秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2025.08.12
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はだしのゲンのナレーションはどこかで聞いた声だな、昔NHKのアナウンサーだった平光(ひらみつ)淳之助アナウンサーかなと思って調べたら城達也さんでした。

せっかくなのでくわしく調べたら、青山学院高等部から同大学英米文学科を卒業されて、NHK入局後米国にも派遣されたとのこと。落ち着いたアナウンスはまさにミスターNHKニュースといった感じで安定感がありました。最近自分が高齢になったせいか、今のNHKアナがみんな子供に見えてしまうなかで、こういう貴重な人がいなくなったなと感じます。

平光淳之助アナウンサーのナレーションで一番好きなのは、映画連合艦隊のミッドウェィ海戦でのシーンで、淡々と事実だけ告げる語り口から、事の重大性が余計に伝わってきます。残念ながらYouTubeにはありませんでした。

■参考リンク
Wikipedia:平光淳之助
平光 淳之助(ひらみつ じゅんのすけ、1923年〈大正12年〉4月10日[1] - 2017年〈平成29年〉3月17日[2] )は、フリーアナウンサーで、元NHKアナウンサー。本名同じ[1]。
来歴
東京府出身[1]。旧制青山学院高等部卒業[1]、青山学院大学文学部英米文学科出身[注釈 1]。三菱商事、リーダーズ・ダイジェスト社を経て[1]1951年にNHK入局[1]。秋田放送局、仙台放送局を経て1954年から東京勤務[1]。1959年には皇太子明仁親王と美智子妃の御成婚パレードの実況放送を担当。1960年からワシントンVOA局に日本語放送アナウンサーとして派遣、1962年に帰国。1981年にNHK退職後はテレビ東京(1981年9月まで「東京12チャンネル」)の局契約を経てフリー。
担当番組
NHK時代
主にニュース、ドラマ・ドキュメンタリーのナレーションを中心に様々な番組を担当。19時の全国ニュースを担当するなど、エース格のアナウンサーである。以下は主なもの。
日本の素顔(ドキュメンタリー)
現代の記録
あすへの記録
NHK特派員報告
海外取材番組
NHK特集
新日本紀行
1959年11月放送、第99集「奇病のかげに」(構成 小倉一郎)も平光による語りである。
あかつき(ナレーター)1963年4月1日 - 1964年4月4日
太閤記(ナレーター)1965年1月3日 - 12月26日
NHKニュース(正午)1979年4月2日 - 1980年3月30日
NHKニュース (午後7時)(金・土曜)1972年4月7日 - 1980年3月29日
東京12ch→テレビ東京時代
平光淳之助のひるワイド
2時の家庭百貨 1981年4月6日 - 6月ごろ
いきいき2時 1981年7月7日 -
フリー転向後
メガTONニュースTODAY(メインキャスター)テレビ東京、1983年3月 - 1985年9月
私の履歴書(ナレーター)テレビ東京
松本清張の西海道談綺(ナレーター)フジテレビ、1983年9月20日
映画
黒部の太陽(ナレーター)石原プロ、三船プロ、日活
連合艦隊(ナレーター)東宝
小説吉田学校(ナレーター)東宝
海と毒薬(ナレーター)日本ヘラルド





私の目標でした 訃報・平光淳之助さん アナウンサーは泣くな!2017/3/18 21:17エンタメプロデューサー瀧内泉さん

私がNHKのアナウンサーとしてNHK盛岡放送局に赴任した時。
もともと、私はアナウンサー志望ではなかったので、毎日毎日、アナウンサーをやめたい、ディレクターになりたい、とグチグチ行っていた頃。
当時の盛岡放送局長の大治浩之輔さんから、平光淳之助アナウンサーの話を聞かされました。
大治さんは社会部のエース、公害取材のスペシャリストとして、(加えて、ロッキード事件の取材で当時の政治部・島桂次氏と壮絶な戦いを繰り広げた有名人)スモン訴訟を取材した時。
裁判で、被害者のお母さんが証人に立ち、自分の子供を見ながら、薬を飲んでしまった自分を責め、死にたい気持ちがありながらも、この子を残して死ねない、、、その葛藤を話し。傍聴席のほとんどが、その話を聞きながら涙を流し、記者は泣きながら原稿を書き。当時は携帯電話はもちろんなく、公衆電話の電話ボックスに走り、局に電話をして、自分が書いた原稿を読み、それを聞き、ニュース原稿を書いたのですが、その書き取りをしている人も号泣する、という壮絶な現場。
その原稿をニュースで読まれたのが平光が、一瞬、言葉に詰まった。
テレビを見ていた大治さんは、「頼む、泣かないで伝えてくれ」と思ったそうです。
平光さんは、再びニュースを読み始め、伝えきった、と。
以下略。


UNEXT映画連合艦隊より3:34あたりから。ミッドウェィ海戦での平光淳之助アナウンサーのナレーション「魚雷から爆弾へ、そしてまた爆弾から魚雷へ。この時間のロスが南雲機動部隊の致命傷となった。」のナレーションは今でも印象に残ります。


ニュースショー 時差25年の世界放送年度:1977年度


西沢祥平アナウンサーのこと

2025.10.3リンク切れにより削除、内容の追加。

放送記念日特集 大河ドラマの15年~『花の生涯』から『花神』まで~放送年度:1976年度





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Last updated  2025.10.04 00:56:28


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