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これは自転車でダンス教室へ行く時にいつも通っていた公園の紅葉です。その頃はまだここまで紅葉していませんでしたが、最近木々の葉がかなり赤くなってきました。すると香嵐渓に出かけた友人が写真を送ってくれました。まだ1週間ほど早かったそうですが、それでも綺麗な風景ですので紹介したいと思います。動画を送って下さったのでそこから加工しました。待月橋です。巴川の向こう岸に広がる紅葉です。まだ1週間ほど早かったとおっしゃいましたが、結構、紅葉が綺麗だと思います。休憩所の茶店でしょうか。こちらは高積寺(こうじゃくじ)の山門でしょうか。今の私は遠出ができないので、こうやって写真を送ってもらえるのはありがたいです。昨夜も相方から電話がかかってきて和菓子(練り菓子)が食べたいので持ってきてほしい、ついでにコカ・コーラも飲みたいのでお願いとのことでした。食欲が出てきたことは回復してきた証拠なのでとてもありがたいことです。今日はダンスレッスンの後で病院に届けてくるつもりです。
2024年11月26日
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7月も中旬になりましたが、武下さん制作の今月のカレンダーを紹介してなかったことに気づきました。今月の絵は「スターチス」添えられた言葉は「待ちに待ったその笑顔」です。今回もスマホで撮った画像です。さて、我が家も昨日やっと電話機を交換しました。色も形もあまり変わらないのですが、迷惑電話対策ができます。まだ昨日から一度もかかってこないのでどんな感じになるのかわからないんですが。・電話拒否ができます。(呼び出し音の時や通話中にボタン操作でメッセージを流して電話を断ることができます)・安心応答ができます。(呼び出し音の時にボタン操作でメッセージを流し、相手の名前を聞いてから電話に出ます)・迷惑防止(警告メッセージを流してから電話を受けるように設定してあります)※小、中学校はどこもこの機能が設定してありますね。・着信拒否(ナンバー・ディスプレイ(契約必要)を利用して電話を受けないようにする)※着信履歴から受けたくない相手を拒否設定非通知の相手、0120/0800で始まる電話番号これで少しは静かになるかしら?アメリカの友人の家の庭で咲く百合の花です。八重の百合は珍しいですよね。さて、名古屋で踊るダンスパーティーが1週間後に迫ってきました。22日(土曜日)まで残り約1週間。まだ体調は完全に戻ってはいませんが、練習に励みたいと思います。
2023年07月14日
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昨日テレビで紅葉の名所、香嵐渓を写していましたが、今年はやはり紅葉が遅くて来週あたりが綺麗になるようなことを言ってました。百年前に地元の方々が観光名所になるようにとモミジの木をたくさん植えられたそうです。こちらは友人が豊田市小原町を訪れ、四季桜とモミジの紅葉のコントラストが綺麗だったと送って下さった写真です。やはりここでも紅葉はまだ少し早いような感じがしました。我が家の庭でもまだ紅葉は進んでいません。柿の葉ナンキンハゼの木も上の方がほんの少し紅葉し始めているだけです。猛暑の影響でしょうね。昨夜相方から連絡がありました。声が聴きとりにくかったので聴きなおすと、口の中がカラカラで舌がくっ付いてしまうらしいんです。なんでも病院食にあまりフルーツがついてこないので、リクエストをしたら今日からフルーツが付いてきたと嬉しそうに話していました。少しずつ元気が出てきたようで嬉しいです。
2024年11月25日
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7/23(火)の続きです。札幌場外市場で昼食後、北海道神宮に参拝して、バスは小樽へと向かいました。(バスで頂いた北一硝子のチラシから少し拝借すると)「小樽はニシン漁で繁栄しました。明治に入り北海道開拓が本格化すると、多くの開拓移民が小樽に上陸し、それを支える様々な開拓物資や生活用品を満載した北前船(弁財舟)が集結し、商港として発展しました。また明治13年になると鉄道が敷かれ、港湾の整備が進められ百棟もの木骨石造り倉庫が次々に立ち並びました」と小樽・明治期の繁栄の歴史が書いてありました。私は小樽運河がもう一度見たいばかりにバスの駐車場からかなり歩きました。今から30年ほど前に訪れた懐かしい場所なんです。ここで石造り倉庫や歴史的建造物が立ち並ぶ街並みを散策しました。午後3時過ぎの気温は26.5度でした。大勢の観光客が小樽運河の写真を撮っていました。いつの頃からか運河クルーズで遊覧できるようになったんですね。みんながいなくなるのを待っていたら時間がかかってしまい、どっと疲れた表情で写真に収まりました。私には良い記念になりましたけれど。石造り倉庫は西洋美術館になっていました。その後、戦前は北のウォール街と呼ばれた古い街並みを散策しました。涼しげなコーナーふらふらと入ったのは北一ヴェネティア美術館ミュージアムショップでした。ゴンドラを後ろから撮りました。カラフルな鳥たちはガラスでできていました。建物の中の売店の隣にゴンドラが浮かんでいたんです。2階のダイアナ妃ゆかりのゴンドラを観るには別途料金がいるので、2階には上がらずに外の看板だけ写しました。故ダイアナ妃と現チャールズ国王がわかりますでしょうか?この建物が北一ヴェネティア美術館の外観です。こちらは洋菓子で有名なルタオのお店です。お店の外には気温が25.1度と出ていました。しかし体感温度はもっと高いように感じました。これで小樽の街並みの自由散策を終えてバスに戻り小樽港へ向かいました。小樽港をフェリーが17時に出航する予定ですので。(つづく)
2024年07月31日
