2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
全6件 (6件中 1-6件目)
1
も一つのブログ丸写し編です(わかる人には分かる。ハハハ)。 せっかくやし、少しでも多くの人に読んでもらいたいんでお許しくだされ。【アメリカ大使館】 マニラ湾を背にして建つアメリカ大使館。 夜、その前を車で走っただけなので、全容はよく分からなかったが、マニラ湾を背にして建設されている理由は、 いつ何時、この国ではクーデターが起こるかわからないので、 そんな時、大使館職員の身の安全を確保するため、急遽、 海兵隊が駆けつけ、背にした海側から職員を救出できるように との配慮から、マニラ湾を背にして建設されているという。 【暗い街】 マニラ市外でも、本当の中心部(エリア的には非常に狭い) を除けば、街が異様に暗い。 その背景には、電気料金が高いという背景もあるそうだが、 若者たちらが集う歓楽街というか、飲み屋や映画館などがある 幹線道路集辺でも、まるで田舎町のように暗い。 東南アジアで、最も暗い首都であるという。 【交通標識】 一般道だけじゃなく高速道路も同じく暗い。 それと、道路を車で走ってすぐに気がついたんだが、 日本と比べ、交通標識が非常に少ない。 100分の1以下だと思う。 【学制】 日本は、6・3・3制だが、フィリピンは、6・4制。したがって、カレッジ(2年制大学)は、16歳になる年に入学、4年制大学は20歳で卒業とのこと。 【制服(スケベおやじの視点から)】 恐らく6・4制のあとの4年制の生徒だと思うが、 女生徒の制服がとっても可愛らしかった(笑)。 大体、上が白のブラウスで、下がチェックのスカート (日本より長め)で、デザイン的には特に素晴らしい といえるようなものではなかったが、日本のその年代の子供達 のような崩れた着方をするでもなく、髪を染めるでもなく、 非常に清楚だった。 【幹線道路から一歩中に入ると・・・】 マニラから、マタブンカイというリゾート地(時間が無く行けず) に向かう途中、ラグナ湖という大きなカルデラ湖があり、 ちょっと湖畔から覗いてみようかと、幹線道路から 住民が生活する住居地の中に入っていった。 やはり、(知らないけど)日本の終戦後のような感じの かなり貧しい家々が多かった。そして湖畔に車をとめ、 窓からのぞくと、湖畔の家の庭に小学校高学年くらいの少年が。 目がトロンとしている。よく見るとシンナーみたいなのを 吸っているようだ。周りには、痩せこけた野良犬が数匹。 少し、危険な香り。車を降り立って湖畔に立ち、 しばし湖を見学。どこからとも無く、「船に乗らないか」と 声をかけてくるオッサンが現れる。 五月蝿い勧誘を振り払い、再び車に乗り込み、帰り際、 さっきの少年はどうしているかとその家を見ると、 母親の洗濯物干しを手伝っていた。 それは偉いと思うのだが、 学校は? シンナーみたいなのを吸ってても母親は何も言わないのか? そんな疑問を感じる場面にも出くわした。 一方で、幹線道路に出るまでに、先述の『清楚な女生徒』にも 何人か出くわした。 【犬】 野良犬もたくさん見かけたが、どの犬も非常に痩せていた。 日本では、犬も糖尿病になるとの話を聞いたが、犬にとっては どちらが幸せなんだろう? 【メトロマニラ(マニラ首都圏)のケソン市での出来事】 現地滞在中は、現地の日本語新聞もほとんど見なかったが、 最終日、出発までに少し時間があったので、新聞を見ていると、 1面の下のほうにこんな記事が。 マニラ市に隣接するケソン市での出来事。 記事によると被害に遭われたのは、フィリピン滞在数十年の 日本人の60前後のご婦人。 知人の葬式に行く途中、道がわからなくなり、 運転手が車を降りて道を尋ねているとき、突然車の後ろで 何か音がし、振り返ってみるとレッカー車につながれていた。 瞬間に、警察の取締りではなく、拉致されたと思ったそう。 運転手が戻ってきて、日本人であることを悟られないように、 耳が聞こえないのと、そのせいで話すことも出来ない振りを するように指示をしたという。 ご婦人も、どの道、身代金を払えば数ヶ月以内には開放される だろうと覚悟を決めたととのことであった。 同市では、最近偽レッカー業者による誘拐事件が多発している とのことで、たまさかそこを通りかかったレッカー強盗を 警戒して巡視していた警察に上手く気付いてもらい、 事なきを得たそうだが、 警察は犯人グループ(7~8名)を拘束せずに署に連行しよう としたため、二人を除いて他の犯人には逃げられたという 『落ち』にも見えるが、フィリピンに立った数日居ただけで、 『落ち』ではなくそんなもんなんだろう思える出来事が 書かれていた。
2006.09.26
コメント(72)
カジノの巻(うん!?どこかで読んだような・・・。まぁ、許してたもれ)滞在2日目の夕食後に連れて行ってもらった。 この時は、義理の妹の家族とも一緒だった。疲れたので早く帰りたいという女性陣を運転手さんとともに車に残して、一時間くらいで帰るからと言って、妻の従兄弟(Yさん)と、両家族の男二人ずつの計5人で行く。 事前に、何故かは分らないけど、ジーンズでもいいからズボンと、スニーカーでもいいから靴を履いていくように言われた。 入り口でボディチェックを受ける。 野球帽を被っていたが取り上げられた。そしていよいよカジノの中へ。 建物は、地下1階地上2階の3階建てで、まずは2階の一番奥にある両替と、チップへの交換コーナーに行く。 (円からペソへの両替コーナーは銀行だとのことだった。) 各家族1万円を両替。一人5千円相当をチップにしていよいよ勝負勝負!! 地下1階はスロットとのことだったが、かなり面積が広く人も一杯で移動が邪魔くさいので、手近かなところでやっていたカードかルーレットをすることにしたが、カードは何をやっているのか分らず、結局ルーレットをした。 1時間あまり遊んだころ、女性陣から早く帰ってこいとの電話。そこで切り上げる。 結果、一人だけ負けただけで、家族単位では両家族とも約4~5千円の勝ち。(現地物価で言うと結構な額らしいです。約300CCくらい入りのフィリピンではどこに行っても出てくるサンミゲルのビールが確か日本円にして30円前後やったかな。また、工場労働者の賃金は日給600円くらいだとか)。 帰り際に出口で、帽子を返してくれと片言の英単語を適当に並べて言うと、なにやらチップをよこせといっているみたい。 勝手に取り上げといて何がチップやと思いつつもそんなこと英語で話せないので、ポケットからじゃり銭をガバッと取り出し、好きなだけ持ってけという気持ちで差し出すと、向こうは勝手に、こんだけを残してすっからかんになったと言っていると勘違いしたようで、さっさと帽子を返して早く行け見たいな感じで店を出された。 全部やるとゆうてんのに、しょうもないとこで情出さへんだらいいのに(笑)。
2006.09.25
コメント(0)
今回のフィリピン旅行記では、全然写真が登場しませんが、息子や娘が旅行や、宿泊型の自動車教習所に持って出ているため、いざ使おうと思ったときに限って自宅にはないからなんです。そのうちに写真もアップします。ということで、本日も写真なし。今日は交通機関の話。メトロマニラでさえも、地下鉄はなく、公共交通機関の路線バスは少し見かけたが、電車は一度走っているのを見かけただけ。(電化されていない)鉄道の線路は何度か見かけたが、実際に走っているのは滞在あいだ一度も見かけなかった。1時間に1本程度走っているかどうかとのことであった。