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元沖縄県知事大田昌秀氏は1977年記録写真集「これが沖縄戦だ」を出した人である。 その表紙になった写真の少女は実は少年だった。という記事を読んだ。当時12歳だったというその少年は1984年になってその写真が自分である、ということを大田氏に伝えるために自宅を訪ねたそうである。当時「男の子は日本軍に引っ張り出され何をされるかわからん」という父親のいいつけでおかっぱ頭にしていた、ということであった。しかし沖縄戦が始まった時はそんなことは無駄で家族の食料を奪おうとした日本軍に取りすがった時は、殴る、蹴るで気を失った結果米軍につかまった時に撮られた写真だったそうだ。その時の怪我で右腕脱臼、右目も失明、右足にも今でも障害が残る。当時の日本軍は住民に手投げ弾を持たせ、壕から出るときも子供を先頭に立たせて盾としていた。住民にとっては日本軍こそが敵だった、ということだ。「そういう事実を知らない人たちが歴史の教科書を飽きているんです。」という証言をしているのがその写真の少女、大城盛俊さん(75)であった。本当のことを知っている人がどんどんいなくなってしまわないうちに史実をまとめた「沖縄戦辞典」と「大田昌秀全集」を出そうとしているのはこの「沖縄戦だ」を編集担当した桑高英彦(63)だ。桑高は当時大田の論文に引かれて直接手紙を書き紹介されて入社した那覇出版社の新入社員としての初めての仕事だったのがこの写真集だった。
2008/01/31
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29日は朝から雪が降り始めてしまいましたが、お昼も訪問看護師さんをお願いしていたので、お昼からヘルパーさんも来てくれたので、お任せして出かけました。前回講習が時間外で受けられなかったので今度こそ受けないと免許がもらえないので、お昼も食べずに速めに行きました。講習だけの受付で一番でしたが、こんなに何度も来る人は少ないらしく、まだ誰もいませんでした。午後一番の講習が始まって、昨年の交通事故の県内の死者の数が50年ぶりに減少したとか。死者の半分は高齢者だそうだ。歩行中の事故でお年寄りがなくなるケースが一番多いそうだ。昔の人は運転する人は少なかったから、私の母もそうだったけれど平気で横断歩道のないところで渡ろうとするのだ。事故の記録映画を観た。一番多いのはやはり飲酒運転は別にして、出会い頭の事故で交差点の事故である。居眠り運転が原因の事故、わき見運転、ぼんやり運転とその原因は様々だが、そのうちのどれかに誰もが当てはまる可能性は常にある、と思った。運転するときは運転に集中すること、これが鉄則である。それにしても大雪の中を帰って来た。夜になってから主人は元気に起きて又ストーヴを焚いてくれた。又朝まで起きていたようで、夜中に揚げせんべいを食べ過ぎたらしく、翌日下痢をして又大仕事になった。一日中私は働き続けで前日の疲れも手伝って夕食も抜きで寝てしまった。元気の良い日の次の日が一番様子が狂ってしまい、何故、一体どうしたの?という状態になってしまうのが相変わらず辛く、きつい。余りの落差に付いて行けない。雪の中を走るとこんなにつかれてしまうのは年のせいかもしれない。
2008/01/30
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昨日は夜8時半ごろから起きて来て少し食べたいというのでむせないものといえばゼリー、ヨーグルト、ゴマ豆腐、卵豆腐、ワンタンスープ、ゼリードリンクぐらいです。最近はおかゆもむせる、ミキサー食のスープもむせるというので、寒天を使って何か作るようにしないと食べ物の種類が限られてしまい、つまらなそうです。それでもメインは径管栄養でカロリーは足りているので案外元気です。余りの寒さに夕方からは石油スト-ヴでは暖まらないでいましたが薪ストーヴをつけた途端暖かくなりほっとしました。相変わらず深夜になって長男から送られてきた孫のDVDを観始めました。