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7/22(月)7/23(火)と2日間フェリーで船中泊をして7/24(水)は3日目にしてやっと畳の上で眠れました。3日目のお宿は加賀片山津温泉・佳水卿でした。ここは将棋の藤井聡太棋士が叡王戦・第2局を戦ったところです。入り口を入ると目の前に現れたのがこちら。ロビーも広々としていました。フロントは2階にありました。中央のエスカレーターで2階に上がりました。ここでお宿の案内と添乗員さんの説明を受けた後、各自の部屋に入りました。私たちの部屋は「船の棟」でした。とても広くて水屋は隣の部屋にあり、バス、トイレは別室にあり、3日目にして初めて畳の上で過ごせることが何よりも嬉しかったです。部屋からは、柴山潟湖が見えました。(前田利家が鷹狩の際に見つけた温泉だと伝えられているようです)以前はスイスのレマン湖のように中央に噴水があったそうですが、地震の影響で故障中でした。夕食は大広間で和会席でした。お品書きは省きますが、地元の特産物で調理されとても美味しかったので満足しました。アルコールも二人で半分こして飲みました。食後はゆっくりと第9期叡王戦の様子を写してきました。小さくて読めないですが、叡王戦の歴史や仕組みの説明です。2階では宿泊客が自由に将棋ができる部屋もありました。翌朝は10時出発なのでゆっくりできました。朝食はバイキング(ビュッフェスタイル)でした。その後、次の目的地である滋賀県彦根市を目指してバスは走り出しました。(つづく)
2024年08月02日
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1週間のご無沙汰でした。どこかで聞いたようなフレーズですが、おかげさまで元気に7日間の旅から帰ってきました。今日からぼちぼち日本一周の旅を振り返ろうと思います。先ず7月22日(月)から始めます。時間的に余裕をもって地元から特急「ひだ」に乗って名古屋駅まで行きました。ところが、ニュースでは早朝3時半頃に保守作業中の車両が衝突脱線事故を起こし始発から東海道新幹線は名古屋~浜松間が運休。午前中いっぱいで復旧できるかどうかわからない状態。まあとにかく名古屋駅で旅行社のスタッフを待つことにしました。背中にリュックを背負ってややこしい格好をしています。午前10時過ぎにスタッフと合流し、何とか名古屋~仙台まで行くことになりました。中央線で長野駅まで行って長野駅で北陸新幹線に乗り換え埼玉県大宮駅まで行き、そこで東北新幹線に乗り換え仙台まで行くことにしました。電光掲示板をスマホで撮るとこんな感じになります。やっと仙台駅に16時25分に到着。仙台駅構内で東京からのお客さん達と合流。全員で17組34名の夫婦です。(名古屋からは6組12名)ここからバスで仙台港へ行きました。名古屋から仙台まで同行した旅行社のスタッフさんともここでお別れです。イケメンの若いスタッフさんに仙台駅の構内でにじいろ会のストラップを渡しました。とても気持ちのやさしいお兄さんで事情を説明するとストラップを大事にして交通安全に気を付けると言われました。バスは仙台港に着きました。待合室には仙台七夕祭りの吹き流しが飾ってありました。今回は仙台港でも小樽港でも自衛隊員さん達が大勢一緒でした。太平洋フェリー「いしかり」に乗船です。船は仙台港を19時40分に出航しました。苫小牧まで15時間かかりました。乗船して早速夕食を頂きました。これでも少ない方ですよ。驚くなかれ皆さんこの2,3倍はしっかり食べてらっしゃいましたよ。私たちの部屋は7階でした。この部屋(一等船室・洋室)で一泊しました。一泊目は船中泊でした。おやすみなさい。最後に寝ている間にフェリーが航行している様子を添付します。仙台から苫小牧に航行しました。翌朝11時に苫小牧に到着でした。・・・・・PS) 昨日午後無事に帰宅しました。たくさんの洗濯ものと後片付けをして、もう今朝早く相方は午前6時半ごろに車に乗って映画を観に出かけました。元気で結構なことです。私もブログをUPして今日からダンスレッスンに出かけます。
2024年07月29日
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昨日は早朝に出かけて夕方までかかりましたので帰ったらぐったり疲れてしまいました。大腸の中を綺麗にするため、腸管洗浄液を服用しましたが、午前中200mlずつ5回飲み、その後、水か白湯、お茶を3回に分けて500mlずつ飲み、チェックしてもらいましたが、まだまだダメという事で、私はさらにもう1回200mlの洗浄液と水を100ml飲んでやっと合格。検査着を着用して血液採取をしてから点滴を打ってもらい、鼻にも薬を入れてもらって検査室へ移動。内視鏡検査が開始になる前に点滴の中に鎮静剤を入れた途端、全く覚えがなくなってしまいました。昨年は先に胃カメラを鼻から入れて胃癌検査が先でしたので、カメラが鼻から喉、胃の中へ入っていくのを感じましたが、今回は鎮静剤が効いている間に大腸の内視鏡と胃カメラの両方とも済んだみたいで何も苦痛を感じずに終わりました。その後ベッドで、鎮静剤が切れるまで寝て、看護師さんに声をかけられてから着替えを済ませ待合室でしばらく待ってから医師の診断を聞きました。昨年はポリープを2個切除しました。傷口が大きかった方は出血が止まらなかったので、コマのような大きなクリップで止めてもらいました。それもいつの間にか外へ出たようで今回は特に問題がなかったようです。ほっとしました。胃カメラ検査はやはり1年に1回受けた方がよいとのこと。大腸内視鏡は3年後でいいと言われました。このクリニックで大腸内視鏡のリーフレットを頂いてきました。これは2023年度オリンパス株式会社発行の一部です。途中で切れてますが、「早期がんは自覚症状がないことも多く、注意が必要です。大腸の内側から病変を見つけられる内視鏡検査を受けましょう。」と書いてあります。こちらは2022年オリンパス株式会社発行の一部です。私は学生時代、下宿の同じ部屋で過ごした友達を50代の初めに大腸がんで亡くしています。彼女は2人の子供さんを残して若くして亡くなりました。お父さんも旦那さんも医師だったんですが、救うことはできませんでした。皆さんも大腸がん検査を受けてくださいね。
