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単純計算すると3組に1組の夫婦が離婚している日本。
そこにいたるまでの理由は多種多様だ。
そもそも1組の男女が、どこでどうすれ違い、
離婚という選択肢を選んだのか。
それを選択した一人ひとりの人生をピックアップする本連載の第5回。
現代社会が抱える家族観や結婚観の揺らぎを追う。
「前の夫の態度が急変したのは、
第1子の息子に重度の小児ぜんそくがわかってから。
"王子"と呼んでそれまでかわいがっていたのに、
突然『こいつ俺の子じゃねぇ』って、言うようになった。
長男にはかわいそうだけど、
病気の子を持ったというのが大きかったと思う。
そこからおかしくなって、
夫のDV(家庭内暴力)も始まったんです」
田中恵理子さん(59歳、仮名)は少し遠くを見つめながらそう語った。
現在、恵理子さんは別の男性と再婚して看護師として病院に勤めている。
若々しくて、
かわいらしい顔立ちの女性で年齢よりはずっと若く見える。
恵理子さんは、アパレル関係の営業マンの上野聡(当時21歳、仮名)と、
27歳のときに結婚し、37歳で離婚した。
聡とは、看護師の友人がセッティングした合コンで知り合った。
すぐに食事に誘われ、結婚まで時間はかからなかった。
「聡は、TUBEの前田さんに似たさわやかイケメンでした。
高校時代までラガーマンでバリバリの体育会系だったから、
マッチョでカッコよかった。
押しの強さと若さに負けて、結婚した感じですね。
聡は長男で両親から結婚のプレッシャーもあったみたいで、
どんどん流れで結婚が決まっていきました。
私のほうも年齢的にも周りが次々と結婚していく中で、
『世間体を考えても、結婚しなきゃ』
って歳になっていて、
その勢いに乗っかったって感じ。
その前に、何年も付き合った相手に浮気されて失恋していたから、
私だって結婚できるんだと思いたかったのかもしれない」
新横浜のホテルで大々的に式を挙げた。
すぐに息子を身ごもった。新婚当初から夫は優しかった。
お産の時も立ち合って、心配そうに一晩中病院の周りをウロウロしていた。
恵理子さんは、平凡だが、円満な家庭生活を手に入れたと思った。
長男が重度の小児ぜんそくだとわかるまでは――。
それは、長男が1歳2カ月を迎えたばかりの、ある日の夕方のことだった。
息子が苦しそうにせき込んでいた。
最初は風邪かな、と思っていた。
しかし、すぐにゼーゼーヒューヒューという呼吸音に変わり、
それと同時に唇が紫色に変化した。
看護師の経験から、すぐにチアノーゼだと感じて、救急車を呼んだ。
救急で駆け込んだ病院では、あまりに重篤な症状だとの診断で、
県立の子供病院に救急車で転送された。
そこで息子が、重度の小児ぜんそくだと医師に告げられたのだった。
その事実を知った夜から、夫の態度は豹変した。
家に帰るなり、
「それは俺の子じゃねぇからな! 俺の家系にはそんな弱いやつはいねぇよ!」
と聡は恵理子さんをののしった。
突然目の前が真っ暗になった。
「夫が、『うちの家系にはこんな病弱な子はいない』
と大声で怒鳴ってきたんです。
私が『息子の病気をそういう受け止め方をしないで。
病気なんだから、しょうがないじゃない』
って何度も泣きながら説得したけど、
『てめえが悪いんだ!!』って言って聞く耳を持たないんです。
『てめえ』とかこれまでの人生で、親とか兄弟にも言われたことがなかったし、
夫の豹変ぶりにびっくりして頭がクラクラして、
全身の震えが止まらなくなりました」
それ以降、聡は、あからさまに長男と距離を置くようになった。
ちょうどその頃恵理子さんは、妊娠6カ月で、
すでに第2子となる次男を身ごもっていた。
夫は、身重の妻を気遣うこともしなくなり、
病弱な長男の存在を完全に無視することに決めたようだった。
長男の長い闘病生活が始まった。
朝起きると、まず長男の呼吸を
ピークフローメーター(ぜんそくの管理に使用される医療用計測器)でチェックし、
朝、昼、晩、とステロイド吸入剤を服用させる必要があった。
家は、床にほこり一つない状態をつねに保ち、
毎日布団のシーツをすべて取り換える。
それでも、長男はいつどこで発作が起こるかわからないため、
四六時中つきっきりで看病しなくてはいけなかった。
夜中も突発的にぜんそくが起こることも多く、目を離せない。
