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☆「暮しの手帖」とわたし・大橋鎭子・発行所=暮らしの手帖社・平成22年5月21日 初版第1刷発行昭和の名編集者、花森安治さんとともに「暮しの手帖」を作り続けた大橋鎭子さんが、90歳にして初めて書かれた自伝。この本は、著者の第6高女時代の後輩である石井好子さんが書かれた、先輩大橋鎭子さんへの想いと、石井好子さんと「暮しの手帖」との関わりが綴られた文章から始まります。そして、大橋鎭子さん自らの子供時代ことやご家族のこと、第6高女時代、戦時中の仕事や暮らし、そして花森安治さんとの出会いから、昭和23年の「暮しの手帖」誕生へと続きます。また、昭和33年に国務省の招待でアメリカへ視察旅行に行かれた時のこと、商品テストの裏話、メーカーとの共同開発で生まれた「布巾」や「ステンレス流し台」のこと等々・・・。この本には、暮しの手帖誕生初期の話から始まって、昭和53年に花森安治さんが亡くなるまでのことを中心に書かれています。(創刊当時は1万部だった部数が、30年後の昭和53年には90万部だったそうです)最終章「すてきなあなたに」には、花森安治さんの突然の死と花森さんが遺言だと言って残された言葉、最後に90才を過ぎても元気にご活躍されている大橋鎭子さんの様子も紹介されています。最後に、本の裏表紙に書かれていた、私にとっては懐かしい、あの有名な言葉をご紹介いたします。そして、本の中に掲載されていた懐かしい写真です。↑写真に添えられていた文章をお借りしました。《 私と「暮しの手帖」の出会い 》私と暮しの手帖との出会いは昭和40年代の初め、主人が買って来てくれた一冊から始まりました。世に言う花嫁修業らしいことはしないまま早くに結婚してしまった私にとって、暮しの手帖の記事は時には先生であり、時にバイブルの様な存在でもありました。特に我が家の定番となっている「料理」には、暮しの手帖のレシピが幾つもあります。お煮しめ、クリームチキン、麻婆豆腐、酢豚 等々・・・。暮しの手帖は私の料理の先生でもありました。
2016.08.12
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新装改訂版・文庫本(手前が肥後橋、背景が大同生命ビル)☆小説 土佐堀川・古川知映子(女性実業家・広岡浅子の生涯)・1988年10月5日 初版発行・2015年10月11日 15刷新装改定版・NHK 平成27年度後期朝の連続テレビ小説「あさが来た」の原作、フィクション★あらすじ嘉永2年(1849)、浅子は三井11家の一つ京都の豪商油小路三井家に、6代目三井高益の娘として生まれた。幼い頃から、商いに長けた三井越後守高俊の奥方、殊法大姉の血が流れていると言われて育つ。「殊法大姉は一切の無駄を省いて節約をした」と、父 高益から聞いた浅子は「うちはそんなけちなことはせえしまへん。ぎょうさん儲けてぎょうさん使うてやるのだす」と言った。商売上手は、1に才覚、2に算用、そして3には始末である。高益が教えたいのは吝嗇ではなく、一つのことに徹する大切さであった。浅子は、2歳にして既に大阪の豪福両替商加島屋広岡信吾郎へ嫁ぐことが決まっていた。高益が59才で没し、浅子は高益の養嫡子、高喜の保護下におかれることになった。(高喜は先を見る目に優れ、三井11家の統括機関、三井大元方も務める。三井銀行を設立する。浅子の商売の師でもあった)その時代、幕府の財政は逼迫し、幕府からの御用金の割り当てが立て続けになり、天下の豪商といわれている三井の内情も想像以上に苦しかった。「世の中の変わり目には必ず新しい商いが出てくる。先への判断をするためには情報集めが先決だ」と、父高益に代わり義兄の高喜も浅子に話して聞かせた。名門両替商天王寺屋五兵衛へ嫁ぐ姉の春と共に、17才の浅子も婚儀のため伏見から30石船に乗り淀川を下った。浅子は嫁いですぐに、このままでは早晩、立ち行かなくなるであろう加島屋の内情を見てとった。じっとしていられない浅子は、姑にことわり、小藤を供に堂島の米市場見学に出かけた。その夜、三井から持ってきた本を一冊取り出し、信吾郎が呼びかけても返事もせずに夢中で読んだ。そして「本気になって商い覚えたい思うのどす。教えておくれやす」と、信吾郎の前に両手をついた。商いの状態が知りたい浅子は信吾郎に頼み込み、加島屋の古い大福帳を手に入れた。簡単には収拾がつきそうもないが整理してみようと、浅子は算盤を入れ始めた。最初は協力してくれていた信吾郎だったが、途中で音をあげてしまい、先に奥の座敷に引きとった。浅子はとても眠る気にならず、夜が白むまで算盤を入れ続けた。堂島へ行ったその日から加賀屋の若御寮はんの噂が広がり、中には狂人扱いしかねないような噂をする同業者もいた。加島屋は既に大阪一の豪商だが、自分の代に日本一の商人になれないものか。浅子の心の中にむらむらと敵愾心が燃えさかっていた。浅子の商いへの思い込みは並大抵のものではなく、いつの間にか汚名も消え、流石に豪商三井から嫁入っただけのことはある、という賛辞が聞かれるようになった。慶應3年の暮れ、商用で大阪へやってきた高喜が、加島屋へ立ち寄り「浅子、京都から討幕の兵が出陣することになるようや。三井では『賭け』をしたいと思うとる」と言い、詳細を述べずに帰って行った。義兄の話が頭から離れず、「戦があるてほんまやろか?」と問うても、夫の信吾郎だけでなく天王寺屋へ嫁いだ姉を訪ねてみても、危機感がまるで感じられない。やがて浅子の悪い予感が的中し、鳥羽伏見の戦いが勃発、幕府は敗北、将軍慶喜は大阪城から海路江戸へ逃れて行った。二条城へ呼び出された大阪京都合わせて130人の商人に、官軍から討幕の為の軍資金として300万両用立てせよとの要求があった。商人たちは出せないものは出せないと出し渋り、軍資金が集まらないまま、間も無く徳川討伐の軍が京都を出発したという報せが入った。道中の御用金掛かりとして三井、小野、島田の3豪商が従った。浅子の実家の三井は、まさに官軍につくというはっきりとした態度をとったのであった。三井の大元方(三井11家の統括機関)が、まさか時の趨勢を読み違えるはずはなかろう。そうなると加島屋の先行きの不安がいっそう募ってきた。浅子は京阪の商人と歩調を合わせている加島屋の先が心配だった。結婚からわずか3年後、浅子が嫁いだ加島屋は、明治維新とそれに続く廃藩置県によって存続の危機に直面したのである。・・・・・・・大同生命公式サイト、「広岡浅子の生涯」によりますと、加島屋の最初の危機は、傑物といわれた当主・広岡久右衛門の死(明治2年・1869年)、それに続く廃藩置県(明治4年・1871年)だった。加島屋の経営を担うことになったのは、浅子と、夫・信五郎、そして加島屋の九代目当主となった広岡久右衛門正秋。全員がまだ二十代の「若き経営者たち」による新たな船出であった。とありました。・・・・・・その後の浅子の獅子奮迅ぶりはすさまじく、周囲の反対にも拘らず決死の覚悟で始めた炭鉱事業は鉱山火災の危機も乗り越え、経営を軌道に乗せた。大阪梅花女学校の校長・成瀬仁蔵の「日本女子大学校を設立したい」いう目標に賛同し、女子大学校設立に協力することを決意。自ら先頭に立って資金づくりに駆け回り、やがて「日本女子大学」は開校した。浅子に理不尽な恨みをもつ没落した万屋の主人に刺されるという事件が起きた。やっとのことで命を取り留めた浅子は、生命保険の大切さに気づき、加島屋本家が運営し経営が思わしくない朝日生命を他社と合併させさ、経営不振を脱するしかないと考えた。だが、加島炭鉱、加島銀行、広岡商店、朝日生命保険、尼崎紡績等の社長及び重役たちの出席で開催された加島屋事業全体会議で、2/3以上が反対、否決された。その後、一対一で時間をかけた粘り強い浅子の説得が功を奏し、僅差ではあるが議決に持っていくことができた。浅子が合併を打診して回り、脈がありそうな各社と話し合いが進められた。二社に動きそうな気配が見えたとき、締めくくりの交渉役には保険事業に経験の深いしっかりした男性を立てるべきと考えた浅子は、朝日生命重役の中川小十郎を立てた。問題を一つずつ解決し、ついに実現可能なところに漕ぎつけた。新社名は、小異をを捨てて大同につく、という故事にのっとり「大同生命」という名が選ばれ、初代社長は加島屋本家の広岡久右衛門正秋が選ばれ、これまでの加島屋関連事業の中で最大のものとなった。大同生命が発足したその年、浅子の長女亀子に、子爵一柳家の次男恵三が婿養子として迎えられた。東京帝国大学法科出身の逸材で、加島銀行と大同生命に関与し勤務することになった。加島屋の事業は頂点にあった。大同生命設立の成功、鹿島銀行も広岡商店も全国に支店が増えている。九州の炭鉱も買収時に比べ出炭量が格段に伸びていた。かつて経営の危機にあったことなど、もう記憶している人も少なかった。けれど、このとき既に足元には予測しない不幸が忍び寄っていた。日に日に具合が悪くなってゆく信吾郎を励まそうと、浅子は彼が以前から話していた御殿場に別荘を建てようと考えた。別荘の土地は3000坪、どの部屋からも富士が見えるように設計された。広い芝生の中心には、信吾郎の提案で、一本の黄楊(つげ)の木が植えられ、傘の形に作られていった。明治37年6月、浅子が56才の初夏、広岡信吾郎は加島屋の最盛期を見た上で没した。亀子と恵三夫妻に加島屋ののれんを渡すと決めた浅子は、亀子に「御殿場の別荘を生かして、若い人と一緒に勉強したいわ。日本の女性のこれからの生き方を考えて討論したい思うてるんや」と言った。その後、乳癌を発病し手術を受け療養中の浅子の元に、本家の正秋が急逝したとの報せがはいった。信吾郎のたった一人の弟の死に、浅子は肉親以上の悲しみを覚えた。大同生命の重役会議で社屋移転についての決議が満場一致で議決され、土佐堀川肥後橋前、加島屋の敷地に近代的なビルが建設されることになった。設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。近世ゴシック風の重厚なビルであった。設計まで1年、約3年間の歳月をかけて建築がなされることになった。華々しく大同生命ビルの竣工式が行われることになった。落成式当日、浅子は金ラメ入りの黒レースの豪華なロングドレスを身にまとい、胸高くに造花をつけていた。銀髪の髪が黒の洋装によく似合い、来賓と一緒にテープカットに加わった。浅子は表彰を受けたあと演壇に上がり無事挨拶の言葉を言い終え、控室に戻りソファーに深く身を沈めた。そしてそのまま意識を失い、大正8年1月14日、眠るように息を引き取った。数えで71才の生涯であった。大正14年 6月、大同生命はかつて加島屋の屋敷があった大阪市西区土佐堀通1丁目1番地(現大阪本社所在地)に移転した。♣︎主な登場人物広岡浅子、嘉永2年(1849)京都の豪商油小路三井家(三井11家の一つ)に、6代目三井高益の娘として生まれる。幼い頃から商いに長けた祖先の血が流れていると言われて育つ。大阪の両替商、加賀屋広岡家に嫁ぎ、自ら先頭に立って商いの道に邁進。筑豊の炭鉱事業、銀行設立、大同生命設立と大仕事を成し遂げた後には女性への高等教育の普及、廃娼運動などにも尽くす。広岡信五郎両替商加賀屋の後継者で、浅子の夫。人柄は穏やかで若い頃は趣味三昧の生活を送る。猛進する浅子を温かく見守っていたが、やがて浅子に劣らず商売の道に邁進するようになる。小藤浅子の実家、油小路三井家の腰元。浅子が嫁ぐ際、世話役として一緒に店を移る。春浅子の異母姉。浅子が加賀屋に嫁いだ時、ともに大阪の今橋天王寺屋に嫁ぐ。天王寺屋は大阪で最も伝統のある両替商であったが、維新の後、落魄する。広岡亀子浅子の長女。娘婿を迎えて夫婦で加賀屋の屋台骨を支える。広岡正秋信五郎の弟。加賀屋が銀行業に乗り出した際、初代の頭取になる。三井高喜三井高益の養嗣子で浅子とは26才離れた義兄。高益亡き後は浅子の父親がわりを務め、浅子の商売の師でもあった。先を見る目に優れ、三井11家の統括機関、三井大元方も務める。三井銀行を設立する。22三井高景高喜の長男。浅子とは1才違いで、幼い頃からきょうだいのようにして暮らす。後に三井家の当主となり三井鉱山社長などを務める。成瀬仁蔵大阪梅花女学校の校長。若い頃にアメリカ留学の経験を持ち、女子の高等教育発展に力を注ぐ。貧しいながらも高潔な人柄。日本女子大学校設立という目標を得て、浅子にも協力を仰ぐ。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964)米国カンザス州生れ。1905(明治38)年、英語教師として来日。1908(明治41)年、「ヴォーリズ建築事務所」を設立し、建築設計の事業を開始する。学校・教会・病院・商業建築など、第二次世界大戦までに全国で千を超える建築に関与したとされている。代表的な建築物には、大丸心斎橋店(大阪市中央区)、山の上ホテル(東京都千代田区)、明治学院礼拝堂(東京都港区)などがあ。ヴォーリズは旧肥後橋大同生命本社ビル(大阪市西区)をはじめ、大同生命の本・支社11棟の建築を手掛けた。妻・満喜子は、一柳子爵家の三女、大同生命第二代社長・広岡恵三の妹。♧作者:古川知映子東京女子大短期大学英文科、同大学文学部日本文学科卒。国立国語研究所で『国語年鑑』の編集に従事、その後東京都内の私立高校教諭を経て、執筆活動に入る。著書に『赤き心を』「風花の城』『一輪咲いても花は花』『氷雪の碑』『飛IIより愛を込めて』『性転換』『炎の河』など。日本文学科協会会員。ヴィクトル・ユゴー文化賞受賞受賞。潮出版文化賞受賞。大同生命公式サイト → 広岡浅子の生涯
2016.08.02
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☆室の梅(おろく医者覚え帖)・宇江佐真理・1998年8月20日 第1刷発行・発行所:講談社♣︎主な登場人物・美馬正哲=検屍役(人は「おろく医者」と呼ぶ) 1774年4月、江戸八丁堀の町医者、 美馬洞哲の三男として生まれる。36才。・お杏=産婆、正哲の女房・美馬玄哲=正哲の父、町医者。♧目次1.おろく医者2.おろく早見帖3.山くじら4.室の梅*注.おろくとは?「南無阿弥陀仏」の6文字から来ているが、市井の人は「死人」の意味に使っていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本で最初に腑分けが行われたのは宝暦4年(1754)閏2月4日のことである。若狭小浜藩の藩医小杉玄適は、藩主の許しを得て初の腑分けを見学した。玄適の師、山脇東洋は、この時の玄適の話を元に『蔵志(ぞうし)』という観察記録を出版した。玄適の同僚、杉田玄白は機会があれば腑分けを観臓(見学)したいと望んでいた。だが、江戸にいた玄白にようやく機会が巡ってきたのは17年後(1771年)であった。小塚っ原で仕置された刑死体を使っての腑分けだった。見学する玄白の懐にあったのは蘭書『ターヘル・アナトミア』であったが、この時の玄白はオランダ語を一語も理解できず、掲載されている内臓の図だけが彼の手引きだった。それは一つの間違いもなく死人の内臓と一致した。これ以後、玄白は4人の仲間と共に「ターヘル・アナトミア」の翻訳に着手、刊行されたのは3年後だった。この年、江戸八丁堀の町医者、美馬家の三男として正哲は生まれた。長男、玄哲は姫路藩酒井家の藩医、次男、良哲は松前藩松前家お出入りの医者として勤めに従事していた。だが正哲だけは違い、若い頃医者の修行のために長崎に遊学したにもかかわらず、江戸に戻ってからは八丁堀の役人と組んで死人の検屍ばかりしていた。医者には違いないのだが、彼は一度も人の脈を取ったり、投薬をしたことがなかった。人は、彼をいつの頃からか「おろく医者(注*)」と呼んだ。お杏は、父親は行方知れずとなり母親がお杏を置いて再婚したあと、産婆をしていた祖母に育てられた。だが、その祖母はお杏が16才の時に急死。祖母の最後を世話した洞哲はお杏の身を案じ、正哲と一緒にならないかと勧め二人は結婚した。正哲のお役目は検屍役とはいえ、決して実入りの良い商売とはいえず、所帯を持ってからは産婆をしている妻のお杏の稼ぎを当てにしているところがあった。(町奉行所に「おろく医者」と称する検屍役の記述はなく、美馬正哲の存在は同心が抱える小者の扱いと同等のものになる)遡ること5年、紀伊の国の医者、華岡青洲は世界最初とも言うべき、麻酔剤による乳癌摘出手術をおえていた。その詳しい記述書を目にしていた正哲は、お杏の元に「おろく早見帖」を残し、遅くとも一月で帰ると言い置いて紀伊の国の華岡青洲の元へ旅立って行った。三月後、ようやく帰って来た正哲は「花岡先生がなかなか放してくれなくてな、美馬先生、美馬先生とうるせぇくらいだったのよ。おれな、麻沸散(麻酔剤)を使って実際に手術もしてきたぜ・・・」と得意そうに言った。さりとて、その後も正哲は出世を望む訳でもなく、正哲とお杏の暮らしは三月前と何も変わらない日々が続く・・・。おろく医者・美馬正哲と産婆・お杏。人の生と死に立ち会う夫婦の目を通して描かれた捕物帖。
2016.07.30
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☆銀の雨(堪忍旦那 為後勘八郎)・宇江佐真理・発行所:幻冬舎・1998年4月15日 第1刷発行♣︎主な登場人物・為後勘八郎(ためご かんぱちろう) 北町奉行所定町廻り同心、36才。妻、雪江。 市中の人々から堪忍旦那と呼ばれている。・為後小夜=勘八郎の一人娘、17才。・岡部主水(もんど)=北町奉行所臨時廻り同心。・岡部主馬(しゅめ)=同心 岡部主水の嫡男で文武に優れた若者。18才。この小説は、「江戸北町奉行所定町廻り同心(じょうまちまわりどうしん)為後勘八郎は、市中の人々から「堪忍旦那」と呼ばれていた。下手人に対して寛容な姿勢を見せるからだろう・・・・・・・」という書き出しで始まる。勘八郎は、一人娘の小夜に、いずれ然るべき婿養子を迎えて跡を継がせるつもりであった。市井の人々には勘八郎の人気は高かったが、若い同心の中には面と向かって異を唱える者もいた。同じ北町奉行所の臨時廻り同心の嫡男、岡部主馬もその1人であった。主馬は文武に優れた若者で、彼の言うことは筋道が通っていて決して間違いがないのだが、その若さゆえの潔癖性が、勘八郎にとってはやり難いこと夥しいのであった。 主馬は岡部家の嫡男、小夜はいずれ婿を迎え、為後家を継ぐ身・・・。そんなお家の事情があるにもかかわらず、あろうことか小夜は密かに主馬を慕っていた。この小説は、「その角を曲がって」「犬嫌い」「魚棄てる女」「松風」「銀の雨」の五つの短編集の形をとっています。夫々の事件と、そこに登場する様々な人々を絡めて、小夜と主馬の恋の紆余曲折を描き、最後の「銀の雨」で完結する物語。勘八郎は定(町)廻り同心、主馬の父、岡部主水は臨時廻り同心・・・。違いが気になって調べてみました。☆同心とは?Wikipediaによりますと、「当初は、定廻り同心だけであったが、のちに、臨時廻り同心、隠密同心が加わり、三廻り同心と呼ばれた。人数は、北町奉行所、南町奉行、夫々に、定廻り同心6名、臨時廻り同心6名、隠密同心2名。合計28名。臨時廻りには定廻りを長年勤めた者が就き、定廻りの補佐・指導が主な役目である。隠密廻りは他の三廻とは違って変装して江戸市中を廻り、そこで集めた町の風説を町奉行に報告するなどの諜報活動を行った」のだそうです。上記は、Wikipedia 「三廻り」を参考、要約させて頂きました。
2016.07.24
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☆深川恋物語・宇江佐真理・1997年9月30日 第1刷発行・発行所:(株)集英社・第21回吉川英治文学新人賞受賞作1.下駄屋おけい〈大店の娘、おけいの恋〉深川佐賀町で太物(*)を扱う大店、伊豆屋の娘‘おけい’は、伊豆屋のはす向かいに店を構える、小商いの履物屋「下駄清」の一人息子、巳之吉を「あんちゃん」といい慕っていた。その巳之吉が、女に騙されてお店の金を15両も持ち出して行方をくらました。けいは、巳之吉がいなくなって初めて自分の思いに気付いた。今更家にも戻れない巳之吉は、下駄清のベテラン職人、彦七の元で下駄作りの修行をしていた。それを知ったけいは、一旦承知した浅草の履物問屋との縁組を断り、これまでのように暮らしに余裕は無いのは承知で、巳之吉と生きる道を選んだ。(*太物=和服用の織物の呼称の一つで、絹に比ラベて糸の太い、木綿や麻織物のこと)2.がたくり橋は渡らない〈若い花火職人、信次の失恋〉年老いた母親のことが気がかりで返事を渋る‘おてる’を説き伏せ、信次はいずれ所帯をもつ約束をさせた。てるの母親が床につき、看病のため仕事を休みがちになり、月の実入りも少なくなった。薬代ばかり嵩み、おてるはついに、さる商家の主人の世話になることを決心した。諦めきれず、未練が若い信次を苦しめた。おてるを刺して自分も死のうと思い詰め、匕首を懐に忍ばせ、凍えるような寒さのなか、おてるの家の前で帰りを待っていた。そんな信次の気配を察した隣家の錺(かざり)職人夫婦は、彼を家に入れ、ただただ自分たちの身の上話を語った・・・。信次を諌めた訳でもない・・・。けれど、二人の優しさが信次の心を揺さぶり、我に返った信次の頭に、翌年打ち上げようと考えていた「虹色発光」のことが浮かんだ。大川の川開きの日。舟に載せた、打ち上げ花火の木筒の中には、信次が作った「虹色発光」の二尺玉が込められていた。「信、火を点けろ」の声に、火の点いた‘つけ木’を筒の中に放り入れ、艫先に身を寄せる。‘虎の尾’がうねうねと頭上に昇って弾けたが、そこからは開いた形が分からない。白い光が弾けた瞬間、紅の色が微かに見えただけだった彼の耳に、観衆が思わず上げた「おお」という感嘆の声が聞こえた。ざわざわと首から悪寒とも感動ともつかないものがせり上がった。「いただきやした・・・」思わず両の拳を胸元であわせ、静かに目の上まで差し上げた。信次、21才の夏だった。3.凧、凧、揚がれ凧師、末松は大の子供好き。凧づくりを教えた近所の子供達との長年の交流を描いた話。4.さびしい水音大工の佐吉。子供の頃から好きだった絵が評判を呼び、一時は売れっ子絵師になった女房おしん。子供に恵まれなかった夫婦の、出会いと別れ。5.仙台堀6.狐拳・竹次郎=材木問屋、信州屋の主・おりん=竹次郎の後妻、元深川の芸者鶴次・新助=竹次郎の連れ子・小扇(ふく)=吉原の半籬、大黒屋の振袖新造。・清二=竹次郎、おりんの息子*振袖新造=花魁の世話を焼く番頭新造の妹格の新造材木問屋、信州屋の後妻‘おりん’には、竹次郎の連れ子である新助と、二人の間に生まれた清二という2人の息子がいた。元深川の芸者だった おりんには、もう一人、芸者だった頃に生み、子のない夫婦に養女に出した‘おふく’という娘がいた。おりんが3才から愛情を注いで育てた新助が、吉原の振袖新造‘小扇’に惚れた。反対するおりんに、父親の竹次郎は、小扇を身請けして新助と一緒にさせるつもりだと告げた。商家の嫁になるには色々と覚えておかなければならないと、落籍させてからしばらくは間に入ってもらった鳶職の徳蔵の家に預けることにした。ところが、思いが叶って嬉しいはずの新助の表情が浮かない。問い詰めたおりんに、新助は「小扇は自分の女房になりたくない。女中か駄目なら妾にしてほしい」と言っていると答え、それ以上は何も喋らない・・・。怒りを胸に徳蔵の家を訪ね、小扇に会いに行ったおりんだったが、小扇がかつて自分が手放した娘の‘おふく’だったと知り、何もかも合点がいった。今頃は嫁に行って幸せに暮らしているものと思っていた、忘れたはずの娘だったのだ・・・。信州屋に嫁いでから、仲立ちをしてくれた人を訪れることもなく、おふくのその後を知らなかった・・・。おりんは頭の中が混乱したまま船着き場に向かったが、冷や汗が絶え間なく流れ、目まいも治らない。やっと信州屋の看板が見えた時、気を失って倒れた・・・。2日間眠り続け、やっと目を覚ましたおりんを、竹次郎は「何も心配しなくてよい」と優しく制した。そして、小扇は家にいて、ずっとおりんの看病をしていたのだと話した。何もかも承知の竹次郎は「小扇の祝言の衣装を任せるから、良いものを見繕ってやりなさい。これもご先祖様のお引き合わせだ」というと、仏間に入って行き、鉦を鳴らして手を合わせた。おふく(小扇)は、新助にはこちらに来てから初めて事情を話したと言う。ほんとにこのままで良いのかと問う おふくに、りんは「よろしいもよろしくないもお前次第さ。新助と上手くいかないとなったら、わっちと一緒にこの家を出るしかない。ただの嫁ではない。わっちの娘だもの・・・」涙に咽ぶおふくに「嫌だねぇ、泣き虫は・・・」というおりんの目にも膨れ上がるような涙が浮かんでいた。
