Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2013年03月10日
XML
カテゴリ: 夢有無有
「時間」を紐解く(9)宗教-時間観(四)ユダヤ教・キリスト教
 ユダヤ教に在っては時間線が直線的でなく円環的な時間観も見られて、その影響がキリスト教にも散見はするが、キリスト教にはそれを超えた神の子の受肉としてのイエス・キリストのこの世への到来、その死と復活という、歴史のただなかへの一度限りなされたとされる神の啓示、これは反復されません。イエス・キリストの復活は一回的で決定的な出来事とされ、それを唯一の根源としてキリスト教の救済史観が成り立っています。キリスト教には反復不可能の一回的な神の啓示としての時間観があります。キリスト教では、神の創造もただ一度で完了した過去の業にすぎないものではなく、それと同時に伝統的に「不断の創造」として現在時に於いても不断の時間の創造が事実とされ、終末についても神の時間としての現在性があると指摘されています。キリストの出来事が歴史の中心とすれば、それを通して創造や堕罪、終末や再臨が理解される時、これらのことは不可逆的な直線的時間の上に配置され、また現在の事実として主体的に反復されると説きます。神学上に立つ哲学者アウグスティヌス は時間を内面化して考え、時間は人間の心と無関係に外部で流れているようなものではない。過去、現在、未来と時間3つに分けて考えるのが世の常だが、過去とは「既に無いもの」であり、未来とは「未だ無いもの」である。ならば在ると言えるのは現在だけなのだろうか。過去や未来が在るとすれば、それは「過去についての現在」と「未来についての現在」が在るのである。過去についての現在とは「記憶」であり、未来についての現在とは「期待」、そして現在についての現在は「直観」だとアウグスティヌスは述べています。 時間とは、このような人間に特有の心の働きとします。「神は世界創造以前には何をしていたのか」と問う人がいるが、アウグスティヌスによれば、こうした問いは無意味である。なぜなら、時間そのものが神によって造られたものだから、創造以前には時間は無かったのであり、神こそが時間の根源であり、その神は永遠で、過ぎ去るものは何もなく、全体が現在にあるのである。言い換えれば、現在・過去・未来は神に在っては全てが現象し、俯瞰し得ると云う事とに成ります。

Christ1 ブログランキング・にほんブログ村へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013年03月10日 06時21分49秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: