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バンコク周辺に4日間しかいないで、タイについて語るのもどうかと思うが、このシリーズのまとめとして感想をあれこれ。はっきり言ってバンコクは、超メジャーな観光都市。観光客が困ることはほとんどなし。それに、王国として歴史も古く、独立を保ってこれたため、歴史的建築や寺院など見どころも多い。ナコンパトム、カンチャナブリ、アユタヤなど日帰りで行ける近郊観光エリアも充実しているので、お好みでいろいろなプランが可能。タイ全体では、他に、ビーチリゾートや北部チェンマイ地域などさまざまな楽しみ方ができるだろう。(次に行くなら、やはりチェンマイかな)タイは、他のアジアの国に比べて、一番緊張感なく旅行できる国ではないかと思う。タイの人は本当に穏やかだし、気候は年中あったかいし、バンコクは東京と同じくらいにきれいだし。(反対に、いろいろな意味で緊張を強いられるのは中国かも。そのへんは、中国格闘記をご参照ください)ところが、そのユルサが、とんでもない事件を多々起こしているようだ。「地球の歩き方」でトラブルについて数ページ割いているのはタイだけじゃない?サギ、セクハラ絡みの盗難、麻薬、ぼったくり・・ひっかっかる人が、相当多いようだ。なかでも、麻薬は、東南アジアでは厳刑になる国がほとんど。ちょっとぐらい、で悲惨なムショ暮らしが待ってますよ。あとは、タイのまったりさにはまって、カオサン通り(バックパッカー御用達エリア)に住み着いてしまい、そのまま行方不明になる人も。あなたのことを、日本で待っている人がいることを、どうぞ、お忘れなく。食べ物について。これが、どうにも印象がない。というか、タイ料理というものを、実はほとんど食べていないような気がする。勿論、トムヤムクンも食べていないし、タイらしいもの、といえば、カンチャナブリツアーで食べたタイ風カレーと、ホテルのビュッフェの麺くらいかも。全体に、塩味かなり薄めで唐辛子を利かせる、という味付けなので、関東人としては、少々もの足りないのでありました。お買い物。これはもう、タイシルク製品を買わなきゃならないでしょう。そこらじゅうに売っているので、お財布と相談の上、お選びください。ジム・トンプソンは、お値段もいいけれど、やはりデザインが抜きんでているので、自分用のとっておきに是非。JALのCAさんの口コミから人気になった、コットンキルト製のバッグやポーチ。これもあちこちで、それも、数百円単位で手に入る。10個、20個買っても、金額も張らないし、荷物にもならないので、お友達へどうぞ。面白いところでは、仏具やお守りなども。ご利益あり。このとき買った、黒いタイシルクのハンドバックは、フォーマルな席で現役活躍中。(1000円しなかったんだけど)たぶん、ここは、ジ・オリエンタルやスコタイにステイして、エステ三昧するのが似合う。がつがつ観光だ、ショッピングだ、と走り回らないで、ゆ~っくり、エレガントに過ごしてみたい。そうすれば、あなたも立派なバンコクマダム。とりとめもなくなりましたが、このへんでバンコク編おしまい!コップ・クン・カー(ありがとうございました)
2005年09月28日
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カンチャナブリからバスでバンコクに戻る。(ちょっと日数がたってしまいまいしたが、前回の記事をご参照くださいhttp://plaza.rakuten.co.jp/asianrtyatya/diary/200509200001/)その途中でよったのが、ナコンパトム。「最初の都」という意味で、紀元前3世紀、インドのアショカ王が遣わした施設がインドシナ半島初の仏塔を建てた場所と言われている。ここで、ちょっとスタディ。仏塔(ストゥーパ)は、もともとお釈迦様の骨(仏舎利)を納めるためのもの。お釈迦様のお墓がその原型である。写真の仏塔も、そういえば盛り土した墳丘のようでしょう。それが、中国、日本に伝わると、現在みられる○重の塔、のような建築物に変化する。今では、お寺に参拝するといえば、日本人ならほぼ100%、ご本尊の仏像を拝むでしょう。ところが、初期の仏教では、拝む対象はこの仏塔。仏像が作られるようになるのは、少し時代が下ってから。タイの仏教、上座部(テラワダ)仏教は、初期の形を守っている。対して、日本や中国に広まっているのは大乗仏教といって、後で出来た考え方。だから、タイのお寺では仏像も拝むけれど、こうした仏塔そのものも拝む。7年前の写真なのでボケボケですが、この仏塔、白壁にオレンジ色の鮮やかな配色。そのうえ、塔をぐるりととり囲んで、何体もの金ぴかの仏像が鎮座されている。王室とも関わり深い寺院で、境内は、ごみひとつ落ちていないほど、キレイ。しかし、これだけたくさんの仏様にお参りしたら、さぞ良いことがあるだろう。普段は信仰心のかけらも無いくせに、日本人は都合よく思うのである。でも、日本の仏様と違って、タイでは修行や喜捨(僧や寺への施し)をしないと救われないんだっけ。
2005年09月27日
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この日のメインはこの鉄道に乗ること。ここまでの経過については、9月11日のこちらの記事をご参照ください。http://plaza.rakuten.co.jp/asianrtyatya/diary/200509060001/この鉄道、現在はミャンマーまでは行っていない。ナム・トクという駅まで、しかも、1日3往復しているだけ。しかし、タイの地図を見ると、この地域がミャンマーとの国境までわずかだということがわかる。タイは、西にミャンマー、東北にラオス、東南にカンボジア、南はマレーシアと四方を他国に囲まれている国なのだ。国境近くの山岳地帯には少数民族が暮らし、タイ仏教文化とは、また違った文化、生活をしている。さて、カンチャナブリ駅から乗車。素朴な木製の座席が懐かしい。子供のころ乗った旧国鉄の車両のよう。クエー河鉄橋を渡ると、両側はジャングル。鉄橋のたもとに観光用のゾウがいて乗ることができる。スリリングな切通し、チョコレート色の水をたたえる河沿いの高架橋、そして遠くに家の影がある、のんびりした田園風景。熱帯特有の高く、澄み渡った空。眩しいほど鮮やかな緑深い森。心安らぐショートトリップ。どんな人でも、来てよかった!そう感じるだろう。観光コースになっているので、それほど冒険心を刺激されるものではないが、気楽に、タイの田舎を体感できる。終点で降りて、すぐそばのレストランで昼食。このレストランで出されたのが、たぶん、カレー風の料理。渓谷近くにあるようで、ほとんどジャングルの中のレストラン。もちろん、冷房はない。鉄道も同じ。じっとりと熱い空気のなか、木々を渉る風がとても涼やかだった。写真は、車窓から撮った1枚。
2005年09月20日
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タイは仏教国。この仏教は、日本や中国に伝わった大乗仏教とは違う。上座部(テラワーダ)仏教という。大乗仏教が、信ずる者は皆救われる、わりにラクな教え(?)なのに対し、テラワーダ仏教は、救われるためには、出家して修行しなくてはならい。相当真面目で、厳しい教えである。そのため、タイの男性は、一生に一度は出家して修行する。もちろん一般人は短期間の出家だが、職場でも出家には配慮してくれるらしい。テラワーダ仏教では、女性は出家できないので、息子が出家することは、母親への親孝行にもなる。出家した男性は、髪と眉を落として、黄色い衣を着る。このようなお坊さんが、バンコクにはたくさんいる。お坊さんの食事は、托鉢で享ける喜捨。出家でない一般人、特に女性にとって、この喜捨をすることで徳が積まれ、成仏することが可能になる。だから、タイのひとは、お坊さんへの喜捨にとても熱心。しかし、タイ人が信じているのは仏様だけではない。バンコクの街角では、華やかに飾り立てた、小さな祠をよく見かける。ホテルや大きなビルの中にも祠があったりする。こうした祠にいるのがピー。ピーは精霊、オバケ、魂といったようなもののこと。ピーには良いものと悪いものがいるので、良いピーの加護を受けるために、これまた、熱心におまつりするのだ。日本人的には、迷信かな、と思われるが、そういうものでもない。プルーンチット通りとラーチャダムリ通りの交差点。バンコクでも指折りの繁華街のど真ん中に、エラワン・プームという祠がある。とても霊験あらたかだそうで、立派な観光スポットでもある。結構タイのひとたちは、ごくごく気軽に神仏にお参りし、そのパワーを身に着けているようだ。出身のちがう神様仏様たちも喧嘩しないで共存している。有難いものをなんでも味方につけて、毎日がハッピー。だから、タイの人たちは、いつもニコニコしている。そして、とびきり美しいタイの挨拶。両手で合掌して、「サワディ・カー(語尾を上げてね)」・・女性の場合。男性はカーがクラップに変わる。写真は王宮。ゾウが守ってるんですよ~。
2005年09月11日
