記憶の記録

2007.10.23
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テーマ: 環境(28)
カテゴリ: 循環
今まで幾度となく循環というテーマで

循環という大きな流れの中に住む僕たちは
上流からエネルギーを受け取り
汚染というエントロピーを
下流に受け渡していると書いてきました
僕らのエントロピーは
下流に住む存在にとってのエネルギーであり
僕らの汚染は大循環にとっては
必用な一部であると

しかし過剰な汚染がいけない
バランスという
共生に不可欠なものさしを
僕らは持たなければならないと

循環と一口に言うけれど
その内部に住んでいる
循環を構成している生物には
循環は
輪ではなく
上から下へ流れる直線であり
うつろいであり
変化なのだ

その流れの中で僕たちが
してはいけない絶対のタブーは
環境汚染よりも
流れを止めることなのだ
一度止まった流れは
二度と動き出すことは出来ない

最近JBのすすめで
福岡伸一さんの著書
『生物と無生物のあいだ』という本を読んだ
その中には
人の体も他の生物も
流れの一部であり
流れそのものである

体内には血液や酸素や炭素の分子が流れ
いや原子が激流のように流れている
といった内容がつづられている

僕は改めて確信する

僕らは流れの中にいる
僕らは流れそのものである
僕らはここにとどまっている意識を持ちつつ流れ続けている存在である
はたして
僕らは自我の存在を維持するために生きているつもりであり
自我を守ろうとしているが
自我をとどめ守ることは流れを止めることではなく
よどみない流れを維持することである
受け取ったものを次へ渡すことが
存在としての使命であり
そのためにこそいる

循環は
揺らぎやすいバランスの上で
絶えず
いくつかの分かれ道にさしかかっていて
どちらへでも進むことが出来る
ただし
どの道へ進むかで
未来が不明なわけではない
そこには
厳然と
必然としての世界が待っているのだ
ああ
人間よ
経済を作りあけたことで
世界を作ったと思いこむな
金は経済の方便でしかなく
流れには必用のないものなのだ
ルールは人のあいだの方便であり
流れには必用のないものなのだ
流れの中にある掟は
高きから低きへ流れる
位置エネルギーのみでしかない

あらゆる存在は
流れの中で
例外的に水平に動く
自分と自分の相対と巡り会い結ばれるために
自分の陰か
自分が陰なのか
存在と共存は
流れの中でのみ許される水平なのだ

ああ人よ
世界を作ったと錯覚するな
汝は川面の波の
高みと谷目でしかない





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Last updated  2007.10.23 16:41:14
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