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ここんとこ立て続けに弟子に逃げられています。(-。-)小学生~中学生、高校受験、高校生、大学受験、一部資格試験受験。算数・数学・理科(主に物理分野)を中心に依頼を受けた期間限定で「コーチ」をしています。勉強のプラン作成から、参考書・問題集の選定、時には、「集中講義」をします。基本的には、こちらからは何もアプローチはせず、先方から「ど~~~しても!」という場合のみ「志望校合格のための専属トレーナー」を引き受けます。どの生徒にも最初に話すことが有ります。①「べき乗の話」 ⇒「2010年8月26日:苦しい時に踏み出す❝もう一歩❞の重み」 ⇒「「2024年3月17日:冪(べき)乗の威力」②「像と蚤の話」 ⇒「「2007年9月11日:臥薪嘗胆・・・とは?ゾウとノミの話」③アインシュタインの脳の重さは平均以下!・・・という事実。④受験生は世の中で一番「楽」な立場。 ④は、誤解無きようにしっかりと説明しています。 世間に出れば、自分の努力や才能など、ほんの一握りの人しか 認めてもらえないし、いくら頑張ってもいくら時間をかけても 安直なものや調子のよい輩が評価されることがまま有る。 そこへ行くと、受験生は、どれだけ愛想が悪かろうと どれだけ性格が悪かろうと、また「努力」が見えようが見えまいが 「点数」さえ取れば、それで(ほぼ)全てが評価される。 しかも、試験なんて、世の中の数多ある学問の中の一握りの科目、 更には、文科省が定めた「限られた範囲」の中からしか出題されない。 そして、その内容は全て与えられた「誰もが持つ教科書」の中にある。 つまり、金持ちも貧乏人も「同じ土俵」で勝負できる。・・・はず! 世間に出ると、「何が正解かわからない。」ということがいくらでもあるけれど 試験(特に大学受)は、正解が明確。 そして、「受験生」と言うだけで、世の人々は勝手に「大変だな。」 なんて情けをかけてくれる。「勉強」だけしてれば(働かなくても) 誰にも文句を言われない・・・どころか時には褒められたりしちゃう。 ああ、何て羨ましいんだ!!!必ず最初の講義でこの4つの話をします。言いたいことは、①日々の努力(+@)が莫大な威力を生む。②己を決して否定するなかれ!③生まれ持っての天才などいない!すべては年々積み上げたもの。④自分の努力が「正当」な形で評価される数少ない機会であって、 しかも、それさえやってれば誰からも文句を言われない。④は、なかなか理解してもらえませんが、①②③はおおまかに納得してくれます。①②③が少しでも揺らいでしまうと・・・更に揺らいだまま何年も続くと・・・(物心ついた頃から10年・・・15年、 ず~っと揺らいだままに生きてきてたのなら)その結果として、「今の自分」vs「学年一番のヤツ」として見事に差が付いている・・・ってことぢゃ!!!嗚呼!しかし!「Z世代」だから、なのか?たまたま、「そういうヤツ」が続いたのか?生徒は口では、「ドラゴン桜的な特訓でもするんですか?」とか「半年間(※)頑張ります。」 (※)たいていは、夏休みあたりで部活動も終わり そろそろ受験勉強せねば!とは言うものの 何をどうして良いのかわからん!・・・という状態。などと最初は言うもののいざ!となると・・・・・・と言っても、私に言わせればそれこそ「ドラゴン桜」の「1/10」も要求してないし、そもそも「普通の受験生以下」の勉強時間で追いつくことさえ困難なのだが・・・序盤は「勉強時間のルーティン化」から始めてるのでそれほど「脳」を酷使しているわけでもない。それでも、与えた課題を遅れ遅れでもこなしてくれれば何とかなりそうなものなのだが、序盤の段階で、すぐにへばって結局、「志望校のランクを落とす」半年後には「2~3ランクぐらい」落として「無事合格」となる。ここ数年は、自分の生活やら病状やらに感(かま)けてそんな機会は有りませんでしたが、昨年、突然3人もの依頼(各々別ルート)が舞い込み久々に己の脳みそのメンテナンスも兼ねて全て引き受けたわけです。が、結局、誰も「笛吹けど踊らず」何だろ?「今の若いモンに俺様のやり方は通じないのか?」とも思いましたが、そもそも「俺様のやり方」以前の段階で、毎日の課題である「計算ドリル」すらやれない(やらない?)のではそれ以上どうしようもないわけで、ただただ月日だけが経過するばかり・・・「働きながら」とか「親の目を盗んで」とかではないのだから、たかだか数か月、何とか気張ってやれないもんでしょうかねぇ?しかもこの数カ月で「人生が決まるぜ!」と半分脅してもなかなか心に響かないようで・・・ま、自分自身、こんなことがようやく最近身に染みてきた頃なので10代の若人にはなかなか理解できないのでしょう。今の心境は、矢吹丈に出会う前の「丹下段平」の気分です。「おい、そこの若(わけ)ぇの、俺と世界をめざさねぇか?」と飲んだくれてる「夢見る酔っ払い」・・・なかなか矢吹丈のような逸材は見つからないでしょうし万が一現れた時に自分自身が錆びついていたらジャブの通信教育(「あしたのために」)も満足にできないので ↑このあたり「意味がわからん」という人は ⇒「あしたのジョー」の登場人物参照 当然のように弟子達には意味不明。(TへT)自分自身を「仮想:矢吹丈」として、己が己に課して、決して錆びついていない証明をしたい。ここんとこ数年遠ざかっている 「センター試験」おっと、今は「共通テスト」になったんだっけ。自らに「かむ太郎式訓練」を課してまずは、来年の1月に「復帰戦」に挑みますか!
