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自分で修理できました! HITACHIのビッグドラムスリムという洗濯機。突然「F19」というエラーメッセージが出て動かなくなった。 2012年に上海から東京に引っ越した時買ったので、10年8ヶ月使っている。4〜5人家族の洗濯物を10年以上洗ってきた。東京に来てからもう10年すぎたのね〜などと感傷に浸っている場合ではない。この年末年始に洗濯機がないのは辛い。 前に故障した時、水が排水されず糸くずフィルターの蓋から水が漏れて大変だった。ホースを外し排水溝の付属品のところに詰まっていた靴下を見つけ解決した。 しかし今回は排水管から糸くずを排出しても改善されない。ドラムが動こうとすると止まってしまう。エラーメッセージの「F19」は「メイン基板、あるいは基板用冷却ファンの不具合の可能性があります。」とのこと。これはもう自分ではどうにもできない。修理をお願いすることにした。 くらしTEPCO 住宅設備•家電修理サービスに毎月300円払って加入している。3〜4年くらい前にも一度修理してもらった。しかし、今回は購入から10年過ぎてるからと断られた。 わぁ、もう10年すぎたのね・・と言っている場合ではない、有償で修理すると5万円を超すらしい。買い換えるしかないのかと、新しい洗濯機の物色を始めた。 主人と新しい洗濯機を買いに行こうとしていた日のお昼、エラーメッセージ「F19」を自分で修理した人のブログを思い出した。その方は修理したのではなく、洗濯機の上部を開けて大きなコントローラー(コンピューターユニット)の箱の裏側にある冷却ファンの羽が回るのを確認しただけで動いた、と言っていた。ホコリなどで動かなくなる事もあるらしい。早速ドライバーで上部のカバーを外し、コントローラーの裏側にある冷却ファンを見つけた。綿棒の先を濡らしてホコリを丁寧に取った。羽根は回るが微妙に引っかかるので、枠部分をよく見たらちょっと粘着質のシールの痕のようなのがポツンとついている。これが原因か〜。今度は綿棒に洗剤をつけて根気よく拭き取ったらスッキリきれいになった。ファンもスルスル回る。電源を入れるとドラムが回転した!復活!!年末年始の余計な出費を回避できた!あれから2回ほど洗濯乾燥モードで洗濯してみたが、問題なく動いてる。嬉しくて回るドラム内で洗濯物がガシガシ洗われるのをつい眺めてしまう。これからは新しい衣類などに貼ってあるシールちゃんと確認しなきゃ。今回は洗濯機復活したけど、さすがに10年過ぎたらいつでもまた故障する可能性は高い。しかも、使えてはいるけど、ドラム内のプラスチック部分は突起一つとネジカバーが取れている。これは自力で修理できないし、部品交換もできないらしい。ホコリフィルターも1箇所穴が空いて布テープで塞いでる。毎回きれいにして下さいと書いてあったので付属のブラシでホコリを取っていたが、それに対する耐久性はないようだ。新しい洗濯機を本気で探すきっかけになり、まぁよかったのかも。とりあえず、洗濯機動いてよかった。「ママは洗濯機もなおせるんだね」と、子供達に尊敬された。
2022年12月29日
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2020年の1月25日頃の旧正月のあたりから新型コロナウィルスが日本にも入って来た。2月末には日本中の学校が閉鎖。せっかく中学受験が終わった三女の卒業式も入学式もなくなり、パパも私も3月からはリモートワーク。家族4人、3カ月間家にこもりっぱなしだった。幸い食糧貯蔵はかなりたくさんあるし、スーパーにもそんなに行かなくても生活できた。通勤、通学時間が無くなり、早起きする必要のなくなった我が家は、睡眠時間をたっぷりとり、朝・昼・晩家族でゆっくりご飯を食べ、かなり健康的に「おこもり」を満喫した。その3カ月間、家族4人分の3食を毎日用意しなくてはいけない・・・はずだったのだが、家事を減らしたい主人がある提案をしてくれた。主人は自分の担当している「食器洗い」と「掃除・ゴミ出し」、そして私の担当している「炊事(昼夜)」を娘二人と自分の3人で交代でやりたいと言い出した。皆、時間があるので快く承諾してくれて、毎日みんなが考えた普段と違う食事が並んだ。そして、さらに時間のできた私は、忘れかけてた中国語を思い出すべく、中国ドラマを見ることにした。全く何を見ていいのか見当もつかない私は、「ムーラン」なら内容知ってるから、ということで中国ドラマ「ムーラン[巾幗大將軍]」を選択。本当はディズニーの実写版を楽しみにしていたんだけど、コロナで延期になったしね。ディズニーアニメとは若干違うシチュエーションに違和感を感じながらもハマってしまいました。しかし、ムーラン役のエレイン・コンが全く男に見えなくて、ハラハラ。さらに、見進めるうちに、ムーランが結婚するはずだったさえない趙宇がツボにはまって、ほっとする存在に。でもね、全話40話は長すぎ。ムーランの妹がのし上がっていく宮廷のドロドロ話は好きじゃなかった。主題歌は結構好きだったけどね。 中国ドラマを見て中国語が上達したかと言われればビミョーなんだけど、耳がまた慣れてきて意味の分からない言葉も拾えるようになった。続けようかな。
2020年09月12日
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人生の半分を香港と上海で過ごした長女が2019年の年末、たくさんの祝福をいただき結婚いたしました。お相手はインド系アメリカ人のとても優しい人です。なので、長女はいずれアメリカ人になってしまいますが、17歳からアメリカの大学に行っていますし、日本に住んだのは5歳まで、すでに日系人のような長女なので、何の違和感もなくアメリカに溶け込んでおります。ちょうど新型コロナウィルスの感染拡大が始まる前に結婚したことで、夫婦二人で自宅待機になって安心しています。1人だったら心配だけど、旦那さんがいるから心強いです。アメリカの中でも感染者がそんなに多くない所だそうですし。西海岸は人種差別もさほどなさそう。長女がお嫁に行って、ひと安心というところですが、うちに残っている高2、中1の娘たちの子育てはまだまだ果てしなく続きます。
2020年04月28日
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「ブログしないの?」久しぶりに主人が聞いてきた。駐在で上海にいる間は細々と書き綴ってきた家族の日記があった。しかし、帰国して東京に住み始めると、子育てや家事に追われてそれどころではなくなった。ブログはお手伝いさんが家事をしてくれてるから出来たこと。もともと筆不精な私は日記を書くのも一日がかり。でも、主人は書いて欲しそう。「貴重な子供たちの記録を残しておいたほうがいいと思うんだ」日記をサボり気味な私に時々日記の下書きなどしてくれていた主人は書く気満々。新垣さんのゴーストライター事件で過去に私のゴーストライターを(ちょっとだけなんだけど)してくれたことを思い出したのか。従順な私は早速ブログを開けた。時間、あるのか?いや、なくてもしなきゃいけないんだろうなぁ・・・。2年ぶりに日記を書いた。
2014年03月09日
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旧正月の休みに家族でイギリスに旅行して帰ってきたら、28歳で家を出るまで一緒に住んでいた祖父が亡くなっていて、お葬式まで終わってしまっていた。1月31日の朝私たちは上海を出発した。祖父はその日の夜に亡くなったらしい。イギリスに行くことを母に伝えてはいたが、宿泊先までは教えていなかった。パソコンを持って行ったけど、ホテルのWiFiにはどうしてもつなげられず、街のインターネットも日本語のソフトがないのでメールは見られなかった。2月7日の午後、家に着いてメールをチェックしていたら、妹がメールで「お葬式は無事に終わりました。私たち兄弟で送ったお花代9000円立て替えておいたよ。」って。えっ、お葬式!?誰の?おじいちゃん?亡くなったの?お葬式終わったの?いつ亡くなったの????あまりにも簡単なメールでタイムスリップでもしたのかと思った。もう一人の妹はその少し前にメールで「至急連絡ください」とだけ。何が何だか分からなくて泣きながら国際電話カードを探した。見つかったのは12月31日で期限が切れたカードだけ。あとは全部使い果たしていた。国際電話をかけようにも電話カードがない。家の電話から普通にかけようとすると繋がらない。不便なところに引っ越したばかりで、電話カードもすぐには買いに行けない。途方に暮れていたらスカイプの事を思い出し、長年使っていなかったアカウントに入金して電話をかけた。妹たちと話して最後に母と話すとまたいきなり涙が出てきて言葉にならなくなってしまった。「おじいちゃんのお葬式に出られなかった。何にも手伝えなかった。ごめん。」と言うのが精いっぱいだった。母は「(数えで)99歳まで生きたんだから大往生だったよ。あんまり悲しまないで。みんな泣いてないよ。」と慰めてくれた。でも私が悲しかったのはあんなにお世話になった大好きな祖父を送れなかったこと。お葬式に欠席してしまったこと。それがとても悲しかった。小さい頃はお茶や和菓子が好きでいつも祖父のところに入り浸って一緒にお茶を飲んでをいた。戦時中、中国で逓信兵をしていたことや、中国人に親切にしてもらったこと、郵便局長仲間との昔話をよく聞かされた。先祖の話や、政治の話。それから、一緒にニュースを見ていてわからないことを聞くとなんでも答えてくれた。毎日、新聞を隅から隅まで読んで、なんでも知っている祖父をとても尊敬していた。私がクリスチャンになると決めた時、日本人は信仰の自由を認められていると言って反対する両親を説得してくれた。一年半の伝道に出ると決めた時も、祖父が良いことだと言って賛成してくれたので、これまた反対する両親は渋々承知してくれた。伝道前に私が調べた4代前までの系図を見てとても喜んでくれて立派な家系図の本を購入しそれに書き写させてくれた。伝道中に先祖からのプレゼントだと言って現金書留でお金を送ってくれたこともある。きっと、孫の中では一番お世話になっているのが私だと断言できる。初孫だし。なのに、祖父のこの世での最後の大切な式に参加できなかったのは何ともやりきれない。いままでは旧正月はほとんどどこにも行かず上海で過ごしている。2度くらいスキーをするために実家に帰ったこともあった。去年は冬と夏2回も実家で過ごせた。5~6年前に祖父が脳溢血で倒れた時みんな覚悟して親類まで呼んだ。その時は偶然同窓会で実家に帰っていた。しかし祖父は奇跡の復活を果たし、そのあとも大腸がんや、数々の病気から生還し、好きなものをお腹いっぱい食べて元気に過ごしていた。なのに、私たちが初めて海外旅行に行くことにした時に逝ってしまうなんて。亡くなった人との別れは一時のことで、いつかまた会えると信じている。その時にお葬式の事を謝ろう。でもどうしてこのタイミングで亡くなったのかも聞かなくては。祖父は一緒にイギリスについて行きたかったからと答えるかもしれない。仲の良かった祖母とは霊界で会えただろうか。
2011年02月10日
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彼らは互いに言った、「道々お話になった時、また聖書を解き明かしてくださったとき、お互いの心が内に燃えたではないか」。(ルカ24章32節)ルカ24章13節から32節にあるイエスと二人の弟子が歩きながら話している様子を思い描きながら描きました。モデルにした写真はたぶん新疆かな。先生所有の写真です。
2010年12月03日
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先週の月曜日は長女の15歳の誕生日だった。 前の日に長女に内緒でセミナリーの先生宅にケーキを届けて朝サプライズで友達と一緒に祝ってもらうようにお願いしてきた。 帰ってきた長女に 「びっくりした?」 と聞くと、ニヤッと笑って 「うん、びっくりした」 だって。やった! 昼は前の日に作ったカップケーキを学校に持って行って友達と食べたらしい。 そして夜は家族で別のチョコレートケーキでお祝い。 一日にお誕生日ケーキを3回食べた長女。 カロリーは??? 最近は難しかった思春期も過ぎて(過ぎた!?)、親ともちゃんと交流を持つようになった。 生まれてから15年も経っていた。 あと2年半で親元を飛び立ってしまう・・・。 なんとも寂しい。 今は一緒に買い物に出かけたり、お菓子を作ったり、色々楽しんでいる。 なのに、あと2年半しかないなんて。 子育ての期間は本当に短いなと思う。 (でも3歳の娘を見ると、先は長いなぁ~とも思う) 先週の土曜日に長女の歯の矯正について行って、私も歯の治療をしてもらった。 下の子たちは主人に見てもらっていたのに、そのあと長女がビリヤードがしたいというので主人にはそのまま子守りをお願いして二人で歯科の下にあるビリヤードに行った。 最初はビリヤードなんて「外国の不良がしているもの」というイメージだったので気が進まなかったのだが、やり始めると面白い。 20ン年前にBYUで友達とやったことがあったけど、ルールなんてすっかり忘れていた。ところが長女は友達と何回かやっていたらしく、ルールを教えてもらいながらやったら、3回とも長女に勝ってしまった。イェーイ。 一時間二人でやって48元(700円)だったからまた行ってもいいかも。 ここ一年ほど長女はギターも熱心に練習している。 今度はエレキが欲しいらしい。 主人が3曲間違えないで完璧に弾けたら買ってあげると約束した。 先週のホームコンサートでは3曲目がちょっと怪しかったので惜しくもエレキを逃してしまった。主人は厳しいのだ。 長女がひいた曲はビートルズの「スタンドバイミー」「ブラックバード」。この2曲は完ぺきだった。3曲目の「ヒアカムズザサン」もつっかかったけど、ネックが大きいクラシックギターの弦の上を指はすごく動いていた。 私も中学の時ギターに熱中して友達と集まって練習していたけど、ストロークとアルペジオをコードで押さえて弾くだけだった。しかし、長女は違う。コードを抑える指を端から端まで巧みに動かしながら前奏や間奏のメロディーまで奏でる。こんなにうまくなっていたとは。ビリヤードでは勝ったけど、ギターでは完璧に負けた。私としてはすぐにでもエレキを買ってあげたい気持ちでいっぱいなんだけどね・・・。 早く3曲目をマスターしてエレキを手にしてね。 そして勉強もこのくらいの集中度で頑張ってね。
2010年12月03日
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先週の週末長女と香港に行った。今回は教会の青少年の子たちも一緒に。一泊だけだったけどとても楽しかった。修学旅行や遠足に行ったことがない長女は移動の時間もずいぶん楽しかった様子。宿泊所では夜遅くまで友達としゃべっていた。香港まではシンセン空港を経由すると往復1200元(今は円高だから15000円くらい)。香港空港に行くより半額以下で行ける。市街まで1時間余計にかかるけど、大したことはない。大館から東京まで新幹線や飛行機を使ったら片道でそのくらいするはず。香港、もっと頻繁に行ってもいいかも。今回はシンセン空港までの新しいルートを教えてもらった。カオルーントンからKCRでロックマーチャウまで行って、そこからタクシーに30分乗っただけで空港に着く。(私たちが乗ったタクシーは20分だった)110元なので2人以上いる場合はバスよりお徳。しかも速い。今回は15人での大移動なので時間はかかったが、それでも2時間ちょっと。香港がもっと近くに感じた。一応今回の神殿参入で去年調べた分のファミリーネームカードの儀式は全て終了。でも系図の探求に終わりはない。戸籍謄本を見直すともっといっぱい出てくる、と主人は言う。頻繁に香港に行くことになりそうだね。
2010年11月11日