生まれる前の様子から生まれてすぐの様子、だんだん大きくなってくるまで3本のDVDが送られてきました。少し観て「もう寝ましょう、」と私は昨日の朝から首と肩が突然痛くなっていて、ホッカイロを貼っていたのですがまだ痛くて早く寝たかったので先に寝ました。主人は眠れないらしく又起きて夜中中起きていたようでした。結局寝たり起きたりとはいえ、朝になって聞いてみるとほとんど起きていたようです。 朝起きたとき赤々とストーヴが燃えていました。元気なうちに首と肩にシップ剤を貼ってもらいました。午前中もしばらく起きていましたが余り食べもせず、居眠りを始めたので休んでもらいました。朝食もマンゴープリンとミルクを半分ぐらい飲んで、それもむせているのでやめました。 寝たままで昨晩の分も含め水分補給を兼ねて径管栄養を胃ろうで入れました。余り起きてこないので休んでいる間、小物を手洗いしたりしている内にそろそろ様子見に行ってみると起き上がっていましたが、トイレが間に合わなかったようで、又着替えになってしまいました。元気に起きた後はどうしても私も大丈夫だろうと気を許してしまうので、オフ状態になってしまうとやっぱり起きられないようで、だめでした。又胃ロウをやっている時もどうも頭の中が眠ってしまうのか、急に起きてトイレに行こうとして又チューブを引っ張りすぎて外れて前回も床から掛け布団までミルクがこぼれてまたまた洗濯の山でした。睡眠状態になる時と、覚醒する時がどういう時間のサイクルで切り替わるのか、いまだに不明で日によっても違うようで予測が付かないことが全てのトラブルの原因です。それでもほとんど妄想的なことや、幻聴は無いようでそれだけでも良かったと思います。 薬を飲んでいた頃は薬の効きが切れるとオフ、になるのかと思っていたのですが、薬のせいではなくこの病気の性質上オン、オフが繰り返されるということなのか、先生からも余りはっきりしたことは説明が無く、患者一人一人千差万別らしくはっきりとしたことは云えない様で、「良く判りませんね」という言葉が返って来るばかり。
2008/01/27
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DVDで先週借りてきた中に以前から気になっていた「硫黄島からの手紙」がありました。 返す日の深夜になってまだ見てないことに気が付き遅い時間だったけれど観ることにしました。監督が「夕日のガンマン」でお馴染みのクリント・イーストウッド、主演が「明日への記憶」で好演だった渡辺謙さんということで、しかもアカデミー受賞作品でもあり2年前から気になっていました。2年前のお正月に購入した「文芸春秋」に栗林忠道中将について、渡辺謙さんと作家の梯久美子さんの対談が載っていたので買ったのですが、余り良くわからずそのまま表題だけでよく読まないでいました。「文芸春秋」などももう何十年も買っていませんでしたが。しかし映画を観終わってから昨日改めて読んでみると、栗林忠道という人がクリントイーストウッドを何故惹きつけたか、わかりました。陸軍の優等生だった指揮官であった栗林は直属部下には厳しいながら、一般の兵士には大変優しい人で、一緒に食事をする、同じものを食べる、司令室に閉じこもって作戦を練るだけでなく、現地である島の中を自分の足で歩きその状況を確かめるなど、兵卒にも声を掛けているなど当時の指揮官としては普通ありえない行動をしていたということでした。そして毎日家族に当てた手紙を書きながら、日本に残された家族を思って悲惨な戦場での日々に耐えていた。実話に基づく映画ではありますが少しは脚色もあったようです。当時日本では戦意を掻き立てるために、鬼畜米兵ということを教えられていた日本兵にとって、上陸してきた米兵の一人を捕虜にした時、その命を助けたものの亡くなってしまったその米兵の持っていた母からの手紙を読み上げた時、その内容は全く日本の母と同じことが書かれていた、ことに兵卒は驚き、人として米兵を見ることになったシーン。世田谷区ほどの広さの島に2万人余りの将兵が入って、今でも1万3千柱の遺骨が眠っているという硫黄島は島全体が遺骨で埋め尽くされているといっても良い。