2024年11月23日
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7/25(木)はバスで長距離移動でした。加賀片山津温泉をゆっくり午前10時に出発して添乗員さんの歴史的な話(長浜城址は現在歴史博物館になってますが、長浜城と豊臣秀吉の話、浅井、朝倉の屋敷跡と織田信長の話、賤ヶ岳の話、義経と弁慶が安宅関を通してもらう話、はたまた神話の時代から古墳時代まで話が遡るので)バスの車窓から見える小さなお城や歴史のある山々を眺めながら興味津々で耳を傾けると自称歴女の心はワクワクするのでした。日本一の大きさを誇る琵琶湖の端から端まで車窓から眺めやっと滋賀県の彦根市に到着しました。ここで近江牛のすき焼きを頂きました。その後、買い物タイムで少しゆっくりできました。私たちは買い物はせずに、興味を惹かれた場所へ移動。面白かったのでおまけです。そして新潟港から泉大津港まで2日間ご一緒した運転手さんに交通安全のストラップを奥様と3人の娘さん用に5個お渡ししました。全員が車を運転するので交通安全に気を付けると言われました。添乗員さんにもお渡ししました。新潟から大阪まで長距離移動でしたが、無事に泉大津港へ到着。ここで運転手さんとお別れでした。泉大津港から新門司港まで乗るのは阪九フェリー「ひびき」です。私たちの部屋は6階のデラックス洋室でした。泉大津港を17時30分に出航しました。そして早速夕食です。自分たちの好きなものをビュッフェスタイルで取ってきて海を見ながら頂きました。私はハイボールで、相方は野菜ジュースで乾杯!瀬戸内海は波が穏やかで揺れを感じなかったので快適でした。この船で仲良くなり何度もやってきて色々と話をしてくれた中学1年生の男子とおじいちゃんにもストラップを渡しました。お姉さんと妹さんにも渡してもらう事にしました。(ネットに顔出ししてもいいよと言ってくれましたが、やっぱり隠しますね)関西空港が近いので飛行機が飛び立っていくのがよく見えましたし、神戸の街並みを眺めながら船は進んでいきました。夕方、明石海峡大橋の下をくぐり午後10時ごろに瀬戸大橋の下を通過しました。あともう一つ、しまなみ海道は夜中で夢の中でした。しかし午前3時半頃に目が覚めて窓から空を見上げると、星の輝きが綺麗に見えました。そして岸が近くなったからなのか、テレビのニュースが映り、山形県と秋田県に大雨洪水警報が出て、記録的な豪雨の被害で大変な状況になっているのを見ながら心を痛めておりました。船中泊をしている間に通った船の航路の現在地です。瀬戸内海は波が穏やかで全く揺れなかったので快適でした。新門司港へは午前6時に着きました。午前7時15分に下船なのでゆっくり朝食を頂きました。船を降りると西鉄観光のバスが待っていました。このバスには27歳の女性の運転手さんとベテランのバスガイドさんが乗ってらっしゃいました。これから九州の観光が始まります。(つづく)
2024年08月03日
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長らくお付き合い頂いた旅日記も今日で最終回です。宮崎県高千穂市から途中の道の駅で休憩しながら鹿児島県志布志港までバスは走りました。今は廃線になっているJRの鉄橋が窓から見えました。都城の道の駅で休憩と買い物をしました。やっと鹿児島県の志布志港に到着。乗船したフェリー「さんふらわぁ・さつま」です。大きすぎて一度で写し切れませんでした。18時30分に船が出ました。私達の部屋は7階デラックスでした。その日の夕食です。船長さんはじめスタッフの紹介がありました。サンフラワー・向日葵 薩摩に乗って大阪に向かいます。船は比較的穏やかに進みました。翌朝の太陽が上がってきました。船の朝食はこれが最後です。食堂からの帰りに、フェリーに乗るのも今回はこれが最後という事で記念写真を撮りました。午前8時50分に大阪南港・コスモフェリーターミナルに到着。サンフラワー乗船記念のビスケットを頂いてきました。この後、バスで新大阪駅まで移動してひかり・グリーン車で帰りました。東京のグループの方々に別れの挨拶をして名古屋駅で下車。少し名古屋で休憩してから特急に乗って帰りました。そして長いようで短かった1週間の旅がようやく終わったのでした。(完)長い間、旅行記にお付き合いくださってありがとうございました。
2024年08月08日
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昨日「さんふらわあ船長と商船三井さんふらわあ一同」から24.10.24の消印で「さんふらわあ さつま」に乗船のお礼と貴重な意見を頂き感謝しますという内容のポストカードが届きました。PCの画面の前で撮ったのでこんな感じになりました。ちょうど今年の8月8日のブログに鹿児島県の志布志港から大阪南港に向けてさんふらわあ・さつまに乗船したことが書いてあります。久しぶりに旅を懐かしく思い出しました。4つのフェリーに乗って日本一周をしてきたのですが、思い起こせば、旅の初めからハプニングの連続でした。新幹線がその日の未明に名古屋から東京間が不通になり仕方なく急遽、中央線を使って長野まで行き、長野から北陸新幹線で埼玉県の大宮まで行き、そこから東北新幹線で仙台まで行ったのでした。そして仙台港から苫小牧港へ向かったのでした。まあ初めての体験を楽しめたので良かったのですが。そして小樽港から新潟に向けて夜出発したフェリーが低気圧の関係で(遠く離れた所を台風が通過中で)日本海を航行中、夜中ずーっと大揺れで酷い船酔いをしたこと。女性陣は朝食に来れなかった人が多かったほどです。それで予定よりも船の航行に時間がかかり、金沢の兼六園を観光する時間が無くなってしまった事等々で忘れられない日本一周の旅になったのでした。さんふらわあの旅で頂いたビスケットさんふらわあ・さつまの写真の前で記念撮影本物のさんふらわあ・さつまは大きすぎて1枚の写真には納まりませんでした。記念として載せました。
