友人が、ネックレスとアンクレットを失くしたとブログで読みました。彼女は、きっと厄払いだったのではと書いています。私も、それに似た様なことを思います。
私は、ウガンダで携帯電話を買いました。プロジェクトで使っていたものを返還しなくてはならなかったので、新しく個人の電話を買いました。同じブランドのノキアです。でも...なんとなく、使い始めたときからあんまり使い勝手はよくないし、着信音も気に入ったものがないしと、悲しい思いをすることがたびたびありました。慣れないからだと思ったのですが...
でも、あんまり気に入っていないものは、だんだん使わなくなります。ということは、愛着も薄れます。
ある日、私はエチオピアでオーストリア人の女学生にその電話を貸しました。電気も水道もない村で生活をし、調査をすることがどんなことだか良くわかっていたので、少なくとも、連絡手段だけは確保できるようにと、この電話を貸しました。
するとある日メールが届きました。「バハルダールのバス乗り場で引ったくりにあって、電話をとられた!」というではありませんか。彼女は、同じものをオーストリアで買って返してくれるといいましたが、私は、断りました。
そのメールを見て、なんとなく居心地の悪かった電話は、きっともっと大事にしてもらえる人のところにいくことができたのではなかったかと、ふと、思いました。きっと、最初からなくなるものだったのかもしれません。そして、内心居心地の悪い電話がなくなったことに、ふとほっとしている自分もいました。ひょっとしたら、この学生の命を守ったのかもしれないし。だから、彼女には、きっとなくなる運命だったのだし、彼女も無事だったので、いいのよと連絡をしました。
今、私は、水晶のピアスをしています。気に入っています。普段安物のピアスしか身につけたことのない私が、奮発して買いました。ネオタキオン化されているもので、スイカ風の形です...これについては、私はまだなくなる運命を感じてはいませんが、でも、なくなってしまったら...きっと私を何かから守ってくれたと思うかもしれません。きっと、そうなのかもしれません。
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