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いま、10/9に開催する「オール・コミュニケーターズ・フォーラム」を3人の友人と企画している(参加受付中)。広報、宣伝などの分野で活躍する方々を対象に、マーケティング最新潮流(WEB2.0が軸)の幅広い理解と参加者のネットワーキングを目的としている。http://ac-f.net/これを機に、セミナーやフォーラムに参加するにあたっての目的意識の持ち方やチェックポイントを、企画者の立場で考えてみた。ご参考にどうぞ。 ■来場者のメリット(あるいは参加目的意識とチェックポイント) ・必要な知識を得る →テーマが合致 →デリバリーが上手 →質問が出来る、あるいはインタラクティブである ・講師と面識を得る →質問が出来る →名刺交換が出来る →歓談が出来る ・来場者と面識を得る →来場者の自己紹介やプロフィールがある →懇親会がある ■セミナーの設計(あるいはチェックポイント) 来場者が求めていることと便宜性をイメージして下記を設計する。今回の場合を例示する。類似セミナーに対する優位性を意識した。 ・ターゲットのスコープ: 広報、宣伝などの分野で活躍する方々。 若手中心 ・テーマ、プログラム: WEB2.0時代のマーケティングコラボレーション ・講師: WEB2.0の第一人者(織田浩一、gree、google、野村総研など) +先端事例実践者。類似セミナーも同様 ・コンテンツ: 事務局と調整の上、講師作成。類似セミナーも同様 ・デリバリー: 肩肘はらない。 類似セミナーはインタラクティブではなく堅い感じ ・懇親会: あり。類似セミナーは無しが多い ・価格: 他セミナー並み ・日時: 連休の最終日。これは講師都合で仕方がなかった。 類似セミナーはウィークデイが多い ・場所: しごとセンター(飯田橋)。都心で便利。類似セミナーも同様
2006/09/21
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■募集:7/1にイタリア好きが集まりナポリピッツァを楽しむランチ会を行います。イタリア旅行の情報交換の場として活用できるよう工夫します。興味のある方、参加をご検討下さい。mixiにてhttp://mixi.jp/view_event.pl?id=7601321&comm_id=149060■ 東京→パリ、ローマ→東京の航空券を買ってから、パリ→ローマの旅程を決めるべく情報収集を開始した。 まずは、信頼のおけるガイドの購入から。ミシュランの赤、グリーン、そして20年前から愛用している「Let's go」シリーズを買った。 常々思うのだけど、なぜミシュラングリーンガイドは日本に根付かないのか(日本語版は1991年初版で絶版)。 このガイドは、1)歴史的遺産などを体系的に詳しく説明している、2)地図が正確である、3)レストランにハズレがない、などの特長があり、欧州人の観光客が小脇によく抱えているのを見かける。 一方で日本人が持っているガイドはショッピングとホテルとレストランが中心で、遺産の解説は表面的だ。レストランについては、おそらく日本からの取材陣が一生懸命調べたものだろうが、サッカーのワールドカップ現象のごとく、ミシュランのように地場の目利きが命を懸けるガイドには遠く及ばない。 文化(遺跡/レストラン)記述のレベルが低いのは教育の問題も多分にあるのではと思い、高校の美術教師に問うたところ、教育の前提である文化的素地が違うとの説明。うーん、比較文化的にどちらがいいと言えるのか、一般論では分からなくなってきた。 しかし僕の価値観は明らかで、断然オススメはミシュランである。 「Let's go」シリーズはアメリカのハーバードの学生が始めたアメリカ版地球の歩き方だ。アメリカ人は、どちらかというと日本人に近い観光をする。日本人観光客と同様、欧州人から文化的蛮族扱いをされることもある。 でも、旅行者へのプラクティカルな情報はきちんと載っている。地球の歩き方に載っている場所へ行くと日本人が多く、「Let's go」シリーズに載っている場所はアメリカ人が多い。異文化接触が僕の旅の目的なので、僕は「Let's go」シリーズを利用して、日本の後光から遠ざかることにしている。 そして今日は5年間イタリアで修行した料理人の方にインタビューできた。お勧めはサルデーニャの海岸と、モンテカティーニ・テルメ近郊の温泉。などほど! (探求はつづく)
2006/06/25
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東京は広い。でも、レバノン料理のレストランを維持できるほどの需要が東京にあるのでしょうか。それが、あるのです! 日本語も話せない40才のレバノン人女性がオーナーを務める「マイ・レバノン」に行ってきました。彼女が開店を決心した2003年末時点では、開店の「志」はあれども、必要なスキルはほとんど持ち合わせていませんでした。例をあげると、業界経験がない、日本語が話せない、認可や場所取得の仕組みが皆目見当がつかない、お金を借りなければならない、、、などなど。おまけにレバノン料理の需要予測は、常識的に考えて大きいハズがありません。彼女自身が需要開拓するしかない状況だったと思います。そんな中、「志」に引っ張られる形で、なんと、2004年4月には開店に漕ぎつけました。その志とは何か? 2つあるようです。1. 食べ物を通してレバノンを紹介したいアラブには「心に一番早く到達する道は、胃袋を通る道」という格言があります。食事は人と人が付き合い、理解するための強力なイベントなのです。彼女は、多文化を受け入れることの楽しさを、肌身で、いや、胃袋で感じてもらいたいと願いました。2. 結婚、子育て後の人生の第二ステージの準備として、金銭的に自立したい彼女自身は質素な生活を送っているけれど、心にかけている人々に募金などでお金をご用立てするときは、夫ではなく自分のお金を出した方が気持ちがいいと考えました。これら志の背景には、彼女が9才のときから始まったレバノン内戦の体験があるそうです。主義主張を異にした国民が互いに血を流し合う、市民は生活のための資金もままならない状況に追いやられる、といった体験でした。では、お店実現のために、彼女はどのようなアクションを起したのでしょうか。まずレストランチェーン店を経営する日本人パートナーと組んで、不足するスキルを補いました。自らも、メニュー開発と素材の選定、シェフを雇ってのレバノン料理の訓練、内装のタイルをレバノンから輸入し、壁や絵を自ら描く、などを実行しました。資金調達は、レストランチェーン店を持つ日本人パートナーと組むことでようやく提供者を納得させました。開店後のオペレーションでは、早朝割引を狙って素材買出しを行うなど低コスト化を常に心がけています。一方で、レバノンを紹介するために、歴史的な出来事や人物の写真を飾ったり、「レバノンってどこにあるの」というお客様の声に対応して地図を飾ったり、あるいは時々お客様が注文していない料理を少し出して試食してもらったり、色々な改善を継続して行いました。開店後は順調に売上を伸ばし(月商は500万円に達した)、開店半年後には開店資金を回収したといいます。彼女の名前はリタ・ゴーン、日産を立て直したカルロス・ゴーンの奥様です。開店資金の調達先は実はカルロスで、利益が出たあかつきには配当も支払ったそうです。カルロスはお店に来ても、お客様の入り具合をチェックしているとか、、、。それにしても、開店準備が3ヶ月、開店資金回収完了が6ヶ月とは、旦那同様のスピード経営!ですね。これはレバノン内戦の体験で得た「明日が来る保障はどこにもない。やれることはスグにやらないと」との信念から来ているそうです。ちなみにゴーン家がランチに来店するときの定番メニューは、「チキンカバブ」「サモサ」「フールマダマス」「タブーリ」「オムス」「ハバガノーシュ」だそうです。一度試してみてはいかがでしょうか。*基本情報**店名: マイ・レバノン住所: 東京都渋谷区恵比寿西1-33-18 コート代官山B1F電話: 03-5459-2239**TPO**■友人と食べ歩き■家族と□短時間で手軽に■デートで□合コンで**予算***□~3,000円■3,000円~7,000円(ディナー)□7,000円~
2006/06/05
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週末からののロシア出張に向けてロシア音楽家の伝記を読みまくっている。今日はレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団を一流に育てた名指揮者ムラヴィンスキー(1903-1988)の伝記を読み終えた。 彼の練習は厳しく、団員からはトスカニーニやカラヤンのごとく専制君主と恐れられた。ところが実生活は大変質素で、情に厚い方だったようだ。 印象として感じたのは、(武士道みたいな)貴族的な心性、質素倹約、厳しい音楽への献身。 彼は貴族の家に生まれるも家族はロシア革命で財産を奪われ、貧しい生活を強いられた。マリインスキー劇場のバレリーナ達のピアノ伴奏からキャリアをスタートさせた。自然を愛し、よく田舎で何日も放浪の旅をしたそうだ。終生、農民や修道院の方を友とした。自然を詠った詩も沢山残っている。 戦時中、レニングラード・フィルがノヴォシビルツクに疎開した際は団員の住居探しに奔走し、全ての団員の家が見つかるまで仮設住宅に残った。レーニンにより親友ショスタコーヴィチが弾圧された際は、積極的に彼の作品を演奏した。 当然、共産党に目をつけられ、投獄や退任への圧力にいつも直面していた。住居は狭いアパートをあてがわれ、外国講演のギャラも殆ど党が召し上げた。例えばフランス公演では彼には200ドル/コンサートしか支払われず、街の食料品店で簡単な食材を買って自炊することもあった。 70才代後半になってようやくダーチャという質素な別荘を購入できて、「ようやく長年の夢が叶った」と涙して喜んだそうだ。そこで彼はスコア(総譜)を読んだり散歩や釣りを楽しんだ。 生活は質素でオチャメだったようだ。作り置きした好物の魚スープを自ら温めて食べたり、ビールの飲みすぎを奥様から監視されて、空き瓶に水を入れてごまかしたりしたらしい(70代なのに…)。 そういえば、僕が始めてレニングラードへ行った1987年は彼の死の1年前であった。ムラヴィンスキーを聴けたらと密かな期待を持っていたが彼は現れず、若いヤンソンスがレニングラード・フィルを振っていた。 以下に、心に残った巨匠自身の言葉を引用する。個人の生き方や組織でのリーダーシプのあり方に参考にしたい。 「私はカラヤンや西欧の金持ちの指揮者を羨ましいと思ったことはない。私は今の生活で十分だからだ」 「いつだったか音楽を聴いたとき、まるで雷か稲妻に打たれたような戦慄が走った。音楽とは心を震わせるものだ。そうでなくては芸術ではない。芸術、音楽は、人の心、聴衆の、演奏家の心の炎を燃え立たせる。それこそが芸術のもたらすものだ」 「私にとってスコアとは人生のドキュメントだ。それは「作品自体」の"雰囲気"に浸透することだ。私の探索の中でシンフォニーの"雰囲気"の解明こそが演奏を決定する最大の課題である」 「指揮者は絶対に響きを創らない。音を紡ぎだすのはオーケストラだ。個々の団員が聴きとり、感じられる"雰囲気"を創りだすことが大切だ。私とオーケストラとの仕事は単純だ。不可欠なのは濃密な集中力、厳密な規律、稽古のシステムである。私はまず自分自身に、そしてオーケストラに戒律の絶対的遵守を要求する。オーケストラと指揮者は常に一心同体でなければならない」
2006/05/03
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今日は、かずみさん(http://blog.goo.ne.jp/tres_heureux/e/1f4e0e1d1a1c4e7336e0918b14ee58d7)のご紹介で、オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」(マスカーニ)と「道化師」(レオンカヴァルロ)を観劇しました。 「カヴァレリア」の訳語に「田舎の騎士道」と書いてありました。確かにそうなんだけど、漢字で「田舎」と書かれると、曲のイメージと明らかに違う青森や岩手(ゴメン)を思い出してしまいます(苦笑)。本当はシチリア島が舞台で、確かに田舎なんですけどね。 「カヴァレリア」の間奏曲はオーケストラをやっていた時にアンコールでよく取り上げた曲で、青春を思い出します(今も青春時代真っ只中だけど)。キレイな曲で、泣けますね。 「道化師」のネッダ役をかずみさんは演じていました。素晴らしい表現力と歌声でした。他の主役級の歌手がsempre fffって感じだったのに対して、ppp、pp、p、f、ff、fffをバランスよく配して表情をつけていました。重唱でのアンサンブル感覚もあります。相方のカニオも素晴らしく、本当に楽しめました。(でも、サントゥッツァもよかったです)。 ちなみにゲネプロにはイタリアでも人気のマエストロ、井上道義さん(指揮者)が観に来ていたそうです。 「道化師」は、劇中劇と現実の境界がつかなくなってしまうという劇で(ややこしい)、「人生劇場の思想」を再考させられました。人生は劇のようなもの、ゲームの役割を演じているようなものということですが、でも、劇ならば許せるけど、ふと自分に帰ったときに、本当は許せないようなことも演じている可能性があるんですよね。 それから、「役割性格」、「囚人と看守の実験」を思い出しました。(詳しくは、僕のコンピテンシー診断をしてくれた川上さんの解説参照http://www.watsonwyatt.co.jp/publications/wwreview/wwr28/2817/index.html)。これも、現在の会社での役割を「役割性格」としてよいのか(反語表現です)、大いに反省しました。
2006/04/19