2016.07.21
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☆悲嘆の門 上下・宮部みゆき・発行所 :毎日新聞社・発行日:2015年1月20日☆ 主な登場人物とあらすじ♣︎三島孝太郎 都内にある大学の1年生。(株)クマーでアルバイトをしている。家族は、父と母、妹の一美(高校生)♣︎美香=隣の家に住む一美の友達(高校生)♣︎都築茂典=元警察官♣︎ガラ(女戦士)=始源の大鐘楼の守護戦士。*始源=言葉の生まれ出ずる領域(リージョン)*(株)クマー = サイバーパトロールをしている会社5才の女の子は、瀕死の母親と住むアパートの窓から、灯りの点かないビルの屋上にある怪物を見ていた。今は使われていないそのビルから、10mくらい離れた家に住む老婦人は、最近 その怪物が一夜明けると向きが変わっていると言う。調べて欲しいと頼まれた元刑事の都築が、そのビルの屋上に上がると、元々屋上に有った怪物(ガーゴイル)の像は粉々に壊されていた。そこにあったのは、異界の魔物「ガラ」が化けた別の怪物だった。老婦人が見ていたのは、夜な夜な飛び回り、昼は羽をたたみ怪物に化けて居座るガラの姿だった。ガラは、罪を犯して〈無名の地〉へ追放された息子を連れ戻そうとしていた。〈無名の地〉へ入るためには、〈悲嘆の門〉の門番を倒さなければならない。その為には、武器である大鎌を鍛えなければならない。大鎌は、人々の〈渇望〉を吸い込み、美しさと強度を増して進化する。ガラは自らの大鎌を鍛えるために、人間の世界へやってきたのだった。・・・・・中略・・・・・茶筒ビルの屋上に上がり込んだ幸太郎と都築は、ガラという魔物に遭遇して魅入られ、ガラの力を借りている積りが、いつの間にかガラに操られていた・・・。幸太郎は誘拐された美香を救うために、犯人を殺してしまった。罪を犯した自分はこの世で生きていけないと、彼はガラと共に無名の地へ行く道を選んだ。ガラは、自らの息子を救い出すために大鎌を鍛えただけで無く、息子の大罪を取り返す代償に、幸太郎を身代わりとして差し出した。幸太郎は騙されていたのだ。ガラは悲嘆の門の傍に佇み、我が息子、戦士オーゾの解放の時を待っていた。だが現れたオーゾは「あなたは欺瞞を操り、人の子をこの地に導いた。それは過ちです・・・」といい、「私がこの地で無になりましょう。自ら進んで、己の咎を負うのです。ほんのひととき外界を見た代償に・・・」といい、去っていった。〈無名の地〉に囚われた幸太郎は逃げ出そうともがくが、足が動かない。身体が動かない。手足の感覚がなく、もうぼんやりとしか感じない・・・。どこかで鎖が巻き上げられる音がして、唐突に終わりが来た。闇の中へ放り出された幸太郎は落ちていく。沈んで行く・・・。深い深い闇の中へ・・・。そして幸太郎は見た。悲嘆の門に不動の閂として固定されている、全身が石と化したガラの姿を・・・。現実の世界に放り出された幸太郎は、鼻血を出して公園のコンクリの上に倒れていた。意識が戻った幸太郎は、時間が戻っていることを知った。彼が罪を犯す前の時間に・・・。
2016.07.14
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☆通りゃんせ・宇江佐真理(うえざ まり)・角川書店・平成22年10月5日 初版発行・初出/「野生時代」2008年6、9、12月号、2009年3、6、9、12月号北海道の大学を出た大森 連は、地元のスポーツ用品メーカーに就職。入社3年目に東京勤務となる。ある日、マウンテンバイクで小仏峠を越えたところで道に迷ってしまった。方向を見失った連は、明神滝の裏側に迷い込み、深い穴に落ちて気を失った。気がついたところは黴くさい匂いがする農家の様な家の中だった。台所の床は赤土の土間で、雑誌でしか見た事がない竃(かまど)が設えてあり、おまけに電灯らしき物も見当たらない・・・。そこは、江戸時代末期の武蔵国中郡中郡青畑村だった。明神滝に近い観音さまの社の樹の陰で倒れていたところを、 時次郎、さな兄妹に助けられたのだという。時は天明6年(西暦1786年)、その年の青畑村は梅雨が明けても雨が降り続き、川は氾濫、稲は実らず、年貢米を納められない百姓の中には、厳しい取り立てに田畑を捨てて逃げる者が続出した。連は、まさに天明の飢饉の最中にタイムスリップしたのだった・・・。(以下略)♣︎宇江佐真理1949年北海道函館市うまれ。函館大谷女子短期大学卒業。1995年「幻の声」でオール読物新人賞を受賞し、デビュー。2000年「深川恋物語」で吉川英治文学新人賞。2001年「余寒の雪」で中山義秀文学賞。人情味溢れる市井物を中心に幅広く時代小説を手がけている。2015年11月7日、死去(66歳)最後の作品は「うめ婆行状記」(朝日新聞連載)♧その他の作品Roadside Library( kyoshi 様)→ 宇江佐真理 著書リスト
2016.07.02
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せ☆ 深紅・野沢 尚・講談社文庫・2003年12月15日 第1刷発行 2016年 2月 1日 第30刷発行・第22回吉川英治文学新人賞 受賞作品秋葉奏子は、小学6年生のとき、父に恨みを持つ男に両親と幼い弟2人を惨殺された。修学旅行中で家にいなかった奏子だけが一人生き残った。犯人、都築則夫には奏子と同じ年の未歩という娘がいた。自分だけ幸せであってはいけないと思う奏子。殺人犯の娘という十字架を背負って来た未歩。事件から8年たち大学生になっていた奏子は偽名を使って未歩に近づいた。未歩に暴力を振るう夫の殺害を唆し、頼まれれて協力しつつも、やはり最後には思いとどまらせる。
2016.06.22
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☆人魚の眠る家・東野圭吾・幻冬舎・2015年11月20日 第1刷発行♧あらすじ小学校からの帰りにその家の前を通る時、「お屋敷」というのはこういう家のことをいうんだろうなと、宗吾はよく思った。門の扉には綺麗な模様が透し彫りにされている。風が強いある日、被っていた帽子が風に飛ばされ塀を越えていってしまった。その日に限って、いつも固く閉じている門の扉が、どうぞとでもいうように少し開いていた。屋敷の壁際に落ちた帽子をひろい、直ぐそばにあった窓から中を覗くと、赤いセーターを着た女の子が車椅子に座って眠っていた。年頃は宗吾と同じくらい、白い頬にピンクの唇、長い睫・・・。その日以来、女の子のことが頭から離れなくなった。別居中の、播磨和昌、薫子夫妻は、長女瑞穂の有名私立小学校受験がひと段落した段階で離婚届を出すことになっていた。その電話は、お受験のための両親の面接の予行演習中にかかってきた。 瑞穂がプールで溺れたという。脳神経外科の医師は、病院に到着するまで心臓が停止、血液の供給が絶たれたため、脳がかなりの損傷を受けており機能している気配は確認できず、意識が戻らないかもしれない。現在の状況は、回復を願っての治療ではなく、延命措置だという。更に医師は、臓器移植コーディネーターとしての話をさせて頂く、と前置きして、脳死が確定した場合、臓器提供の意思があるかと尋ねた。日本の法律では、承諾した場合は脳死判定が行われ、確認されればその人は死んだと判定され、臓器移植が行われる。断った場合は、いずれ訪れる死期をただ待つ、ということになる。これは、世界でも特殊な法律で、他の多くの国では脳死を人の死だと認めており、脳死が確認された段階で、たとえ心臓が動いていたとしても、すべての治療は打ち切られる。延命措置が施されるのは、臓器提供を表明した場合のみである。ところが我が国の場合はそこまで国民の理解が得られていないため、臓器提供を承諾しない場合は、心臓死をもって死とするとされている。お嬢さんの場合、どのような形で送り出すか、心臓死か脳死か、それを選ぶ権利があるという。悩みに悩んだ末、二人は瑞穂が人のことを思いやる優しい子だったことを思い、一旦承諾の意思を固めた。だが弟の生人の「オネエチャン」という呼びかけに、和昌は自分の手の中で瑞穂の手がぴくりと動いたように感じ、それが薫子にも感じられたのだ・・・。「瑞穂は生きている」という薫子の強い思いで、臓器移植は見送られた。播磨和昌が経営するハリマテクスは、脳と機械とを信号によって繋ぐことで、人間の生活を大きく改善しようという研究を進めていた。同様の研究に取り組んでいる企業や大学の中では、ハリマテクスは一歩先を進んでいた。事故から間もなく2ヶ月、病院側の驚きをよそに、瑞穂の心臓は動き続けている。12月に入って間もなく、AIBS(横隔膜ペースメーカー)の埋め込み手術が行われ、事故以来、瑞穂の口に挿入されたままだった呼吸器のチューブが外された。やがて、瑞穂の在宅介護が始まり、薫子と祖母の千鶴子が、二人がかりでケアに当たった。在宅介護が始まって1ヶ月、瑞穂と一緒に暮らせる喜びは、ともすれば不安でくじけそうになる、薫子の心を強く支えてくれた。けれど、毛布の中の瑞穂の腕はマシュマロのように柔らかく、筋肉はどんどん落ちていった。そんなある日、和昌がハリマテクスの星野という社員を連れてやって来た。彼の研究テーマは、脳の信号を筋肉に送ることで、その人自身の手足を動かせるようにするということだった。星野による説明に続き、和昌はこの研究の2つのテーマを付け加えた。1つは被験者本人に足を動かす気はないのに、足が勝手に動いていること。もう1つは身体に一切傷を負わせていないことだという。磁気刺激装置は単なるコイルで、それを脊髄に沿って複数個のコイルを並べ、それぞれに信号を送るようにすれば、全身の様々な筋肉を動かすことも可能だというのだ。やがて、薬剤を投与しなくても、徐々に瑞穂の筋力はつき、身体は成長を続け、体温調節ができるようになっていった。薫子は、娘の寝顔を見つめながら呟いた。ある日奇跡が起きて瑞穂が目を覚ました時、自分の力でしっかりと起き上がり、立ち、歩けるようになっていたら、きっと本人が一番嬉しいに違いない。その日が来るまで、ママは頑張るからね。薫子自身は、誰になんと言われようと、瑞穂の身体の機能の変化に喜びを感じていた。けれど、それと同時に、日本では子供の臓器提供者がないため、アメリカでの心臓の移植手術を待ちながら亡くなった女の子のことも知っていた。瑞穂の弟の生人は学校で、瑞穂のことを気持ちが悪いと言われ深く傷ついていた。事故があったあの日以来、プールへ一緒に行った祖母の千鶴子、叔母の美晴、従姉妹の若葉。それぞれがそれぞれの深い悩みを抱え続けていた。和昌は今の状態を続けることに悩みはじめていた。機械的に娘の手足を動かすことになんの意味があるのか、そして物事には潮時があるのではないかと・・・。あの日、まだ小学校入学前だった瑞穂が、間もなく4年生になるという3月31日の夜、いつものように瑞穂の部屋で眠っていた薫子は、誰かに呼ばれたような気がして目が覚めた。すぐそばに瑞穂が立っているのを感じた。瑞穂が話しかけてくる声は聞こえなかったが、心に伝わってきた。ママ、ありがとう。今までありがとう。しあわせだったよ。とっても幸せだった。ありがとう。本当にありがとう。お別れの時だ、と薫子は悟った。「もう行くの?」という問いに、うん、と瑞穂は答えた。さようなら。ママ元気でね。さようなら、と薫子も呟いた。その直後、ふっと瑞穂の気配が消え、何もなくなった。瑞穂の身体に近づくと、すべてのバイタルサインの値が悪化を示し始めており、その後も好転する様子はなかった。薫子と和昌に迷いはなく、臓器移植の手続きが進められた。3年数ヶ月生き続けた瑞穂の内臓は、脳死判定が確定した翌日、幾つかの臓器が摘出された。病院の医師たちの間で「奇跡の子供」と呼ばれていた瑞穂は旅立った。瑞穂の身体から心臓も摘出され、どこかの子供に移植された。医師の問いに、和昌は心臓が止まった時が瑞穂が死んだ時だと思うと答えた。すると医師は言った。「だったら、あなたにとってお嬢さんはまだ生きていることになる。この世界のどこかで彼女の心臓は動いているわけですから」・エピローグ3年数ヶ月前、生まれつき心臓に異常があり、心臓移植しか助かる道はないと診断された宗吾だが、とてつもない費用がかかるうえ、宗吾の体力では長旅は危険だった。死を覚悟する毎日だったある日、奇跡が起きた。ドナーが現れたのだ。手術から3ヶ月後、退院した宗吾はどうしても行ってみたいところが有った。自宅の近くで車を降りた宗吾が向かったのは、あの「お屋敷」だった。美しい少女が車椅子で眠っていたあの家だ。なぜか、手術を受けて以来、何度もあの屋敷が夢に出てくるのだった。そして、宗吾を呼んでいるような気がした。だがー。行ってみると屋敷はなくなっていた。建物も塀も門も消え、空き地になっていた。
2016.06.21
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☆不祥事・池井戸潤・実業の日本社・Jノベル・コレクション、2014年4月10日/初版第1刷発行( 単行本、2004年8月 実業の日本社刊 )日本テレビ系でドラマ化された「花咲舞は黙ってない!」の原作。TVドラマは「不祥事」の他『銀行総務特命』『銀行狐』『銀行仕置人』『仇敵』シリーズなどの短編がとりいれられている(Wikipedia参照)♣︎主な登場人物・相馬 健東京第一銀行事務部相談役。かつては優秀な融資係として名を馳せたが、栄転先の副支店長とぶつかったことから目の敵にされ、次の転勤では意に添わぬ営業課に回されたという屈辱の過去を持つ。あれから5年、東京駅前にある東京第一銀行10階にある相馬のデスクからは、八重洲側の街並みが見える。出世競争からは落ちこぼれたが、念願叶って本部調査役の椅子に座った相馬の胸には晴れやかな気分が広がっていた。相馬の肩書きは、詳しくいうと事務部事務管理グループ調査役。営業課の事務処理に問題を抱える支店を個別に指導し、解決に導くのが主な仕事。・花咲 舞3ヶ月前まで代々木支店で相馬の部下だった女子行員。相馬に言わせると「上司を上司とも思わないどうしようもないはねっ返りで、絶えずひやひやさせられた」とのこと。事務部部長の辛島伸二郎に言わせると「臨店指導で女子行員たちの意見をもっと聞き出せる体制を作るために選抜されたエリートテラー」だという。・真藤 毅東京第一銀行 企画部長兼執行役員。将来の頭取候補。1.激選区(自由ヶ丘支店の巻)事務過誤が頻発している自由ヶ丘支店で三千万円の誤払いが起きた。犯人は盗み出した通帳と印鑑を使い現金を引き出した。窓口で応対した内村薫が、払出請求書に記載された住所が間違っていたことに気が付かなかった事務ミスが原因だという。通常は必ず免許証の提示を求める筈のベテランの彼女が、その日に限ってそれを怠り健康保険証だったというミスも重なった。ベテラン女子行員が次々と退職した理由を問いただした舞に、薫の上司である中西課長は「大した仕事もしていないベテランは、余計なコストがかかるだけだ」と答えた。閉店直後の営業室での、薫の水際だった仕事ぶりを見るにつけ、舞には彼女が誤払いなどというミスをおこすとは思えなかった。もしかしたら、彼女は中西課長にもその判断ミスの責任を負わせることで、銀行に一矢を報いようとした・・・。それがこの誤払いの真相ではないのか。内村薫が本当に戦っているものが何なのか、そのことに気がついたとき、舞ははじめて彼女の態度を理解できた気がした・・・。2.三番窓口(神戸支店の巻)奔放なバーの女に溺れ愛人にした一流企業のサラリーマン。やがて妻に知られるところとなり、別れ話を切り出した途端、女の情夫は法外な慰謝料を要求してきた。銀行に申し込んでいたローンは既に否認されており、3000万円となるとサラ金からも簡単に借りられるものではない。これは銀行でも襲うしかないか-----自嘲気味にそんな冗談を思い浮かべてみた男の胸に、ある考えが浮かんだ・・・。仲間選びさえ間違わなければ、あとはそう難しいことではない。頭の中でおおよその概略が出来上がったとき、男の気持ちは既に固まっていた。男の名は紀本肇。自らの勤務先の銀行を使っての綱渡りのような企てだったが、上手くすれば仲間それぞれに3000万円が転がり込む。彼が周到に企てた筈の、送金のタイムラグを悪用しようとした詐欺は、店頭に座った舞に見抜かれ、脆くも潰えた・・・。「金田さん、こちらへお連れしてください。その方、紀本副支店長のお友達のようですから」その時、逃げようとした一味の男の腕を掴んだフロア案内の男性に呼びかける舞の声がした。3.腐魚東京第一銀行 役員応接室で、真藤毅は深々と腰を折り、愛想笑いを浮かべていた。相手は、業界の雄と言われる老舗の伊丹百貨店のオーナー社長、伊丹清吾。伊丹百貨店は、現在赤坂駅近くに新しく開発した土地に、支店を含む三億円を超える一大プロジェクトを計画していた。そのプロジェクトの主力銀行に何が何でもなりたい真藤と、資金調達を有利に進めたい伊丹の駆け引きの真っ最中だった。(新宿支店の巻)次の臨店先の新宿支店は、事務量が半端ではない多さと、予想外の退職者が出たための極端なオーバーワークが続いた結果、事務ミスが続いていた。新宿支店は、伊丹百貨店社長の長男、伊丹清一郎の勤務地でもあった。その清一郎が個人的な逆恨みから、彼が融資を担当している幸田産業を倒産に追い込もうとしたのだ。不審に思った相馬と舞の調べにより、清一郎が独断で稟議書を上に上げず放置したことが原因だと判明、東京第一銀行だけでなく他行からの融資を受けようにも間に合わない。このままだと幸田産業は5000万円近い不渡りを出し倒産は免れない・・・。必死に資金調達して来たであろう幸田が5000万円を持って時間ギリギリに駆け込んできた。ひとまず倒産は免れたと皆が思ったそのとき、それまで全く連絡が取れなかった伊丹清一郎が裏口からひょっこりと入って来たのだ。呼びとめる声も無視してそのまま階段を上ろうとする清一郎の腕を掴むと、舞は強引に引っ張った。「幸田さんの稟議を出したかって聞いてるの。当行は融資を見送る場合も支店長決済がいる。そのくらい、君だって知っているでしょう」「なに固いこといっているんですか。そんなこといっていたらうちらの仕事、回らなく---」清一郎の頬が鳴り、言葉は途中で途切れた。騒ぎを聞きつけて駆けつけた羽田融資課長に向かって、心強い味方を得たとばかりにぱっと顔を輝かせ「か、課長、聞いてくださいよ。この人--」といいかけた伊丹の顔面を羽田の拳がとらえた。信じられないものでも見ている目で見上げる清一郎を睨みつけてから、羽田は幸田に詫び「お許しいただけるなら今からでも当行で支援させていただきたいのですが・・・」と、応接室へ案内して行った。羽田の後ろ姿を見送りながら、相馬が舞をつついた。「ほらみろ。こんなアホ御曹司にかき回されるほど、うちはおちぶれちゃいないだろ。腐っても鯛だ」4.主任検査官(武蔵小杉支店の巻)武蔵小杉支店への臨店予定日と金融庁の検査が重なった。理不尽な札付き検査官をやっつけた話。5.荒磯の子伊丹百貨店の伊丹社長が、突然真藤を訪ねて来た。息子が課長に殴られ、取引先の前で本部から来た人間に侮辱されたことへの抗議に来たのだった。平身低頭で30分間謝り続けた真藤の怒りの矛先は臨店チームに向かう。(蒲田支店の巻)そんな真藤と、理由はどうあれ紀本副支店長を破滅させたことを苦々しく思う男たちが、相馬との臨店チームに仕返しをしてやろうと企んだ。臨店ではなく、多忙な蒲田支店の欠員補充のためという名目で2人を送り込んだのだ。ところが皮肉なことに、舞に根を上げさせようと罠を仕掛けた筈が易々とクリアされ、逆に舞の有能さを思い知らされる結果となった。開設屋にまんまと手形帳と小切手帳を騙し取られるところを、相馬と舞の働きで救われたのだ。(開設屋=銀行を騙して当座預金を開設し、入手した手形や小切手帳と一緒に転売してしまう連中のこと。詐欺師の一種)6.過払い(原宿支店の巻)入行10年目のベテランテラーの中島聡子が100万円の過払いをしてしまった。当初は単純なミスかと思われた。疑問に思って彼女の口座の出入金明細を調べた舞は、幾つかの発見をした。そこに、3ヶ月前から始まった信じられない数字の動きを発見したのだった。堅実で聡明で誠実な人という印象の彼女を、何が狂わせたのか・・・。7.彼岸花真藤のところに真っ赤な彼岸花の花束が届いた。差出人の名前は川野直秀。元東京第一銀行の行員だった彼は早期退職したあと自殺していた。一体 誰が何のために送ってきたのか・・・。8.不祥事伊丹百貨店の全従業員、約9000人分の給与データが紛失した。それはまさに、東京第一銀行の信頼を根底から揺るがす、前代未聞の不祥事といってよかった。行員たちの必死の捜索にも関わらず見つからなかったそれが、渋谷駅構内で発見された。紛失した時のままの黒いボックスに入れられて渋谷駅構内にあるゴミ箱の上に放置されていたという。紛失した日に営業第二部を訪問した来客をピックアップしていた舞の指がノートの真ん中辺りで止まった。のぞき込んだ相馬は「はあ?」という素っ頓狂な声を上げた。そこには思いもかけない清一郎の名前があったのだ。☆ノベルズ版あとがき・池井戸 潤2004年8月に単行本の初版が出てから10年たち、作者ご本人が書いたあとがきが面白い。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆読み終わって・・・。この作品は珍しくテレビドラマを先に見ました。現実にはこんなに上手くいく筈が無いと思いつつも、ドラマも小説も痛快でした(笑)花咲舞の配役は杏さんをイメージして書いたのでは無いかと思えるほどドンピシャ! また、相馬調査役の上川隆也さん、真藤部長の生瀬勝久さんもぴったり!本はあっという間に読み終わりましたが、あらすじと読後感の方がずっと時間がかかってしまいました f^_^;)次回からはもっと簡略化しようと思っています。
2016.03.29
