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どもー(=゚ω゚)ノ
急な話になりますが、うーん、急…でもないかな。
圧迫骨折で10年近く前に農業を引退して、その後何度も転倒したりして骨折や腸閉塞などで入退院を繰り返して来て、3年前からは歩けなくなり車椅子生活になっていた父が亡くなりました(´・ω・)
数日前から急に弱って来たらしく、14日真夜中に救急搬送になって肺炎と心臓肥大と診断されてね。
15日深夜に酸素濃度が79まで下がったからと連絡受けて、私と母と兄が病院に駆けつけた時は90まで持ち直してて、16日昼に上の弟が見舞いに行った時は94まで上がってて、普通に会話も出来ている状態だったらしい。
だから山は越したかと全員が安心してたら、17日9時に病院から酸素濃度がまた低下して来たのでと連絡が入ったので母が病院へ。
母が着いて5分位で、手をさすってる中で苦しみもせず静かに亡くなったらしい。
母が最後の立ち会いを出来たので良かった。
私は丁度稲刈り中でコンバインかっ飛ばしてた。
16日に代表に、父が危ないので万が一の時は交代お願いしますって言ってあったので、母からの父死亡電話を受けて代表に電話して、即交代して貰って帰宅。
田んぼ服を脱ぎ捨てて、チクチクの顔面落として顔面適当に作り直してから病院へ。
母と共に手続きしてる時に勤務先から兄も合流。
丁度有給取ってた上の弟も実家で合流。
まあ実家の片付け(子供達が日常的に盛大に散らかしてて1階は色々ゴミ屋敷( ̄▽ ̄;))が大変だったwww
こっちの風習で内輪夜伽(仮通夜)ってのがあってな。
亡くなった当日にも坊さん呼んで普段着で家の仏壇でお経を上げるのよ。
それを17日に行って、セレモニーホールで18日にお通夜、19日にお葬式、そして斎場で火葬。
その後ホールへ戻って初七日までのお経も済ませて貰ってやっと解散。
専業米農家で、農業一筋で体を酷使してきたもん、もうボロボロだったわ。
お疲れ様でした、お父さん(*^ω^*)
歩けない動けない悔しさから解放されて、今は自由になってることでしょう。