そういえば、鉄道の線路を車で何度も渡りはしたが遮断機は見かけなかったような気がする。タクシーはメトロマニラではそこそこ走っていたが、エアコン付を売りに(わざわざ車体に表示している)しているところなんかが可笑しかった。バスも走ってはいたが数は少なく、タクシーはほとんどエアコンがついていたがバスは必ずしもそうではなかった。結構ボロかった。窓を開けて走っていても、雨季なので蒸し暑くってたまらないだろうと思った。それならば、庶民は何で移動するのか。ほとんどがジプニーかトライシクルだった。清楚な女学生たち(笑)もそれらに乗って通学していた。【ジプニー】ご存知、フィリピンを代表する交通機関。米軍が使っていたジープを十数人ほどが乗れる乗合バスに改造したものだという。やたらド派手な塗装の車が目立つ。本当にたくさん走っている。やたら滅多ら走っているのではなく、個々に路線がある。どこで分るかというと、ジプニーのフロントまたは車体横に小さく走行区間が書かれている。地理を熟知していることは当然必要やし、すばやく走行区間を見極めることが必要。恐らくどんくさい人は一生乗れんと思う(笑)。ただ、便利なのは、その走行区間ならどこでも止まって乗せてくれ、どこでも降ろしてくれること。実際に乗っていないので、どないして停めて乗せてもらうのか、また、どないして降ろしてもらうのか分らへんかったけど、現地の人は当たり前やけど上手に利用したはりました。出入り口は後ろにあり、いつもドアは開いたままで、以前、テレビで見たことがあるけど、本当に、満員の時は車体につかまってバンパーの上に乗っていたり、ジプニーの屋根にまで人が乗っていたりしてはるのも見かけた。いつも乗せてもらっていた運転手さん聞いたんやけど、そんな人たちでも料金は同じで、ちゃんと料金は払ってはるらしい。ワンマンカーやしそんな満員な時どないして運転手に運賃払ったはるのか想像できひんかった。【トライシクル】125ccくらいのオートバイにサイドカーをつけた乗り物。サイドカー部分と運転手の後ろのシートに横掛けで乗る。サイドカー部分は非常に狭いんやけど二人くらいは乗る。運転手の後ろのシートには3人くらいまでは乗っている。フィリピンは右側通行。バイクの右側にサイドカーがついていた。だから運転手の後ろのシートに横掛けして乗る人は、足が中央線側に出ている。危なっかしくて仕方なかった。料金は交渉次第とのこと。ということは、現地の人は別として観光客はぼったくられるはず(笑)。バイクは、カワサキ、ヤマハ、スズキはよく見かけたがホンダは見かけなかった。田舎の平坦なところでは、自転車にサイドカーをつけたのも走っていた。
2006.09.18
コメント(4)
序章に引き続き(だいぶ間が空きましたが)、フィリピン見聞録 パート1です。今日は、カルチャーショック編です。 短い(5泊6日)滞在でしたが、何せ、初めての海外旅行。 それに付け、外務省のHPの渡航情報では、一番マシなマニラ首都圏を含む地域でも「十分ちゅういしてください。」との指摘があったフィリピン(旅行会社でも、セブ島以外のフィリピンへのパック旅行のパンフなし)。 実際にフィリピンの、しかも都会中心のフィリピンを見て感じたことを書きます。 決してフィリピン人をバカにしているんではありません。 根本的にはフィリピンの政情の不安定さが招いている結果じゃないかと思っています。 今更ながら、なんて今の日本人は平和ボケしているんだろうなんて感じのカルチャーショックを受けました。今日の話はちょっと笑えないかも。 マニラ空港に、お世話になる嫁の従兄弟が迎えに来てくれ、 彼が住んでいる住宅地までの道すがら(車の運転は、彼が勤めている現地法人の会社の運転手。もちろんフィリピン人。