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先週は満開の桜を楽しまれた方も多いと思う。すっかり春ですね。 この季節になると、ストラビンスキーのバレエ音楽「春の祭典」を思い出す。(決して「春の祭典」の原語がサクラ・ド・プランタンだからではない) 冬の間、身を潜めていた花や新緑が、示し合わせたように硬い地面を突き抜けて、萌える。そのパワー、生命力に感動するのだ。 このことは、シュレスヴィッヒ-ホルシュタイン音楽祭オーケストラとのリハーサルビデオで、指揮者のバーンスタインが表情豊かに「大地の生命力」について語っているのを聞いて気づいた。普段は見過ごしがちなささいなことだが、このようなことに気づき感動する感性を大切にしていきたい。 パリでの初演のエピソードを読むと、ストラビンスキーの時代を切り開くチャレンジ精神にも感動を覚える。 初演の評価は散々だった。演奏が始まると、音楽と踊りのあまりの前衛さに賞賛とブーイングの嵐が起こり、音楽も聴こえなくなるほどだったそうだ。当時のパリ音楽界では「事件」、「スキャンダル」と評された。新聞ではマサクラ・ド・プランタン、「春の虐殺」と皮肉られた。 初演の会場は伝統あるシャンゼリゼ劇場。既に名声を確立したディアギレフ率いるロシア・バレエ団が、ニジンスキーの振り付け、モントゥーの指揮で初演した。 これほどのキャスティングを持ってすれば、普通の人なら、いつも通りのホドホドの演奏をすれば拍手喝さいは間違いないと考える。 しかも、客席にはサン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルなどフランス音楽界の大御所が陣取っていたそうな。普通の人なら失敗を恐れて手堅く無難にこなしたいと考えるに違いない。 しかし、ストラビンスキーと物語を書いたニコライ・リョーリフ(レーリッヒ:後の神秘思想家)は違った。自分たちの、思いの通りに主張した。それほど、大地の生命力を作品に託して表現・共有したかったのだろう。 リハーサルも困難を極めた。音楽の素養のないニジンスキーに1からその基礎を教えなければならなかった。120回もリハーサルを行い、不安になったディアギレフは振付助手にランベルク(ランベール)を新たにつけたほどだ。結果の予想がつかない中、成功のビジョンを打ち出し、リーダーシップを発揮して不安なスタッフを説き伏せて、初演までこぎつけた。 人は新たなチャレンジに踏み出すとき、失敗するかもしれない、成功は保障されていない、というリスクを背負う。成功の見通しはきかないものだ。そこで多くの人は、小さな成果が確実に手に入る、慣れ親しんだ方法を好む。 そんな中で、物事に感動し、表現したい、伝えたいという欲求に駆られてチャレンジする人が、時代を切り開いていく人なのである。ストラビンスキーはそういうスゴイ人物だった。 「春の祭典」の初演は散々だったが、やがて聴衆がストラビンスキーを理解できるまでに成長し、今では名曲中の名曲との評価を受けている。 注)「春の祭典」のあらすじ: 第一幕。雪が溶け、大地はふたたび花と草に覆われる。人びとの心に生命の悦びが満ちる。長老たちを従えた老賢者が春を祝福し、人びとは浮かれ踊る。 第二幕。夜。丘の上。処女たちが環になってぐるぐる回りながら、神秘的な遊戯をおこない、ひとりの処女を選び出す。選ばれた処女は恐怖におののきながら踊り、太陽神に生け贄として捧げられる。
2006/04/08
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3/19-23に、フランクフルトとモスクワに出張した。いつも出張時にはその土地にまつわるテーマを決めて、本などで少し勉強した上で訪問することにしている。 モスクワは5月にも出張予定のため、今回は「ロシアの音楽家」をテーマと定めた。 ロシアは音楽の豊饒の地である。作曲家では、グリンカ(ルスランとルドミーラ)、ボロディン(プリンス・イーゴリ、弦楽四重奏曲)、リムスキー=コルサコフ(シェーラザード)、チャイコフスキー、ストラビンスキー、ラフマニノフ(ピアノ協奏曲4番)、スクリャービン、ハチャトリアン、プロコフィエフ、ショスタコービチ、シチェドリンなどがいる。 *()内は好きな曲 演奏家も、シャリアピン、バイオリンのエルマン、ハイフェッツ、ミルシュタインなどアウアー門下生、オイストラフ親子、コーガン、シトコベツキー、レーピンやヴェンゲロフなどブロン門下生、スピヴァコフ、クレーメル、ピアティゴルスキー、ロストロポービッチ、マイスキー、ナカリャコフ、バシュメット、バルシャイ、ムラヴィンスキー、ロジェストヴェンスキー、ゲルギエフなど、実に多彩である。そして、バレエ音楽に多大な貢献をしたロシアバレエ団のバラキエフも忘れられない。 そんな中で、ピアニストは一大山脈を築いている。西側で知られている人々だけでも、アントン・ルビンシュタインに始まり、ラフマニノフ、ホロヴィッツ(世界中のピアニストで一番好きです)、オボーリン、ギレリス、リヒテル、ステファンスカ、アシュケナージ、プレトニョフ、ブーニン、キーシン、そして最近ではマツエフなど。 彼らはロシア音楽の特質を肌で感じているらしい。ニューヨークに住むホロヴィッツは、ラフマニノフの協奏曲を弾く数週間前から、ホテルの窓をカーテンで閉め切ってロシアオペラのレコードを聴きまくり、ロシア感覚を取り戻した。またハイフェッツは弟子がチャイコフスキーの協奏曲を弾いたとき「ロシアの冬はもっと寒い」と感覚的表現で指導した。 余談だが、20年ほど前、あるシンポジウムを聴講したとき、中沢新一が「今後ロシアから音楽的才能が噴出する」と言ったのに対し、ダニエル・ベルが「根拠が弱すぎる」と噛み付いていたことがあった。横にいた大前研一が苦笑していた。本件に関しては中沢新一が正しかったようである。 実はこれらを支えている教育レベルもスゴイ。チャイコフスキー・コンクールは世界で最も有名なプロへの登竜門であるし、モスクワ音楽院はルビンシュタインが設立し、チャイコフスキー、ラフマニノフなどが教え、日本からは佐藤陽子などが留学している。 今回は、ギレリス、リヒテルの先生で、ゴドフスキーの弟子であるゲンリヒ・ネイガウスに興味を持った。現代のモスクワ教育界の大家、ヴェラ・ゴルノスタエヴァが自著の中で、彼女の先生であるネイガウスを絶賛していたのがキッカケだ。ホロヴィッツもネイガウスを讃えており、リヒテルに至っては彼がシューマンのクライスレリアーナを弾かないのはネイガウスの立派な演奏を聴いてしまったからだとまで言っている。 ネイガウスの演奏は、日本ではCD6枚が発売されている。演奏の特長は、即興的創造性の豊かさと全体的なバランスのよさである。要するに自由で趣味がよい。彼の弾くピアノは全て気に入ったが、特にショパンが素晴らしい。 興味のある方は、ぜひ一度聴いてみてはいかがだろうか(→一枚1260円で売っている)。 お礼:ロシア滞在3日間のうち、2回の夕食につきあってくれた、モスクワ音楽院ピアノ科の「ぱちぇぷー」さんへ。演奏会や練習で忙しい中、ありがとうございました。 付録:ロシア革命を逃れてアメリカに渡ったラフマニノフ、ハイフェッツ、ストラビンスキーらは、みなビバリーヒルズに住んでいたそうな。イメージが合わない。。。
2006/04/01
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先日、東京都現代美術館で開催された「MOT アニュアル 2006 No Border - 「日本画」から/「日本画」へ(2006/1/21-3/26)」という絵画展に行った。3月10日放映のNEWS23での特集で日本画家の松井冬子さんが紹介され、興味をひかれたからだ。 松井さんは幽霊画が有名だが、この展示会でも夜を徘徊する盲目の西洋犬、絞めた鳥を手に浮遊する幽霊などを出展している。 幽霊画へチャレンジは、日本画技法の可能性の追求、停滞する日本画界活性化への刺激と、自分の気持ちを表現したい衝動が、幽霊画を描くことにおいて一致したからだ。 松井さんは、日本画の特長として、モチーフの繰り返しによるオブセッシブな狂気を指摘している。 そこで彼女は、自分ではどうすることもできない受動状況でのヒステリー、怒りを越えた悲しみ、絶頂に登りつめる寸前で静止して、見続けられないものを見続けさせられる感覚を、理性と狂気の境界線上で見事に描き切っている。 彼女の絵が、日常に埋没する生活者にあたえる刺激は大きい。一歩間違うとあちらの世界だが、今後も成長を楽しみにしたい芸術家の一人である。
2006/03/27
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久々にサントリーホールでオーケストラコンサートを聴いた。 曲はモーツァルトの初期交響曲とマーラーの交響曲第一番「巨人(タイタン)」。 特にマーラーは大好きな曲で、 喜怒哀楽が重層的に美しいメロディーで表現されており、 聴くたびに、必ず鳥肌が何度か立ち、目頭が熱くなる。 今日は新たな体験として、 曲を構造的に感じることが出来た。 音楽の伝達は、3つのフェーズで減衰が起こる。 1.作曲家が音楽を楽譜にどの程度表現できているか 2.演奏家が作曲家の意を汲んで音にできているか 3.聴き手が音をどれほど感じることができるか 演奏に多少難があっても聴き手の想像力で作曲家の偉大さを感じ十分感動できることが分かった。
2006/03/11
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スペイン料理「ドロルマ(Drolma)」(バルセロナ)2月中旬にスペインのバルセロナへ行って来ました。街の雰囲気と感想を少し書いたあとで、ドロルマというレストランをご紹介します。バルセロナはスペインの東側、地中海に面した場所にあり、ミロ、ピカソ、ガウディなど、バルセロナにゆかりのある芸術家の作品がよく似合う街です。彼らの作品は、原色系パステル調の色彩の豊かさ、流線的デフォルメが特徴ですが、これはまさにバルセロナを散歩していて感じる雰囲気そのもので、明るくて活気がみなぎる街でした。バルセロナで感じたことを2つご紹介します。1492年に新大陸アメリカを(欧州人から見て)発見したコロンブスは、実はこのバルセロナでイサベル女王に謁見し発見の報告をしています。バルセロナの港には航海で使用した船のレプリカが泊まっており、ランブラス通りには新大陸を指さしたコロンブス記念塔が建っています。そこでコロンブスがどのように偉大だったかを考えてみました。まず彼は、地球は丸く、西に向かって進めばインドや日本に到着できると信じました。そしてそれを実証すべく、生命をも賭けて出航しました。その結果、アメリカを発見し(コロンブスは死ぬまでインドを発見したと信じていたようです)、後にスペインに繁栄をもたらしました。仮説を立てて、リスクをとって、プロジェクトマネジメントを行って、行動に移して、検証してみる。検証結果が間違いでも行動したことで実利を得ている。この思考・行動特性は僕達も見習うべきものと思いました。また、「コロンブスの卵」という逸話があります。この話は、卵を立てるという目的を達成するための手段を、既成概念に捉われずに発想できるという能力を示しており、コロンブスのスゴさを物語っています。目的達成のための手段を10も20も自由に発想して、それらオプションからもっとも優れたものを採用するというプロセスがあったからこそ、偉業を成し遂げられたのだと思います。記念塔のコロンブスは新大陸を力強く指さしています。しっかりと仮説ビジョンを示して、不安を抱える船乗り達を率いるリーダーシップの強さも感じますね。残念ながら彼の晩年は不遇でした。戦地を転々とする王のお付きとなり、スペイン中を歩き回ったあげく病に倒れました。リーダーからフォロワーになってしまったようです。記念塔で新大陸を毅然と指さしていた姿がむなしく感じられます。次に、バルセロナ近郊のモンセラット修道院のご紹介です。ここは奇怪な形をした石山の中腹にある修道院で、ワグナーがオペラ「パルシファル」の舞台でこの風景を使ったり、ガウディが創造力の源を求めてよく訪ねたりしたことで有名です。そういえば「いびつな真珠」っぽいところがガウディの作品とも共通していますね。この修道院には黒いマリア像が祭られており、多くの巡礼者が訪れてマリア像の手の丸い玉に触ってお祈りをしています。丸い玉は多くの人の手に触れるため、少しへこんでいました。これはスゴイと思いました。サンティアゴ・デ・コンポステーラを思い出したからです。スペインには巡礼地が沢山あり、北部のサンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教三大聖地の一つとして、中世以来多くの巡礼者を集めています。そこには石で出来た「栄光の門」があり、巡礼達成の儀式(?)として、巡礼者はそこに口づけをします。その、ちょうど口づけをする部分がへこんでいるのです。多くの人の唇が石をもへこませてしまうのです。スゴイでしょう。しかも、聖地である所以は、9世紀にキリストの弟子である聖ヤコブの遺体が見つかったこと、その後いろいろな奇跡が起こったことなどです。信仰の問題なのでその真偽を問うつもりはありませんが、信じることにより多くの人々を現実に行動させ、石をもへこませてしまうのは、スゴイ!スゴイ!さて、本題のドロルマの紹介です。フェルミ・プイグさんというシェフの率いるドロルマがホテル・マジェスティックに開店したのは1999年。伝説のレストラン、エル・ブジで修行しただけあって、お店は2002年にはすでにミシュランの一つ星を獲得しています。90ユーロと135ユーロのセットメニュー、それにアラカルトから選べますが、今回は90ユーロのメニューにしました。このレストラン、ワインリストも充実しており、期待感が高まります。地元バルセロナの赤ワインを注文しました。そして、お料理の出し方が面白い。給仕が上品ににこやかにパフォーマンスしながら、スープを注いだり銀食器のフタを空けたりしてくれます。とても楽しみながらおいしい食事ができました。ちなみに食器は全てベルサーチでした。ホテル・マジェスティックは高級ブティックの並ぶグラシア通りに面しているので、帰りにショッピングを楽しむのもよいかもしれませんね。===メニュー===Dublin Bay Prawns' Fine Cream, Vegetables and Royal Crab MosaicRisotto of Sweet Peas, Green Asparagus and Beans with MintGilthead's "Suquet"Fresh Iberian Bacon, Mash Potetoes with TruffleChocolate's IngotPetits Fours*基本情報**店名: ドロルマ(Drolma)住所: Passeig de Gracia 70, Barcelona Catalonia, Spain電話: (34) 93-496-77-10**TPO**■友人と食べ歩き■家族と□短時間で手軽に■デートで□合コンで**予算***□~3,000円□3,000円~7,000円■7,000円~
2006/02/22
