私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2023年03月29日
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カテゴリ: 認識の歩み


九世紀の末に、
関東で勢力を作った武士は平氏の始祖、
高望王(たかもちおう)です。

元々関東の役人として赴任した高望王でしたが、
武士として、新たな生き方を目指しました。

そこで関東で勢力を広げ、
一族は繁栄していきました。

しかし、領土が大きくなり、
一族が増えて争い事が起こります。

高望王の孫、平将門は戦上手な上に、
領民(りょうみん)からの評判も良く、
人が他の土地から将門の領地に流れてきます。

それを良しとしない叔父やいとこ達が
関東の国司を味方につけ、
将門との戦になります。

結果、将門の勝利に終わりますが、
国司と戦ってしまったことで
朝廷を敵にまわすことになりました。

「桓武天皇の血を引いている者として、
新皇(しんのう)を名乗り、関東を治めよ」
との菅原道真(すがわらのみちざね)の
霊魂からのお告げで、
将門は、関東で新皇を名乗ります。

日本の中に関東と言う独立国を宣言し、
朝廷と敵対したのです。

しかし、将門はその2か月後、
朝廷軍の藤原秀郷(ふじわらのひでさと)に敗北し、
亡くなりました。

この同時期、瀬戸内海では
海賊の藤原純友(ふじわらのすみとも)が
朝廷を脅かしていました。

元々、藤原純友は藤原道長の子孫で、
むしろ海賊を取り締まる側の人間です。

しかし、
西日本から朝廷に運ばれる税や物資を、奪い取り、
純友は朝廷にとって脅威でした。

藤原純友が討ち取られなければ、
平将門は勝利していたかもしれません。

純友を討ち取ることにより、
朝廷は関東の平将門に兵を集中出来たのです。





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最終更新日  2023年03月29日 08時08分05秒
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