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先日、長く施設でお世話になっていた義母が亡くなりました。
64才の時に脳梗塞を患い、右半身麻痺の後遺症が残りました。
負けん気の強い義母でしたので、一生懸命リハビリを行い、杖歩行が出来るまで回復
その後も毎日、毎日近所を歩いていました。
そして6年後に義父が亡くなり、自宅で転倒し骨盤骨折で入院するも脅威の回復力で
退院することが出来ましたが、車椅子が必要となりました。
自宅の入浴が難しくなったため、ディサービスを利用してもらいましたが、元々人の交流が苦手な人でしたので
なかなか馴染むことが出来ず、「行きたくない」と繰り返し 「こっちは仕事があるんだから、行ってもらわないと困る」とよく、声を荒げたものです。
そして、2回目の脳梗塞にて入院
自宅介護の限界、その後リハビリ病院に転院、運良く特別養護老人ホームに入所することが出来ました。
それから約7年 体調を崩し入院
今度は右足を膝上から切断することとなりました。
しかし元々の糖尿が悪化しており、熱発もありとで、手術するのに3ヶ月も掛かってしまう。
入院から5ヶ月後に退院、しかし以前の施設に戻ることが出来なくなりました。
私も介護関係の仕事をしていますので、仕事で知り合った方に方々連絡し、何とか受け入れ先が決まる
新しい施設ではリハビリの甲斐もあり、車椅子を自分で動かすことも出来るようになりました。
しかし、1年が経過しようとしたころ誤嚥性肺炎のため、入院
飲み込むテストを行っても機能低下が著しいので、口から食べることは難しいと診断
悩んだ末、胃ろうを作ることを選択、そしてようやく地元の施設に帰ることが出来ました。
それから1年半・・・
先週末に熱が出たと連絡、今まで熱が出て抗生物質の点滴を受け回復していた義母
しかし、今回はいつもと様子が違いました。
火曜日は夕方早めに仕事を切り上げ、義母のもとへ
酸素使用量が増えており、苦痛表情している
ダーリン、ダーリンの弟、子供たちにメール「おばあちゃん、かなり厳しいよ」
夜、義弟一家が面会、「大丈夫かな?」
申し訳ないけど、私経験上もう時間が限られていることはわかっていました、しかし義弟たちには
厳しいってことしが言えませんでした。
朝施設に連絡すると血圧が下がってきているとのこと、義母の姉妹に連絡するとすぐに来てくれました。
叔母様たちにしばらく任せ、仕事の段取りのため私とダーリンは出勤
子供たちには学校が終わったらすぐに帰るよう連絡
15時過ぎに義母の元へ、酸素濃度は低いけど、血圧は90台をキープしており、声をかけると何とか
目をあけ、反応はしてくれている。
しかし以前状況は厳しい、ダーリンに「おそらく、今夜から明け方がヤマだと思うよ」と伝え
一度自宅に帰り夕食、入浴を済ませる。
ダーリン、義弟と3人で見守る、血圧が70まで低下してきたため、急遽孫をすべて招集
1時間ほどすると血圧が再び安定してきたため、孫たちは自宅へ帰らせました。
ただ、今度会うときにはおばあちゃんは息をしていないと思うから、今ちゃんと声をかけておきなさいと・・
その後も、しばらく安定していた義母も朝の4時に静かに息を引き取りました。
葬儀会館に移動し、葬儀の打ち合わせをし、枕経、湯かんと続きました。
湯かんを終えた義母はとても綺麗な顔をしていました。
葬儀は近親者のみで執り行いました、義母の姉妹である叔母様たちから
「トラ子さん、今まで長い間本当によう~やってもらってありがとうね」と労いの言葉を何度も頂きました。
義母方の親戚、皆さんから同様の言葉をもらいました、それだけで、今までの苦労、愚痴が
す~~と消えていきました。
病気になってから19年が経過しますが、自宅で看ていたのは前半の9年ほど、後の10年は
施設と病院との往復となってしまいました、本来なら自宅で介護するべきだったと思いますが
仕事、子育てそして介護までは到底出来ることではないので、義母にはかわいそうなことをしてしまったけど
それしか道はありませんでした。
入所する施設や病院に困ることがなかったのが本当に有難いことだったと感謝しています。
辛い思いばかりさせてしまった義母が安らかに眠ってくれることを祈ります。