2024年10月29日
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土曜日の午後のUSJです。薄暗くなるまで遊園地で充分遊びました。月も出て夕方になりました。夜のユニバーサルはものすごい人出です。みんなユニバーサル・ワンダー・クリスマスを見に集まってきているんですね。豪華なホテルです。USJに近い入口USJに遠い方の入口泊まったホテルです。パパと一緒にポーズを取るポコ君です。ポコ君の大好きなエヴァンゲリオンとの記念写真。ポコ君は初日にパパと2回も入場しました。初回は2時間40分も待ったそうです。大好きなものを見る為には時間も苦にならないのでしょうね。2日目も3日目も朝から2回入場してゴーグルをはめてバーチャルリアリティを楽しみ、充分満足した後で家族と合流しました。翌日の早朝に大阪から兵庫県までタクシーで移動すると、既に長蛇の列ができていました。8時半に入場開始なのに早い人は午前5時半頃から並んでいたそうです。第2部は午後3時半に入場なのに既に朝から並んで待っています。いつもキッザニア甲子園はすごい人気ですね。これから職業体験をします。ポコ君が毎回楽しみにしているレスキューです。脚と腕の筋肉がかなりついてきました。産まれて2時間で救急車で病院に運ばれNICUに入り、2歳までに心臓の手術を数回受けた頃に、こんなにたくましい姿になることを家族の誰が予想したことでしょう。さあ、これからキッザニアで楽しみにしていた他の職業体験をします。(続く)
2018年11月22日
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先日120年に一度咲くと言われる竹の花を見せてもらいました。竹の花が咲くと竹は枯れるそうです。友達(年上の男性)は貧相な花だと言いましたが、珍しいので紹介したいと思います。これが竹の花です。ネット検索をしたところ青々とした竹の花の写真がありましたので拝借しました。それがこちらです。(この方は100年に一度咲くと書かれてました)・・・・・その友達はヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)の花が満開なので写真を送ってくれたのでした。こちらではヒトツバタゴという名前よりも「なんじゃもんじゃ」と呼ぶ方がなじみ深いです。・・・・・もう一つは社交ダンス仲間から送ってもらった写真です。チベットで400年に一度咲く幸運を祈る花でマハメル、宝塔花と呼ぶのだそうです。(ネット検索すると幸せのチェーンメールらしいと書かれてました)先ほどの友達は海外旅行が好きでチベットも訪れています。彼はチベットでこの花を見たことがないし、そんな話を聞いたこともなかったそうです。彼は400年に一度咲くにしては木の幹の太さがちょっと細いと思うんですがと返信してきたので、ネット検索をすると、沖縄の植物でゴバンノアシという絶滅危惧種かもしれないと書かれていました。しかし、ゴバンノアシとこのマハメル(宝塔花)とでは花の形が全く違うと思うので真相はわかりません。数年前にもゴバンノアシのチェーンメールがあったことを鮮明に覚えています。・・・・・テレビで見る限り、今年の大型連休はどこの観光地も混雑して高速道路も大渋滞、新幹線も混雑している様子。私たちは唯一隣町まで昼食に出かけただけで家でまったり過ごしました。牛タン定食(もちろん私です)3種のミニハンバーグ定食(相方)そろそろ大型連休も終わりですね。今年は庭の草取りと数年間ためていた書類の整理整頓をして部屋の断捨離ができてスッキリしました。
2023年05月06日
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今日は棚経で菩提寺のお坊さんが盆参りで檀家を回られます。お仏壇はお盆の準備がしてあります。先日頂いてきたお塔婆も今はお仏壇にありますが、棚経が済んだらお墓に持って行きます。午前中いついらっしゃるかわからないので、自宅待機をします。その後、ダンスレッスンに出かけます。さて、愛知の娘とペコちゃん親子がお友達母娘と女子旅に出かけて、たくさん写真を送ってくれました。この日、この時間は二度とこないのでバァバが記録として載せておきます。私達が若い頃はこういう場所もなかったですものね。年中仕事で忙しいママとママ友が久しぶりに休暇を取って子供たちと寸暇を惜しんで楽しむのですもの、人生を楽しまなくっちゃね。伊豆グランビレッジグランピングです。BBQと朝食です。ホテルにいたアヒルです。伊豆ぐらんぱる公園です。(つづく)
2023年08月12日
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2日目(7/23・火)の事です。早朝に時間があったので船のデッキに出ましたが、あまりにも風が強くて危うく吹き飛ばされそうになりました。こんな所で太平洋にドボンと落ちては大変と早々に船内に引き返しました。それで太平洋から昇る朝日は残念ながら撮れませんでした。船尾を写すだけで精一杯でしたので。もうすぐ太平洋フェリー「いしかり」を下船するので最後に自分たちが船中泊をした船内通路を写しました。突き当りです。左右には行けますけどね。7階の部屋で船中泊をしました。小樽港に午前11時に到着するとバスが待っていて、先ずは札幌の場外市場へ連れて行ってくれました。そこで各自が自由に昼食と買い物でした。魚料理はやはりどれも新鮮でおいしかったです。自宅にも海産物を送りましたが、金沢と同じでどれも殿様値段でした。次に北海道総鎮守の北海道神宮まで連れて行ってくれました。リーフレットを頂きましたので要約すると、北海道神宮は北海道の開拓・経営を行うために明治2年7月に開拓使が設置され、同年8月15日に蝦夷地(えぞち)は北海道と改称され、明治天皇の思し召しにより、北海道の地に祀られ、その発展とともに北海道総鎮守として人々に崇拝され今日に至っています。では境内から神門を通って拝殿に参拝しましょう。神門です。拝殿に参拝しましょう。拝殿の奥に本殿があります。拝殿から左には東回廊が続きます。一位(イチイ)の木です。読みにくいので大きく撮りました。「大正十一年七月十二日昭和天皇御手植一位」と書いてあります。拝殿の右側には祈祷殿があります。絵馬もたくさん掛けてありました。本殿の右側の祈禱殿の全景です。授与所と神門の裏側です。北海道神宮に参拝したので次の目的地である小樽に向かいましょう。バスは札幌から小樽へと移動しました。(つづく)
