素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Apr 17, 2008
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テーマ: 日本の歴史(1071)
カテゴリ: 古代史レポート

えー、先日エネルギー関係の

エラーイ方々とイッパイやったんだけど、

オモロイ店に連れて行ってもらいました。

一見ごく普通のお店なんだけど、

全国の銘酒を「売り」にしててね、

呑みものお任せってーんですよ。

5種類の酒を燗にしてもらったんだけど、

いやー、ぜんぶ旨かった♪

普段安い酒しか呑んでませんからね・・・

えー前回の続きです。

筑紫の君「磐井」と戦ったのは

「継体」じゃなくて「武烈」だったんじゃないか!

これです。

大して検証した訳じゃないんですが、

ざっと仮説を箇条書きにしてみます。

1.永い間臣下の礼を取ってきた中国南朝に対して、

  九州倭国は5世紀末についに決別をし、

  自らが南朝の正統であると宣言し、年号を立てた。

  所謂、九州年号ですね。

2.この時期、宿敵高句麗とは半島の利権を巡り、

  相変わらず激戦を繰り広げていた。

3.倭国王「磐井」は大和の分家である天皇家の「武烈」に

  援軍の要請を出した。

  今まではここを「継体」と考えていた訳です。

4.「武烈」はその要請を受けて出兵。

5.その時に腹心の物部麁鹿火(アラカヒ)から進言を受ける。

6.倭国は中国南朝の後ろ盾を失いました。

  倭国を撃って天下を取るのは今ですぞ!

7.その気のなった「武烈」は、何食わぬ顔で博多湾から上陸し、

  一気に「磐井」に攻め込む!

  本能寺の如くに・・・・

8.不意打ちを食らった「磐井」は敢え無く惨殺・・・

  しかし残された王子の葛子たちが一転反撃!

9.不意打ちを食わせたまではよかったけど、

  もともと地の利のなく、退路を絶たれた「武烈」は和睦を申し入れた。

10.「磐井」を殺された倭国が和睦を受け入れるには

  「武烈」の首を差し出すことはもちろん、

  当然無条件降伏を条件としたでしょうな。

11.「武烈」は到底それを受け入れないんですが、

  策士の麁鹿火君は、主君である「武烈」をだまし討ちし、

  無条件降伏を受け入れてしまった。

おっと、時間切れ・・・・

今度続きはいつになるやら・・・・

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  Apr 17, 2008 04:01:59 PM
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