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chiko619 @ Re:新参者(09/22) 「新参者」読みました。 東野圭吾さんは、…
kimiki0593 @ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ はじめまして^^ 先ほどこのロングインタビューを読み終え…
2010.01.16
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カテゴリ: 教育・子育て

 この本は単行本として刊行され、大きな反響を呼んだ。
 それでも、この手の本が文庫化されるケースは決して多くはないはずだ。
 本著がそうなりえたのは、本著が真に良著だからである。

 第2章で数多くの事例を挙げ、
 以後、現代の「いじめ」が、どのようなものであるかを明らかにしていく。
 その実態は、現在の大人が少年・少女だった頃のものとは随分様変わりして、
 より複雑で見えにくくなっており、当事者の苦しみも深く大きくなっている。

第4章では「いじめ」を解決するルールも示されている。
また、第1章で示された事例も、そのルールに則ったものであり、
著者の示した道筋によって、両親と学校が力を合わせ、
「いじめ」問題を解決したものである。

  面接というのは初回が勝負である。
  初回に最も大事なことが聞き出せなければ、2回目以降も聞き出せない。
  というより、初回に大事なことを言えなければ、子どもは次の面接にこないかもしれない。
  この人とは話す意味がない、と思ってしまうのだ。(p.020)

この言葉は、とても重い。
第三者という立場でありながら、本人にとっては何よりも重大な問題に、
これから深く関わっていこうとするならば、これを一期一会のワンチャンスと心得て、
絶対にものにする覚悟で臨まなければならない。

  「いじめの解決に取り組むのと、責任を追及するのを同時に行うのは無理です。
   責任追及を始めれば、ご両親と学校は敵対関係になります。
   そうなれば、いじめの解決について建設的に話しあうことは
   できなくなると思いませんか?」(p.032)

これは、いじめ解決への道筋に関する、著者の基本スタンスである。
そして、この考え方は全く合理的である。
まず優先すべきは、苦しんでいる子どもを救い出すこと。
いじめの問題を解決し、再発を防止することである。
責任追及は、その後でも決して遅くない。

  いじめがまかり通る社会が作られると、加害者か被害者かどちらかでいなければならない。
  積極的に、被害者になるという人間はいない。
  だからみな、できる限り加害者であろうとする。(p.050)

この言葉にピンと来ない方は、本著の実例を読まれることを、ぜひお奨めしたい。
現代のいじめでは、第三者になることすら許されない状況が作り出されるのである。

  結局、いじめの本質は被害者にしかわからない。
  被害にあった子どもの言葉は、客観的事実とは異なっていても、
  それこそがいじめの実態であり、彼にとっての事実なのである。
  だから、彼らのいちばんの味方であるべき親は、その言葉をまるごと受け止め、
  真実として扱わなくてはならない。(p.123)

いじめられた子の親のスタンスとしては、この言葉は絶対的に正しい。
だが、いじめた側とされた子の親はどうすればよいのか?
自分の子どもの言葉を一切無視し、
「客観的事実とは異なって」いるかもしれない相手の言い分を、
100%受け容れることが、本当に可能なのだろうか?

  いじめられる側に原因など、ない。
  現代のいじめは、誰でもが加害者になり、被害者になり得る。
  いじめられる理由など、ないのである。
  事例の中でも書いたように、いじめられる理由というのは、
  いじめる側によって、次々に作られてゆくものなのである。(p.124)

この著者による説明で、全ての人間が、
特に、いじめたとされる子ども側の親が、本当に心から納得できるのだろうか。
「客観的事実とは異なる内容」を受け容れることを、
いじめたとされる側は、どんな場合であっても、強要されなければならないのか。
もちろん、そういうことにしておかないと、問題はいつまで経っても解決しない。

それでも、いじめた側の親は、自分の子供の言い分をバッサリと切り捨てて良いのか……
「客観的真実」を無視しきってしまって本当に良いのか。
いじめられた側の言い分を100%とすることは、本当に正しいことなのか?
民主主義の世の中というのは、衝突する意見を持つ双方の意見を、
いかに調整するかが、最も重要な課題なのではないのか?
片方の意見を全面的に採り上げ、もう片方を全く無視してしまうのは、正しい態度なのか?

おそらく、著者はそういう次元のことを言おうとしているのではない。
著者が言っているのは、「いじめ」は絶対に認められない手段、方法、行為だということ。
即ち、そのとき「いじめ」被害を受けた側に、何らかの非があった場合には、
周囲の子ども達は、別の合理的手段・方法によって対処しなければならなかったのだ。

つまり、絶対に用いてはいけない「いじめ」という手段を用いたという点に関して、
そして、その結果引き起こされた様々な事柄について、
「いじめ」という手段を用いた側には、100%非があり、責任があるということ。
そうなると、「いじめ」をどのように定義するかが、益々重要になってくる。
逆に、どういう方法が「いじめ」ではなく、
合理的手段・方法であるかを、子どもたちにきちんと教えることが重要になってくる。

  攻撃の激しさや執拗さは、加害者となってしまった子どもたちの傷ついた過去の体験の大きさだ。
  そして被害者と同様に加害者もまた、圧倒的な孤独を抱えている。
  周囲に彼らの怒りを受け止めてくれる人がいなければ、いつまで経っても怒りは収まらない。
  大人が、それは八つ当たりだ、甘えていると言ってもダメなのだ。
  被害者を守ることは当然だが、加害者の子どもの心を満たさなければ、
  いじめはターゲットを替えて続くだろう。
  子ども達の心の器を満たさなければ、いじめは終わらない。
  足りないのはネットのマナーを教える教育でも、監視でも、威嚇でもなく、
  子どもの心を満たす大人の存在、愛情なのだ。私は、そう思う。(p.168)

子どもの心を満たすにはどうすればいいのか……、
愛情を示すにはどうすればいいのか……
これも、言葉で言うのは簡単だが、実行するのはそう簡単なことではない。
そして、ここでいう「大人」とは誰なのか?

もちろん、真っ先に思い浮かぶのは「親」で、そして次は「教師」か。
じゃあ、その次は……
現代を生きる子ども達にとって、実際に自分と関わりのある大人という存在は、
想像以上に少ないのである。





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Last updated  2010.01.16 18:02:50
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