彼の家に住込んでいる)等、道路、車から見た風景を中心に。。。 1 信号がほとんど無い!(後に行ったマニラ首都圏(メトロマニラ)の本当の中心地、 日本で言えば「東京の都心や、新宿とかにあたるところ」でも非常に数少なかった。) 2車線や3車線の道路でも、現地の人は平気で横断している。 歩道橋なんてもちろん無い。横断歩道すら、滅多に見かけない。 2 車は右側通行(右でも左でも関係ないが)。まあ、見事に信号が無くっても みんな上手に折り合いをつけ、交差点での右左折をやっている。 こんなん日本やったら絶対無理。とにかく前に進むだけしか知恵の無い 日本の暴走族みたいなんは見かけへんかった。 はっきり言って、そんな奴、フィリピンでは生きていけへん。 絶対殺される(後にこの意味が分かります)。 3 阪神高速の環状線の合流みたい、いや、はるかにそれを凌ぐ。 とにかく、右に左に車が車線変更をしながら、それはまあ見事に事故らずに 進んでいく(もちろん事故っている車も見たけど、あんな状況からしたら 素晴らしくく低い事故率やなぁなんて思ってしまうほど)。 はっきりいって、うちの嫁なんか日本では別に問題ないが、 絶対フィリピンでは恐くって車の運転はできひんと言っている。 4 渋滞時なんかは、ちょっとでも先に進むため僅かでも隙間が出来たら、 先に頭を突っ込んだもん勝ち。根性あるもん勝ち。 5 フォーンは、日本みたいに、イライラして鳴らすんやなくって、 『今追い越しかけてるから気を付けてや!』見たいな感じで鳴らすことが多い。 6 首都圏では、少しだけ高速道路があるが、道の整備状態は非常に悪い。 我らが運転手は何故か、路肩走行が好きみたいだった。 7 一般道の道沿いには、何を売っているのかわからんようないろんな店 (店と言うよりバラックだが)がずーっと連なっている。 良く見ると、例えば日本で言うところの駄菓子屋のような店 (商品は陳列ケースに並べるんや無くて、天井から紐でぶら下げ、 その先につけた選択バサミで挟んでいたりする。)でも、 商品の受け渡し口を除いて、前面、鉄網がかかっていたりする。 8 何をしているんかよう分からんけど、とにかくブラブラ している若者が多い(不思議なほどに年寄りが少ない)。 9 車が渋滞するようなところでは、車線の間を縫って、 いろんな物売りがいる(危ない、危ない!)。 例えば、タバコの1本売り。 たまたま買った人を見たが、火付けのサービスがあった。 10 お世話になる嫁の従兄弟が住んでいる住宅地の入り口 (信号あり。ガードマンの検問所2箇所あり。)信号の手前で止まった時は、 小学生くらいの子が、夜遅くまで何かを持ってそれを買って欲しそうに車に近づいてくる。 子供によっては、ガラス窓に顔をべたっとくっつけるようにしてくる子もいる。 所謂ストリートチルドレンか。 11 高速道路にはサービスエリアは無いが、GSのまわりにスターバックス やマクドがあり、サービスエリアの代わりをなしているようだが、 各店の入り口にはガードマンがいて、日本の警察官より大きな口径の拳銃を 腰にぶら下げいていた。 都心部や一般の住宅地でも、ちゃんとした店では必ず拳銃を持ったガードマンがいる。 銀行のガードマンなんかは、ショットガンを持っている。 現金輸送車は、まるで装甲車のようだった。ということで、パート2に続く
2006.09.09
コメント(3)