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天空の蜂・東野圭吾・講談社文庫・1998年1月15日 第1刷、2009年12月15日 第43刷(498頁)・1995年11月 単行本、1997年11月 ノベルズとして刊行・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 海上自衛隊に納入予定の、超大型特殊ヘリコプター(ビックB)が領収飛行(*1)当日、錦重工業小牧工場から盗まれた。午前8時:何者かに細工され、コントロールされた ビックBは、操縦士を乗せず飛び立った。デモンストレーション飛行を見学するために来て偶然乗り込んでいた男の子を乗せたまま・・・。8年30分頃:ビックBは敦賀半島上空に到着、高速増殖原型炉「新陽」の千数百メートル上空でホバリングを始めた。8時38分:新陽発電所管理棟のファックスが、犯人からのメッセージを受信。『関係者各位』と書かれたメッセージの、凡その内容は、「我々は自衛隊ヘリ『ビックB』を奪った。現在、高速増殖原型炉「新陽」の上空800mの位置でホバリングを行っているはずである。ヘリの操縦は完全に我々の手の中にあり、他の何者も今の位置から動かすことが出来ないし、自分たちは動かす予定はない。ただ、そのまま時間が経てば、当然のことながら燃料はゼロになり、ヘリは墜落することとになるだろう。ヘリには大量の爆発物が積み込まれており、墜落すれば「新陽」も無事ではすまないだろう。回避する方法はただ一つ、次にあげる要求をのみ、大至急実行に移していただきたい。要求が通ったことを確認した後、ヘリを安全なところに移動する」というものであった。犯人があげた要求は、凡そ下記の内容だった。1.現在稼働中、点検整備中の原発を全て使用不能にすること。2.建設中の原発は、全て建設を中止せよ。3.上記作業を全国ネットでテレビ中継せよ。ただし「新陽」だけは停止させてはならない。もし停止すれば、その瞬間にヘリを墜落させる。満タンの燃料でヘリは午後2時頃まで飛行可能なはずである。・・・と。何もしなければ、搭載する燃料がゼロになったビックBは、やがて原子炉の真上に墜落するであろう。犯人の指示に従い「政府」は、ホバリング中のビックBからの、子供の救出を自衛隊に命じる。刻々とタイムリミットが迫る中、果たして「政府」は、全国民を人質にした犯人の脅迫をのむのか・・・。間も無く犯人は単独犯ではなく共犯者がいることが判明する。作者は読者に、早い段階で犯人の一人が新陽に派遣されている錦重工業の社員 三島幸一であることを明かしている。もう一人の犯人は、かつて、ビックBの機密を熟知している防衛庁の元開発官だったらしいことも判明する。面識が無かった二人を結びつけ、犯行に至らせた動機は何だったのか・・・。逃げ果せるとはとうてい考えていなかったらしい犯人たちの目的は、一体何だったのか・・・。反原発運動のメンバーを聞き込み中の捜査員が、犯人が潜伏先に残したコントローラーを発見した。だが原子炉が稼働している間はビックBの自動操縦は解除されず、コントローラーは役に立たない。ビックBを移動するには、原子炉停止を検知したビックBから墜落信号が出されるまでの僅かな時間にかけるしかない。錦重工業Bシステムプロジェクトリーダー湯原は、原子炉停止からビックBの墜落信号が出されるまでの何秒間かは余裕があるだろうという考えていた。だが変化は急激に訪れた。ローターの回転数が変わったと思った次の瞬間には、その巨大な機体が急激に降下を始めた。湯原は即座に、だが慎重にコントローラーのレバーを動かした。ビックBの機体が、真下ではなく湯原の操作により、ある角度を持って彼らの方に向かって降りてくるように見えた直後、激しい衝撃音が聞こえ、機体は煙を上げながら「新陽」から数十メートル離れた海面に落下、激しい爆発を繰り返しつつ沈んで行った。犯人の一人雑賀勲は、刑事が見守るなか、新陽が見える岬に立ちビックBの最後を見届けた。もう一人の犯人三島幸一は、美浜町にある自分の部屋で、ビックBからパソコンに送られてくるデータを確認し続けていた。データの送信が途絶えたあと、パソコンに予め用意されていた文書が呼び出され、指定された幾つかの場所へファックスされた。『関係者各位』て始まる、その文書には、(要約)「我々の希望が聞いてもらえず残念だ。その結果としてビックBが高速増殖原型炉「新陽」に落ちたこと確認した。また新陽が無事であることも自分たちは確信している。今回用意した爆発物は、ダイナマイトたった10本であり、原発の各種安全装置は確実に機能し、今頃は原子炉は安全な状態で冷やされていることだろう。今回の試みは、沈黙する群衆への忠告である。原子炉が自分たちのすぐそばにあることをいつも意識し、そのことの意味を考え、自ら道を選ばねばならない。自分たちが稼働して間もない「新陽」を狙ったのは、それが最も危機感を与える効果があると同時に、世界最大のヘリが千数百メートル上空から落下した場合でも、「新陽」は、使用済み核燃料を大量に抱えている他の原発と違い、放射能漏れの恐れがないからだ。自分たちが恐れたのは、ヘリが使用済み核燃料プールに墜落、例え10本であってもダイナマイトが爆発し、プルトニウムを大量に含んだ使用済み核燃料が水に混じり、拡散し、やがてその粒子が人の肺に入り定着し、放射能を発し続けるかもしれないことだ。その危険性が一番少ないのが、稼働して間もない「新陽」だけだった」そして、手紙の最後には「自分たちの周りに存在する原子炉が、良い面を見せるだけでなく、牙を剥くこともある・・・・・・。子供は刺されて初めて「蜂」の恐ろしさを知る。ダイナマイトはいつも10本とは限らないのだ。 天空の蜂」と書かれていた。「新陽」の入り口前で、ビックBの最後を見た三島には、失敗した悔しさや無念さはなく、ただ虚しかった。そして、彼を護送しようと待つ福井県警の警備部長の前で「「新陽』に落ちた方が良かった。そのことにいずれみんな気がつくだろう」と呟き、護送されていった。(*1 )領収飛行防衛庁関係者の前で飛行し、不備がないことをチェックしてもらう最終手続きのこと早朝の5時〜午後3時頃までの、10時間余りの間の話
2016.02.03
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下町ロケット2(ガウディ計画)・池井戸 潤・小学館・2015年11月10日 第一冊発行・「下町ロケット」の続編♧あらすじ♧大手医療機器販売メーカー日本クラインから、佃製作所にナゾの依頼があった。なんの部品かも告げず、指定通りの仕様と予算で試作品を作って欲しいという。そんな折、以前佃製作所の社員だった真野賢作が佃に会いたいと言ってきた。アジア医科大学主任研究員の真野は、その部品は、日本の心臓外科でもトップクラスの貴船教授が日本クラインと共同で開発している新しい人工心臓「コアハート」のバルブシステムだという。取引のある他社が製造していたが、上手くゆかず代わりの製造業者を探していたのだという。人工心臓が完成すれば、世界的に評価されるだけでなく、日本と欧米の医療機器の間の格差解消の一歩となるだろうとも言った。だが日本クラインは、佃製作所に安く試作品だけを作らせ、量産はより有利なサヤマ製作所に発注しようと考えていた。佃は技術開発部の若手成長株だった中里篤に試作品作りを命じた。だが試作品作りは難航、設計に問題があるといい投げやりな態度を取る中里は佃と衝突、サヤマ製作所の椎名社長から誘いを受けていた中里は退職してしまった。中里は椎名社長からコアハートのバルブの改良を命じられたが、椎名の期待に反しその作業は難航していた。北陸医科大学教授 一村隼人は、(株)サクラダ社長 桜田章と組み産学協同で人工弁の開発を進めていた。一村はかつてアジア医科大学の貴船教授のもとでコアハートの研究開発を進めていたが、上司である貴船教授にその業績を横取りされた上、地方に追い出されたという過去をもつ優秀な心臓外科医だった。日本クラインの久坂からその開発の話を聞いた貴船教授は、またもや自分のものにしようと思い巡らせていた。業界関連のパーティー会場で、帝国重工宇宙航空部 調達グループ部長 石坂宗典は佃に、NASAでロケット工学に携わってきたと言うサヤマ製作所社長 椎名直之を引き合わせた。サヤマ製作所は精密機器メーカーで、社長の椎名直之はMBAを取得、NASA出身を表看板に、自らの人脈を駆使して父親から受け継いだ会社を3年間で急成長させた男であった。椎名は、佃に「NASAでの経験を生かして開発した最先端のバルブシステムで、佃製作所に対決する」と告げた。これまで佃製作所が担ってきた帝国重工のロケットに使うバルブシステムは、今回からはコンペで決定することになったという。佃にとっては寝耳に水の話だったが、石坂は既に決定している事だという。仮にコンペで佃製作所が敗れるような事になれば、これまで投資した資金の回収すら難しくなる。日本クラインから依頼されたコアハートの部品の試作品を届けに言った佃に、制作部企画チームマネージャーの藤堂は、平然と設計変更するから作り直せといい、出来ないなら他社に回すという。余りの傲慢な態度に佃は席を立った。コアハートに関するアジア医科大学と日本クラインの打ち合わせの席で、先端医療研究所主任研究員である真野は、佃製作所への試作発注を撤回した理由を問いただした。藤堂は彼に冷ややかな視線を向け、貴船教授に向かい、平然と「より社会的評価の高いサヤマ製作所に試作と量産の依頼をした」と言った。上司の吉田の言葉にも失望した真野の胸に込み上げてきたのは、佃製作所に迷惑をかけてしまった悔恨と、どうしょうもないほど膨らんだ大学の組織に対する嫌悪感だった。佃に詫びを言うために訪れた真野は、以前一緒に仕事をしていたドクターに誘われて福井にある北陸医科大学に勤務する事に決めたと報告した。以前から誘われていて迷っていたが、今回の事で迷いが吹っ切れたのだと話した。そのドクターこそ、あの貴船教授にアイデアを横取りされた上、歴史の浅い私立大学に厄介払いされた一村隼人だった。真野と共に佃製作所を訪れた一村教授と(株)サクラダの桜田社長は、日本人のサイズに合った人工弁を佃製作所で作って欲しいと頭を下げた。彼らは「ガウディ計画」と名付け、日本人のサイズに合うだけでなく、サクラダの経編技術を応用して、血栓ができ難くて生体適合性を追求した最高水準の品質の人工弁を目指していると熱心に語った。ロケットのバルブシステムチームから人出を割けないため、佃は、若手の立花洋介と加納アキの2人に人工弁の開発を命じた。だが、それは予想通り生易しいものでは無く、挫折の日々が続き途中で開発の目標を見失い行き詰まった立花と加納の二人は、佃に申し出て北陸医科大学の一村教授を訪ねた。改めて一村から話を聞き、心臓病で苦しむ子供達に会い手術にも立ち会った。自分たちが見失っていた目標を見つけ、進むべき道がみえた2人は、桜田社長を訪ね「必ずやり遂げます」と誓った。だが、ガウディ計画には「資金難」という新たな難問が待ち構えていた。佃製作所は、その日、長く取り組んできた研究成果を一つ得た。新しい技術が完成したのである。佃から「面白いものをお見せできるので、たまには遊びに来ませんか」と言われやって来た、帝国重工の財前は、その試作品のシュレッダーを一瞥しただけで目を丸くした。ぜひウチと共同開発したいという財前に、佃は「ウチが手がけている開発案件を支援してもらいたい」という交換条件を出した。それは、ガウディ計画を成し遂げるために、佃が打った布石だった。アジア医科大学で、人工心臓を取り付けたばかりの患者の容態が急変して死亡した。貴船はあくまでも専門外の医師による初期対応の誤りでコアハートの不具合が原因ではないといい、部下の巻田医師を激しく叱責して責任を押し付けた。病院は患者の家族からの調査依頼も突っぱねた。先に行われた、佃製作所製のバルブを使ったロケット燃焼試験は好結果だった。次に行われたサヤマ製作所の帝国重工での燃焼試験を成功裏に終えたが、燃焼試験の結果は佃製作所の方が良かった。佃製作所の燃焼試験成功を受けて財前が、宇宙開発部の部長会に計った「シュレッダーと人工弁への資金協力の案件」は、石坂の反対で保留となった。燃焼試験の結果が良かった佃製作所のバルブは採用されず、サヤマ製作所に発注することになった。連絡を受けた佃から「今回はダメだった」と告げられた社員達は悲嘆にくれた。その姿を見て佃は悟った。町工場のエンジニアとして、大型ロケットのキーデバイスを製造していることの誇り。会社が小さくても、知られていなくても、それこそが佃製作所全社員にとってかけがえのないプライドだったことを。激しい悔恨が佃を襲い、お前らの技術を生かすだけの知恵がオレにはなかった。と詫びた。だが、帝国重工の燃焼試験を成功裏に終え、PMDAの滝川委員を抱き込み、一村たちのガウディ計画も潰し、全て大勝利に終えるという椎名のシナリオは、帝国重工の石坂と祝勝会と称して飲み歩いた翌朝、早くも足元から崩れ始めた。日本クラインの藤堂が、少々困ったことが起きているといい訪ねてきた。「ジャーナリストがあちこち嗅ぎまわっています。御社から開発情報が漏洩しています」といい、椎名に見せた資料のコピーは、一目でサヤマ製作所のデータであることが分かった。そのジャーナリスト、咲間倫子の名前で検索をかけ著書や記事データを見た椎名は、心の中で急速に危機感が膨み、足元から恐怖と焦燥が這い上がってくるのを感じた。更に追い打ちをかけるように、銀座にある高級イタリアンの店で、帝国重工の石坂部長と富山と勝利の余韻に浸っていた椎名に「社長、至急、会社に戻れませんか」という月島の悲鳴のような声が飛び込んできた。本社に戻ってきた椎名を待っていたのは、翌日発売になるという週刊誌の見本誌だった。でかでかとした見出しには、ーーー最新鋭人工心臓「コアハート」に重大疑惑とあり、三ヶ月前、アジア医科大学でコアハートの移植を受けた患者の容態が急変、死亡した原因と病院の対応、人工心臓を共同開発しているサヤマ製作所に実験データ偽装の重大疑惑が浮上していること、サヤマ製作所の関係者が内部告発を決意した経緯などが書かれていたーーーー。サヤマ製作所社長の椎名と開発部マネージャーの月島は任意同行を求められ、警察の事情聴取を受け、椎名が業務上過失致死の疑いで逮捕されて、全ては空中分解してしまった。一方、アジア医科大学の学部長から更迭され、千葉の関連病院長として赴任することが決まった貴船は、憑き物が落ちたようにさっぱりとした表情で、医師としての原点を思い出していた。佃製作所のバルブシステムが採用されることになり、「ガウディ」も厚労省の承認が下りた。そして、3年の月日が流れ、最後の臨床試験も無事終わった。ガウディ計画は完了し、技術者たちの戦いは、静かに幕を閉じた。=====================☆ガウディ計画ゴッドハンドを持つと言われる心臓外科医 一村隼人。心臓弁膜症のため17才で亡くなった娘の結(ゆい)への贖罪から、私財をなげうち人工弁作りに没頭する(株)サクラダ社長 桜田章。2人がガウディ計画と名付けて目指しているのは、ただ日本人のサイズに合った人工弁というだけではない。サクラダの経編技術を応用した最高水準の品質の人工弁だった。人工弁の大きさは、手のひらに載る指輪ほどの大きさ。★佃製作所・佃航平=社長・殿村直弘=経理部 部長・山崎光彦=技術開発部 部長・津村 薫=営業第一部 部長、外資系IT企業出身ら・唐木田篤=営業第二部 部長★帝国重工・藤間秀樹=社長・水原重治=宇宙航空部 本部長・財前道生=宇宙航空部 開発グループ部長・石坂宗典=宇宙航空部調達グループ部長★北陸医科大学福井県にある歴史の浅い私立大学・一村隼人=北陸医科大学 教授・真野賢作=元佃製作所社員 (アジア医科大学主任研究員として働くが、組織に嫌悪感を抱き、一村教授の誘いを受けて転職)★株式会社 サクラダ福井市にある編み物会社である、桜田経編の子会社・桜田 章=社長(心臓弁膜症で17才で死亡した娘の結(ゆい)への贖罪から、私財をなげうち最高品質の人工弁作りを目指す)★アジア医科大学心臓外科の分野では日本トップクラスといわれる大学。北陸医科大学とは対立している。・院長=永野・貴船恒広=心臓血管外科部長・吉田=真野の上司・真野賢作=元先端技術研究所主任研究員・巻田=医師(コアハート移植患者の死亡の責任を押しつけられたことで貴船に怒りと恨みを持つ)★日本クライン欧米での医療機器販売に実績のある大手メーカー鈴木健士郎=社長・久坂寛之=制作本部長・藤堂 保=制作部企画チームマネージャー★(株)サヤマ製作所埼玉県狭山市に製造拠点を置く精密機器メーカー・椎名直之=社長・NASA出身・月島尚人=開発部マネージャー★PMDA独立行政法人医療品医療機器総合機構 医療品や医療機器の審査機関2013.7.30 の日記 → 池井戸潤作「下町ロケット」
2015.12.05
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☆蓮花の契り(れんかのちぎり)・高田 郁・出世花の完結編・角川春樹事務所・ハルキ文庫、2015年6月18日 第一刷発行15の時から、下落合にある墓寺「清泉寺」の湯灌場に立ち、仏を清めて早や7年、お縁はいつしか22歳になっていた。穏やかな陽射しが降り注ぐ彼岸の中日、桜花堂の店主仙太郎が住職を訪ねて来た。仙太郎は、その昔、お縁を養女にと望んでくれた「桜花堂」の先の店主、佐平の息子だった。佐平の後妻お香が、不義密通のうえお縁を捨てて逃げた実母だと分かって以来、桜花堂とはふっつりと縁が切れていた。「内藤新宿の店を畳むことになり、佐平の後妻のお香も同居する事になった。ついては、しばらくの間、実の母親であるお香と一緒に、お縁も日本橋の店で住んでもらえないか」という。折り合いの惡い嫁姑の仲も、お縁が加わることで、家の中の雰囲気が柔らかいものになるのではないかと考えた仙太郎だが「実の子と暮らす」という体験を母に贈りたい、という思いもあるという。とても受けられる話ではないと思うお縁に向い、住職の正真は「束の間、俗世に身を置くことで色々と学ぶことも多かろう」と告げた。そして半年ののち、寺に戻るか桜花堂に残るか決めるのはお縁自身だと…。師の言葉は重く、お縁には抗うことが出来ない。お香やお縁と同居する様になり、お縁は仏間でお香と共に寝起きすることなった。奉公人たちすら自分の思うままにならないお染の苛立ちは益々収まらない。元々夫婦仲が悪かった上、子供が出来なかったこともあり、諍いをきっかけにお染は実家へ帰された。仙太郎がお染と分かれて、お縁と一緒になってくれることを願うお香。仙太郎は、もしも許されるなら、今度はもっとお互いを慈しみあえる人と結ばれたい、という。一度捨てた娘を今度は嫁として傍に置きたいと願う母。2世を契った相手が違ったので契り直したいという男・・・。いずれも己の気持ちを押し付けるばかりで、そこにはお縁の思いは混じり得ない。-青泉寺へ帰りたい、帰りたい、あの場所へ-ー。葉月最後の夜、お縁は「母上から頂戴したこの命、三昧聖として全うすることをお許しくださいませ」と、深々と母親に一礼して許しを乞うた。「お艶、お艶」と娘の幼名を呼び、お縁を抱きしめる母の熱い涙が、お縁の心の奥に残っていた氷を跡形もなく溶かし去った。清泉寺に帰ったお縁だったが、次々と思いもかけない試練が待ち構えていた。永代橋の崩落の場に居合わせたお縁が、懸命に死体を浄める姿が市中の人々の感動を呼び、読売に取り上げられたことがお上の目に止まり、清泉寺の存続が危ぶまれる事態になった。また、正念の異父妹のあや女が赤子を連れてやって来て「藩主が決まらなければ富澤藩松平家は取り潰しになる。藩は何としても正念に還俗して跡目を継いでもらいたいと考えている」という。そして「兄上が還俗すれば、お縁さんと夫婦になることもできるでしょう。おふたりはまことに似合いの夫婦になられましょう」と・・・。けれど、二人は互いに惹かれつつも、自らの道を全うする道を選んだ。
2015.09.09
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☆むかし僕が死んだ家・東野圭吾・講談社文庫・1997年5月15日 初版第一刷( 1994年5月、双葉社より単行本刊行 )それは、7年前に別れた恋人からかかって来た、一本の電話が全てのはじまりだった。彼女は「会って話を聞いて欲しい。あなたにしか頼めないから」と言う彼女の口調から、事情の深刻さは察せられた。彼女の名は、旧姓、倉橋沙也加。結婚して娘が1人いるという。私は、大学の理学部物理学科の研究助手で、その傍ら、新聞社が発行する月刊誌に「科学者が見た社会現象」というコーナーの記事を書いている。翌日、待ち合わせ場所にやって来た彼女は、一年前に亡くなった父の遺品の中に有った「真鍮の鍵と、便箋にインクで書かれた簡単な地図」を見せた。「父親は、時々この場所に行っていたと思う。自分には小学校に上がる前の記憶が全く無い… 。この鍵が何かを突き止めれば、きっとあたしの記憶も戻ると思う。一緒にこの場所に行って欲しい」という。ようやく辿り着いた場所は、別荘地からも外れた森の中で、そこには灰色の家が建っていた。台所には冷蔵庫が有り、中にはコーラなどの飲み物、子供部屋には、ランドセルや、ソフトビニール製の怪獣のおもちゃや、使われた形跡の無いグローブ、SLの雑誌、6年1組 御厨祐介と名前が書かれた算数のノートと日記帳…。電気製品はあっても、電気そのものがその家には引かれていなかった。その家の中の全ての時間は、23年前の11時10分で止まっていた。人が住んだ気配が全く無い、この家は、一体誰が、何のために建てた物なのか・・・。沙也加の記憶が徐々に蘇り、封印されていた幼児期の忌まわしい事実が明らかになって行った。その「家」は、かつて別の場所に有り、焼失してしまった家に似せて建てられたものだと判明…。住むための建物ではなく、火事で死んだ御厨祐介と父親の御厨雅和、そして「沙也加」という名の女の子のための「墓標」だった… 。☆☆☆
2015.08.29
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☆出世花(しゅっせばな)・高田 郁・角川春樹事務所、2011年5月18日 第一刷発行(2008年6月、祥伝社文庫より刊行された作品に、若干の加筆・修正の上、新版として刊行されたもの。作者のデビュー作)久世藩の藩士、矢萩源九郎は、幼い娘の艶を連れ妻仇討ち(めがたきうち)の旅に出た。寛政5年(1793年)、飢え凌ぎに誤って毒草を食べてしまった二人は行き倒れとなる。下落合にある青泉寺の住職に助けられたが、源九郎は住職に艶を託し死んだ。助かった艶は、住職から「縁」と言う名をもらい、新たな人生を歩むことになった。青泉寺は死者を弔う「墓寺」であった。真摯に死者を弔う人々の姿に心打たれた縁は、自らも湯灌場を手伝うようになった。4年の歳月が経ち、9歳で清泉寺に来た縁は、寛政9年(1797年)のこの年、13才となっていた。縁の利発さを見抜いた内藤新宿の菓子商、桜花堂の店主佐平と後妻のお香から、縁を養女にしたいと申し出でが有った。縁は、申し分のない話を断り、寺に残りたいと言う。住職の正真に「お前が何を考え何を望んだのか、お二人に隠さず話すがいい」と促され、お縁は話し出した。母のこと、父のこと。父が亡くなった時に見た湯灌のこと…… 。そして、「死人を洗うなど、身の毛がよだつ」と受け取られていることに衝撃をうけたこと… 。震える声で、お香は「お父上と母上の名前を聞かせておくれでないか?」と問うた。「父は、矢萩源九郎。母は、登勢と申しました」という返事を聞き、お香は意識を失って倒れてしまった。その日を境に、佐平・お香夫婦と、お縁の縁はぷっつり切れた。いつの頃からか、風に乗って次のような噂話が聞かれるようになった。江戸は下落合村に青泉寺という名の寺があり、そこには「三昧聖」と呼ばれる娘がいる。三昧聖の手にかかると、病みやつれた死人は元気な頃の姿を取り戻し、若い女の死人は化粧を施されて美しさで輝くようになる。三昧聖の湯灌を受けた者は、皆、安らかに浄土に旅立って行くのだ、と。お縁は、15の年から湯灌を任されるようになり、3年の月日がたっていた。湯灌記録を綴っていることを知った、同心、窪田主水は「無冤錄述」と言う、検視のための手引き書を貸してくれた。毒草や毒薬の知識を深めていた縁は、時には、定廻り同心の新藤から意見を聞かれるほどになっていた。ある日、正念とお縁が遠出の湯灌から戻ると、寺門の外に2挺の駕籠が待機していた。待っていた老人は、正念を「若」と呼び、生母のお咲きの方様が危篤のよし、伝えに参りましたという。「早う私と共に」といい、手を伸ばして腕を取る老人に、正念は「仏門に入った時より俗世との縁は断ち切っておりますゆえ」といい、その場を立ち去った。翌朝訪ねて来た、正念の異父妹と名乗る、あや女の「生きているうちに、母を見舞って欲しい」と言う願いにも、態度は変わらなかった。見送りに出たお縁に、あや女は「兄は、母のことを心の底から憎んでいるのに相違ありません…」といい、帰って行った。やがて、お咲きの方が亡くなり、菩提寺を通じて、あや女からお縁に湯灌の依頼が来た。敬愛して止まない正念の、余りにも普段の姿と違う態度… 。「きっと何か訳が有るはず… 」と思ったお縁は、湯灌に同行して欲しいと正念を説き伏せた。遺族が見守る中、お縁と正念の手で湯灌が済み、お縁は死化粧を終えた新仏に一礼して後ろに下がった。その場に居合わせた人々が引き寄せられるように亡骸を取り囲んだ。新仏は、まるで何か楽しい夢でも見ているのかのごとく、口角を上げ、微笑んで眠っているようだった。その表情に、もはや病苦の痕はない。仏の夫である多聞が、正念に向かい「毘沙門にお願いがございます。副葬の品として、亡き妻の好きな母子草を棺に入れ、お浄土に持たせてやりとうございます。毘沙門手ずから手折りし母子草ならば、必ずや亡き妻もお浄土まで持参できるはず。…… 」といい、 あや女共々、玉砂利に額を押し付けた。正念はじっと考えたあと、寺の一角の陽だまりに群れている御形(おぎょう=母子草)を手折り、自らの手で新仏の手に持たせて、棺を閉じた。正念は一足先に帰り、お縁は、借りた紅を返そうと、ひと気の無くなった湯灌場で一人待っていた。遺族が骨揚げまで待つ小さなお堂に誘った多聞は、娘のあや女とお縁に向かい、正念が出家するに至った事情を話しはじめた。☆主な登場人物♣︎縁 幼名は「艶」、のち「縁」〜「正縁」。父は久居藩下級武士の矢萩源九郎、母は登勢。母は、男を作って家を出た。妻仇討ちの放浪の果てに父が頓死。青泉寺で育ち、三昧聖となる。♣︎正真下落合にある墓寺、青泉寺の住職。高潔な人格者。♣︎正念青泉寺の修行僧。元は武家の出で、出家に至る複雑で哀しい過去を持つ。♣︎香内藤新宿の菓子商「桜花堂」の店主・佐平の後妻。