栗林中将の魅力は戦前アメリカ・カナダ駐在の経験があったことで、アメリカ人を良く知っていた事でアメリカに勝てるはずが無い、と戦争には根底では反対をしていたのではないか、といった陸軍の大本営に対しても常に和平を提言していた、と伝えられている事など当時の軍閥では異色の立場だったようだ。それだけに戦場での苦しみも強かったであろうし、多くの将兵はほとんどが応召兵(各戸に赤紙で招へいされて兵隊になった兵士)であった事もあり、望んで戦争をしているのではなかった一人一人の気持ちが良く判っている人だったのであろう。硫黄島をそこまで死守するにはこれも理由があったという。硫黄島を米軍に支配されれば即本土に空爆が手軽になされて日本にいる家族は全滅する事を知っていたからである。米軍が5日で落ちると見ていた作戦は、一ヶ月の長い期間死守されていたのである。多分もう一本の「父親たちの星条旗」をアメリカ側から見た硫黄島の戦いも観た方が一層イーストウッド監督の心意気が伝わってくるであろう。無念のうちに死んでいった当時の若者の気持ちが伝わってくる映画でした。今の平和がこの人たちの犠牲の上にあることを忘れてはいけない、と再確認しています。 主人は一緒に観ていましたが、無言でした。その日は寝たのがもう明け方の4時近かったです。金曜日と今日も又寝ている日になりましたがそれでも夕方になってかなり冷えて来て石油スト-ヴだけでは家の中は底冷えが増してきた所、少し起きて食べたり、薪割り機で薪作りをしてくれたりと、薪ストーヴでやっと暖かな夜になりました。
2008/01/26
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相変わらず2日寝て一日起きる、と言う繰り返し。寝ている日は運も悪く洗濯が山のように出るのはなぜか。薪を運んでくれたり、外で購入してきた電気式チェーンソーを使って枝きりをしてくれたり、調子の良い日は結構働いてくれるのに。そのくせそれほど食べられない。食べないと体力も付かない。それでも良い日は起きていろいろ動いてくれるのでうれしい反面疲れてしまうだろうと心配にもなる。どうにかもう少し食べられるようになれないものだろうか。実はもっと詳しく書いたのだが写真の操作をしているうちに書いたものが消えてしまったので今日は文章は簡略にしました。書いたものが復元する操作は可能なのでしょうか?知っている方は教えてください。以前にもあって、一度書いたものが消えると悔しくて又書くのは時間が無いし、このブログは復元ができないらしい。
2008/01/24
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前日の木曜日は朝から良く動くのだが、頭の中は眠っているらしくうろうろするばかりで落ち着かない。胃ロウの最中に何度も立ち上がり毎回はずしては着替えるという繰り返しで一日中着替えと洗濯で私もくたびれてしまった。次の日は午前中は完全に寝たきり状態で、意識は不明快のまま胃ロウも終わり、「今日でお薬も終わるし、経管栄養も来週前半で終わってしまうので、今日は診察日だから行かないといけないからね。」と寝ている主人に伝える。眠っているようでも耳は聞いていたらしく、「何時ごろいくの?」というので「今日中に行けばいいけど、お父さんの起きられる時間でいいから」お昼を早めに済ませて起きる。着替えてひげも自分で剃って、出かけるばっかりになって病院に電話する。「これから行ってもいいでしょうか」看護士さんが「先生に聞いてみます」ということで待っていると、「午後に会議が入っているので夕方に来てください」なんだ。じゃ、少しゆっくり出ようか。ということで又座って新聞を広げて時間をつぶす。前日の悪夢は全く嘘のようにすっきりした表情で目が覚めている。病院へ行っても先生もびっくりするほどはっきりしていて「今日は調子いいですね。すごくいいね。」と先生もうれしそうである。帰りにDVDを借りていこう、というので帰りの車の中でも暖房が効いてくると、私は眠くて少し休憩しないと眠くて暗い道は一層眠くなるのだ。コンビニで少し休むことにして寝ている間に主人は自分で焼きそばと、コロッケパンを買ってきて食べるというのだ。