秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2019.01.05
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小中高の頃、ラジオでも、街角でも、銀行のロビーでもこれでもかというくらいやたらと耳にしたのがポール・モーリアの音楽でした。自然と耳に入って心地よいメロディですが、いつの間にか聴かなくなりました。久々に聴くと当時のことが思い出されます。


YouTube:エーゲ海の真珠/ポールモーリア Penelope /Paul Mauriat

一番好きな曲でした。


YouTube:蒼いノクターン ポール・モーリア Paul Mauriat Nocturne

聴いていると懐かしいような、優しくなれるような、ずっと好きな曲でしたが、題名も、演奏者も知りませんでした。本日ポール・モーリアの曲と判明、ラッキーでした。


YouTube:オリーブの首飾り ポール・モーリア Paul Mauriat El Bimbo

これは自分にはまあまあです。


YouTube:恋はみずいろ ポール・モーリア L'amour est bleu Paul Mauriat

天地真理さんを思い出します。

Wikipedia:ポール・モーリア
ポール・モーリア(Paul Mauriat, 1925年3月4日 - 2006年11月3日)は、フランスの作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト、チェンバロ奏者。特に日本ではNHKラジオ第一放送などで頻繁にオンエアされ、レイモン・ルフェーブル、フランク・プウルセルらと並ぶイージーリスニング界の有名音楽家となった。
日本での実績
日本においては、1965年12月に他アーティストのシングル盤B面収録曲として『夜のメロディー』が初めて発表(FL-1203)され[15]、翌年5月に発売された『超ステレオ! 魅惑のヨーロッパ・トップ・ヒッツ』(SFL-7284)、『赤いサラファン/永遠なるロシア〜ポール・モーリア・ストリングス・ムード』(SFX-7052)の2アルバム以降、1990年代はじめまで概ね年間2〜3枚のペースでコンスタントに新作アルバムを発表。シングル盤でも『恋はみずいろ』(1968年)、『蒼いノクターン』(1969年)、『エーゲ海の真珠』(1971年)、『涙のトッカータ』(1973年)、『オリーブの首飾り』(1975年)など立て続けにヒットを重ねた。とりわけ『オリーブの首飾り』のヒット効果は大きく、ベストアルバムとして発売された『ポール・モーリア グレイテスト・ヒッツ・リフレクション18』(FDX-7001)が1976年度のオリコン年間アルバムチャート21位に、『ポール・モーリア グレイテスト・ヒッツ24』(FDX-9201/2)が1977年度の同11位に記録されている。それ以前にもモーリア版『ヘイ・ジュード』がテレビドラマ『おふくろの味』のテーマ曲に起用されたのをはじめとして、1986年の開始以来現在まで放送が続いているTBS系ラジオ番組『大沢悠里のゆうゆうワイド』(2016年4月9日からは『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版』に変更)のテーマ曲として使用されている『はてしなき願い』[16] など、NHKラジオ第一放送や民放のAM/FMラジオ番組、ほかにテレビ番組や手品・奇術、BGMなどに多岐に渡ってモーリアの演奏作品が使用されている。
日本びいきとして知られ、1976年に国内11都市の印象を綴ったオリジナルアルバム『ポール・モーリア/ラブ・サウンズ・ジャーニー』(FDX-251)を発表。1979年にはFM情報誌の読者投票で選ばれたニューミュージック楽曲のカバー企画を、ジャケットデザインに森英恵を起用したアルバム『愛のメッセージ/ポール・モーリア』(FDX-465)として制作するほか、池田満寿夫監督の日伊合作映画『窓からローマが見える』の音楽を担当[17]する一方、高田恭子の『あじさいいろの日々』(1974年・キング BS-1799)の編曲・伴奏録音、来生たかおのアルバム『LABYRINTH』(キティ 28MS-0068)の編曲・プロデュースなどを手がけている。また、モーリアの自作曲を山中さち子(『カトリーヌ』1970年・セブンシーズ HIT-760)、真木ゆうこ(『さよならの街角』1973年・フィリップス FS-1765、原曲は『ただ一度だけ』)、来栖あんな(『私がふたりいる』1975年・東芝EMI LTP-20204、原曲は『見知らぬ人』[18])や高橋キヨシ(『湖に消えた恋』1976年・フィリップス FS-2036)、坂本スミ子(『オー・ラ・ラ・オーサカ』1977年・同 FS-2040)らがカバーする例も見られた。1995年の阪神・淡路大震災の際には『カルテット・フォー・神戸』を作曲し、フランク・プゥルセル(バイオリン)、フランシス・レイ(アコーディオン)、レイモン・ルフェーヴル(フルート)との4人で「ザ・フォー・フレンチメン」名義で録音、同曲が収録されたチャリティーアルバム(PCCY-00749)を制作するなどの活動が知られている。さらに、1972年5月13日に開催された第1回東京音楽祭ではゲスト審査員としてコンサート・ツァーとは別に来日しているほか、1978年4月から同年末まで東海ラジオ放送の制作で自らの音楽観を中心に語る番組『ポール・モーリアの世界』(パリの自宅で収録)や対談番組『徹子の部屋』へ出演した(1979年4月11日放送。公演のための来日中に収録)。
1969年に初来日して以来、1970年・1978年を除いて1986年まで毎年、その後、1988年・1990年・1996年・1997年・1998年と来日し約870回[19] の公演を開催。1990年のコンサートツアーをもって一度はステージ活動を休止するが、パリでカテリーナ・ヴァレンテとのジョイントコンサートが企画されたことが直接の引き金となって急遽1996年1月末より約2週間に渡る来日公演が実現、同年11月には1 - 2月に開催できなかった都市を中心とした公演を改めて開催した。1997年には公演直前になってモーリアが体調を崩して来日が遅れ、最初の3公演はジェラール・ガンビュスの実弟であるジル・ガンビュスが指揮することとなった。このことが1998年のジャパンツアーを「さよならコンサート」としたことに大きく影響したと見られており、同年11月29日の大阪フェスティバルホール公演を以って自身のオーケストラの公演活動での指揮を退いている。2000年以降はモーリア自身は同行しないものの構成・演出および編曲などを担当する形で公演活動を再開、ジル・ガンビュス(2000年、2002年、2003年、2004年)、ジャン=ジャック・ジュスタフレ(2005年、2009年)を指揮者として行われた。なお、公式ライブアルバムは全て日本国内で録音された。





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Last updated  2019.01.05 21:58:09


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