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2017.05.15
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カテゴリ: 探訪 [再録]

妓王寺を後にしてまず訪れたのが 「土安神社」 。小さな神社です。  [探訪時期:2012年11月]
土安にふりがなが付いています。この名称を「てやす」と読める人はたぶん少ないでしょうね。

駒札には 祭神が「祇王井川開拓の神童子命」 と記されています。

,
社の扉の彫刻がなかなか素晴らしいものでした。

ブックレットは、一つの伝説に触れています。ご紹介しましょう。
「伝説によると、祇王井川の流れを決められずにいたところ、一人の童子が現れました。そして『私が引く縄にしたがって川溝をつけよ』と言うとおりに縄印に従って川を掘ると、一昼夜のうちに祇王井川が出来上がったといいます。西祇王井川に合流する童子川の名前はこの伝説に由来し、土安神社には童子がまつられています。」 (資料2)

また、土安神社の傍にある野洲市観光物産協会の設置された説明板には、「工事の途中で蹉跌した時、夢に現れた一童子が工事の手法を授けたことによって完成したもので、上流を妓王井川下流を童子川と名づけ、この童子を土安神社に祀ったのでありました。」と記載されています。
ブックレットの地図に、「 西祇王井(童子川) 」と記されている意味が理解できました。また、 西妓王井川は中ノ池川でもあるのです 。「妓王と清盛さんのおかげ祭」という野洲市観光物産協会のパンフレットに掲載の「平家妓王の里めぐりコース」の地図の中に、「 中の池川(西妓王井川) という形で載っていました。上流側ということでしょう。

もう一神、「開拓工事奉行の瀬尾兼康命」 というのが記載されています。
「瀬尾兼康」という人名でネット検索すると、 ウィキペディアに「妹尾兼康」 、また 岡山県総合文化センターニュース掲載の「妹尾兼康」 をみつけました。ひょっとすると、この人物が土安神社で神格化されたのかもしれません。記事に記載の事績からも関係が深そうです。これはあくまで、想像の域をでませんが・・・・

この後、「史跡永原御殿跡」に立ち寄りました。
朝鮮人街道から西に約700m入ったところです。


2009年10月、『近江城郭探訪』(滋賀県教育委員会編)を片手に、一度来ていますが、そのときには説明板がありませんでした。少しずつ観光客には便利になってきているようです。

現在は私有地だとかで、中には入れません。こんもりとした竹藪になった御殿跡を外観するだけでした。しかし、説明板に掲載の復元模型図で御殿イメージがふくらみました。

『近江城郭探訪』によれば、永原御殿は、慶長6年(1601)-寛永11年(1634)の期間に三代の将軍が計10回(家康7、秀忠2、家光1)利用したそうです。家光が利用するのに備えて大規模な整備が行われてたようで、その広さは1万459坪に及んだとか。「御茶屋御殿指図」という記録が残っているようです。ブックレットでは、家光が寛永10年に上洛するにあたって、約6倍の規模に拡大整備したのだそうです。 (資料1,3)
前回載せた 浄専寺の門 以外に、草津市の 芦浦観音寺の書院(重文) が御殿廃止後、ここから移されたものと伝わっています。

朝鮮通信使が通行した道ということから、朝鮮人街道という名称がついています 。しかし、この道は慶長5年(1600)に関ヶ原合戦で勝利の後、京都へ向かうのに使ったことから、 上洛道として尊重されるようになった のです。そのために、この街道そばで、入京前夜の宿所として、永原に御茶屋屋敷設置したとのことです。堀、土居、石垣で囲まれた堂々たる城郭だったのですね。このことをブックレットで学びました。 (資料1)


御殿の石垣の一部が残っています。

探訪の最後に、菅原神社を訪れました。源頼朝の勧請によるとの伝えがあるそうです。
祭神は勿論、菅原道真です。
江部庄3村の産土神ともされているとか。


この 檜皮葺き四脚門 はこの地の 永原城永原氏が建てたものと推定されています。


菅原道真を祀る天満宮に牛の像は付きものですが、ここにも勿論社殿前に。
お参りする人が願をかけ、触るのでしょう。牛の鼻の上辺りがテカテカ光っています。


                  社殿
応永26年(1419)、明応7年(1498)の社殿修築の棟札が残っていて、それには永原城主永原氏一族の名が記されているとか。


社殿に向かって、右手側にこんな干支台が。 信楽焼の十二支像 。   おもしろい!
北の山本眞二朗氏が年毎に奉納されたのだとか。
そこで、神社が「積年の赤心を称え顕彰」するために設けたそうです。 (説明板より)