2024年03月26日
切れ者と評される、かの豊臣秀吉が家来に対して褒美を遣わすことになった時家来(曽呂利新左衛門:落語の祖との説も)が「毎日米を下さい。初日は一粒、次の日からは前日の2倍の米粒を」と申し出た。初日:米1粒2日:米2粒3日:米4粒・・・2週間(14日):米8192粒ようやく米1合と1526粒・・・(米1合約150gとして、米1000粒で約22~23gらしい。 従って、150÷22.5×1000≒6666粒)ところが、30日後にはなんと!536,870,912粒(÷6666≒80538合)80538合分の米!≒12087kg=12t(12トン!)その翌日には・・・24t更に48t、96t・・・さすがの秀吉も途中で別の褒美に変えてくれ、と音を上げたとの事。(途中・・・って何日目だったんだろ? 14日で8192粒≒約184g 15日で16384粒≒約368g 16日で32768粒≒約737g 17日で65536粒≒約1475g 18日で131072粒≒約2949g 19日で262144粒≒約5898g 20日で524288粒≒約11.8kg 21日で1048576粒≒約23.6kg 22日で2097152粒≒約47.2kg 23日で4194304粒≒約94.4kg …「米を数える家臣」は10日(512粒)の次には 「1024粒」が想定されていたわけで このあたりで既に相当な困惑であったと推定される。 秀吉に直訴したところ14日あたりで、 「もうよい8192粒≒約1.23合は2合で良いわ!」 てな具合に15日に4合(600g)、 次の日に8合(1.2kg)・・・ だとしても、23日(153.6kg)24日(307.2kg) あたりまでは意地でも米を与えていたと思われるが、 いずれにせよ当初の「倍々計算」で 30日で80538合(1石1000合として80石)の勢いでは 翌月中には「100万石大名」を超えてしまいますので 少なくとも30日以前に秀吉はGiveUpしたはずです。)有名な逸話ですが、流石に今では小学生でも基本的な知識として標準装備しています。ですが、この「2のべき乗」でさえも知らなければ秀吉同様に高を括って臨む可能性は全くゼロではありません。況やこれが「1.1のべき乗」とか「1.01のべき乗」であれば、「2倍の米粒」のように途中で気が付くことさえも困難なほどじわじわとボディブローのように大きく影響します。健康も、能力も・・・この「見えないべき乗」で大きく左右されているのです。(「1.01のべき乗」とか「1.001のべき乗」なんぞは「ほぼ ❝ 1 ❞ やんけ!」と高を括ってしまいがち!)過去にもかように綴っております。 ⇒2010年8月26日「苦しい時に踏み出す❝もう一歩❞の重み」受験生の家庭教師を引き受けた時には、必ず最初にこのことを話します。(A)毎日、前日より「+0.1%(前日+1/1000)」(B)毎日、前日より「-0.1%(前日-1/1000)」の2通りの過ごし方で如何に将来が変わるか?を数値でシミュレーションします。★30日後(A)「1.001^30≒1.030」(B)「0.999^30≒0.970」(Aの94%)★1年(365日)後(A)「1.001^365≒1.440」(B)「0.999^365≒0.694」(Aの48%)★10年(3650日)後(A)「1.001^3650≒38.404」(B)「0.999^3650≒ 0.026」(Aの0.07%)【参考①】もう1桁小さくしてみても10年後(A)1.0001:(B)0.9999★30日後(A)「1.0001^30≒1.003」(B)「0.9999^30≒0.997」(Aの99.4%)★1年(365日)後(A)「1.0001^365≒1.037」(B)「0.9999^365≒0.964」(Aの93%)★10年後(A)「1.0001^3650≒1.440」(B)「0.9999^3650≒0.694」(Aの48%)【参考②】逆に1桁大きくすると10年後(A)1.01:(B)0.99★30日後(A)「1.01^30≒1.348」(B)「0.99^30≒0.740」(Aの55%)★1年(365日)後(A)「1.01^365≒37.78」(B)「0.99^365≒0.026」(Aの0.7%)★10年(3650日)後(A)「5929兆」:(B)「ほほゼロ」という結果!即ち!