「エー。大丈夫なの?むせないの?」と逆に心配する。調子の良い日は好きなもの、昔よく食べていたものが食べたくなるらしい。私は一寝入りして自分の飲みたいものと、お父さんにゼリードリンクを買いに行く。DVDを借りにお店に寄って、映画館に行けないで観られなかった話題の映画「ナルニア物語」、アラン・ドロンの最新作とかで現在のアラン・ドロンがどんな顔になっているか知りたくて一つ借りた。お父さんが寝たきり状態の間に一人で見ていたTVの時代劇の映画化された「蝉しぐれ」ほか又一週間レンタルで帰る。老人になったアラン・ドロンには少しショックだったが、でもダンデイな老人になっていてそれなりに良かった。ナルニア物語は美しい画面に魅せられた。新しい液晶画面で見るので一層きれいで、ファンタジーの映画はやっぱりもっと大きな画面で見たくなる。ゆとりがあったらホームシアターシステムが欲しくなるだろう。映画館に行ければ一番いいのだけれど、と思った。お父さんは一人でお風呂から出てからも遅くまでDVDを観ていたようだ。そして土曜日は朝から又寝たきり状態が夜まで続く。昨日の元気はどこへ行ってしまったのだろう。特にトイレにも起きられず一日中またまた3回も、今度は最初は普通のパンツだったので間に合わず、2度目以降はなぜかリハパンにパットをしてもあふれてしまう量のせいか、体の向きが悪かったのか全部着替えること3回。トイレにはほとんど行かずぐっすり寝ているばかりの一日。又今週も洗濯の山で来週ヘルパーさんが来てびっくりするだろう。
2008/01/19
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誕生日一ヵ月後最後の日は休日なので15日まで有効ということで最後のチャンスだったのに!先週木曜日一番近い警察へ写真も用意して行くと、「運転免許試験場のほうへ行ってください。」といわれてしまう。葉書をよく見ると書いてあったのだ。しっかり見ないで前回と同じ警察へ行けば良いと思い込んでいた。考えてみたら2年前の夏、DBS手術を受けるために名古屋へ行く前に保健所へ申請に行った時、長い間通勤にも使っていた裏道を通って行こうとして、今までどおり走って行くと、なんとなく様子が違う感じはしたのだった。裏道を横切る広い道路が右半分は出来上がっていたが、左方向は長い間工事は行われないままだった。しかし主人の介護で家に閉じこもっている間に広い道が裏道を横切って貫通していたのだ。つまり裏道のほうが一旦停止のラインが出来た所だったようだ。左の道の脇に白バイも止まっていたのに、「何だろう?何か事件でもあったのかな?」と勝手に考えて今までのように通り抜けようとした、途端!ピーポーと白バイが後ろから来るではないか!「何事?」「奥さん。一旦停止しませんでしたね。」あー!そういうことだったのか!切符を切られてしまったのが2年前の夏。それが原因で試験場まで行き講習を一時間受けないといけない立場になったのだった。それで高速に乗って、久しぶりに試験場まで行くことになった。姉妹のように育った従姉の家がすぐそばだったので、この機会に寄ろうと思い、電話をするとたまたま家に居るというので寄ることにした。しかしゆっくり話をするのは9年ぶりぐらいだったのでお昼をはさんで来たものの講習の受付時間をこれまた確認せずに、すっかりおしゃべりに夢中になってしまった。試験場に行くと「受付時間が過ぎたので、免許の更新は講習を受けてからでないと新しい免許証は出ない」との事。又やってしまった!仕方なくゆとりを持って月末までとりあえず延期の判を押してもらいもう一度講習を受けに行くことになってしまった。頭の中が介護生活ですっかり応用が効かない思考回路になっている。又ヘルパーさん、訪問看護師さんなどの手配をして出掛ける日を決めないといけない。
2008/01/16