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フランス料理「ピエール・ガニェール・ア・東京」(表参道)パリの三ツ星レストラン、ピエール・ガニェールの東京店「ピエール・ガニェール・ア・東京」に行ってきました。このレストランは昨年11月末日に表参道にオープンして以来、東京で最も注目を集めているレストランの一つです。さっそく感想ですが、劇場でオペラを見終わったときのような重量感のある満足を覚えました。おいしい/まずい、といった次元とは別の、より芸術的な次元での満足体験でした。その秘密を独断で表現すると、『ピエール・ガニェールは「ボサノバ風ピカソ」である』といえます(実際にガニェールがボサノバをどう思っているかは知りませんが)。ピカソとの共通点は、当意即妙であること、既存の枠にとらわれないこと、の2点です。ボサノバは、個性としてラテンの土着性を感じたので、こう形容してみました。○当意即妙ピカソは多産な画家で、一日に同じテーマで何枚もの絵を描きました。そしてそれぞれの絵は、色使いなどが一枚づつ違うにもかかわらず、それぞれが完結した調和の世界を作っています。これは、その時々のある瞬間を捉えたとき、その一瞬の雰囲気や空気を、全体観を持った唯一無二の作品コンセプトに結晶化できているからだと思います。そして、汲めども尽くせぬインスピレーションの泉がうかがわれます。ガニェールも同様で、ある瞬間に与えられたテーマで、即興的に料理の全体観を作り上げていると思いました。検証のために店員に質問をしたところ、「彼は同じテーマでも今作るのと10分後に作るのとでは全然違う料理が出てくる」との裏づけのコメントを頂きました。作曲家に例えるなら、楽譜に何度も修正を加える努力の人ベートーベンではなく、「楽想は一瞬で思いついて、あとは時間をかけてそれを楽譜に書き写すだけ」といったモーツァルトタイプといえます。○既存の枠にとらわれない晩年のピカソの絵は、小学生にでも描けると揶揄されることがあります。現実の写実性が低く、単純な線や色で構成されているからです。しかしそこには守破離の離の境地があります。ガニェールも同様で、例えばフランス料理なのにメインにポップコーンが使われたりしており、一見メチャクチャです。「離」の状態にいっちゃっております。そういえば、お米も使われておりました。普通のレストランでは、例えばカレーライスならカレーライスのレシピがあって、お店同士の競争は辛いとか甘いとか玉ねぎがはいっているいないの次元で行われます。しかし、ガニェールにはこのような中間的なレシピはありません。与えられたテーマへのインスピレーションに従って、多くのレパートリーの素材をゼロから組み合わせて、独自のレシピを生み出していくのです。これにより料理が表現できる可能性の幅は爆発的に広がります。実際、メニュー開発のために年に4回日本に長期滞在するときには、驚くほど多くの香辛料などを持参してくるとのことでした。○ボサノバ風の土着的ラテン気質このような発想のモードでレシピが作られる場合、その人が持つ魅力的な個性が重要です。この個性は芸術家それぞれ違いますので、この点はピカソとは違います。ガニェールの個性で僕が連想したのは、説明は難しいですが土着的なラテン気質です。土の匂いがします。ストラヴィンスキーが「春の祭典」で描いたような、春になると大地から一斉に草が湧き出てあたり一面を覆ってしまうものすごいエネルギーの生命力とそれへの賛歌を感じます。ただし、あまりに土着的なため、既成概念に囚われている人々には受け入れられない恐れもあります。例えば、普通甘いものに隠し味としてお塩を少々入れますが、ガニェールは度を越した量の塩を加えることがあります。明らかな不協和音です。いみじくもピカソが「私は青の絵の具がなくなったときは赤の絵の具を代わりに使う」と言ったような自由さがそこにはあります。ちなみに、このような強烈な個性に対しては、日本では「巨匠だから許される」といわれます。しかしフランスでは、無名な人でも、評価するひとは評価するようです。その昔、若いガニェールに三ツ星を与えたり、エッフェル塔を作ったりルーブルにピラミッドを作ったり。このような企画を評価するのはフランスならではであり、絶対に日本では通らないと思います。そして、ラテン気質。なぜかボサノバやニューヨーク・サルサの力強くも洗練された軽妙な音楽が聞こえてくるようです。素晴らしいレストラン体験は料理だけではなく内装も大切です。ガニェールの内装のテーマは「波紋」。薄茶色でタイルの壁や絨毯に波紋を表す円が描かれております。ここで僕が連想したのは、ボードレールの「コレスポンダンス(万物交感)」という詩です。「自然は象徴の森であり、人間に語りかける。人間の五感が相互に呼応しながら反応し、精神と感覚が高揚して一つになる」。まさにガニェールの芸術にピッタリ当てはまります。では、このように創造的なレシピをガニェールはパリからどのように品質管理しているのでしょうか。若い腹心のシェフの派遣、徹底したレシピ、厨房に設置された3つのWEBカメラ、電子メールや電話により、品質の再現を保証しております。このあたり、イノベーション(創造)とマネジメント(仕組み化)の見事な融合です。ちなみに芸術とITも融合しています。前置きが長くなりました。では、当日のメニューをお楽しみ下さい。☆ ☆ ☆1.黒いジュレをまとったポルト酒風味のフォアグラのクリーム、赤ビーツのアイスクリーム、マンディアンのカリカリトーストを添えて2.ターメリックの効いた帆立貝のロザス仕立て、カリフラワーのクリーム3.スズキのムニエル、エジプト豆の粉を使って ほろ苦い野菜たち(アンディーヴのフォンデュ/ロメインレタス/大根のカンパリ漬け)4.小さな貝類の“ミトネ”、高貴なバターの香り ポトフ仕立てに火を入れたこぶみかん風味のポロ葱5.手長海老:3種の調理法で -手長海老と緑マンゴー入りタルタル 爽やかなグレープフルーツの酸味 -パプリカ風味のポワレ 緑レンズ豆とクルミを添えて -冷製ジュレ 西洋わさびのムースを浮かべて6.ニュージーランド産仔牛のフォンダン ポップコーン、パセリのアクセント、リコッタチーズとトウモロコシのクリーム7.フロマージュ8.グランデセール(7種)*基本情報**店名: ピエール・ガニェール・ア・東京住所: 東京都港区南青山5-3-2 南青山スクェア4F電話: 03-5466-6800**TPO**■友人と食べ歩き■家族と□短時間で手軽に■デートで□合コンで**予算***□~3,000円□3,000円~7,000円■7,000円~
2006/01/30
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『give and take』という言葉についてよく考える。その意味するところは、・人間は他者が必要な存在・人間はtakeしたい存在・giveした分だけtakeできる・takeよりgiveを先に起こすといったところだろうか。因果応報みたいな。気の利いた人は、『give and give and take』という。・takeより多くをgiveしなさいということだ。さらに、『give and give and given』と深化する。takeではなくgiven。・奪い取るのではなく与えられるのである。最後は、『giving and receiving are the same』となる。・与えることは受け取ること同時に起こる。上記は美しい深化論で、おそらく正しいだろうが、その意味はまだまだ模索中。要するに仮説である。* * *ではなにを「give」するのだろうか。最初に思いつくのは、いわゆる、ヒト・モノ・カネ・時間・情報。経営学の用語で経営資源とよばれているものである。もう少し本質的なものは、思いやり、愛、アテンションなど、心の領域に属するものだろう。マザー・テレサはまず「ほほえみ」を与えなさいと言う。態度でもよいと、ある人はいった。とすれば、無意識なメッセージとして与えていることもある。本人は与えていることに気づいていないのに、「あなたは私にとって大切ではない」というメッセージを与えてしまうことは、よくある。態度を生むものは、考え方、価値観、beliefなどと呼ばれているものである。とすれば、人間修養は大切である。聖書に「女に欲情を感じたら、それは、誨淫を犯したのと同じである。」とある(注1)。そういうことである。注1:僕自身は「女に欲情を感じる」のは自然の欲求だと思っている。種族維持に必要な欲求だから(注2)。いきなり欲情から誨淫に行くのは飛躍ですけどね。風と桶屋の儲けみたい。注2:動物には、・身体維持機能(口、消化器官、内蔵、心臓、血管など)、・種族維持機能(生殖器、乳房など)、・これら機能の使用を刺激する食欲、性欲、子を愛しケアしたい本能など、が備わっている。これらは必要だと思う。
2006/01/28
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このたび、『第2回「イタリア大好き」日曜ランチ会』を企画致しました。日曜の午後のひと時をイタリア話に花を咲かせませんか。店をご案内します。 『ダ・パスクワーレ』(恵比寿) そのコンセプトは、ずばり「本場イタリアの石窯で焼く素材にこだわったナポリピッツァ」。お楽しみに。 以下、要領です。参加ご希望の方は下記連絡先までご連絡願います。皆様とお会いできることを楽しみにしています。 (といっても、残席2、3です) 記 日時: 2006年1月22日(日) 11:30-14:00 場所: ダ・パスクワーレ ・住所: 東京都渋谷区恵比寿3-28-3 ・電話: 03-5475-1761 ・地図: http://www.hotpepper.jp/s/H000010546/map.html 集合場所: 現地集合 費用: 4000円めどで実費精算(割勘) 募集対象者、人数 ・イタリアの話をする/聞くのが大好きな方。 イタリア料理が好きな方、旅行経験者/予定者、伊語学習者、 元居住者、etc. ・お一人で参加される方も3、4割いらっしゃいます。 参加しやすいよう配慮致します ・募集人数は20人程度です。1/20現在の参加者は18人です。 申し込み多数の場合は先着順(gree、mixi、メール合わせて)です 幹事:みずのふみひろ、ゆり姫さん(アドバイザー) ☆来店前にイメージトレーニングで食欲をそそりたい方は、こちらから!☆ (お店紹介URL) http://www.pasquale.jp/ http://renarenaxxx.jugem.cc/?eid=715#comments http://www.bs-asahi.co.jp/precon/lineup_25.html http://www.tbs.co.jp/chubaw/ http://www.hotpepper.jp/s/H000010546/top.html http://dfm.dining.ne.jp/restaurant/?rid=1583 http://www.hanako-net.com/omise/detail.jsp?id=82201501&gosu=0 http://flyingbeans.cocolog-nifty.com/blog/2004/12/da_pasquale.html http://dining.rakuten.co.jp/interview/?rid=1583 http://mileageplus.dining.ne.jp/restaurant/?rid=1583
2006/01/20
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中華料理「全記海鮮菜館」(香港)←写真つきバージョンイケスにいる何百匹・何十種類もの魚介類をその場で選んで調理してくれる海鮮料理のお店です。その迫力にもう圧倒されてしまいました。昨年11月に香港で発見しました。海鮮街と書かれた大きな門をくぐると海鮮料理のお店が並んでいます。多くは一階がオープンエアで道路まで机を並べて営業しております。僕たちが入ったのはその一番手前のお店の二階でした。レストランに入る前に、まずはイケスから魚介類を選びます。大き目の水槽が沢山並んでおり、その中から何種類かを指名すると、お店のお兄さんがビニール袋に入れて手渡してくれます。ここまでは、どちらかというとおろし市場の雰囲気ですね。その後食卓に着くと、オーダー時に給仕が調理法を聞いてきます。中国人の友人と行ったので、長い時間をかけて喧喧諤諤と議論して決めていきました。なんでもこのような注文ができないと一人前の奥さん(旦那さん?)にはなれないと言われているそうです。もちろんここまでの注文はできない日本人のために、日本語のメニューも用意されていました。このようなプロセスを経て運ばれてくる料理は、当然新鮮でオ・イ・シ・イ!このお店は地元でも有名で、ジャッキー・チェンが来たときの写真も飾ってありました。*基本情報**店名: 全記海鮮菜館住所: 香港島・南側海岸沿い(本店)電話: 27929294(本店)/27911195(分店)**TPO**■友人と食べ歩き■家族と□短時間で手軽に■デートで■合コンで**予算***□~3,000円■3,000円~7,000円(ディナー)□7,000円~
2006/01/04
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メキシコ料理「フォンダ・デ・ラ・マドゥルガーダ」(原宿)(画像つき)原宿駅から徒歩7分、駅前の喧騒が嘘のようなしっとりと落ち着いた場所にフォンダ・デ・ラ・マドゥルガーダはあります。店名の意味は「夜明けまで集いを楽しむ食卓」。入り口の階段を降りると、照明のやや暗い空間に陽気でありながらどこかしら憂愁の漂う歌声が響いていました。そして、仕事後に料理を楽しむ人々の底抜けに明るい笑い声と会話...。外国のお客様が多かったこともあり、南欧や中南米でレストランに入った感覚を覚え、一瞬、「ここは本当に日本か?」と思いました。ラテン系ロマンティックな雰囲気に溢れたレストランです。お店の調度品と食材はメキシコからの直輸入、メキシコ人のシェフは、メキシコやカリフォルニアの五つ星ホテルのレストランで腕を振るった方だそうです。ディナー時には本場メキシコ音楽家によるライブを行っています。お店に一歩足を踏み入れた時に感じた「本物感」はこれらに裏づけされていたんだと納得。お料理は、トルティーヤなどメキシコ料理のイメージそのままのメニューのほか、地中海料理のイメージに近い、魚介類を使ったお料理も美味しかったです。唐辛子の原産地は実はメキシコだそうで、6種類の唐辛子を使い分けたお料理を楽しめます。*基本情報**店名: フォンダ・デ・ラ・マドゥルガーダ住所: 東京都渋谷区神宮前2-33-12 ビラビアンカB1電話: 03-5410-6288**TPO**■友人と食べ歩き■家族と□短時間で手軽に■デートで□合コンで**予算***□~3,000円■3,000円~7,000円(ディナー)□7,000円~
2005/12/18
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イタリア料理「エチェッソ カバチ」(青山)エチェッソ カバチは、休日のランチにフラッと立ち寄るのに最適なお店です。表参道から外苑前に向かった通り沿い左側の地下一階にあります。店内は、白をベースとした明るい店内にポイントとしてオレンジの照明が加わり、清潔感のある明るい雰囲気を演出しています。ブライダルでもよく使われているようです。さらに十数人入れる個室もあり、こちらは白で統一されています。ちょっとした食事会に最適で、僕はイタリア好きな仲間たちとの食事会で利用しました。お料理の特長は、有機農法を使った素材にこだわっていることです。僕がオーダーしたサラダランチ(1,600円)では、「筑波産くまだ農園直送 20種類の有機野菜を使ったサラダ」、パスタ、デザート、コーヒーを頂きました。サラダは素材の味がそのまま伝わってくる調理法で、農園で野菜を収穫してそのままスグに食べているような感じを覚えました。なんとも健康的なお店です。*基本情報**店名: エチェッソ カバチ住所: 東京都港区北青山3-3-11 ルネ青山ビルB1電話: 03-5410-5353**TPO**□友人と食べ歩き■家族と□短時間で手軽に■デートで□合コンで**予算***■~3,000円(ランチ)■3,000円~7,000円(ディナー)□7,000円~
2005/11/23
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フランス料理「ぎんきょう」(目白)素晴らしい隠れ家レストランを目白で見つけました。BCGの方との月例一軒屋ランチシリーズで行って来ました。このお店の特徴はズバリ、食の総合芸術体験です。つまり、食空間と食の時間の流れと料理が調和の取れた形で総合的にプロデュースされており、あたかも音楽と舞台演劇が融合してオーディアンスに迫ってくるオペラのように、総合的な食事感動を味わうことができます。まず立地は目白の閑静な住宅街。ちょっと見つけるのが困難ですが、特別な場所にはそれくらいがちょうど良いのです。建物は建築家の泉幸甫さんの設計。2本の銀杏の木と花壇のある小道を抜けてエントランスに通されます。室内は白を基調とした小ぎれいな作りで、外光と照明で洗練された落ち着いた雰囲気が演出されています。昔ブルターニュに訪ねたウジェ-ヌ・ブーダン(印象派の先駆者)美術館を思い出しました。室内には日本を代表する彫刻家の佐藤忠良さんの作品が配置されております。まずは質の高い空間での美術鑑賞で審美的気分が盛り上がった上で、フランス料理フルコースに突入しました。お料理の方は、、、申し分なかったです。今後、隠れ家として愛用することに決めました。土曜の午後、贅沢なひと時を過ごすのに最高です。*基本情報**店名: ぎんきょう住所: 東京都新宿区下落合3-19-2電話: 03-3950-9155**TPO**■友人と食べ歩き■家族と□短時間で手軽に■デートで□合コンで**予算***□~3,000円□3,000円~7,000円■7,000円~
2005/11/01
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今月、心に残った出来事を書いてみます。本日(10/29)は出版業界において画期的なビジネスモデルを提唱・実践し次々とベストセラーを生み出している「天才工場」の吉田浩社長のセミナーに参加しました。本の売れ行きはタイトルの威力が大きいですが(例:「さおだけ屋は なぜ潰れないか」)、彼のタイトルネーミングの発想は素晴らしいです。セミナーでは10人ほどの参加者がそれぞれの企画書を発表しましたが、僕はその場で素晴らしいタイトルを頂くことができました。感謝。ちなみに本日のゲスト審査員は内藤みかさんと中本千晶さんでした 。昨日は久々にワトソンワイアットのキャメルヤマモトさんのセミナーを聞きに出かけました。彼の話はいつも着眼点がユニークで思考の刺激になります。昨日は、変革や改善の前に強みを活かしましょうというお話でした。特に海外で戦う場合、日本企業の長期雇用を前提とした密教的社内教育や、外国語での情報伝達の効率の悪さが手伝って、なかなか強みを伝えられないとのこと。たしかにその通りですね。では強みはどこにあるかというと、過去の復習から導かれる教訓(お客様第一といった社訓など)、未来のビジョン、現在の製品・サービスやそれらを生み出すプロセスから取り出すものといいます。製品・サービスの強みはシンプルに表現できるけどそれを生み出すプロセスは複雑とのこと。そのシンプルな表現を取り出すには、経営コンサル的な分析作業ではなく佐藤可士和さんのようなアート・ディレクター的な感性が必要とのこと。余談ですが、3年前にワトソンワイアットの淡輪社長(個人的にキャリアカウンセリングでお世話になりました)と佐藤可士和さんの対談を月刊誌「宣伝会議」に提案したことがあります。キャメルさんから佐藤さんの話が出てその記事を懐かしく思い出しました。また、実はキャメルさんとは今月初旬、ロシア出張帰国日の翌日に、友人4人と飲みました。彼が日本企業による海外企業のM&A経験者を探していたので、HPの友人を介して品川化工の佐々木亮社長をご紹介しました。この背景がセミナーで分かり、その意味でも楽しいセミナーでした。さらにキャメルさん関連でもう一件。昨年中国上海に出張したとき、上海にMBA留学していた岡本聡子さんをやはり上海在住のキャメルさんに紹介しましたが、その岡本さんがメルマガを元に新刊を出されました(「上海MBAで出会った 中国の若きエリートたちの素顔」)。ご興味ある方はどうぞ。先週土曜日は、外資経営コンサルM社で先月まで5年間ビジュアルエイド作成に携わってきた方を、「マッキンゼー流図解の技術」の訳者(同じく元M社)でプレゼン講座開催を企画している方に紹介しました。コラボレーションでいい講座が出来るといいなぁ。今月は、3年前に通っていた松岡正剛の編集学校の同窓会にも行きました。松岡さんの本「知の編集術」は、編集者のみならずコミュニケーションや企画に携わるあらゆる方に有用です。ぜひご一読を。それから、友人のイタリア旅行報告食事会(3人で行きました)も楽しかったですね。ルッカ近郊の有機ワインの農園に一週間滞在しアグリツーリズモを楽しんだそうですが、ここのオーナーの日本人は日本での不登校児などを農園に受け入れてきた有名な方で、NHKの一時間番組でも取り上げられたそうです(「天国からのメッセージ」)。ゴクミをアレジに紹介した方でもあります。ソニーの大賀さんや安藤さんも訪ねられたことがあるそうで、僕の友人は大賀さんに勧められて訪問を決めたとのこと。そのほか、エスニック探検隊で浅草の美味しい韓国料理に行けたこと、BCG友人との定例食事会で、目白で素晴らしい環境のフレンチを発見できたこと、モスクワで音楽院ピアノ科への留学生3人とおいしい食事ができたこと、初めて人前結婚式に出席できたこと(旦那は東大(理系)→京大(文型)→外資コンサル→メーカー経営企画→BCG、加えてベストセラー執筆や後進指導も行うというエリート、奥さんもミス京都ファイナリスト、スポーツ特待生に運動会短距離走で勝っちゃった、京大というマルチな方)もいい思い出です。
2005/10/30
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コルトバとマラガのスペイン料理(コルトバ、マラガ)スペイン旅行シリーズの最後はコルトバとマラガです。スペイン特集の最終回で、いよいよクライマックスを迎えます。■コルトバコルトバも歴史の古い街で、ローマ時代の哲人として有名なセネカはコルトバの生まれです。イスラム時代には後ウマイヤ朝の首都として栄え、最盛期には百万人の人口を誇りました(現在は30万人)。その後、レコンキスタ運動でキリスト教徒に征服されました。コルトバやアンダルシア地方を調べていて面白かったエピソードをいくつかご紹介します。後ウマイヤ朝絶頂期の王ラーマン3世は、実は金髪で、髪を黒く染めていたそうです。当時はハーレムに女性を囲む文化があり、美しい女性は動物のように売買やプレゼントの対象にされたり、あるいはより暴力的に、拉致監禁でハーレムに連れてこられたりしました。当時、美しいとされる女性は金髪が多かったらしく、混血が進んで金髪のラーマン3世が生まれたそうです。レコンキスタの英雄、ル・シッド(マスネのオペラでも有名)は、キリスト教国に追放されたとき、イスラム教国のために戦いました。ル・シッドにしてみれば、レコンキスタは宗教的信条を巡る戦いではなく、単に職業軍人としての職場だったのかもしれません。レコンキスタの完成やコロンブスの後援などの偉業を成し遂げたイザベルとフェルディナンドの両王は、1492年に、ユダヤ人追放令を発効しました。イザベルが執拗な信念を持ってレコンキスタを遂行したため国庫が疲弊しており、国庫増収を目的にユダヤ人を追放し彼らの財産を没収しました。偉人というよりは偏執狂(パラノイア)のイメージかもしれませんね。スペインって、なんとも不思議で人間くさい国ですね。コルトバの歴史地区は中央にメスキータと呼ばれる寺院があり、その周りにユダヤ人街が広がります。メスキータは当初イスラム寺院として立てられ、後年、内部の一部がキリスト教会に改造されました。両宗教が共存した何とも不思議な寺院です。エルサレムと違い、共存しているところが素晴らしいと感じました。また、イスラムの時代にはエスニックであるユダヤ人と共存してコルトバに繁栄がもたらされました。経済を握っていたユダヤ人を追放した後の凋落(新大陸から金銀が流入したにもかかわらず膨大な戦費支出で何度か国家破産している。主な戦争相手は経済力をつけたネーデルランドで、そこではスペインを逃れたユダヤ人が活躍していた)を思うと、ダイバーシティ(多様性)を内にかかえて繁栄に繋げるという現代的課題を解くヒントがそこにはあるように思えます。エスニック側からの体制への適応の仕方を見ると、ロマ(ジプシー)のフラメンコが面白いです。世界中に散らばった彼らはその地の文化を吸収して独自の文化を築く才能があります。スペインではフラメンコを発達させ、ハンガリーでも独特なジプシー音楽を発展させました。経済的にはフラメンコや闘牛での成功者を除いては未だに最下層に甘んじています。これに対してユダヤ人は、経済的には中国の客家のごとく世界中に広がったネットワークで成功を収めました。しかし、ユダヤ人追放令でキリスト教に改宗したいわゆる改宗ユダヤ人が、体制に受け入れられたいがために、ユダヤ人狩りや魔女裁判の告発に最も積極的であったりして、その後も厳しい道を歩んでおります。コルトバの、ユダヤ教寺院であるシナゴーグには中世最大の哲人の一人、マイモニデスの像がありますが、彼も迫害を逃れてエジプトに移住しています。そのシナゴーグに「違いを認めて仲良くしよう」と書いたプレートがあります。中世のユダヤ人の言葉ですが、今も昔も、全くその通り!でも、彼らが言うと言葉に重みが加わります。さて、コルトバのレストランは、エル・カバーリョ・ロホとメソン・バシリオに行きました。エル・カバーリョ・ロホは美味しくサービスも抜群で、観光客も多いためか外国人対応にもそつがないです。一方、メソン・バシリオはご近所さんが集まる定食屋の風情で、より素朴な郷土料理が楽しめます。それでもミシュランや地球の歩き方に紹介されているので、その実力がうかがい知れますね。■マラガマラガでは歴史散策はやめて海岸でゆっくり過ごしました。ここはイギリス人などの保養地として発展しています。気候のせいもあり、女性は20人に1人位の割合でトップレスです。しかも子供からおばあちゃんまで含めてです。羞恥心も文化で学習するものなんだ、文脈を無視してこれを「いい、悪い」と論じることは意味がないんだ、と実感しました。また、マラガはピカソの生地でもあります。ピカソはここで10才まで過ごし、バルセロナに移りました。家の前の広場には鳩が遊んでいます。ピカソはこの鳩が大好きで、鳩の絵を沢山描いたり、娘をスペイン語で鳩と名づけたりしました。僕はピカソの溢れ出る力強い想像力が大好きで、機会があるごとに美術館に足を運んでいます。数年前にピカソが活躍したパリのピカソ美術館、昨年11月にはバルセロナのピカソ美術館、今年2月にはピカソが没した南仏ムージャンのピカソ美術館を訪れました。僕のピカソ巡礼も今回のマラガのピカソ美術館訪問で一区切りです。マラガでは、エル・チニータスというタパス屋に入りました。ここは昔はフラメンコショーを行っていたタブラオであり、スペインを代表する詩人のロルカの祖父がフラメンコで活躍していました。ロルカには「カフェ・デ・チニータス」という作品がありますが、もしかしたらこのタパス屋のことかもと空想に耽りました。
2005/10/10
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セビリアとカディスのスペイン料理(セビリア、カディス)さて、今回の旅の目的地、アンダルシア地方にやってきました。セビリア、カディスとコルドバ、マラガの2回に分けてレポートします。アンダルシアは「地中海の最も古い国」の一つです。支配民族は、フェニキア人などの殖民時代を経て古代ローマ、それを滅ぼした西ゴート、イスラム教徒でアフリカから来たムーア人、キリスト教徒と変遷し、少数民族として、ユダヤ人、ロマ(ジプシー)が共存しました。このような多様性の下で、アンダルシア特有の文化が生まれています。旧石器時代の洞窟美術、ギリシャ、フェニキア人の遺跡、古代ローマ帝国の文化、イスラム文化(古代ギリシャやイスラムの天文学、哲学、数学等はこの地を介してルネサンス期にヨーロッパに広がった)を経て、レコンキスタ後に新大陸発見による貿易で賑わった後、フラメンコ、闘牛などがロマによって発明・発展しました。■セビリアまずはスペインの代表的観光都市、セビリアです。万博(1992)の開催地として記憶にある方も多いと思いますが、その歴史は古く、古代ローマの5賢帝の中の2人、トラヤヌス帝(彼の統治時にローマ帝国の領土は最大になった)とハドリアヌス帝もセビリア近郊の生まれです。コロンブスが到達したのがインドではなく新大陸だと証明したアメリゴ・ベスプッチ(「アメリカ」の語源)はセビリア港から出帆しています。日本との交流もあり、近郊のコリア・デル・リオ市には、ハポン(=スペイン語で日本の意味)姓の住民が約六百五十人もいるそうです。17世紀に伊達政宗の正使として、支倉常長の慶長遣欧使節団が同市に残った日本人の子孫で、なんと彼らには蒙古斑があると言われています。さらに、有名なフラメンコはセビリアからカディスにかけた一帯で発祥・発展しました。文化的に豊饒な地です。また、音楽好きの僕にとっては、カルメン、セビリアの理髪師、ドンファン、フィガロの結婚の舞台として魅力的でした。カルメンが勤めたタバコ工場は現在ではセビリア大学の法学部として使われています。灼熱で食欲減退していたので、ロブレス・タパスに入りました。ここは、セビリアの老舗レストラン、ロブレスが経営するタパス専門店。店内は闘牛士の写真で飾られており、セビリア気分満点です。最上級の生ハムとコールドタパス3点盛りとシェリーを注文しました。「シェリー」は実は英語であり、スペインでは「ヘレス」と言わないと通じませんので要注意です。僕が「シェリー、シェリー、近くのヘレス・デ・ラ・フロンテーラのお酒」と英語で説明していると、後ろで聞いていた地元民が「ヘレス」と通訳してくれて、やっと注文できました。食後はセビリア一番の老舗タブラオ、ロス・ガリョスでフラメンコショーを堪能しました。■カディスカディスはセビリアからさらに南下した地中海沿岸都市で、コロンブスがアメリカへの二度目の航海にこの地から出帆したことや、ウサギの格好をしてピョンピョンと飛び跳ねるだけのカーニバルで有名です。貧乏だけど活気のある港町で、今回の旅行で最も感動した街の一つです。クラシックの作曲家「エマニュエル・ファリャ」の生家もあります。ここで入ったタパス屋さんは「アウレリオ」。海の幸がで有名な地元民で賑わう小さなお店です。ミシュランに載っていました。アウレリオとは当地の伝説的なフラメンコ歌手「アウレリオ・セジェス」から来ています。彼の歌を思い浮かべながらのタパスは最高でした。
2005/09/20
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カセレスのスペイン料理(カセレス)夏休みスペイン旅行のレポート第二弾です。レコンキスタに続き新大陸への探検家を数多く輩出したエストレマドゥーラ地方のカセレスをご紹介します。■カセレス実は、カセレスのレストランレポートは書けません。ガイドブック2冊で目ぼしいレストランをチェックし、歩いて店の位置まで確認したのですが(入口の写真まで撮った!)、ホテルに帰って一服したところ、疲労でそのまま深夜まで寝込んでしまいました!旅のスケジュールは体力の限界を考慮しないとダメですね。ちなみにチェックしたレストランはこんな感じです。行きたかった!『Cafe de Pinuelas』郷土料理の小さなレストラン。気取らない雰囲気。ワインも豊富。value for moneyが高い(出典:ミシュラン)。ホテルはパラドール・デ・カセレス。旧市街の城壁内にある唯一のホテルで、14世紀に建てられた邸宅を改装している。パラドールとは歴史的建造物を使用するなどクオリティの高い空間を提供するスペイン政府運営のホテル群で、スペイン旅行では一度は利用したいものです。グラナダのアルハンブラ宮殿内にも有名なパラドールがあります。カセレスはローマ時代に築かれた都市で、レコンキスタ(キリスト教徒がイスラムから国土を取り返した運動)の時代に栄えました。旧市街の城壁に囲まれた部分が中世そのままの形で残っており、「エストレマドゥーラの宝石」と言われています。僕が訪ねた時の気温は40℃。人気(ひとけ)のない石で出来た街をほとんど朦朧としながら彷徨いました。こういう体験も非日常的でいいものです。エストレマドゥーラ地方は、メキシコを征服したコルテス、ペルーを征服したピサロなど、新大陸への探検家を輩出した地方として有名です。新大陸のキリスト教化の象徴として「全スペイン世界の守護聖母」が祭られているグアダルーペ修道院もこの地方にあります。コロンブスはこの修道院に新大陸からインディオを連れてきてキリスト教徒に改宗させました。それにしても、当時の征服者たちが秘めていた国外へ膨張するエネルギーはスゴイ。征服者の人口当たりの出現率もスゴイ。そのエネルギーの源泉を調べてみました。それは、「凱旋欲求とハングリー精神」。当時この地方では長男が一家の財産を相続することになっており、次男以降は財産がなくハングリーでした。財を成す方法として農耕、狩猟、商業などがありますが、農耕はハヤりません。スペインでは羊毛が主要な財源で羊の放牧を優遇する法律があったため、畑が羊に荒らされてしまうからです。「お犬さま」ならぬ「羊さま」の世界ですね。そこで彼らのエネルギーは新大陸での狩猟・商業、すなわち原住民(インディオ)の征服、金銀の略奪、鉱山の経営、金銀や奴隷インディオの売買に向かいました。彼らは新大陸で財を成して故郷に錦を飾り、立派な邸宅を建てて長男に報いたわけです。その立派な邸宅にモチベーションをくすぐられ、第二、第三のピサロを目指した若者が続出したんですね。不思議なことに、当時新世界を支配した心意気みたいなものは現在の街の雰囲気からは全く感じられません。現在は、豚や羊や牛が放牧されている、いつまでも続く草原のなかにポツリポツリと点在する田舎町といった印象です。ちなみに現在の主要都市の人口は少なく、カセレス:8万人、グアダルーペ2千人、トルヒーリョ9千人です。...夏草や 兵どもが 夢の跡
2005/09/03
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マドリードのスペイン料理(マドリード)夏休みにスペインのアンダルシアを中心に一人旅しました。何回かに分けてスペイン番外編としてご紹介します。当然、スペイン料理にも大きな期待を抱いて、8月5日に日本を発ちました。飛行機の中でハモン・セラーノ、タパス、パエリヤ、カステラ(マドリードのあるカスティーリア地方から来ている)を食べている夢を見ました(念ずれば通ず)。レストランガイドは、ミシュランの2冊「スペイン」、「アンダルシア」と「地球の歩き方 スペイン」の重装備で望みました。なお、旅行の目的は下記の通りですが、現実逃避もあるかもしれません(笑)。1.地球観(空間の広がり)と歴史観(時間の広がり)を養う ・西洋で歴史探訪2.頭の中のイメージアーカイブを増やす ・本の知識だけではなく体感3.異文化共存社会を観察する ・イスラムとカトリック ・エスニックとしてユダヤ人とロマ(ジプシー) ・旧大陸と新大陸訪問地は、マドリード、カセレス、セビリア、カディス、コルドバ、マラガです。■マドリードまずは、ミシュランにも地球の歩き方にも載っている「ボディン」に直行。1725年の創業で、真偽は分かりませんが、欧州最古のレストランと書いてありました。ヘミングウェイ(「誰がために鐘は鳴る」はスペインが舞台。従軍記者としてスペイン内戦に参加した)も常連で、彼は2階席がお気に入りだったようです。僕は貯蔵庫を改装した地下席に通されました。名物料理は「子豚の丸焼き」だそうですが、一人では到底無理。ガスパーチョと羊の丸焼きを注文しました。特にガスパーチョは、野菜などをミキサーにかけてよく冷やしたスープで、暑いスペインではとても美味しく戴けました。次に入ったのは、マヨール広場を歩いて見つけた「ムゼオ デル ハモン(ハムのミュージアム)」。店内は各種生ハムで溢れていますが、とにかく安くて美味しかったです。最後は「アサドール・ドノスティアラ」に行きました。スタジアムの近くにあるバスク料理店で、レアル・マドリードの選手もよく訪れるそうです。スポーツ選手を満足させるだけあって、ここはボリューム満点。カスティーリャスープ(ニンニクと辛子スープに小さなパン切れが入っている。バスク地方ではなくカスティーリャ地方の料理ですが)が美味しかったです。旅の感想を少し。スペインに赴任していた元上司にマドリード情報を聞いたところ、市の南は大変治安が悪く、グラン・ビア通りやマヨール広場では日本人をボコボコに殴って気絶させた上で金品を盗む犯罪も発生しているそうです。そういえばアトーチャ駅でも爆破事件がありました。急ぎ「地球の歩き方」で予約したホテルの場所を確認したところ、なんと「グラン・ビアの中心に建つ」とうたい文句が書いてあるではありませんか!急ぎ、ホテルを市の北側に変更しました。印象に残ったのはマドリードの3大美術館「プラド美術館」、「ティッセン・ボルネミッサ美術館」、「ソフィア王妃芸術センター」をじっくり見れたことです。エル・グレコ、ベラスケス、ムリーリョ、ゴヤ、ピカソ、ミロなどを心行くまで堪能しました。昔、肖像画は現代の写真の役割も果たしていたため(お見合い肖像画と実物があまりに違いガックリという報告もある)、ベラスケスの「フェリーペ4世像」は何種類も残っています。一瞬で撮影できる写真と違い、時間をかけて、おそらくモデルとお話しながら書き上げていくプロセスの中で、いかに的確に人物の特徴を捉えて表情に描ききるかが腕の見せ所。そのような観点で見ると、確かにベラスケスやエル・グレコは人相の読みが深くスゴイ画家です。ピカソの「ゲルニカ」は、その製作過程が時系列で写真紹介されており、これも興味深いものでした。よく教科書に載っているゴヤの「裸のマハ」もありました。
2005/08/16
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NECのお客様向け情報サイト「Wisdom」でブログ「食通独身ビジネスマンのグルメ日記」を担当してます。http://www.blwisdom.com/blog/mizuno/近況報告です。今日(日曜日)はイタリアづくしでした。イタリアに触れているだけで幸福な僕にとってはツボを押されっぱなしで大変充実した一日でした。・「イタリア大好き」日曜ランチ会 (11:30-15:20)・ブランディング&コミュニケーション研究会 「イタリアとブランド」 (16:00-18:00、 飲み会は18:20-22:30)■「イタリア大好き」日曜ランチ会ゆり姫様(http://plaza.rakuten.co.jp/himerestaurant/)と僕の共催で日曜ランチ会を実施。エッチェッソ・カバチ・aoyamaでイタリア好きが10名集まりイタリア談義に花を咲かせました。オペラ歌手3名(イタリア演奏旅行やプッチーニ・トゥーランドット出演を予定)、ピアニスト1名、通訳1名(ワールドカップではチームお付きの通訳も)(ここまでイタリアに数年の居住経験あり)、他イタリア大ファン4名が参加しました。■ブランディング&コミュニケーション研究会「イタリアとブランド」主催している研究会(参加資格は経営コンサル、広告/PR代理店、企業ブランディング担当者、熱心な学生で、かつ一緒にいて僕が気持ちよく過ごせる方!?)の月一定例勉強会をリクルート会議室で実施。8年のイタリア在住を経て今はBCGでコンサルタントをしている友人に「イタリアとブランド」のテーマでお話頂きました。参加者は約15名。その後の飲み会では勢いでサークルノリの合宿実施を決定。ブランディングコンサルタント、イタリアブランドカーの日本でのブランディング担当、独立PRコンサルタント他と芸術論で盛り上がりました。「イタリア大好き」と「ブランディング&コミュニケーション研究会」にご興味のある方はご連絡下さい。(f-mizuno@nifty.com)
2005/04/24
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ごぶさたしております。正月以来となってしまいましたのでまずは近況報告です。■グルメブログ始めましたNECのWisdomという社外向け情報サイトで「食通独身ビジネスマンのグルメ日記」というブログを担当することになりました。ご覧になって頂けると、さらに書き込みをして頂けると嬉しいです。僕以外の著者は有名な方が多く、充実したサイトになっています。高橋俊介の連載やHPのCEO、フィオリーナの講演など、おもしろかったです。http://www.blwisdom.com/blog/mizuno/http://www.blwisdom.com/http://www.blwisdom.com/blog/■出張グルメブログでも書きましたが、2月10日から20日までカンヌに出張しました。また、3月6日から18日はハノーバーに出張です。大忙しです。それでは、また。
2005/03/05
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あけましておめでとうございます。 皆様、正月はどのようにお過ごしでしょうか。私は岐阜の両親の家で過ごしました。今年の正月休みは29日から3日まで。曜日の関係で例年より短いです。悲しい。。。 正月は、日常から離れて、長期的俯瞰的に生活を眺めたり、一年の計画を立てるチャンス。世の中の流れの予習復習、年間計画策定、読書(+妹弟の子供の世話)を行いました。■世の中の流れの予習復習 主要な新聞雑誌の新年号を買い込み、2004を振り返り2005を予測する記事を読みまくりました。これは野村證券の田淵節也元社長に倣って始めたもので(田淵節也・経営語録「知の戦略・人の哲学」)、もう15年以上続けています。 今回は読み方のトレーニングも兼ねて、速読(要点を述べながら目で本文をさっと追っていく)、SQ3R法(survey, question, read, recite, reviewのプロセスで読む: http://aaswebsv.aas.duke.edu/skills/ASIPwebsite/sq3r.html)、グロービスで教わった方法(why, what, how, so what, is it true, example, what ifを問いながら読む)をいちいち適用しながら読みました。疲れたー。 今年はどの新聞も少子化とその影響を大きく取り上げていました。ネガティブな論調がほとんどですが、そこは変化はチャンス、挑戦として捉えたいですね。 現代ロシアでは老人への年金支給を減らした結果、市場経済を勉強した若者は金持ちになったが老人は貧乏になったそうです。これは行き過ぎた例ですが、年金で老人の貯金が増え続けているにもかかわらずこの年金制度を支えるために若者が貧乏を続ける日本もなんかおかしい。 また、塩野七生によると古代ローマの少子化対策では独身女性に独身税が課せられたそうです。現代男性に生まれてよかった!■年間計画策定 「Your Best Year Yet」というワークブックに添って毎年行っています。 これを始めたのはレスター大学MBAホルダー10人くらいが半年ごとに集まって目標を発表し合う会合に招かれたのがきっかけ。定期的にこのような作業を行うことは重要だと考えています。 方法は、「昨年よかったこと」「昨年よくなかったこと」「その原因と対策」「価値観明確化」「役割ごとの今後の目標」「行動計画」をワークシートに従ってまとめるというもの。 今年は家庭人としての役割にプライオリティを置けたらと思った。■読書 たった2冊です(二日でですが)。・「30歳からの成長戦略」山本真司 この本は面白い!グロービス的な知識ではなく、実践から導かれた(field provenな)視点や知恵が紹介されています。ぜひご一読を。ちなみに著者の山本さんは飲んでも面白い方でした。・「30歳からの夫選び」 ハーバードMBAがマーケティング理論で夫選び戦略を説いたもの。前書きで「妻選びやゲイ、レズのパートナー選びにも有効」と書いてあったので購入した。笑いながらマーケティングが勉強できます(Kotlerのフレームワーク:R-STP-MM-ICの概説のみならず、テレ・マーケティング=単なる電話?やオンライン・マーケティング=楽天日記?などの戦術解説もある)。興味ある事例で考えると分かりやすい。ん? パーソナル・ブランディングはやりの昨今、このワークショップを日本で展開したら商売になるかもしれませんね。著者と交渉してみようかな?
2005/01/02
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バルセロナとカンヌで色々な高級ホテルを見学しました。バルセロナについてレポートします。■バルセロナのホテル 一言で言うと、どのホテルも個性的でした。日本も最近個性的なホテルが増えていますが、バルセロナを見た後で日本を見ると、どうしても大同小異の印象となってしまいます。 まず始めに感動したのがHotel Claris。バルセロナ中心にあるこのホテルは、オーナーが収集したエジプトの美術品で飾られている。エントランスには小さな美術品コーナーがあり、さらに各部屋にもエジプトの(高価な)絵画が飾られている。部屋も小奇麗でお奨めのホテル。なおオーナーはホテル近くにエジプト美術館も持っている。 続いて訪れたのはHotel Casa Fuster。今回の訪問では一押しのホテル。数ヶ月前にオープンしたばかりだが、建物自体は歴史的建造物で風格がある。一階は昔からバルセロナ有力者のサロンとして使われていたらしい。大通りの基点に建っているため、屋上から大通りを見下ろした景観は絶品。 次は中心から少し離れたところにあるHotel Rey Juan Carlos。このホテルは国王や外国の大統領などの常宿。高層建築で中がドームのような空間になっている近代的ホテル。 その他、いわゆる伝統的なHotel Majestic、近代的で眺めがよいHotel Art、元オリンピック会場に近いHotel Firaは全て及第点。■バルセロナの元気はいつまで続くか バルセロナのホテルや街の雰囲気を観て、きれい、創造的試みに溢れている、この繁栄もあと5年が限度かな、との印象を持った。 きれいなのは、バルセロナオリンピックに合わせて街のリニューアルを行ったため。ホテルや公共施設が新調されていて気持ちがいい。 また、バルセロナはカザルスやピカソ、ダリ、ガウディを生んだ地方にあり元々創造的試みに優れている。そこにオリンピックの余波が加わりますます創造的試みに弾みがついている。 しかし、新しいものも時間がたてば古くなる。オリンピックに続くイベントもなかなか見つからず、市はビッグイベントの誘致を必死で行っている(そのおかげで僕は楽しい出張ができたのだが)。次の飛躍への踏み台が見つからなければ、今の繁栄も長くて5年が限度かと感じた。人ごとだから言えるんですが、新たな飛翔もいいけど豊かな衰退に向かってくれたら味のある街になるかもしれない。 いずれにせよ、今が旬であることは間違いなし。行くなら”今”がお勧めですよ!
