ツインズは17日、ポスティングシステム(入札制度)で独占交渉権を得ていたロッテの西岡剛内野手(26)の入団を正式発表した。3年契約で年俸総額は900万ドル(約7億5600万円)。4年目は球団が選択権をもつ。 西岡は16日にミネアポリス入りし、17日までの2日間で身体検査を行い、正式に入団が決まった。入団会見は18日午後4時(日本時間19日午前7時)。ツインズのマイク・ラドクリフ副社長は、地元紙スター・トリビューンに「西岡に関してはこの4、5年間、注目していた。いずれはメジャーに入るという情報だったからね。特にこの2、3年は毎年2、3人のスカウトを日本に送った。スピードと運動能力が魅力だ」と語った。
西岡は今季、打率3割4分6厘で首位打者に輝き、ロッテの日本一に貢献した。しかし、イチロー、松井秀喜以外の野手がメジャーでは思うような結果を残していないことを前提に、地元紙の西岡に対する評価は決して高くない。
「肩が強くないので、遊撃より二塁の方が向いているのではないか。今季の打率がそのままメジャーの数字になるとは思えない。仮に打率・275前後で、出塁率もよく、評判通りの守備を見せてくれれば、ツインズはオールラウンドな選手を獲得したことになる」という。
そうした米国側の見方は、西岡の耳にも入っており、「日本の選手でも遊撃手としてキチンとやっていけることを証明したい」と意気込んでいる。
■ 西岡剛
。俊足好打のトップバッター、現・ロッテ二軍監督の 高橋慶彦
を師と仰ぐ。ボクが西岡のプレーで一番よく憶えているのは、2006年WBCで見せたタッチアップ。その判定を巡っては物議を醸したけれど、その当時、テレビ『すぽると!』の解説者・ 高木豊
さんは 「あれは西岡の技術です。打球が上がったら一度前(右)足に重心をかけ、左翼手が捕球する直前に後ろ(左)足に重心を移し、捕球と同時にスタートを切っている。主審からは西岡の姿が正面から見えるため、スタートが早く見えたのでしょう」
と、西岡の高い走塁スキルを讃えていた。
ボクは野球をやる時、そして見る時、一番好きなポジションはショート・ストップ。前出の西岡や高橋慶彦も好きな選手だったし、 小坂誠
、 水上善雄
、 山下大輔
、 大橋穣
、 藤田平
らのプレーも記憶にある。近鉄勢では 石渡茂
、 谷宏明
、 吹石徳一
、 真喜志康永
・・・かな。
■もともとボクがショートというポジションを好きになったキッカケ、それは巨人V9時代の 黒江透修
が好きだったことと大いに関係がある。
V9の頃はON全盛時代だったから、 長嶋茂雄
や 王貞治
にスポットライトが当たることが多かった。だけど 柴田勲
、 高田繁
、 土井正三
、 森昌彦
らとともに、黒江はV9達成には欠かせない名脇役だった。
■つい先日、CS放送「G+」で『ジャイアンツ・ヴィンテージ 激闘!巨人対阪神(川上監督編)』という番組が放送されていた。内容は1973年(昭和48年)10月10日と11日に後楽園球場で行われた首位攻防戦。10日の初戦は巨人圧勝ムードの中、 田淵幸一
の満塁本塁打が飛び出して阪神が大逆転。翌第2戦は序盤で阪神が7点をリードしていたものの、中盤から巨人が猛烈に追い上げ同点に追いつくなど、まさに激闘の試合だった。
第2戦目には黒江が本塁打を打つシーンも放送されていた。懐かしかったなぁ
現役時代、年間3割超の打率を残したことはなかったけれど、ここ!という大一番では必ず(と言っていいほど)快打を放った。そして日本シリーズのような大舞台になると決まって活躍した。そんな「勝負強さ」が黒江を好きだった理由のひとつ。
まだある。2つ目の理由は親しみやすい体型と、その体型に似合わない守備の巧さだった。身長167cmの小柄、しかもお腹の当たりが突き出ていて、通称『豆タンク』。現代の野球では決してお目にかかることのできない「ショートらしくない」容姿だった。それなのに守備は機敏だった。
当時、 三塁手・長嶋茂雄のハデなプレーが話題に上ることが多かった。でも三遊間に飛んだ長嶋が捕れないゴロを、黒江が逆シングルで捕球。三遊間の最深部から思い切り右足を踏ん張って一塁に送球し、打者走者を刺したプレーだって何度もあった。
ボクはそんなシーンを見るたび、黒江の守備の巧さに感嘆するとともに、「ショートって格好いいなぁ」と憧れたものだった。
■黒江透修。V9時代、いつもスタメンに名を連ねていたものの、それは決してレギュラーを約束された「安定した立場」ではなかった。首脳陣から次々に新しい競争相手をぶつけられ、切磋琢磨する中で競争に勝ち、結果としてポジションを他の選手に渡さなかったというのが実状。その原動力になったのは 「野球センスには恵まれなかったものの、その分を努力でカバーした」
( 川上哲治
監督評)賜物だった。
※黒江のポジションを脅かすライバルには、 千田啓介
、 上田
、 河埜和幸
らがいた。もちろん、常に競争にさらされていたのは黒江だけではなかった。森だって土井だって、柴田、高田、 末次民夫
らの外野陣だって状況は同じ。よくV9の要因は「ONをはじめとした豊富な戦力」と言われるけど、チーム内の高いレベルの競争が根底にあった。
長嶋の代表的なキャッチフレーズに「栄光の背番号3」というのがある。だけどボクにとって「栄光の背番号」は「5」。 「栄光の背番号5 黒江透修」
なのだ。
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