2024年07月30日
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7/23(火)小樽港から7/24(水)の南魚沼の昼食までです。小樽港を17時に出航しました。今度のフェリーは新日本海フェリー「らべんだあ」です。新日本海フェリーは夕食がバイキング(ビュッフェスタイル)ではなく、各自お膳で頂きました。食べ過ぎないのでちょうど良かったです。いよいよ港を離れました。日本海は揺れるので酔い止めドロップを買った方がよいと言われ、港の売店で出航前に買い求めました。そして小樽で買ったワインと日本酒を部屋でシェアして飲みました。部屋は4階のステートルーム・洋室で船中泊でした。ところが、日本海には当時低気圧が張り出し、(遠く中国・韓国辺りに台風もあったので)その影響で波が高く、なんでも5mの高波らしくて船が揺れる揺れる。ふらふらしてまっすぐ歩けない状態でした。酔い止めドロップをなめてもあまり効きません。もともと酔いやすい体質でしたが、車を運転するようになってだいぶ揺れに慣れてきたはずでしたが。ベッドで横になっても身体がフワフワするので熟睡ができず結局、この夜はほとんど眠れませんでした。朝食前にも何度も吐きそうになり、食べるのをやめておこうかと迷ったんですが、少し落ち着いてから頂きました。でも女性陣は気分が悪くて朝食に来られない方が結構おられました。新日本海フェリー「らべんだあ」乗船記念に写しておきました。私たちの部屋は4階でした。日本海の航路です。海が大荒れで新潟港に午前9時15分着の予定が約1時間半遅れて10時30分にようやく着岸しました。かなり見にくいですが、記念にフェリーの航路を載せておきます。やっと着岸してやれやれでした。フーッ!新潟から南魚沼・魚野の里までバスは走り、名物の枌そば(へぎそば)を頂きました。食後の買い物タイムに東南アジアからいらしたカップルににじいろ会のストラップをお渡ししました。お二人とも車を運転するとのことで。男性にはもう1個、ご家族の分もお渡ししました。道中2回ほど休憩タイムがありました。それまでも水分補給は充分してましたが、こういう所ではソフトクリームを食べました。信濃川だったような気がします。朝はぐったりして元気がなかったんですが、午後になってやっと元気を回復しました。この後、日本三大名園の一つ、兼六園に行く予定でしたが、船が約1時間半遅れで到着したので、時間的に兼六園滞在時間が30分足らずしかないということで、結局中止になりました。後日キャンセル料一人320円が振り込まれるそうです。そしてその夜宿泊する加賀片山津温泉に向かってバスはひた走りました。(つづく)
2024年08月01日
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猛暑の中、太宰府天満宮を参拝した後で向かったのは船旅で2度目のお宿、別府湾に面した日出温泉のホテルでした。遠くに高崎山が見えました。早速ウェルカムドリンクを頂きました。私たちは梅酒とプリンを選びましたが、他にも色々とありました。そして足湯に入ってリラックス。(温泉の画像はありませんので足湯だけ載せました)今回は畳の上ではなくベッドで休みましたが、広々とした部屋で快適でした。夕食はバスで街中へ出かけました。遠くに高崎山を眺めながら、別府湾に浮かぶフェリー「さんふらわあ」も見えました。夕食に大分名物の関アジと関サバがお一人様1匹ずつではありませんでしたが、おしるし程度に出ました。新鮮でおいしかったです。この後デザートにスイカが出ました。ホテルに戻ってきて、西鉄観光の運転手さんとバスガイドさんににじいろ会・交通安全のストラップをお渡ししました。この夜は温泉にゆったり浸かって旅の疲れを癒しました。そして明くる朝、別府湾に面した日出温泉を出発して独特の渓谷美で神秘的なパワースポット高千穂峡に向かいました。途中道の駅で休憩と買い物タイムです。大分県竹田市、熊本県阿蘇市を通過して宮崎県高千穂市街に入りました。※ ここでちょっとブレイク。バスガイドさんの話では大分県竹田市にある岡城址をイメージして瀧廉太郎(滝廉太郎)氏は「荒城の月」を作曲されたとおっしゃいました。またネットにもそのように書かれています。ところが私はその話を聞きながら、思い出したことがありました。2022年10月18日のブログに書いてますが、富山を旅した折に、富山城址を奥の方へ進んでいくと瀧廉太郎記念館がありました。そこには両親や音楽学校の友達の事と共に「荒城の月」の作曲について書かれていました。私はてっきり「荒城の月」は富山城がモデルだと思っていたのでもっと詳しく読んで来ればよかったと後悔したのでした。瀧廉太郎氏は作曲、(作詞は土井晩翠氏)なので富山城を眺めながらイメージしたのかもしれませんね。ここから山道を歩いて渓谷に行きました。普通に歩けば20分で行けるところを写真を撮りながらなので40分ぐらいかかりました。この高い橋の名前は神都(しんと)高千穂大橋です。トンネルをくぐって進みました。すると、目の前に渓谷が開けてきました。これはまだ峡谷の入り口に差し掛かった所です。ここからいよいよ高千穂峡の神秘的パワースポットに向かいます。高千穂峡のシンボル、名瀑「真名井(まない)の滝」はここからどれぐらい歩いたら見えるのでしょうか?(つづく)
2024年08月06日