恵理子さんは、長男が発作を起こすたびに、
しだいに大きくなるお腹を抱えながら何度も、
たった1人で深夜の救急病院に駆け込んだ。
そんな大変な日常に追われながら、
6カ月後、次男が無事誕生した。
恵理子さんは、出産後、
1週間は産院に入院して体を休める予定だった。
しかし、医師に懇願して、特別に5日目で強引に退院することになった。
長男の救急病院に呼び出されたからだ。
夫の協力が得られないため、
産後まもない体を文字どおり引きずって、
恵理子さんは長男のいる救急病院にすぐに駆けつけた。
高濃度の酸素が充満したテントの中にいる長男を励ましながら懸命に看病をした。
「あんまり早い時期に産婦人科を退院したから、
胸が母乳でどんどん張っていくんです。
私、すごく母乳が多いからバンバンあふれてきちゃう。
だから、搾乳機を持って上の子が入院している病室のトイレで搾乳して
便器に流していました。
もう、みじめで、悲しくて、私、
何のために生きてるんだろうって思いました」
本来は、看護師という資格を生かして育児をしながら職場復帰を考えていたが、
長男の看病もありそれはかなわず、恵理子さんは夫に依存する専業主婦生活を続けざるをえなかった。
長男は、結局小学校低学年まで、
1年間365日のうち、3分の2以上を病院で過ごした。
「長男は、お正月も病院で迎えたし、
小学校の運動会とかも、行ったことなかったですね。
幼稚園の卒園式でさえも入院していたから、
そういうのが夫は耐えられなかったんだと思う。
『てめえがこんな子を産みやがって』って夫には何度も責められた。
その神経が信じられなかった」
まったく育児に協力しない夫のせいで、
恵理子さんへの負担は徐々に膨れ上がっていく。
病院に呼び出されることは日常茶飯事で、
生活のほとんどの時間が長男に注がれていたせいか、
その影響は次男にも表れ始めていた。
「幼稚園の先生から次男が『ご飯を食べなくなった』って言われた。
1人だけお弁当のふたも開けなくて
まったく食べようとしなかったみたいなの。
それが何日も続いた。
『お母さん、何とか食べられるものを。工夫してもらわないと困りますよ』
って言われて、
とにかくいろいろお弁当は工夫したんです。
サンドイッチにしてみたり、プチおにぎりを作ってみたり、
お弁当箱を新幹線の形にしてみたり、
だけど、次男は決して口をつけてくれなかった。
本人は、食べることよりも私と一緒にいたかったんだと思う。
幼稚園にお迎えに行ったら、誰と遊ぶこともなく、
いつもひざを抱えて座ってるの。
そのときは、とにかくすごく罪悪感がありましたね」
次男を児童精神科に連れていくと、心因性の不安神経症だと診断された。
それ以降、次男は児童精神科への通院を繰り返すことになった。
恵理子さんは長男と次男の問題を1人きりで抱え込み、
毎日頭がいっぱいで疲れ切っていた。
しかし、それにもかかわらず夫は頻繁に恵理子さんの体を求めてきた。
「上の子のことで頭がいっぱいで、毎日疲れていて、本当は拒否したかった。
だけど拒否すると、
『ざけんな、この野郎!!』って無理矢理犯されるような形で。
今日は疲れているといってもしようとするから、
目をつぶりながら、
ほかのことを頭の中で考えて応じていた感じですね。
出して終わりみたいな愛のない行為でした。
第3子だけは妊娠しないようにって、それだけは祈ってました」
それでも、恵理子さんは懸命に結婚生活を維持しようと努力していた。
毎食欠かさず食事を作り、家事も完璧にこなして夫の帰りを待った。
しかし、前々から予兆のあった夫のDVが日に日にエスカレートしていく。
夜の11時過ぎに仕事から帰宅した夫の食事の準備をしていたら、
激怒した夫にみそ汁を茶碗ごと投げつけられたこともあった。
だからつねにビクビクしていた。
「おみそ汁って、
少し時間が経つと
お野菜がクタクタになってるじゃないですか。
『こんなふにゃふにゃになりやがって!』
って大声を出しながらたたきつけられた。
ソファーに汁がしみていくら拭いても取れなくて、
丸ごとゴミとして、捨てたこともある。
スリッパがそろってないというだけでキレて、スリッパを投げつけてくる。
暴力のきっかけが何で始まるか、本当にわからなかった」
ついに子どもにも平手打ちを食らわせるようになり、
お通じが間に合わなかったという理由からグーパンチで殴るようになった。