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いよいよ話題の幹細胞による再生医療が現実のものとなってきた。細胞とはなんと底知れぬ能力を持っているものであろうか!自分の体の一部である骨髄から骨髄液を採取して、分離して「造血幹細胞」これは血液を作る、骨や軟骨、脂肪、心筋などになる「間葉系肝細胞」、血管の元となる「血管内皮前駆細胞」を含む「単核球」とよばれる物、これが神経肝細胞に作用して、活性化されて症状を改善する、といわれる希望の細胞である。大阪府吹田市の「国立循環器病センター」では今年からこの「単核球」を使い、脳梗塞などの重症な後遺症の治療を始めるそうである。静脈に注射することで血流に乗って脳に届き、血管を再生し、さらに周辺の神経幹細胞をも活性化することで、脳の損傷部位の再生を促す。米国カリフォルニア州のベンチャー企業「サンバイオ」は今年ピッツバーグ大と共同で脳梗塞、パーキンソン病、来年は脊髄損傷でも臨床試験を始めるそうである。オーストラリアでも米子会社のベンチャー企業が臨床試験を心臓病患者に実施し、経過良好との報告があるそうだ。以上今日の朝日新聞;科学欄より抜粋、要約しました。いかがですか!難病、さまざまな怪我や、病気の後遺症で苦しんでいる方がこれからは治る様になる。特にまだ若くして病気の苦しみに絶えている方、本当にこれから希望を持って治療を受けられる日までがんばりましょう。そして一刻も早く国がそれらの研究機関に臨床試験などが実施されるよう予算が付いたようではありますが、一層より多くの患者さんが救われるように今後も努力して行って欲しいと思います。
2008/01/14
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金曜の深夜になって起き出して、外から薪を運び始める。少し寒さがゆるいでいたので、私は石油ストーヴだけでいいだろうと思い、昼間やるべき仕事をサボっていたのだ。石油も外のタンクに年一回の給油で入れてもらったのでポリタンクに汲んでくる。しかし薪を運んだだけで疲れてしまったらしく、焚き付けたころにはまた寝てしまった。それでも私が一人でお風呂に入ってから寝ようと思って入っていると、また起きて来て入りたかったようで、珍しく私より後から入浴して先に私が出て着替えをしながら、中の様子を見ながらという関係になった。あまり元気はなくすぐに出てきて、着替えは手伝ってすぐにまた寝てしまう。しかし朝まで何度か起きては寝るといった繰り返しで朝になる。土曜日は昼から起き出して、シューマイを食べるというので温めるが、一口で「むせるからだめだ」といってまた寝てしまう。何も食べないので「胃ろうにしようか?」と聞くと「後で食べるから」というのでしばらくほって置く。夕方まで寝ていて夕食にシューマイと栄養ミルク、ゴマ豆腐、ビールもコップ1パイ、画面の美しさで魅了させられる世界遺産、続いての恐ろしい新型インフルエンザの仮想ドラマを見ながら、ナチュレも食べたので少し水分が不足だがまあいいことにする。家に閉じこもっているほうがインフルエンザの脅威からはむしろ遠ざかっているかも、などと考える。日曜日は一日中又、寝てばかりの反応のはっきりしないまま一日が終わる。ぼんやり人間の日は寝ぼけているので、トイレも一緒に付いて行かないと汚すので毎回付いていたが、たまたま私は年末に出来なかった掃除に夢中になっていた時やられてしまった。便器ではなく床にやってしまう事がここしばらくなかったのだが。以前は何度か寝ぼけて部屋のベッドの角とか、外の出入り口の前とかなぜかトイレと間違えるらしくやられたことも何度かあった。男の人はどこでもトイレになるかもしれない。女の人の場合はトイレを間違えるということはまずないだろう。すごくしっかりしていた時間帯の後に、何故又逆行してしまう状態が繰り返されるのか、この病気の特徴なのかもしれないが、どうにか安定していくようになって欲しい。
2008/01/13
