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2005年05月24日
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カテゴリ: 鎌倉・室町・戦国
 前ブログにてお話ししました藤原頼長さんの続きです。

 彼は前述したように本が大好きだったのですが、更にマメに日記をつけていました。当時の貴族は大概日記をつけていたと思いますが、彼の日記である「台記」(たいき)はかなりプライベートなことまで書いてあり、当時の歴史を知る上で欠かせない資料となっています。

 彼は日記に大晦日になるとその年に読んだ本のタイトルを全部書いていたり(なんと千冊以上です!)風俗店にいったことから、ある人を殺し屋をやとって殺したなどモロに書いているんですが、その中で男性との性交渉したことを書いています。しかも複数人。

 ただ、男性のみに愛情を持ったわけでなく、愛妻もいたし複数の奥さんがいて子供もいました。

 いわゆる「両刀」なのです。しかしなんでこんなことになったんでしょうか?

 それは、当時女性の社会的地位が落ちたことや、男が春を売っていい役職につこうとしたなどがあげられます。詳しいことはそれでテーマを設けてお話ししましょう。

 ちなみにこの藤原頼長さんはお兄さんと財産の奪い合いになり、その時、天皇家
でも財産争いをしていてお互いが2つに別れて大喧嘩していました。両チームとも
当時、力をもってきた武士を雇って戦争に突入します。保元の乱といいます。

 その時頼長さんチームと反対側についたのが、平清盛や義経の父の源義朝などでした。結局頼長さんは負けてしまい、舌を噛んで自殺しました。37歳でした。

 しかしその直後、こんどは平清盛と源義朝が対立し戦争します。平治の乱といいます。

 今度は義朝さんが負けてしまい平清盛さんが実権を握りますが、義朝さんの子供たちの頼朝、義経らにより清盛さん死後の平氏を滅ぼし、更に義経がお兄さんの頼朝に滅ぼされ、源頼朝のベンチャー政権が鎌倉に確立します。

 これにより天皇家や藤原さんの力は大幅に縮小されかつての勢いはなくなっていくのです。藤原頼長さん自殺後30数年後のことでした。

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最終更新日  2005年05月24日 19時41分08秒
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