高校3年生になり、大学受験を目指す時点で「あいつと俺」「あの子と私」が何故これほど成績に差がついてしまったのか!の答えにもなり、この先の受験生活を如何に過ごすかの心構えにもなるのです。実際には、「普通に現役で東大京大クラスに合格するやつ」と「私」「俺様」は遡る事16~17年前にはそんなに差は無かったのです。(脳みそ自体の大きさも問題ではないし、かのアインシュタインの脳は 平均的な人の脳より小さかったとの話もある。)その後の生活環境や学校で各々違いは有ったであろうが「日本での大学受験」に必要な能力を得る機会はそれほど差が無かったはず。塾へ行ったから共通テストの80%は解けるけど行ってないから60%しか解けない・・・とか、家庭教師に教わったから、他の人には解けない問題も解けるなんてことは無くて、どんな生徒にも同じ問題を課すのだから言い訳にはならない。(しかも、出題範囲は限定されている!)個人的な感覚では、高校3年生の頃の・現役で東大行ったやつ ・・・毎日ハンドボール部で汗をかいてたし 長期休暇も部活動してた。・同じく現役で東大行ったやつ ・・・こいつもバレーボール部やったはず。・現役で国立医学部行ったやつ ・・・剣道部で主将してたし、生徒会会長してた。他にも普段の学校生活では私よりも「勉強以外」にエネルギーを割いてた(ように見える)奴らがさも当然のように「私には手も足も出ない難問」を涼しげに解き、「下手をするとダブルスコア!」ぐらいの得点を取りすんなりと(私にはそう見えた)難関校に現役合格をしていった。何が違う???私なりの解答は高校入学時点では「表面的な試験」や「範囲と期間を絞った中間期末試験」などでは、それほど差がつかなくても一度受けた試験・・・更には「一度でも間違えた問題」は奴らは二度と間違えぬようしっかりと対策していたと思います。翻って私は、単に「何点だったか?」「何位だったか?」ぐらいにしか捉えていなかったので、「せっかく間違えた問題」を生かせなかった。そして、高校入学時(15歳)においても既に、それまでの10年間(5歳~15歳)で前述の「1.0001:0.9999」(【参考①】)ぐらいの差がついていたのではないか、と思われます。肩を並べて入学した・・・と思ってたのは大きな勘違いで私の実力は既に高校のスタート時点で彼らの「48%」そこから更に3年間(同じ学校で、とは言え)「本気で大学目指して勉強」した彼らとそうでない私は、もはや数値では表せないほどの差が出来てしまったのでしょう。そんなことに気づいたのはもはや社会人となって数年経った頃であり、これから勉強を教える弟子達にしか伝える意味がなかろう・・・と思っていましたが、これは何も勉強だけに限ったことではなくて仕事や、(おそらく)アスリートのトレーニングやいろんなことの考え方の土台にもなる。と確信しています。ひいては「人生の生き様」にまであてはまるはず。
2024年03月17日
↑三木清「人生論ノート」この話も、以前綴ったような気がしますが、なんせ、過去の記事を検索しようにも無駄に捻ったタイトルが多いせいか求める記事がなかなかヒットしません。「幸福が存在に関わるのに反して、 成功は過程に関わっている。」更には、「純粋な幸福は各人において オリジナルなものである。」この考えは、先日綴ったアリストテレスの「ニコマコス倫理学」に有った「徳(アテレー)」「善(アガトン)」「幸福(エウダイモニア)」の考え方に通ずるものがあるような気がします。現に「人生論ノート」では、プラトンやソクラテスにも言及しています。また、三木清は「中庸は一つの主要な徳であるのみでなく むしろあらゆる徳の根本的な形である・・・」と述べています。この「中庸」という言葉はかの仏陀(ぶっだ=お釈迦様)もその重要性を頻繁に説いていますし、アリストテレス、デカルトも「中庸」を重視しています。物理学者の竹内均の「『修身』のすすめ」でも「初心者がまず実行すべき徳目は、 勤倹、正直、感謝、次に貯蓄、報恩、中庸……。」と述べています。同じ「中庸」という言葉でもそれぞれに論点や目指すものは多少異なってはいますが「平均的」とか「凡庸」とか「どっちつかず」のような意味合いでは無く、「的を射る」とか「中枢」とか「バランスが良い」とか・・・そんな感じの意味合いが似合うか。
2024年03月01日
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