私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2023年05月26日
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カテゴリ: 認識の歩み


支那の経済的な発展にとって、
七五五年以後における中央の権力の衰退も、
あまり深刻な障害になりませんでした。

特に南では、何百万という農民の労働によって、
水田が川べりから丘のうえの方に徐々に広げられ、
やがて見渡す限り、手入れの行きとどいた
豊かな水田となりました。

そして多量の米が産出され、
職人、地主、官吏などでふくれ上った
都市の人口を支えました。

しかし儒教の教義は商人を社会の寄生者としていたので、
商業は外国人――とくにウイグル人とアラブ人――
の手に委ねられていました。

このため、外国貿易も国内の各地方間の通商も
相当の成長を示したにもかかわらず、
都会の各階級に属する人々は、
土地所有貴族の優越性に挑戦することはなかったのです。

仏教は、各地の仏教寺院が
信者からの寄進によって大量に手に入れた土地を
没収したいという皇帝の欲望と、
儒者たちの仏教に対する敵意から、
八四五年以後には
大がかりな弾圧を受けるようになりました。

異国の宗教である仏教は、
儒者たちが正しい生の基本として説く
義務の遵守や責務の遂行を、
無視するように教えたからです。

九世紀の弾圧の後、
支那の仏教は比較的
低い身分の人々の間にのみ生きつづけました。





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最終更新日  2023年05月26日 05時00分07秒
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