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タイ西部のカンチャナブリはバンコクから日帰りでいけるところ。ミャンマーとの国境に近く、自然豊かな美しい地方である。ここは、あることで、大変有名な場所である。第2次大戦中、日本軍が軍需物資を運ぶため、タイとミャンマーを結ぶ鉄道(泰緬鉄道)を建設。難工事と栄養不足のため、多くの現地労働者や連合軍捕虜が命を落とした。その象徴ともいえるのがカンチャナブリ駅近くのクウェー川鉄橋。映画「戦場にかける橋」の舞台である。(映画はご存知なくても、テーマ曲の「クワイ川マーチ」を聞いたことがある方は多いのでは?クウェーはクワイの現地語読み)タイに来たなら、ここに行く、というのが今回の目的のひとつでもあった。現在の橋は戦後修復されたもので、日本軍が作ったものではないそうだが、一部、オリジナルも残っている。写真のように、列車が走らない時間は、自由に歩いて渡ることもできる。この橋の近くに、JEATH戦争博物館がある。当時の捕虜収容所を再現した粗末な竹製の建物で、当時の写真や連合軍捕虜たちが描いた絵などが展示されている。見学しているのは圧倒的に欧米人が多い。日本人には、かなり見るのがつらい展示物もある。戦争については、それぞれいろんな言い分も事情もあるだろうけれど、こういう事実があったことだけは、知っておきたい。この博物館は寺の敷地にあり、僧侶によって管理されているそうだ。犠牲になられたすべての方々へ、合掌。かつて軍需列車が通った鉄橋に、今は、観光客を乗せた列車がのんびり走る。それは、とてもいい光景である。
2005年09月06日
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1998年8月。rin一家はバンコクに向かった。すでに中学生になった家人2・3と一緒の旅行はこれが最後。上海、ソウル、シンガポール、ボルネオ、台湾と来て、最後は、東南アジア旅行の王道バンコクで締めくくりである。ツアーも奮発して、JALパックのハイブランド、「アイル」のバンコク5日間。ホテルは日航マハナコーン(現在はグランドホテルという名前に変わっている。日航系列から離れたらしい)。出発も8月13日というお盆ど真ん中。当然値段も高かった。(塾の夏期講習を避けたら、この時期しかなかったの!)さて、バンコク。タイ王国の首都である。そして仏教国だということはご存知でしょう。この国、近代になっても、外国に支配されることなく独立の王制を維持してきた。アジアでも数少ない例である。国家の成立は13世紀のスコタイ王朝から。アユタヤ朝、トンブリー朝と交代し、現国王はチャクリー朝9世になられる。その伝統と歴史の裏付けがあるからか、タイは、他のアジア諸国(シンガポールを除く)に比べて、社会の安定感が格段に違う。特に、中国やボルネオあたりを経験してみれば、なんて気楽に過ごせるところなんだ!と思う。バンコクは、アジア有数の大都市。スタイリッシュな欧米系オフィスやショップもあれば、小汚い屋台もある。ちょっと怪しいネオンもキラキラ。バックパッカーの聖地カオサン通りには、何年国に帰ってないの?という旅人たちがまったりしている。どこにも人だらけで、道路は車の大渋滞。ビービーうるさいクラクション。騒々しいことこのうえないが、殺伐さを感じないのは、きっと、あちこちにある寺院や小さな廟のせいかもしれない。特に、バンコクといえば、ワットプラケオ。王宮に隣接する寺院で、当然格式は高い。見学にはドレスコードがあり、ノースリーブや短パン、ミニスカート、突っかけサンダルはダメ。(もし、そうした服で来てしまったひとには、上着などを貸してくれる)この寺院の本尊はヒスイ製の仏像。もともとはラオスの首都ビエンチャンにある寺院の本尊だった。この仏像の色から、通称エメラルド寺院と呼ばれる。仏教の寺院だけれど、ヒンドゥーの神様たちがそここにいらっしゃるのがおもしろい。写真もそのおひとり。半人半獣の天人。ところで、バンコクというのは正式名称でないことを知ってますか?タイの首都の名前は世界一長い、43の単語からなっている。神様、仏様のさまざまな加護を享けた都、というような意味。バンコクは聖なる力に守られた最強都市だった!バンコクの正式名称・・「クルンテープ・マハ・ナコーン・アモーン・ラタナコーシン・マヒンタラーユタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラッタナ・ラーチャニウェート・マハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティト・サッカタットティヤ・ウィサヌカム・プラシット」あ~疲れた!誰も、こんなもの読まないって、ね?
2005年09月05日
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