひ本書を読んで実感してほしい。
ここで僕が書いておきたいことは、
「専門家」と呼ばれる人たちについてである。
イドは、ある時運良く、
自分が知性を持っていることを発信する手段を手に入れることができた。
それから彼は猛特訓して、
文字盤を指差すことでコミュニケーションを取れるようになったが、
「専門家」の中にはこの事実を認めない人がまだ多く存在すると言う。
《本書の目的は、
専門家たちが長いあいだかかえてきた思いこみに挑戦することです》
イドの母親は冒頭でこんな風に書く。
「専門家」は、イドという現実を、
「自分たちが持ち続けてきた仮説に合わないデータ」
として斬り捨てようとしている。
そうしなければ、これまで自分たちが信じてきた仮説を、
それを信じることで「専門家」としてやってきた仮説を
手放さなければならないからだ。
イドの存在を認めないことで
その苦痛から目を反らそうとする「専門家」に対して、
イドは諦念を込めてこう語る。
《そのことを気にするのはやめた。
それはぼくの問題ではなく、彼の問題だと気づいたから。
その人は自閉症について学ぶ機会があったのに、
無知でいることを選んだのだ》
こうであるはずだ、
という思いこみを捨て、現実を受け入れる。
そういう人間でありたいものだと思う。
【JBPress http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50078 】

(イド・ケダー著、入江 真佐子翻訳、飛鳥新社)
自閉症のぼくが「ありがとう」を言えるまで/イド・ケダー/入江真佐子【1000円以上送料無料】
東田君のような才能を持った方、
自分だけなく、他者をもきちんと分析する辺りは、
正に神の領域のようですね。 🌠
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