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■「勇太君の生活とか人生は豊かなものですか?」
5年前に本書を執筆したとき、
母へのある質問に続くやりとりを丸ごと割愛した。
それは次のようなことだ。
勇太君の人生は山あり、
谷ありだったと言ってもいいだろう。
プールで指導員に罵倒されたこともあった。
でも初めて言葉が出たときの喜びもあった。
谷があるから、山が際立つ人生だと言える。
私は自閉症の子どもの生きる道は、
大まかに言って平板なものかと思っていた。
だがインタビューをしているうちに、
勇太君には彼なりの豊かな世界があるような気がしてきた。
トイレの水流に熱中するのは世間の基準からすれば
少し不思議な興味には見えるが、
それはそれで熱中できる何かを持っているのは
若者として中身の詰まった生き方に見えた。
そこで母に尋ねた。
「勇太君の生活とか人生は豊かなものですか?」
すると母は「うーん」としばらく考え込んだ。
1分くらい黙り込んでしまったのである。
「どうでしょう? 豊かと言えるでしょうか。
くり返しが多いし、
むしろ平凡な毎日じゃないでしょうか……」
これは意外な答えだった。
返答があまりにも歯切れが悪かったので、
このインタビュー部分は原稿から落とした。
あれから5年経ち、
私はもう一度、同じ質問をしてみた。
今度は間を置かずに返事の言葉が出た。
「そう思います。豊かに生きていると思います」
私には「なぜですか?」と重ねて聞く必要はなかった。
答えはすでに母の言葉の中にある。
大人になっても人は成長する。
成長し続ける勇太君は間違いなく豊かに生きていると言えるだろう。
5年という時間は大きい。つくづく私はそう思った。
---------- 松永 正訓(まつなが・ただし)
医師 1961年、東京都生まれ。
87年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。
日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。
2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。
13年、『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』
(小学館)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。
19年、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』
(中央公論新社)で第8回日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞を受賞。
著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、
『呼吸器の子』(現代書館)、
『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』(中央公論新社)、
『どんじり医』(CCCメディアハウス)などがある。
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医師 松永 正訓
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