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年末から年始に掛けてかなり調子がよかったのだったが、今週は起きる時もあり少しは食べたり、ストーヴを焚いたりはしてくれるが、すぐに疲れてしまって、少し起きてはすぐにまた寝る。といった状態で、10日はお昼から起きて、うどんを食べるというので、用意したが結局小さな丼一杯のうどんを半日掛けてやっと食べる。少し食べては休み、横になって、しばらくするとまた起きて来て、少し食べる。かといって経管栄養はやらなくていいと言う。コップで一杯づつお昼と夕食に飲みながら、うどんを食べる。ただし少し入れた油揚げ、鳥のひき肉はほんの少し食べるが、むせてしまうのでうどんだけを、少しづつ食べる。それでも前日は夕食に鳥のひき肉を少し入れてワンタンスープを作ってあげたら、結構美味しそうに食べてくれたのだが。夜は相変わらずトイレ通いで寝不足の日々には変わりない。昼間はそんなこんなで食事の付き合いと、自分の食事と少し買い物に出たりしているともう一日が終わる。
2008/01/11
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やっと日常が戻ってきた感です。久しぶりに今日の新聞を広げていますと、市川団十郎さんのつるつる頭の写真が目に入り、しかも 「がん」患者を生きる。という欄ではありませんか。エーうそでしょ! と読んでいくと、なんと2004年;平成16年5月に勧進帳の親子2代の初舞台の日に体に違和感があった。と始まりその年の7月までの間抗がん剤治療を受けておられたのだった。わが夫がちょうどパーキンソンの薬の副作用がピークになって入院騒ぎで私がパニックになっている時期と重なっていた事に今更ながら、病名は違うものの苦しみの中にいた家族がいた、と思った。もちろんそんな家族は日本中には山と居ただろうけれど、海老蔵さんの芸能ニュースの陰に家族の苦しみがあったことを知って改めて団十郎さんのつるつる頭の意味も納得した。癌は一旦「寛解;がん細胞が検出されない状態」になったと知らされたのが7月だったそうだ。しかし8月には再発の疑いがある、と告げられた。記事はここで終わっていた。その後の病状がどうなったかはまったく知らなかったことではあったが、団十郎さんのいつも厳しい表情が芸能ニュースで時々見る表情が目に浮かんだ。癌は再発の危険と付き合うことの怖さと不安は友達にも何人か居たし、現在も病気と戦っている近所の奥さんが何人か居るので、その不安な気持ちは知っている。パーキンソン病は命と引き換えではないにしても、症状の不安定さ、理解を超える症状の変化に本人も、家族も苦しみ続けることに、どんな病気も同じだとは思うが、生きている限り付き合っていくしかない現実がある。団十郎さんと主人は年齢では主人が少し若いが、まだ十分仕事が出来る。そして沢山の役割を担っている方であるだけに、その重圧は想像を絶する苦しみに違いない。わが夫は全く仕事が出来ない現実にもうこうして3年以上直面して家族ももう仕事については諦めている感がある。生きる希望としてはまだ20年近い月日がこれからも続くというのに。
2008/01/08
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今年最初の日曜日、午前11時ごろから起き出して、久しぶりに昼間起きていました。お昼も夕食も経管栄養をコップで飲んだり、ゴマ豆腐、卵豆腐、プリン、ヨーグルト、ゼリー飲料などむせにくいものを選んで食べました。全体でカローリーが足りていれば良いことにする。穀類が入らないとなんだか足りないように感じてしまうが、栄養ミルクは完全食だから良いことにする。赤ちゃんのミルクと一緒だ。食べては少し休み又起きてきて食べる、といった状態で夕食には水餃子を食べてもらう。夜は大河ドラマの初日を見た後は、借りてきたDVDを見ながらビールも少し飲んで、私はもっぱらおつまみなどでおなかを膨らして、おせち料理の残りを片付ける。昔一緒に見に行った鈴木清順監督の「ツイゴイネルワイゼン」を見る。鈴木清順監督独特の死生観が強烈な映画だ。映画が出来るときは必ずその映画に適切な俳優陣がそろっていないとできない。藤田敏八 大谷直子 原田芳雄、大楠(旧姓;安田)道代;役者がそろってから鈴木監督は映画を作り始めるのだろうか。わけのわからない映画を作って日活を首になった監督だ。NHKの鈴木アナウンサーのお兄さんだそうだ。