2004/12/23
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パリでのコンサートを聴きながら演奏マーケティングと演奏家マーケティングを考えました。■パリのコンサート 11月5日~7日のパリ滞在で3回クラシックコンサートに行った。さすがは音楽の都だけあってチケットは安く当日でも手に入る。今回はチェロリサイタル、バイオリンリサイタル、バロックオーケストラを聴きに行った。 チェロはパリ中心にある小さな教会でのリサイタル。パリ音楽院で一等賞(プルミエプリ)を取った若き女性チェリストがバッハの無伴奏チェロ組曲を奏でた。僕はパリの教会が会場のコンサートに5回行ったことがあるが、内3回は無伴奏チェロ組曲だった(他はナヴァラ、ロストロポーヴィッチ)。人気のある演目らしい。そういえばカザルスがソルボンヌの講堂で行ったコンサートのアンコールもバッハの無伴奏だった(感動的なCDが残っている)。 バイオリンは名手ピエール・アモワイヤル。しばらく見ないうちに若手からおじさんバイオリニストに変身していた。彼の演奏には職人芸を感じる。職人芸の意味は、ひたすら音階などの基礎的練習を積み上げていくイメージ。昔パリに住んでいた時に知り合ったパリ音楽院の友人も泣きながら地道な練習を繰り返していた。フランスの職人芸の伝統は長くて深い。このあたりに興味のある方は森有正の「ルオー」を読まれたい。画家ですけど。 最後はジョン・エリオット・ガーディナーが連夜繰り広げたパーセルのコンサート@パリ音楽院の隣のホール。古楽器によるバロックが見直されているようで、音楽院のプログラムを見ると古楽に関する多くのレクチャーが企画されていた。■演奏マーケティングと演奏家マーケティング ハイデルベルクでアンネ・ゾフィー・ムターのチャイコフスキーのバイオリン協奏曲のCDを買った(カラヤンではなくプレヴィン指揮のもの)。これはこの曲の決定版!スゴイ!です。興味のある方はぜひお聴き下さい。ムターはもともとグイグイと飛ばす演奏家で、87年にパリで聞いたデュトワ指揮モントリオール交響楽団とのこの曲の演奏でもスリル溢れる演奏を展開した。ところが後に出たカラヤンとのCDでは超スローテンポ。それはそれでよいのだがムターらしさがない。プレヴィンとのものは本来のムターが聴けます。断然こっちの方が良い! ここから本題。演奏家の間では、パリの聴衆に認められたら一流との見方がある。東京ではなくパリの聴衆。なぜか。外タレ来日時によく見られる現象だが、東京では来日前の評判で評価が決まってしまう。もし自分が感動しなかったら、それは演奏家が悪いのではなく自分の耳が未熟だと考える。前評判の高い演奏家だと100%の聴衆から喝采を受ける。一方、パリの聴衆は一人一人が自分の感覚で判断する。だから、100%の喝采はあり得ない。アバドでさえ酷評されることがある。そんな中で、70%の聴衆を感動させられたら大成功となる世界である。その演奏家は世界に通用する。 ムターの演奏を念頭にガーディナーの演奏会でチケット売り場に並んでいる人々を眺めながら考えた。演奏家は、この耳の肥えたお客様をセグメンテーションしてターゲットを定め、自分をポジショニングし、提供価値を創出するためにスキルのトレーニングをする・・・といったマーケティング的行動はしていないのではないかと。むしろ孤独に自分の中を深く深く掘り下げて鍛錬した結果、人々を圧倒的に感動させられることが出来たのではないかと。無意識の次元で人々は繋がっているというユングの共通感覚論モデルがマーケティングモデルよりうまくこの現象を説明できると思う。共通感覚まで掘り下げた演奏家は全ての聴衆に訴えかける演奏ができる。 一方で音楽プロモーターは極めてマーケティング的思考をする。いいタレントを取り揃えてイベントを企画し強烈にプロモーションする。そして金融の世界のように、タレントのポートフォリオを取り揃えたり、プロダクトライフサイクル初期に位置して将来大成しそうなタレントの発掘に血眼になる。 どっちの役割が面白いかな???
2004/11/20
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11月2日から14日まで出張で欧州に来ています。まずは最初に訪ねたドイツで考えたことをアップします。取り上げたテーマは、「文明の成熟」と「商業活動と交通」。■日程 今回の出張日程は下記の通り。30人位のローカルシニアマネジャーへのプレゼン、現法社長や広告代理店との打合せなどの予定がパンパンに入っている。でも休日はパリで過ごせそう! (11月) 2日~4日:ハイデルベルク 4日夜:フランクフルト 5日~7日:パリ 8日~9日:ロンドン 10日:バルセロナ 11日~12日:カンヌ 13日:ミラノ→東京■ハイデルベルク ドイツ最古の大学があるハイデルベルク。といっても旧市街はとても小さく30分もあれば端から端まで歩いて行ける。今回は観光の時間がほとんどなかったが、散歩しながら街行く人の落ち着いた雰囲気に感銘を受けた。大人の文明、成熟、みたいなものを直感した。■成熟について 日本と比べてなぜ成熟を感じたのか、成熟の条件を考えた。 ・立場ではなく本音で生きる ・歴史意識を持つ 日本では立場が非常に重視される。政治家の派閥の代弁(個人の顔が見えない)、会社での慣例に従った非倫理的行為(一円入札など)。。。これを続けると自分を見失うことが多くなってしまう。更に、定年や失脚などで立場を失ったときは悲惨で、本人のアイデンティティの危機に陥ることがある。逆に、戦後の転向はスムーズに行った。立場でイデオロギーを主張していただけなので民主主義への同調に抵抗がなかった。 ではドイツではどうか。日本人から見ると「大人気ない」人が多い。老夫婦が腕を組み、アイスクリームを食べながら散歩していたりする。彼らはやりたいことをやっているだけである。自分の感情をより直視している。少し離れた所からみると、彼らの方がよっぽど大人に見えるから不思議だ。 成熟がライフサイクルの後期を指すとすると、歴史意識も大切なハズだ。自分の置かれた文脈を長期間のフレームで意識すれば、自分の人生に違った意味合いを見出すことできる。また、歴史に照らしたフィードバックが人生の方向性を確かにする。本音で生き抜いてきた歴史の試行錯誤から学べるものは大きい。■欧州内の商業活動と交通 フランクフルトでは空港に面した場所に巨大なカンファレンス施設があると弊社欧州PRマネジャーが言っていた。フランクフルトはロンドン、パリと並ぶ欧州のハブ空港であり、ここで乗り換えればほぼ欧州全域の空港に行ける。そのため、カンファレンスなどが開催されやすくなっているようだ。ただし、カンファレンス後はそのまま、あるいは空港に隣接したホテルに泊まって帰る。街へ出て観光とはいかないらしい。 弊社ロンドンオフィスでは毎月、欧州現地法人の社長会を行っている。会議は大抵、朝の11時から始まる。なぜか。朝の直行便でパリやミラノからロンドンに移動するからだ。日程によっては日帰りもできる。 このように、欧州では商業活動と交通がよく考えられて運営されている。では日本はどうか。幕張などという交通が不便な場所に平気でコンベンション施設を作っている。また、最近は知らないが、かつて大前研一が著書「ユイマールビジョン」(沖縄への提言)の中で、朝の飛行機が少ないなど、飛行機ダイヤがビジネスパーソンの動きを全く考慮していないと指摘していた。随分欧州とは事情が違うようである。 この違いはどこから来るのか。もしかしたら家族と過ごす時間とビジネスの両立に真剣に取り組んだ結果なのかな?
2004/11/09
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音楽と料理と旅の印象。ロシア人男性の平均寿命は58才。若い経営者がいっぱい■音楽と料理と旅の印象 ラダリングのインタビューで行うように「モスクワ」と聞いたときに何をイメージするのか、連想マップを作ってみた。僕はチャイコフスキーやリムスキーコルサコフの音楽、グルジア料理がおいしかったこと、モスクワで出会った友人とのオシャベリ、エルマンやラフマニノフ、ホロビッツ、ハイフェッツ、オイストラフ、コーガン、ロストロポービッチ、マイスキー、ベンゲーロフなどの演奏家をまず思い出した。チャイコフスキーコンクールのライブやメロディアレコードの名盤なども思い出す。それから昔KGBに勤めていたという友人、シベリア鉄道で軍隊の方と友人になりロシアの軍服を着せてもらったこと、ゴルバチョフやプーチンの伝記の印象など、軍隊がらみの連想もでてきた。長い列に並んでパンを買ったこと。そして、ロシア正教会の玉ねぎ型教会と美しいイコン。。。残念ながら(?)仕事関連やいかがわしい韓国カラオケの連想は出てこなかった。 僕の場合、大別すると、音楽、料理、人々との思い出の3つが大きなクラスターとしてあるようだ。そしてこれはモスクワに限らず、人生航路を振り返ったときも同じようなクラスターになると思う。皆さんはいかがでしょうか。上記のような連想マップを作ってみたらおもしろいと思いますよ。■平均寿命 2002年12月時点のロシア人の平均寿命は、男性が58才、女性が72才だそうだ。58才といえばまだ定年前。おのずと日本人とは人生観が違うだろうなぁ。彼らの人生観を聞いてみたかった(せっかくここで紹介するなら「聞いて来い!」って感じですが(笑))。 インターネットで男性の死因を調べてみると、半分が心臓病、次が事故。この2つで死因の7割を占めるそうだ。両方の死因に関連するのがウォッカ。昨年は最高気温が零下15度といった寒さにもかかわらず駅周辺でウォッカをあおり、路上で寝込んで凍死する人が1週間で160人を超えたそうだ。さらにウォッカを飲みすぎる原因はストレスに違いない・・・。 ってことで、男性に主なストレス源を聞いてみると、帰ってきた答えは「女性」!でした(n=1)。ロシアは文化的に女性への配慮が過ぎており、男性が女性の荷物を持ってあげる等々は当たり前で、女性もそれを当たり前と思って「ありがとう」の一言もないことがあるそうだ。男性は女性からの「ありがとう」を求めて命を縮めているのか!なるほど!(風が吹けば桶屋が儲かる的な確率の議論ですが納得性は大きい。。。) 以下は参考情報の羅列です。ロシア男性の平均寿命は年々低下している。過去には64才だったこともある(86年)。男女の寿命差はロシアが最大で13年の開きがある。以下、プエルトリコ8年、フランス7年。ちなみに日本は6年です(ウォッカ、ラム、ワインなどうまい酒がある国が目立つような気がします。ちなみに僕の好きなウォッカはスタルカ)、自殺者の割合も日本より多い(社会的に病んでいそう)。■若い経営者がいっぱい ロシアは中国同様、若い経営者がウジャウジャいる。例えば(いきなり業界ネタで恐縮だが)ロシアの携帯電話の三大オペレーターであるMTS、Vimpelcom、Megafonのホームページ・マネジメント紹介のページを見てほしい。1970年代生まれの経営者がゴロゴロしている。(平均寿命が短いから起業家精神のある若者はせっかちなのかなぁ・・・と短絡的に考える僕) 中国とロシアの共通性は、アンシャンレジームの崩壊後であるということ。そういえば日本でも若い経営者が出たのは終戦後の数十年間でした。その意味で、おじさんが蔓延していておじさん優遇の年金制度を長々と議論しているような国では若者が無力化されているんだろうなぁ、15年後、彼らの世代になったときの日本の競争力は更に弱まるだろうなぁと心配する次第。 希望は日本を飛び出して中国やロシアで活躍する若い日本人がいること。今回ロシアでは、30才そこそこの日本人経営者に再会した。彼は日本の造型会社に就職した後、語学学校でロシア語をマスターして単身モスクワに移り住んだ。小さなSP(セールスプロモーションツール)製作会社から始め、今ではロシア人40人を雇用する立派な会社の経営者になっている。今回は彼の他にも何人か気骨のある日本人と知り合った。彼らに日本の将来を託したい・・・いやいや、自分もがんばらねば!■予告編 ちなみにパリでこの日記を書いています。11月2日から14日まで、ハイデルベルク、フランクフルト、パリ、ロンドン、バルセロナ、カンヌ、ミラノを周っています。次回から欧州出張編を書きます。
2004/11/06
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10月16日:本日から26日まで出張でモスクワに滞在します。そこで感じたこと、考えたことを記していきます。 モスクワは4回目の訪問です。第1回は学生時代の1987年。この時はシベリア鉄道でシベリア横断してモスクワ入りしました。まだソ連体制下であり、外国人の旅行は厳密に管理されていました。旅行社は国営のインツーリストが一社独占。ビザ取得には入国日、出国日、宿泊ホテルの事前登録が必須で、モスクワ駅につくとインツーリストの担当者が駅のホームで待ち受けており、車で強制的にホテルまで連れて行かれます。当時のソ連は崩壊直前の混乱状態にあり、パンを買うにも長蛇の列。大変な思いをしました。 現代のモスクワは当時とは隔世の観があります。自由にホテルを選べるしタクシーでどこへでも行けます。今日はモスクワ郊外のハイパーマーケットへ行きましたが、品揃えもお値段も日本並。この15年の進歩はスゴイの一言です。 昔から変わらないものもありました。郊外の広大な自然。この辺りは見渡す限りの平原であり、地平線に沈む太陽を久々に見て感動しました。 私はクラシック音楽が好きなので旅の先々でその国の音楽が頭の中で流れてきますが、今回はこの平原の中でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲と交響曲第四番が頭の中で鳴り響きました。作曲家が生活した土地で作品を聴くと、なんとなくしっくりと腑に落ちるというか、分かったような気分になるのが不思議です。 今日は知り合いからモスクワのおいしいレストラン(+モスクワのゲテモノ料理)情報をヒヤリング。明日から少しづつレストラン巡りを開始する予定です。
2004/10/18