8月の14日から19日にかけ、フィリピンに単身赴任中の親戚宅へお邪魔してきました。自分にとっては初めての海外旅行。見ること聞くこと、全てが驚きの連続。今日から、数回に分けて、私が感じたフィリピンを紹介していきます。いい歳して、海外旅行が何故初めてだったかというと、最大の問題が飛行機。国内線で何回か乗ったことがあるんだけど、そのたびにだんだん飛行機が生理的に好きじゃなくなり、京都から仙台の出張でも、新幹線を乗り継いでいくようになりました。では、フィリピン見聞録 序章です。 【出発】 MKの乗合ジャンボタクシーで空港に向かう。我が家に来る前に、既に1名乗車されていた。 あと3名迎えに行って、関空に向かうとのこと。出発直前、娘が、『パスポート忘れた!』。 再出発。家から次の人の迎えに走ること約10分。『荷物一つ忘れた!』。。。 またまた、引き返してもらうことに。 車中、500ミリのビールを飲む。関空で更にビール2本飲む。 タバコも待合の喫煙コーナーでしつこく吸っていたため、 自分ひとり搭乗がぎりぎりになってしまった。 機中で食事時にワイン2~3杯飲む。若干の緊張と共に搭乗するも、何とか、 無事マニラに到着。 【帰国】 朝からビール2本飲む。昼食時、生ビール1本。 現地時間午後2時(日本時間3時)頃搭乗手続き開始。 3時半頃から搭乗開始の4時までの30分間に 喫煙コーナーでタバコ数本を吸いだめするとともに、またまたビールを2本飲む。 今回は結構効きました。搭乗後、離陸までに既に睡眠に。 離陸時、一旦目覚めるものの搭乗時にもらった読売新聞を2面まで読んだところでうつらうつらと。 じきに食事。ワイン3~4杯飲む。食後、新聞を読もうとするが、酔いが回って焦点が定まらず なかなか読めない。首を右に曲げ、左に曲げして、新聞を読もうと格闘するが、 またまたじきにうつらうつらと。。。まともに目覚めたのが、着陸の音でした。 大体、片道4時間弱くらいのフライトだったと思う。 ヤッタ、ヤッタ!!とうとう飛行機に乗って海外に行ってきたぞ~!と一人感激。 深夜、帰国。2時ごろ就寝。 ところで、関空での出発時の話。 搭乗予定の飛行機はタイ航空。マニラ経由、バンコク行き。10時40分発。 これが予定を10分繰り上げ、10時30分発に。 ギリギリ滑り込みの人がいたら乗れなかったんじゃないかな。 出発時刻が遅れるっていうのはよく聞くけど、 早まるなんてありなんかなぁ。 つづく。
2006.09.03
コメント(0)
何と、1ヶ月ぶりの日記!最近、遊びすぎが祟って全然更新していないのは気付いていたが。。。お盆に、マニラに行ったときの報告は、近々アップします。昨日ですが、友人がベンチャーズの公演のチケットが手に入ったので・・・ベンチャーズ? それ何って方が多い世代になってきたと思います。メンバー4人(ベース1、リードギター1、サブ1、ドラム1)の4人メンバーのグループです。自分自身の世代より、まだ少し上の世代の人たちがよく知っていたエレキギターを中心とした演奏家のグループっていうところでしょうか?何しろ、1959年結成というから、恐らくメンバーはみんな60歳前後じゃないかと思います。公演は、演奏が中心で、知らない曲が多かった。かろうじて知っている曲では、渚ゆう子のヒット曲『京都の恋』、同じく『京都慕情』、オウヤンフィフィ(漢字は忘れた)の『雨の御堂筋』と、テケテケテケテケで有名な『パイプライン』くらい。圧巻は、最後のドラマーのパフォーマンス。10分以上、すばやい手つきでドラムを見事にたたき続け、最後は、エレキベースまでもスティックでたたいて演奏し聴衆を魅了した。いつもの祇園会館の映画じゃないけど、タダでこれだけ楽しませてもらえば十分。因みに、待ち合わせ時間に遅れそうになったので、途中で会場までタクシーに飛び乗ったが、降りるとき足もとに1千円落ちていたのでタクシー代を浮かすことが出来た。ちょっとせこいかなとも思ったが、運転手が儲けるか、自分が儲けるかの世界と決め込み、頂戴した。
2006.09.02
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1