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7/26(金)早朝、新門司港から西鉄バスに乗って向かったのは福岡県宗像市にある宗像大社(むなかたたいしゃ)と「海の道 むなかた館」です。世界遺産・日本神話に登場する日本最古の神社の一つで、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群が2017年7月にユネスコ世界遺産に登録されました。宗像三女神を祀り、沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、九州本土の辺津宮(へつみや)からなります。私達は宗像大社・辺津宮を参拝しました。※ 宗像大社・沖津宮は沖ノ島、小屋島、御門柱、天狗岩からなり沖ノ島は島そのものが信仰の対象の神聖な島なので、神域である宗像大社神職以外は上陸できないそうです。しかも海で身体を清めてからしか上陸を許されないそうです。(九州ガイドマップとバスガイドさんの話から要約)それでは宗像大社・辺津宮(へつみや)を参拝しましょう。九州は朝から太陽がギンギンギラギラで暑かったですが、木立の参道を歩くと少しは涼しく感じました。神官さん達が朝のお掃除をしてらっしゃいました。辺津宮では宗像三女神の市杵島姫神が祀られています。本殿と拝殿は国の重要文化財に指定されています。向かって右側には髙宮参道があり、若い人たちが大勢入っていきましたが、高宮祭場と書いてありました。私たちは第二宮(ていにぐう)と第三宮(ていさんぐう)を参拝しました。向かって右側が第二宮で左側が第三宮です。沖津宮の御分霊、田心姫神(たごりひめのかみ)「沖ノ島」と中津宮の御分霊、湍津姫神(たぎつひめのかみ)「大島」は遥か玄界灘に鎮座されているので、総社である辺津宮を「第一宮」として、境内に両宮の御分霊をお祀りしているので第二宮と第三宮に詣でれば宗像三宮をお参りしたことになるのだそうです。その後、少し離れた所にある世界遺産ガイダンス施設、海の道むなかた館(宗像市郷土文化学習交流館)を暑い中、見学に行きました。常設展示室の様子です。ハンズオンレプリカ沖ノ島から出土した金製指輪と三角縁神獣鏡のレプリカを実際手に取って大きさ、重さ、質感を体感できました。資料を頂いてきました。その他、シアタールームで「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の映像を見てきました。沖ノ島は長い間、伝統と文化、信仰で守られ手つかずの自然と古代の祈りの場が残されてきたので、約8万点もの奉献品が祭祀遺跡で発見され国宝に指定されています。その後、バスは博多まで走り名物の「鶏なべ」の昼食を食べました。そして大宰府に向かったのでした。(つづく)
2024年08月04日
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11月3日(文化の日)に家族で東山動物園に出かけたポコちゃん&ペコちゃん。たくさんの動物を見たり、屋外で思いっきり身体を動かして久しぶりに動物園で楽しんできました。その様子を紹介したいと思います。両親と久しぶりのお出かけで二人はとっても嬉しそう。ところが、この数日後、ポコちゃんは風邪を引き発熱と嘔吐で学校を休みました。愛知県では胃腸風邪が流行っているようです。我が家のモコちゃん&ノア君も最近風邪を引きました。気温の変化が激しい今日この頃、どうぞ皆様も気を付けてください。
2014年11月09日
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昨日も書きましたが、約35年前(正確には34年6か月前)に世界的指揮者の小澤征爾さんが指揮をされ、ロストロ・ポーヴィチさんがチェロを演奏され、桐朋学園の生徒さん達が演奏されたコンサートの写真を古いアルバムから探し出しました。小澤征爾さんは50代前半でとてもエネルギッシュに指揮をされた姿が印象に残っています。ロストロポーヴィチさんは後ろ姿しか写っていませんでした。このお寺でコンサートは開催されました。私にはこれが最初で最後の小澤征爾氏とロストロ・ポーヴィチ氏を間近で見られた唯一の機会でした。約35年という長い月日が流れましたが、今なお鮮明に記憶に残る出来事でした。その時の小澤征爾氏の鼻息と気迫は今でも忘れません。そしてロストロポーヴィチ氏が演奏会が始まる前に浴衣姿の前をはだけて本堂を覗きにいらっしゃった姿が鮮明に目に焼き付いています。お二人とも本当に気さくな方々でした。PS)私の投稿を読んで友人からコメントが寄せられましたので紹介したいと思います。☆「このお話しを読み私も思い出します。サイトウキネンフェスティバル松本に向かってのキャラバンコンサートとしてパイプオルガン建造家の今は亡き辻夫妻が企画されたものだったと思います。白川町内3ヶ所で演奏されました。黒川の佐久良太神社から赤河の光の子保育園、白川口の洞雲寺と3ヶ所巡って演奏を聴いた覚えがあります。神社の大きな木の下、保育園の中、小さな子どもたちがピクリともしないで聴いていました。お寺の本堂それぞれの空間の中で聴いた最高の演奏でした。」☆「御本人を直に見ることは本当に貴重な経験でしたね。私は前日の深夜小澤さんのお兄さんのお話をお聞きしたその翌日小澤征爾さんの訃報を聞きびっくりしました。ベルリン・フィルを日本人が指揮するのは奇跡としかいえませんね。お兄さんもドイツ文学者で日本の昔話の権威者です。」☆ 「小澤征爾氏が逝去され、chiichanさんの追悼の言葉や貴重なお写真に感銘を受けコメントをお許しください。19992年夏「サイトウキネンフェスティバル松本」の第1回開催の時、松本市に在住しており、企画された音楽好きの大先輩たちと熱く燃えチケットを手に入れるため、徹夜でバイトの信大の学生たちと運動場のテントで一夜を過ごした懐かしい想い出があります。そのおかげで小澤さんの汗が飛び散る至近距離で作曲家の武満徹さんにもお目にかかれました。偉大なる指揮者にお別れですね。」☆ こんにちは。世界の指揮者として名高い、小澤征爾さん。各国から 数々の博士号や 勲章 名誉会員など 私達が知っている事、以外にも 功績が深いんでしょうね、公共報道機関を始め 各マスコミが功績を称えています。卒業校とはいえ 桐朋学園へのおこし、ありがたい事でした。謹んで御冥福をお祈り申し上げます。
