2024年05月13日
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カテゴリ: 礼拝の恵み
2024年5月12日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

「忌まわしいことのゆえに、嘆き悲しんでいる者の額に印を付けよ」(エゼキエル9:4)。何かに「しるし」を付けることは他のものと区別するためである場合が多いです。自分のものに名入れやサインを入れるのと同じです。ここに「印」と訳されたターヴは聖書に3回登場します。エゼキエル9章4と6節、そしてヨブ記31章35節です。後者は「署名」(signature)という意味に訳されています。つまり9章4節は「嘆き悲しんでいる者の額に自分のものだと確認する署名をしなさい」という意味だとも言えるのです。さらにターヴという文字はエゼキエル時代のヘブライ語では+またはXの2本の交差した線の形態であったと言われます。これを受けて、「忌まわしいことのゆえに、嘆き悲しんでいる者に十字の形態のターヴを付けよ」とも取れるでしょう。新約的に言えば、キリストと共に十字架に付けられた痕跡の印が残っているのかということでしょう。どうでしょうか?あなたの額は?


2024年5月13日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

「主の栄光は神殿の敷居の上から出て」(エゼキエル10:18)ある場所から、または誰かから去って離れ去っていくこと!時々、考えることはあるでしょう。もう自分が必要とされないと思われるとき、ここにはもう私の居場所がないという思われる時、私の存在が意味がないと思われたとき、私たちはその場所やその人々から静かに去って離れていくことを思います。こういう時とは、一番悲しく痛ましい時ではないでしょうか。自分が誰かに全く意味のない存在になってしまった時、天が崩れる癒やされ得ない深い傷を負うことになるでしょう。今日の本文は主なる神がエルサレム神殿を離れていく場面です。この神殿では私の居場所がない、これらの人々は私を必要としないという思いに襲われたのでしょう。ご自分の家であった神殿だから離れたくなかったでしょう。でも離れて行かざるを得なかったのです。主は悲しくて悲しくて涙に溢れたことでしょう。暗いところで教会の人々は何をしていたので、主は離れて行かざるを得なかったのでしょうか。





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最終更新日  2024年05月13日 13時36分36秒
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