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2021.04.15
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テーマ: 史跡巡り(781)
弥五郎丸宮(浄光寺阯)に来ました。

「名」は荘園の年貢請負(うけおい)の単位であり、請け負った農民が「名主」といわれ、その領有する土地の一部分を小作する農民を小百姓、名子などといわれた。荒尾には、その頃多くの名主が多くあり、いまでも当時の名田の名が地名になっている所が多い。弥五郎丸の名は、正応元年(1292)の「祭事簿」に一度だけ出て来る。
弥五郎丸の位置は旧有明小学校の道を東に登ると丘陵を堀切った坂道になる。土地の人に尋ねると「じょもんの坂」と云うそうである。珍しい地名であったので尋ねてみた。これは昭和52、4、29頃、「大園山居館址の調査」を実施したとき、私は館の周辺の土地を調べていたときのことである。坂道から細い道を抜けると左側に広い屋敷があった。右側の小高い台地はミカン畑、下の小径は空掘、そして土塁の跡も見える径を抜けると4x15m程の空地に台地を背に五輪塔が五基一列に並べてあった。

(ホ)浄光寺は
 当時の蔵(倉)満村松木園(どん)にある弥五郎丸と呼ばれる中世時代の名主層の屋敷跡である。増永台地の上に位置し、西側は自然の五米以上の段丘が西の要害となり、屋敷の周辺は空堀をめぐらしていたらしく、東西150メートル南北100メートルほどの広大な屋敷で、いまも七、八戸の人家がある。昭和三十五年頃からのミカン畑に開拓され空掘の遺構も失われ前畑フキ氏方の北側の空掘は二重の堀と土塁の跡がある幅1メートル深さは埋没し7、80センチ東に延びているが次第に埋没している。人家の入口付近に弥五郎丸宮と云う小堂がある。
天正七年、肥前軍ここも激戦地で敵味方の戦死者の霊を祀ったのだそうだ。今は小堂であるが昔の宮の拝殿に掲げた木製の狛犬がいまでは御神体として祀られている。




直ぐ側に、五輪塔があるとの事だったが、藪に囲まれて見れなかった。





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最終更新日  2023.11.07 15:36:47
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