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子どもが幼稚園に入園すると、しばし24時間休みなしの育児から解放され、子育てに心の余裕ができてきます。幼稚園は子どものものではありますが、同時に、お母さんたちの友達作りの場でもありました。 それまで、髪の毛を振り乱し、メイクもそこそこ、年子を育てていた私はオシャレとは程遠い生活をしていました。ところが入園してみると、ママさんたちの優雅なこと。ママ用ベンツでの送り迎えもけっこうありました。キャリアウーマンのお母さんの職業はといえば、女医さん・インテリアコーディネーター・テーブルセッティングやフラワーアレンジメントの先生などなど。特に、他のお母さんたちからもてたのは、見た感じから華やかであかぬけしていた元スチュワーデスの3人。思えば子供の頃、私だって、「アテンションプリーズ」(古~いテレビドラマ)を見て、『スチュワーデスになりたい!』と夢見ていました。だからもう興味深々。お話できる機会には、いろんな事を聞きました。たとえばこんな話。 1.『アテンションプリーズに出てきた研修所で研修した。』 『わぁー』2.『空港へはいつもタクシーが自宅に迎えにきた。』 『ふむふむ』3.『年休は全部、残さずとって、世界中あっちこっち行った。空席があれば運賃は要らない。』 『いいなぁ~』4.『どこどこの何なには、おいしかったわぁ。』 『ふーん。』5.『有名人にはいっぱい会った。』 『へぇーー』6.『○○(既婚芸能人)から電話がかかってきた。わざわざ泊まってるホテルを調べて。』 『すっごーい。』 私にはまさに、雲の上のお話ばかりでした。でも、けっこう同じ話を何度か聞いたり、誰もが知っていたりなんかしていました。時は過ぎ、フジテレビの朝の番組、「めざましテレビ」のユーミンの俳句コーナーで、こんなのがありました。題目「ブランド」ただの人 「元(もと)スッチー」が 印籠(いんろう)なり*注 私はこんなこと、思ってはおりませんよ。ほんとに。
2007年01月29日
都会の荒波の恐さも知らず、私がまだ新妻の香りをほのかに残していた頃のことです。長女はまだ8ヶ月くらい。だっこして買い物に行こうと、玄関を出て鍵を閉めていると、少し開いていたマンションのお隣のドアから、年のころ50くらいの見知らぬオバさんが顔を出し、「次はお宅に行くから、ちょっと待っててね。(^_^)」と、初対面にもかかわらずとっても親しげに私に話しかけてきました。”自治会か何かの用かしら?”と思い、出かけるのをやめて家の中で待ちました。しばらくするとオバさんがドアをノックしてやって来ました。が、なにしろ、長女はハイハイが盛んな頃でじっとしてなくて、玄関でゆっくり話も出来ない状態です。私が長女を追いかけて奥の部屋へ行ってるうちに、オバさんは「風船あげよ。」と言って、赤と青の風船に息を吹き込み、長女を玄関の方にだっこして連れてくると、長女に渡してくれました。赤ちゃんのいる家に来て、用意のいいオバさんです。何の用なんでしょう。話を聞くうち、オバさんの用件は私が最も恐れていた事態とわかりました。それは、世間で「コンドーさん」と呼ばれているものの訪問販売だったのです。同じマンションの奥さんが、何年分ものそれを二十数万のローンで買わされたという話を聞いた事があったので、私は焦りましたが、「そんなものはいりません。」の一点張りで通しました。それでもオバさんは、「いらないことないわ。」とか、いろんな事をおっしゃいました。でも、なんとか早いうちに帰っていただくことができました。私は偉い。このことは、主人に報告もせず1日は終わりました。そして翌日、朝起きてみると、私の目にとんでもないものが飛びこんできました。『えーーっ!』きのう、オバさんからもらった、あの、赤ちゃんにちょうどいい大きさだった赤と青の風船がしぼみ、そのものズバリの姿となって横たわっていたのです。私は仰天しました。オバさんは製品の説明をするつもりだったのだと、その時初めて気が付きました。私は、オバさんが息を吹き込むところをよく見ていませんでしたし、カラフルなものがあろうとは、知りませんでした。疑われてもいけないので、主人が寝ている間に、ごみ箱の奥深く、投げ入れるように捨てました。普段、温厚な私であるにもかかわらず、この時ばかりは怒り爆発。前日はその風船で、親子3人仲良く遊んでしまいました。私はその日、怒りに燃えました。でも、翌日からは横たわった姿を思い出すたび、笑いが止まらなくなりました。そして、この時購入しなかったためか、次の年、我が家には年子の2人目が生まれたのでした。99.7.6
2007年01月18日
1.使用開始年月日 平成11年6月11日6月3日に薬局に買いに行ったが、すでに売り切れ。2週間待ちと言われ、予約して帰る。発売日を待ちに待っていた夫にどう伝えるか心が痛んだ。が、例によってまた、「予約しとかないからだ!」と怒られたので、同情するのはやめた。私に意地悪するとリアップの効き目がなくなるかもよ。リアップを置いておく場所であろう洗面所には水もあることだし。(^_-)-☆パチッ思ったより早く1週間後、薬局から入荷したと電話が入り、6月11日初日、夫は、『髪は男の命』と呟きながら鏡の前に立ち、リアップ使用開始。2.リアップは夫婦円満の素?(8月3日のWEB日記より)うちの旦那さん、すぐに怒ります。この前もちょっとの事で怒っちゃいました。その場には子供もおらず、場が持ちません。ま、ほっとこう。彼はソファに寝転んでおりました。頭頂部がいつもよりよく見えました。「ありゃっ! 増えたんちゃう?」私「うそぉ。 >^_^
2007年01月15日
1.研究(実験)の動機・目的かねてからハゲ街道をまっしぐら、いつ、我が夫の髪の毛が無くなるかと危ぶんでいた最中(「もなか」でなく「さなか」)、平成11年6月3日、念願の発毛剤リアップが大正製薬より発売されるに至った。夫の目的はただ1つ。「髪の毛を復活させ、女性にもてたい。」 2.準備したもの発売より9/20までに(3ヶ月半で)リアップ5本洗面所の鏡 手鏡 くし3.実験前までの経過あらゆる対策を試みたものの、ハゲる一方だった。4.リアップの効能・効果及び成分壮年性脱毛症における発毛、育毛及び、脱毛(抜け毛)の進行予防。リアップ100ml中にミノキシジル1.0mg含有(もともとは前立腺のお薬の副作用として髪の毛が増えることが確認されたもの。)リアップは半年続けないと効果が現れないという。半年経った日に一気に増えるのか、それとも徐々に? しかも、効果が少しでもあれば、一生付け続けなくてはならないのだろうか?。。゛(/>
2007年01月07日
今は昔、もう20年近く前のこと、私たちはいわゆる職場恋愛。まだお互いの本性を隠し隠し、うれし楽しい時代でありました。ところが、彼の髪の毛はすでに黄昏(たそがれ)気味。私が彼とお付き合いしているのを知らない同僚は、彼の頭を背後から指差して、『ハゲるよ。』とこっそりと私にささやきました。<ドキッ。やっぱり・・・>デートのときも電話のときも、傷つけてはいけないと、髪の毛の話は、したことがありませんでした。 結婚後、毎朝、洗面台とその床は抜け毛だらけ。掃除しながら悲しくなりました。夫のお父さんは、サザエさん父、波平のような頭です。お父さんの頭に、夫の顔をダブらせて将来の姿を想像するたび、気が遠くなる毎日でした。私は、頭の皮をたたいて刺激するブラシ、髪の毛にやさしいシャンプー、画期的と言われる養毛剤・育毛剤(ペンタデカンなど)は発売を待ってすぐ、夫のために並々ならぬ愛情を注いで買い求めました。が、彼はとても不精で中々続かず、あと数年の命かと思えるような抜け毛のさまでした。ほとんど諦めの境地となってからは、『ハゲ』『抜け毛』『髪の毛』等の言葉は、我が家の禁句となりました。しかし、やがて子どもたちが小学校に上がる頃にもなれば、『よそのお父さんに比べ、うちのお父さんは髪の毛が少ない。』と、気が付き始めます。『お父さんはハゲ!』と次男が口火を切って以来、『お父さんは、ベジータみたい。』『もうすぐ無くなる。』というような言葉が飛び交い始めました。あまり言い過ぎるので、私はつい、男の子2人に、『お父さんの子どもだから、君たちもハゲるんだよ。』と、本当のことを口走ってしまいました。2人は、遺伝するとは夢にも思っていないようで、大変暗い表情を浮かべました。当時、長男は、小学校中学年くらいだったでしょうか。2人はこの日以来、将来の不安をかかえ込むこととなりました。夫は、『君たちは、25才までに結婚したらいいよ。』とアドバイスしていましたが、あまり慰めにはならなかったようでした。それで、夫はまた、このように2人を元気付けました。『君たちの大きくなる頃には、きっと、よく効く毛生え薬が発明されるから、心配することない。』2人は、ちょっと、安心したようでした。これは、ほんの5年ほど前の会話です。そして、今年早々(=1999年のお話です。)、我が家に久々の明るいニュース。『「ロゲイン」(日本での商品名は「リアップ」)が、今年、日本でも発売される。ロゲインは、育毛剤でなく画期的な発毛剤。つんつるてんの人以外、8割以上の人に効く。』というもの。夫は、『発売はいつだ?』『まだか?』と、とても期待している様子。もちろん、我が2人の息子も同様。男というもの、ハゲていては女性にもてないと思っているようです。でも、ここで申し上げておきましょう。男は外見より中身です。『リアップ』より、『バイアグラ』かと思います。
2007年01月05日
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