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9月末には大館から来た友達のお母さんを連れて更に2回万博に行った。新たに入ったところがいくつかあったけど、その中で印象に残っているのはテーマ館の中の「都市生命館」。さすがに中国が担当しているだけあってお金かけてますという作りだった。最後に見た映画はなかなかよかった。男の子が四川大震災の跡地から掘り出してきた囲碁をお墓に供えて「お父さん」と話しかけたときには涙がドォーっと出た。最後の一週間は160元だったチケットが200元になったので入場者数も激減したらしい。それを予測していた私は「行くべき」と思ってはいたのだが、予定がいっぱいでとうとう行けなかった。でもそんなに残念にも感じなかったのは、十分見たからかな。結局8回行けた。三女のおかげで並ばずにパビリオンもいっぱい入れたし。こんなこともうないね。とにかく疲れた。日記もしばらく休むほどに・・・(うまい言い訳だなぁ)。万博も終わり道路も心なしか空いているような気がする。
2010年11月11日
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私はバリウムが超苦手。苦手と言うか体が受け付けない。いままで最大飲んだのがコップ1/3まで。歯磨きの時のどの奥に歯磨き粉が触ろうものなら胃の中身まで吐いてしまう。ばりばり歯磨き粉味のバリウムなんかのどの奥を通らない。何度もえづいてすごく時間をかけて飲み込む。幸い健康診断の時は胃の中が空っぽなのでえづいても何も出ないが、毎回涙はいっぱい出る。炭酸はすぐに出てしまい何回も飲まされる。そしていつもレントゲン技師があきらめてくれて少しのバリウムでのレントゲン撮影となる。ところが、知り合いからレントゲンの代わりに胃カメラで撮影すればバリウムを飲まなくてもいいということを聞いた。鎮静剤で寝ている間に終わっているというのだ。6月の健康診断で胃カメラも予約したら9月まで予約がいっぱいと言われた。それで胃カメラだけは9月になってしまったが、これが本当に楽だった。胃の動きを止める(?)謎の液体を飲まされた後、のどに麻酔をスプレー。異物がのどの奥に触れたせいでえづいてしまって唾液をだらだら吐き出ししばらく中断したが、飲み込む必要はないので2回目の麻酔スプレーでOK.横になって点滴で鎮静剤を入れると意識が遠くなり、かすかに体の中に何かが入って行ったような気がしただけであっという間に終わっていた。バリウムが嫌で健康診断を受けるのを躊躇していた。2~3年に一回さすがにやばいかもと言うころに受ける感じだった。しかし、これからは胃カメラがあるから毎年受けても全然オッケー。医者も「最近はレントゲンよりも胃カメラの方が勧められているんですよ」と言っていた。別室で1時間くらい寝てから診察室で検査結果を聞く。頭が少しぼーっとするけど、ここちよい感じ。胃カメラの注意事項には「当日は重大決定を避けてください」と書いてあった。検査結果は「委縮性胃炎」で胃の中に「ピロリ菌」を発見!とのこと。これは胃カメラの検査をしていなければ分からなかったことだ。ピロリ菌がいると胃潰瘍や十二指腸潰瘍になりやすく、発癌性もあるので胃癌になる確率も高いそうだ。除菌は抗生物質を一週間投与して行われる。でも完全に菌を除去できる人は1/3しかいないらしく、一週間の薬投与後、4週間経ってからまた検査をし、もし除去できていなければまた別の抗生物質を使うそうだ。ピロリ菌は別に特別なものではないらしい。世界人口の50%はピロリ菌保持者だとウィキペディアには載っていた。そして日本人の40歳以上は7割がピロリ菌保持者だそうだ。「除菌しますか?」と医者に聞かれたが、もちろんお願いした。そして後で分かったことだが、ピロリ菌保持者が多すぎるので、日本では胃潰瘍や十二指腸潰瘍の人だけがピロリ菌除菌の薬に保険が適用になるそうだ。なんで医者は「除菌しますか?」と聞いたのかネットで調べて納得した。「除菌しますか?日本では保険適用外なので自費になるかも知れませんが」と言うことだったのか。言葉少なすぎ。もう薬代払っちゃったし。でも今回は海外駐在中なのですべて医療費は会社持ち、だはず。ある会社は社員のピロリ菌保持者全員の除菌をしたら数年後には会社の負担する医療費が格段に下がったというのを読んだ。消化器系の病気の予防には大きく貢献しているようだ。これで将来の医療費は削減できるはずだし、会社にとってもよかったのかも。駐在中でよかった。ネットで調べたら、日本ではピロリ菌の検査には5000円かかり、薬代は3万円だそうだ。上海の日系のクリニックで処方されたピロリ菌除菌の薬代は700元(1万円位)。会社が負担しなくても上海で除菌しておいた方がお徳かも。以上の理由で、胃カメラ超お勧めです。
2010年09月15日
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昨日隣の部屋にいる長女からEメールが来た。 添付には「なぜこの学校に転校したいか」というタイトルのエッセイが3ページに渡って書き綴られていた。 タイトルの横には「(I’m serious)」(本気です)という但し書きまでついて。 最近ホームスクーリング(アメリカの通信教育みたいなもの)をしていた教会の友達が次々とこのアメリカ系の学校に行くことになってから、毎日、自分もこっちの学校に行きたいとかなりしつこく言っていた。しかし、今の学校に比べ授業料が倍以上するこの学校に学費を援助してくれている主人の会社がOKするはずはないし、6 年前に見学に行ったときの印象はあまりいいものではなかった。その時は一学年ひとクラスしかなくてとっても頼りなげだった。私的には今長女が行っている学校の方が教育面においてはどこのインターよりもレベルが高いと思っている。まあ、正確には9クラスもあるので頭のいい生徒たちのレベルが高いだけとも言えるが・・・。 主人は友達がいるから行きたいんだろうと最初から相手にしていないし、私は勉強が簡単なところで楽をしたくて行きたいのだろうと思っていた。 そして、全く聞く耳を持たない両親を説得するべく長女は今までしたことのない方法で私たちにアプローチしてきた。なかなか頼もしい。手紙を呼んでいる間中私は、大真面目な文面とちゃんと納得できるような理論に基づいた転校の動機を爆笑しながらも感動の涙を流しながら読んだ。夏の間中TOEFLの塾でエッセイを何枚も書か された特訓の成果があらわれていた。 今の高校が教育面において何が足りないのか、余計な授業は何か、先生の質や人間性はどうか、生徒の質はどうか、道徳観念はどうか、自分にどのような影響があるのか、転校先の学校のカリキュラムとの比較、将来進む大学や希望の職業に対してどちらが有利かなどを理路整然と述べていた。さすがパパの子供。 確かに今の学校は部活もないし、社会見学も遠足も修学旅行もない。運動会も文化祭も合唱コンクールもない。体育なんかはスカートはいてバスケットのシュートを練習させるような遊び程度のことしかしないし、プールの授業は一度もなかった。中国色が濃く勉強ばっかり。長女の事をかわいそうには思っていたが、長女のため にはきっと一番いい学校だと思っていた。中国語だって他のインターに行くよりはかなり本格的に学んでいる。私は中学高校と折々にある学校行事をいつも楽しみにしていたし、部活も楽しかった。だけど考えてみたら、その楽しさを長女は味わったことがないのだ。 そして、今の学校のモラルの低さも噂では聞いていた。飲酒や喫煙、パブ通い、そして、実際学校の敷地内で小学部の父兄面談の時わざわざ滑り台の上で度を越したキスと抱擁をしている高校生のカップルを見たことがある。驚いたことに女の子は日本人だった。一部の人だけかもしれないが、長女はそんな環境が相当嫌らしい。 手紙を読み、すっかり説得された私は長女の事を応援したくなった。何より自分から状況を変えるために努力している姿に感動した。そうやってこれからも自分の人生を切り開いていける人になってくれればと願っている。 しかし、授業料高いからねぇ。 ポケットマネーだったり、親が学校で教えたりするとかなりのディスカウントが受けられるらしい。でも、学費は会社の援助があるし、私が先生になるなんてありえない。どちらの条件もあてはまらないから安くならないだろう。金額的に会社からのOKは難しいかも。 その前にパパを説得するのはかな~り難しいかも。
2010年09月09日
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8月27日、行ったばかりだけど、長女が夏休みが終わる前にもう一度万博に行きたいというので、今度は子供3人連れて万博に行ってきた。最初に向かったのは育楽館、EXPO版のキッザニア。着いたのは多分9時50分位。列は前回よりも少し短い。待ち時間2時間と書いてあったけどとりあえず並んでみた。ここは11時から一時間ごとに45分づつの体験だと並んでから分かった。10時半になったら中に入れてもらえて始まる前に色々散策出来た。それぞれの企業がスポンサーになっている小さなお店が沢山並んでいる、そこが子供たちの仕事場。親たちは大きな窓からそれぞれのお店を覗いて子供たちが職業体験をするのを見学できる。年齢制限のため次女だけが体験できるのだが、三女も「やりたい~」と泣いていた。好きなところに行けるのかと思ってファッションショーのモデルや、看護婦さんのところの並んでみたのだが、入る時にもらった札にすでに『美容員』と書かれていた。コーセーの化粧品売り場の販売員の仕事だった。コーセーの販売員のお姉さんと同じ制服に着替えて(子供用)さっそくお化粧品の説明の研修。5人の小さな販売員たちは後でお母さんたちの手の甲でシミ取りのレクチャーをしてくれた。郵便局、銀行、ケーキショップ、消防署、車の修理工場、などもっと色々なお店があって、次女は全部やりたいと言っていた。長女は「私も小さい時制服とか来てみたかった」と興味ありげ。前にキッザニア行こうって言った時、行きたくないと言ったのは長女だったのに・・・。そこを出てから前回見てなかなか良かった足跡館や日本産業館に連れて行こうとしたが長女はどこも見たくないお腹すいた、と言うのでバスで浦東に移動。スリランカのパビリオン内のレストランでスリランカのお料理とフルーツジュースを飲んだ。ローズゼラニウムのような味の赤いジュースに小さなかえるの卵のような種が浮いている。可愛い顔をしたスリランカ人のウェイターが「日本人?」と話しかけてきたのでついでにそのジュースについて聞いてみたけど結局わからず。有名なバラの花のジュースと言っていた。本物のバラなのかなぁ。ローズゼラニウムみたいな味なんだけど。あの種はいまだ分からず。食事の後すぐにソフトクリーム休憩。そのあとカタールのベビーカー優先入り口で止められた。ベビーカー一台に付き大人は一人しか入れないらしい。長女は服装も大人っぽくて見た目は確かに大人。でもまだ14歳だし、どこからが大人というのだろう。入場料は6歳の次女と同じ100元、大人料金じゃない。14歳だということを証明しようとしてパスポートを出そうとしたら「いいよ、いいよ」と言って入れてくれた。でもお目当てのヘナの染色タトゥーは休憩中だった。あまりパビリオンを見たがらない長女がアフリカ共同館が見たいと言うのでバスで移動。前に来た時よりも混んでいて、ベビーカーを押して歩きまわるのにはちょっと無理があった。バザールを少し覗いてすぐに退散。そしてまたアイス休憩。アメリカ館はベビーカー優先口があるのでまだ見ていない長女を連れて入りたかったのだが、「いらない」という。なんで?カナダ館は優先口がないのであきらめた。カリブ館は優先口がないけど長い柵の中をぐるぐるまわってすぐに入館できた。人が少なめなのでスタンプを押す人の列は短い。友達のご主人がもらってきてくれたEXPOパスポートにスタンプをバンバン押せた。ジャマイカ館でレゲエを聞きながら椅子に座ってしばらく休んだりトイレに行ったりした後はマンゴースムージーでまた休憩。そのあともっと南アメリカ方面を見て回りたかったのだが、西の空が真っ黒な事に気づき大雨が降る前に帰ることにした。しかし、タクシーに乗って浦西に帰ってきても一向に降る気配はない。黒雲は北の方に移動していった。東のEXPO方面はまだまだ晴れている。ちょっと早まったかも。それに、せっかく幼稚園を休ませてまで連れて行った三女のベビーカーがあまり活躍出来なかったのでちょっと残念。長女は本当に万博に行きたかったのだろうか?夏休み中にお願いしている数学の家庭教師から逃れるための口実だろ、と長女の気持ちがよくわかる主人は言った。でも、育楽館に入れたから、いっかぁ。
2010年09月08日
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先月ですが、8月18日水曜日、少し温度が下がりそうと思い、三女の幼稚園を休ませて次女と三人で万博に行ってきた。今回は初の浦西サイド。気温はそんなに高くはないけど、前の日に降った雨のせいで蒸し暑く、3番ゲートから子供の職業体験が出来る育楽湾まで歩く間にすでに汗だく。しかも、たどり着いた時にはもうすでに2時間待ち。今回は三女も一緒なのであきらめた。コカコーラ館、石油館、宇宙の家館もすごい列。コカコーラ館はベビーカーの優先入口はないと言うので他の人気館もないのかなと思い、これもあきらめた。ふと目に入った韓国産業館は列が短い、30分待ち。並ぼうかなと思ったら優先入口があった。中に入ってエレベーターで上に行く時、お姉さんが子供たちにロッテのガーナチョコレートを一枚づつくれた。私にはロッテの買い物袋。よく見ると他の入館者もチョコレートを手に持っている。ロッテ、すごい太っ腹。ベルギー館よりすごい。ベビーカーのおかげで蒸し暑い外から涼しいところに避難できたが、中に入っても汗が髪の毛を伝ってこぼれおちる。タオルで拭いてもしばらく汗は止まらなかった。上海は気温は高いけど今までこんなに汗をかいたことはなかった。中はタッチパネルをふんだんに使った触って遊べる壁とテーブル、色々な最新技術の紹介、未来のショッピングセンターでのバーチャルショッピングなど色々楽しめた。しかし、三女がトイレに行きたくなったので早々に退去。涼しかったのに。トイレから出たら雷が鳴り大粒の雨が降ってきた。大粒過ぎて雨と雨の間を歩けるほど。すぐ近くの日本産業館のアーケード通りに避難したら、そのとたん轟音とともに大雨が降ってきた。早めにトイレをすませておいてよかった。そのあと雨が降っている間しばらくはそこの屋根の下で過ごした。日本産業館とシスコ館があり、大きな銀行、KFCやピッザハットも入っているアーケードは結構広い広場になっている。雨から逃れた人がベンチからあふれてポータブル椅子に座って休む人がたくさんいた。ピザを買って運よく開いたベンチでランチをした。たこ焼き屋さんもあったがガイドには載っていなかったので日本産業館を出た時に気がついた。日本産業館は優先入口がありすぐに入れた。普通の人は待ち時間5時間だって。最初に日本や館内を案内する15分の映画を見てから8つの企業の部屋を順番に回りながらそれぞれの映画を見た。全部見るのに1時間。結構見応えはある。360度スクリーンあり、3D 映画あり、楽しかった。お土産に大塚製薬の大豆バーSoyjoy,(太っ腹な普通サイズ)やキッコウ萬のお醤油のサンプル、INAXの最新トイレの体験券など色々入ったバッグを人数分3袋ももらえた。日本産業館を出てから外のステージで静岡の踊りが見られると言うので待っていたが、予定より15分も遅れて始まった上、ゆっくり動く獅子舞とオカメとヒョットコが出てくる町内会の寸劇みたいなのだけだったのですごくがっかりした。踊りって言うから日本の浴衣を着た女の人が踊る盆踊りみたいなのを期待していたんだけどな・・・。お隣のシスコ館はシスコシステムが未来のIT環境を体験させてくれる。でも待ち時間3時間半で優先入り口なしだったのであきらめた。雨も止んだので次は足跡館へ。優先入り口ありなのですぐに入れた。大きな3階建ての建物の中は天井が高くて広い。EXPOの歴史映像みたいなのを360度プラス真ん中の壁や柱にまで実物大で投影させてその場にいるかの様に見せている。ローマのパンテオン神殿に集う沢山の兵士たちが普通に隣にいるかのような映像や、ロンドンの街並みやパブの中にいる人までそこにいるかのように普通に動いていた。2階には世界中の色々な博物館から持ってこられた貴重な発掘品が物々しく展示してあった。そして別の大きな部屋にはトロイの木馬の発掘現場が再現されていた。大きな木馬のトンネルを抜け裏側にまわると、ときどき木馬のお腹にある窓が開いて中に兵士が隠れている様子をうかがわせる。発掘現場にはベンハーで使っていたような一人乗りの馬車の残骸や骸骨が転がっていた。3階はテーマにそった展示が為され、絵画や美術品が展示されている。日本の江戸の街並みの模型や江戸の道端にいるかの様な大きな映像、そして北斎や広重の江戸百景もわざわざ東京から運ばれてきて展示されていた。上海EXPOの中では一番見応えがあるパビリオンだった。船で浦東側に移動した後は大きな建物の中で行われている四川省の人形劇を終わりの方だけ少し観て、別のステージで行われる四川省の踊りを見ようと待っていたのだが、なかなか始まらず、あきらめて出てきてしまった。中国の踊りはいつでも見られるし・・・。そのあとはバスでアメリカ館の方に移動。アメリカ館は優先入口があったのですぐに入れた。入口で待つ間映像が流れ、色々なアメリカ人がその場で習った下手な中国語で歓迎する様子が中国人の笑いを誘っていた。そしてさらにそこで働くアメリカ人が流暢な中国語で司会をして笑いを取っていたが、中国語が下手な私にはそのジョークが分からなかった。アメリカ館には浦東支部の教会員が沢山働いていると聞いたけど、浦東支部の人たちとは日曜日にすれ違うだけだから一人も知っている顔はなかった。アメリカ館では映画が2つ見られる。最初の映画はに3つのスクリーンが横に並んでいて次々と子供たちへのインタビュー映像が流れる。最初はヒラリー、最後にはオバマが出てきて歓迎の言葉を述べていた。次の映画は荒れた広場を素敵なお庭にしようと頑張る女の子のメッセージストーリー。アメリカらしい映画だった。日も暮れてお腹の空いた子供たちとペルー館のレストランに入ってセビーチェとペルー風アドボを食べた。こちらのアドボは豚肉だけ。脂身が多くイマイチだった。セビーチェはエビだけこんもり入っていて豪華、味は普通においしい。でももっと野菜とかイカとか色々入っていた方がよかったのに。川崎に住んでいた時にペルー人の友達と行ったペルー料理のお店のはすごくおいしかったな・・・。食事の後はペルーのお土産屋さんで笛の民芸品をねだられお姉ちゃんの分まで3つ購入。早寝の次女は6時半ころからすでに帰ろうモード。なので、ご飯を食べた後は出口に向かった。出る直前にあるファミリーマートで水を調達する時、肉まんを発見。ご飯を食べた後にも関わらず肉まんを1個ぺロリ。お姉ちゃんとパパにもお土産に買った。タクシーはすごく並んでいたけど、10分くらいですぐに乗れた。家に着いたのは8時半。二人ともタクシーの中で爆睡。いっぱい歩いたもんね。ごくろうさまでした。
2010年09月08日
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連日35度以上の上海。今日の体感温度は42度。先日は46度あったらしい。万博に行きたくても暑すぎて子供を連れていくのはちょっとためらう。ところが先々週の土曜日は青空と夏の雲がきれいなとってもいいお天気だった。そして、朝から少し涼しくて爽やか。日中の日差しはまだきつかったので、夕方から家族みんなで万博に行ってきた。日が暮れてくると涼しくなって気持ちいい。最初はマレーシア館に入った。日中来るとすごく並んでいるのに15分くらいで入れた。中はそれほどインパクトはなく、中国人、インド人、マレー人の民族衣装との写真。熱帯植物のディスプレーと、ビーチの写真。一般的なお部屋の展示、芸術作品の展示。ココアの試飲もあったけど、紙コップの味が強すぎてよくわからなかった。次はニュージーランド。列がスカスカで長い柵の中をみんな早足で進んでいく。あっという間に入れた。アボリジニの民芸品らしい木彫りの門をくぐると長いスロープを上りながらニュージーランドの生活や人々の映像展示物が見られる。ディスプレーがとても素敵だった。屋上の斜面は大きなお庭になっていてニュージーランドの植物や作物が植えてあった。外に出てからキィウィのスムージーを食べてみた。フレッシュのキィウィを使ってないのかちょっと抹茶っぽい味がした。インドネシアのフードコートでナシゴレンとサティを食べ、インドネシア館へ。ここも列はスカスカなのに一応柵をぐるぐると回らなくてはいけない。私とベビーカーの三女は優先口を通って入り、みんなが来るまで入口のステージの演奏を聴いていた。豊富な展示物のある長いスロープを上まで登り映像の部屋で一休み。小さな男の子が獅子舞を踊るドキュメンタリーで長女は真剣に見ていた。インドネシア館は2回目だけど、豊富な展示物や写真、そして何より解放感のある建物がとても気に入っている。オーストラリア館はいつも長い列が出来ているので入ろうと思ったことはなかったが、夜になると列はかなり短くなっていた。それでも20~30分は柵の中をぐるぐると並ばなくてはいけないのだが、日中に比べると暑くはないし、とっても楽だった。風刺画の漫画のようなオブジェで歴史の展示がしてあったり、中国との比較展示があったり、なかなか楽しめる。最後は何百人も入る大きなシアターで真ん中の回るスクリーンや中心に次々現われる立体とのコラボでショー感覚のメッセージストーリーだった。オーストラリア館ではもちろんフードコートでオーストラリアらしいものを何か口にしたくなった。オーストラリアと言えば私の中では「パブロヴァ」。でもそれらしいものは見当たらない。でもデザートのところに「Lamington」の文字を見つけた。前にオーストラリア人の友達から教えてもらって一度だけ作ったことのあるココナツのかかったチョコレートケーキ。あの時は丸かったけど、ここのは長方形。自分が作ったのと同じ味なのか確かめたくて買ってみた。しっとりしていて。周りのチョコレートは自分が作ったのより厚めにコーティングされてる。おいしい。うちにまだレシピがあったはず。今度またぜひ作ってみよう。最後は、いつも人気で入れないフランス館やイギリス館に入りたかったのだが、9時半で列は止められていた。5分早ければ間に合ったのに。ソフトクリームで手間取ってないで早く移動するべきだった。でも、イタリア館はまだ開いていたので素早く列に並んだ。15分くらいで入れた。中は車、椅子、バイク、靴、洋服が展示されていていかにもイタリアらしい。絵画や建築物のミニチュア、バッグの職人の実演など盛りだくさん。三階までの壁面いっぱいにディスプレイされたオーケストラの椅子と楽器は落ちてきそうだけど、自分が上から眺めている感覚になる。透明な棚にディスプレイされた色々な種類のパスタもおしゃれだった。いつも7時半に寝る次女が寝てしまって私と次女だけ一階で待機。2階と3階が見られなかったのは残念だった。10時半になるとどこのレストランもパビリオンも閉まってしまう。12時まで開いていると聞いたことがあったけど、それは門とトイレだけのよう。お昼寝してまだまだ元気な三女を歩かせ、いつも早寝の次女はベビーカーで運んだ。頭がはみ出して窮屈そうだったけど、ベビーカーがあってよかった。帰る時いつもはタクシーの方が列を作って待っているのに、夜はタクシーを待つ人の方がすごい列。でもタクシーが次とやってきて並ぶ時間はそんなに長くはなかった。並んでいるとき中国人の小学生くらいの男の子が三女にEXPOのマスコット海宝のキーホルダーをくれた。わたしは三女を抱っこしていたのでお礼を言うことしかできなかったけど、この国の人たちは小さな子供に本当に優しい。この日、一番感動したのはこの男の子の優しさかな。
2010年08月16日
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日本から帰ってくるときに飛行機に預ける荷物の限度枠は4人で80キロ。今回は両親に仙台空港に送ってもらうということで、限度枠いっぱい買い物をして帰ってきた。ANAのマイレージカードがあると一人5キロサービスなので10キロ位超過した分も追加料金なし。前回は羽田発着なのであまり持って帰ってこなかったけど、その分も買い物したっていう感じ。なんてったって一番嬉しかったのは、タイガーの「ホットプレートこれ一台」。結婚してから初めてホットプレートを買った。電気調理器具が大好きな私だけどホットプレートだけはうちにはなかった。主人に「場所とるからいらない」と言われてから買おうと試みたこともなかった。お好み焼きやたこ焼きは台所で焼いてからお皿にのせて出していた。パンケーキもクレープも一枚一枚フライパンで焼いていた。焼き肉はお店で食べるものだったし、もんじゃ焼はカセットコンロに四角いフライパンをのせてテーブルで焼いていた。しかし、今回ホットプレートを買ってみてその便利さに涙が出た。パンケーキやフレンチトーストは一度に6枚焼けるし、クレープは2枚づつ焼ける。更にクレープを焼きながら空いたところで目玉焼きも焼けた。温度調節しながら焼けるので、ガレットを作ってもクレープが焦げない。もんじゃ焼は大量に出来るし、焼きそばも5人分水分を飛ばしながら焼けるのでべちゃべちゃにならず、主人から「おいしい」とほめられた。餃子なんか50個づつ、2回焼いただけで終わった。たこ焼きは今まで16個ずつカセットコンロで焼いていたが、今度は一度に30個、みんなで焼くのを楽しめた。上海に帰ってきてから2週間、ほとんど毎日使っている。先週、お肉と野菜を大量に買って焼き肉プレートで焼き肉をした時はさらに感激した。焼き肉プレートは穴があいていて油が水を張った受け皿に落ちるようになっている。電熱バーには油がかからないような仕組みになっていて、煙があまり出ない。野菜も大量に焼けるしお肉も脂が落ちでいい感じ。直火焼きの香ばしさはないけど、ヘルシー。ただ、いくら窓を開けていても部屋の中に匂いがこもるし、床も油ぎったような感じがした。食事の後、床は即水ぶき。クーラーをかけながらしばらくは窓を開けていた。焼き肉は・・・やっぱりお店か・・・。でも焼き肉しながらあんなに大量の野菜が食べられるのは家でだけかも。白ズッキーニ大2本、ニンジン中2本、パプリカ大2個、シイタケ中20個、みんなでペロッと食べた。こんな沢山の野菜、お店にはないよね。後残るはお好み焼き。ホットプレートから直接あつあつ、カリカリをコテにのせて食べるのがすごく楽しみ。広島焼きも挑戦してみよう。クックパッドのレシピ検索でホットプレート料理を調べてみたらパエリアやビビンバもできるとのこと。守備範囲広し。それに、考えてみたらどら焼きだって一度に沢山できるかも。韓国のチヂミや沖縄のひらやちー、ちんぴん(ポーポー)もホットプレートでできる。きっとこれからもホットプレート大活躍だね。本当に 買ってよかった ホットプレート!嬉しさのあまり、いきなり一句出来てしまった。字あまり・・・。
2010年08月07日
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夏休み前に行って、夏休みが始まったとたん帰ってきてしまったけど、日本の夏を楽しめなかったわけではない。三連休には3つ下の妹が久々の小岩井農場、世界一美しい湖(と私が思っている)の十和田湖・奥入瀬、そして岩舘の海でバーベキュー&海水浴に連れて行ってくれた。本当にこの妹には帰るたびにお世話になる。子供たちが退屈しないように色々と考えてくれるし、お昼寝をしない三女を持て余しているとおんぶして寝かしつけてもくれた。これが本当にうまい。妹の旦那は私の高校の同級生で野球部でも一緒だった友達なので、これまた気兼ねなく甘えてしまう。最終日は父が子供たちや姪たち皆を連れてブルーベリー摘みに連れて行ってくれた。大人は500円、小中学生は300円で食べ放題&摘み取ったブルーベリー200gお持ち帰りだった。それを超えた分は100g100円で買い取るのだがそれでも上海のブルーベリーの値段に比べたら三分の一。総勢8人で摘んだブルーベリー4.7キロは超過した分3500円を払い持ち帰った。さっそく大量のジャムとブルーベリーパイを作り夏の味を堪能した。そして次の日大きなタッパー二つにジャムを入れ上海まで持ち帰ってきたのだった。実家にはまだ2キロくらい生のブルーベリーが残っていたけど、ジャムにしたかな・・・。
2010年08月07日
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先月のことになってしまうが、7月10日から24日まで娘三人を連れて大館に里帰りした。2月にスキーに行ったばかりだが、今回は小学一年生になった次女に日本の小学校の体験入学をさせるのが目的。長女は夏休みごとに日本人の家庭教師を雇って日本語を勉強させたが、本人は全然やる気なし。いつもイヤイヤやっていた。結果、日本語の作文のレベルは小学生のまま・・・というか、最近日本語で書いたものを見たことがない。英語と中国語が出来ても日本語がお粗末じゃ日本人とは言えないが、すでに日系人のようになってしまった長女の中で日本で働くと言う選択肢はないらしい。でも次女は日本に行くたびに「日本に住みたい」というので、日本語の教育もちゃんとしておいてあげないといけないなぁと思っていた。ほっておいてもひらながとか自分で書けるようになっていたのでぜひ日本の小学校を体験させ、これからも続けて日本語を学習してもらおうという計画。学校は私の母校で実家から歩いて5分弱。道路を渡る必要もないので3日目からは一人で登下校させた。と言っても5日間しか行けなかったので実際一人で登下校をしたのは二日半。上海では敷地内の公園から家まで一人で往復することは2回位あったけど、まるっきり一人で公共の道路を歩かせるなんて一度もなかった。親の心配をよそに本人は全然平気で登校していった。度胸があるのは私に似ているのかも・・・。本当は10日位行かせたかったのだが、学校側の事情と、海の日と、早い夏休みで5日だけになってしまった。でも本人はとっても楽しかったらしい。毎日すぐに宿題を終わらせ、学校に持っていく歯ブラシや手拭きや、体操着などを自分で準備していた。お友達もすぐに出来て、二日目迎えに行ったときはすでにボーイフレンドまで作っていた。先生方にもとっても良くしていただいて、最初の体験入学は無事終了した。実家は祖父と両親、弟家族の4世代7人が住んでいる。それに私たち4人が加わり11人で2週間を過ごした。弟の奥さんには11人分の朝ごはんと晩御飯を毎日用意してもらった。かなり大変だったと思うが本当にお世話になった。その上、去年小学校を卒業した姪っ子のランドセルや体操着を貸してくれたり、その他もろもろの学校の準備も色々心配してくれてとても助かった。学校側は持ち物については何も言ってこなかったので上履きや運動靴の準備もしてなくて日本であわてて買った。夏なので靴下も一足しか持って行ってなくて姪のを借りた。最終日の前日、妹がクラスの子に鉛筆2本ずつ渡さなきゃいけないんじゃないとか言うのでそれもあわてて買いに行った。鉛筆2本ってなんかつまらないしケチくさい感じだけど他に選択がなかったので眼をつぶって買った。この次は上海からもっと面白くて安いものを買ってこよう。来年は7月に日本に行けるかどうかはわからないが、機会があればまたぜひ体験入学をさせてあげたい。でも、7月に日本に行ってもお祭りや花火がないので日本の夏っていう気がしないんだよね。
2010年08月07日
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3月からアイさんを雇ってるけど、食事は家族の希望で今でも私担当。 なのでネイルなんかしばらくしていなかった。 水仕事をするとタダでさえ弱い私の爪はすぐに割れてしまう。 普通のマニキュアなんか二日ともたない。 ところが、カルジェルは強いという噂を聞いていてずっと体験してみたかった。 やっと行ってきました、カルジェル。 爪にシールで支えをしてそのうえにカルジェルを何回も重ねて 塗ってはUVライトで固めて爪の長さを継ぎ足していく。 最後にシールを外すと爪が伸びてる。 表面もスムーズ。 自分の爪みたい。 短かかった私の爪は見事に長方形のおしゃれ爪に変身。 こんなに爪を長くしたことないっていうくらい長くなった。 自分の爪にカルジェルをするだけだったら200元。 伸ばす技術がはいると100元プラス。 無色のストーンもつけてもらったので合計320元。 日本より安いよねやっぱり。 最初は今までのネイルみたいに剥げないように、割れないように 何をさわるにも恐る恐るだった。 ジーンズのボタンをはめるときなんかすごく時間をかけた。 しかし4日経った今は何の恐れもなくなってしまった。 皮むき機の刃が爪に当たった時はさすがに欠けたかなと思ったけど。 無傷だった。 自分の爪みたいな感覚だけど、自分の爪よりも堅くて、色々便利。 キーボードや電話のキーもOKだけど、それだけじゃない。 野菜をくるんでるラップやビニール袋を破るのも簡単になった。 オウムのくちばしのように厚くてカーブしているカルジェルの爪。 プラスティックのピックを手に取り付けたような気分。 きっとギターもピックなしで弾けるかも。 しないけど。 それだけ強いということ。 カルジェルの技術、しっかりと見させてもらったので、 今度は道具を買って自分でやってみようかな。