地元ガイドさんが、たまたま境内に出ておられた神主さんにリクエスト。お陰で神社の由来、火渡り神事などのことを神主さんから直接説明を拝聴しました。


この神社のご神木は桧です。ご神木が桧である神社はまことに珍しものだとか。


火渡り神事は素足で山積みの護摩木を燃やした後のその燃えがらの上を歩き渡るのだとか。
「神道での火渡りは全国唯一です。」  知る人ぞ知る・・・・だそうです。
境内で写真付きで説明されたものが掲示されていました。

  境内の歌碑
これは、配流され幽閉の身だった菅原道真が詠んだ歌だそうです。

               歌碑の傍に、歌意説明の石板が建てられています。


ここの境内に、 北村季吟の詠んだ歌が歌碑として建立されていました。
この和歌は、季吟が江戸から帰省参詣の時に詠んだものとか。
      神垣やここも北野の名にし負わば栄うる梅の影も変らじ

境内の説明板の一つに、「神社には 永原千句 が残されています。 宗祇も来訪 しています」と記されています。
ブックレットによると、 この菅原神社では「永原千句」という連歌興行が戦国時代からさかんに行われていたのだとか。 その興行主は永原氏だったのですが、永禄11年(1568)以降は、永原氏の家臣だった北村氏へと継承されたのです。つまり、北村季吟に繋がっていくことになります。神社には北村季吟の書簡も現存するとか。


ここ菅原神社の瓦に描かれた梅鉢の紋はこれ。牛の像の腹にも紋が付けてありますが。
そこで、ふと思って神社の紋をちょっと調べてみると、
同じく天神樣を祀る神社がそれぞれ違った意匠の梅花紋を使用されていました。
太宰府天満宮、湯島天神、北野天満宮、それぞれ少しずつ違うのですね。初めて知った次第です。おもしろい! 神社もそれぞれ由緒来歴あり、自己主張の一環でしょうか。

(資料2)

今回の探訪としては、 家棟団地バス停まで歩き、そこが終着点で解散です。
大半の参加者は、ここからバスで野洲駅に戻られました。
たまたま、地元ガイドさんから、そのバス停から近い「常念寺」の名前が出ました。そこで、オプションとして個人的に訪ねてみることにしました。

つづく

参照資料
1) 『平家物語・妓王妓女・源義経の里を訪ねて -野洲・竜王をめぐる-』
       埋蔵文化財活用ブックレット14    滋賀県教育委員会
2) 当日に資料として配付されたリーフレット
3) 『近江城郭探訪 合戦の舞台を歩く』 近江歴史探訪マップ7 滋賀県教育委員会編  

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
祇王・祇女から思わぬところの横道に入りますが・・・・・
  犬も歩けば棒にあたる、の伝で、波紋が広がってしまいました。
こんなにあるよ!梅の紋章(家紋)  「なんでも梅学」:「梅の月向農園」
  『歴史探訪に便利な日本史小典3』(日正社)を見ていて、武家の家紋で前田家が「梅鉢」
   なので、なぜだろう? と思ったのですが、このサイトの説明でなるほど、でした。
   だけど、梅一つでこんなに家紋のデザインがあるなんて、スゴイです。
苗字が菅原で家紋が梅鉢だったら菅原道真の子孫の可能性はどれくらいありますか?...
   おもしろいQ&Aです。参考になりました。

宗祇  :ウィキペディア
連歌  :「日本文化いろは事典」
永原千句  :「国際日本文化研究センター」

野洲 菅原神社  :JAPAN-GEOGRAHIC.TV
      火渡り神事を克明にレポートされています。撮影/文 中山辰夫氏

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


探訪 [再録] 滋賀・野洲 平家物語・祇王祇女の里を訪ねて -1 円光寺・祇王井川・生和神社・亀塚古墳 へ
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Last updated  2017.05.16 10:40:04
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