秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

PR

Calendar

Freepage List

2023.06.06
XML
テーマ: 長崎へ旅行(95)
カテゴリ: 旅行 Travel
1泊2日の長崎旅行は翌朝6:00にホテルを出発しなければならず、16:30に荷物を置いたホテルを出て、22:30ころまでに観光と夕食を済ませなければならず、弾丸ツアーでした。その中でよく平和公園、出島、眼鏡橋、稲佐山の夜景、居酒屋2軒回れたと思います。

一番行きたかった平和公園は長崎駅前から路面電車で1本です。一日乗車券が複数の観光地を回るのに便利ですが、車内販売していないので注意が必要です。販売箇所は「観光案内所、沿線ホテルフロント、路面電車営業所」とのこと。スマホで電子チケットを購入できればいいと普通に思いますが・・・スマイル


停留所を降りて大通りを渡るとすぐに公園です。エスカレーターで上に上ります。


平和祈念像に向かう途中、いくつかの石碑や像があります。広島の陰に隠れがちですが、1945.8.9の原爆は広島の爆弾よりも強い爆発力で約7.4万人の方が亡くなり、約7.5万人が負傷されたそうです。子供さんの手記で原爆の悲惨さが伝わります。


よくTVで観られる平和祈念像を間近で見られました。てっきり白い色かと思っていましたが、水色で、像の形の意味がはじめてわかりました。


ちょっと離れたところに爆心地があります。この上空500mで爆発したとの事。


そこから少し離れたところに「母子像」があります。1997年設置だそうです。像には原爆投下時刻以外には解説板はなく、設置時の長崎新聞の記事でも『富永氏の解説によると「母の胸に眠る傷心の子供の姿」によって21世紀に羽ばたく日本の未来、平和への決意を表現している。』としかありません。観る者の想像をかきたて、平和公園で一番印象に残りました。
私の目には原爆で亡くなった我が子を抱え絶望する母親に見えました。スカートのバラだかツバキだかの刺繡は、絶望の中にも明日への小さな希望の芽生えを表現しているように見えます。


■参考リンク
Wikipedia:平和祈念像
平和祈念像(へいわきねんぞう)は、長崎県長崎市松山町の平和公園にある像。
概要
1955年(昭和30年)の被爆10周年に向けた記念行事の一環として長崎市が建設を計画し、1951年(昭和26年)に着工、1955年の8月8日に完成した。[1]。
制作は長崎県南高来郡旧南有馬町(現:南島原市)生まれの彫刻家、北村西望による[2]。70代の頃、東京都武蔵野市にある井の頭自然文化園内のアトリエにて制作された[3]。
像の柔和な顔は神の愛と仏の慈悲を、天に向けて垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした右足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた左足は救った命を表し、軽く閉じた目は戦争犠牲者の冥福を祈っている。
像は高さ9.7メートル、台座の高さ3.9メートル、重さ約30トンで、鉄骨を芯にして、青銅製のパーツの表面には純白の石膏が直付けされている[1]。右手の人差し指には避雷針が設置されている。像の制作費用は3000万円、制作期間は4年で、制作費は全て国内外からの募金により賄われた[1]。台座の費用2000万円は長崎市の予算である。
像のモデルは徳島県脇町出身で柔道・レスリング等の指導者であり、陸軍大尉として従軍経験のある吉田廣一(通称、「せんとうはん」)[4][信頼性要検証]。ただし、本像台座後部に刻まれている作者の言葉には「顔は戦争犠牲者の冥福を祈る 是人種を超越した人間 時に仏 時に神[5]」との一節があり、顔貌は特定の人種の特徴を表さないようにしたとされている。当時はプロレスが人気だったこともあり、プロレスラーの力道山がモデルであると誤解されることもあった。
1973年(昭和48年)、市民団体により長崎市議会に「平和祈念像撤去に関する請願」が提出され、否決された[6]。2010年(平成22年)11月に「第3回UNI世界大会」が日本の長崎県長崎市で開催されたことを記念して郵便事業株式会社が発行した特殊切手の一つのデザインに本像が採用されている。

【平成の長崎】爆心地公園に「母子像」設置 被爆者ら見守る中 平成9(1997)年2018/10/18 長崎新聞
 長崎市は1997年7月16日、同市松山町の爆心地公園に被爆50周年記念事業碑(母子像)を設置した。市民団体の反対で、設置場所は原爆落下中心地点から同公園内の国道側一角に変更されたが、この日、爆心地での設置に異議を唱える被爆者らが作業を見守りながら抗議行動を展開した。
 高さ約5メートルの母子像は、大型トレーラーで公園に搬入後、クレーンによる設置作業が行われ約1時間で台座(高さ約4メートル)に据え付けられた。作業には制作者の富永直樹氏(84)が立ち会った。
 母子像は、金ぱくを下地にしたブロンズ色仕上げ。富永氏の解説によると「母の胸に眠る傷心の子供の姿」によって21世紀に羽ばたく日本の未来、平和への決意を表現している。
以下略。

被爆50周年記念事業碑:Trip Advisor

原子爆弾による長崎・広島被害の比較





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.06.07 02:32:10


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: