Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2015年03月22日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」自我とイデア論(七十四)
 教父アウグスティヌスも後世の「コギト・エルゴ・スム」デカルトもあらゆる外感覚的で物質的な世界や其の体験を疑うことは可能だし否定することも出来得ようが、疑っているという自己の内的精神の有り様は否定することは不可能でありるとした思考法は相似しています。ですが其の意味するところはデカルトは人間的自我の独自性と其の存在を主張し、アウグスティヌスは外感覚的で物質的な世界や其の体験を疑うことはあり得ても、自己の内精神の深層に真実在として自我に真理(イデア)を求める有り様は認めるが、其の因は我自ら発したものではなく神の恩寵、言い換えれば神のなかにある。真理は絶対真理の創造主である神に源を発し、其のこと故に人間は「神への渇き」、神の延長の様態としてある限りにおいて神に「真理」を求め、至高の真理が啓示されて自己の霊魂に含有される。最高の真理が啓示されて自己の内精神に潜む隠された精神である「霊性」の所有とすること、教父アウグスティヌスよれば「信ぜよ、さらば理解されよう」の信仰が人間の真理追及の根本とされることになります。教父アウグスティヌスはデカルトとは相違し、人間的自我の独自性と其の存在を人間の自立性に求める事はせず神の「真」の流出が人間の自我に真相を齎すと考察しています。此れは、東方インド大陸の仏教哲学、大乗の思想「無我の我」にこそ真相を視るのと対照的であり興味は尽きません。だからといって反対のことを述べているわけではなく理法を「神」の恩寵に帰すか、存在論としての「空」に帰すかの基底的には反対論ですが思考方法に関しては全く相似しています。

アウグスティヌスとデカルト1
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最終更新日  2015年03月22日 07時45分54秒
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