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2004年06月22日
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 影をくれてやったために困った男の話がある。
 影はもうひとりの自分というほどの意味だろうが、なるほど影がなくなれば本体の存在もなくなるわけであるから、ひとから、軽くあつかわれるもの無理はない。
 影があってはじめて、ものの存在がはっきりする。
 『日本古典文学の仏教的研究』松本寧至 和泉書店(2001)

日本の絵には、あまり、影がなかった。東海道五十三次、写楽。
レンブラントが、絵に陰影をあたえた。影を書く、つまり、「光」を書いたことは有名である。

わたしは、陰影のない絵も好きである。波田野治の花の絵に、ライオンの胴体をつくけて、北野武の絵ができあがった。名作『HANA-BI』劇中に挿入される絵がそれだ。

わたしは、光と陰のある絵も、陰影のない絵も、どちらも愛している。

影をくれてやることができるなら、それも経験してみたい、と本気で思っている。





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最終更新日  2012年04月06日 11時53分24秒
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