2010年06月29日
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今回は近所のお友達と3人で行った。 朝三女をスクールバスに乗せた後、そのまま万博に向かう。 一人チケットを持っていなかったので門に入る前にまずチケット売り場へ。 そこでは山のようにダフ屋が割安チケットを売っていた。 上海市民に配られた6月限定のチケットだった。毎月エリア別に一家に一枚配られる。外国人にも配られるのでうちも主人が登録しに行った。一家に一枚なので家族で行く場合は更に他の家族の分を購入しなくてはいけない。万博に行かない(行けない?)人から安く買い取ったのを売っているのだろう。160元が10~20元 引きで売られている。きっともともとは半額以下で買い取ったに違いないが、売れなければその分は損失になる。皆必死で売りこんでいた。来週になればもっと安く買えるのだろう。 7号門に着いたのは9時近く。相変わらずすごい人だった。 入場するにはセキュリティーチェックがあるためなかなか進まない。周りの人に押され抜かされ、長い柵の通路を進んだ。冷却のための噴霧機から出ているのはミストと言うよりも雨に近く、背中と帽子がしっとりと濡れた。 40分後やっと入場することが出来、真っ先に向かったのはスイス館。とても人気のあるパビリオンなのでいつも長蛇の列。人気館のうち一つだけは朝いちの列の短いうちに並ぼうというのが計画だった。 スイス館の列はもうすでに長かったけど、まだ余裕がある様子。列も動いている。入口のお姉さんに聞いたら2、3時間待ちと言われたけど並ぶことにした。しかし1時間と少し並んだだけで中に入ることが出来た。 さすがに人気館だけはあった。入ってすぐの大きなスクリーンに映し出されるスイスの山並みの映像には眼をみはった。三階建ぶんくらいの大きなスクリーンをかなりスクリーンに迫った2階から眺めるようになっていて、ヘリコプターで山の上を飛んでいるような感覚になる。岩山の上の方を見るときは見上げるようになるし、山 の裾野を見るときは覗き見るような感じになる。実物大の岩肌が迫ってくるとドキドキした。手すりからは冷たい風が吹いてきてさらにスイスにいるような感覚になる。スイスの山や雪には本当に癒されて、そこからもう動きたくなかった。 通路には望遠鏡がぽつぽつ設置されていてスイスの街を眺めるような3D写真が見られる。最後に6人乗りリフトに乗って登っていくと、建物の屋上には芝生と花畑で作ったスイスの高原があった。その上をスイス自慢の6人乗りリフトが進む。的が絞られていて簡潔なスイスらしい展示だった。 昼はブルガリアレストランでサラダとヨーグルトスープとお肉料理を堪能した。ヨーグルトスープをサラダにかけたらもっとおいしかった。そしてデザートにはまたヨーグルトとバラのジェラート。さっぱりしてておいしい。 午後はどこも長蛇の列で、並ぶのが嫌な私たちはすぐに入れそうなギリシャ館へ。 エーゲ海沿いの白い建物と碧い海の景色を期待していたのだが、街中の写真ばかり。ちょっとがっかり。でも、パルテノン神殿の360度見渡せる写真とサフランの製造工程は面白かった。 そのあともベルギー館の外のベルギーワッフルを食べたり、アンゴラ館でドリンク休憩したりと、ならぶ意欲のない私たち。暑かったし、人多いし。 それでも一応人の少ないアフリカ系のパビリオンをちょこちょこ見た。 リビア館は、素朴な建物の写真が気にいった。絵に描いてみたいので友達に写真を撮ってもらった。 アンゴラ館は工芸品や布がおしゃれ。ステージで歌でも始まるのかとテーブルで待ってたけど一向に始まらず、次のパビリオンに移動。4Dの映像が見られる列もあったけど、並ばず。 ナイジェリアは行ったような気がするけど、ちょっと記憶を呼び起こせない。 チュニジア館はなかなか素敵だった。アフリカだけど、地中海沿いなのでヨーロッパからバカンスに来る人が多いのかな。オリーブオイルを売っていたので買ってみた。 そのあとはアフリカ共同館に入った。中は涼しく、大きなモールのようで、並ばなくても色々な国を見て回れた。バザールのようになっているところでは香水を買おうかどうかさんざん迷ったが、結局買わなかった。あまりつけないしね。でもいい匂いだった。 住居や住居の模型の展示をしているところが多く、そこの住人はどんなことを考えて生活しているのかなどと思いを巡らせた。 お面をつけた人たちのパフォーマンスや、コンサートなども計画されていて長くいても楽しめるようになっている。室内ということもあり夏の暑い時にはもっと人気が出るかもしれない。 ということで今回はヨーロッパアフリカ方面への旅だった。 主人が先週次女を連れて行ったときにチケット一回分使ったので、7回券は後残り3回。
2010年06月26日
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今週の月曜日から水曜日までは端午節のため3連休だった。そして3連休にするためにまたいつもの土日出勤、登校があった。 先週の土曜日、三女以外は誰もうちにいないので、三女を連れて万博に行くことにした。ベビーカーや車いすは優先で入れるところもあると聞いていた。しかしベビーカー一つにつき二人までしか付き添いは入れない。家族で行ってもそれは意味がないので、皆がいないときにその特権を使わせてもらうことにした。 今回はこども連れなのでタクシーで日本館のすぐ近くの4号門へ向かった。打浦路のトンネルを通ったら少し近い感じがした。 8時半に門に着くともうすでにすごい人、人、人。入るのも並ぶのかとうんざりしたが、「ベビーカーはあちらへ」と促され団体客と一緒に歩いて行くと車いすやベビーカーが並んでいる列があった。短い♪ これは日本館にも入れるかも、と思ったが、門が空いて日本館に行ったら既にすごい行列。延々と続く柵の中をみんな走っている。そこでベビーカーを押すのはちょっと無理だと思ったが一応係の人に何時間待ちか聞いてみる。するとベビーカーは建物の反対側から入ってと言われた。そしてもと来た道を戻ってみると車いすの列 が。優先的に入ることはできないが、普通に列に並んでいる人たちとバランスを取りながら少しづつ入れてくれるらしい。でもすでに3時間待ちと言われあきらめた。うろうろしてる間に長い列になってしまっていたのだ。 日本館はあきらめてイスラエル館に入った。列が短いと思ったら映画が始まったばかりだったらしくそれから15分位待った。360度のスクリーンに最先端技術やユダヤ人が発明したものなどの紹介があった。ラップトップや携帯電話、飲み込むカメラなどを発明したのはユダヤ人だそうだ。私たちの生活はイスラエルと切り離 しては考えられないということらしい。 どこもかしこも長い列で1~2時間待ちになっている。ベビーカーを優先して入れてくれるところがどこなのかもわからないので再びうろうろ。するとカタールの脇から車いすが入って行った。私たちもそこに行くとすんなり入れてくれた。「行列のみなさん、ゴメンナサイ」と思いながらもとっても嬉しかった。 カタールの人々の住居や生業などを展示してある2階には本物の人が展示物のように座っていた。一階では立体的な模様をタトゥーみたいに腕に書くサービスをしていた。ステージもあったがちょうど休憩中だった。 そのあともモロッコ、レバノン、カンボジア、シンガポール、インドネシア、フィリピンなどが優先の入り口があり待たずに入れてくれた。 モロッコは建物がすてきだった。3階まであり、2階のバザールのように特産物を展示しているところはなかなかおもしろかった。 レバノンは「狭い」ということしか覚えていない。映画もあったが狭すぎてベビーカーでは入れなかった。 カンボジアはただアンコールワットのような石像の中を歩くだけだった。 シンガポール館では一階の参加型の映像や、小さなトランポリンで音を出して遊べた。2階では観客は小さなソファーに座り横長のスクリーンでシンガポールのゆる~い紹介を見た。足マッサージの出来るソファーも中にはあった。屋上に行くとシンガポールの植物を植えているお庭があり、ローズゼラニウムなどのハーブの匂いで 癒された。上に登るスロープの2か所位にも足マッサージチェアーが2台ずつ置いてあり、マッサージをして休んでいる人もいた。 インドネシアは展示物を色々見ながら延々とスロープを上に登っていくだけなのだが、展示物は興味深いし、上に登っていくときもとても気持ちいいかぜに吹かれてなかなかよかった。てっぺんには空中に突き出しているようなカフェがあり、とてもいい風が入って気持ちよさそう。でも横から見ていると底が抜けた場合下までま っさかさま~という感じなので少し怖かった。映像の部屋もあったけど、人がいっぱいだったし、ベビーカーなので遠慮した。今度家族と来た時にもう一度来たいパビリオンの一つなのでその時は映像もぜひ見たい。 フィリピン館に入るときには5時もすぎ、優先の入り口もあったけどかなり人が減ったせいか並ばなくても入れた。中ではお土産を売っていたり、ステージで歌やショーを少しだけしていた。カフェがあったので夕食はそこでフィリピンのお料理を食べた。前にフィリピン人のお手伝いさんが一回作ってくれた「アドボ」の味が忘 れられなくて迷うことなく「アドボ」を注文。お肉は少しパサパサで多すぎだったけど、味はおいしかった。三女はソースのかかったご飯だけめちゃめちゃ食べた。人参とミルクのジュースとフィリピンバナナのケーキもなかなかだった。 ベビーカーの優先がないパビリオンも沢山あった。人気館はもちろんだが、人気館じゃないところでベビーカーの優先がないところはベビーカーや車いすの専用の入り口がないので普通の列に並ぶしかない。車いすはもちろんそんな狭い柵で区切られた列には並べないのでそのパビリオンは素通りするしかないようだった。 三女はその日12時からお昼寝。寝ている間に日本館に並ぼうと思ったがさらに4時間半待ちになっていた。それで次に列の長そうな韓国館に行った。専用の列には50台くらいの車椅子やベビーカーが延々と列を作っている。でも待ち時間は2時間くらいだったのでお昼寝の時間にちょうどいいと思い並んだ。2時間も並んだ割 には別に感動するほどのパビリオンではなかったような気がする。映像は時間が合わなくて見られなかったし。並んでいるときに遠くから見た韓国舞踊のステージの方が見応えがあった。 タイも優先ではなく専用の列があっただけだったが、20分位で入れた。3つの部屋を移動して映像を見るのだが、一番おもしろかったかもしれない。もう一度行きたいパビリオンの一つだ。そして、タイ人のあの素敵な「ほほえみ」をもう一度見たい。 その日は日本のナショナルデーだったので、野外ステージでも色々な催し物をしていた。遠くから聞いたことのあるような太鼓とメロディーが聞こえてきたので行ってみると沖縄の「エイサー」の舞台だった。若い頃10カ月だけ沖縄に住んだことがある。こんなところでもう一度「エイサー」を見られるなんて思ってもみなかっ たので、大興奮だった。「カチャーシー」の音楽が鳴り出すと踊りたい気持ちでいっぱいだったが、三女を肩車して子供に踊らせた。 子供連れだったので今回はかなりゆっくり、のんびりと万博を回った。でもベビーカーのおかげで結構色々見られた。土曜日なのに11個のパビリオンに入れた。 先日聞いた話だが、優先でパビリオンの中に入るベビーカーと車いすの付き添いは今度から大人一人だけということになったらしい。優先そのものを取りやめにしているパビリオンもいっぱいあるらしい。赤ちゃんや車いすの貸し借りが多くなってきたためだと聞いた。いつか赤ちゃんのレンタルとかでお金稼ごうとする人も出て くるだろうと予想はしていたが、こんな風に影響するのはがっかり。 色々ある上海万博です。
2010年06月19日
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今朝は早起きしてメールを書いたりしていた。 今、午前4時になるところ。 いきなり爆竹と花火が鳴りだした。 かなりすごい数。 長い。 止まったと思ったらまた始まった。 ちょっと離れたところみたいだけれど かなりうるさい。 眠りの浅い三女がうなされて寝言を言った。 起きちゃうかも。 花火の近くに住んでいる人はみんな起こされてしまったことだろう。 いつも時と場所をわきまえない花火や爆竹が突然鳴り出す。 旧正月なら大目にみるが、夜中の11時などに鳴ったりするのは困る。 朝の4時に花火と爆竹が鳴ったのは初めて聞いた、 気がつかなかっただけかもしれないが。 三女が泣いている。 やっぱり起きた。 呼んでいるので行かなくては・・・。
2010年06月08日
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今まで主人が忙しくて家族旅行もあまりしたことはなかった。 去年の夏に九賽溝へ家族で行ってとても楽しかったので 今年の夏もどこかに行こうと計画を始めた。 長女が大学に行ってしまうまであと3回しか夏休みがない。 イギリス、ハワイ、オーストラリア、ギリシャ、カナダなどなどみんな勝手なことを言う。 大体ギリシャは経済危機で破たん寸前だし。 それに主人はそんなに長い休みが取れるわけもない。 でも家族で海外旅行なんてしたことないんだよねウチは。 いつも日本に帰るときについでに日本をちょっと旅行するだけ。 本当はヨーロッパとかすご~く行ってみたい。 けど今年も3~4日しか休めないよねきっと。 先週、6月の14日から16日まで3連休があると分かった主人は麗江に行きたいと言い出した。麗江は雲南省にある湧水が流れる古い美しい街で世界遺産に指定されているところだ。 早速飛行機代を見積もってもらったら5000元するらしい。 しかしそれは端午節のため高くなっているだけで 8月に行くのであれば2500元、半額でいけるらしい。 早速端午節の旅行は取りやめになり、お盆のころの休みに行くことになった。 と言うことは今年も海外旅行お預けか・・・。 長女はがっかり。私もがっかり。 結局端午節に移動するとどこも倍の値段になるということで 3連休は上海で過ごすことになった。 家族で万博でも行くかな。 超混んでいると思うけど・・・。
2010年06月05日
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次女は3月からガールスカウトの活動に参加している。毎週金曜日に学校の最後の時間にクラスを抜けて参加するのでお迎えもいらないし、毎回とっても楽しそう。先週の金曜日の夕方から土曜日の夜にかけて次女とガールスカウトのキャンプに行ってきた。上海のインターに通っているガールスカウトの子たちが集まるキャンプだった。初日は浦西の学校だけでボランティアの親も合わせ200人位集まった。上海から車で30分のところにある朱家角のそばの大千庄園は林と湖に囲まれたログキャビンのキャンプ場だ。中国にもこんなところがあったんだと驚くくらいちゃんとしたキャンプ場だった。天気予報は二日間雨。カッパや着替えを沢山用意して覚悟を決めて参加した。しかし金曜日は曇りのまま外でキャンプファイヤーもでき、マシュマロをローストしてグラハムクラッカーにチョコレートと一緒に挟み、スモーアーを作って食べた。縄跳びが始まったとたん雨が降り出しお開きとなったが、夕食のホットドッグもおいしかったし、なかなか楽しい始まりだった。9歳以上の子は親の付き添いがないので12人の子供たちと大人二人が一緒に大きなキャビンに寝泊まりする。6歳から8歳までの子たちは母親と一緒に三角屋根の小さなキャビンに子供二人大人二人の4人ずつ寝ることになった。ベッドもありシーツも枕もあったが、どのくらい清潔なのか分からないので寝袋の中に入って休んだ。翌朝は予報通りの雨。皆カッパを来て食堂に集合。目玉焼きとハムを挟んだイングリッシュマフィンに角切りにしたジャガイモをタコスのシーズ二ングで炒めたもの。それにバナナとオレンジとオレンジジュースがあった。朝食はイギリス式。期待していたよりもとってもおいしかった。午前中は雨なので大きなダイニングスペースで午後の活動を繰り上げて行った。子供たちは水が地球上で循環するシステムや、水遊びの時の安全について、プレッツェルなどのお菓子でキャンプファイヤーの組み方、そしてクラフトなど色々な事をグループに分かれて学んだ。娘と同じクラスのスコットランド人のお母さんが私たちのグループリーダーになり子供たちに教えてくれた。雨の中をカッパを来て動物も見に行った。大千庄園内には鹿、エミュー、馬、牛、ラクダ、サル、白鳥、黒鳥、アヒル、鶏などが飼われている。しかし雨のせいで残念ながらポニーに乗る活動は中止になってしまった。トルティーヤのお昼ご飯を食べた後は雨も上がり、竹のボートに乗って湖に浮かぶ猿山を見に行った。また、湖面に大きな筒のような浮き袋を浮かべてその中をハムスターのように走る乗り物でも遊んだ。そのあと子供たちはアスレチックのプレイエリアで午前中動けなかった鬱憤をはらしていた。夕食の前に皆でキャンプの歌を歌ったりしていたが、一つも知っている曲はなかった。夕食は自分たちで作った。牛肉のミンチと柔らかくしたジャガイモと人参の角切り、それにバターをのせホイルにピッチリ包んでバーベキューの火の上で焼く。するとホイルが風船みたいに膨らんでいいにおいがしてくる。食べたら本当においしかった。しかし夕食はこれとスイカだけ。あまりにも少なすぎ。パンもご飯もない。親の分も別けてもらって食べたのにうちのグループの子供たちはもっと食べた~いと騒いでいた。食事はレストランを持っているお母さんが担当し作ってくれていた。キャンプ場のスタッフとボランティアのお母さんたちも手伝っていたが後片付けはもちろんアイさんたちの仕事。なんて楽なキャンプだったんだろう。みんなおいしかったが、もう少し量が多ければパーフェクトだったのに。夕食の後は帰る支度をしてバスに乗り込んだ。まだおなかが減っていたので、帰りのバスから主人に電話してピザを注文してもらった。子供のころ母の実家の従兄弟たちは三人ともボーイスカウトに所属していた。休みの日に遊びに行ってもときどきいなくて、夕方帰ってくるとかっこいいボーイスカウトの制服を着ていたりして少しうらやましかった。関東ではどこででも参加できるのだろうが、十和田湖の近くのかなり田舎に住んでいたのにボーイスカウトがあったのには今更ながら少しびっくりだ。ガールスカウトは制服もなく、エプロンとかタスキに目標を達成した時にもらうワッペンを貼っていくだけだ。次女のエプロンにはもうすでに6個のワッペンがたまっている。来年のキャンプもまだ親の付き添いが必要な年齢だ。今から楽しみにしているのは実は私の方かも。
2010年05月25日
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ある日主人が言った。 「せっかくこんな近くで万博やってるんだから、何回も行きたいよね。でもみんな時間ないからきみが代表で何回も行って毎回レポート書いてよ。」 ということで、お得な7回券(900元)を買って万博通いをすることになってしまった。(一回券は160元) 前の日7回券を買おうと思って交通銀行に行ったらもうシャッターを半分下ろしていて、売ってくれなかった。ローソンに行ったら売り切れだという。別のローソンで聞いてみたらそこには1回券しかない。「7回券はあんまりないよ」と言われた。仕方がないので当日入口のところで7回券を買うことにしたが、発券所が混んでいる ときのために保険として一回券を買っておいた。 9号線の桂林路駅から乗って馬当路で13号線に乗り換えようとしたら13号線の駅に入るところで止められてしまった。万博のチケットがないと駅前の広場にさえ入れないらしい。 友達はご主人に頼んでいたのに買えなかったらしく持っていなかったのでチケットを買うことにした。どこで売っているか聞くと、「まっすぐ行って左に曲がり二つ目の信号のところにある郵便局で買える」と言われた。なんと、発券所は駅にはない。普通入口で売ってるものでしょ、と思いながら郵便局を探した。ちょうど私は7 回券がほしかったので、友達に私の一回券を買ってもらい自分は郵便局で7回券を購入した。 駅に入ると空港のようなセキュリティーチェックを受けてから改札を通った。万博会場について駅を出たらもうオーストラリア館が目の前にあった。そこで初めて自分たちはすでに万博会場の中にいるのだということに気がついた。13号線の改札は万博会場のチケットで入るのでそこからはもう万博会場ということになっていたの だ。 私たちはさっそく意見が一致し、ベルギーチョコレートがもらえると言うベルギー館へと急いだ。全然並んでいる人がいなかったので、もうチョコレートはなくなっちゃったかもと思ったがLotusのキャラメライズドクッキーがもらえた。去年の秋主人の妹からもらったおいしいクッキーはベルギーのだったんだ。ベルギーはチョコ レートの他にダイヤモンドの展示もあり、まばゆい七色の輝きに眼も癒された。しかし、3Dの映像はメガネが間に合わなかったらしく肉眼でしか見られなかった。 デンマーク館ではデンマーク産のエルダーフラワーのジュース12元(お茶?)を飲みながら遠い国から連れてこられた人魚姫の像を眺めた。人魚姫を運ぶ時に撮ったドキュメンタリータッチの短い映像ではトラックに載せられた像を見送る町の人たちの悲しそうな顔ばかりが映っていた。 フィンランド館はサンタクロースの郵便局があるとガイドブックには載っていたがそんなものはないと言われた。でもゲストブックに写真とメッセージとメアドを登録したからクリスマスあたりに何か届くかな。私が持っていたバッグにはフィンランド語で「ありがとう」と「さようなら」が書いてある。中で働く中国人が気づい て笑ってくれた。 スウェーデン館はIKEAのお店がそのままパビリオンになったような感じだった。長靴下のピッピの展示があると聞いていたが、絵が3枚くらいあるだけだった。ブランコは楽しかったがあれだけ並んでこれだけ?と言う感じ。1960年代は公害などで汚かった海も今では泳げるようになったと大きなパネル写真で比較展示していたのに は少し感動した。 昼は食べたことのないものを食べたくてウルグアイ料理の店に入った。60元位でメニューは4つだけ。すべて牛肉料理。フライ、サンドイッチ、ソテー、野菜のせソテー。私たちは一番人気だというソテーにした。オリーブオイルとバルサミコで味付けがしてありおいしかったがちょっと噛み切れない。もう少し小さく切ってくれて たらよかったかも。でも主人が好きそうなお肉だった。ちゃんとブルガリアから輸入したお肉らしい。ナチュラルミートと書いてあったから健康なお肉なのかも。だから硬いのか。 ブルガリア館はとっても小さくて並ぶこともなかったけど、素敵なタイルに出会えた。いや、石畳の模様なのかな、床に展示してあったから。しかし家の様子や民族衣装の展示はさらっと見ただけだった。少し離れたところにブルガリア料理のお店がありヨーグルトとバラのソフトクリームを食べた。ジェラートみたいにさっぱり していておいしかった。なぜか日本人が一人そこで働いていたっけ。 オランダ館は空中に沢山の家が浮かんでいるようなパビリオンだった。長いスロープを上りながら家の中に展示されたものを覗くようになっている。建物の下は人工芝になっていて沢山の人たちが日陰で涼んでいた。スロープは屋外で空調設備もいらないし人にも環境にも優しいパビリオンだと感じた。 今回はC地区だけを回ったのだが疲れてしまった。人気のスペイン、フランス、イギリスなんかは長蛇の列であきらめた。3~4時間並んでいたら他のが見られないし。今度からは朝一で人気パビリオンに並ぶことにしよう。午後には更に人が増え広場も人で埋まった。 遠くから来る一日だけの旅行者は何を見るのだろう。やっぱり人気パビリオンに並ぶのかな。家族と行く時はどこに行くかちゃんと計画を立てなくては。
2010年05月23日
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2歳10か月の娘が朝起きて目が痛いという。 少し腫れてる?と思って目薬をさしてやった。 薬を目にたらすとびっくりして 「あぁ~!%:*☆」と叫んだ。 「はいパチパチして」 というと。 手をぱちぱちたたいた。
2010年05月10日
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次女がシャワーをしているときに急に泣き出した。 「目にまつ毛が入った~。痛~~~い!!」 取ってあげようと目を見るとまつ毛なんか入っていない。 でもなんかおかしい。 まつ毛の先がない。 まつ毛が折れて目に入っているのかと思った。 まつ毛の先を出そうとまぶたを動かした。 でも出てこない。 長女は痛いと泣き叫ぶ。 とりあえず石鹸を流してシャワーから出てこさせた。 タオルで拭いて、着替えさせてからよく目を見てみた。 すると、まつ毛の先がまっすぐに切り取られていた。 端っこのほうは残っているものの、 瞼の真ん中はほんのちょっとしか残っていない。 それでシャンプーが目に入って泣き叫んでいたのだ。 次女にどうしたのと聞いても 「知らない」 の一点張り。 ショックで大きな声を出していたことに気がついて 少しトーンダウンして聞いてみた。 すると泣きながら説明し始めた。 「学校でトイレに行って鏡を見たらまつ毛が長すぎたの。 それでハサミで切ったの。まつ毛を切っちゃだめだって知らなかったの。」 まぁ確かにまつ毛の働きとか説明したことはなかった。 誰かに「長すぎ」とか言われたんだろうか。 次女は爪も一人で勝手に切ってしまう。 いつも切ってあげようと思って見るとすでに短い。 かなり自立した子ではあるが、ときどき突拍子もないことをする。 一歳半のとき目にマニキュアを塗って目医者に行ったことを思いだした。 まつ毛にエクステをしてる近所のお母さんが言った。 「もったいな~い。みんな長くするためにお金かけるのにぃ。」 まっ、そのうち生えてくるよね。
2010年04月26日
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去年の夏ごろからタクシーの後部座席に、緑色のステッカーが貼ってある。「運転手と言葉が通じなかったら相談無料の上海コールセンター962288までお電話ください」というものだ。同じ内容で英語でも書いてある。この文句を次女はタクシーに乗るたびに暗誦する。最初は間違えながら言っていたのだが、主人がちゃんと正しい読み方を教えてからは得意になって、必ず、暗誦する。タクシーに乗るたびに毎回だから何百回聞いたかわからないほどだ。そして、そこに書かれてある電話番号に電話するとちゃんと通じると言うことが分かったらしく、何度かそこに電話したらしい。今度はオペレーターの言葉を暗誦していた。最近私の電話番号を聞き出し、暗記したらしい。先日長女にベビーシッターをお願いして出かけているときに何度かかかってきた。昨日、ご飯支度をしているときに次女がパパが何時に帰ってくるか聞いてあげるねと言って私から主人の電話番号を聞き出した。6時から7時半の間に何度も主人に電話していたらしく最後には私に怒られてしまった。電話はお金がかかるというのを何回か説明していたはずなのに、それは覚えられないらしい。さっき、コールセンターの電話番号を書くときに、「618896・・・だったっけ・・・!?」などといい加減な事を書いていた。2歳の三女を呼んで「運転手と・・・、の後なんだっけ?」と聞くと、「相談無料の」という文句だけ外して後は正確に答えてくれた。電話番号が962288だということまで正確に。あれだけ何百回も聞いたんだから覚えるよねぇ。でも、私も何百回も聞いていたんだけどな・・・。
2010年04月17日
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昨年の12月から2歳半の三女も幼稚園に行かせている。日曜日の託児がよっぽど楽しいみたいだし、もう集団生活の準備が出来てますねって次女の学校の先生にも言われていた。主人からは7月から幼稚園のリサーチ司令が出ていて、ずいぶんせかされていた。ローカルの幼稚園も見学したが、結局衛生観念のしっかりした日本人向けのトリリンガル幼稚園に入れることにした。「英語70%、中国語15%、日本語15%の幼稚園です」という広告だが、それは多分お勉強の時間の原語の割合で、普通の保育時間は多分日本語50%、中国語30%、英語20%なんじゃないかな。でも日本人の先生に見てもらえるのは本当にありがたいので、うちはとっても満足している。連絡帳もお便りも日本語で丁寧に書き込んであるし、なんといっても衛生的!アメリカ人の友達は清潔さが気に行ったらしくうちよりも先に夏から入れていた。この幼稚園のことは彼女から聞いたようなものだ。実は、ふたクラスしかないとってもちっちゃな幼稚園なのに、教会員が3人もいる。一人は友人の長男、もう一人は英語の先生だ。先生やアイさんを合わせても総勢30人はいないだろうから、10%以上はいっている。上海にしてはとっても教会員率が高い。三女は知ってる顔もあったせいで最初からとっても楽しく通っている。次女が9月から行っている学校もPTA会長とお隣のクラスの先生が教会で知り合った7年来の友達だ。そして1年生と4年生にも教会員がひとりづついる。日本じゃめったにないことだよね。次女は兄弟が同じ学校にいるみたいに嬉しいみたいだ。次女の学校はイギリス式のカリキュラムとPYPという教育方針を採用している。教科書はなく先生のアイデアと生徒一人一人の理解の度合いに合わせて教え、宿題も一人一人のレベルに合わせて出してくれる。教室の中に4つのレベルに分けた机があり先生は一人一人をきちんと把握しているようだ。先生も皆ベテランのようで結構年配の先生が多い。次女のクラス担任は50代半ばのオーストラリア人でプライマリーレセプションだけを10何年も教え続けている先生だそうだ。子供たちがいろいろな空き箱や空き瓶を集め教室の中にスーパーを開店させ、お店ごっこをして算数を勉強したり、ホリデーで日本に行くときは日記帳を渡され写真やチケットやチラシを貼ったりして日本を紹介する日記を毎日書くように言われた。最初この学校に面接に来た時は1年生のクラスに入れようと思っていた。しかし、次女の誕生月は一学年下のレセプションのクラスのちょうど真ん中なので、同じ年の子と学ばせた方が自信がつくと説得され、その小学校の新設準備クラス(レセプション)に入れることにした。日本にいれば4月から一年生なので半年遅れて一年生になるのだが、レベル的には今も一年生がやっていることと同じなので問題はない。中国語のレベルも高く、完全なバイリンガル教育だ。次女のクラスの生徒は22人。国籍がバラエティー豊かで全部で13カ国から来ているらしい。日本人は一人しかいない。中国語の授業参観の時、白人の子たちも一緒のクラスでレベルの高い中国語の授業を受けていた。答えるとき単語が分からないので英語で答えたりする子もいたが、中国語の質問はちゃんと理解して積極的に授業に参加している。「パンダはなぜ白黒なのか」とか高度な質問にもちゃんと答えていた。ちなみにその理由は威嚇のためだそうだ。次女は「力が強いから」と答えていたが、まぁニュアンス的には当たってるかも・・・。中国語の先生もネイティブ並みに英語を話すバイリンガルの中国人だ。9月にはひとクラスしかなかったのだが、人気が出て順番待ちの生徒も出たので2月に隣の倉庫みたいだった部屋を改造しレセプションに2クラス目ができた。そこに私の友達が雇われたというわけだ。長女の学校も完全なバイリンガルの学校だけど、どちらかと言うと中国色の濃い学校だ。中国人の先生たちは成績を凄く気にする同校卒業のエリート教員で皆とても若い。英語や地理、歴史などはネイティブの先生が担当するが、やはりテストの形式や学習方法などは小学生のころからも成績表に重点が置かれていた。中学一年のころから既にGPAを上げるために中国語のクラスを下のレベルを変えてはどうかなどと言われたりした。クラスは完全にレベル別に分けられていて、生徒一人一人が違う時間割を持ち、毎時間自分のレベルのクラスに教室を移動する。大学入学に焦点を当てているので入りたい学校には近道かもしれないが、学齢が小さいうちは次女の学校の方が断然楽しいし、後のことを考えると学習する能力をつけるためにはこちらの方が効果的かもしれないと感じている。でも学校の環境は長女の学校が一番いい。大学のような広いキャンパスに芝生と林、大きな図書館もなかなか気に入っている。次女が3年生になる時、どちらに入れるかでまた悩まなくてはいけなくなった。なにはともあれ、皆楽しんで幼稚園や学校に行っているのでよかった。いろんな異文化の人たちとふれあい、3ヶ国語で生活することが普通になってしまった子供たち。どんな将来が待っているのかとても楽しみだ。
2010年04月10日
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2泊3日の短い滞在が、空港での時間ロスで更に短い時間になってしまった。買い物する時間は用事が終わった土曜日の3時半から友達の家に行く5時半までの2時間だけだった。行きたいお店はたくさんあったけど、とりあえずカオルーントンのモールに入っているお店を駆け足で回り、必要なものだけ手に入れた。 買い物をする時間を犠牲にしてもこの友人達に会いたかったのは、長女を連れていたから。香港にいる2年間可愛がってくれた人たちにぜひ長女を会わせたかった。 ポックフラムからミッドレベルに引っ越した友人宅に、今でもポックフラムに住んでいる友人も駆けつけてくれた。そのころ私たち3人は歩いて行き来できるほど近くに住んでいた。実は、私は去年の3月にも一人で香港に来ていたので彼女たちに会っていた。その時は6年の歳月を感じさせないくらい相変わらずの関係に戻り、香港にいることがとても居心地良かった。彼女たちは私より後に香港に引っ越してきたので、一緒に香港にいた時間は2年もなくてとても短いのだが、いつも会っていたので長く一緒にいたように感じる。 長女が香港を離れてから7年たっている。外見も英語もあのときよりかなり成長している娘を見て驚く友人は前とかわらずあたたかく迎えてくれた。 孫の数が14人に増えていた友人のご主人は香港大学で働いているが、若い人と話すのがそんなに得意ではないらしい。しかし、これもまた大人とはあまりしゃべらない長女と話が弾んでいた。長女は彼の話を興味深く前かがみになって聞いていた。7年前は英語がまだまだだったが、今では大人の話にも加われるようになった。うちにお客さんが来ても食べたら部屋に閉じこもってしまうのに、今回は逃げられなかったからね。同じ年の友達もいないし。とっても有意義な時間を過ごさせてもらった。 こうやって古い友人を訪ねると、何か親戚の家にでも行った様な気になる。一晩泊めていただいたが、全く気を使うこともなくぐっすりと眠ることができた。 彼らも香港に来て9年、いつ帰国することになってもおかしくない。それとも香港永住組になるのか・・・。できるならそうなってほしいのだが・・・。 香港には私たちが新婚時代に住んでいた時からいる教会員が4家族ほどいる。彼らの子供たちは皆成長し、結婚したり、高校生になったりしている。長女が生まれてから5年後、香港に戻った時からいる教会員はさらに6家族。香港人と結婚したからいるという2家族を除いて皆アメリカ人だ。上海にはそんなに長くいる教会員は今では2家族くらいしかいない。去年上海から引っ越したとっても仲良しだった友達家族も香港にいるので、日曜日に香港の支部を訪ねた時はまるでホームワードに戻ってきたかのように居心地がよかった。 香港はやっぱりいい!気候も環境もそこに住んでいる人たちも。 娘と二人で香港に戻りたい病になってしまった。
2010年04月08日
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今年はクッキーやケーキも卵型に焼いて統一感を出した。卵はフードカラリングで色々なパステルカラーに染めてかごに詰めた。上海はだいたい茶色いが多い。いつも買っている卵は6個140円、ときどき生食用の10個350円のも買うけど皆茶色だ。去年次女の幼稚園で茶色の卵を使って色をつけていたけど、おどろおどろしい色になっていた。それで、どうせ食べるわけじゃないし、ということで市場の白い卵を買ってみた。25個200円位だった。 市場の卵売りのおばさんは他のアイさんたちも白い卵だけ選んで買っていく人が何人かいたと教えてくれた。一人で45個も買っていった人もいたらしい。そして、「卵に色塗るらしいけど、何のお祭り?」と聞いてきた。外国人は中国人に福音を伝えてはいけないというルールがある。迷ったが、考えてみたら私のちんぷんかんぷんな中国語ではルールを破ることはできそうもない。簡単に説明し、最後に言ったのは「清明節」みたいなもの。で、納得してくれた。 清明節とはいつもイースターの時期にある中国の祭日だ。お墓参りの日になっている。今年は4月4日がイースター、4月5日が清明節だった。 イースターは卵やウサギのお祭りじゃなくって、イエスキリストが亡くなった後3日後によみがえられたのをお祝いする日だ。そのおかげで私たちも皆イエスキリストのように死んだあといつか復活するという希望が与えられている。 私には、中国の清明節が、亡くなった人たちがいつか復活するという事を教えているイースターと何か関係があるような気がしてならない。 いつかあの卵売りのおばさんもその意味がわかる日が来るといいな。
2010年04月05日
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香港に行くときはシンセンを経由すると半額でいける。浦東空港に行く時間を考えればシンセン香港間はバスとイミグレの時間を会わせて2時間、大した距離じゃない。シンセンに行く時、空港に着くのが少し遅れた。変化の激しい上海、今回は虹橋空港が新しくなり、国際線の一部は第二ターミナルに移っていた。いつもなら10分で着くのだが、第二ターミナルまでは30分かかってしまった。道路も混んでいたし。それでチェックインの時間に8分ほど遅れ、もう乗れないと言われた。2時半の出発までは30分以上あるし、国内線なのに、頑として規則だからといって受け付けてくれない。仕方がないので一時間後の次の便に変更してもらった。チェックインカウンターは別だと言われそこに行ったがチェックインさせてくれない。並んでない人でごった返していて、30分後にまた来いと言われた。早すぎたのかなぁと思って30分後に行くと、この便には乗れないと言われた。もうすでに予約してると何度言っても通じない。いっぱいだから乗れないの一点張り。予約の単語が中国語で分からない。英語がもっと上手な人を探してブッキングしてるからチェックインしたいと言ってもダメだった。私たちのチケットを見てキャンセル待ちと思い込んでるらしかった。仕方がないのでブッキングしてくれたお姉さんのカウンターにその人を連れて行って予約していることを確認してもらったが、もうチェックインのタイムリミット45分を切ったから乗れないだって。「だから、そっちの落ち度だし、30分以上あるから間に合うでしょ」と言ってもダメだった。次のフライトは一時間45分後。申し訳ないと思ったのかファーストクラスのラウンジを使えるチケットを出してくれた。でももう香港での買い物の時間はなくなってしまった。せっかく夜遅くまで買い物するからと友達の家に泊るのをやめてホテルにしたのに。食べ放題のラウンジで娘とやけ食いに走った。まぁ、ケーキとラーメンはなかなかおいしかった。そして搭乗時間にゲートに行ってみると出発が35分遅れるというサイン。しかし飛行機が上海を出たのはそれから更に40分たった6時だった。空港に着いてから4時間以上たっていた。そして香港のホテルに着いたのは11時。ほとんど10時間かかった。ありえないでしょ。帰りは逆にシンセン空港に2時間半早く着きすぎた。シンセンの国内線は30分前までにチェックインだから、香港を4時に出ても余裕で間に合ったはずなのに、前回KCRを使ったら3時間以上かかった記憶があったので早く出てしまった。バスだと2時間。全然早い。しかもバス乗り場は教会の目の前の歩道橋を渡ってすぐだし。出発は予定通り。離陸から一時間半後、飛行機が着陸し、階段を降りたらバスがない。乗客は歩いて空港に向かわせられた。行先は闇の中。虹橋空港がいくら建設中だからと言っても徒歩はないでしょう・・・と思いながら歩いていると、ここは上海じゃないかもという気配が・・・。空港の建物が見えないし。建設中の建物や掘り起こされた地面は虹橋っぽいのだが、見えてきた小さな建物はどうやら空港の待合室。上海に行く人はこちらでお待ちくださいと言って新しいボーディングパスを渡された。フライトスケジュールは黒板にチョークで書き込まれ、バスの待合室よりも質素な空港だった。ここはどこですか?と聞いたら景徳鎮だって。なんで下ろされたのか聞いてみると、給油とトイレの掃除のためだという。景徳鎮経由だなんて一言も聞いてなかった。それとも緊急着陸だったのか・・・。分からないまま結局上海の家に戻ったのは夜中の11時半。香港の教会を出たのが2時15分くらいだったから9時間以上かけて家に戻ったことになる。長女も私もそれから3日間くらいぐったりだった。今回は長女と二人だけの旅行だったが、ちっちゃいのが一緒だったらこの10倍も疲れていただろうね。
2010年04月03日
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毎日終わらない破壊活動の後始末に追われる。 昨日は更に二女が宿題で使っていたオレンジのクレヨンを手に入れたらしく、家じゅうの壁、全部のソファー、全部の椅子、ピアノ、白いキャビネット、キッチンの白い扉、オーブン、果ては電話や地球儀に至るまで、オレンジ色でお絵かきされていた。二女の「地球儀が大変~」の声で駆け付けたら、もう遅かった。 壁は漆喰なので水をつけてこすったら何とかとれる。後は少し残るけどね。 扉も椅子も洗剤やマジックスポンジでこすって落とせた。しかし、全部きれいにするまでかなり時間がかかった。 壁をこすっていたずら書きを消している私の姿を見て主人が言った。 「その姿見てると、おいらのかあちゃん思いだすよ。今思えば悪いことしたなぁ・・・。でもいたずら書きする気持ちもわかるなぁ。」 そうだった、結婚する時彼のお母さんが言っていた。主人が子供の時どんなに大変だったか。歩けもしないのに窓から抜け出して側溝にはまっていたとか、線路に座って遊んでいたとか、そして家がプールになったらいいなとタンスから畳から家じゅうに水を撒いて水浸しにした話。そのDNAが三女に受け継がれていたとは・・・。 最近急に加速しだしたいたずら。危険な事さえしなければいいのだが、何とか止める方法はないものか。
2010年03月24日
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三女は2歳8カ月。毎日破壊活動にいそしんでいる。ソファーにマーカーでお絵かきしたり、白い壁を鉛筆で塗りつぶしたり。いけないことだと何度説明しておこっても理解していない。DVDは必ずケースから取って散らかす、お姉ちゃんたちの宿題のプリントは破る、水は床に撒き散らす。昨日はスパゲティーを一袋ダメにした。袋の中身を全部ソファーからカーペット、板の間にいたるまでまきちらし、ぽきぽき折って楽しんでいた。スパゲティーはほこりやカーペットの毛がついてしまってもう捨てるしかなかった。夕食をテーブルに置こうとすると、今度は3か月前に買ったばかりのテーブルクロスが鉛筆でひどくいたずら書きされているのに気付いた。夕食を作っているときのいたずらが一番ひどい。気がつかないから止められないし・・・。今朝は機嫌よく早く起きていると思ったら手が砂糖だらけ。私が寝ているベッドルームに「手洗って~」とやってきた。昨日長女が家庭の夕べのリフレッシュメントにドリンクを作ったときに出しっぱなしにしていたブラウンシュガーに手を入れてなめていたらしい。キッチン、ダイニング、ベッドルームまでお砂糖がじゃりじゃりこぼれていた。幼稚園に行かせていてよかった。もし一日中うちにいたとしたら、どんなことになっていたか・・・。
2010年03月23日
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去年はインフルエンザが心配で日本に帰らなかったのだが、3月末までに今年度の帰国の旅費を使わなくてはいけないので2月の春節休みにスキーをしに大館に帰った。飛行機の予約が遅かったので仙台発着がとれず羽田になってしまったが、おかげで主人のお父さんや妹、弟家族にも会えた。そして羽田でのフライトの乗り継ぎの時大雪で大館能代空港行きの飛行機が欠航になり、思いがけずに逗子の妹のところに泊めてもらうことにもなり、子供たちは今回の旅行ですべての従兄弟たちに会えた。最初の2回は大館に住んでいる3番目の妹が弘前の隣の大鰐スキー場に連れて行ってくれた。大館に帰るたびに彼女には本当にお世話になっている。私は久々のスキーでも全然大丈夫だった。「体はまだまだ若いっていうことね」と思ったが、ゲレンデでは結構年配のスキーヤーも多く、年をとってからでも出来るスポーツなのだと悟った。最近は短いスキーが流行っているらしくとても軽くて快適だった。長女は従兄弟たちとスノーボードを習い、次女は最初私の妹がスキーを教えてくれて、滑れるようになってからは私が一緒に滑った。3回目のスキーでは両親を連れて安比に一泊し、三女はうちの両親が子守りをしてくれた。次女は私と滑り、主人は長女に付き合ってスノーボードのレッスンを受けた。ゲレンデを滑っているとレッスン中の二人を見つけて早速撮影。二人ともなかなかうまく滑れるようになっていておどろいた。でもやはり、スノーボードは転ぶのを前提に滑るスポーツらしいのか、二人とも滑って行った最後には平地で必ずステンと転んでいた。滑るのは上手だけど、止まるのはできないらしい。このあと二人ともしばらく体中筋肉痛でつらそうだった。それに比べ次女ははじめてのスキーなのに最初から上手に滑っていた。止まるのだって脚にギュッと力を入れて上手に止まる。初日からリフトに乗って上から転ばずに滑ってこれた。やはりバレエをしているからか、足腰がとてもつよい。普通なら雪に脚をとられて転びそうな時もふんばって止まれる。でもやはりうちの妹が始めに上手に教えてくれたからちゃんと滑れたんだと思う。かえでの時もこの妹が教えるとすぐに滑れるようになっていた。スキーの後は必ず温泉に立ち寄った。大きな露天風呂で雪を見ながら温まるのは最高だった。子供たちはいつまでもいつまでもお風呂に入っていた。次に日本でスキーが出来るのはいつか分からないけど、忘れないでほしいな。時々は上海にある小さな室内スキー場で練習でもさせようかな。
2010年03月22日
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去年の夏お母さんの病気で故郷に帰ってしまったアイさんの代わりに、うちのマンションのドアマンの奥さんに一ケ月アイさんとして来てもらった。しかし、21歳という若さからかすぐにやめてしまった。マンションのガードマンからすぐにフルタイムのアイさんの紹介があったのだが、夏休みの旅行の計画もあったので断ってしまった。三女を幼稚園に入れる予定だったからそれを機会にパートにしようとも考えていた。でも、そのうちに面接するのとか、仕事を教えるのとか、お給料の交渉とか面倒になってきて、なかなか雇うことを行動に移せなかった。そしてその人が辞めてから半年間、アイさんなしでやってきた。日本に住んでいたら全部自分でするんだし、なんて思ったけど、前ほど出かけなくなってしまったし、習い事だって行ってない。終わらない洗濯物の山にもそろそろ疲れてきて、中国人の雇用にも協力すべく、やっぱりアイさんを雇うことにした。一番いいのは日本人家庭に慣れてる人を紹介してもらうことだけど、もう思い立ったらすぐに雇いたいという気持ちが強くなって、太陽市場の近くのアイさん紹介所に行き給与と働く時間の希望を言ってアイさんを紹介してもらった。あまり若すぎず、自分よりも年下であることを条件に30歳から45歳までのアイさんをお願いしていたのだが、やってきたのは48歳のお孫さんまでいるアイさんだった。アイロンがけは遅いけど、教えたことはちゃんとしてくれるし、一回の説明で5人分の洗濯物をしまう場所もちゃんと覚えた。何より言葉数が少なくて黙々と働くところはとっても気にいっている。ということで、今までのように一切の家事をお願いするのではなく、一日4時間だけ手伝ってもらうということで私も一応主婦業に携わりながら、ストレスもたまらず、ありがたいなぁと感謝しながらアイさんに来てもらえるようになった。アイさんのいない半年間精神的には楽だったけど、身体的にはちょっと辛かった。先週からアイさんに来てもらって10日位たったけど、毎日がとっても楽になって本当にうれしい。メリーポピンズが魔法を使うみたいに洗濯物も洗いものも片付いてしまう。この嬉しい気持ちを忘れずにいればアイさんに不満な気持ちが湧いてきても乗り越えられるかもしれない。いままでしたくても出来なかったことが山のようにある。ここ10日間は弾丸のように毎日お菓子作りに励んでしまった。フルーツケーキ、バナナマフィン、プリン、チョコレート、ショートケーキ、パンケーキ、クレープ、チョコレートサンデー、しまいにはめったに作らないマカロンまで。来週は香港に行くけど、帰ってきたら今度は油絵教室に復活しなきゃ!
2010年03月21日
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しばらくブログを更新していなかったら友達に言われた。「いつ開けても“ゾルゲに夢中”のままだよ」夏に主人は長年取りかかっていたプロジェクトを終えると自分のブログを始めた。その中で家族のことも書いてくれているので私がブログを更新しなきゃというプレッシャーがなくなってしまった。そのせいだけではないが気がつけば半年近くもお休みブログになっていた。主人のブログは公開していないし、写真もない。遠く離れた家族や友達に様子を伝えるためにはやっぱりこのブログを更新しなきゃいけないよね。今度からはまじめに更新しよう・・・。うちは毎年年賀状の代わりにクリスマスレターを皆に送っている。今年も相変わらずギリギリに完成し何とかクリスマス前に送った。ほとんどの友達はEメールだが数人の親族と友達は郵送した。郵送分は多分クリスマス前には間に合わなかったと思うけど、年内には届くはずだ。(もし届いてない人がいましたらメールください。再度送ります。あとハマとかまめちゃんとかいみちゃん、パソコンのメアドおしえてね・・・。携帯じゃPDFあけられないよね。ってもしかして開けられるようになった?いまどきの日本の携帯事情詳しくないからね。開けられるんだったら携帯に送るのでおしえてね)去年の夏に始めたFacebookは世界中の友達と連絡を撮るのに便利だったのだが今年の夏前に突然中国からはアクセスできなくなった。あれからも私の名前を見つけた人から友達リクエストが届いているとちょくちょくメールにお知らせが入ってくるのだがアクセスできないので承認できない。きっと皆友達がいのない奴だと思っているだろうなぁ・・・。無視してるんじゃないよ~。アクセス出来ないだけですよ~、とここで叫んでも誰も気がつかないだろうなぁ。中国のネット事情いい加減にしてほしい。Facebookが開けられなくて困ってる人はいっぱいいるはず。中国からはYouTubeも見られないし・・・。来年は上海Expoがあるのにこれじゃいけないでしょ。
2009年12月27日
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これは私ではなく、うちの主人のコト。ゾルゲ事件のことは主人と結婚してから初めて耳にした。ゾルゲとはドイツ人で、戦前に中国や日本で活躍したソ連のスパイだ。その強力な日本人協力者だったのが新聞記者として上海に駐在し、のちに中国政策のブレーンとして内閣に入り込む尾崎秀実(ほつみ)だ。ゾルゲ事件は、太平洋戦争開戦直前に彼らが東京で検挙され、終戦の数カ月前に処刑されて幕を閉じた。尾崎秀実が妻子へ書いた獄中書簡集は、戦後ベストセラーともなった。主人がこの事件と当事者に関心をもつようになったきっかけは、篠田正浩監督の映画「スパイ・ゾルゲ」だ。DVDにはオプションに監督の解説がつき、映画には現われていない史実が豊富に語られていた。当時既に上海に住んでいたこともあり、上海ではじまったこの実話に関心を抱きはじめたというわけだ。しかし忙しい彼にはそれに没頭する暇はなく、せいぜいゾルゲと尾崎の出会いの場所として映画のロケに使われていた「梅龍鎮酒家」に食べに行く程度だった。最近、長年かかったある論文を書き終え、自由時間が出来た彼は「エンターテイメントの読書もしなきゃ。」と言って、片っぱしからゾルゲや尾崎の本を注文した。もちろんアマゾンで、それも空港便で!一度きりではない。あれからもちょくちょくマーケットプレイスで古本を見つけては注文している。古本は海外発送してくれないので、日本にいる母や妹のところに送ってもらって手に入れている。そして最近では尾崎やゾルゲが住んでいたころなどを特定するために上海や東京の古地図にまで手を出している。「これは小説みたいな筋があっておもしろいから」と言って尾崎秀実の知人の回想録を貸してくれた。次女の公文が終わるのを待ちながら読んでみたらなかなかおもしろかった。しかし、「獄中手記」とか尾崎がらみの「開戦前夜の近衛内閣」までくると全然興味がわかない。主人の母と電話で話した時に彼女は言った。「本が届いたから送るね。でも変な本ばっかりだねぇ。そういえばあの子の父親も前にこんなの読んでたわよぉ」父親の影響だったのか・・・。その後、主人の父と電話で話した時に彼は言った。「おおゾルゲか。うちにもいっぱい本あったから送ってあげたのに。うちの出版社にゾルゲの獄中手記の原稿コピーがあったんだよ。そういえば貸出したまま戻ってきてないなぁ。」きっとすでに父親が持っていない本まで買ってるはずなので、それは辞退した。古地図で尾崎秀実の上海時代の住まいや職場の場所を割り出した主人は今朝言った。「今日はちょっと歴史探検の旅に行ってくるから。」だって。やっと時間ができたのに、彼はもうすでに次のプロジェクトを見つけてしまった。
2009年08月08日
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2週間前の皆既日食、結局上海は雨で太陽が月に隠されていく過程は見られなかった。もちろんダイヤモンドリングも。カルフールでは30元のお買い物をすると2元で日食メガネがもらえた。でもすっかり忘れていて私は買うのが間に合わなかった。カルフール内のどこのメガネ屋さんでも売り切れだった。前の週に科学博物館の中を通った時に買っておけばよかったと後悔したが、気を取り直してピンホールを使った観測をすることにして用意した。が、結局雨だったのでそれも用なし。上海で大量に売られたはずの日食メガネはただの記念品となってしまった。実は今年の2月頃、1990年ごろに書いた私のメモが見つかった。「決意のパターン」と書かれたそのカードは私がそのころいつも持ち歩いていたもので、その裏には妹の家の電話番号と、日付と場所が書かれてあった。1991.7.11 ハワイ・メキシコ、1999.8.11 ルクセンブルク・ミュンヘン、2009.7.22 上海。皆既日食の日付だとすぐにわかった。偶然にも上海に住んでいることに驚き、7月22日を心待ちにしていたのだが、あいにくの雨。しかし皆既日食は太陽を見るだけではなかった。中学生のころ科学の先生が部分日食見せるために黒い下敷きのようなもので欠けた太陽を見せてくれた。その時校庭が月夜のように暗くなった光景が今も忘れられない。雨でも暗くなるのを外で体験しようと、子供たちを連れて傘をさし家の前の遊歩道に出た。9時38分に徐々に暗くなってきて9時39分にはすっかり夜のように真っ暗になってしまった。周りの店から出てきた人たちが小さな歓声を上げ、マンションには明かりがともり真夜中のようになった。9時42分を過ぎるとすぐに周りは明るくなりだし、真昼に戻った。次女は、「月が太陽を隠したんだよ」としきりに言っていたが、子供たちはこのことを20年後も覚えているだろうか。
2009年08月05日
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月日の過ぎるのは早いもので、三女が7月12日で2歳になった。2歳というのはずいぶんと成長が感じられる時期で、すべての仕草において赤ちゃんらしさから脱皮し、行動も言動もしっかりとした子供になってきた。彼女は4カ月の時に「ママ~」と泣き叫ぶことを覚えてから、言葉の成長が著しく早く、2歳になるかなり前から会話が成り立つようになっている。2か月くらい前からは「アンパンマン」の歌と、そのDVDの中で歌っていた「手のひらを太陽に」を結構それらしい発音で歌っている。今では「きらきらぼし」を英語と日本語の2バージョン歌える。そんなに何度も歌って聞かせたわけではないので、これは私もびっくりした。とにかくよくしゃべるのは次女に似ており、もしかするとそれ以上になるのではないかと心配になるほどだ。ピンクの子供用ソファーがお気に入りで、いつも次女と取り合いになる。お姉ちゃんがソファーに座っていると髪の毛を引っ張りお姉ちゃんを泣かせ、それでもどかないときはおもちゃでおねえちゃんの頭を殴り、おねえちゃんがママに言いつけに行ってるすきにソファーに座るといった具合だ。とても強い。なんでも次女の真似をし、いつも後をついて回る。お姉ちゃんが持っているものは必ずほしがるし、それを手に入れるまで泣き叫ぶ。成長とともにだましが利かなくなってきているのでこれまた大変だ。いつも次女があきらめてくれるので何とか解決するのだが、もう少し大きくなるまではこの調子かもしれない。それでも唯一赤ちゃんのときから変わってないのは「指しゃぶり」。これだけはなかなかやめてくれない。私が抱っこしているときは必ず親指をしゃぶりながらもう片方の手を私の襟首に入れ、私の下着をつまむ。このスタイルは赤ちゃんのときから変わっていない。人前だとかなり恥ずかしいこの癖、いつになったらやめてくれるのか・・・。寝かしつけるときは必ず添い寝をしないと寝ない。上↑のスタイルが基本になってるので、夜中に起きた時も添い寝で寝かしつける。よく一緒に寝てしまい、狭い子供のベッドで何時間か寝て気がついた時にはせっかくの睡眠時間を損したような気になる。4人目ができるかどうかわからない今、もしかしたら2歳児を育てるのは最後かも知れないと思うと一日一日が惜しいような気がしてならない。(といいながら子供をお手伝いさんに預けて出かける私・・・)
2009年07月24日
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時間がなくて日記に書いてなかったことが山のようにあるが、これは是非書いておかなくてはいけないことのひとつだ。古北地区は日本人が多い。でもお隣さんが日本人であることはそうない。(日本人村以外)ところが、うちのお隣さんはラッキーにも素敵な日本人の家族だった。長女の12歳の誕生日、お隣から大きなイカをもらった。長女の誕生日のごちそうに加えると話すと、彼女もその日が誕生日だった。なんという偶然!嬉しくなり、突然一緒にお祝いすることにした。夕食の時なぜか大館市の話になった、すると、彼女は2歳まで餅田に住んでいたという。またまたなんという偶然!お父さんが立花の出身でその後はずっと関東だが、おじさんやいとこはまだ大館にいるらしい。私の実家がある片山と餅田は隣同士。彼女は私より年下なので、2年くらいかなり近いところに住んでいたことになる。(話がローカル!)そして、大館より何百倍も人の多い上海では2年間お隣同士。なんという縁だろう。(大館は7万人弱、上海は1800万人以上!)でも2週間前、お隣さんは突然の帰国命令が出て帰国してしまった(涙)。私たちの表のドアは個別のエレベーターがあるので行き来できないのだが、キッチンにある裏のドアはお隣同士行き来できるようになっている。その勝手口(?)を時々食べ物や子供が行き来する程度で、そんなに毎日会うことはなかったが、お隣に親戚でもいるような感覚で安心できた。彼女の作るシフォンケーキやチーズケーキは売ってるものみたいにおいしかったし、色々いただいた日本のお土産もいつもおいしかった。混ぜて作る佃煮セットはまねして作って見ておいしかったので、今ではうちの定番になりつつある。もうお隣にいないというのがまだピンとこない。もうベーキングパウダーがなくなっても借りられないし、作りすぎたおからももらってくれる人がいない。やっぱり人との別れって寂しいもんだね。でも、いつかまたどこかで会えるかな。強力な縁があるみたいだから。
2009年05月27日
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気がついたら3か月も更新してなかった!友達に「最近更新してないね」とつっこまれ、「新しいパソコンも買ったし、その写真をアップして、今日からまた書き始めるよ」と言ったものの、あれから3日も経ってしまった・・・へへへ。長女がいつもパソコンを占領してて、好きな時に使えなかったので新しいパソコンを買ったのに、容量が大きい新しいパソコンでiPodの編集とか始まり、今も結局長女が使ってる。5年前のパソコンに比べたら雲泥の差だもんね。容量は16倍くらいあるし、Vistaだし。画像もバンバン入れられる。4~5万円くらいの小さなノートでさえ古いパソコンに比べたら4倍から8倍くらいの容量があって十分すぎるくらい。それを知った長女はお年玉やおじいちゃんからもらったお小遣いの残りを出してきて「買える!」とにっこり笑った。しかし、パパの方針でその野望はあえなく却下となってしまったのでした。休みの日は1日中パソコンでドラマや映画ばかり見てるからね。ちょっと生活態度改めなきゃ。
2009年05月21日
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13歳の長女は今、典型的な反抗期だ。親の話には一切興味なし、聞く気など毛頭なし」のスタイルを貫いている。家族一緒に行動することはほとんど断わる。焼肉でさえ心を動かさなくなってしまった。。たいていは読書やネット配信の映画やドラマに夢中で、耳にはいつもiPodのイヤホンが突っ込んである。当然、親子のコミュニケーションが成立しにくく、とりつく島もない感じだ。この状態を打破しようと、パパはある作戦に出た。去る月曜日の夜、家族内に写真部設立の提案をしたのだ。壁に掛ける写真作品を3ヶ月毎に換えるが、その作品を各自が撮ってきて、品評会で選出する、というのが活動の骨子だ。その提案を長女は例のごとく冷めた様子で聞いていた。もと写真部のパパは続ける。「カメラの使い方や上手な写真の撮り方はパパが教えます。時々撮影小旅行に出て練習しましょう。そして撮った作品を品評しましょう。これをやっていると、良い写真とそうでない写真が見分けられるようになり、自分でもうまい写真が撮れます。映画を作る人になるにも大きなプラスになります・・・・・。」実は長女はひそかに映画監督になりたいと思い始めている。「トワイライト」の映画版にかなり不満があるらしい。自分でいつかリメイクすると言っていた。写真部設立の最後のくだりに反応したのだろうか、パパが「では、写真部に入りたいひとー?」と問いかけると、ママと次女が元気に「ハーイ」と手を挙げる横で、長女も無言でクールに手を挙げていた。
2009年02月18日
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うちはアメリカ人ではないので感謝祭のお祝いをしない。なので、このクリスマスツリー、実は11月の中旬にはもう出してた。クリスマスツリーを出すと恒例のクリスマスレターも早くに取り掛かれるからね。でも11月23日がお誕生日の長女は納得できなかったらしく、「私の誕生日も過ぎてないのに・・・」と不満顔。先週はお友達にあげるクッキーをたくさん焼いて、あまった生地でジンジャーブレッドハウスも作った。煙突やドアのパーツもあったのだが、ジンジャーブレッドクッキー好きの主人にいつの間にか食べられていた。長女はチョコ棒を斜めに切って屋根につけた。さすが!家の中にはちゃんと5人のジンジャーブレッドがいる。これは友達に言われて気がついた。 昨日、長女は英語のクラスのクリスマス会のためにスニーカードゥードゥルズというシナモンのクッキーを焼いていた。オーブンの火とキッチンエイドのビーターの取り付けを手伝うだけで、あとはひとりでクッキーを焼けるようになった。つくづく成長したんだなぁと嬉しくなる。その他に友達へのプレゼントとして、色々なクッキーを袋詰めにしてリボンをかけ、学校に持っていった。そして明日から休みの娘は放課後たくさんのプレゼントと一緒に帰宅した。どうやらクリスマスはお友達の間でプレゼントを交換する習慣になっているらしい。そういえば去年もマフラーや帽子をもらってきたっけ。今年もスカーフやマグカップ、香水やマニキュアの他かわいい小物なんかも色々もらってきている。「まるでお誕生日のようなプレゼントをもらっといてクッキーだけでいいの?」と聞くと、「クッキー2枚だけの人もいるから」とあっけらかんとしている。確かに、クリスマスはあげることに意味がある。心がこもっていればいいのだ。今年のクリスマス、あとはクリスマスレターを送るだけなんだけど、主人のOKサインがないと送れない。かなり前に出来上がってたのに、添削待ちでのびのびになっている。勝手に送ると後が大変。でも、本人は寝てしまった。あぁ・・・。まぁ皆には明日メールで送れば何とか間に合うけど、メールがないところにはもうお正月の挨拶になるよねぇ。だったら「年賀レター」にすればいいようなものだが、あくまでクリスマスレターとして送るのにこだわる私・・・。来年はもっと早くから準備するべきかなぁ。
2008年12月23日
