「思考と直覚」自我の内在性(七十五) 新プラトン派の哲学をキリスト教を背景に教父アウグスティヌスが人間の基底として在る真理が、人間の精神に元来から備わったもので内在するものではなく、外在即ち神に始まるとするのは「神」を絶対存在・絶対意思・絶対意識としての宇宙存在の有無を超えた「有」として捉え難く観えない存在とは主張しません。かと言って人間の五感で捉え得る「有無」ともいえないところの概念、即ち龍樹云うところの「有と無」の対立概念を超えた存在を問うことすら許されず意味のない「空」とも主張しません。教父アウグスティヌスは人間存在の精神を疑い追求すればする程にデカルトの「我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」ではなくて、我思う故に其の真相に近づけば近付く程「己の内層に潜む自我」に絶対存在・絶対意思・絶対意識としての世界の理法「ロゴス」を観るのです。其のことあって故に自己の内精神の深層に真実在として自我(ego or identity)に真理(イデア)があると主張します。但し、其の真相を捉えるのは高度の哲学や外在的経験や体験を超えた信仰によってのみ、人間に最高の真理を心の所有とさせ其の啓示こそが人間に信念と平安を齎すというのでしょう。言い替えれば神の愛アガペーは信仰に始まるということです。然し乍ら、「直覚霊知」にあっては絶対存在・絶対意思・絶対意識は世界理法の創造主であるとは認識しますが「世界の全ての要素」である以上、人間の精神在によっては「苦悪」其のものへと変貌する恐れ無きにしも非ずでしょう。