Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2012年10月30日
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カテゴリ: 夢有無有
「旧約聖書」の背景・ユダ存続の戦いとアッシリアの敗北の事情
 紀元前701年にアッシリア帝国の王セナケリブ(前705年-前681年)はユダ王国を攻撃します。この戦いに関しては、アッシリア帝国の楔形文字の記録や碑文により、旧約聖書の記載事項の詳細にわたる信憑性が完全に裏付けられました。当時のアッシリア帝国では国王セナケリブが帝国内の各地の反乱に見舞われていた。ユダヤの王ヒゼキヤもパレスチナの諸国やエジプトと手を組み、アッシリアに対抗していました。アッシリアのサルゴン二世の死後、セナケリブは王に即位して帝国を安定させると、前701年年に反抗するパレスチナへ軍隊を南下させ、フェニキアを攻めたのち、アフェク、ベト、ダゴン、ヨッファ、ベネ、ベラク、アゾル、シドキアの町々を奪い、最終目標はユダのエルサレムでした。服従しなかったユダヤの王ヒゼキヤに関して言えば、土地に傾斜地を設け、攻囲兵器と坑道を掘り突破し、攻城する歩兵の攻撃とによって彼の26の城壁のある町々とそれを囲む無数の小さな村落を包囲し征服しました。(セナケリブ碑文)
 このようなアッシリア王セナケリブの包囲攻撃に備えてユダの王ヒゼキヤはエルサレム防備のために準備、城壁を直し、櫓を建てて強固な要塞にします。中でも特筆すべきなのは「ヒゼキヤ王のトンネル工事」でしょう。それは、「ギボンの泉」から涌き出る水をセナケリブに利用されないように隠して、城内までトンネルを掘って引き入れることでした。旧約聖書の歴代誌には次のように書かれています。「ヒゼキヤは、セナケリブが攻め入って、エルサレムに向かって戦おうとしているのを見たので、彼のつかさ達、勇士達たちと相談をし、この町の外にある(ギホンの)泉の水をふさごうとした。彼らは王を支持した。そこで多くの民が集まり、すべての泉とこの地を流れている川をふさいでいった。「アッシリアの王たちに、攻め入らせ豊富な水を見つけさせてなるものか」と。ユダヤの王ヒゼキヤはこのように応戦体制を整える一方で、ヒゼキヤはラキシュにいたセナケリブに貢物を納めて戦いを逃れようともしています。だが、ユダヤのヒゼキヤ王から貢物を受け取っただけではアッシリアのセナケブリは満足せず、彼は逆に司令官ラブシャケとともに大軍をエルサレムに派遣してエルサレムを包囲してヒゼキヤの完全降伏をせまりました。このようなアッシリアの高圧的な包囲に対して、ユダの預言者イザヤは「主は言われる。今、私は彼(セナケリブ)のうちにひとつの霊を入れる。彼は、ある噂を聞いて自分の国に引き揚げる。私はその国で彼を剣で倒す」という預言しています。ここでアッシリア軍は「ある噂」を聞いて撤退、その噂とはおそらくエジプト軍が援軍を送ったという噂でしょう。アッシリア軍の戦略、周りの都市を壊滅させて孤立化させて滅ぼす戦略上、背後に敵を抱くのは危険極まりないものでした。事実、勇猛な織田信長でさえ背後を浅井長政に襲われ、優位から一転、挟撃される危険に陥った信長は命からがら撤退をしています。聖書には、王セナケブリは、クシュの王ティルハカにについて「今、彼はあなたと戦うために出てきている」ということを聞いた」と書いてあるからです。このティルハカとは、エジプト第25王朝のタハルカ(前609-前664)のことです。この時、エジプト軍は同盟国であるパレスチナ諸国を助けるために軍隊を送りました。アッシリアのセナケリブがラキシュで軍勢を二分し、一方はセナケリブに導かれてりブナを攻撃し、もう一方はラブシャケに導かれてエルサレムを攻撃したとき、ティルハカはアッシリアを攻撃するチャンスと考えました。これこそ預言者イザヤが預言した「うわさ」です。このうわさを聞いて、ラブシャケはエルサレムの包囲をといてリブナの方へ向かったのである。但し、アッシリア軍の合流があまりに速やかだったために、ティルハカは攻撃のチャンスを失いエジプトに引き上げています。しかしそれはエルサレムの危機が去ったことを意味しなかった。エジプト軍が去った今こそアッシリア軍が総力を挙げてエルサレムを攻撃してくることは明白です。しかし預言者イザヤはアッシリア軍について「アッシリアの王について、主はこうおおせられる。彼はこの町に侵入しない。また、ここに矢を放たず、これに盾を持ってせまらず、砦を築いてこれを攻めることもない。彼はもと来た道から引き返し、この町に入らない」と預言しています。
 事実、セナケリブは侵入してこなかった。それは聖書の記述とセナケリブ自身の記述によって裏付けされています。「その夜、主の使いが出ていって、アッシリアの陣営で、18万5000人を打ち殺した。人々が翌朝、早く起きてみると、なんと彼らは皆死体となっていた。アッシリアの王セナケリブは立ち去り、帰って首都ニネベに住んだ。「主の使いのみわざ」と書いてあるだけで、具体的に何があったのか分からないが、まったく予期しない何かがおきてアッシリア軍は撤退したのでしょう。、セナケリブの陣営に何かが突然発生し、彼は退却を余儀なくされたのである。それは疫病若しくは神の御わざといわれる別のパワーが働いたのかもしれなませんが。神の全能の象徴であるエジプトの過ぎ越しで有名な「死の天使」がアッシリアの陣営を襲います。しかし、この戦争について書いたヘロドトスの報告から推測、鼠によって伝染させられたペストに原因があった可能性が高いでしょう。セナケブリは聖書の述べるように、彼の息子の1人によって殺害された。しかしこの出来事は、ニネベに帰還して20年後のことでした。

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最終更新日  2012年10月30日 07時17分18秒
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