2015.08.24
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天の梯(そらのかけはし)♤ みをつくし料理帖シリーズ 10(完結編)☆天の梯(そらのかけはし)・高田 郁(たかだ かおる)・角川春樹事務所・ハルキ文庫、2014年8月18日 第一刷発行早朝、翁屋の楼主、伝右衛門が澪を訪ねて来た。夏の旱魃を慮り、遅れに遅れていた吉原への引移りが、長月九日、重用の節句の日に決まったといい、ついては商い始めに「鼈甲珠」を是非売り出したいという。芳と共に一柳へ移る様にと勧める、柳吾と芳たちに、澪は「食は天なり… 。ある方に教わったその言葉が私にとって全てです。… 後世に名を残すことを望まず、残すなら、名前でなく料理でありたい…」と言い、三人に向かって、深々と頭を下げた。澪は、芳のいる一柳を頼らず、飯田川沿いの貸し家を借りて、そこで「鼈甲珠」を作り、まずは持ち帰り用の惣菜などを商う算段をつけていた。澪の行く末を案じて訪ねて来た源斉は、下戸で有ることを忘れて、酒粕を使った肴を進められるまま口にしつつ、じっと思案にくれるている。黙々とつけ揚げを摘みながら言葉を探しているようだったが、結局見つけられず、ゆっくり腰を上げたもののよろけ、咄嗟に抱きとめようとした澪ともども、二人して尻餅をついた。源斉は、送って出た澪に「あなたが、どこかへ行ってしまうのではないか、と… 」あとは言わずに、そのまま足早に帰って行った。一柳が自身番へ届けた客の忘れ物は、製造販売を禁じられている「酪(らく)」だった。店主の柳吾が自身番に引っ張って行かれ、酪について「何か」を知る佐兵衛は、柳吾を助けるため、澪に妻と娘を託し町奉行所に自訴した。佐兵衛の自訴により事態を重く見て調べていた奉行所は「酪」製造販売に係わったとして登龍楼を厳しく取り調べ、登龍楼は取り潰しになった。間も無く柳吾と佐兵衛は解き放された。佐兵衛は、澪に「お解き放ちの時、吟味方から内々で教えてもろうた。「白牛酪考」という書を引き合いにして、私を庇うてくれはった人がおったそうや」と話し、また「幕府重鎮の覚えもよく登龍楼とも因縁のあった御膳奉行さまの進言やそうや」と。そして、そのお方が、縁も所縁もない者のために、なぜそこまでしてくれたのか分からないとも言った。自らの愚かさを悟った佐兵衛は、もう一度料理人としてやり直したいという。佐兵衛の話を聞き、助けてくれたのはかつての想いびとだった小野寺数馬だったと気付いた澪は、佐兵衛に一礼すると駆け出した。真っ直ぐ行けば富士見坂という名の急な下り坂…。2度と来ることのないはずの場所だった。辻に立ち、両の手を合わせると、小野寺の屋敷に向かって、深々と首を垂れた。顔を上げ、何気なく富士見坂の方面に目をやると、坂の手前に、凝然とたたずむ人影を認めた。霞立つ遠景を背負った男は、渋い褐返しの紬の綿入れ羽織がよく似合う。小野寺数馬、その人だった…。つる家を訪ねて来た攝津屋は、あの鼈甲玉を手にしたあさひ太夫の錦絵を見せ、太夫が大変なことになっていると言う。錦絵に描かれた太夫の天女の如き美しさが、人々の話題になってもて囃され、大名やら豪商やらが、執拗に太夫との饗宴を強いることになった。あさひ太夫の旦那衆三人は、とてもあさひ太夫を年季明けまで翁屋に留め置くことは出来ないと頭を抱えているという。澪に四千両もの太夫の身請け金が用意出来るのか、攝津屋は悠長には待てない、と言い置いて帰って行った。約束の4日後につる家を訪れた攝津屋に、澪は「鼈甲玉には特別な調味料を用いていますが、その仕入先も含めて、作り方の一切を翁屋に売り渡し、以後、私は鼈甲玉から手を引きます」と言った。澪の答えを聞いた攝津屋の肩が上下に揺れ、笑いは徐々に大きくなり、ついには両の手を打ち呵呵大笑に至った。幾らで売るつもりだとの問いに「四千両です」との、打てば響くような答えに、札差は顎を撫で、にんまりと笑った。「弥生15日は梅若忌、昼見世のの始まる前に翁屋へ来なさい。お前さんが伝右衛門と商談をする席に私も立ち会いたいのでね」と言い置いて帰って行った。何が野江にとって幸せか…、思い惑う澪は、ふいに化け物稲荷が脳裏に浮かび、神狐に呼ばれた気がして駆けた。境内に駆け込むと、そこには源斉がいた。澪の悩みを聞いた源斉は「あさひ太夫を澪が身請けすれば、それは太夫にとって一番の吉祥であると同時に、一番の枷になるでしょう。女に身請けされたとなれば、噂は世間を巡り、江戸にいる限りは、生涯好奇の目で見られることになる。澪が太夫を身請けするなら、廓を出た太夫は江戸で暮らすべきではない」と言った。そして、澪も一緒に、大坂へ移るのが良いという。戸惑う澪に、源斉は、私にとっての心星は、病に苦しむ人を救うことで、御典医になることではない。実は先達て亡くなった恩師から大坂に医塾を作ろうとの話が進んでいて、大阪行きを勧められていたことを打ち明け、「澪さん、私と夫婦になってください」と、手を握りしめた。鼈甲玉の材料、その入手方法、そして作り方を記した書付を、翁屋に四千両で買い取ってもらいたいと言う澪の申出でを聞き、話にならぬと席を立とうとした伝右衛門に、攝津屋と二人の旦那衆から絶妙な加勢が入り、話は纏まった。澪はこれ迄の鼈甲玉の売り上げの全てである金貨銀貨のぎっしり詰まった箱を出し、皆様にお願いしたいことがございますと頭を下げた。攝津屋は「札差などと言うものは、滅多に驚くことが無いが、お前さんの申し出には心底驚いた。…… お前さんが太夫を身請けしたとなれば、太夫は生涯、それを負い目に思うに違いない 。太夫の幸せを一番に、との言葉は胸に沁みました」よろしくお願いしますと頭を下げる澪に、誰があさひ太夫を身請けするのか、お前さんの案は、我々の心を打ちましたといい、太夫が吉原を出る卯月朔日に向けて、あらゆる手を尽くしますよと、結んだ。命の恩人である又次への償い、四つで亡くなった娘を野江に重ね合わせて、その幸せを心底願う攝津屋なればこその振る舞いだった。つる家の人々を前に、これ迄の一部始終を語り終えた澪は「私は野江ちゃんと一緒に大坂に帰ります。…… 生まれ育った故郷に戻りたいのです」と頭を下げた。女二人の身で大坂へ行く事を案じる人々に、攝津屋の力添えがあること、それに「源斉先生もー」と、言いかけた澪の言葉を、種市が遮った。やがて、芳、源斉、源斉の母 かず枝も揃った。源斉は「奥医師にとの話を断って大坂へ行く事を選んだのです。父の立場にも大いに障りました。周囲の風当たりも強く長田家と絶縁するのは至極当然です。ただ、士分を捨て、澪さんと夫婦になることに関しては、母が皆を説得してくれました。『料理人、医師同然程の役也』という、かつての大老、土井利勝の遺訓を引かれては、誰も何も言えませんからね」そう話して、源斉は楽しそうに笑った。澪を促して下座に移った源斉は「… 大坂に移り、この澪さんとふたり、手を携えて生きて参ろうと存じます。私は医学の道、澪さんは料理の道。互いの道を重ねて実りのある人生にします。どうぞお許しください」と、二人揃って深々と頭を下げた。源斉は、澪や野江より一足先に船で大坂へ向かうことになった。見送りの澪に、攝津屋から「高麗橋のそばに、澪が料理の腕を存分に振るえるような調理場を持った住まいを探すように頼む」との文を受け取ったこと、そして、その返事に「澪が早晩料理屋を開きますので、住まいとは別に、こじんまりしたつる家のような造りの貸し店を探します」と書き送ったと伝えた。その朝、江戸町の通りから、一群が姿を現した。先頭に立つのは翁屋の番頭、続いて伝右衛門、若い衆に守られて、純白の薄衣を被衣とした、あさひ太夫が現れた。大門が開け放たれた。あさひ太夫の身請け人が誰か確かめようと、誰しもが眼を凝らした先には、塗り駕籠が一艇控え、前後の提灯には、野江(あさひ太夫)の生家である「高麗橋淡路屋」の名が堂々と記されていた。攝津屋の同行を受けて、野江と澪はゆっくりと二十日ほどかけて大坂を目指した。船ではなく歩いて旅をすることで、野江は身についた遊里の垢を落とし、徐々に町の暮らしへと馴染んでいく。一行が大坂の地に戻った卯月二十二日、元号が文化から文政へ変わった。淡い雲が広がる空のもと、二人にとって思い出深い天神橋は、洪水のあと架け替えられて、幼い日に渡ったものではないはずが、二人の目には昔と少しも変わらない。十六年前のあの日、水に沈んだ街は、息を吹き返し、多くの命を育む。声もなくその景色を眺める二人の目に、うっすらと涙が浮いていた。二人が持つ片貝は、澪の掌で漸く一つになり、澪は橋の欄干から手を差し伸べ、そっと落とした。「雲外蒼天」二人の胸に、その四文字が浮かんでいた。
2015.08.11
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♤ みをつくし料理帖シリーズ9☆美雪晴れ(みゆきばれ)・高田 郁(たかだ かおる)・角川春樹事務所・ハルキ文庫、2014年2月18日 第一刷発行美雪晴れ芳と一柳の店主、柳吾との祝言は、年が明けて初午の日と決まった。柳吾の世話で、つる屋の新しい料理人も決まり、澪がつる家から巣立つ日も近い。澪は、芳と一緒に一柳へ移って来る様にとの、柳吾の誘いも断り、「鼈甲珠(べっこうだま)」を吉原の花見に合わせて一人で売ることを心に決めた。鑑札も持たない澪は、吉原で振売りの妨害にあい、一度は断念したが、澪のあさひ太夫との関わり、その想いを知る難波屋の後押しもあり、再建中の妓楼「翁屋」の前で「鼈甲珠」を売る承諾もとれた。登龍楼の『天の美鈴』と同じ値の、一つ二百文で売り出した「鼈甲珠」は、日増しに評判が上がり、弥生晦日までのひと月に、合わせて五百ほど売り、実に二十五両を売り上げた。伊勢屋が失火から焼け、財産没収に等しい過料と在所所払いの罰を受けた。美緒は生まれたばかりの赤子に飲ませる乳がでないと言う。澪は、辛い想いをしているであろう美緒に、死んだ母親から乳の出がよくなると教わった芋茎(ずいき)の料理を食べさせたいと、あれこれ試作を繰り返していた。芋茎の湯葉巻きの味見をした源斉は、美緒のための料理だと見抜いた。源斉は、つる家の店主種市から「澪にこれ以上危ない真似をさせたくない。一日も早く一柳へやりたい。澪には一柳の料理場が相応しい」と、澪を説得して欲しいと頼まれたことを明かした。そして「料理人としてどう生きたいかを決めるのは澪さんです。周りがとやかく言うべきではない」と言った。そして、澪の想い迷う心のうちをじっと聞いていた源斉は「あなたは『食は、人の天なり』と言う言葉を体現出来る稀有な料理人なのです。私からすれば、あなたほど揺るがずに、ただ、一つの道を歩き続ける人はいない…」と言った。源斉の言葉が、澪の心を縛っていた迷いの糸を断ち切り、澪の前には一筋の道が残った。澪の両目から溢れる涙に、じっと見入っている源斉は、澪の料理人としての心星を、澪自身よりも先に見出していのだ。その事実に澪は畏怖を抱くと同時に、これほどまでに大きな存在に、傍で見守られていたことに強く胸を揺さぶられた。♯ 巻末 特別収録・富士日和その日、御膳奉行、小野寺数馬は、目黒行人坂の茶屋で寛いでいた。一腕の茶を飲み、思わず洩らした「旨いな」という声に、向いの床几で箸を使っていた男が顔をあげた。年の頃は三十前後か、穏やかな双眸が親し気にほほえんだ。男の持つ白木の割籠に詰められているのは、俵型の握り飯に梅干し。仕切りを隔てて黄色く乾いた何か。興味を覚えてわずかに身を乗り出し「それは湯葉では無いのか?」と問うた。進められるまま、さくさくと軽やかに嚙みすすめ、思わず「ううむ」と唸った。湯葉巻きの中身と調理法、それに流山の白味醂まで言い当てた数馬に、男は箸を置いて居住まいを正した。相模屋の店主 紋次郎と名乗り、弁当は懇意にしている料理屋の主が持たせてくれたものだと言う。煮切った味醂の使い方、味噌と合わせた調理法など鷹揚に話す数馬を、只者ではないと察した紋次郎は、塗りの重箱を大事そうに開いた。きらきらと琥珀色に輝く透き通ったものが、切り分けて収められている。琥珀色の中に閉じ込められているのは卵白だろうか、……。勧められるまま、数馬は一切れを口に運ぶ。寒天のぷりぷりした歯応え、出汁に玉子の味、何より味醂の気高い味が舌を魅了する。更に一切れを差し出して、紋次郎は話した。「三十年ほど昔、大阪で好評を博した『琥珀寒』といい、店の大阪生まれの料理人が苦労して再現したものと聞いております」刹那、数馬の脳裏に下がり眉の女料理人の顔が浮かんだ。店の名を問う数馬に「俎板橋傍の、つる家という料理屋でございます」とこたえた。ーこの命のある限り、ひとりの料理人として存分に料理の道を全うしたいのですー雪の中、懸命に許しを請うていた娘の姿が、その声が蘇る。そうか、お前はここまで来たのだな。そうかそうかと胸のうちで繰り返し、数馬は口中の幸福を飲み下した。
2015.08.03
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残月♤ みをつくし料理帖シリーズ8☆残月(ざんげつ)・高田 郁(たかだ かおる)・角川春樹事務所・ハルキ文庫、2012年3月18日 第一刷発行吉原の大火の折、あさひ太夫と一緒にいて助けられた翁屋の上客、攝津屋がつる家を訪ねて来た。あさひ太夫の身を案じる澪に、攝津屋は太夫が無事であることを告げ「太夫とお前さんの関わりを知りたい」という。太夫が何も話さないと聞いた澪は「それなら私が勝手にお話しすることは出来ません。どうぞ、お許し下さい」と畳に手をついた。また、自分の命の恩人、又次が「頼む、太夫をあんたの…あんたの手で…」と言った、最後の言葉の意味を知りたいという問いにも、澪は再び手を畳において、額を擦り付けた。上野宋源寺での又次の満中陰の法要のあと、一人不忍池に向かった澪は、かつての想い人、小野寺数馬の実妹、早帆に出会った。お互いに身を案じる言葉を交わしたあと、早帆は「如月の末に兄が妻を娶り、安堵したのでしょう、弥生十日に母がみまかりました…」という。そして躊躇いがちに「兄嫁は齢十七ながら、これまで生家の手持ちの駒として、女の幸せとは遠いところで生きて来たのです。……兄もまた、澪さんに抱いていたような思慕ではないにせよ、夫婦として幸せになる道を模索している様に思います」言った。何の後ろ盾もない料理人の自分を、息子の嫁にと願ってくれたひと。去りゆく早帆の背中にそのひとの面影を重ねて、澪は両の掌を合わせ、深々と首を垂れた。行き方知れずだった天満一兆庵の息子、佐兵衛の消息が分かり、天満一兆庵の再建を、とにじり寄る母 芳に、佐兵衛は「料理の道に戻る気ぃはおまへん」と告げた。黙って二人の遣り取りを聞いていた一柳の店主 柳吾は、富三の名を出し「富三は、主の放蕩で天満一兆庵は潰れたと吹聴していたが、おそらく富三が店の乗っ取りに何らかの形で加担していたのだろう。主人が奉公人に背かれて店を失うほどの恥はない。その恥を知ればこそ、誰にも話せないものです」と言い、さぞや辛かったことでしょう、と柳吾は佐兵衛を労った。佐兵衛の双眸から涙が吹き出し、畳に突っ伏して号泣した。息子の背に手を置き撫で続ける芳もまた、静かに涙を流していた。全てを話して胸の閊えがが取れたのか、佐兵衛は来た時とは別人かと思うほど穏やかな表情をしていた。澪には「登龍楼にだけは決して関わったらあかん。私は下手に関わったさかいに、結局、料理を捨てる羽目になった。何も知らんまま一切関わらんことや。分かったな」といい、柳吾と芳には必ず連絡すると言い置いて、振り返り振り返り、俎橋を渡って行った。芳は、傍に立つ澪に「跡取りの佐兵衛が断念した江戸店の再建をお前はんに託すことは出来ん。…もうお前はんを縛りとうないんだす。忘れておくれやす」といい、娘の手をやさしく握った。ふきの料理人としての素質を早くから見抜き、ふきを仕込んでいた又次の心を引き継ぎ、ふきを料理人に育て上げようと、澪は心に決めていた。一方、戯作者 清右衛門から、翁屋のあさひ太夫の身の上、太夫と澪との関わりなど、洗いざらい聞かされた種市は、澪を自由にしてやるべく、つる屋から送り出す算段を整えることを決めた。登龍楼の店主 采女宗馬は、吉原に再建中の店に澪を板長として迎えたい、ついてはつる家に引き抜き料として幾ら必要かと問うた。受ける気の無い澪は、法外な「四千両」と答えた。芳は「過去の想いも全て受け止めて、芳と生きてゆきたい、どうか私のもとにいらして下さい」と言う一柳の店主柳吾の言葉に泣き続けた。芳の柳吾への想いを知る澪は、芳の幸せを願いつつ背を撫で続けた。源斎の仲立ちで、つる家の料理人と吉原の太夫と言う形では有ったが、再会も果たせた…。漸く訪れた幸せの兆しに、澪は寒中の青々とした麦の姿を重ねあわせていた… 。
2015.07.29
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♤ みをつくし料理帖シリーズ7☆夏天の虹(かてんのにじ)・高田 郁(たかだ かおる)・角川春樹事務所・ハルキ文庫、2012年3月18日 第一刷発行想い人と生きる道か、料理人としての道を全うするか…、悩み苦しんだ澪は、後の道を選んだ。小野寺の前で「お許し下さいませ。料理は私の生きる縁(よすが)です」と額を地面に額を擦り付け詫びる澪に、小松原は、暖かな声で告げた「ならば、その道を行くのだ。あとのことは何も案ずるな。……全て俺に任せておけ…もはや迷うな」言い置くと去って行った。間も無く小松原が嫁を迎えたと知った澪は、自ら選んだ道なれど、料理人の命とも言える嗅覚と味覚を失った。翁屋の楼主、伝右衛門は又次を2カ月だけ貸してくれたが、澪の嗅覚と味覚は戻らないまま約束の期限となった。又次がつる家の人々だけで無く客にも惜しまれながら帰って行ったその日、吉原の大火で翁屋は焼け落ち、あさひ太夫を救い出し大火傷を負った又次は死んだ。又次が焼け死んだ場所から持ち帰った灰は、小さな壺に入れて、つる家の調理場の棚に置かれた。澪の嗅覚と味覚は、野江(あさひ太夫)の髪の焦げた匂いをきっかけに戻ったが、その巡り合わせの何と言う皮肉さであろうか…。
2015.07.24
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♤ みをつくし料理帖シリーズ6☆心星ひとつ・高田 郁(たかだ かおる)・角川春樹事務所・ハルキ文庫、2011年 8月 日 第一刷発行翁屋の楼主、伝右衛門の力を借りて、吉原に天満一兆庵を再建するのか。登龍楼の神田須田町の店を、居抜きで30両という破格値で買い取り、つる屋を移転するのか。選択肢は二つに一つ…。料理番付の行司役、日本橋にある料理屋「一柳」の店主、柳吾は「人は与えられた器より大きくなることは難しい」と言う。りゅうは「一柳の旦那は若いですねぇ。器が小さければ自分の手で大きくすりゃあ済むことですよ」と言った。りゅうのその言葉を聞き、思いあぐねていた澪の心は決まった。つる家を自らの手で大きくすると。黒塗りの宝泉寺籠が、つる家の前に止まり、武家の奥方と思しき女が降り立った。女は、世継稲荷の縁日に助けてもらった早帆と名乗り、澪に料理を教えて欲しいと切り出した。折々に見せる早帆の人柄にふれ、澪はこの人のためなら、残りの日々、持てる限りの料理のコツを教えて差し上げようと思った。料理指南もいよいよ明日一日となった日、早帆に「もしや心に思う殿方が居るのではありませぬか?おそらく、どれほど慕っても添えぬひとが」と問われた澪は「その方は私の想いをご存知ないのです。私も報われるなど端から望みません。想いを打ち明けることも、悟られることもない。ただ、その方が健やかで幸せで居てほしい、と祈るばかりです」とこたえた。「真実、そこまで想うてくれる人がおりましょうか。私がその殿方なら、冥利に尽きるというもの。お気持ちを聞かせてくださってありがとう」と言い早帆は帰って行った。明くる日、徒歩でやって来た早帆は、実家の母に是非会わせたいといい、澪を連れ出した。連れられて行った武家屋敷で待っていた老女は、かつて澪が作った箒草の料理を食べに、つる家へ来た老女で、里津と名乗り「そなたが小野寺と呼ぶ浪人は、実名を小野寺数馬といい、早帆の兄に当たる」とつげ「昨夜、早帆がそなたを数馬の嫁にと、懇願しに参った」「町娘が御膳奉行の妻となるには、数多の苦難もあろう。早帆の駒澤家で二年かけて旗本の奥方となるに相応しい作法を身につけるため、武家奉公をなさい、そしてそののち、然るべき旗本の養女となり、小野寺の家へ嫁いで来なさい」と言った。返事を縋る老女の声は耳に届いても、澪の体は震えるばかり。ようやく「お許し下さい」とだけいい、振り返りもせず、逃げるように部屋を飛び出した。つる家へやって来た小松原は「俺の女房にならぬか。ともに生きるならば下がり眉が良い」と言い、「はい」と答えた澪に「旗本の養女になってしまえば難しいが、それまでならお前次第で道を変えることは出来る。決して無理はするな」と言い置いて帰って行った。想いびとと添えるだろう喜び。野江とは一生会えぬだろう悲しみ。種市や芳の想い。清右衛門の失望。塗り箸は格が低い、という早帆の悪意なき指南。考えれば考えるほど、心が四方八方から引き千切られて、湧き上がるような幸せは、何処かへ消えてしまっていた。「道が枝分かれして、迷いに迷った時、先生ならどうされますか」と問う澪に、源斉は「私なら心星(しんぼし)を探します。あの星こそ天の中心で、全ての星はあの心星を中心に回っいるのです」とこたえ、淡い黄色の光を放つ星を指した。そして源斉は「悩み、迷い、思考が堂々巡りしている時でも、きっと自身の中には揺るぎないものがあるはずです。これだけは譲れない、というものが。それこそが、その人の生きる標とな心星でしょう」と言った。「探そう、揺るぎない心星を」澪はそっと、胸のうちに誓った。澪の料理を喜ぶ客の声を聞きながら、ふいに胸が一杯になった澪は店を飛び出した。涙があとからあとあら流れて止まらない。天を仰ぐ澪の目に、源斉に教わった心星が北空に輝いていた。その仄かな黄色の輝きが、澪に語りかけてくる。ここだ、お前の目指す道はここにある、と。刹那、決して譲れない、辿りたい道が目の前にはっきり見えた。
2015.07.12
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♤ みをつくし料理帖シリーズ5☆小夜しぐれ・高田 郁(たかだ かおる)・角川春樹事務所・ハルキ文庫、2011年3月18日 第一刷発行暖簾を終う間際になって、その女はやって来た。悪意に満ちたしゃがれ声が響く。老婆の前へ出た種市は、その顔を見て形相が一変した。女は、おつるが6才の時に若い男と家を飛び出した別れた女房だった。20年前突然訪ねて来た母親の痩せた姿を案じ、おつるは母親と住みたいと言いだし、種市は一年限りの約束で許した。借財の形として、お蓮の亭主に金貸しのところへ無理矢理送られたおつるは、辱めを受けることを良しとせず自ら首を括って死んでしまったのだ。伊勢屋の使いが「診察先で倒れた源斉を伊勢屋に運び込んで休んでもらっている。食事を受け付けない源斉のために、口に合うものを作ってもらえまいか」との、主、久兵衛からの伝言を伝えた。年明けから悪い風邪が流行り、多くの患者を抱えて走り回ることになった源斉は、ついに過労で倒れたのだった。澪の作った粥だけは口に合うらしく、装った分を綺麗に平らげた。庭の柿の木に止まる鶯の下手な初鳴きが可笑しくて笑いを堪える澪の姿に、源斉は肩を揺らせた。そんな二人の様子を、庭越しに久兵衛がじっと見つめていた。如月の最後の三方よしの日、又次は澪に「今夜、翁屋の楼主、伝右衛門がやって来る。ある頼みごとをされるだろうが、断らずに受けて欲しい。あんたの為だけでなく、あさひ太夫のためでもあるんだ…」と言った。その夜、一人でやって来た伝右衛門は、お客たちが切り上げたあと、店主と又次、そして澪を前に「月が変われば弥生、吉原で弥生と言えば花見でございますよ。… 翁屋の上客を、高いばかりか、途方もなく不味い仕出しでもてなすのが、ほとほと嫌になった」と言い、澪に「翁屋で花見の宴の料理を作ってみる気はないか」といった。翁屋へ行ける。野江のいる翁屋へ。澪の心は定まっていた。あれこれとその日の料理を思い迷う澪に、ふらりとやって来た小松原は、去り際「料理で人を喜ばせる、とはどういうことか。それを考えることだ」さらりといい置いて、さっさと帰ってしまった。江戸町一丁目、翁屋。飯碗、汁椀、平腕、それらを載せる蝶足膳は常より大きく朱一色に塗られている。大きな膳を見たとき、澪は多くの品数の料理を一度に目にする喜びと驚きを思った。膳の上が花盛りになるのも花見の宴ならではと。せめてお客たちの反応を間近で見せてやりたいとの又次の配慮で、澪は前掛けを外すと最後に残った膳を運んだ。広間の中ほどには桜の太い枝が据えられ、部屋に居ながら花見の風情が感じられるように工夫されている。床の間を背にして二人、残る八人が左右に分かれて座り、すでに酒を酌み交わしていた。楼主の前に膳を置き、そのまま下がろうとする澪の袖を伝右衛門が見えないところでさっと押さえた。澪は一礼して部屋の隅に控えた。朱塗りの椀には白魚と黄色い菜の花。「畑にあらば小判に変わる菜の花を…。何という贅沢、何という極み」菜の花尽くしの料理に客が賛嘆の声を洩らす。宴の半ば、客人たちの前に置いた青白磁の茶碗に、遊女たちが熱い酒を満たしてゆくと、茶碗の中で八重桜が一輪、緩やかに花弁を広げてゆく。酒に酔った桜花は、なんとも儚げで美しく、且つ香りの芳しさ・・・。医者に化けた僧侶の祥雲だけが、酒に酔い「あさひ太夫とやら出て参れ、顔を見せよ」と言い、飛びかかった又次に憎悪の眼差しが向け「誰かある、誰か刀を持って参れ」と叫び、楼内は騒然となった。そのとき、眼前に大きな金扇、片手に桜の花枝を持った艶やかな遊女が滑るように近づき、すっと祥雲に桜の一枝を差し出した。そして、甘やかで、気高く、美しいその声で「咲く花を 散らさじと思ふ 御吉野の 心あるべき 春の山嵐」と詠んだ。その姿にどすんと腰が抜けたようにその場に座り込んだ祥雲に、最早騒ぎ立てる意思がないことを見て取ると、あさひ太夫は踵をかえして去った。「祥雲さま、お忘れなさいませ。これ以上、かかわりになられては、色々と差し障りが出て参りましょう」という声に、祥雲は項垂れ、供のものに支えられたまま帰って行った。伝右衛門が差し出した二つのご祝儀のうち、嵩の低い翁屋からのご祝儀だけ受け取った澪が、五両の小判を目にして「宴の料理を作っただけなのに、こんなに受け取れる道理がありません」というのに、伝右衛門は目尻に涙を滲ませながら大笑いした。そして「この吉原で料理屋をやる気はないか。…お前さんほどの腕があれば、年に八百、いや千両稼ぐことも夢ではあるまい」と言った。せめて三ノ輪まで送るという又次を断って、澪は大門前で又次と別れた。重い足取りで衣紋坂をのぼっていると「澪さん」と声がかかった。顔を上げると、この近くまで往診に来ていたという源斉が立っていた。卯月二度目の「三方よしの日」客が絶えた頃合い、勝手口からぬっと顔を出した小松原の表情が何処となく暗い。二人は禄に話もしないで黙々と蚕豆を食べ、笊一杯の蚕豆を食べ尽くすと、小松原は腰を上げた。去り際、唐突に「どんな菓子が好みだ」と問い、澪の「…煎り豆です」という返事に、そうかとだけ呟くと背を向けた。初夏を思わせる朝、つる家の一行は伊勢屋の美緒と共に、屋根付き船で浅草へ向かった。人混みの中に息子の佐兵衛を見つけた芳が、不意に鋭い声を上げ駆け出した。指差す先にその姿を見た澪は、突き飛ばされて転がり、足蹴にされながらも必死に追った。その男の姿を見失い、橋の欄干に凭れ途方にくれている澪の目の下を、佐兵衛らしき男を乗せた筏がゆく。大声で「天満一兆庵の若旦那さん」と呼び、顔を向けた男に「元飯田町のつる家だす。そこに御寮人さんも一緒に」と叫んだ澪は、その男の口が「つる家」と動いたのを確かに見た。指が元通りに動くようになるのか尋ね涙する澪に、源斉は、回復は難しいことを告げ、澪の手を取り、己の力量の無さを詫びた。その様子を襖の隙間から、美緒がじっと見つめていた。あんなに嫌っていた親の決めた番頭との婚礼を決めた美緒は「本当に良いの?」と問う澪に「あなたを嫌いになれれば良いのに。心から憎めれば良いのに」と答えた。御膳奉行、小野寺数馬は「嘉祥(かじょう)」の儀式に出す菓子を決めかね、思い悩んでいた。「煎り豆」という澪の笑顔が浮かび、思わず数馬の石臼を挽く手が止まった。「一体どの様な娘かと問う妹に「花にたとえれば駒つなぎ、食に例えるなら、この煎り豆よ」と答えた。そして「あれは根っからの料理人なのだ。あれと俺の人生が、母上やお前の案じるような形で交わることはあるまいて。いらぬ心配はいたすな」断ち切る口調で告げ、きな粉と水飴を練りはじめた。練り上げて丸く丸めた飴を、三本の指で摘まんで宝珠の形にした菓子に、妹の早穂に摺らせた砂糖をまぶす。数馬はもう一つ生地に抹茶を混ぜた菓子を作った。朱塗りの折敷に置いた宝珠型の菓子はふたつ。ひとつは黄、もうひとつは緑。ともに砂糖の白粉をはたかれて、澄ましながら寄り添う。「ひとくち宝珠」菓子の名はそれ以外にないだろう。好きな菓子を問われ、煎り豆と答えた娘。その下がった眉を想いながら、数馬はゆっくりと、ひとくち宝珠を味わった。
2015.07.06
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♤ みをつくし料理帖シリーズ4☆今朝の春・高田 郁(たかだ かおる)・角川春樹事務所・ハルキ文庫、2010年9月18日 第一刷発行神無月13日の三方よしの日、やって来た小松原は具合が悪いのか、目の周囲にむくみがあって表情も暗い・・・。その人は、大根と鯖の汁物を「うまいな」と平らげ、慌ただしく帰っていった。「一体どんな身分の方なのだろう…」想い沈む澪に、黙って二人の話を聞いていた又次がぼそりと言った。「…ありやぁただの浪士じゃねぇな、そして多分、料理にまつわる役職だろう。それも下っ端じゃねぇ、もっと上の方だ」と…。小野寺の身を気遣い、浮腫みに効くという箒草の実を懸命に洗う澪の前に立った御高租頭巾の老女は「何をしておる」と問うた。おずおずと「浮腫みのあるお客のために・・・」とこたえた澪に「五日後、首尾を尋ねましょう」と言い、約束の5日後にお忍びでやって来た。老女は、澪の作った箒草の料理を食べて涙し、小松原と名乗る男は自分の息子であることを明かした。澪の手をとり、かんで含めるようにゆっくりと言った。息子がどうやら気にかけている娘がいるらしいと知り、町人であっても釣り合う家の娘なら、とそう思うたのですが。日本橋伊勢屋の娘ならまだしも、何の後ろ盾もない、それも女料理人では話にならぬ。…武家の格式とはそうしたもの。なれど…と言い、澪の荒れたその手を柔らかな掌で優しく包み「精進を厭わぬ心ばえ、決めたことをやり通す芯の強さ、加えて心根の温かさ。そうそういる娘ではない。あれのひとを見る目の確かさを、今度ほど誇りに思うたことはない」といい、帰って行った。端から身分違いとして気持ちを断ち切ろうと決めた澪と、源斎への叶わぬ恋心を募らせる美緒…。同じ名を持つ二人の娘が、肩を寄せ合い寂しさに耐えながら見送る前を、慎ましやかな花嫁行列が通り過ぎて行った。又次が突然、こぼれ梅を届けに尋ねて来た。戯作者、清右衛門が卯吉の胸ぐらを掴み「お前の話す、あさひ太夫の身の上は、どれも偽りだらけではないか」と言う声を耳にした又次は、清右衛門の眉間を拳で打ち付け、女衒の卯吉の首を締め付けた…。「あなたを人殺しにしないで、と、野江ちゃんに頼まれたの。…」と必死でとめる澪の声に、又次の腕が緩んだ。騒ぎになる前に又次を逃がした澪は、卯吉に告げた。「今度あさひ太夫に関わったら今度は助けへん。私があんたを三枚に下ろしたるさかいに」。清右衛門の戯作が世に出たら・・・。野江の身を案じる澪は「旨い料理を考えたら、一つ褒美をやる…」と言った清右衛門の言葉に賭けようと決めた。澪の渾身の蕪料理を食べ終え「何を寄越せと言うのだ」と問う清右衛門に、澪は、あさひ太夫と自分が幼馴染みであること、12年前のあの水害からこれまでの、二人の身に起きたことの真実を、感情を交えず淡々と話した。清右衛門が、かつて、あの水害の後のむごい情景の中に身を置いた、その一事に縋りたかったのだ。長い長い沈黙の後、男は一言も発せず静かに部屋を出て行った。澪との約束を守り、書くことをやめた清右衛門の前で、両の手をつき、深々と頭を下げる澪に、清右衛門は「天満一兆庵の再建を果たし、見受け銭を用意して、お前があさひ太夫を見受けしてやれ」と告げ、からからと笑い声を上げながら部屋を出て行った。その道筋のあまりの遠さに胸が潰れそうになり、化け物稲荷の祠の前で、一心に祈る澪の耳に、その人の声が届いた。ーあれこれと考え出せば、道は枝分かれする一方だ。良いか、道はひとつきり、それを忘れるな、と言い切った時の表情までが鮮やかに蘇る。手を抜かず、心をこめて料理を作る。料理に身を尽くす生き方を貫こう。そうすることで拓ける道もきっとあるーそう信じて生きていきます。澪は心の中の男の面影に告げていた。年の暮れ、登龍楼と競うことになり、勝ちたいと思い悩む澪に、りうは「見返りを求めず、弛まず、一心に精進を重ねることです」と応えた。澪の作った「寒鰆の昆布締め」を食べたあと、どの客も押し黙り、一様に手を合わせて帰っていく。三日目に坂村堂と訪れた清右衛門すら、料理の名を問うただけで「滋味滋養」とだけ言い置いて帰って行った。三日間の競い合いを終え、澪の勝ちを確信して番付表を買いに行った種市がなかなか戻らない…。伊佐三が届けてくれた番付表の大関位には、果たして、登龍楼の名が大きく記されていた。皆の落胆振りを思うと、澪の胸は痛む。けれども、何故か気持ちは平らかで穏やかな気持ちだった。その夜は夢も見ずにぐっすり眠った。翌朝、せめて皆に美味しい朝餉を作ろうと襷をかけた。ふいに背後から声をかけられ振り返った澪の前に、見慣れた縞木綿の男が酒徳利を手に立っていた。「今年の料理番付だが、早くも異議を唱えるものが、版元に押しかけているそうだ。それほどまでに、つる家の昆布締めは、ひとの心を掴んだのだろう。傍らの娘をちらりと見て「だが、登龍楼は唐墨を出した。…公方さまさえ虜にする珍味中の珍味。…唐墨がどのようなものか下手に知識がある分、行司役や勧進元も登龍楼を勝たせるしかなかったはずだ」負けた澪を労い、慰めてくれているのだ、と澪は気付く。「料理の優劣よりもこの店に通い、美味しく料理を召し上がってくださるお客さんの方がずっと大事なのです」そうか、と静かに応える男の、澪を見る眼差しが温かい。そして、澪の身を気遣う優しい声をかけて、小松原は俎板橋を渡って行った。♣︎小松原いつもふらりとやって来て、澪に的確な助言を与える謎の侍。澪の想い人。実は、御膳奉行 小野寺の、世を忍ぶ仮の姿。
2015.07.04
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想い雲♤ みをつくし料理帖シリーズ3☆想い雲・高田 郁(たかだ かおる)・角川春樹事務所・ハルキ文庫、2010年3月18日 第一刷発行芳が昆布や鰹節を買うために売った珊瑚の簪を、種市が八方手を尽くして探し出し買い戻した。澪に料理を教えて欲しいと、坂村堂店主が連れてきた料理番は、元は天満一兆庵の料理人富三だった。「富三」と名を呼んだきり声を失った芳を、肝を潰した様な顔で見た富三は、ぱっと身を翻して裸足のまま飛び出して行った。翌朝、津村堂に諭され訪ねて来た富三は、芳に詫びをいい「若旦那の佐兵衛は吉原通いに明け暮れ、馴染みになった松葉という遊女を見受けしようとまでした。佐兵衛は、業病をうつした上に袖にしようとした松葉花魁を絞め殺し、行方知れずとなっている」と話した。話を聞いた芳は伏せってしまい、坂村堂店主の配慮で人手が足りなくなったつる家へ富三が手伝いにやってきた。富三が作った料理は客に不評で、あさひ太夫の使いでやって来た又次は、富三の料理を一口食べ食べるなり「包丁の手入れも出来ない料理人は碌なもんじゃねぇ」と言い切った。つる家の暑気払い料理は『土用「う」尽くし』酢締めのアジの卯の花和え、梅土佐豆腐、瓜の葛ひき、埋め飯。相変わらず不機嫌な顔で食べる清右衛門の隣で、泥鰌に似た坂村堂がこの上なく幸せそうに「うまい美味い」と食べている。佐兵衛捜しには軍資金がいると、芳を騙して簪を巻き上げた富三は、簪を売り払い、吉原で呑んで来たのだろう、酒の匂いをさせながら、何食わぬ顔で包丁を取りに来た。又次に嘘を見抜かれ問い詰められた富三は「世間知らずのぼんちの若旦那は、うかうかと騙されて、やってもいない女郎殺しに慄いて逃げ出してしもうた」といい、更に「二年前、白魚橋の袂で、釣り忍売りをしている佐兵衛とすれ違ったが死神が取り付いているようだった。生きているとは思われへん」と、捨て台詞を残して逃げ去った。忍び瓜や泥鰌汁、澪の料理を目当てに、源斉はこのところ度々つる家の暖簾をくぐる。その源斉に会いたい一心で伊勢屋の美緒が度々やってくる。ある日、突然訪ねて来た源斉は、翁屋の店主、伝右衛門に鱧の料理人捜しを頼まれ、咄嗟に澪の事が脳裏に浮かび引き受けてしまった。一緒に翁屋へ行って欲しいという。翁屋の楼主、伝右衛門は「女が作った料理など、この翁屋で出せる道理がない・・・」と激怒したが、彼が呼んだ料理人は誰も鱧を扱えず、渋々澪が料理することを了承した。出来上がった料理を一口食べた伝右衛門は「…よもや、たかが料理でここまで心を揺さぶられるとは……。」と言い、澪と源斉に頭を下げた。今宵は十五夜、以前のつる家の近くへ薄を取りに行った澪は、店のあとがどうなっているのか気になり立ち寄った。そこに建つ真新しい店を見た途端、我が目を疑った。そこには「つる家」の文字があり、店にいた男は、あの登龍楼を追い出された料理長の末松だった・・・。お台所町だけでなく、八ツ小路、福井町に下谷車坂町と、いずれも「器量よしの女料理人」を売りにした店が幾つも出来、つる家は客が減ってしまった。やがて、偽の「つる家」が、食中毒を出し、これでお客が戻ると喜んだも束の間、追い打ちをかける様に、ばったりと客足が途絶えてしまった。そんな折、伝右衛門が訪れ「澪が作った八朔の鱧は大変な評判で、来年の八朔にも同じ料理を作りに来て欲しい」と袱紗に包んだ礼を差し出した。澪は、袱紗包は受け取れないが、代わりに「月に何度か、料理番の又次さんをお借りしたたいのです」と頭を下げ、『お楽しみの日』を作ってお酒を出そうと思っていると話した。又次が月に三度、通ってくれることになり「三方よしの日」に因んで、三のつく日に酒を出すことにしたつる家は、また以前の賑わいを取り戻した。♣︎坂村堂=清右衛門が連れてきた版元♣︎富三坂村堂の料理番。元は天満一兆庵の料理人、佐兵衛とともに江戸へやって来た。♣︎永田源斉御典医・永田陶斉の次男、町医者
2015.07.04
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♤ みをつくし料理帖シリーズ・高田 郁(たかだ かおる)・ハルキ文庫(発行者:角川春樹)☆1.八朔の雪・2009年5月18日 第一刷発行幼馴染の、貧しい塗師の娘「澪」と、高麗橋通りに店を構える大店の娘「野江」。新町廊ゆかりの遊女たちが大切にしている「足洗いの井戸(花の井)」に、澪が誤って下駄を落としてしまった。青くなる澪に、野江は「怒られるんも、罰が当たるんも一緒屋」といい、自分の下駄を投げ入れた。遊女の引き舟にこんこんと諭されている野江を見た途端、高名な易者、東西の顔色が変わった。野江は「まさに天下取り。太閤はんにも勝る『旭日昇天』の相や」という。そして、澪の顔と左右の掌を見た易者は『雲外蒼天』の相だといい「可哀そうやがお前はんの人生には苦労が絶えんやろ。これからさき艱難辛苦が降り注ぐのは避けられない。けれど、その苦労に耐えて精進を重ねれば、他の誰も拝めない様な真っ青な澄んだ空を拝むことが出来る」と告げた。享和2年(1802年)7月1日、長雨で淀川が決壊、澪と野江の住む界隈では多くの死者が出た。淡路屋は店ごと流され誰も助からなかったとも、またお助け小屋にいた野江を親戚の人が引き取ったという噂もあった。8才の澪は塗師だった父親(伊助)に背負われて逃げる途中、母(わか)もろとも濁流に飲み込まれた。一人だけだけが生き残りふらふらと町を彷徨っていた澪は「天満一兆庵」の女将(芳)に救われ奉公することになった。最初は女衆として奉公した筈が、澪の天性の味覚を見出した店主(嘉兵衛)に言われて板場に入るようになって五年、これから本格的な修行をという矢先に、天満一兆庵が隣家からの貰い火で焼失してしまった。大阪の本店が火事で焼け店主の嘉兵衛は急死。女将の芳は澪と共に、江戸店を預かる息子の佐兵衛を頼るも、既に店は人手に渡り、若旦那の佐兵衛は行方不明になっていた。芳と二人、長屋に身を寄せ合う様に住む澪は、神田御台所町の蕎麦屋「つる家」の主人(種市)と出会い、店で働かせてもらう様になっていた。澪が作る上方料理屋の味はなかなか江戸の客には受け入れてもらえなかった。天性の味覚と負けん気で日々研鑽を重ねて生み出した澪の料理は、やがて江戸の人々に受け入れられ、賞賛される様になって行った。有名な料理屋の登龍楼に、味を盗まれたり、つけ火され「つる家」は全焼した。吉原のおいらん「あさひ太夫」は、上方の懐かしい料理を頼みに来た又次に「雲外蒼天」とのみ書かれた文と共に十両もの大金を包んだ袱紗包を託した。あさひ太夫が野江だと知った澪は、長屋の人達にも助けられ、年明け早々焼け跡に粕汁の屋台を出した。「酒粕汁」と名付けた澪の粕汁は初日から大繁盛となり、食材をかき集め松の内まで売り続けたところ大評判となった。そんな澪の姿を見た種市は、火事のあと寝込んでいたが、元飯田町俎橋の近くに「つる家」を再建すると告げた。♧主な登場人物♣︎澪(みお)♣︎芳(よし)元は大阪でも名の知れた料理屋「一兆庵」の女将。澪と共に長屋暮らし。♣︎野江(吉原「扇屋」の遊女、あさひ太夫)類い稀な美貌を持ち、旭日昇天の相があると言われた。元は、大阪高麗橋通りに店を構え、珍しい到来品などを扱う大店「淡路屋「の末娘。澪の幼馴染。♣︎又次あさひ太夫が信頼する、翁屋の料理人(賄い料理が中心)♣︎種市神田明神町の蕎麦屋「つる家」の主人。一人娘つるの墓参りの帰り、荒れ果てた稲荷神社の雑草を黙々と引いている、娘に似た澪を見かけた。♣︎永田源斉(ながたげんさい)神田旅籠町に住む医師。父、永田陶斉は御典医。♣︎小松原=つる家の馴染みの客「土圭の間の小野寺」と名乗るところを、偶然澪は聞いてしまったが、正体は不明。♣︎伊佐三、おりょう夫婦=長屋の隣人、太一=火事で親を亡くし、伊佐三、おりょう夫婦にもらわれた。☆2.花散らしの雨・2009年10月18日 第一刷発行元は神田明神町に在ったつる家は、付け火で焼失し、屋台店を経て、初午にこの地に移ったばかり。今度の店は一階が入れ込み、2階には小部屋が三つあり、周辺の侍がこっそり忍んで食べにくるのに重宝された。種市、芳、おりょうだけでは手が足りず、口入れ屋からの売り込みで、下足番の小女を住み込みで雇うことにした。やって来た娘は名を「ふき」と言い13才。澪は幼い頃の自分と重ね合わせて不憫に思い可愛がっていた。ところが、ふきがやって来てから、澪が吟味を重ねて考案した「春の精進揚げ」と「三つ葉づくし」を、相次いで登龍楼が先に売り出したのだ。朝早く訪れた澪に、口入れ屋は、悪びれずふきの身の上を話した。元は料理人だった父親が騙されて莫大な借金を背負い、その金を奉公先が肩代わりしてくれたものの、父親はその金を返そうと無理をして早死にしてしまった。心労から相次いで母親も死に、ふきは乳飲み子だった弟と共に借金を肩代わりしてくれた店に引き取られ、借金を返し終わるまで奉公を強いられることになったという。ふきはその料理屋が紹介して来たのだという。日本橋に在って、前身は煮売りやだったという料理屋・・・。「…登龍楼」澪が呟くと、口入れ屋がはっと顔色を変えた。澪は腹わたが煮え繰り返るような感情に耐え、俎橋の袂で泣いていたふきの心情を想い、心を決めた。三つ葉づくしの膳を食べ終えた清右衛門は、澪に「猿真似に怪我に付け火、か。散々な目に遭うておるな」と言い、更に「煮売り屋から名字帯刀までを許されるまでにのし上がった、采女宗馬はそんな下手な真似をしまい。采女の機嫌を取るために、下の物が仕出かしたことだろう」と話した。客のいない座敷に男の声が、店中によく通った。清右衛門を送り出し調理場に戻った澪に、種市は「今の客、物言いが何処となく小松原さまに似ちゃいまいか?」と言った。清右衛門の話を聞いたふきは「澪姉さん、ごめんなさい」と言うと、勝手口から飛び出して行った。ふきの行き先を追い、登龍楼の勝手口に立った澪の耳に平手打ちの音が聞こえた。飛び込んだ澪は「采女宗馬を呼びなはれ」と叫んだ。板場衆に羽交い締めにされながら、更に「恥を知りなはれ、采女宗馬。・・・」と捲し立てた。澪の話を聞き、事情を察した宗馬は、板長の末松に「二度と登龍楼の敷居を跨ぐことは許さん」と命じた。ふきに「弟に会いに来るのはかまわない。しかし奉公は許されますまい」と告げた。去り際に、澪に「小野寺さまとはどのような知り合いだね?」と問うた。「存じません」と答えた澪に、ぞっとするような冷徹な目をむけ立ち去った。俎橋の袂で、大きな徳利を後生大事に抱きしめた若い男が倒れていた。酒と思った野次馬を機転で追い払い店へ入れた。男の持っていたのは、相模屋の店主紋次郎が精進を重ねて作り出した特上の「流山の白味醂」だった。芳が書いた上方の料理屋への紹介状を胸に、留吉は、恩返しに澪の「こぼれ梅(味醂の絞り粕)」を約して帰って行った。清右衛門から、花見の時には素人女も吉原見物を許されるのだと聞き、澪は「野江に会えるかもしれない」と思った。野江が生きていること、その正体が「あさひ太夫」であることはは、周囲の誰にも打ち明けていなかった。折しも、料理を頼みにやって来た又次はあさひ太夫が怪我をしたと告げた。澪はあさひ太夫がいる翁屋の楼主、伝右衛門が源斉の患者だったを思い出し、源斉の住む表店に駆け込んだ。これまでの全てを告げ、あさひ太夫の様子を知りたいと乞う澪に「翁屋にとってあさひ太夫はただの遊女ではなく、生き神とも守り神とも思われているようです」とだけ話した。そんな折り、留吉が白味醂と約束の「こぼれ梅(絞り粕)」を持って訪ねて来た。澪は「この季節なら吉原へ入れるから、なんぞ手立てがあるのと違うやろか」という芳の言葉を背に、野江に食べさせたい一心で「こぼれ梅」を胸に吉原へ向かった。爽やかな胡瓜と柔らかく茹でた蛸を合わせた酢のものは「夏の蛸なんざ食うもんじゃねぇ」と言っていた江戸っ子も「ありえねぇほど旨ぇ」といい、客は勝手に「ありえねぇ」呼び好評だった。ところが、2階座敷の武士たちは、一様に酢の物には一切箸をつけなかった。久し振りにつる家に姿を見せた小松原が「蛸と胡瓜の辛子酢みそ和え」を、目尻に皺を寄せて美味しそうに食べる様子に、澪はたとえようもない幸せを感じた。そして生姜とキスが苦手だという小野寺の言葉に、澪は笑いが止まらなかった。そして、武士が胡瓜を食べないのは、切り口が葵の御紋に似ているからだと教えてくれた。後半、澪を恋仇と思い込んだ、源斉を慕う伊勢屋のひとり娘「美緒」も登場して、いよいよストーリーは新たな方向に進展する気配・・・。♣︎清右衛門口は悪いが、澪の料理を気に入って度々つる家を訪れる、江戸では名の知れた戯作者。♣︎采女宗馬登龍楼の店主。♣︎留吉流山、白味醂の製造元、相模屋の使用人。♣︎美緒日本橋本両替町、伊勢屋久兵衛のひとり娘♧巻末付録「澪の料理帖」に掲載されている料理・ほろにが蕗ご飯・金柑の蜜煮・なめらか葛饅頭・忍び瓜