最後に見たのはテレビで白髪の白いひげのメガネをかけた老人の姿が印象的だった。少しづつ昔の映画を借りてこよう。今朝は明け方まで起きていたので一日中寝ている。明け方眠い時間に何度も起こされるのでやっぱり今日も寝不足だった。パーキンソン病は、細かな動きができないので起きてしまえば歩けるが、また寝る時はベッドに腰掛けることはできても体を横にして布団を掛ける、という当たり前と思われる行為が出来ないのだ。布団を横で寝たまま掛けてあげるが、足が上がってこないのでこれまた引っ張りあげるか、起き上がって体の向きを整えてあげるかどちらかなのだが、自分が眠い時間は起きるのがいやなので、少し気温が暖かだと気を許して、ほったらかしにする。寝ぼけている時は布団に入らずに掛け布団の下のほうでうつぶせになっていたりするので、やっぱり起きて、正しい場所まで連れて行かないとだめなのだ。なんだか病人でなければ鈴木清順の映画のシーンのようだとふと思った。どこまでが正常で、どこからが異常な常態か訳が判らなくなくなるような生活だ。是もまた不思議な生活の一部だと考えれば面白いかもしれない。命に係わる状態だけは避けるように気をつけるとして、それ以外はあまり深刻に考えないほうがいいかもしれない、と少し思えるようになってきた。起きている時間が増えて来た分楽しむ時間も増えていくだろう。鈴木清順鈴木清順監督 自選DVD-BOX 壱 日活から大目玉をくらった作品
2008/01/07
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3日の午前中に次男が帰るので新幹線はやっと取れた指定席だとかで、駅まで送ることになった。短い年末年始の休暇だった。 次男は学生時代もアルバイトで忙しくやっぱり休暇はこんなものだった。 年末は帰ってきた日の夜は高校時代の同級生と飲み会、お正月は主人の実家に今までは行っていたが、去年お父さんが亡くなってからはなおさら行かなくなって、近所の家に薪をもらいに行ったまま義兄弟たちと朝まで飲み会、最後の夜もこれも定番で中学時代の仲間と飲み会、結局一緒に食事らしいことをしたのは大晦日の夜だけ。 最も朝?昼?は一緒だったが。彼女は体調を壊して今回は来れなかった。今度会うのは5月の連休か。 主人は大晦日の夜まで元気でいたがその後は2日寝て、2日の夕方7時過ぎに起きて夜中じゅう又起きていた。朝になっても元気で次男が帰るときも一緒に駅まで送って行き、帰りにはDVDをレンタルしにツタヤへ寄る。かなり怪しいのも含め、昔の映画と合わせて5つも借りた。会員になって60歳以上200円割引でかなり安く借りられた。スーパーで買い物もして、主人は車の中でDVDを気にしながら待っているというのでエンジンをかけたまま買い物をする。帰ってくるとさっそくDVDを見始めるがさすがにもう18時間以上起きているので、様子がおかしくなってきている。私も毎日お雑煮だったので買ってきたいなり寿司とお茶にする。先に食べ始めたので主人も一つ欲しがって食べるがやはりむせてしまって無理だった。「寝たほうがいいよ」と言って寝て経管栄養を前夜の不足分も含めて入れる。夕方私も寝不足で疲れてきたので夕寝をする。 しかし主人は又起き出して、コートを羽織って外に行こうとしているのに気が付、あわてて起きる。「どうしたの?寒いから外はだめだよ。もう少し休んだほうがいいよ」といって又寝てもらう。体はこんなに長い時間起き続けるというのは頭の中はどうなってしまっているのかわからない。以前のようなおかしなことは言わなくなってはいるがやはり心配だ。そして又深夜になって起きて来たのだ。本人は「薪は?」というのだ。夕べは少し暖かかったので薪は焚かず石油ストーヴとオイルヒーター、足元は電気のフアンヒーターで我慢していたのだが、「私はこれから起きるんだから焚くんだ。」といって一人で焚き始めた。しかし燃え残りの太い薪を出さずにやっているのでなかなか点かない。そのうちに疲れてしまったらしく又寝てしまう。私は又後で起きて来た時寒いといけないと思ってがんばって焚き付ける。こうしておけば夜中にトイレに起きても寒くないから安心。と、気がつくともう3時になってしまった。あわてて寝る。本人は珍しく3時間ほどまとまって寝てくれた。だんだん寝る時間が長くなってくると楽だ。結局朝は寝坊してしまう。一日が短い。遅い朝食は寝たままで経管栄養、私はドッグパンにチーズ、大根の葉の炒め物、玉葱入りの納豆を挟んでかぶりつく。パンと納豆は以外に美味しい組み合わせである。私の育った家では昔から定番だった。遅い朝食の後ホームセンターに雑貨を買いに行く。主人は寝ている。今日はほとんど寝ていて、トイレには起きるがすぐ又寝てしまう。暗くなってから外のトラックから星空を見上げながら薪を拾ったり、石油を汲んだりと忙しい。主人は遅い昼も夜の食事も経管食だった。11時ごろになって起きてきて「何か食べたい」というのでプリンを食べてもらう。ゼリードリンクを少し飲んで、又寝てしまった。今日は私も早く寝よう。
2008/01/04
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先日大急ぎで送った国際郵便物が、予想以上に早く着いて驚きました。早速写真が送られてきました。どうにかまだ着られそうで間に合いました。春物なので今から家の中で着ていれば大丈夫かな?よく似合ってうれしいです。しかもとても一歳未満の子供の表情とは思えないほど良くわかっているような表情でポーズをとっているようで、おばあちゃん馬鹿にさせられました。ところで主人はといえば、丸々2日間(29,30日)と又夜も昼も寝てばかりで相変らずトイレには起きる、体は起きるけれどぼんやり人間、夢遊病者状態が続いていてせっかく帰ってきた次男もがっかりだったようだったが、大晦日になって朝から起きてきた。食事は径管食で余り食べられない様子だったが、意識状態はすごく良くなって、2日前から良く見えるテレビが欲しい、と言っていたまま一度申し込んでは見たがキャンセルして、予約で安く買えるお店に行こうということにして広告はとっておいたのだ。締め切りが31日だと言うので「今から行こう」と夕方になって言い出す。息子も「もう少ししたらもっと安くなるよ」と言っているがその気になってしまうと後に引けない性格で3人で出かけることにする。予約の店は予約であってその日には手に入らないので、お正月番組をきれいな画面で見たいと言うのである。息子からも初ボーナスを分けてもらったこともあるので、何しろ見に行こう、という事でヤマダ電機へ行く。しかしメーカー品はなかなかまけない。記憶をたどって他の店にも行こうとするが変化の激しい時代は、主人が寝たきりになっている間に以前あったお店は全部無くなって、他のお店に変ってしまっていた。私も同じくほとんど家に閉じこもっていたので変ってしまったことは知らなかった。結局新しくリニューアルした大型ショッピングセンターの売り場に行ってみると、これは見っけもので、メーカー品ではなく余り聞かないメーカーの品物が半値近い値段で売っていた。しかもすぐお持ち帰りOKという事で、即買うことにする。早速帰ってセットする。もう紅白歌合戦はとっくに始まっている。始めて身近で見る液晶デジタル画面は感動ものだった。こんな鮮やかな色で演出されているとは驚きであった。アップに耐えられる美しいお肌の演歌歌手、中居君も若々しい元気な表情で、ガクトの独特な舞台も良かった。そして昨日のエジプトピラミッドの謎・ナイル川からの生中継もすばらしい映像で思い切って購入してよかった、と私のほうがお父さんに感謝してしまう次第になった。今までのテレビより少し大きいだけのサイズ:20インチで画面は十分だ。長男からも朝になって国際電話でおめでとうが入ってきたが、主人は31日の疲れが出たのか寝ていて電話には出られなかった。今日も朝から寝ていてひたすら又寝たきり状態かと思われたが、夕方7時過ぎからそろそろ起き出し、今はストーヴをせっせと焚いてくれている。この分で行くと3日に一回のペースで元気な日がしかも一日起きていられる日が増えてくるかもしれない。
2008/01/02
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