水野文博の『日々の思考』

水野文博の『日々の思考』

2004/09/12
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 中世のイタリア教会では、極めて狂信的、政治的、戦略的な世界が繰り広げられていたと思う。学ぶものが多いです。

■日程

 ローマ→オルヴィエート→(アグリツーリスモで昼食→)アッシジ

■行動、感想

<平和の祈り> アッシジの聖フランチェスコ

神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように
いさかいあるところに、赦しを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみあるところに、よろこびを
闇のあるところに、光をもたらすことができますように、
助け、導いてください。
神よ、わたしに
 慰められることよりも、慰めることを
 理解されることよりも、理解することを
 愛されることよりも、愛することを 望ませてください。
自分を捨てて初めて自分を見出し
赦してこそ赦され
死ぬことによってのみ永遠の生命によみがえることを
深く悟らせてください。

+++引用終わり+++

 アッシジで聖フランチェスコの軌跡を辿る。マザーテレサが愛唱したという有名な「祈り」を再読して感動した。

 聖フランチェスコ聖堂を見学。彼の死の二年後、1228年に着工し1253年に完成した三階建ての立派な建物。それにしても、清貧、純潔、服従がモットーの聖フランチェスコにしては立派すぎない?

 フランチェスコ派はアメリカで多くの信者を集めたらしく、ガイド曰く、サンフランシスコ(=聖フランチェスコ)とロサンジェルス(=聖フランシェスコが亡くなったサンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂から)もその名残とのこと。

■思索の断片

~リーダーシップの違い、イノベーター聖フランチェスコ、政治家インノケンティウス三世~

 聖フランチェスコとインノケンティウス三世のリーダーシップの違いを比べると面白い。

 聖フランチェスコは、ベンチャー型のリーダーシップである。ライフサイクル論でいうとイノベーター。組織立ち上げ期には立派に機能したが、成長期に入ると不向きを悟って自然の中にひきこもってしまった。

 フランチェスコは捕虜生活、闘病生活を経て、ある日神のお告げ(ビジョン)を受け、周囲の反対を押し切り、財産を捨てて貧民の中に入っていった。やがてローマ教皇にフランチェスコ修道会設立を認められた(この時、フランチェスコ28才)。会派が5000人を超えると、内部派閥のモメゴト(組織管理の為に最低限の所有を認める穏健派と一切の所有を認めない厳格派の対立)の処理がうまくできずストレスを感じ、総長の座は後進に譲って自然の中に隠居してしまった。有名な「小鳥への説教」はこのころの話である。

 聖フランチェスコ率いた組織が設立期、成員が10の零~三乗の規模の組織だったのに対し、若干37才で教皇になったインノケンティウス三世(ローマで見学したラテラーノ宮に住んでいた!)が率いたローマ教会は成長期を過ぎた成熟期にあたり、成員は10の七乗の規模である。そこでは高度な政治的リーダーシップが発揮された。

 当時の教会の状況を見ると、とにかく金が集まったようだ。そのビジネスモデルは、十字軍で活発になった商業の利益を「十分の一税」で徴税するというもの。このお金でロマネスク様式の聖堂が各地にポコポコと建った。税金が唯一免除されている修道院も羽振りがよく、その様相は、祈りの場というよりは大規模農場と工場といった趣きだった。当時の修道院長は決まって肥満体だったそうだ。

 当時の教会のビジョンはどうだったか。教皇権は全ての俗権の上に立つべきとし、俗権を含めた権力の保持拡大を目指した。布教や信徒の安全を守るためか、自己目的化していたかは不明であるが、おそらく両方であろう。

 次に当時の教会を取り巻く環境を見てみる。俗権レイヤーでは神聖ローマ皇帝との覇権争いが深刻化しており、北部イタリア諸都市は教皇派と皇帝派に分かれ、南のシチリアはフランス領や皇帝領を行ったり来たりしていた。教皇領の維持拡大は戦争と婚姻と破門を手段とした微妙なバランスオブパワーの上に成り立っていた。なんて政治的な世界!

 信仰レイヤーの環境も危機に晒されていた。聖職売買など教会の腐敗に対して純粋な信仰を持ち聖者のような生活をして民衆を惹きつける人々が現れた。フランスのワルド派、アルビ派、スペインのドメニコ派、アッシジのフランチェスコ派などである。中でも過激化したアルビ派は教皇批判を開始、インノケンティウス三世は彼らを破門してアルビ派十字軍を派遣した。

 そこで賢いインノケンティウス三世は、ドメニコ派とフランチェスコ派を公認擁護することによって、異端派を支えている民衆的基盤を教会内に取り入れることに成功したのであった。なんて戦略的な世界!

 このような戦略を背景に、フランチェスコの死後二年目には彼を列聖し、フランチェスコが生きていたら決して許さなかったであろう、三階建ての大寺院を広告塔として建てさせたのであった。

 ちなみに教会は異端裁判や魔女狩りで密告を奨励したが、最も密告に熱心だったのが、ドメニコ派とフランチェスコ派だったと言う。フランチェスコ派の中でも厳格派は後に異端とされ、主にドメニコ派によって密告されて火刑に処せられた。狂信的でコワイ世界だ。

■おまけ

 聖路加病院の日野原重明先生がこの夏アッシジなどを旅行されたようです。旅行記がありますのでご紹介します。
「イタリアの聖地を訪ねて」
http://www.bestlife.ne.jp/hinohara/rensai/





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Last updated  2004/09/14 01:16:02 AM
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いやぁ、深い旅ですね~  
とよみ さん

充実したご旅行だったようですね。続きも楽しみ!
先日学会で間近でお話を伺った日野原先生、御歳X才とは思えませんが、旅行も化け物並みだ…。 (2004/09/13 07:32:14 PM)

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