2024年02月11日
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7/26(金)の午後は博多から太宰府へ移動。学問の神様として有名な菅原道真公が祀ってある太宰府天満宮を参拝することになりました。添乗員さんの後ろをはぐれないようについていきました。前日に38.4度の最高気温を記録したそうですが、その日も38度は越えていそうな猛暑でしたが、大勢の観光客でにぎわっていました。クラクラするほどの暑さの中、汗が目に入って痛いこと。ガイドさんに続いて石の鳥居をくぐって進みました。御神牛は全部で11体あるそうで、入り口にあった御神牛(なで牛)も顔がピカピカ。この人混みを歩いたんですよ。最初の太鼓橋を渡りました。2つ目の橋3つ目の太鼓橋※ 心字池に架かる3つの太鼓橋は過去、現在、未来と三世一年という仏教思想を表しているそうです。心字池の噴水が涼しそうでした。風鈴の設えがありました。楼門が見えてきました。道真公の曾孫によって造営されたけれど、何度も焼失し、戦国時代は石田三成が再建したそうです。現在の楼門は1914年(大正3年)に建てられました。手水舎で手を清めてから参拝しました。麒麟像です。御神牛(なで牛)の顔を触りました。※ 道真公と牛の関係は深く、生まれた年は牛の歳、また牛の日に亡くなられました。遺骸を牛車に載せて納める途中、牛車が動かなくなった場所に墓所を建てる等牛にまつわる話が多くあるそうです。では楼門から入りましょう。表は二重で裏は一重で飛龍天神ねぶたは撮れませんでした。楼門の左側でにらみを利かせているのはこちら楼門の右側でにらみを利かせているのはこちら重要文化財の「御本殿」は124年ぶりに「令和の大改修」中なので、特別に「仮殿」が建設してありました。屋根の上に草木が茂っています。その下に御御霊(おみたま)が御本殿からお遷りになっています。学問の神様だけでなく文化芸術の神様で、厄除けの神様でもあるそうなのでしっかりお参りしてきました。こちらにも風鈴の設えがしてありました。ネットで覆われているのが現在改修中の「御本殿」です。絵馬堂です。ここにも御神牛がいました。こちらは暑い中、お猿さんが演技中。言われたことをしないのも演技のうちだと思いながら笑って見てきました。沿道のお店で気になったものを写してきました。余りの暑さにかき氷を買ってバスの中で食べました。その後、日出温泉に向かいました。PS) 今回は厳選したんですが、写真が多くなってしまいました。(つづく)
2024年08月05日
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昨日は私の誕生日で二人の結婚記念日でしたが、一緒に祝ってくれるはずの相方は病院に入院中。朝、誕生日のお祝いメールが届きました。午後になって病室から電話がかかってきて昨日1日だけで4,000mlの水が抜けたとのこと。500mlのペットボトルの水が8本もと考えると相当量の水分が身体から抜けたことになります。そのためか肋骨がごつごつしているのがわかり、胸に血液循環がよくなるテープを貼り、左に心電図を、右に何だったか忘れましたが、それぞれ計測する機具を取り付け、腕に点滴用チューブやらなにやら取り付け痛々しい姿を映し出しました。声はかすれていましたが、元気な表情に回復してました。印鑑証明書と実印をディーラーさんへ持参したところ、5か月も待った新車はどうも納車が1月に遅れると言われたこと。代車のガソリンをセルフで入れてきたことなどを報告。ちょうどミラ君も部屋に来たのでジイジと話しました。やはり久しぶりに孫と話すのが嬉しい様子。そして子供たちから誕生日のプレゼントが届きました。足マッサージ器です。そして次男家族には夕食で誕生日を祝ってもらいました。最近できたおしゃれな韓国料理店へ出かけたのです。初めての味でしたが、とっても美味しかったです。ごちそうさまでした。そしてみんなどうもありがとうね。これからも元気で頑張りたいと思います。PS) 我が家でホームステイを何度もしたことがあるイタリア男性からもお祝いのメッセージが届きました。彼は家族ぐるみの付き合いなので我が家の夫や娘の体調も聞いてきたので、早速返事を送りました。
2024年11月24日
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ホテルの15周年アニバーサリー企画、「イタリアからの風」を感じに出かけました。フルートは大熊理恵子さんピアノはルーカ・トッリジャーニ氏ギターはラーポ・ヴァンウッチ氏映画でおなじみの「ゴッドファーザーのテーマ音楽」や先日観劇してきたヴェルディの「椿姫」などを演奏。その他、ピアノとフルートの二重奏やフルートとギターの二重奏など1時間15分も演奏していただきました。日本の歌も「赤とんぼ」を編曲して演奏。3人は1週間前にイタリアのトスカーナを出発、フィレンツェ、ローマと乗り継ぎローマの空港で待ち時間にギタリストが赤とんぼを練習していると、日本人観光客達が「あっ、赤とんぼの曲だ」と懐かしそうに通り過ぎて行ったというエピソードも披露してくださいました。演奏中は真剣な顔をしてみえましたが、イタリア男性二人は料理することや食べることが大好き。日本の食べ物はしゃぶしゃぶと回転寿司が大好物だそうです。アンコール曲の後は記念撮影タイム。真っ先に友人と一緒に記念撮影していただきました。気さくに応じてくださいました。そしていつの間にかここへ入ってと言われ両手に華ならぬ男性二人に囲まれまんざらでもない顔をして花を持つ私です。エヘッ!