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イタリア旅行記最終回。今回のイタリア旅行メインディッシュの最後の一口はローマで締めました。デザートは都合によりタイのバンコク。不思議な食後感を残す旅でした。■日程 8月13日: ローマ→バンコク(格安チケットがタイ航空だったため) 8月14日: バンコク 8月15日: バンコク→東京(16日着)■行動、感想 最終日のローマ観光は、13日・朝~2時に行った。スペイン広場からブランド・ショップ街を抜けてアウグストゥスの墓、マスカーニの住居とサンタ・チェチーリア音楽院を外から見学した。 スペイン広場の上の教会には聖心女子大(女学院だったかも)に飾ってある絵画の原画があるそうで、話のネタに足を運んだが修理中で入場不可だった。驚いたのは、教会の表面一杯になぜかBMWの宣伝の垂幕が。垂幕設置の目的は工事の安全確保だが、あの高そうな垂幕代は教会の収益になるのかと察すると、これはおもしろいと思った。「文化遺産の品位を保つvs収益」で収益が勝っちゃった。文化遺産が豊富なローマではあれが許されるんですね。昔ミラノのドゥオモの改修時にはドゥオモの絵が書かれた垂幕を見て関心したんですけどねぇ。(ローマ比で少ない)文化遺産を大切にするフランスでは考えられない。 ブランドショップや音楽関連の建物を観光して、むしょうに現代イタリア人の文化活動に触れたくなった。名勝旧跡の観光はあくまでも過去の栄光の後をなぞっているだけであり、それはそれで面白いけれど、やはり現時点で行われている創造の息吹に触れたい。次回のイタリア旅行は人との触れ合いや観劇などを中心に組み立てようかなと思った。 13日バンコク到着。イタリアとのあまりのギャップを楽しむ。宿泊したバイヨークスカイホテル近辺は生活レベルが低く、衣料の露店が所狭しとならんでおり、みな、路上に机を出して夕食を食べている。乞食と犬が歩道橋の上でひれ伏して物乞いしている。見ると、犬の前においてある空き缶の方が物乞いしている人の空き缶より沢山のお金が入っている。(あぁ、生きて行くためには、人間の尊厳にもかまってはいられない。。。) バンコク伊勢丹に入っている紀伊国屋で日本語ガイドブックを立ち読みし、観光情報を集め計画をたてた。 まずは社会見学として、ハッポン通りのゴーゴーバーを探検した(いや、正確には浅検)。タイでは本物のレイバーマーケットが存在している。奥地の貧乏な家庭では娘を出稼ぎ斡旋人に売って生計をたてているらしい!売られた娘はゴーゴーバーで男に買われて生計を立てる。。。運が悪ければHIVに感染する。。。こんな人生を送っている人たちを真近で感じてしまった。欲望産業を支える男達の欲望の強さと大きさに慄いた。ちなみにこのような通りはハッポン通りと平行してもう一本あるが、こちらはほぼ日本人専用。この地区には「有馬温泉」という名のお風呂屋もある(笑)。 翌朝はポー寺院へ行った。入り口は裏手にあるが、表通りであやしげなタイ人が寄ってきて「ポー寺院は今日はお休み。でも、かわりにいいお土産屋を案内してあげる」と話しかけられた。このような詐欺師が沢山いるので行かれる方はご注意を。 さて、タイ社会では王室と仏教の力が非常に大きい。この点、貧困も含めて、ある意味では戦前の日本に似ていると思った。一般の民衆は貧困への絶望により王様や仏教といった絶対的権威を求めるのかな? 王室は絶対的権威を持っている。市内の至る所に王様や女王様の写真が飾ってあり、若い人々もその前を通るときは立ち止まって手を合わす。仏教も面白い。ポー寺院では、小学生くらいの学童を集めて寺小屋をやっており、また、タイ古式マッサージのトレーニングなど職業訓練も行われている。さらに、成人男子は出家(といっても計画的に数年で還俗する。兵役のようなものか?)によりキャリアや世間体に箔がつくそうだ。ポー寺院でも沢山の若い僧侶が修行をしていた。 ポー寺院で「マッサージが効きますように」とお参りして、タイでは古式マッサージ2回、足裏マッサージ1回、エステ4時間コースに1回行った。理由は、旅の疲れを取ることと、フィレンツェでみとれたミケランジェロのダビデ像のような白くてツヤツヤの肌を手に入れること。ダビデ像のような肉体を造るためにムエタイ一日入門という選択肢もあったがこちらは疲れるので即却下。エステのメインの顧客はおそらく日本人駐在員の奥様方で、そこでは王侯のように扱ってもらえる。いい気分であった。 しかーし!極端な例だけど、駐在員の男性が夜な夜なハッポン通りで日本からの出張者を接待し、駐在員の奥様方は日本とタイの貧富の差を利用して王侯のようにエステ三昧の生活を送っているとしたら、これって倫理的に問題のような。。。しかも彼らがタイにお金を落としてあげているといった驕った意識だとしたらこのモラル欠如は大問題! 夜の食事は2回とも有名タイレストラン・サマディで食べた。ここのトムヤンクンは絶品でしたよ。 ってことで、今年のイタリア(+タイ二日間)旅行記はこれにて終了です。最後まで読んで下さった皆様、ありがとうございました。 今後ですが、調子にのって各国の旅行記を掲載しようと思ってます。10月は10日間モスクワに出張、11月は欧州(ハイデルベルク、ミュンヘン、カンヌ、パり、ロンドン)と北京(おそらく)に出張予定。お楽しみに。
2004/10/11
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フィレンツェは何度訪れても新たな刺激を与えてくれる街である。今回はサンタ・クローチェ教会でイノベーションについて考えた。 ■日程 8月11日: サン・ジミニャーノ→フィレンツェ 8月12日: フィレンツェ→ローマ■行動、感想(ホテル名等詳細情報は後日追記します。ガイドブックを貸出中で確認できない) 本日はいよいよ花の都フィレンツェである。バスにてサン・ジミニャーノからポッジボンシ経由でフィレンツェに入る。まずはホテルにチェックイン。このホテルは有名な作曲家のロッシーニ(彼の名は料理のスタイルにもなっていますね)が晩年を過ごしたアパートを改装して使っている。彼の寝室等をホテル主に頼んで見学させてもらった。オペラ「セミラーミデ」と「セリビアの理髪師」の序曲が自然と頭の中で鳴り出し、リフレインする。幸せを感じたひとときだった。 少し休んで市内に出た。十分な観光情報がなかったのでホテル近辺の大きな本屋に入り、観光コーナーで立ち読みをして行動計画を決めた。 夕方、友人と待ち合わせ、ガイドで調べたレストランで夕食をとった。この時期のフィレンツェは夏季休業のレストランが多く、電話での確認が不可欠である。携帯電話が活躍した。ついでに翌日見学したアカデミア美術館もこの時携帯で予約した。レストランではなんと日本人の留学生がバイトをしていた。当地の大学で文化人類学を学んでいるとのこと。「天使の羽はどの時代から生えていたか」とかねてから思っていた疑問をぶつけたが、答えは分からなかった。 翌12日。まずはアカデミア美術館を訪問。朝一で行ったので意外にすいていた。ミケランジェロの彫刻で有名な美術館である。有名な「ダビデ」の前で30分過ごした。何か語りかけてくるものがあり(フランス語ではこのような状態を文字通り「ca me dit quelquechose:これは私に何かを語っている」と表現する)、時間の流れを忘れた。 次にブルネレツキ設計のドゥオモの大伽藍、ジオット設計の鐘楼を見学。ルネサンスといえば、都市ではフィレンツェ、芸術家はレオナルドやミケランジェロを普通は思い浮かべるが、実はフィレンツェの主要な建物はブルネレツキの作品である。ドゥオモを始め、サン・ロレンツォ聖堂、サン・マルコ修道院、ピッティ宮殿など、全て彼の設計である。 サン・マルコ修道院には興味深い逸話が残っている。修道院の庭で写生していた9歳のミケランジェロの才能をロレンツォ・ディ・メディチが発見し、ミケランジェロをメディチ家が引きとったそうだ。ちなみに当時のサン・マルコ修道院長はサボナローラである。高校で習った世界史の舞台が目前に次々と現れ、圧倒された。 お次はピッティ宮殿。内部は行けども行けども豪華で趣向を凝らした部屋が続いており、ここでもめまいを感じた。グイッチャルディーニの家、ダンテの家の前を通って、ドゥオモ美術館に入場。ミケランジェロの「ピエタ」に見入った。 最後にサンタ・クローチェ教会を訪問した。この教会は有名人の墓参りのつもりでフィレンツェに来る度に訪問している。今回は3、4回目の訪問である。以前は無料で見学できたが、今回は有料になっていた。ここではいつも奇妙な思いに駈られる。ダンテ、ドナテッロ、マキャベリ、ロッシーニなどが仲良く並んで眠っているのだ。料理でいうと伝統トスカーナ料理とヌーベルキュイジンが採り合わさったようなもので消化不良を起こしそうである。しかし、僕にとっては異物の新しい組み合わせを見るようで、色々な想像を刺激されて楽しい。もっともフィレンツェ市民にとっては見慣れた光景なんでしょうね。 フィレンツェは芸術だけでなくヒューマニズムでもイノベーションを実現している。孤児院や入院可能な病院の設立である。血なまぐさい時代だからこその発想かもしれないが。フィレンツェ名物のアイスクリームを食べながら訪問した。 夜7時の電車でローマに向かった。11時にローマのホテルにチェックイン。■思索の断片~多くのイノベーションは既知事項の組み合わせ~ 多くのイノベーションはは既知事項の組み合わせと言われる。イノベーションは、全く新しい事項の発見と既知事項の新しい組み合わせの発見に分けられるが、圧倒的に後者が多い。ならば、既知事項を思いもよらない順番で眺めると、当初は不協和音を聞くようで心地は悪いが、頭脳が刺激されて新しい発想が生まれる可能性がある。サンタ・クローチェ教会ではそのような体験ができた。 既知事項の新しい組み合わせと言うが、単に組み合わせて並べるだけではダメかもしれない。要素間の繋がり方、関係性によって性質が変わってくるからだ。電子の数によって元素の性質が変わるようなものだ。 しかし更に、関係性まで考えてもまだ足りないかもしれない。何か、エネルギーとか相互依存的なダイナミックな動きの要素が必要である。人間が死ぬ直前と直後を思い浮かべれば分かりやすい。死の直前と直後では物質的には何も変わらないハズだが(体重が軽くなるという説もあるが)、中身は大違いである。死んでしまったら血液の流れは止まるし頭の活動も止まってしまう。 上記の話はビジネス戦略立案への示唆も与えてくれる。ビジネス戦略の立案プロセスとして分析と統合を行うのが定石であるが、そのプロセスをなぞるだけだと必要条件は満たしても十分条件は満たさない。 分析は、分からないことは分かるところまで要素分解せよということで、玉ねぎの皮を一枚一枚剥くように取り組みましょうと言われる。しかし、皮を剥いていったら芯も何も残らないかもしれない。更に、細かく分子レベルまで要素分解しても意味が見出せないかもしれない。意味のある塊を見つけられるかがカギである。 統合も同様である。要素分解したものの中から必要なものだけを抜き出してパッケージに詰め込んでも、それだけでは機能しない。時間的・動態的(ダイナミック)な要素を組み込まないと、うまく動いてくれないであろう。
2004/09/26
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普段からの友好的人間関係が多いほど旅は楽しい(あたりまえですね)。■日程 8月10日:アッシジ→シエナ→サン・ジミニャーノ■行動、感想行動 バスでアッシジからシエナに入る。日本と違いイタリアの鉄道駅は街の周辺部にあり不便である。日本では鉄道会社が駅を中心に都市開発を行うのが普通だが、イタリアでは街が出来あがってから鉄道が敷かれたためだ。その点、バスは街の中心から中心に動けて便利だ。今回はアッシジの観光名所前からシエナ旧市街までバスに乗りっぱなし。楽チンであった。 シエナは中世にはフィレンツェとも張り合った商業都市だったが、ルネサンスに乗り遅れて発展が止まってしまった。今は観光で賑わっている。観光名所としては、カンポ広場とドゥオーモのファサードが圧巻である。友人のチェリストが通っていたキジアーナ音楽院を見学した。今をときめく名指揮者のリッカルド・シャイーやヴァイオリニストの庄司紗矢香の母校。楽器ケースを持った人達が僕の前を横切った。将来の大音楽家かも。 シエナからポッジボンシを経由してサン・ジミニャーノに入った。なぜかシエナ発のバスが予定通りの時間にバス停に来ず、出発を一本遅らせた。イタリアではありがちなアクシデントである。このような場合、いつまでも怒っていないで次善の策を楽しめるかが旅を楽しくするコツである。僕は近所のカフェに入り翌々日のフィレンツェでの行動計画を立てた。 サン・ジミニャーノもシエナ同様、中世のまま取り残された都市。ここはいくつかの街道が交わっており、交通の要所として繁栄したが、政争と疫病で滅びてしまった。シエナの人口が数万人に対しここは数千人で、より中世の趣を残している。宿泊したチステルナホテルは広場に面した中世からの建物を改築したもので、大変美しかった。食事はミシュランがこの街で一番に薦めるドランドにて。とにかく、おいしかった!小さな街なのに、夏のフェスティバルでヴェルディのオペラをやっていた。さすが、イタリア。サンジミ最高!■思索の断片~地球の裏側まで来させてしまう友人パワー~ 今回の旅では友人がいた音楽院を訪ねたが、前回はマドリッドにスペイン人の友人を訪ねた。僕がパリに遊学していたときの学友である。旅の面白さは、何も名所旧跡の訪問だけではない。友人を訪ねたり、自分に縁のある人の足跡を辿ったりするのも面白い。そこで思ったのが、友好的人間関係の大切さである。 世の中には、恋人を訪ねて地球に裏側まで来てしまう人もいる(僕ではない。僕に恋人はいないas of 20 sep 2004)。友好的人間関係は、人々に活力と行動力を与える。一方で、毎日の通勤電車で隣り合わせる人には、物理的には近くにいても無関心になる。こんな世界ばかりだとつまらない。やはり、一人でも多くの方と友好的人間関係を築けたらいいなぁと思う。
2004/09/20
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中世のイタリア教会では、極めて狂信的、政治的、戦略的な世界が繰り広げられていたと思う。学ぶものが多いです。■日程 ローマ→オルヴィエート→(アグリツーリスモで昼食→)アッシジ■行動、感想<平和の祈り> アッシジの聖フランチェスコ神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますようにいさかいあるところに、赦しを分裂のあるところに、一致を迷いのあるところに、信仰を誤りのあるところに、真理を絶望のあるところに、希望を悲しみあるところに、よろこびを闇のあるところに、光をもたらすことができますように、助け、導いてください。神よ、わたしに 慰められることよりも、慰めることを 理解されることよりも、理解することを 愛されることよりも、愛することを 望ませてください。自分を捨てて初めて自分を見出し赦してこそ赦され死ぬことによってのみ永遠の生命によみがえることを深く悟らせてください。+++引用終わり+++ アッシジで聖フランチェスコの軌跡を辿る。マザーテレサが愛唱したという有名な「祈り」を再読して感動した。 聖フランチェスコ聖堂を見学。彼の死の二年後、1228年に着工し1253年に完成した三階建ての立派な建物。それにしても、清貧、純潔、服従がモットーの聖フランチェスコにしては立派すぎない? フランチェスコ派はアメリカで多くの信者を集めたらしく、ガイド曰く、サンフランシスコ(=聖フランチェスコ)とロサンジェルス(=聖フランシェスコが亡くなったサンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂から)もその名残とのこと。■思索の断片~リーダーシップの違い、イノベーター聖フランチェスコ、政治家インノケンティウス三世~ 聖フランチェスコとインノケンティウス三世のリーダーシップの違いを比べると面白い。 聖フランチェスコは、ベンチャー型のリーダーシップである。ライフサイクル論でいうとイノベーター。組織立ち上げ期には立派に機能したが、成長期に入ると不向きを悟って自然の中にひきこもってしまった。 フランチェスコは捕虜生活、闘病生活を経て、ある日神のお告げ(ビジョン)を受け、周囲の反対を押し切り、財産を捨てて貧民の中に入っていった。やがてローマ教皇にフランチェスコ修道会設立を認められた(この時、フランチェスコ28才)。会派が5000人を超えると、内部派閥のモメゴト(組織管理の為に最低限の所有を認める穏健派と一切の所有を認めない厳格派の対立)の処理がうまくできずストレスを感じ、総長の座は後進に譲って自然の中に隠居してしまった。有名な「小鳥への説教」はこのころの話である。 聖フランチェスコ率いた組織が設立期、成員が10の零~三乗の規模の組織だったのに対し、若干37才で教皇になったインノケンティウス三世(ローマで見学したラテラーノ宮に住んでいた!)が率いたローマ教会は成長期を過ぎた成熟期にあたり、成員は10の七乗の規模である。そこでは高度な政治的リーダーシップが発揮された。 当時の教会の状況を見ると、とにかく金が集まったようだ。そのビジネスモデルは、十字軍で活発になった商業の利益を「十分の一税」で徴税するというもの。このお金でロマネスク様式の聖堂が各地にポコポコと建った。税金が唯一免除されている修道院も羽振りがよく、その様相は、祈りの場というよりは大規模農場と工場といった趣きだった。当時の修道院長は決まって肥満体だったそうだ。 当時の教会のビジョンはどうだったか。教皇権は全ての俗権の上に立つべきとし、俗権を含めた権力の保持拡大を目指した。布教や信徒の安全を守るためか、自己目的化していたかは不明であるが、おそらく両方であろう。 次に当時の教会を取り巻く環境を見てみる。俗権レイヤーでは神聖ローマ皇帝との覇権争いが深刻化しており、北部イタリア諸都市は教皇派と皇帝派に分かれ、南のシチリアはフランス領や皇帝領を行ったり来たりしていた。教皇領の維持拡大は戦争と婚姻と破門を手段とした微妙なバランスオブパワーの上に成り立っていた。なんて政治的な世界! 信仰レイヤーの環境も危機に晒されていた。聖職売買など教会の腐敗に対して純粋な信仰を持ち聖者のような生活をして民衆を惹きつける人々が現れた。フランスのワルド派、アルビ派、スペインのドメニコ派、アッシジのフランチェスコ派などである。中でも過激化したアルビ派は教皇批判を開始、インノケンティウス三世は彼らを破門してアルビ派十字軍を派遣した。 そこで賢いインノケンティウス三世は、ドメニコ派とフランチェスコ派を公認擁護することによって、異端派を支えている民衆的基盤を教会内に取り入れることに成功したのであった。なんて戦略的な世界! このような戦略を背景に、フランチェスコの死後二年目には彼を列聖し、フランチェスコが生きていたら決して許さなかったであろう、三階建ての大寺院を広告塔として建てさせたのであった。 ちなみに教会は異端裁判や魔女狩りで密告を奨励したが、最も密告に熱心だったのが、ドメニコ派とフランチェスコ派だったと言う。フランチェスコ派の中でも厳格派は後に異端とされ、主にドメニコ派によって密告されて火刑に処せられた。狂信的でコワイ世界だ。■おまけ 聖路加病院の日野原重明先生がこの夏アッシジなどを旅行されたようです。旅行記がありますのでご紹介します。「イタリアの聖地を訪ねて」http://www.bestlife.ne.jp/hinohara/rensai/