2015.06.27
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☆銀翼のイカロス・池井戸 潤・ダイヤモンド社・2014年7月28日 第1刷発行・「週間ダイヤモンド」2013年5月18日号〜2014年4月5日まで連載された原稿に、加筆修正した作品・半沢直樹シリーズ 第4弾( 1.オレたちバブル入行組、2.オレたち花のバブル組、3.ロスジェネの逆襲 )東京中央銀行=旧・産業中央銀行と、旧・東京第一銀行 が合併して出来たメガバンク中野渡=頭取(産業中央銀行出身)半沢直樹=営業第二部次長 ( 〃 )渡真利忍(半沢の同期)=融資部企画グループ次長( 〃 )近藤直弼( 〃 )=広報部次長( 〃 )富岡=検査部かつて日本の翼とまで呼ばれた帝国航空も、資金不足という現実の前にいまや瀬戸際まで追い詰められていた。帝国航空が破綻すれば、東京中央銀行の債権500億は回収不能になる。中野渡頭取は難局を乗り切る役目を半沢に託した。危機感の無い帝国航空の経営陣は、半沢の示した再建案に耳を貸さずに切り捨てたものの、期待していた東京中央商事から出資見送りの通告を受け、有識者会議で承認された修正再建プランでの自主再建をスタートさせることとなった。ところが衆議院議員選挙で進政党が政権を取り、民放の人気女子アナだった白井が国土交通大臣に就任。彼女は憲民党政権時代に承認された修正再建プランを白紙撤回、大臣の私的諮問機関「帝国航空再生タスクフォース」なるものを立ち上げた。修正再建計画に沿って進めば自主再建は可能だとする半沢に対し、銀行に大幅な債権放棄を要求する再生タスクフォースは真っ向から対立した。外からは国家権力と言う圧力、内からは過去の不正融資を隠蔽しようとする旧東京第一銀行の派閥のトップ紀本常務の圧力と策略・・・。同期の渡真利忍、近藤直弼、先輩の富岡(調査部)の協力を得て、半沢はついに、進政党の重鎮である箕部啓治への不正融資の実態を暴き出した。白井国土交通大臣の後ろ盾だった箕部は離党。「再生タスクフォース」は空中分解、白井は大臣を電撃辞任してしまい、進政党政権は出だしから大きく躓くことになった。宙に浮いてしまった帝国航空の再建計画は、的場総理が企業再生支援機構に救済させるという苦肉の策を考え出した。最悪の事態から脱した東京中央銀行だったが、過去の不正融資の責任を免れることは出来ない。紀本常務は不正融資の責任を取り辞任。中野渡頭取は半沢の労を労ったのち、自ら頭取を辞任する考えを伝えた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・若さ故の激しさから多くの敵を作り出向した半沢でしたが「ロスジェネの逆襲」で、中野渡頭取の窮地を救いました。前作品は、ラストで出向先から営業第二部次長として東京中央銀行に戻ったところで終わっています。この作品では、頭取直轄の特命チームを率いてまたもや銀行の窮地を救っていますが、半沢のその後の処遇に触れることなく終わっています。中野渡頭取という後ろ盾が銀行を去ったのち、果たして半沢はどのような活躍をして頭取に上り詰めてゆくのでしょうか。作者が最後まで書いてくれることを、勝手に期待しています(*^^*) この作品でもあのオネエ言葉の金融庁の嫌われ者、黒崎駿一検査官も登場します。ただ今回は半沢との間に雪解けの気配が・・・。次の作品で二人がどの様な形で登場することになるのでしょうか、それも楽しみです。
2015.03.28
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☆のぼうの城・和田 竜・小学館・2007年12月3日 初版第1刷発行タイトルの「のぼうの城」とは、現在の埼玉県行田市に位置した成田氏の居城のこと。城代の成田長親を、百姓たちは「のぼう様」と、親しみを持って呼んでいた。「でくのぼう」の「のぼう」のこと。時は戦国時代末期、信長が本能寺で討たれは8年後の、天正10年5月(1582年)。秀吉は、ほぼ天下を手中に収めていた。天下統一を目指して残るは、関東の王、北条氏であった。北条攻めに出立するにあたり、秀吉は全国の大名たちに北条討伐の軍令を発した。そののち、秀吉は、石田三成、大谷吉継、長束正家を呼び、石田三成を総大将として「上州館林城」攻めを命じ、「武州忍城をすり潰せ」という下知を与えた。それは、ともすれば「武功もないくせに小才だけはきくことよ」と軽んじられる三成への秀吉の温情だった。忍城の城主成田氏長は既に秀吉に降伏しており、負ける筈のない戦だったのだ。それが、三成のその後の人生を決定付ける運命的な城となり、同時に武州忍城も、戦国合戦史上、特筆すべき足跡を残した城となった。忍城は、北条家の支城のうち、二万の軍勢を破り、水攻めまでをも打ち砕き、唯一落ちなかった城として後世に名を残すことになった。世の中で騒がれていた時は興味が無かったのですが、「村上海賊の娘」がとても面白かったのと、この作者の小説の書き方に惹かれて、続けて読んでしまいました。結果は私の期待を裏切らないストーリーでした。人物描写が巧みで、私にはどの登場人物も生き生きとストーリーの中で動き回っているように感じられましました。今日は図書館に返却に行き、ついついまた一冊借りてきてしまいました。
2015.03.02
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☆村上海賊の娘・和田 竜(わだりょう) 上・下巻・新潮社・2013年10月20日 初版発行・第35回 吉川英治文学新人賞受賞・第11回 本屋大賞受賞・作者は「のぼうの城」の著者。主人公は、能島村上家の娘、村上景(きょう)20才。登場人物の紹介欄に「海賊働きに明け暮れる、嫁の貰い手のない悍婦にして醜女 」とある。時は、天正四年(1576年 )織田信長が室町幕府最後の将軍、足利義昭を奉じて京に旗を立て、西に勢力を伸ばそうとしていた頃のこと。比叡山焼き討ちから5年、武田軍を粉砕した長篠合戦の翌年に当たる。信長と大阪本願寺の戦いは7年目を迎え、一向宗大阪本願寺の木津砦と、織田方の天王寺砦は一触即発の時を迎えていた。物語は、4月半ばから木津川合戦で勝敗が決する7月半ばまでの3ケ月間の話。大阪本願寺からの要請で兵糧を運んで来た村上海賊と毛利家の水軍。対する織田方は、真鍋海賊の若き当主 真鍋七五三兵衛(まなべしめのひょうえ)率いる泉州侍たち。木津川沖の大阪湾で、両軍の壮絶な戦いが繰り広げられた木津川合戦は、毛利方の勝利に終わった。使者から「敵方の村上海賊は、焙烙玉なる武器を投げつけ、味方の大船をことごとく焼き沈めた」との報告を受けた信長は、「ならば鉄の船がいるな」と、ぼそりと言った。☆その後の話(終章)木津川合戦から2年後、信長は、伊勢の海賊衆、九鬼嘉隆に命じて鉄張船を建造。毛利方の船団をことごとく打ち破り、木津川合戦で奪われた難波海(大阪湾)の制海権を奪い返した。木津川合戦から4年後の天正8年(1580年)、大阪本願寺の門主顕如は信長にその地を明け渡すが、息子の教如は信長に抵抗して寺に立て篭もるも、信長の圧迫に耐えきれず、寺に火を放ち、大阪本願寺は灰燼に帰した。その後、一向宗本願寺派は、現在の浄土真宗本願寺派(西本願寺)と、真宗大谷派(東本願寺)の二つに分裂した。天正10年(1582年)、信長は本能寺で自刃。1588年、秀吉は「海賊禁止令」を発し、村上海賊は瀬戸内における一切の海賊働きを禁じられ滅びた。( 1600年、関ヶ原の戦い )この小説の主人公である景(きょう)は、「萩藩譜録」によると、黒川五右衛門元康という男に嫁いだと記されているが、その後の消息は分からない。最後に作者は「この女も、思うさまに生きたと思いたい」と、締めくくっている。♣︎和田 竜1969年大阪生まれ、広島育ち。早稲田大学政治経済学部卒。2007年『のぼうの城』で小説家デビュー、同書は累計200万部(単行本と文庫)を超えるベストセラーとなり、2011年映画公開された(脚本も担当)。著書に『忍びの国』「小太郎の左腕』『戦国時代の余談のよだん。』があり、「村上海賊の娘』は小説第4作となる。( カバー裏面より )☆☆☆☆☆本の「帯」に「4年をこの一作だけに注ぎ込んだ凄みとと深み』と書かれており、巻末の参考文献の数たるや、数えて見たら84点有りました。書く以前に、これだけの数の文献に目を通すだけでも大変なこと・・・。上巻=474頁、下巻=499頁、合計=963頁。久し振りに読み応えが有る小説に出会えて、他の作品も読んでみたくなりました。
2015.02.10
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☆あの頃の誰か・東野圭吾・光文社文庫、短編集・2011年1月20日 初版第一刷★目次・シャレードがいっぱい・レイコと玲子・再生魔術の女・さよなら『お父さん』・名探偵退場・女も虎も・眠りたい死にたくない・二十年目の約束*あとがき・東野圭吾
2015.01.21
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虚ろな十字架・東野圭吾☆虚ろな十字架・光文社・2014年5月25日、初版発行11年前、当時広告代理店に勤務していた中原道正は、一人娘の愛美を強盗に殺害された。妻の小夜子が買い物に出たほんの少しの間の出来事だった。帰宅した自宅の周囲には黄色いテープが張り巡らされ、立ち入り禁止になっていた。彼は家にも入れず、パトカーに押し込められ、警察署に連れて行かれた。中原は娘の遺体に対面すらさせてもらえず、小夜子は取り調べのため一両日拘束する必要があるという。警察は「小さい子供が変死した場合、故意あるいは過失で、親が死なせてしまっていたというケースが珍しくない。真実を明らかにするためには、それ以外の可能性を潰しておく必要がある」というのだ。小夜子の拘束もとけ、ようやく愛美の遺体が戻され葬儀を行ったものの、二人が抱く気の遠くなる様な喪失感の行き場はどこにも無かった。小夜子への疑いは晴れたが、その後も刑事は度々やって来た。事件発生から9日目、全く別のところで起きた事件がきっかけで、犯人が逮捕された。強盗殺人罪で無期懲役の判決を受けていた犯人は、仮出所中の身だったという。裁判を通じて知ることになったその男を、中原と小夜子は許すことが出来なかった。中原と小夜子の執念が実り、死刑が確定した。裁判が集結すれば何かが変わるかと期待した二人だったが、何も変わらず喪失感が増すばかりだった。苦労して手に入れたマイホームも手放し、二人は別れた。それから11年後、叔父のあとを継ぎ、ペットの葬祭業を営む中原の前に、あの時の刑事が現れ「小夜子が殺害された」ことを伝えた。間も無く犯人が自首して逮捕されたが、警察は小夜子との接点を見つけられずにいた。親にも内緒で、出産したばかりの子供を殺害、青木ヶ原の樹海に捨てた二人の高校生。その後、女子高校生、井口沙織は、殺人を犯した自分は生きていく価値が無いと自分を責め続け、万引きを繰り返していた。そして相手の男子高校生、仁科史也は小児科の医師となり、偶然出会った自殺寸前の妊婦、花恵を救い結婚。生まれて来た子供を我が子として育てていた。小夜子を殺した犯人町村は、その花恵の父だった。殺人犯を死刑や無期懲役にしたところで、模倣犯として仮釈放された場合、働く場がないと又事件を起こす可能性が高いという。「殺人犯」という重いテーマを、加害者と被害者側から捉えた作品。
2015.01.13
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白馬山荘殺人事件・東野圭吾☆白馬山荘殺人事件・東野・光文社文庫・1990年4月20日、第一刷発行1年前、菜穂子の兄公一は、信州、白馬のペンション『まざあぐうす』で死んだ。ノイローゼによる自殺だとされたが、菜穂子にはあの兄が自殺したとは信じられなかった。毎年12月のこの日は1年前と同じ常連の顔ぶれが揃うと聞き、彼女は友人の真琴を誘って『まざあぐうす』に向かった。そのペンションでは公一だけでなく一昨年にも宿泊客が裏の谷に落ちて死亡しており、そして又今年も、宿泊客が谷に転落して死亡した。公一は、ペンションの各部屋に飾られたマザー・グースの歌に秘められた謎を調べていたと言う。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マザーグースについての知識も興味も無い私には、謎を追う説明についていけない上、ストーリーも無駄に複雑な様に感じられ、個人的な評価は星二つ★★
2015.01.07
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11文字の殺人・東野圭吾☆11文字の殺人・東野圭吾・光文社文庫・1990年12月20日 初版発行(2007年8月10日 44刷発行)*モノローグ 「無人島より殺意をこめて」たった一行の手紙を書き終えた「私」の心は深い憎しみに支配されている。ある日「誰かが僕の命を狙っているらしいんだ」と、女流推理作家の「あたし」に言った彼は怯えていた。「あたし」の問いに「心当たりがある」と答えた彼は、間も無く無残な姿で東京湾で浮いているのが発見された。恋人の死に疑問をもった「あたし」は、ヤマモリスポーツプラザが主催した「Y島へのクルージング・ツアー」と関係が有るのではないかと疑いを持った。そして担当編集者であり親友の冬子の協力で事件を調べ始めた。ツアーの参加者は、ヤマモリスポーツプラザの山森社長と妻、娘。インストラクターで有り社長の弟の石倉佑介などスポーツプラザの社員、カメラマンの新里美由紀、役者の坂上豊、竹本幸裕と古川康子、そして殺された河津雅之の11名だった。このツアーでは、フリーライターの竹本幸裕が事故で死亡、古川康子は行方が分からなかった・・・。最初に河津雅之、そして「あたし」が話を聞こうとした新里美由紀、そして坂上豊・・・、次々とツアーのメンバーが殺されていった・・・。*モノローグ「私」の正体を知ったとき「ごめんなさい」と言ったあの女は、ふわりと崩れ、後は醜い塊になった…。「やはりこの女も、真の答を知っていたのだ」・・・・・・・・「私」の憎しみは消えない。・・・・・・山森社長の提案で、Y島へのクルージングツアーに出発した。参加者は、残っている最初のツアーの参加者の他に、ツアーのメンバーに名前が無かったスポーツプラザの社員志津子、「あたし」、冬子。そのY島で、最初のツアーに参加していなかった冬子が崖から突き落とされて殺害されてしまった。なぜ冬子が殺されなければならなかったのか・・・。行方が分からない古川康子とは一体何者なのか・・・。そして、一体、犯人は誰なのか・・・。次男が、自分が読み終わった東野圭吾の文庫本ばかり 5~60冊持って来ました。読み終わった本もかなり含まれていますが、図書館には置いていない本も多く、当分東野ワールドから離れられそうに有りません・・・。それにしても、東野圭吾と言う人は一体何冊出版しているのでしょう。その上、主人が、昨秋出版されたばかりの新刊本を図書館から借りてきました。いつになったら読み終わるのか、永遠に読み終わらないのではないかという錯覚にすら囚われています。
2015.01.05
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十字屋敷のピエロ・東野圭吾☆十字屋敷のピエロ・東野圭吾・講談社文庫・1992年2月15日 第一刷発行( 1989年1月、講談社ノベルスとして刊行 )★あらすじ2月10日、土曜日。竹宮水穂は、伯母である竹宮頼子の49日の法要に出席するため、十字屋敷を訪問した。出迎えた佳織は、母がバルコニーから飛び降りて死んだと言い、父の宗彦から頼子が仕事の事でノイローゼだったと聞かされたと話した。悟浄真之介と言う人形作家が、頼子が買った「悲劇のピエロ」を買取りたいと訪ねて来た。人形は彼の父が作ったもので、持っている人に不幸を呼ぶと言い伝えがあると言う。父親は彼に、何とか取り戻して処分してくれる様言い残して死んだと話した。その夜行われた晩餐会には、頼子の母・静香、夫・宗彦(新社長)、一人娘・佳織、妹・竹宮琴絵と娘の水穂、妹・近藤和歌子と夫の勝之( 取締役)、従兄弟・松崎良則( 取締役 )、青江仁一(下宿生)、永島正章(出入りの美容師)、梅村鈴枝(家政婦)、家族や縁者が十字屋敷に集まった。そしてピエロの人形も・・・。晩餐会の翌朝、家政婦の鈴枝が、地下のオーデオルームで宗彦と三田理恵子の死体を発見した。複雑に絡む人々の思惑と欲と利害関係。犯人は一体誰で何のために殺したのか。警察の調べが難航する中、独自に事件を調べていた青江が殺害された。文中には、頼子が死んだ日も次の事件が起きた部屋でも、事件の推移をじっと見ていたピエロの述懐が挿入されてます。やがて犯人たちの動機と実行犯が明らかになり、水穂は自分がこの屋敷を去る日が来たと気付く。けれど、水穂に協力して事件を独自に調べていた悟浄は、影で犯人たちを操っていた真犯人の存在に気づく・・・。自分の推理を水穂に告げたあと、悟浄は「しかし、何の証拠もない」と呟くようにいい、水穂とは反対方向に向かう電車に乗りこんだ。やがてやって来た電車に乗り込むとき、振り返った水穂の視線の方向には十字屋敷がある筈だった・・・。
2014.12.27
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あの頃ぼくらはアホでした・東野圭吾☆あの頃ぼくらはアホでした・東野圭吾・集英社文庫・1998年5月25日 第一刷発行★目次*中学時代・球技大会は命がけ・消えたクラスメイト・『したことある者、手を挙げてみい』・剃り込み入れてイエスタデイ・ワルもふつうもそれなりに・油断もスキもない・つぶら屋のゴジラ・「ペギラごっこ」と「ジャミラやぞー」・俺のセブンを返せ*高校時代*・更衣室は秘密がいっぱい・幻の胡蝶蹴り・僕のことではない・読ませる楽しみ 読まされる苦しみ・何かが違う*浪人を経てF大学工学部電気工学科合格 〜 就職活動顛末記・やっぱり門は狭かった・あこがれの慶応ボーイやでえ・あの頃ぼくらは巨匠だった・残飯製造工場・嗚呼、花の体育会系・芸のない奴、ゲロを出せ・似非理系人間の悲哀・恋に恋する合コン魔・恒例の儀式・アホは果てしなく*特別対談*怪獣少年の逆襲・金子修介vs東野圭吾
2014.12.20
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浪花少年探偵団 & しのぶせんせにサヨナラ ・ 東野圭吾☆浪花少年探偵団・東野圭吾・講談社(文庫本)・1991年11月15日 第一刷発行★目次・しのぶせんせの推理・しのぶせんせと家なき子・しのぶせんせのお見合い・しのぶせんせのクリスマス・しのぶせんせの仰げば尊し★解説・宮部みゆき★登場人物♣︎竹内しのぶ大阪市生野区大路小学校、6年5組担任。25歳、独身。短大を卒業し大路小学校の教壇に立って5年経つ。二人姉妹の姉で、両親と共に大阪に住む。父親は某家電メーカーの工場長で、妹はそこでOLをしている。作者によると、ちょっと見は丸顔の美人だが、大阪の下町で育ったせいで言葉は汚く、身のふるまいは万事がさつで繊細のかけらもない。♣︎新藤大阪府警捜査一課刑事。身長180cm、独身。しのぶにプロポーズするも、2年間大学で教育について勉強するために内地留学するからという理由で断られる。♣︎漆崎大阪府警捜査一課刑事。身長160cm、新藤の上司。♣︎本間 義彦豊中市にある産業機械の大手メーカーの子会社「K工業」社員。東京の営業所にいたため標準語。しのぶの見合い相手で、新藤とは恋敵。♣︎田中鉄平しのぶが担任する6年5組の生徒。続編では中学2年生♣︎原田 郁夫しのぶが担任する6年5組の生徒。続編では中学2年生・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆しのぶセンセにサヨナラ(浪花少年探偵団・独立編)・講談社(文庫本)・1996年12月15日 第一刷発行「浪花少年探偵団」の、2年後の話。★目次・しのぶせんせは勉強中・しのぶせんせは暴走族・しのぶせんせの上京・しのぶせんせは入院中・しのぶせんせの引っ越し・しのぶせんせの復活★解説・西上心太・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・生野区管内で事件が起きると、刑事の新藤と漆崎、そして何故か竹内しのぶ、鉄平と郁夫も加わって事件の解決に協力する。軽やかな大阪弁が飛び交う、読んでいて心地よいお話・・・。現実にはこんな事有り得ないよね、と思いつつも、東野ワールドにどっぷり浸かってしまいました。特に、宮部みゆきが「大阪弁への思い?憧れ?」を書いている解説が面白い。
2014.12.07
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ウィンクで乾杯・東野圭吾☆ウィンクで乾杯・東野圭吾・祥伝社文庫・1992年6月1日 第一刷発行 ( 1988年10月、祥伝社発行、ノンノベル「香子の夢」から改題 )♧バンビバンケット=コンパニオンの派遣会社♣︎丸本久雄=社長本人によると、死んだ絵里は自分の愛人だったという。会社設立時の資本金の出処が不明。♧華屋=銀座にある、日本でも指折りの宝石店♣︎西原正夫=社長♣︎西原昭一=副社長、正夫の長男♣︎西原健三=正夫の三男、周囲からバカ息子と噂されている。♧高見不動産♣︎高見雄太郎=元社長、絵里の恋人伊藤耕一により殺害される。♣︎高見俊介=専務、雄太郎の甥、香子の憧れの人。叔父の死に疑問を持ち、手がかりを得ようと香子に近づく。♣︎小田香子バンビバンケットに所属するパーティコンパニオン。絵里の先輩。警察が自殺だと見ている絵里の死因に納得出来ないでいる。♣︎牧村絵里香子の同僚。華屋のパーティの後、コンパニオンの控室だったホテルの部屋で死んでいるのが発見された。死因はビールに混入した青酸カリによる中毒死。第一発見者の丸本社長は、絵里は自分の愛人だったという。部屋は密室状態で、警察は自殺と見ている。♣︎真野由加利親友だった絵里の死因に疑問をもち、バンビバンケットに移って来た。香子と協力して絵里の死因を調べはじめたが、香子の留守電に「重大な相談ごとあり、今夜開けておいて」というメッセージを残したままマンションの自室で殺害されてしまった。♣︎芝田刑事香子のマンションの隣人、絵里の事件を担当する本庁捜査一課の刑事。香子と協力して事件を調査。♣︎伊藤耕一牧村絵里の恋人。画家。高見不動産元社長、高見雄太郎の殺害犯。「絵里ちゃん、君と一緒にビートルズを聞けて幸せだった」と言う遺書を残し自殺。恋人の絵里に残された伊藤耕一の遺品であるビートルズのテープの裏に、高見雄太郎を殺害するに至った詳細なメッセージが残されていた。「金が欲しかった自分を唆して高見雄太郎を殺害させた者は、ヒガシと言う目つきの鋭い男と、ツブラヤという男だ。ヒガシが華屋に入って行くところを偶然見たことがあるが、その時の店員の様子から「華屋」では偉い人かもしれない。ツブラヤは何者か分からないが、30代後半のいつもヒガシのそばにいた、長くのっぺりした顔の男だ」果たして、ツブラヤとヒガシとは一体誰なのか・・・。
2014.11.02
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☆マスカレード・イブ-東野圭吾・集英社文庫・2014年8月25日、第一刷発行・初出 それぞれの仮面、「小説すばる」2013年2月号 ルーキー登場、「小説すばる」2013年7月号 仮面と覆面、「小説すばる」2014年2月号 マスカレード・イブ、書き下ろし・先に出版された「マスカレードホテル・2014.1.11の日記」に登場する、新田浩介と山岸尚美が出会う前の、それぞれの物語。♣︎山岸尚美ホテル・コルテシア東京、フロントクラーク。入社4年目。大学時代、映画研究会に所属していた尚美は、「グランドホテル」と言う映画に出会った。そして、人生のごった煮みたいなものを、毎日変わらず受け入れているホテルという場所に憧れを抱いた尚美は、卒業後、ホテル・コルテシア東京に入社した。コルテシア・大阪がオープン時には、教育係として、数ヶ月間フロントクラークを務めた。♣︎新田浩介警視庁捜査一課刑事。両親と妹は、シアトル在住。父は、日系企業の顧問弁護士をしている。2年余りをロスアンゼルスで過ごし、高校から帰国。父親が「刑事事件を扱うなんて一番割の合わない仕事だぞ」と呆れられながらも、警察の仕事に興味があった彼は法学部に進んだ。彼は、昔からミステリが好きで、知能犯との対決を夢見てきた。父の勧める弁護士では犯人と戦えない。♧目次とあらすじ*それぞれの仮面(山岸尚美の巻)ホテル・コルテシア東京のフロントクラーク、山岸尚美の前に現れた、昔の恋人、宮原隆司は、元プロ野球選手の芸能マネージャーをしていた。*ルーキー登場(新田浩介の巻)ホワイトデーの深夜、ランニングに出かけた夫が帰らないと、田所美千代という女性から電話があった。美千代の夫、田所昇一は刺殺体で発見された。現場に落ちていた吸い殻を不審に思った新田浩介の調べから浮上した犯人の男性は、美千代の料理教室の生徒だった。*仮面と覆面(山岸尚美の巻)ホテル・コルテシア東京、フロントクラークの山岸尚美に、一橋出版の編集者望月は、彼が予約を入れた宿泊客は玉村薫という男性作家で、缶詰めで執筆中だという。そして、彼は28才の美人女性作家タチバナサクラの覆面作家で、このことを絶対に秘密にして欲しいと依頼した。ふとした事から、望月も知らないタチバナサクラの真の姿を知った尚美だったが、娘を守ろうとする父親の心情を知り「お客様の仮面(覆面)を守るのは私たちの仕事ですから」と答えた。そして、数年後に玉村薫が覆面を脱いだ時、編集者の望月はどんな顔をするだろうと想像すると楽しくなった。*マスカレード・イブ(新田浩介&山岸尚美の巻)八王子署管内にある大学で理工学部の教授が殺害されているのが発見された。通報があったのは10月5日の10時頃だが、殺害されたのは前日の4日で、部屋に鍵がかけられていたため発見が一日遅れた。捜査線上に浮かんだ、同じ大学の准教授である容疑者は、学会に出席するために京都に行っていたという。彼の5日のアリバイは完璧だったが、何故か4日の宿泊先を明かそうとしない。何故宿泊先を秘密にするのか、そして何故殺害された日にちに拘わるのか・・・。容疑者はコルテシア・大阪に宿泊していたことが判明、新田は聞き込みに新米の女性刑事、穂積を向わせた。穂積がホテルのフロントクラークからもらったヒントがきっかけになって事件は解決した。そのフロントクラークの氏名を聞いた新田に、穂積は「女と女の約束だから答えられない。美人ですよ。いつか会えるといいですね」と答えた。ー顔も名前も分からない、ホテル・コルテシアの優秀なフロントクラークのことは、新田の記憶に残った・・・( 多分 )。
2014.09.20
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☆ペテロの葬列・宮部みゆき・集英社・2013.12月25日、第一刷発行・杉村三郎シリーズ・2・「誰か」2005年8月20日に光文社 の続編(既読)。「名もなき毒」と言うタイトルでドラマ化 された。♣︎杉村三郎青空書房に勤めていた三郎は、菜穂子と知り合いプロポーズ。彼女は、プロポーズを受け入れたあと、自分が今多コンツェルングループ会長・今多嘉親の娘で有ることを打ち明けた。嘉親が提示した菜穂子との結婚を認める条件は、青空書房を辞め、今田コンツェルングループの社員となることで、杉村に与えられた職場は、会長直属のグループ広報室だった。亡くなった菜穂子の母は嘉親の愛人で、菜穂子は父や兄から大事にされているものの、娘婿である三郎には将来の出世の保証は無かった。家族は、妻の菜穂子と一人娘の桃子(1年生)の3人。以来10年、この分不相応な結婚に当初から反対し、絶縁すると宣言した杉村の両親とは、時々兄から連絡がある他は絶縁状態が続いている。♧前作の「誰か」今多嘉親の専属運転手、梶田が自転車に跳ねられて死んだ。杉村は、嘉親に梶田の娘たちに協力して事件のことを調べるよう依頼された。☆あらすじ広報室の園田瑛子編集長と杉村は、かつて今多コンツェルンの取締役だった森信宏が住む、房総半島の海辺の別荘地に有る「シスター房総」に向かっていた。最後のインタビューの帰途、二人が乗った「しおかぜライン」と言うバスが、拳銃を持った犯人にバスジャックされた。犯人は佐藤一郎と名乗る老人で、人質となったのは、運転手の柴野和子と6人の乗客。犯人の要求は「指名した三人を、1時間以内にこの場に連れてくること」だった。そして犯人は三郎たちに向かい、迷惑をかけた代償として後日、宅急便で賠償金を支払うと言い、既に有る人に依頼して有るという。その間、彼はひ弱そうな外見でありながらも巧みな弁術で人質たちの心を掌握していた。約束の期限である1時間が経過したとき、突然下から突き上げる様な揺れの後、バスの床の点検口の上蓋が吹っ飛び、大音響が響き、視界が真っ白い光で溢れた。犯人はその場で拳銃で自殺、人質は解放された。賠償金を当てにしていた人も、犯人が死んだことで諦めていた矢先に、本当に宅配便が届いた・・・。犯人の真の目的は何だったのか、そして老人は何者だったのか?今多会長の特命を受けて事件を調べていた杉村は、背後に大規模な企業ぐるみのサギ事件が絡んでいることを知った。佐藤一郎と名乗った犯人は、本名を羽田光昭といい、詐欺事件の背後で社員を教育する、優秀な「トレーナー」だったことが判明した。事件は全て明らかになり、普通ならこれでストーリーが終了する筈が、この話には続きがあった。杉村は、妻の菜穂子が不倫をしていたことを、以前、編集室に在籍していて杉村に反感を抱く井出正男から告げられた。信じられず呆然としている杉村に、菜穂子は「・・・あなたは優しくて、本当に本当に優しくて、だからどんどん遠くなってた。あなたに、あなたの人生を返したい。私が取り上げてきたものを、全部あなたに返したい。あなたを解放したい。別れたくない。だけど、あなたにあなたの人生を返すためには、離れなくちゃ・・・」と言って杉村の前から去って行った・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・盛り沢山の内容で685ページの大作でありながら、読み終わったあとには何も残りませんでした。はっきり言って詰まらなかったです。つい先日、同名のテレビドラマが最終回だった様ですが、果たして面白かったのでしょうか?宮部みゆきさんの小説は、時代ものからミステリーまでかなり範囲が広いのですが、出来不出来にかなりバラツキが有る様に思います。残念ながら、私の評価は「☆☆」、おまけでも「☆☆☆」です。
2014.09.15
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☆怪笑小説・東野圭吾・集英社文庫、短編集・1998年8月25日、第1刷発行♧目次鬱積電車、おっかけバアさん、一徹おやじ、逆転同窓会、超たぬき理論、無人島大相撲中継、しかばね台分譲住宅、あるジーサンに線香を、動物家族*あとがき、*解説・真保裕一・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆毒笑小説・東野圭吾・集英社文庫、短編集・1999年2月25日、第1刷発行♧目次誘拐天国、エンジェル、手作りマダム、マニュアル警察、ホームアローンじいさん、花婿人形、女流作家、殺意取扱説明書、つぐない、栄光の証言、本格推理関連グッズ鑑定ショー、誘拐電話網、*巻末特別対談、京極夏彦vs東野圭吾・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆黒笑小説・東野圭吾・集英社文庫、短編集・2008年4月25日、第1刷発行♧目次もうひとつの助走、線香花火、過去の人、選考会、巨乳妄想症候群、インポグラ、みえすぎ、モテモテ・スプレー、シンデレラ白夜行、ストーカー入門、臨界家族、笑わない男、奇跡の一夜、*解説、奥田英朗・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆歪小小説・集英社文庫・2012年1月25日、第1刷発行 初出「小説スバル」、2011年3月号〜11月号☆あらすじと読後感中堅の出版社「灸英社」の「編集者」と「売れない作家たち」の、大小様々な「賞」を巡る悲喜こもごもを描いた小説。登場する小説家たちの小説家としての経歴、受賞歴、既刊の架空の小説など、恰も実存するかの如く緻密に作り上げられている異色の小説。小説という形を取ってはいますが、何やら、原作者である東野圭吾本人の、編集者や出版業界全体、そしてお金を出して買ってくれない読者への日頃の恨みつらみ(?)が見え隠れしている様に感じられたのは思い過ごしでしょうか。 ・・・。♧登場人物♣︎獅子取:書籍出版部編集長。型破りの発想を持ち、伝説の編集者といわれている♣︎小堺:編集者♣︎青山:新人編集者♣︎熱海圭介:小説家、作品=撃鉄のポエム、狼の一人旅、銃弾と薔薇に聞いてくれ〜撃鉄のポエム2♣︎唐傘ザンゲ:小説家、作品=虚無僧探偵ゾフィー、煉瓦街諜報戦術キムコ、魔境隠密力士土俵入り♣︎その他の小説家:大凡圴一、青桃源十郎、腹黒元蔵、古井蕪子、大川端多聞、寒川心五郎
2014.09.03
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☆おれは非情勤・東野圭吾・集英社文庫・2003年5月25日、第1刷発行・5年の学習、6年の学習、学習・科学に掲載された作品を、加筆して文庫化した作品☆目次1.6×32.1/643.10×5+5+14.ウラコン5.ムトタト6.カミノミズ放火魔を探せ幽霊からの電話☆あらすじ主人公=「おれ」、25才の男性。ミステリー作家になるのが夢で、執筆時間を確保するために小学校の非常勤講師をしている。体育館で女性教師の死体が発見された。いじめ、盗難、自殺?、脅迫・・・。赴任先の小学校で次々と起こる事件を次々と解決していく。クールを自認しているが、生徒達を見る目線がとても暖かい・・・。
2014.08.09
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☆緑の毒・桐野夏生(きりの なつお)・角川書店・2011年8月31日、初版発行・初出野生時代、2003年12月号〜2010年10月号 小説野生時代、2011年1月号〜2011年5月号☆あらすじ♣︎川辺康之39才、開業医。公立病院勤務の妻有り。妻の帰りが遅い水曜日、川辺は、スタンガン、セレネースの入った液瓶と注射器を入れたリュックを背負い、自慢のビンテージ・スニーカーに黒づくめの服装に身を固め、出かける。その夜の獲物(一人暮らしの若い女性)を求めて・・・。彼は遺留品も残していないし絶対に捕まる筈が無い、とタカをくくっていた。ところが、5番目の被害者が「身近で起きる犯罪を告発しよう・はんざいネット」というサイトに体験を書き込んだことから、被害者同士が繋がり始めた。密告者から川辺の犯行と正体を告げられた妻のカオルは、彼のパソコンに残された画像から夫の犯行の全容を知った。そして、川辺の正体を知った彼の病院の看護師たち・・・。本人だけが知らぬ間に、じわじわと彼は包囲されていた。
2014.08.03
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☆夢幻花(ムゲンバナ)・東野圭吾・PHP研究所・2013年5月2日、第一版第一刷発行・初出、月刊誌「歴史街道」2002年7月号〜2004年6月号の連載をもとに書き下ろした作品夢幻花(ムゲンバナ)=幻覚作用をもたらす植物の総称。黄色い花を咲かせる種類の朝顔には、強力な幻覚作用があるという。自白剤として利用出来ないかと考えた警察は、ある医学者に研究を依頼したが、あまりにも危険性が高いことが判明し、その研究は打ち切られた。以来、黄色い朝顔は栽培されることは無くなった。黄色い朝顔が姿を消したことから、種も消失したものと思われていた。ところが、厳重に保管されていた筈の黄色い朝顔の種が、様々な事情から外部に出てしまい、密かに栽培されていた。流出した種は、警察から研究を依頼された医学者の伊庭が保管していた物だった。東京オリンピックを2年後に控えたある日、日本刀を持った男が若い夫と1才の娘を抱き見送りに出たその妻、そして行きずりの人々を襲うと言う事件が起きた。4人が死亡3人が負傷し、犯人の田中和道(30才)は自殺した。両親を一度に失った1才の娘の志摩子は生き残った。事件当時エリート警察官だった蒲生意嗣は、黄色い朝顔の秘密を知ることになった。第2、第3の田中が出てくるのを防ぐのが自分の使命だと考えた彼は、その監視活動を息子にも命じた。ある時期から情報を共有し、協力することになった蒲生家と伊庭家。そして生き残った娘の志摩子とその息子・・・。「負の遺産」を受け継いだ、黄色い朝顔を巡る家族の3代に亘る話・・・。☆黄色い朝顔のこと小説の中では「江戸時代には、鮮やかな黄色い変化朝顔が存在したが、幻覚作用の弊害があるため現在は栽培が途絶えている」という風に書かれていました。実際に存在したのか気になって調べてみました。九州大学にある研究室の「アサガオホームページ」に掲載されている「画像カタログ」の中に、菜の花の様な鮮やかな黄色い花を見つけました。(↓下段にリンクを貼って置きますので、よろしかったらご覧ください)但し、画像は、葉や花の形から見て「西洋朝顔」ではないかと思います。国立大学法人 九州大学大学院 理学研究院生物科学部門 染色体機能学研究室 ⇒ アサガオのホームページ ⇒ 画像カタログ大型 21ページ ⇒ 111-0005調べて行くうちに、2012年7月22日の日本経済新聞、サイエンスのページに掲載された記事によると、同じ九大の研究室で「月宮殿」という「「黄色い朝顔」を開発したという記事と一緒に掲載された写真の朝顔は、黄色というよりクリーム色だったそうです。☆その他、こちらのブログでも、黄色(クリーム色)の朝顔の写真を掲載していらっしゃいます。 ⇒CAMUSの雑想ノート → 開花状況2012 〜其の6〜
2014.07.11
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☆私が彼を殺した・東野圭吾・講談社文庫、2002年3月15日、第一刷発行・講談社ノベルス、1999年2月、講談社ノベルス・初出、小説現代増刊号、1997年9月~98年5月号♣︎神林貴弘(兄)量子力学研究室助手。実の妹の美知子に対して異性としての愛情を強く抱いている。♣︎神林美知子(妹)貴弘の妹、詩人、26才、穂高の婚約者。二人の両親は、交通事故で死亡。夫々別の家に預けられた兄妹は、15年間別々に暮らしたのち一緒に暮らしている。文中、兄に向って「兄との暮らし(禁断の愛)を断ち切るために結婚という道を選んだ」と言わせ、穂高との結婚が純粋な愛情からとは思えない。♣︎穂高 誠脚本家、小説家、30代後半。美知子の結婚相手。美知子との結婚は、彼女が売れっ子の詩人だからだという。最初の妻とは離婚。過去に、浪岡準子、雪笹香織とも関係があり、妊娠させていながら捨てている。結婚式の当日、鼻炎薬のカプセルに詰められた薬物により殺害された。♣︎駿河直之穂高事務所を運営、穂高のマネージャー。浪岡準子を愛しながらも躊躇している内に、穂高にさらわれてしまう。♣︎雪笹香織出版社勤務、有能な編集者。いち早く、美知子の詩人としての才能を見抜き世に出す。穂高からのプロポーズを待ち望んでいたが、皮肉なことに、美知子の出現により3年続いた穂高との関係に終止符を打つ結果となった。♣︎浪岡準子穂高の元恋人。穂高の子を妊娠するも捨てられる。穂高の結婚式前日、穂高邸の庭で自らカプセルに詰めた毒を飲み自殺。残りの毒入りカプセルを持ち出し、穂高に飲ませ、殺害したのは誰か?♣︎加賀恭一郎捜査一課刑事☆あらすじ結婚式の当日、花婿の穂高が、鼻炎薬のカプセルに詰められた毒薬を飲み死亡。彼に、その毒入りカプセルを飲ませたのは誰か・・・。穂高に殺意を抱く、駿河直之、雪笹香織、神林貴弘、三人の述懐を交互に組込む形で、ストリーが展開して行く。読者は、読み進む内に、三人には穂高を殺害するに十分な動機とチャンスが有ったことを納得させられる。その三人宛に、穂高の初七日の法要の案内電報が届いた。当日、穂高家のリビングに集まったのは、駿河直之、雪笹香織、神林貴弘の他に、案内を出した美和子、そして加賀恭一郎の五人だった。夫々の話を聞き終わったあと、加賀は「犯人はあなたです」と言って、出席者のひとりを指指す・・・。そこで終わり。普通に考えれば、犯人は三人の内の一人である、駿河直之。けれど、作者はもう一捻りした結末を用意していたのでは?犯人は、三人の他にいるのでは?純粋に穂高に愛情を抱いての結婚とも思えない、美和子の微妙な女性心理を推察するに、犯人は美和子かも・・・σ(^_^;)見事、犯人探しの迷路にはまり込んでしまいました。私にとって「どちらかが彼女を殺した」に続き、この一冊は、加賀恭一郎シリーズの、記念すべき最後の一冊でした。それなのに、それなのに、最後の最後に東野さんはなんと言うことをしてくれたのでしょう!もし、この小説を読まれた方が、私と同じ様な迷路にはまり込まれたら、本のタイトルと作者名で検索して見て下さい。必ず、回答が見つかる筈です。☆東野圭吾*加賀恭一郎シリーズ 1.卒業 2.眠りの森 3.どちらが彼女を殺した 4.悪意 5.私が彼女を殺した 6.嘘をもう一つだけ 7.赤い指 8.新参者 9.麒麟の翼 10.祈りの幕が下りる時
2014.07.05
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☆どちらかが彼女を殺した・東野圭吾・講談社文庫、1997年7月15日、第一刷発行・講談社ノベルス、1996年6月・加賀恭一郎シリーズ♣︎和泉園子電子部品メーカー東京支社販売部勤務♣︎佃 潤一画家を目指すも断念、父親が経営する大手出版社勤務。園子の元恋人♣︎弓場佳世子 園子にとっては、一番心を許せる、高校時代からの友人、だった。♣︎和泉康正園子の唯一の肉親である兄。警察官。豊橋警察署交通課勤務。♣︎加賀恭一郎東京練馬警察署、巡査部長。☆あらすじあれから数日が経ったが、心の傷が癒える筈がない・・・。園子は、無性に兄の顔が懐かしかった。金曜日の夜、園子は電話に出た兄の廉正に、「信じていた相手に裏切られちゃったんだ。お兄ちゃん以外、誰も信じられなくなっちゃった。あたしが死ねば一番いいんだろうと思う・・・。明日、帰れたら帰る」と言って電話を切った。翌日も翌々日も、園子は待ち侘びる廉正の前にとうとう姿を現さなかった。月曜日の朝名古屋を経ち、廉正が、練馬署管内にある園子のマンションに駆けつけた時、園子は既に死んでいた。二本のコードを胸と背中に貼り付け、タイマーをセットした姿で・・・。他殺と確信した廉正は、警察の手を借りずに自分の手で犯人を見つけ出し復讐すると誓った。園子を殺したのは、佃 潤一か、弓場佳世子か・・・。
2014.07.02
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☆ガンコロリン ・海堂 尊(かいどう たける)・新潮社、2013年10月20日、初版発行・短編集(小説新潮、小説現代の、2012年6月号〜2013年10月号に掲載されたもの)1.健康推進モデル事業2.緑剥樹の下で3.ガンコロリン4.被災地の空へ5.ランクA病院の愉悦「健康推進モデル事業」では、厚生労働省のあの人(白鳥)、「被災地の空へ」では、速水、「ランクA病院」では、不定愁訴外来、等々・・・。チームバチスタシリーズの読者にとっては、懐かしい登場人物や名称などが、さり気なく登場します。一見、軽い短編集の様でいて、背景には医療問題が潜んでいることに気づかされます。「ガンコロリン」は、画期的な癌の予防と治療薬が出来たことで癌患者と共に、優秀な外科医が必要なくなった。人類にとっては万々歳の筈だったが、やがて耐性菌が登場して癌患者が出始めたが、その時には外科医がいなかった・・・。
2014.06.29
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☆永遠の0(ゼロ)・百田尚樹(ひゃくた・なおき)・講談社文庫、2009年7月15日、第1刷発行・単行本、2006年8月, 太田出版、2006年8月♧プロローグ・米軍パイロットの述懐♧第1章・亡霊祖母の49日が済んでしばらくしたある日、健太郎と姉は祖父に呼ばれ、そこで初めて実の祖父のことを聞かされた。祖父の名は、宮部久蔵と言い、終戦の直前に特攻隊で死んだという。祖母と最初の夫である宮部との短い結婚生活の間に生まれたのが、健太郎と姉の母である清子だった。祖母は戦後、今の祖父と再婚、男の子を二人産んだ。姉は、母が「死んだお父さんはどんな人だったのかな、私はお父さんのことは何も知らない・・・」と言うのを聞き、何とかしてあげたいと思ったという。そして、健太郎にアルバイトで良いから調査に協力して欲しいといった。健太郎が厚生労働省に問い合わせて分かった祖父の軍歴は「宮部久蔵、大正8年生まれ。昭和9年、海軍に入隊。昭和20年、南西諸島沖で戦死」となっていた。私生活では、昭和16年に祖母と結婚。17年に母が生まれたが、結婚生活はわずかに4年。その間、祖父はほとんど戦地にいたのだった。祖父がどんな人だったかを知るには、彼を覚えている人に当たらないことにはどうにもならない。健太郎は、厚生労働省に教えてもらった戦友会宛に、手当たり次第に手紙を書いて、祖父のことを知る人がいるか問い合わせた。最初は渋々始めた健太郎だったが、一人、また一人と、祖父の話を聞いて回るうちに、いつしかのめり込んで行った。♧第2章・臆病者・元海軍少尉、長谷川梅男の話「奴は海軍航空隊随一の臆病者だった。何よりも命を惜しむ男だった」と言い放った。そして如何にゼロ戦が優秀な戦闘機だったか、自分達は国のために命を惜しむことなく勇敢に戦った。出撃はほぼ毎日有り、その度に多くの未帰還機が出たが、宮部機はいつも無傷で帰艦した。不思議に思ってラバウルの古参搭乗員に聞くと「奴は逃げるのが上手いからなあ」と言った。♧第3章・真珠湾・元海軍少尉、伊藤寛次の話へ艦を守る艦上戦闘機乗りだった宮部さんの操縦技術は一流だった。彼は「妻のために、死にたくない」といい、戦争の中にあっても日常の生活を生きていた人だった。♧第4章・ラバウル♧第5章・ガダルカナル・元海軍飛行兵曹長、井崎源次郎の話私は15才で海軍に入った。いずれにしても20才になったら徴兵が待っており、単に海軍の方が良いかなと思ったからで、背景には貧しさがあった。宮部さんとはラバウルで会った。いま自分か生きているのは宮部さんのおかげだ。ある時「自分の祖父は徳川幕府の御家人で、上野の山彰義隊と戦ったと聞かされた」と話してくれたことがあった。♧第6章・ヌード写真・元海軍整備兵曹長、永井清孝(ゼロ戦のエンジンの整備兵)の話。宮部さんは、勇ましいところが全くない人だった。また、本人から聞いた話として、次のように語った。「父親は相場に手を出し破産。債権者に死んで詫びると言い首を括った。自分は母との生活を支えるために中学を中退。その母も半年後に死亡。金も身よりも頼る親戚もない、天涯孤独の身の上になり海軍に士官した」♧第7章・狂気・元海軍中尉、谷川正夫上海第12航空隊で一緒だった。宮部さんは、非常に勇敢な恐れを知らない航空機乗りだった。マリアナ海沖戦では日本軍は数時間で壊滅状態だったが、アメリカ軍の損失は皆無だった。日本軍は如何に敵を攻撃するかばかり考えていて防備は皆無だった。特攻隊員は志願を募ったということになっているが実際は命令で、軍人の習性として上官の言葉に反射的に従ったのだ。真珠湾攻撃が卑怯な奇襲となってしまったのは、ワシントンの駐米大使館員の職務怠慢が原因だった。♧第8章・桜花・元海軍少尉、岡部昌男の話宮部さんは、練習航空隊の素晴らしい教官だった。海軍は昭和18年からは大量の予備学生(大学出身の士官)を採った。そして「桜花(人間が操縦するロケット爆弾)」のことを指して、あれほど大きな恐怖を味わったことが無い。戦後、スミソニアン博物館に展示されていた「桜花」には、「BAKA-BOMB(バカ爆弾)」と言う名札がつけられていた。岡部は、自分が死ぬことで家族を守れるのならと特攻隊に志願したが「それでも特攻隊を断固否定します」と言い切った。♧第9章・カミカゼアタック・元海軍中尉、武田貴則(戦後、元一部上場企業の社長)今日は宮部久蔵の思い出話しかしないと前置きした武田に向かって、同席した新聞記者は特攻隊員についての持論を展開「自ら志願した特攻隊員は、心情的には殉教的自爆テロリストと同じです」と言い切り、執拗に話すように迫った。彼の言葉に「私はあの戦争を引き起こしたのは新聞社だと思っている。日本をあんな国にしてしまったのは新聞記者達だ!・・・軍部を化け物にしたのは、新聞社であり、これに煽られた国民だったのだ」そして「君の政治思想は問わない。しかし、下らぬイデオロギーの視点から特攻隊員を論じることはやめてもらおう。死を決意し、我が身なき後の家族と国を思い、残るものの心を思いやって書いた特攻隊員たちの遺書の行間も読み取れない男をジャーナリストとは呼べない」と言い、記者を帰らせた。武田は、健太郎と姉に向かい、特攻隊を産んだ海軍と言う組織のこと、海軍兵学校出の士官達への批判などを語ったあと、宮部の話をした。宮部さんは素晴らしい教官だった。多くの予備学生から慕われていた。優しい物腰と丁寧な口調は、全然軍人らしくなかった。しかし、それでいて全身には何とも言いようのない凄みがあった。私たちは、あれがプロフェッショナルというものかと噂したものだ。そして別れ際に「彼こそ海軍の至宝であり、戦後の日本に必要な人だった」と話した。そして「おじいさんは、戦争では無く海軍に殺されたのよ」と言う健太郎の姉に、「あなたのおっしゃるように、あの人を殺したのは海軍かもしれません」とこたえた。第10章・阿修羅・元海軍上等飛行兵曹、景浦介山(元ヤクザ)奴は死ぬ運命だった。自らその望みを断ち切ったのだ。俺は、命がけで戦っている中で「生きて帰りたい」などと言う奴を憎んでいた。だが、彼の腕は神技だった。憎みつつ「宮部よ死ぬな」と思っていた。20年5月にはドイツが降伏、日本軍の命運も尽きようとしていた。南九州の航空基地は壊滅的な被害を受け、航空機のほとんどを北九州の基地に移していた。俺も大村に移ったあと、終戦の少し前に鹿屋に移った。そこで夢にまでみた宮部と再会。自分でも何故か分からないが嬉しかった。終戦直前、特攻隊員たちの中に宮部の姿を見た時、俺の体は凍りついた。俺は「宮部の機を絶対に守り抜く」と飛び立った。意外なことに宮部が乗っていたゼロ戦は五ニ型ではなく、真珠湾の頃の古いニ一型だった。宮部の飛行機だけを追っていた俺の機体は、突然ものすごい振動と共に発動機から煙を吹き出した。みるみるうちに宮部たちの編隊が遠くに消えて行った・・・。自分が「宮部さん、許して下さい」と呟いているのに気づいた時、涙がとめど無く流れた。数日後、戦争が終わった。俺は号泣した。俺が泣いたのは他でもない。宮部のことだ。・・・宮部のことは忘れた。今日まで思い出したことはなかった、と言い、話を切り上げた。別れ際に、亡くなったおばあさんは「幸せな人生だったか」と聞き、返事を聞くと、突然怒鳴るように「帰ってくれ!」と言った後、思いがけない事が起こった。健太郎を抱きしめたのだ・・・。♧第11章・最期・大西保彦、元海軍一等兵曹、特攻隊通信員鹿屋基地で、20年の春から特攻隊員の通信を受けるのが仕事だった。宮部さんは真珠湾以来の歴戦の搭乗員だったから、誰からも一目置かれた存在だった。最期の出撃の朝、奇妙な事があった。宮部少尉は、一人の予備士官に「飛行機を換えて下さい」と頼んだ。予備士官が乗るのもゼロ戦はポンコツになって眠っていた機体だった。後日談があると前置きして、大西は次のような話をした。あの時、特攻出撃した爆装ゼロ戦は6機だったが、一機だけエンジントラブルで喜界島に不時着、その機は宮部が乗るはずだった飛行機だったという・・・。「大西さん、その人の名は?」と勢い込んで聞いた健太郎の前で、大西はノートのページを繰った。そこには、特攻で死んだ隊員の名前の横に、「喜界島に不時着」と言う文字と、健太郎たちがよく知っている名前があった。大石賢一郎少尉、23才。予備学生13期、早稲田大学。♧第12章・流星・祖父と姉弟の話二人に向かって、祖父は「いつかはお前たちに語らなければならないと思っていた」と言い、話し始めた。全てを話し終えたあと「少し、一人にして欲しい」と言った。♧エピローグ・米兵の述懐(一部を抜き書き)あの時のゼロは、ほとんど海面すれすれに低空ギリギリにやって来た。俺たちは近接信管付きの砲を撃ちまくったが、海面が電波を反射して爆発した。・・・ゼロが4000ヤードまで近づいた時、たった一機の飛行機に何千発もの機銃弾が撃ちこまれた。ついに火を噴き黒煙を吐いたゼロはいきなり急上昇、空母上空から、背面のまま、逆落としに落ちて来た。燃える機体にあんな動きが出来るのか、あんな急降下は見たことが無い。ゼロはまさに直角に落ち、飛行甲板の真ん中に突き刺さった。爆弾は不発で、甲板にゼロのパイロットのちぎれた上半身があつた。・・・甲板の火は間もなく消し止められ、しばらく遺体をじっと見ていた艦長は「我々はこの男に敬意を表すべきだと信じる。よって明朝、水葬に付したい」と言った。 パイロットのポケットには着物を来た女が赤ん坊を抱いている写真が入っていた。翌朝、この超人的なテクニックと集中力、そして勇気を持つパイロットの遺体は白い布で包まれ、手空きの総員が甲板に整列し弔銃が鳴り響くなか、挙手の礼に送られて海中に滑り落とされ、ゆっくりと海の底に沈んでいった。
2014.06.24
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☆たぶん最後の御挨拶・東野圭吾・文藝春秋、2007年1月30日、第一刷発行・エッセイ集★目次1.年譜2.自作解説3.映画化など4.思い出5.好きなもの6.スポーツ7.作家の日々8.たぶん最後の御挨拶-あとがき♥︎受賞作品1985年『放課後』第31回江戸川乱歩賞受賞1999年『秘密』・第52回日本推理作家協会賞(長編部門)受賞2006年『容疑者Xの献身』第134回直木三十五賞受賞・第3回本屋大賞4位・第6回本格ミステリ大賞(小説部門)受賞2008年『流星の絆』第43回新風賞受賞2012年『ナミヤ雑貨店の奇蹟』第7回中央公論文芸賞受賞2013年『夢幻花』第26回柴田錬三郎賞受賞2014年『祈りの幕が降りる時』第48回吉川英治文学賞 ♥︎未読本(2006年迄に出版された作品)*白馬山荘殺人事件、1989年10月、光文社*11文字の殺人、1987年12月、光文社*魔球、1988年7月、講談社*香子の夢-コンパニオン殺人事件、1988年10月、祥伝社*十字屋敷のピエロ、1989年1月、講談社*殺人事件は雲の上、1989年8月、実業之日本社*ブルータスの心臓、1989年10月、光文社*依頼人の娘、1990年5月、祥伝社(文庫のタイトルは、探偵倶楽部)*犯人のいない殺人の夜、1990年6月、講談社(短編集)*仮面山荘殺人事件、1990年12月、徳間書店*?変身、1991年、講談社*回廊亭の殺人、1991年7月、光文社*ある閉ざされた雪の山荘で、1992年3月、講談社*美しき凶器、1995年10年、光文社、(七種競技の選手が主人公)*♡分身、1993年9月、集英社(生命科学がテーマ)*浪速少年探偵団2、1993年12月、講談社*怪しい人々、1994年2月、光文社*むかし僕が死んだ家、1994年5月、双葉社*虹を操る少年、1994年8月、実業之日本社*パラレルワールド・ラブストーリー、1995年2月、中央公論社*あの頃僕らはアホでした、1995年3月、集英社*怪笑小説、1995年10月、集英社*天空の蜂、1995年11月、講談社 (原発がテーマ)*名探偵の掟、1996年2月、講談社*どちらが彼女を殺した、1996年6月、講談社、加賀恭一郎シリーズ(読者が推理してこそ推理小説だ、と 考えて新しい手法を試みた作品)*毒笑小説、1996年7月、集英社*名探偵の呪縛、1996年10月、講談社文庫*♡秘密、1998年9月、1998年9月、文藝春秋(娘の肉体に母親の魂が宿ったらどうなるのか・・・、と言うのがテーマ。)*私が彼を殺した、1999年2月、講談社、加賀恭一郎シリーズ(「どちらが彼女を殺した」のパターンの第2弾)*白夜行、1999年8月、集英社、♡*片思い、2001年3月、文藝春秋(性同一性障害をテーマにした作品。作品の雰囲気は、「SMAPの夜空ノムコウ」から拝借)*超・殺人事件、2001年6月、新潮社*手紙、2003年3月、毎日新聞社(日曜版の連載小説、独りぼっちになった弟に服役中の兄から送られてくる手紙によって何を思い、どんな生き方を選ぼうとするのか…)*俺は非情勤、2003年5月、集英社文庫、(子供向け雑誌に連載)*殺人の門、2003年8月、角川書店(人を殺すと言うのはどういう気がするものなのか、子供の頃に興味を持ち、その呪縛から逃れられない主人公を描く*?幻夜、2004年1月、集英社*ちゃれんじ?、2004年5月、実業之日本社、(スノーボードに関するエッセイ)*?さまよう刃、2004年5月、朝日新聞社*黒笑小説、2005年4年、集英社、(快笑小説、毒笑小説に続く第3弾)*さいえんす?、2005年12年、角川文庫、エッセイ集*夢はトリノをかけめぐる、2006年5月、光文社(冬季五輪がテーマのファンタジー小説)*使命と魂のリミット、2006年12月、新潮社(医療への期待を描く)?=未読、既読、不明♡=読みたい本
2014.06.12
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☆天使に見捨てられた夜・桐野夏生(Natuo Klrino)・講談社、1994年6月30日、第一刷発行・私立探偵・村野ミロシリーズ2★桐野夏生昭和26年、東京都出身。成蹊大学法学部卒。会社員を経てフリーのライターになる。1993年、「顔に降りかかる雨」で第39回江戸川乱歩賞を受賞。女流ハードボイルドの騎手として注目されている。( カバーの「著者紹介」より )♣︎村野ミロ職業=私立探偵。父(村野善三)の後を継ぎ、村野善三調査探偵事務所経営。♣︎一色リナ=本名:岩崎雪江アパートに不思議な丸い土の玉「雨の化石」を残して失踪。♣︎渡辺道草舎=フェミニズム系の小さな出版社を経営。人権を考える会を主宰。村野ミロに、一色リナの捜索を依頼。当初の目的は、レナに原告として訴えさせようというのが目的。期間は二週間。スポンサー(八田牧子)が付いたことで、調査の継続依頼が有るも、捜索の目的は微妙に方針転換。ミロの留守中、留守電に「レナに会いに行く」と言うメッセージに続き「重大なことが分かった・・・これからそちらに行く」と言うメッセージを残したまま、ビルの屋上から転落死。♣︎友部秋彦ミロの隣人。ホモバー「ナイトフライ」経営。♣︎多和田父と長く仕事をして来た信用のおける人物、「・・・・の人権を考える会」の顧問。♣︎矢代クリエイト映像=代表取締役♣︎富永洋平(トミー)=元ボーカリスト兼シンガーソングライター、レナの実の父親、ホテルの駐車場内で縊死。本人の遺言で棺に「雨の化石」入れられていた♣︎八田牧子(旧姓、鳴滝)大学卒業後、八田建設二代目社長、八田春伸と結婚。フランス王立菓子アカデミーに留学。自宅でケーキ教室を開く。14才の時、富永の子レナを出産。当時、鳴滝家のお手伝いをしていた山川寿恵子の子として届けさせる。★村野ミロシリーズ( ★既読 )・顔に降りかかる雨(1993年9月 講談社 / 1996年7月 講談社文庫):第39回江戸川乱歩賞★天使に見捨てられた夜(1994年6月 講談社 / 1997年6月 講談社文庫)・水の眠り灰の夢(1995年10月 文藝春秋 / 1998年10月 文春文庫)・ローズガーデン(2000年6月 講談社 / 2003年6月 講談社文庫)・収録作品:ローズガーデン / 漂う魂 / 独りにしないで / 愛のトンネル・ダーク(2002年10月 講談社 / 2006年4月 講談社文庫【上・下】)
2014.06.07
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☆放課後・東野圭吾・講談社文庫、1988年7月15日、第一刷発行・1985年9月、講談社より刊行・第31回江戸川乱歩賞 受賞作品☆あらすじ私、前島は、地元の国立大学工学部を出て某家電メーカーに就職するも、地方への転勤を契機に4年で退職。現在は、私立の名門、精華女子高校の数学教師となった。アーチェリー部の顧問。前の会社で知り合った妻の裕美子とは、3年前にささやかな式を挙げた。結婚以来3年間、それなりに平凡な生活を送ることが出来たと思っていたが、結婚して半年くらい経ったころ、妻が妊娠した。目を輝かせて報告する彼女に、父親になるのが煩わしいと考える彼は「堕ろすんだろう?」と、冷たく言い放った。この件に関しては、妻は自分を許していないかもしれないが、それも仕方がないことだと思っていた。間も無く、裕美子は外で働きはじめた。教師になって五年。ようやく2年ほど前から生徒達の視線に慣れては来たが、彼女達の行動には驚かされることの連続であった。また、教師という人種の神経も未だに理解出来ず、別の生き物の様に見えることが多い。学校と言うところは分からないことが多すぎる。ただ一つだけはっきり分かっている事は、私の回りに私を殺そうと言う人間がいることだ。一度は、ホームから突き落とされそうになり、次には危うく感電死させられるところだった。3度目は、頭上からゼラニュウムの鉢が落下して来た。9月12日密室状態の男性用更衣室で、生徒指導部の教師、村橋が死んだ。死因は青酸カリによる中毒死。他殺と見た警察は、多数の捜査員を捜査に当たらせた。9月22日体育祭。仮装行列の最中、酔っ払いのピエロに扮した教師の竹井が、一升ビンの「酒=水」を飲んだ直後、大勢の人が見守る中、もがき苦しみながら死んだ・・・。本来なら前島がピエロに扮する筈だったが、乞食役の竹井のいたずら心から直前に入れ替わっていた。誰もが竹井は前島の身代わりに殺されさのだと思った。9月24日(火)この日から全てのクラブ活動が休止されることになり、6時を過ぎて前島も帰宅することにした。駅までは刑事が送ってくれた。自宅近くの駅の改札口を出ると、既に暗くなり始めていて、歩いている人の数もまばらだった。犯人は誰なのか、また動機は・・・と考えにふけっている彼の背後から、ヘッドライトをハイビームにした車が猛烈な勢いで彼に向って突っ込んで来た。逃げ惑う彼に向かって何度も執拗に・・・。前島を追って来た教え子の高岡陽子の姿を見て、ようやく車は走り去った。彼女によると、車は「赤いセリカ」だという。10日7日密室のからくりに気づいた前島は、真犯人が自分の身近な生徒だという結論に達したが、どうしても殺害理由が分からなかった。放課後、アーチェリー部のリーダー、ケイを練習に誘った前島は、弓を持ち上げセットアップしようとした彼女の背中に「教えて欲しいことが有るんだ。怖くなかったのか………人を殺すのは?」と呟くように言った・・・。全てを知った彼は、ようやく一つの出来事は終った、と思った・・・。その夜、彼は、何もかも忘れたくなって、アルコールを無茶苦茶に胃に流し込み酔った。自宅近くの公園の公衆電話から、妻の裕美子に、自分の居場所と間も無く帰ると伝えて電話を切った。睡魔に襲われながらも、よたよたと足を投げ出しながら歩き出し、ようやく公園を出た。その時、彼の目の前で一台の車が停まった。ヘッドライトを点けたまま、光をを背にして車から降りて来た男は、刃物を手に襲いかかって来た。路上に倒れもがき苦しむ前島の耳に、車の中から「芹沢さん早く」という声が聞こえた。それは紛れもなく妻の裕美子の声だった。前島を残して、あの夜と同じ「赤いセリカ」が走り去った・・・。♣︎高岡陽子学校一の秀才。複雑な家庭環境で育つ。「クール」と評される前島の「人間性」に触れて以来、彼を慕っている。
2014.05.31
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☆宿命・東野圭吾☆・講談社文庫、1993年7月15日 第1刷発行・講談社ノベルズ、1990年6月♣︎和倉勇作島津警察署、巡査部長医者を目指すも、家庭の事情で大学進学を断念。父と同じ、警察官の道を選ぶ。♣︎瓜生晃彦UR電産社長、瓜生直明の長男。統和医科大脳神経科助手。☆あらすじ勇作が住む町の丘の上に、子供達がレンガ病院と呼ぶレンガ造りの大きな病院があった。病院の広い庭をいつも散歩しているサナエと言う患者がいて、勇作が病院の庭で遊んでいると、そばにいて、草抜きをしたり、花に水をやったりしていた。遊び疲れて休んでいると、おやつを持って来てくれたり、異国の歌を歌ってくれた。勇作はサナエといると、なぜか穏やかな気持ちになれた。勇作が小学校に上がる前の年の秋、そのサナエが窓から転落して死んだ・・・。勇作の父はサナエの事件を調査していたが、ある日訪ねて来た身なりのきちんとした紳士と長い間話したあと、ぷっつり捜査をやめた。父は勇作を墓参りに連れて行き、その立派な墓がサナエの墓だと教えた。入学の直前、一人で病院の庭を歩いていた勇作は、同じ年くらいの男の子と出会った。二人はしばらくお互いに睨み合っていたが、まもなく彼は呼びに来た和服姿の女性と共に、お迎えの車に乗り去って行った。少年の名は瓜生晃彦といい、UR興産の二代目社長の長男だった。間もなく同じ小学校に入学した二人は、お互いを強烈に意識し合うライパルとなり、その関係は高校まで続いた。医者になりたくて医学部を目指した勇作だったが、父が倒れ受験を断念。父親と同じ警察官となった。年月が流れ、瓜生興産の三代目社長須貝忠清がボーガンで殺害されると言う事件が発生。10年振りに出会った晃彦は、勇作の初恋の相手だった美佐子の夫となっており、奇しくも警察官と殺人事件の容疑者として対決することとなった。サナエ、美佐子の父、UR興産の初代社長和晃、そして晃彦と父親の瓜生直明、レンガ病院・・・。必ず、過去に彼らを繋ぐ「糸」が有ると考えた勇作は、独自に調査を進めていた。やがて、昭和16年に出来た「国立諏訪療養所」で進められていた「電脳式心動操作方法の研究」に、当時瓜生工業と言ったUR興産の初代社長、レンガ病院の上原院長が関わっていたことが判明した。そして、実験台として雇われた貧しい若者10名の中に、美佐子の父とサナエの名も有った・・・。まもなく、須貝忠清を殺害した犯人が自供、事件は解決した。晃彦から呼び出され、瓜生家の墓に出向いた勇作を待っていたのは、二人はサナエが産んだ二卵性双生児だったと言う衝撃の事実だった・・・。東野圭吾1985年、江戸川乱歩賞を受賞した「放課後」でデビュー。(当時27才)
2014.05.27
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☆同級生・東野圭吾 ・祥伝社・1993年2月10日 第1刷発行☆登場人物♣︎西原壮一修文館高校3年、野球部主将♣︎壮一の父金属加工会社を経営。仕事のほとんとを東西電気から請負っている。♣︎西原春美壮一の妹、生れつき心臓疾患がある。♣︎宮前由希子修文館高校3年、壮一の子供を妊娠、交通事故死♣︎水村緋絽子壮一の元恋人、♣︎水村俊彦緋絽子の父、東西電気専務☆あらすじ東西電気の半導体製造工場が半導体の洗浄用に使用していた、トリクロロエチレンの地下貯蔵タンクからの漏れが発覚した。その地域に障害を持って生まれる子供の多いことが、住民の一人により明らかにされた。壮一は春美の疾患は単なる不幸では無かったこと、水原俊彦こそ自分達が一番許してはならない人間であることを知った。その事が原因で、壮一と緋絽子は別れた・・・。壮一の子供を宿した宮前由希子がトラックに撥ねられて死んだ。目撃者の話によると、彼女は何者かに追われて道路に飛び出したという。壮一は自らの心の動揺から、自分に好意を持ってくれている由希子の心につけ込む様な形で関係を持ってしまった事を悔いた。自責の念にかられた壮一は、皆の前で、由希子の子供の父親は自分達だと告白した。由希子を追いかけ、死に追いやったその張本人は生徒指導の教師御崎藤江だったことを知った壮一は、授業中、御崎藤江にその事実を突きつけて追求した。御崎藤江は夜の教室で、何者かによって絞殺されてしまった。その直後、ガスが充満している教室で倒れている水原緋絽子が、見回りに来た用務員に発見された。相次いで校内で起きる事件の真犯人は、一体誰なのか・・・。恩師を慕い教師となり、独身を貫いて来た御崎藤江。恩師に裏切られたと思い込み絶望した彼女は他殺を装った自殺だった。そして、水原緋絽子は狂言自殺だった・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・作者、35才の時に発行された作品。カバーに書かれた文章によると、『ミステリー界の若き騎手が渾身の力で書き下ろした、デビュー作「放課後」を超える哀切と感動の本格学園推理の傑作誕生!』と、有りました。
2014.05.23
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