「子どもたちってどうしても食べるのが遅くて、
夫はいつもそれにムカムカしていた。
『早く食べろよ!おっそいんだよ!』
と言ってキレてはしを真っ二つによく折っていました。
だから夫の休みの土日がとにかく恐怖でした。
子どもたちが食べるのに遅いことに気づいた途端、夫が怒り出すんです。
それ以降は、怖くなって、土日はわざと料理は作らずに、
ピザを1枚取るようになりました。
ピザなら、自分の好きなペースで食べられるから」
しかし、恵理子さんがいちばんつらかったのは、
長男がいくら苦しがっても、
まるでそこに存在しないかのように扱うことだった。
長男が4歳の時、真夜中の2時ごろに、
長男の部屋からコホンという声が聞こえてきた。
その音は、ヒューヒューという苦しそうな音に変わっていく。
息子は咳き込んでいるのに、聡はまったく気にしない様子でグーグーと寝入っていた。
いつものことだった。
恵理子さんは、子ども病院に電話して、医師に病状を説明すると、
すぐに病院に車で連れていくことになった。
病院に着くと、いつものように長男は高酸素テントに入り、点滴が始まる。
症状が落ち着いてきたため、医師に
「お母さんが看護師さんなら、点滴は自宅で外せばいい。もう帰っても大丈夫ですよ」
と言われた。
長男を抱えて車にS字フックで点滴を吊るして、朝6時前に帰宅した。
家のシャッターは閉まっていて、辺りの街灯は消えていた。
家のチャイムをピンポンピンポンと何回も鳴らしても誰も出てこない。
自分で鍵を開けて、長男を寝かしつけて、ベッドに入った。
夫に目をやると、ベッドで口を開けて眠りこけている。
なぜだか無性に悔しくて、涙が出てきた。
1度あふれ出した感情は止まらなかった。
「せめてシャッターくらい開けていてくれればいいのにって思った。
それから、ベッドの中で、仰向けになって横になって、泣いた。
夫に気づかれないように、声を出さずにとにかく泣いたの。
なんで私だけこんな思いをしなきゃいけないんだ。
私の人生こんなんじゃない。
こんなふうになるために生まれてきたんじゃないって。
そのときに、もう終わったと思ったの。
離婚したい、別れないとこの人とはもう無理だって、離婚を決めたの」
翌日から、離婚するためにどうしたらいいのか考えるようになった。
まずは経済的に、自立することだと考えた。
長男が小学校に入ると、少しずつ症状が安定してきたこともあり、
午後の数時間だけ看護師としてパートタイムで働き、体を慣らしていった。
そして、長男がステロイドの吸入が完全に自力で行えるようになった小学3年生のときに、
夫に離婚を突きつけた。
離婚をめぐって聡とはもめにもめたが、離婚成立後は、
看護師として身を粉にして働き、現在に至っている。
懸命に働く母の姿を見て育ったせいか、息子たちはたくましく成長し、
いつしか社会人として自立した生活を送るようになった。
あれだけ恵理子さんを悩ませた長男のぜんそくは、
成長するにつれてうそのようによくなった。
恵理子さんは、45歳の時に、婚活サイトで知り合った人と再婚した。
今の夫は、聡とは真逆の性格でおっとりしていて、
平穏で幸せな生活を送っている。
しかし、恵理子さんが聡から受けたDVの後遺症は今も続いている。
最初の結婚生活から20年以上過ぎ去った今でも、
不安に襲われることがあり、睡眠薬や向精神薬が手放せないのだ。
最後に、率直に恵理子さんが結婚についてどう思っているかを聞いてみた。
「私は、再婚しているのでちょっと矛盾しているように聞こえるかもしれませんが」
と前置きしたうえで恵理子さんはこんなふうに答えた。
「究極的には、結婚って別にしなくていいんじゃないかと思っています。
私は看護師で経済力もあるし、事実婚でよかったかもしれない。
そのくらい前の夫から受けたDVは、本当に怖かった。
DVは結局相手と離れるしかないんですよ。
じゃないと、絶対に変わらない。
だけど別れたいのに、
籍を入れたがために縛られるし、自分自身をも縛ってしまう。
私がそうだったから。
だから結婚以外の男女の関係があったら、
そっちを選択するのも1つの方法だと思います」
そのしっかりとした揺るぎのないまなざしに、
人生のさまざまな苦しみを背負ってきたゆえの
底知れぬ強さのようなものを垣間見た気がした。
[東洋経済]
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