2004/09/12
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中部イタリア・トスカーナでアグリツーリスモを満喫しました。■日程 8月9日:ローマ→オルヴィエート→途中、アグリツーリスモで昼食→アッシジ(泊)■行動、感想 アッシジまでは日本語ガイドつき観光バスツアー(アッシジ日帰りコース)を利用した。 ローマを朝7時半に出発。緩やかな丘陵に広がるオリーブ畑やヒマワリ畑の中を約1時間北上し、オルヴィエートに到着。何百年も前の戦時にローマ教皇が疎開していた建物、キリストの血痕がついた布(!)などを見学した。ガイドにキリストの血液型を聞いたが分からなかった。 昼食はアグリツーリスモで、トスカーナの農園にある家族経営のレストランにて。料理の素材はその農園でとれた農産物である。オリーブの木々に囲まれたオープンエアの食卓で、収穫や調理を行った、ホスピタリティ溢れる農家家族にサーブされながらの料理は格別であった。 アッシジでツアーバスを途中下車してホテルUmbraにチェックイン。赤ミシュランで夕食のレストラン候補をマークし、一休みしようとベッドに横になったら、そのまま寝こんでしまった!(この機会損失は大きい!) なお、欧州では初めて日本語観光バスツアーを利用した。理由は下記である。 1.個人では手配が面倒な観光プログラムが組まれている 2.日本語ガイドから現地情報をヒヤリングできる 1は達成、2はまるでダメだった。ガイドの質が非常に低い。その日本人女性ガイドはイタリア人と結婚してローマに住み着き、バイトとして観光ガイドを始めたと言っていたが、観光に関する知識が少なく、また日本人観光客そっちのけでイタリア人ガイドや運転手とおしゃべりをしていた。 同じバスで英語ツアーも実施されていた。日本語ガイドツアーの2/3の料金なのにガイドの質ははるかに上。英語ガイドを職業として選んだイタリア人がやっているだけあって、ホスピタリティなどにプロ意識がうかがえる。プレゼンテーションも上手い(余談だが以前出席したプレゼンセミナーで講師が「イタリア人のようにプレゼンしなさい」と言っていたことを思い出だした)。結局、旅の現地情報も英語ガイドから聞き出して、結果的に2も達成!■思索の断片~アグリツーリスモ:レストラン差別化の新展開~ トスカーナは有名なキャンティワインの産地で、料理のレベルも高い。食文化の最先端を行くトスカーナで新しい試みとして注目を集めているのがアグリツーリスモである。 アグリツーリスモとは文字通り農業観光のことで、農園の中で民宿やレストランを営み収益を上げるビジネスモデル。 レストラン業の視点で分析すると、バリューチェーンの上流である農家や農園にお客様を共感させ愛着を持たせたところがミソです。 レストラン業界において戦略実施の場(戦場)の拡大を時間的に追うと下記となる。 料理の味、盛り付け→部屋の雰囲気→ウェイターの質、ホスピタリティ→厨房、シェフ→流通→農家、農園トスカーナでは、いち早く「農家、農場」まで行ってしまった。 ひるがえって日本での食のバリューチェーン上流への関心を見ると、もっぱらO-157や生産地偽装問題に対する食の安全性確保を目的としたトレーサビリティに向けられている。バーコードとかRFIDなどの技術論に走りすぎる。トスカーナのように、レストラン差別化の新次元としての活用も可能ではないかと思う。
2004/09/05
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古代ローマを中心に観光。地球の裏側で2000年前の文明に想いを馳せてみました。■日程 8月8日:ローマ着→ホテル→ラテラーノ宮殿→ラテラーノ洗礼堂→サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂→カラカラ浴場→コロッセオ→サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会→フォロ・ロマーノ→トラステヴェレのレストラン→ホテル■行動、感想 朝6時フィウミチーノ空港到着。まずはテルミニ駅周辺のホテルに向かう。運良く早朝チェックインできた。日本の旅行代理店にキャンペーンでお得と勧められたホテルだけあって、韓国人と中国人の団体観光客でごった返している。 休息後、「イタリア旅行教会公式ガイド4ローマ・サルデーニャ」「地球の歩き方」「ストリートマップ」を持って、ホテル近辺から散策開始した。ローマは街を歩けば歴史建造物にぶつかる。街全体が大きな博物館のようだ。ぶつかった建造物の素性をとっさに調べるのに「公式ガイド」は便利である。 最初にぶつかったのが、ラテラーノ宮殿、ラテラーノ洗礼堂、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂。宮殿はアヴィニョン捕囚まで教皇の居館であった場所にある。洗礼堂はコンスタンティヌス帝が建立した。堂前の広場には高さ31mのオベリスクがある。前15世紀にテーベのアモン神殿に置かれていたもので、357年にイタリアにもたらされた。 続いてカラカラ浴場を見学。217年にカラカラ帝が完成し三百年間使われた娯楽施設であり、330m四方の敷地には、三種類の浴場(冷浴室・温浴室・熱浴室)、運動場、図書館が並ぶ。僕は東京ドームサウナでお風呂に入り、マッサージして、テレビを観るのが好きだが、古代ローマ人も同じようなことをして楽しんでいたんだと妙なところに感心した。 コロッセオでは、K-1ならぬ剣闘士による本物の殺し合いが現代の闘牛のように行われていたのかと想像してゾッとした。セリエAの観客のように盛り上がって観ていたのかな。人間を人間として尊重しなくても平気な精神状態が普通だったのだ。文化をコンテンツ(明言された内容)とコンテキスト(無意識の状況、背景)に分けると、人間は時代文化のコンテキストのバイアスを無自覚に受け入れてしまいやすい存在だと思った。 サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会はコロッセオの近くにあったので入ったのだが、ここでミケランジェロのモーゼ像を発見した。ローマ史跡群の層の厚さを感じた。 フォロ・ロマーノの見学後、同じ時期にローマにいたブランディング研究会のリクルート西山さんと待合せ、ローマの下町であるトラステヴェレのレストランでディナーした。■思索の断片~地球の裏側で2000年前の文明に想いを馳せる意味~ それは、普段と異なった視点で日本での日常生活を反省できること。異なった視点の例として、時間軸の目盛りの違いを取り上げてみよう。 日常生活では昨日と明日くらいしか視野に入らないのが普通である。長期といっても元日に一年の計を立てるのが精一杯。 ローマでは2000年前に想いを馳せた。。。彼らの日々の営みは現代とそれほど変わらないのではないか(例えば、朝起きて、食事して、仕事して、恋をして、結婚して、など)。。。また、文明は滅びたけど現代までの進歩に貢献した試みは何だったのか(例えば、政治制度の試みなど)。。。 次に、2000年後、西暦4000年の文明を想像してみる。。。 そこでフッと現代日本での日常生活を眺めると、あら不思議、普段重要だと思っていた今期の予算達成や不透明な状況下での中期戦略策定(中期=今後3年)がどーでもよくなってしまう!!!??? ・・・まぁ、足元をすくわれないようにはしておこう。 本当に人生で大事にすべき価値観ってなんだろうと考え込みました。
2004/08/29
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今回は旅のお役立ち情報が満載です。■行動、感想 友人のイタリア旅行計画に刺激されてイタリア行きを思い立ったのが7月23日。とりあえずエイビーロ-ドネット経由でCan tourに格安航空券の手配依頼をした。Can tourは粘り強く格安チケットを探してくれると評判の旅行代理店。そして26日、はたしてキャンセルが出て航空券確保。やったー!http://www.ab-road.net/ 一人旅なので、学生時代に行った懐かしのバックパック旅行にした。行き先は直前に決めればよい。まずはgoogleのイメージ検索と、本屋さんの写真集コーナーで旅行のイメージを膨らませた。http://images.google.co.jp/images?svnum=100&hl=ja&lr=&ie=UTF-8&q=siena 次に旅行用品の買い物。究極のキャリーバック「キャリー バックパックIII」、飛行機の中で騒音を遮断するヘッドホン「クワイアットコンフォート2(ボーズ)」、接写で時刻表なども撮れるデジカメ「coolpix5200(ニコン)」を購入。合計10万円也。http://www.arukikata.co.jp/shop/list/300.html http://www.bose-export.com/headphone/qc2/index.htmlhttp://www.nikon-image.com/jpn/products/camera/digital/coolpix/5200/・・・実際にはボーズはあまり使わなかった。比較検討したSHUREのE5cがより携帯便利で良かったかも。http://www.hibino.co.jp/avcsales/info/archive2003/200309shuree5c.html 訪問地はシチリアと中部イタリアで迷ったが、友人のアドバイスで中部イタリアを周ることにした。これが8月5日の夕方。 大手町の「旅の図書館」で訪問地の地図やガイドブック数冊の該当部分をコピーした。ついでに「レストランでのイタリア語会話(料理の写真つき)」もコピー。これは役立った。http://library.jtb.or.jp/ そして、当然greeの「イタリア」グループ掲示板で情報収集。インターネットカフェの場所を教えて頂いた。 ホテルは現地手配も考えたが時間がもったいないので東京手配にした。地球の歩き方とミシュランでチェックしたホテルにメールで申込。翌日には確認の返事が来た。 今回は利用しなかったが、弊社欧州駐在員オススメのホテル予約サイトも比較検討に用いた。直前になるとお値打ちプライスが提示される。支払いもWEB上でクレジットカードを使って簡単に行える。http://www.hotelclub.net/ 同様な仕組みの航空券販売もある。ローマ-パリ往復が1万円程度で購入できる。大変お得。http://buy.volareweb.com/jsp/web/index.jsp?lang=en それにしても、インターネットの普及でずいぶん便利になったものだ。僕の学生時代と比べて旅の自由度がグッと向上した。通信に関わる仕事の社会的意義とインパクトの大きさを感じ、少しうれしくなった(僕はNEC勤務)。まさにe-travel arrangement on demand!(←これはIBMのキャッチフレーズ) そして7日、レストランの予約に大活躍した携帯電話(250円/日!)を空港で借りて、いざ飛行機に乗り込んだ。http://www.rental-mobile.com/■思索の断片~観光旅行に期待できること、期待できないこと~ 「パリ観光は1週間でできるけど、フランス人の国民性を理解するには最低1年はかかる。彼らとおつき合いする中で意見の違いにカルチャーショックを味わいながら、それを理解していくプロセスが必要だ」・・・フランス遊学前に先輩から頂いたアドバイスである。観光旅行では期待できないことも多い。ならば、できることは存分に楽しもうと思う。 観光に期待することを、あるアンケートでは下記のように分類している。旅行を堪能するためにこのリストに照らして計画するのも一案である。・自然とのふれあい ・休養、くつろぎ ・グルメ堪能 ・歴史ロマン ・知的好奇心の充足 ・娯楽の充足、刺激的な時間 ・お祭り、イベント等への参加、見学 ・人との新しい出会い
2004/08/23
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8月7日から16日までイタリアとタイを旅行しました。旅行中に感じたこと・考えたことを書きとめてみます。今後数週間かけて順次アップします。今後旅行を計画される方のお役に立てばと思います。■日程 ローマ(1泊)→オルヴィエート→アッシジ(1泊)→シエナ→サンジミニャーノ(1泊)→フィレンツェ(1泊)→ローマ(1泊)→バンコク(2泊)■行動、感想 リフレッシュと刺激を求めて、10年ぶりに個人旅行でイタリアを訪ねた。きっかけは単純で、友人からイタリア旅行へのアドバイスを求められて旅ガイドを書いていたら自分も行きたくなってしまった(笑)。手配した航空券の都合でバンコクにも2泊した。旅への期待は大きく、出発1週間前からは、仕事をしながらも心は既にイタリアといった状態。旅行関連グッズに10万円以上使ってしまった。■思索の断片~旅は出発前から始まり帰国後も続く~ 旅行から得られる楽しみは旅行期間中に限られるものではない。せっかくの旅行だから最大限に楽しみ尽くしたいものですね。楽しみ方の例をあげると、、、 出発前には訪問地の選定や買い物などが楽しい。本やインターネットで訪問先の歴史やゆかりの人物の伝記などを予習するのにも熱が入る。 帰国後は、旅行中に得た新たな視点で日常を見つめ直せる。新たな視点で眺めると見なれた風景が違って見えてくる。旅行中に感じた疑問はその場で解決しなくても、その後の生活の中で問題意識として持ち続けることにより自分の成長に役立つ。旅行で沢山のクエスチョンマーク(???)を仕入れて脳味噌に種まきしておくと、いずれ開花するといったイメージですね。
2004/08/22
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