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2021.04.16
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テーマ: 史跡巡り(781)
カテゴリ: ・・平山
首塚古墳に来ました。

この石の下が空洞の様です。

 (9)首塚くびづか古墳  平山字大坂 (付図2-271)
 平山と上井手の字界近くの台地上にある古墳。未調査のため内部主体不明。本墳についての
記載は『玉名郡誌』(頁866、首塚の項・大正12年 註(1)がもっとも早いようである。
要約すると、①平井村上井手上区にある。②無銘の小石碑叢中そうちゅうにあり③里俗の説によれば
竜造寺・小代氏攻伐時の陣歿じんぼつ将士を埋葬せし所なりと。現況では石碑は全く見られない。
だから安易に郡誌のそれを本墳に直結することには慎重であらねばならぬが、調査時でも、
あるいは現在でも、土地の人は当墳を首塚と呼び龍造寺・小代二氏の戦いをいう。無銘碑類が
ないのは郡誌調査時以後の同台地上の急激な開発によるものとみてよかろう。さらにつけ加える
べきことは、足で強く踏むと空洞の反応が、農道でもあったことで、むしろこの点が土地の人には
かなり以前から興味をもって知られており、現在も記憶する大が多い。
 測量のみの調査を、昭和28年9月10日第3中学校生徒(代表大橋君・当時)らと実施した。
巾2m~4mの農道の車縁に、農道面比2m長径7m75cm余の、墳丘があり、老樹の切株が遺
存。墳丘の農道寄りの方は凹地となり、石室材と思われる長さ1m巾50cmの切りこみがある板
状石材が1枚遺存。「すぐ頂上部天井」と当時のメモがあり、強く踏めば空洞の反応があった。
調査当時の周辺はすべて、からいも・粟畠であった。古墳であるが未調査であり、内部主体・
遺物および年代などについて言及できない。 









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最終更新日  2021.04.16 00:00:21
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