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私はかなりの甘い物好き。今までアメリカのお菓子だって平気で食べていた。しかし!今日のブレッドプディングには負けた。これはちょっと危ない。おいしいほうの”アブナイ”ではなく、命の危険を感じるほう。心臓発作で倒れそうだった。今夜は中国のボランティア団体に寄付する不用品を集めるための集会があった。その集まりのデザートを作るために渡されたレシピはブレッドプディング。そしてそれに使うお砂糖の量が半端じゃなかった。プリン液に2カップ、その上にのせるナッツのクランブルにブラウンシュガーをぎゅうぎゅう詰めにして1カップ、さらにそれにかけるソースに1カップ。なんと合計4カップのお砂糖を使うように書いてあった。アメリカの1カップは240ccなのでつまり960cc、約1リットル!レシピにはそれが8~10人分と書いてあった。一切れのブレッドプディングに100cc~120ccのお砂糖が入っている計算になる。私はあまりにも恐ろしいのでプリン液のお砂糖を1カップ減らして作った。それでもかなり甘かったが他の人が作ったのはさらに甘かった。アメリカ人はワッソーという飲みものも一緒に準備した。クリスマスの時期によく飲むものらしい。オレンジジュースとりんごジュースを混ぜたものにレモンとシナモンやクローブなどのスパイス、そしてそれに更にお砂糖を混ぜ、クロックポットという電気なべに入れて温めた。一口飲んだら、逃げ場がないという感じだった。飲むのが苦痛にさえ感じた。でも水で半分に薄めたらおいしかった。アメリカ人はこのコンビネーションのデザートとドリンクをおいしそうに口にしていた。ワッソーにいたっては「リラックスする~。毎日飲みた~い。」と言っているのを耳にした。恐れ入りました。私は”甘いもの好き”を返上いたします。ワッソーは何回か飲んだことがあったけど、受け付けなくなってしまったのは年をとったからなのかなぁ~。健康の事を考えなきゃいけないお年頃だもんね。甘いもの好きの方、試してみたい方はメールください。レシピをお送りします。
2008年12月03日
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三女はあと2週間で一歳半になる。体は小さいがちょこちょこ走れるし、なんにでも登るし、おしゃべりもできるようになってきた。アイさんが毎日散歩に連れて行ってくれるのだが、他のアイさんたちは一歳にも満たないような小さな体で動き回り、おしゃべりしている三女に皆おどろくそうだ。こちらの話している内容もちゃんと理解しているようで、「うん」とか「にゃだ(いやだ)」とかはっきり意思表示をする。アイさんが中国語で話してもちゃんと「うん」と「びゃお(不要)」で返事をする。もうすでにバイリンガル!今話せる単語はまだまだ数少ないのだが、毎日新しい言葉を覚えている。一番最初に話し始めたのは4ヶ月のとき。肺炎で入院し、点滴の針をさすときにあまりの痛さに「ンマンマ~」と泣き叫んだ。それからしばらくは「ンマンマ」しか言わなかったけど、「パパ」「アーイ」「ダックン(抱っこ)」「バイバイ」が言えるようになり、徐々にボキャブラリーも増えてきた。「あっちぃ」「おぃし」「ねんね」「はっぱ」「みじゅ(水)」「ちっちゅ(ティッシュ)」「あし」。中国語も話す。「はおち(おいしい)」「ざっちぇん(さよなら)」「ぢゅぐ(これ)」。きっと発音は私よりもずっといいのだと思う。おととい家に来たアメリカ人の大きなお客さんが、次女と三女に変わりばんこに高い高いをしてくれたとき、次女が順番を待ちきれずに「ミー、ミー、ミー」とせがんだ。それを聞いた三女もすぐに「ミー、ミー」と言い出した。お~っ、トリリンガル!!(親ばか)でも、子供の言語能力ってすごいなぁ。
2008年11月27日
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11月22日は長女の13歳の誕生日だった。とうとうティーンエイジャーに突入!前の日から教会のガールズキャンプに参加した彼女は朝早くからお誕生日の歌を歌ってもらい、その日は結局合計で7回もバースディーソングを歌ってもらった。私も22日はキャンプのお手伝いに行ったので、ついでにバースディーケーキも持参しみんなでお祝いしてもらった。 キャンプは上海、蘇州、南京から集まった女の子たち35人くらい、そして指導者の大人も合わせたら50人くらいだった。実はキャンプ場なんかではなくて、浦東に住んでいる人の大きなお庭を借りてテントを20個くらい張り、夜はそこで寝かせてもらい、活動はその近所の人の更に大きなお庭でしていた。上海の郊外にキャンプ場らしきものもあるらしいのだが、女の子たちなので、セキュリティーのしっかりしているところでやったのかな。キャンプではロープの結び方や、火のおこし方、救急医療から、簡易テントの作り方などを学んでいた。私も昔、日本でおんなじことをやったなぁ~と思いながら、娘が大きくなったことを更に実感した。去年のキャンプは娘の誕生日の1週間前だった。12歳にならないと参加できないのでとってもがっかりしていたのを覚えている。でもなんで11月なんだろう。ここ一週間はとても冷え込んで冬みたいだった。冬用の寝袋と帽子、靴下を重ねてはいても寒かったらしい。でも、被災者や難民の人たちは冬だってテント生活してるんだよね。それを身をもって体験できたのはよかったのかも。
2008年11月23日
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本が大好きな長女が前に日本で辞書みたいな本を2冊パパに買ってもらった。「Twilight」と「New Noon」。ステファニー・メイヤーという作家のシリーズ物だ。日本でもやっぱり洋書は高いのだが、主人は本を買うのにお金はケチらない。ところが欲しかった本を手に入れた娘は一日で読んでしまった。高かったんだから、もっとゆっくり味わって読んでよ~と思う母は貧乏性なのだろうか。しかし、これが娘のつぼにはまったらしい。あれから、もとは十分とったと思うくらい繰り返し読んでいる。それに、シリーズの他の本も友達から借りたのか読みふけっていた。そんなに面白いのかと手にとって本の内容を見てみたらなんと吸血鬼の話。しかも「ラブロマンス」と書いてある。これは12歳の女の子が読んでもいい本なのか~~!心配になったが、本の内容を確認しようにも私にはそんなのを読んでる時間が無い。作者の紹介を読んだら実はブリガムヤング大学(LDSモルモン教徒の大学)の卒業生だった。だったらきっとクリスチャンに違いないから変な描写は無いはず。と言うわけで、内容を読まずにOKということにした。でもなんで教会の方が吸血鬼の話なんか書いてるんだろう・・・。そして今話題なのが、この本の映画化。今日11月21日にアメリカでは公開になるらしい。ハリーポッターに次ぐ売り上げを伸ばしている本だけに、期待も十分というところだ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081119-00000002-vari-entしかし、娘は少々不満顔。「エドワードはこんな顔じゃない~っ!」本の描写ではもっとかっこいい人だったらしい。あくまでも娘のイメージだが・・・。どうやら娘はその本の中のエドワードにノックアウトされてしまったようだ。あんなに女の子っぽいのが嫌いだった娘が・・・。年頃になったのねこれは映画を見る前に是非本を読んで娘と同じ気持ちを味わってみたいものだ。
2008年11月21日
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国慶節のお休みの最後の日、出かけるときに口紅を塗ったら口が右にねじまがってしまうようになっていた。笑うと更に口が右にねじまがる。口に力をすこし入れただけでもねじまがる。いったい私の顔に何が起こっているのか・・・全然見当がつかなかった。次の日は更にひどくなっていた。左目が閉じないし、顔の全体が右に寄ってしまう。どこかの血管が詰まったのかもしれない!と思い、早速ウェルビーの電話医療相談に電話して日本人の医師に聞いてみると「顔面神経麻痺」だろうと言われた。末端の神経が麻痺しているのであって、脳に問題があるのではないということだった。ちょっと安心したので、あまり深刻に考えずに台湾人のお友達のご主人の勤めている台湾系の病院へ行った。腕とお尻に注射を一本ずつされて、安静にしていれば一週間ほどで元にもどりますよと言われ帰ってきた。顔面神経麻痺はストレスとか疲労でも起こるらしい。三女が夜中に何回も起きるのでかなり寝不足だったのは確か。それに祭日の間、アイさんも休みだし、主人と長女は日本に行っていたし。小さいのを二人抱えて疲労がピークに達したのかもしれない。薬を飲む関係で三女の授乳も完全にストップすることにした。夜中に泣いたら主人に寝かしつけてもらうことにし、私は静養に専念した。ところが薬を飲んでも一向によくならない。3日後には口まで動かなくなってきた。舌はしびれて味も感じない。左まぶたは閉じないし、顔の左半分は笑っても無表情なまま。忙しくてパソコン見てる暇もなかったのだが、ネットを調べてみると、顔面神経麻痺は元に戻るまで5~6ヶ月、しかも、麻痺症状が出てから5日目までの対応で後遺症が残るかどうかが決まる!と書かれてあった。ひぇぇぇ~~~!「対応が遅れたために不幸な顔のまま悩んでおられる方もいらっしゃいます」とも・・・。「不幸な顔」には納得して笑ってしまったが、5日目までの対応にはあせった。次の日がその5日目だった。早速関連ページを全部プリントアウトし、熟読した。普通日本ではステロイドを10日間点滴し、入院することもあるらしい。低周波の顔面マッサージは絶対するなと言う事だったので、再診のときに台湾人の医者に勧められても頑なに断った。それに考えていたよりも深刻な事態だということがわかったので、顔面神経麻痺の専門医がいる華山病院に転院することにした。ここは上海でも最高の医療が受けられる病院と言われている。 担当の医師はちょっと高齢?という感じだったが、ちゃんと顔を触ったり、表情のテストをしたり、慎重に診察してくれた。それに、薬の量や注射の指示などネットで勉強したような対応だったのでひとまず安心した。休息を十分にとることが一番大事だと強く言われたが子供が3人いるのでなかなかそうもいかない。でも授乳を止めてからは三女も寝る時間が長くなったので、私も長く寝られるようになっていた。注射はお尻に毎日10日間。この筋肉注射はすご~く痛い。でも我慢して毎日、日曜日も病院に行った。それと平行して、ウイルスをやっつけるレーザー治療と炎症を抑えるマイクロ波治療、それに血行をよくするための赤外線治療を一時間ほど毎日。これは日本の病院では行っていないようだった。中国の医療のほうが進んでる?なわけないけどなぁ・・・。10日間の治療で麻痺の進行を完全に止め、それからリハビリ治療になったが、これは更に恐怖だった。顔面、耳の後ろ、頭、手に合計8本の鍼を刺し、低周波の電気を流す。口の周り、頬、おでこに鍼を刺すときはとても痛いし、鍼の先にはコードがつなげられているのでちょっとでも動くとまた痛い。毎日半べそをかきながら治療した。1時間半から2時間の治療は長かった。それにリハビリには低周波の顔面マッサージも入ってきたので、ネットで読んだように後遺症が出るのが怖かった。欧米人の友達はそろって、「顔面麻痺に薬や治療法なんかない。5~6ヶ月何もしないで麻痺がなくなるのを待つだけだ。」という。確かに何もしなくても70%の患者は自然に治ると日本のネットでも読んだ。しかし、残りの30%になったらと思うと怖くて治療を断れない。自然に治るのだったら、確かに時間とお金を無駄にしてるのかも知れないけど、今回は中国人の医師の方を信じることにした。でも実は鍼治療が痛いので2回ほどサボった。タクシーには乗ったのだが、病院に行きたくなくて、行き先を「豫園」に変更して一日ショッピングをしていた。しかしこれもストレスを解消するという意味ではリハビリにあたるのかもしれない。鍼治療の効果か、麻痺のほうは目に見えて回復していき、4回目のリハビリでは普通の笑い顔になっていた。6回目の鍼治療のときリハビリの先生にもうリハビリを終わらせたいと言ったが、あと4回残ってるから一日おきに来ればいいと言われた。しかし、鍼は相変わらず痛いし、低周波マッサージの後遺症も心配だし、次の日にはリハビリには行かずに脳神経科の医師に予約を取ってもらい直談判した。見た目は何も問題ないし、残りはゆっくり回復したとしてもかまわない。残り4回のリハビリ治療費は払い戻してもらわなくていいから、もう来なくてもいいって言って、と泣きついた。すると、あっけなく「いいですよ」だって。麻痺が発症してから4週目だった。病院から開放されたことと、思いがけない早い回復は本当に嬉しかった。まだまだ薬は飲まなきゃいけないし、休養もとらなきゃいけないのだが、普通の生活に戻れてほっとしている。今回のことがなければ存在さえも知らなかった顔面神経麻痺だが、結構私の周りでも経験した人が何人かいた。「私もそうだった」と言った人が3人。家族がそうだったという人が4~5人。さらに今日会った友人も口の左側だけ麻痺していた。彼女は今個展の真っ最中で、準備で疲労がたまったそうだ。車の窓を開けて片側だけ冷やしたり、風邪のウィルスだったり、疲労やストレスだったり、要因はさまざまだが、まだこの病気の原因は解明されていないらしい。誰にでも起こりうる身近な病気だったと言うことを、今回初めて知った。疲労とストレス、気をつけなきゃね~。
2008年11月06日
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なかなか更新できずに日本での旅の記憶も薄れてきた。ディズニーリゾートも楽しかったし、盆踊りについても書きたいのだがきっと追いつかない。あきらめることにしよう。写真もいっぱいあるし、それで思い出してもらうことにする。日本で一つ困ったことがある。それは言葉が通じること。2番目の娘は正直者でおしゃべり。何でも思いついたことを口にする。上海にいるときは大きな白人の男の人を指差して「ふとってる~」と言っても、レジのお姉さんの髪を見て「変な髪~」とか言っても、指差しちゃだめだよ、人のこと悪く言っちゃダメだよ、で済んだ。相手は何を言われてるかわからないからね。ところが日本だとそうはいかない。主人のお母さんとスーパーのレジにいるとき、「この女の人太ってるね」が始まったらしい。主人の母は非常にあせって済みませんを連発。その後は太った人を見ても太ってると言っちゃダメだとよ~く言い聞かせた。その後も2回ほど言いかけた場面に遭遇したが口を押さえて未遂におわった。やっと理解してくれた次女は、旅も終わる頃ソフトクリームを売っている太ったお姉さんを見て大きな声でこう言った「この人太ってないね」自分がどういうリアクションをしたのか覚えていない。失礼にあたらなかったことを願っている。
2008年10月08日
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上海は泳げる海もないし、きれいな川もない。山もないし、青い空もない。日本に行ったらまずそれらを堪能したかった。福岡空港から山口県の柳井市に移動し、主人のお母さんの家に4日間お世話になった。東京から主人の妹も来てくれて、みんなでかんぽの宿にも泊まり、2日間思う存分海水浴を楽しんだ。日本の海って最高!魚やヤドカリを捕まえて遊んだり、シュノーケリングを楽しんだりした。お姉ちゃんは生き物のいる海のほうが好きで、次女は生き物のいない人工ビーチのほうが好きだったらしい。クラゲが怖いそうだ。三女は生まれて初めての海の味を親指とともに味わった。以外にもそんなに怖がらなかった。海水浴の後は日が傾いた海を眺めながら大浴場でまったり。瀬戸内海の海の幸をたらふく堪能し。子供たちが寝た後は、主人の妹とまた夜景を見ながら大浴場でまったり。朝は子供たちが起きる前に、またまた主人の妹と青い海を眺めながら大浴場でまったり。至福の時を過ごさせてもらった。主人の妹も一緒に22日には広島空港から羽田空港まで移動。彼女が来てくれたおかげで本当に助かった。感謝。逗子の妹の家には7日間お世話になった。その間に横須賀の主人のお父さんに会いに行ったり、買い物したり。色々な用事を済ませることができた。もちろん海水浴も。湘南は人が多すぎるので、葉山の柴崎海岸というひっそりしたところで海水浴を楽しんだ。そこは程よく砂浜、程よく岩場で、子供たちはカニや海老、ヤドカリや魚を取って遊べた。シュノーケリングですこし沖に行くと魚もたくさんいて、なかなか楽しかった。オニヒトデなんかもいたし、かもめも目の前の岩場にとまっててじっくり見てしまった。大宮の叔母のところにお世話になったときは東武動物公園のプールに連れて行ってもらった。海水浴ではないけど、流れるプールや、波のあるプール。大小様々な滑り台で一日思いっきり遊んだ。秋田に行ってからも、白神山地の日本海側にある岩館の海に海水浴に出かけた。妹たちや甥っ子姪っ子も入れて総勢13人。岩場で思いっきり日本海の海を堪能した。子供たちは岩場からジャンプを楽しみ、私は海女になった。帰りはもちろん温泉へ。またまた海を眺めながらお風呂に入って、「日本っていいな」ってしみじみ思った。年を考えずに日焼けし放題だった今年の夏。今はハイチオールCと美容液で必死でお手入れ中。でも、もう遅いよねやっぱり・・・。
2008年09月10日
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