2013年09月18日
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11月23日(祝・土)のことです。21日(木)にバス旅で京都へ行きましたが、23日(勤労感謝の日)も京都へ。今度は特急ひだ号と新幹線で。トコちゃんの七五三のお祝で平安神宮へ出かけたのです。11月は七五三の御祈祷のため本殿右側に受付所と待合所が作ってありました。御祈祷の時間までしばらく待ちます。今日の晴れ着はママのご両親がデパートで数枚写真を撮って来てその中からトコちゃんが一番好きな着物を選んだものです。平安神宮前で車から降りて慣れない草履で歩いていると外国人旅行者が数名「おぉ~かわいい!」と近づいて来て微笑みながらカメラを向け写真を撮ったり、中には(男性外国人達が)投げキッスを送ってくれました。晴れ着姿の子供さん達と同じようにトコちゃんも境内を歩き回りながらしばらくの間、待ちました。時間が来て神殿内に入り神前に七五三の子供達とその親、祖父母が大勢座りました。(神殿内は撮影禁止)神主さんの御祈祷が始まり七五三の子供達の住所、氏名、年齢が7歳から順番に読み上げられ、トコちゃんは3歳で読まれました。滞りなく全員の御祈祷が済んで順次退出しました。最初に受付で引換券を頂いたので交換所で千歳飴袋を頂きました。次はお楽しみオモチャの交換所へ。トコちゃんは「洗濯機セット」を選びました。これからみんなで記念に写真を撮ろうね。今日の記念に「はい、ポーズ!」では帰りましょう。私達も記念に撮ってもらいました。マンションに戻ってママのご両親が今日のお祝いにと買ってきて下さった「紅白のお祝いたまご」と桃饅頭を美味しく頂きました。こちらは私達を京都駅まで迎えに来てくれた息子が途中で立ち寄り求めた和菓子こちらも美味しくいただきました。と、その前に・・・実はマンションへ戻る前に平安神宮から直接全員で向かった所がありました。さて、そこはどこでしょうか?(つづく)
2019年11月26日
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湖東三山・天台宗西明寺の次に訪れたのは同じく天台宗金剛輪寺(こんごうりんじ)です。聖武天皇の勅願寺として741年に行基菩薩が開山された歴史あるお寺です。850年に延暦寺の僧侶が来山し天台宗となりました。源義経は十数日当山に籠り無運必勝を祈願し太刀を寄進しました。鎌倉の北条時宗の時代に起きた文永弘安の役では元の軍を降伏させる祈願をして勝利を収めました。現在の本堂「大悲閣」は700年の歴史があり国宝に指定されています。鎌倉初期の仏様は14体が国の重要文化財に指定されています。山中に城山があり、山岳城郭であった頃がしのばれます。信長の焼き討ちに本堂、三重塔、二天門などが免れました。徳川家光が課税を免除、土地を寄進したのが復興の礎となりました。参道には千体余りのお地蔵様が並んでいました。前置きが長くなりましたが、写真をご覧ください。バスは山の途中まで連れて行ってくれました。そこから本堂まで石段を登っていきました。千体のお地蔵様が両側に並んでいました。二天門は室町時代の建造物で重要文化財です。門の両側に大きなわらじが奉納されていました。本堂の近くに血染めの紅葉があり、その近くで花嫁、花婿さんが結婚式の前撮りなのか記念撮影をしていました。本堂「大悲閣」は1288年の建造物で国宝です。本堂内は撮影禁止。阿弥陀如来坐像2体は鎌倉初期のもので重要文化財。不動明王立像、毘沙門天立像、四天王像4体も鎌倉初期のもので重要文化財。他にも平安中期の十一面観世音立像8体すべて重要文化財でした。三重塔は1246年建立の重要文化財で別名・待龍塔です。(昭和53年秋復元修理工事完了)全山が紅葉に彩られ、境内一面が真っ赤に染まっていました。本堂参拝を済ませて、さあこれから坂を下って行きます。水子地蔵尊あちらこちらに千体のお地蔵様がいました。金剛輪寺は下り坂が緩やかで足に優しく助かりました。さあここからは名勝庭園を見て来ましょう。(つづく)
2022年11月30日
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昨夜遠方のダンス仲間から電話がかかり、(彼女は名古屋に親しいお友達がいないのでいつも私の所へ電話をかけてきて話を聞いてあげます)長い時間話し込んでいると、LINEに何度も連絡が入りました。途中で電話を切るわけにもいかず、後で読んでみると、昨夜木曽川の堤防から撮影した写真が送られてきていました。「今日(23日)だけが月、木星、金星(宵の明星)の3つが並んで見えますので、見てねー。」という連絡でした。早速わが家から撮ろうとしましたが、庭の木々が邪魔をしてうまく撮れませんでした。離れの2階に上がると自宅の屋根が邪魔をして一番下の金星だけが写りませんでした。それでSさんにいただいた写真を載せました。このところ夜、孫たちを塾へ送迎する時に澄み切った夜空に木星と金星が綺麗に光り輝いているのを眺めてきましたが、月とこのように3つが並んだのは昨夜が初めてでした。Sさんどうもありがとうございました。この方はいつもLINEで情報を教えてくださいます。今月17日にはNHK午後7時30分~8時まで「東海ド真ん中で爆発 岡本太郎とタローマン」が放映されることを教えてくれました。その中の一部で、中山道会館の糸遊庵で岡本一平について黒野こうき氏が語ることも教えてくれました。また先日テレビで放送された名古屋市長が木曽川水系連絡導水路の計画を一転して認める方針を固めた件も地元に関連したことを新聞記事を送って事細かく教えてくださいました。この方は中山道草鞋の会の関係者の方なのでいつも親切にしてくださいます。私には仲間がたくさんいるのでありがたいです。
2023年02月24日
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昨日中山道太田宿草鞋の会の第34回目の視察研修に出かけました。この視察研修はコロナ禍のため中止していましたが、3年ぶりの開催となりました。会員相互の親睦を図るため、21名がにぎやかに楽しくバス旅をして来ました。行き先は山寺で坂道や石段が多かったので足腰のハードな運動になりました。今日は旅行行程をざっと載せます。後日また詳しく載せたいと思います。まず訪れたのは西明寺(さいみょうじ)です。この桜は十一月に咲く不断桜で天然記念物となっていました。十月桜よりも花びらが小さいような気がしました。次に訪れたのは金剛輪寺(こんごうりんじ)です。私たちは先ず本堂に近い所までバスで行き、そこから石段を歩きました。山門に大きなわらじが奉納されていました。金剛輪寺の山門から本堂までの道には千体の地蔵様がずらりと並んでいました。そして表門へ下りてきました。次に訪れたのは百済寺(ひゃくさいじ)です。この頃には石段を一段上がるにも太ももの筋肉が悲鳴を上げていました。お嫁さんと花婿さんが前撮りなのか記念撮影をしていました。湖東三山を訪れた後、琵琶湖の近くまで行って水茎焼陶芸の里で昼食を食べて、最後に関ケ原古戦場記念館へ寄りました。後日詳しく振り返ります。今日も予定があって名古屋まで出かけます。夕方までには帰る予定です。
2022年11月27日
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